キャロルでの活動を経て、1970年代半ばにソロとなり、既に名声を得ていた矢沢永吉が全米進出をを試みたのは1980年代初頭のことでした。1981年の海外版アルバム『YAZAWA』の売り上げはさっぱり…。アメリカに拠点を移しての活動だったわけですが、その後のアルバムも売り上げは伸びず、ワーナーブラザーズのバックアップで出された本シングル曲「Flash In Japan」(1987年)もまったく売れずという結果に終わりました。とはいえ、個人的にはお気に入り曲(どころか彼の楽曲の中で一番気に入っているナンバーと言ってもいいぐらいです)ということで、そのシングル曲を今回取り上げる次第です。