秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.03.24
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カテゴリ: 政治
マドレーン・オルブライト元米国務長官が亡くなりました。在任中は女性の国務長官は珍しいなぐらいしか、記憶していませんでした。

しかし、数年前に「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」というDVDを観ていて、オリバー・ストーン監督が引用したイラク制裁での彼女の言葉"But if we have to use force, it is because we are America; we are the indispensable nation. (We stand tall and we see further than other countries into the future, and we see the danger here to all of us.)"という言葉を聞いて、へーこれが覇権なのかなと驚いたものです。()内はWikipediaから追加。

彼女の死について、米国務省のプライス報道官が、『オルブライト氏はある日、なぜ100万人以上の軍隊を持ちながらそれを使おうとしないのかと言い放ち、国防総省のトップを怒らせたことがある、と振り返った。』と語った記事を読んで、DVDで観たオルブライト氏を久々に思い出しました。

国務長官在任中に「NATO=北大西洋条約機構の拡大を推進し、ヨーロッパ東部の国々の加盟の実現に力を入れ」たことが、ひょっとして今回のロシアによるウクライナ侵攻の伏線になっていたのかもしれません。米国は武力で物事を解決しようとする昔の姿勢から大きく変わりましたが、話し合いで解決してほしいものだと思います。

オルブライト氏のご冥福をお祈り申し上げます。



1:08あたりから


■参考リンク
2022年3月24日6:04 午前4時間前更新オルブライト氏が死去、女性初の米国務長官ロイター
[ワシントン 23日 ロイター] - 女性初の米国務長官を務めたマドレーン・オルブライト氏が23日、がんのため死去した。84歳だった。オルブライト氏の家族がツイッターで公表した。
1937年、旧チェコスロバキアのプラハに生まれた。第二次世界大戦中はナチスを逃れて家族とともに英国などで暮らし、48年に米国へ移住。その後コロンビア大学で政治学博士号を取得した。民主党のクリントン政権下で93年から97年まで国連大使、さらに97年から2001まで国務長官を歴任した。


米 オルブライト元国務長官 死去 女性として初の国務長官2022年3月24日 10時11分 NHK
アメリカで女性として初めて国務長官を務めたマドレーン・オルブライト氏ががんのため亡くなりました。84歳でした。
オルブライト氏は1937年、当時のチェコスロバキアの首都プラハで生まれ、共産党政権が樹立したあと、アメリカに移住しました。
1978年から1981年まで、ホワイトハウスで安全保障政策を担当するブレジンスキー大統領補佐官のもとで、スタッフとして勤務しました。
そして1993年、クリントン政権の1期目で国連大使に任命されたあと、2期目の1997年には女性として初めて国務長官に就任しました。
オルブライト氏は国務長官として、NATO=北大西洋条約機構の拡大を推進し、ヨーロッパ東部の国々の加盟の実現に力を入れました。
また、1999年には、コソボで独立を求めるアルバニア系住民と、それを阻止しようとするセルビアの治安部隊の衝突が激化すると人道危機を回避するためとして、NATO軍による軍事介入を推し進めました。
2000年には、アメリカの現職閣僚として初めて北朝鮮を訪問し、当時のキム・ジョンイル総書記と直接会談し、ミサイル開発の問題などについて意見を交わしました。
家族がツイッターに投稿した声明によりますと、オルブライト氏は23日、家族や友人が見守る中、がんのため亡くなったということです。
国連安保理会合では黙とうも
アメリカの国連大使も務めたオルブライト氏のために、国連安全保障理事会の会合で23日、各国の大使らが1分間の黙とうをささげる場面がありました。
黙とうは、今月の議長を務めるUAE=アラブ首長国連邦のヌサイベ国連大使が会合の冒頭で呼びかけました。


オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史(2012):The Untold History of the United States Oliver Stone

Wiikipedia:Madeleine Albright
Controversies
Sanctions against Iraq
In the context of the 1998 Iraq campaign, Albright expressed another justification, saying, "But if we have to use force, it is because we are America; we are the indispensable nation. We stand tall and we see further than other countries into the future, and we see the danger here to all of us."[129]
グーグルページ翻訳
論争

1998年のイラク作戦の文脈で、オルブライトは別の正当化を表明し、「しかし、力を使わなければならないのは、私たちがアメリカだからです。私たちは不可欠な国です。私たちは背が高く、他の国よりも遠くを見ています。将来、そして私たちはここで私たち全員に危険を感じています。」[129]





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Last updated  2022.03.25 01:05:44


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