秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.09.11
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テーマ: かき氷(198)
カテゴリ: グルメ Gourmet
9/10の若洲海浜公園は結構暑かったです。天気予報で東京の気温は33度と出ていましたが、それ以上だったと思います。

いつもは自販機でコーラを買うところですが、かき氷のお店があったので氷いちごを購入。記憶では、21世紀で初めてで、たぶん今年最初で最後の街で買うかき氷です。昔は近所の甘未屋さんで食べました。

かき氷の歴史は意外と古く平安時代には苦労して「氷室」というところに保存して夏に食べたそうです。そういえば「氷室」といえば漫画の登場人物に昔いたような気がします。

アンケートではアイスクリームよりかき氷を食べたくなる気温の境が34度らしいです。気温が体温に近くなると体が冷却材を求めるのでしょうか。真夏の甲子園もかち割りですし。



■参考リンク
Wikipedia:かき氷
かき氷(かきごおり、欠き氷)とは、氷を細かく削るか砕いて、シロップ等をかけた氷菓。餡やコンデンスミルクをかけることもある。氷は古くは鉋(かんな)などで粒状に削ったが[1]、現在は専用の機械を用いる。また市販品として、細かく砕いた氷と各種シロップを混ぜてカップ容器や袋に入れた製品も売られている。日本以外にも類似のものが各国にある。
日本では、かき氷を売っている店は氷旗(白地に赤い文字で「氷」と書かれた幟〈のぼり〉)を掲げていることが多い。夏季に社寺の境内で催される祭礼や縁日などでは綿菓子、たこ焼き、焼きそばとともに売られる代表的な縁日物(えんにちもの)の一つであり、夏の風物詩、季語の一つである。
歴史
史実上の記録は平安時代に清少納言の『枕草子』「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の段に、金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ、文中では「けつりひ」)に蔓草の一種である甘葛(あまかづら・あまづら、蔦の樹液または甘茶蔓の茎の汁)をかけたとして「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されている[2][3]。藤原定家の『明月記』にも登場する[2]。製氷技術のなかった当時、夏に氷を求めるにはあらかじめ冬の雪や氷を氷室で保存する以外に方法が無く、かき氷は特権階級しか口にできないものであった[2]。

1878年 (明治11年)、粗悪な氷が販売される事を取り締まるために内務省から「氷製造人並販売人取締規則」が公布された。これにより営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられた。この時に配られた旗が現在の氷旗のデザインの元になっている。
1882年(明治15年)頃には博物学者のエドワード・S・モースが、かき氷を食べたことを自著に記している[2]。
1883年(明治16年)には東京製氷株式会社ができて人工氷の生産が拡大[2]。このようなこともあり明治20年代になると、かき氷は大衆的な飲食物となるに至った[2]。1887年(明治20年)には村上半三郎が氷削機(ひょうさくき)を発明して特許を取る[2]。1895年夏に、氷店は、東京や横浜では「5歩に1店、10歩に1舗」といわれるほど増え、氷水は1銭、ほか氷イチゴ、氷レモン、氷しるこ等多種あった[4]。しかし、氷削機が一般化するのは昭和期に入ってからであり、それまでは台鉋を用いて削る方法が一般的であった[2]。
第二次世界大戦前は、削った氷に砂糖をふりかけた「雪」[5]か、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡をのせた「金時」が普通のメニューであった。戦後、かき氷専用のいちごやレモン風味のシロップが販売されるようになった。
現代において夏に涼しさを得られる食べ物としてはアイスクリームもあり、ウェザーニューズが2022年8月にスマートフォンの天気アプリの位置情報を利用して実施したアンケート調査によると、アイスクリームよりかき氷を食べたいという回答は、気温に比例して増え、34度を境に過半数(52%)を占めた[6]。





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Last updated  2023.09.12 21:23:20


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