フリーページ
米軍による空襲や艦砲射撃は「鉄の暴風」と形容されるほどにすさまじく、生活の場が戦地となった住民は戦闘に巻き込まれた。
住民の命を脅かしたのは米軍だけではない。 日本軍もまた、住民を「スパイ」として処刑し、壕から艦砲射撃の中に追い出した。 県民の4人に1人が命を落とし、戦火が激しかった本島南部ではさらに死亡率が跳ね上がる。自治体別で軒並み4割を超え、全滅した集落もあった。
蟻塚さんが語る。
「国内唯一の地上戦となった沖縄戦は、本土の空襲と様相が大きく異なります。武装した米兵が目の前を動き回り、見つかれば殺される状況でした。友軍であるはずの日本軍に恐怖心を抱き、集団自決も起きた。本土のような救援はなく、生き延びても収容所に押し込められました」
戦後、つらすぎる過去から逃れるため、多くの人々が口を閉ざした。 日々の暮らしに追われ、やがて沖縄戦の記憶は脳の奥にしまわれた。
しかし、年齢を重ね、人生を振り返る時期になると、近親者の死や退職などをきっかけに「寝たふりをしていた記憶」が「熱い記憶」として呼び起こされ、さまざまな心身の不調を引き起こすようになった。
特に認知症は、記憶は全般的に脱落するが、痛みを伴う記憶はこぼれ落ちることなく、むしろ突出し、先鋭化するという。4人の子どもが犠牲となった98歳の女性が、唯一人生き残った娘に付き添われて来院したことがある。潜在化していた記憶が表面化したのだろう。子どもたちのつもりでおもちゃの赤ちゃんを背負っていた。
蟻塚さんらが戦後67年の2012年度に戦争を体験した高齢者約400人を対象に行った調査では、39%がPTSD発症の可能性が高いとされた。阪神淡路大震災の5年後の調査では22%だったという。
■■■
沖縄では、今なお戦時の記憶が島を覆う。
苛烈な戦火をようやく逃れた後も、平和を享受することはかなわなかった。米軍による土地の強制接収が続き、巨大な基地群が造られた。以来、「沖縄に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」と言われる状況を強いられてきた。本土復帰後も基地の重圧に苦しみ、沖縄戦と現在が地続きにつながっている。
蟻塚さんが語気を強める。
「相次ぐ米兵の事件事故に戦慄し、早朝から深夜に及ぶ米軍機の轟音におびえる。戦時のトラウマが癒やされる暇はなく、傷口が今も生々しく開いています」
沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日の「慰霊の日」が近づくと、不眠を訴える人は少なくない。沖縄戦関連の報道が戦時の記憶を呼び覚ます。「この夏、本土では『戦後73年』という言葉が飛び交うでしょう。 でもね、沖縄には『戦後』はありません。戦争は過去の歴史ではなく、現在進行形の問題なんです 」
夏祭りの最後を飾る花火大会になると、お年寄りを帰宅させる地域もある。音や火薬の臭いで戦時の記憶が呼び起こされ、恐怖心を抱かないようにとの心遣いだ。報道におののき、花火にさえ身をすくめるお年寄りたち。その頭上を、きょうも米軍機が飛び続ける。
(田中大樹)
愛国心強制、民主主義と相反(12日の日… 2026年08月12日
DEI:「南の隣国」とは別世界(11日の… 2026年08月11日
今上天皇は第3代天皇だ(10日の日記) 2026年08月10日
PR
キーワードサーチ
コメント新着