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(聞き手・坂田奈央)
――9月の内閣改造で女性閣僚は過去最多に並ぶ5人に増えた一方、54人の副大臣・政務官は当初女性ゼロだった。
「首相が頑張れば女性閣僚は増やせることが多くの人に伝わった。ただ女性議員の数が足りていないことで、しわよせが副大臣・政務官に。女性が足りない現実が見える化された」
――1993年衆院選では、自民党公認の女性候補が野田さん1人だった。
「当時は中選挙区制で、特に(自民以外の)野党は女性候補を出せていた。大誤算は、96年に導入された小選挙区制が女性議員の数を増やすと思ったこと。ジェンダーと関係なく一国一城の主が張れると前向きに受け止めたが、自民党の『現職優先』という前提を失念していた」
――そもそも女性の現職がほとんどいなかった。
「 現職の九十数%が男性のまま小選挙区制に移行し、女性はスタートラインから不平等だった。 新人擁立の可能性があるのは、現職が落選や他の理由で辞めたり亡くなったりといった限られたケース。大概急なことだから、身近な地方議員や地元出身の官僚が選ばれやすく、いずれも男性比率が高い。悪循環が自民党の中に組み込まれてきた」
――そうした不意の新人擁立時に、女性候補を検討できる仕組みづくりを目指してきた。
「自民党の場合、候補者の選定は各都道府県連が中心。だが、擁立候補となる女性の参考資料が全くない状況だった。そこで、党の『女性未来塾』の卒塾生などで政治家になりたい人などのリスト化に取り組んだ。すでに全国の県連に届けたと聞いている」
――自民の女性国会議員は30年たっても約1割。
「女性はそもそも男性より何周も遅れてスタートを切らされているから、1割にでも増えたことが奇跡。 私自身は消費者庁やこども家庭庁の創設に取り組む中で、政治の論点を少しずつでも変えることができたと感じている。 仮にもっと女性が多ければ、もっといろんなことができただろう」
――少子化対策の必要性を長年訴えてきた。
「2021年に立候補した自民党総裁選で『こどもまんなか』を連呼したが、『何ばかなこと言ってんだ』と笑っていた男性もいたと聞いた。でも今はそれが政治のメインの一つ。ただ、私が男性だったらもっと早く推し進めることができたかもしれないとも思う」
――選択的夫婦別姓制度の実現は難しいか。
「私の世代は、戦争前に生まれた親に育てられた。父親は台所に入らないのが当たり前だった。そうした環境で育った子どもたちが、今ちょうど政治経済の中心にきている。だから本当に難しい。 選択的夫婦別姓も党内で議論すら進まなかった。推進する私たちにとっての最大の障害は『明治の価値観』だ 」
<のだ・せいこ> 衆院議員(岐阜―区、10期)。1983年に上智大卒業後、帝国ホテルに入社。岐阜県議を経て93年衆院選で初当選。郵政相、消費者行政推進担当相、自民党総務会長、総務相、同党幹事長代行などを経て、2021年に内閣府特命担当相(少子化対策など)に就き、子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁設置法」を成立させた。ライフワークは子ども行政の充実や少子化対策、人口減少対策など。近著に「野田聖子のつくりかた」(CCCメディアハウス)。
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