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しかし、経歴を見るとトラブルの連続である。故郷ジュネーブを離れて各地を放浪し、やがては教会との対立からフランスにもいられなくなる。ようやく英国で受け入れてくれた哲学者とも衝突してしまう。恋多き男であったが、子どもを育てることはなく、現代でいえば養育放棄(ネグレクト)の批判を免れない。音楽、文学から政治学まで幅広いジャンルで活躍したが、いわゆる専門家の枠に収まる人物ではなかった。
そのルソーの著作として最も有名な一冊が「社会契約論」である。難解な著作として知られるが、よく読んでみると、現代でも響く言葉をたくさん残している。このたび筆者は「ルソー『社会契約論』」(中央公論新社)という小著を上梓した。
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ルソーが本の冒頭で強調しているのが「力による正義は認めない」という決意である。 なるほど、確かに世の中を見れば、強者が弱者を踏みにじる現実があることは否めない。 だからといってそのことが正しいわけではないし、強者に弱者を支配する権利があるわけでもない。 それなのに政治の言説は事実上、「強者の権利」と「力による正義」を容認してしまっているのではないか。大国の横暴を前に声を上げることのできない21世紀の私たちに「刺さる」言葉であろう。
ルソーが生きたのは戦争の時代でもあった。ひとたび他国に占領されれば、敗戦国の民衆はあたかも「奴隷」のごとき扱いをされることも珍しくなかった。これに対しルソーは、戦争はあくまで国と国の関係であり、個人と個人が戦っているわけではないと考えた。戦争が終われば、人と人とが憎しみ合う理由などないと説いた彼の主張は、理想論にも聞こえるが、憎しみの連鎖が支配する現代世界において、意味のある考え方とも言える。
「社会契約論」を読んでいて、悩ましいのが「一般意志」という概念である。ルソーによれば、一人一人の個人にはその人に固有な特殊意志がある。とはいえ、特殊意志をいくら集めても、社会の共通の意志、すなわち一般意志にはならない。バラバラな意志はどこまで行ってもバラバラなままである。現代でも各種の世論調査が行われているが、単に個別の意見を集計しただけでは、社会として進むべき方向性は見えてこない。
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もちろん、各人の思いや利害はある。それでも、自分も社会の一員である以上、社会全体にとって何が望ましいことなのかをいま一度、じっくり考えてみてほしいとルソーは説く。例えば、一個人として税金を払うのは嫌であっても、共に社会を営む上でのコストを公正に負担するのならば、考える余地はあるはずだ。
社会として共有すべき意志があるとすれば、それは何なのか。孤独に陥りながら、他の市民と対等に協力することを夢見たルソーの一般意志論は、分断の時代にあって、あまりにも現実離れした学説なのか。あるいは民主主義の対話を取り戻すヒントなのだろうか。
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