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(聞き手・竹内瑠梨)
――裁判で何を訴えたか。
「安保法制の一番の問題点は、歴代政府が憲法9条の下では集団的自衛権行使は許されず、容認するには改憲が必要との解釈を確立してきたにもかかわらず、閣議決定だけで変更し、強行制定したことだ。海外での武力行使を認め、日本が戦争当事国となる危険性が高まり、恒久平和主義に反する。放置できない憲法違反、立憲主義の蹂躙は明らかで、『戦争ができる国』に変わることへの危機感は相当に大きかった」
「違憲性を忘れず追及し続けなければ、世の中のありようも物差しも流される。意志をつなぎ、権力の横暴を食い止めようと、全国的な訴訟が10年にわたって進行した。自衛隊の防衛出動などの差し止めを求め、平和的生存権や人格権の侵害を訴えた。国民は憲法96条の改正手続きを通じて憲法の形を自ら考え決められるのにその権利も奪われ、『憲法改正・決定権』の侵害も問題提起した」
――憲法判断を示さない判決が続いてきた。訴訟の意義や役割をどう考えるか。
「戦争経験者ら原告や、解釈の核心にいた内閣法制局元長官、憲法学者らの証人が違憲性を指摘したが、神奈川など23件は最高裁の上告棄却などで終結した。2件は審理が続いている。『現に武力攻撃を受けておらず、その恐れも認められない』から『生命・身体の安全が侵害される現実的・具体的な権利侵害が認められない』などとする紋切り型の判決が続いた。『戦争が起きてから裁判所へ』という非常識だ。『明白な違憲とまでは言えない』とした2023年12月の仙台高裁判決を除き憲法判断も示されず、立憲主義と民主主義のとりでであるべき司法は責任を放棄している」
「だが得られた財産はある。神奈川訴訟の一審判決は、集団的自衛権を行使できる『存立危機事態』の範囲は明らかと言えず、国民の理解や共通認識が不十分と付言した唯一の判決だった。 存立危機事態の不明確性は今に続く問題で、判決の意味は存続している。 証人の長谷部恭男・早稲田大教授は、甚大で不可逆的な被害が発生する問題には抽象的な危険の段階から『予防原則』に即して違法性を認定すべきだと証言した。今後も自衛隊出動が具体的に浮上すれば差し止め訴訟の提起なども考えられる。 そのたび『安保法制とは何か』に立ち戻り、危険性を考え、議論する必要性は続く。培った理論の蓄積をどう広げ、生かすかが課題だ」
――安保法制成立後の社会、平和憲法の果たす力をどう見るか。
「9条を中心とした憲法の基本的原理は掘り崩され、国の在り方が変えられていくスタート地点が安保法制だ。集団的自衛権行使を容認した安保法制という器に、戦争をするための体制・装備という中身を盛り込んだのが安保関連3文書。 敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も始まり、日米の軍事一体化は進む。高市早苗政権は、防衛装備の輸出について閣議などで決定し、殺傷能力のある武器も原則可能にした。平和国家としての日本の姿は大きく変貌しかねない。政府が軍事力強化の理由とする台湾有事も、仮に起きた場合に安保法制がどう適用されるのか。戦火が及ぶ可能性や切迫性は不透明な上、有事回避の議論はすっ飛ばして防衛力強化か進められていく、ゆがんだ状況下に私たちはいる。 米国とイスラエルによるイラン攻撃では、日本はホルムズ海峡への艦船派遣をしていない。『憲法も含む』国内法上の制約があると米側に説明したとされるが、防波堤の役目を果たしたのは9条だろう」
「国の在り方、憲法の在り方を考え、決めていく権利は私たち一人一人にある。立憲主義や平和主義といった憲法の本道をもう一度捉え直し、再生させる方向で考えるのか、平和憲法から離れていく方向で進むのか。政権が安保3文書改定や改憲に前のめりになる中、国民にその選択が迫られている。憲法の規範力を取り戻す努力や運動を続け、平和主義とは異なる方向に進む権力には絶えず異を唱え続ける必要がある」
<ふくだ・まもる> 神奈川県弁護士会所属。 1974~79年に衆院法制局。82年に弁護士登録。日弁連憲法問題対策本部副本部長。共著に「安保法制の何が問題か」(岩波書店)など。
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