ベルギ-永住ミステリー小僧のブログ

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2024.04.23
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カテゴリ: ベルギ-の日常


以前、『真夏の方程式』という小説を読んだことがある。
東野圭吾著の湯川学という物理学教授が登場する、いわゆるガリレオシリ-ズというミステリ-小説である。
ご存じの方も多いかもしれないが、その物語は色彩が豊か(お読みになればわかると思います)な反面、スト-リ-が地味だったので彼の代表作の一つには数えられていないが、ラストに出てくるたった一行の短い言葉が、その物語を読んで以降私の記憶に残り続けている。


その言葉とは、『 君は一人じゃない 』。

一見何の変哲もない言葉ではあるが、その物語の中で言われた小学6年生の少年にとって、そして彼に感情移入してしまった読み手の私にとって、その言葉はまるで救世主の言葉に思えたほどだった。
この言葉を湯川学から掛けられなければ、その後の彼の人生は、自分が犯した(少なくとも少年はそう信じていた)罪の重さに彼は耐えられなかったかもしれない。


ここからはその小説のネタバレが一部ありますのでご注意を。

『小学6年生の男の子である主人公は、夏休みに叔父が経営する海岸沿いの小さな旅館に滞在するが、そこで湯川学と知り合うことになる。湯川とは夏休みの宿題である自由研究のテーマの実験など、様々なことで影響を受ける。
そんなある日、旅館に宿泊していた男が部屋に漏れ出たガスで死亡してしまう事故が起きる。同じ旅館に泊まっていた湯川は、(詳しいことは省くが)現場の状況から少年の叔父の犯行を疑い、その叔父は犯行を自供する。

問題はそれでは終わらない。

実は少年はあることを叔父から依頼されていたのだ。宿泊客がガスで窒息死したことと自分がやったことを冷静に考えれば、 自分がその殺人に加担したこと は間違いない。しかし、少年はそのことを誰にも言えなかったのである。
この時の少年の葛藤、悩みをここで再現するのは難しい。
事件を知って迎えに来た父親にも、勿論警察の人にも誰にも打ち明けられずに、ひたすら湯川との再会を待ちわびていたが、事件以降、宿を変えた湯川の居場所は分からなかった。
そして湯川との再会を諦めていた滞在最後の日の駅の待合室で、まるで少年と会うのを予定していたかのように自然に少年の前に現れる。そして何か言いたげな少年の言葉を制して、こういうのである。
「君はこれからずっと自分の罪の重さを背負っていくことになるだろう。僕は君をこれからもずっと見守っていくつもりだ」
そして最後にこう締めくくるのである。
「君は一人じゃない」

この言葉を聞いた時、私は思わず嗚咽をもらしそうになった。勿論私は「聞いた」のではなく「読んだ」のだが、小説の中で泣いていた少年に感情移入していた私は、少年と一緒にその言葉を「聞いて」いたのである。

このときふと頭に思い浮かんだのが、当時大きな社会問題となっていた学校の『いじめ』だった。
言いたいこと書きたいことは山ほどあるが、このブログではそんな余裕はないので、私自身の経験を書くのみにしたい。
実は私はいじめという言葉に対してちょっと過敏に反応するところがある。

私の人生でいじめられた経験は皆無と言っていい。それなのにその言葉を聞くと無性に胸が痛む。正確に言うならば『居ても立っても居られない』自分がいるのである。

『小学生の時に僕の親友の一人が誰かをいじめているとすると、僕はいじめられている側になって必死に制止しようとしていた。中学生の頃、クラスでいじめっ子が3人ほどいて、小柄な男子生徒2人がプロレスごっこの標的になっていた。それを見た僕はいたたまれない気持ちになって、やめるように止めに入ったが、3人が相手ではらちが明かない。

小学校の頃、親しい友達とプロレス遊びをすることはしょっちゅうあったと思う。ただ、その時には暗黙の了解があって、いやだという者には絶対手を出さないこと、そして本気で技を掛けないことであった。
しかし中学の時は嫌がる男子を無理やりプロレス相手にして技を掛けたりしていた。3人のうち2人は僕より体格がガッシリしていて、まともにやり合えば僕でも太刀打ちできない。しかしその2人は根は悪くないことを肌で感じていたので、『まあ、やめろよ』と軽い気持ちで声を掛けられた。しかし3人目は小柄でずる賢そうな顔つきをした悪知恵が働く、なんとも厄介な奴であった。
結局、体格のいい2人は悪知恵の働く奴に引っ張られてやりたい放題のことをやっていたと思う。

しかし当時の僕にとって最も嫌なことは、彼ら3人に『迎合』する輩が何人か出始めたことであった。その中に小学生の時の同級生で遊び仲間の一人(但し親友ではなかった)が中心的な存在だったのには呆れるとともに落胆してしまった。

結局僕はクラスの中で孤立した気持ちになり、その後半年は僕の中学生生活のみならず、全学生生活でも最悪の時を過ごすことになった。但し、僕はいじめられたのではなく、そのようなクラスの雰囲気に我慢できずに、休憩時間や昼休みはクラスの仲間とは話をせずに、たった一人いた男子生徒とやるせない時間を過ごすことになった。

その迎合した彼だが、その後東大法学部を卒業して、当時の超優良人気企業に入社したとか。その時、そして以降の彼は一体どちらの彼だったのだろうか?どうでもいいことだが何故か気になってしょうがない』

自分でもなぜそんなに『いじめられている者』に同情、というより感情移入してしまうのか正直分からない。

しかし『君は一人じゃない』という言葉を知ってからは、いじめられてどうしていいか分からない人や、学校や家で居場所のない人に是非言ってあげたい言葉の一つになった。
幸か不幸か、今までにその言葉を誰かに言ったことはないが、似たようなことを最近よく言われた。

それは、妻を亡くしてから娘の同級生の妹や、隣家のスウェーデン人の女性に、それらしい言葉を掛けられたからに他ならない。

しかし彼女たちは私の親友でもないし、親しい間柄では決してない。でもそういう言葉を掛けられたのである。どういう言葉を掛けられたかと言うと、

-これから寂しいだろうから、私が 毎月あなたの家に押し掛けて励ましてあげるから 独りぼっちじゃあないよ​
-うちの娘(10歳くらいかな?)は犬が好きだから、 お宅の犬の散歩のときに一緒に歩きなさいよ 。娘も喜ぶと思うよ。これから天気のいい時は庭で一緒に食べよう。 あなたは一人じゃないからね

ということを言われました。
言われた時は驚きましたが、思わず微笑みましたね、泣きながら。

いつになるか分かりませんが、私もそういう言葉を悲しみや寂しさや、あるいは絶望のどん底にいる人に心からそういう言葉を掛けられる人になりたい、そう思います。


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最終更新日  2024.04.24 03:12:11
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