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ついこの間、娘から親友のG嬢について最新情報を聞いたので、それまでの経緯も含めてここで紹介しておこうと思います。ちょっと変わった物語ですので。娘の小学校時代の同級生であったG嬢、我が家では親しみを込めてギャビ-と呼んでいます、は、ベルギ-人の父親とポルトガル人の母親との間に生まれましたが、彼女が幼い頃両親は離婚し、検事を職業とする母親と暮らしていました。その後母親はノルウェ-人男性と再婚し、3人は同居していたという事です。小学生の頃は、何回か家に遊びに来たことを覚えています。チャッピ-というか、明るくお道化たところのある女の子でした。しかし、ギャビ-が20代後半の頃、その母親は脳腫瘍で亡くなりました。乳がんの治療中に全身への転移が見つかり、闘病の末の悲しい結末でした。唯一の慰めは、亡くなる前日、気分が良かったそうで、家族とレストランで食事をして過ごすことが出来た、という事でしょうか。後日、ギャビ-から郵送されてきたお葬式の案内の内容を見て、妻も娘も、そして私も大変驚きました。ドレスコード(出席する際の服装の指定)は、出来るだけ着飾ってきて欲しい、それこそが母のお葬式に相応しい、と。そして、「私はピンクのドレスを着る予定です。」との言葉が添えられていました。実際に出席した家族がどのような服装で行ったのか知りません。その数年後、今度は嬉しい知らせを受け取りました。彼女が結婚するというのです。結婚式には、娘、妻と私の3人が出席しました。場所はブリュッセル郊外の広大な庭園のある建物で行われました。結婚式とか会社のイベントは、このような場所で行われるのが一般的です。招待客に満面の笑顔で談笑する2人を見て、私ら3人はホッとしたものでした。 その彼女についての続報が入ったのは、結婚式の2年後くらいだったでしょうか。コロナ禍の頃です。なんと2人は別居しているというのです。それも原因は、夫の浮気、というかギャビ-以外にも付き合っていた女性がおり、信じられないことに、結婚後もその関係が続いていたというのです!つまり二股をかけていた、という事です。 その話を聞いた時は、余りの破廉恥さにあきれ果てましたが、そのうち沸々とその男に対する憎しみが湧いてきました。人間の屑ですね。そんな事があったことさえすっかり忘れていましたが、つい最近、娘から最新状況を聞き、またビックリ仰天しました。何と、縒りを戻したというのです!本当に彼女には何度も驚かされますが、その理由を聞いて何か複雑な気持ちになりました。 今度はその男が二股をかけていた女に愛想を尽かれ、それで恥ずかしげもなくギャビ-の元に戻って来たという訳です。ただ、娘に聞いた話では、ギャビ-は別れた後も元カレのことを忘れていなかったという事でした。彼に惚れ込んでいたんですね。今の状態がギャビ-にとって本当に良いことなのかは、私らには判断のつかないことですが、彼女がそれで幸せだと思っているのであれば、他人が口出しすることではないですね。今の幸せがずっと続きますように、心から祈っています。それと共に、続報が入ってきませんように!2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.27
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あとがき:これを書こうと決めた当初は、ほんの1,2回程度だろうと考えていましたが、書いているうちに当時の自分が今の自分に乗り移ったように、当時の楽しい切なく空しく情けない気持ちがこみあげて、キーボ-ドを叩く手が止まりませんでした。書いていてまず驚いたことは、そんな何十年も前のことをどうしてそんなに鮮明に細部にわたるまで記憶しているんだろう、という事実です。特に付き合って間もない頃のことは、書いている途中でどんどん頭から飛び出してくるような、奇妙な感覚に襲われました。記憶の糸を手繰っていくと、スルスルっと記憶の束がストンと頭の中に落ちてくる感覚なんです。ですから、そのころの甘くて若々しいけど艶やかな出来事は難なく思い出せました。それだけではなく、自分がその頃の「僕」になって、「僕」を演じているような錯覚というか、ドラマの中で彼女と共演しているような摩訶不思議な気分になれたのは、喜び以外の何物でもありません。一方で、それ以降の場面では結構記憶が途切れており、会ったのにその時の記憶に季節感がない(何月ではなく季節さえも思い出せない)、或いは別れた時の情景は思い出すものの、何を話したのか記憶にないという有様で、かなり苦労したのも事実です。何はともあれ、完結出来て良かったです。次作 :次は自伝ではなく恋愛小説です。実はもう書き始めています。登場人物はある程度決めていますが、スト-リ-は正直途中までしか考えていません。よく言うプロット無しという書き方です。一端の物書きみたいなこと言ってますが、小説を書くのはこれが初めてです。前回書いたのは、自伝又は私小説的なものなので、記憶を手繰っていけば物語になりましたが、創作つまり新しいものを作り出すことは全くの別物だと思います。かなり無謀なことをやっています。自分ながら恐ろしいです。もしかすると、途中でどう物語が転がっていくのか分からなくなり、暗礁に乗り上げにっちもさっちもいかなくなることもあるかもしれません。現在は3話目を書いているところですが、10話ほど出来上がってある程度いけるという自信がついてくれば、アップするつもりでおります。上手くいけばですが。このブログで紹介できるのはもうチョッと先になるかもしれませんが、頑張ってみますのでまた読んでいただけると嬉しい限りです。
2023.04.18
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にほんブログ村そうか、ス-リエは僕にそれを言いたかったのか。そう想った途端、もう限界に来たのか、目の中にたまっていたものが、大粒の涙となって一粒頬を伝っていきます。思わず嗚咽が漏れてしまいました。(俺は何てバカな奴なんだ!)Sさんはそんな僕の横顔をじっと見つめながら、まるで子供に大人の世の決まり事を説明するように、小学校の女性の担任教師が悪戯をした生徒に物事を言い聞かせるように、あなたは彼女が自分を好きだという気持ちを知ってからというもの、彼女の心の動きや変化を知ろうとさえしなかったのよ。彼女が不安や苦しみを抱えていた時に。好きだよ、愛しているよ、って呪文のように唱えていたって、何も変わらないのよ。この時になると、もう堰を切ったように涙が溢れ頬を流れてゆきます。でも、何も言えないしなにもできない。誓って言いますが、僕は泣き虫ではないし、ましてや女性の目の前で泣きません、普通は…。長い沈黙が二人に間に横たわっています。ごめん、色々と言いすぎちゃったみたい。でも、最後にこれだけは言っておくわ。もし今のままの気持ちや考えで女の人を好きになっても、あなたは本当の意味で彼女を愛することが出来ないし、ましてや幸せにすることなんかできないと思うの。僕は顔を上げてCさんの目を見つめます。もはや涙の後を見せることが恥ずかしいとは思いませんでした。好きな人を知ることは決して知識じゃあないの。好きな人の心を知ることなの。私はそう思うわ。そう言って彼女は残ったカクテルを一気に飲み干してから、あなたも同じもの飲む? これ飲むと嫌なこと忘れられるわよ。彼女の顔は何の曇りの無い満面の笑みで溢れていました。何処かで見たような…。それは元カノ、ス-リエの笑顔そのものでした。知り合った当初の、一点の曇りの無いあの笑顔だったのです。やれやれ、またやられたなぁ。そうです、あの日から僕はス-リエには全く頭が上がらなかったんです。 完最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。最後に、僕の一番お気に入りのイラストを。あの頃の二人のイメ-ジにぴったり合うんです。特に彼女が。 イラストACさん、こんな素敵なイラストをありがとう。2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.13
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にほんブログ村この話にはチョットした続きがあります。あの笑いながら電話で別れてから数年後、僕は東京本社勤務となり、仕事関連で派遣されたセミナ-のワークショップで同じ班となったある女性、仮にSさんとします、とお酒を飲みながら恋愛談義をした時のお話です。この女性は年齢は僕よりやや上、ちょっと気の強そうな切れ長の目をした、思ったことをハッキリと口にだして言う、とても魅力的な人でした。いや-、僕には好きな人がいたんですけど、数年前に別れちゃいました。本当に好きだったんですよ。でも、何でああなっちゃったのかな。僕は努めて軽い気持ちで話し始めると、じゃあ、じっくり聴いてあげるから話してみてよ。そう言って顎をしゃくるようにして、彼女は僕に話しの先を促します。長い話ですが、かなり端折ったものの、どんなに彼女のことを想っていたか、それでも別れざるを得なかった辛さを、とうとうと話していました。僕は無意識でしたが、こんな凄い大恋愛をしたんだ、的な自慢話をしているようにCさんには聞こえていたかもしれません。Sさんは視線を僕から外しながら、フー、と息を吐き、やれやれ、あなたみたいな男の人っているのよね、自分は彼女をこんなにも愛しているのに、その思いが彼女に通じないとか、分かってもらえないとか。とんでもない勘違いなんだけど。彼女の言った意味がよく理解できず、困惑した顔でいると、Sさんは僕に優しく語り掛けるように、愛してるって言って、そこで止まっちゃってるのよ。そこからあなたは先に進んでいなかったんじゃないの?いや、そんなことは無かったですけど。何とか僕が言い返すと、じゃあ、あなたに聞くけど、あなたが辛い思いをしていた時、その彼女は何を想っていたのかしら?あなたは一度でもそのことを考えたことがあって?彼女との関係がギクシャクしてた時、あなたは彼女にどうしてなんだろう、って訊いた?そんなこと訊ける訳がないじゃないか。でも、Sさんの言葉は止まりません。彼女は、その時あなたに、自分がどう思っているか知ってもらいたかったのよ。不安で寂しくてどうしようもない気持ちを。なぜ今日は会話が弾まないのか、なぜ私が黙っているのか、なぜあなたから目をそらすのか。あなたが苦しんでいた時、彼女も同じように、いや、あなたよりもっと苦しんでいたとは考えなかったの?だって、あなた言ったじゃない、あなた方はお互いに好きあっていたんでしょう? 大好きな彼女が苦しんでいる時に、あなたは何か声をかけたの?そういう時にこそ、彼女はあなたに抱きしめられたかったんじゃないの?この時一瞬、話しているのがSさんではなく、Sさんに乗り移った彼女が訴えているのではないか、という錯覚に陥りました。そうか、ス-リエは僕にそれを言いたかったのか。TO BE CONTINUED 次回は最終話です。2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.11
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にほんブログ村その電話は、その晩10時頃にかかってきました。電話を取った母が伝えた名前を聞いて、僕は正直びっくりしました。もしもし、といった僕の声にかぶせるように、花束を門のところに置いて行ったのは、あなたでしょ?うふふ、と笑う声が聞こえます。すぐわかったわ、だってこんなことするの、あなたしかいないもの。楽しそうな甘ったるい声が耳をくすぐります。(そうか、やっぱりわかったか、いや当然だよな。)そう、心の中で呟くと、だって、私のことス-リエって呼ぶのは、この世であなたしかいないでしょ?そうなんです、メッセージカードの冒頭に、「ス-リエへ」って置く直前に書き加えたんです。どうしてそんなことをしたのか、正直分かりません。でも、どうしてもそう書きたかったんです。(彼女の気持ちを確かめたかったからかも。)プレゼントありがとう、本当に、本当に嬉しかったわ。そして、ちょっと間をおいて、今度会う?それは全く予期しない言葉でした。(会っていいのだろうか)僕がちょっと返答に詰まり返す言葉を探していると、嘘よ。私を試したお返しよ!と言ってクスクス笑いだしました。最後の最後に、笑いながら別れられるなんて、最高のプレゼントだ! ありがとう、ス-リエ。そんなことわかってたよ。笑いながらそう言って、僕は静かに受話器を置きました。TO BE CONTINUED
2023.04.09
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にほんブログ村 今日5月6日はゴールデンウィーク最後の日。明日から仕事が始まるから、今日はゆっくりしてよう、そう思い、何気なく机に目を向けた時、視界にあるものが入りました。中に何の写真も入っていないフォトフレーム。その時突然、今日の日付とフォトフレームからある記憶が蘇ったのです。そうか、5月6日はス-リエの誕生日なんだ!そう思いだしたときに、突然、ある悪戯心が湧いてきました。そう思うと僕は居ても立ってもいられず急いで愛車に飛び乗り、調布に向けて車を走らせました。車を道路脇に止め、50mほど離れた路地を入っていくと、行き止まりの右側に見慣れた門扉が現れてきました。表札を確認してホッと息を吐きます。良かった。もし、表札の名前が違っていたら、ここまでやってきたことがすべて無駄になってしまうところでした。ここに来たのはいつ以来だろうか。今迄に何度この扉を開けて家の中に入っていったことだろう。周りに人がいないのを確認してから、脇に抱えてきた花束を、用意してきたメッセ-ジカ-ドと共に門扉の上にそっと置きました。ちょっと躊躇しながら。ここは僕の元カノ、ス-リエの家の前です。また周りに誰もいないことを確かめてから、静かに来た道を引き返します。彼女と別れてからもう1年半になります。その間どちらからも連絡をとることはありませんでした。今回、彼女の誕生日に花束を届けよう、と考えたのには理由があります。実は、付き合っていた1年半の間、一度も彼女の誕生日を祝ったことも、誕生日プレゼントを渡したこともなかったのです。付き合い始めたのは5月の中旬だったので誕生日はもう過ぎていましたし、翌年は新入社員研修で全く会えず、3回目の昨年は別れた後で、もう会うことすら考えていませんでした。今回、何もプレゼントなど渡さなければならない理由などないのですが、でも、好きで付き合った女性の誕生日にプレゼントすらあげていなかった事実に少しショックを受けていました。このままじゃ寂しすぎる。会わなくてもいいからプレゼントだけでもあげたい。でも、それだけじゃあつまらないな。それで僕は、一緒に添えるメッセ-ジカ-ドに差出人の名前を書かずに「お誕生日おめでとう」とだけ書いてプレゼントをおいたのです。誰からのプレゼントだろう、彼女の驚き困惑した顔が見えるようです。僕らは付き合いだした当初、よく冗談を言って大笑いしたものでした。絶対に嘘だとわかるネタを、なるべく本当に思えるように真剣に芝居をするという、そういう悪戯に凝っていたことがありました。最も笑ったのは、僕が偽札造りをしていると芝居をして、それを真に受けだした彼女がやっぱり嘘だとわかって怒り出したこと、今となっては本当に懐かしい思い出です。その電話は、その晩10時頃にかかってきました。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.08
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彼女の家までもうすぐのところまで近づいた時、ちょっと止めて、と彼女が言います。車を路肩に止めるやいなや、彼女は僕の目をしっかり見つめて、私たち、会うのを止めたほうがいいと思うの。予感めいたものはありましたが、その言葉は何の前置きもなく、突然聞こえてきました。語尾が震えていると思ったら、彼女は涙ぐんでいました。鼻をちょっと啜りながら、会っても喧嘩ばかりしてるのって、全然楽しくないし、正直、あなたのことどう思っているのか分からなくなってきたの。彼女が言うまでもなく、同じことを僕も考えていたんです。ただ、一度口に出してしまったら、全ては終わってしまう、と思うと言い出せませんでした。そうだね。でも、もう二度と会えないのかな。分からないわ。今は何とも言えない。正直、この時の会話の内容については、よく覚えていないんです。何とか思い出そうとするのですが、そこの記憶がすっぽり抜け落ちているかのように、何も思い出しません。何とか記憶を絞り出して書いた上の会話からは、二人とも落ち着いているようですが、実際はかなり揉めたというか、怒鳴り合いまではいかなくても、どちらも叫んでいたような、決して思い出して気分の良いようなものではなかったと微かに記憶しています。一つだけ覚えているのは、彼女は何か訴えるような、でも何か諦めているような複雑な表情で僕を見つめていたのを。この後数か月の間、傷心の日々を過ごすことになる僕としては、この時のやり取りは何としても思い出したくない、記憶から消し去りたいことだったのでは、と考えます。楽しかった時の記憶は、信じられない程細部まで覚えているのに、身を引き裂かれるような苦しみ悲しみを味わった時の記憶は、まるで肉体が脳がわが身を守るために、故意に自らの手でその忌々しい記憶を奇麗さっぱり消し去っているのでは、と思わせるほど全く記憶がないのです。その時どんな言い合いをしていたのか分かりませんが、僕がやったことは車を急発進させアクセルをほぼ目一杯踏みしめてから急停車させるという、信じられないほど馬鹿げたことをしでかしたのです。彼女はその間、車が急停車するまでか細い糸を引くような悲鳴を上げていました。車が完全に停車して何の音も聞こえなくなった時、彼女の喉が鳴る音が車内に響きました。バカなことをしてしまったもし対向車があれば、二人の車は大事故にあったかもしれません。自分の馬鹿げた行為が、彼女を命の危険にさらすことになったかもしれないのです。彼女は何も言いませんでした。いや、恐怖で何も言えなかったんだと思います。もう本当に最後の時が来たんだ、と覚悟しました。ごめん、僕は本当にバカなことをした。そう言ってから、運転席から腕を伸ばして彼女が座る助手席のドアを半分開け、さようなら、スーリエ彼女は何も言わずに車を降りて自宅の方へ歩いていきましたが、一度も振り返ることはありませんでした。僕は、角を曲がって見えなくなるまで目で彼女の姿を追いかけていました。もう二度と見ることは無いかも知れないうしろ姿を。自宅に帰った僕は自分の部屋に入ると鍵を閉め、机の上のフォトフレームの中で微笑む彼女の顔を見つめながら、呟いたのです。もう二度と彼女に会うことはないだろうもう二度と、ス-リエの様に激しく純粋に誰かを愛せないだろう。そして、彼女の写真を写真立てから取り出し、それを粉々になるまで破りました。 TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.07
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にほんブログ村長い長い研修が終わり、僕は東京の郊外にある技術センタ-に配属されました。近くに独身寮があるのですが、自宅通勤を選びました。約半年間、殆ど会社の施設に仲間と宿泊していたので、少々実家が恋しかったのかもしれません。また、彼女のス-リエに会うには都心に近い実家が便利という事も大きかったです。彼女とは、研修中に何度か会うことが叶いましたが、お互いスケジュールを無理やり合わせざるを得ず、時間に追われた短い逢瀬でした。正直言って、会った瞬間は嬉しかったですが、別れる時は言葉にならない程辛く、会わないほうがよかったのでは、と思ったこともありました。配属されて気付いたのですが、新しい自動マシンの性能評価が遅れており、スケジュールを取り戻すために日曜出勤も頻繁にありました。また、当時は土曜は半ドン(午前中のみ出勤)が普通の時代でしたから、スケジュールを合わせるのが大変なのは以前と変わりありません。そこで思いついたのは、彼女が羽田に着いたらピックアップして自宅まで送り届ける、という事です。それを提案すると、私はいいけど、あなたは大変でしょう? 体を壊しちゃうわよ。大丈夫だよ。こうすればある程度ゆっくり会えるし食事しながら話せる。それに毎日じゃないし。とにかくやってみよう。彼女が羽田に帰着し仕事が済んでから僕に電話する。僕は電話を受けてから家を出て車で羽田に向かい、待ち合わせ場所でピックアップする。後は彼女を家まで送るが、その前に何処かのファミレスに寄って食事をしながら話す。これが彼女のスケジュールに合わせた、確実に会える方法でなんですが、当然ながら大きな問題があります。金曜か土曜であればそれほど問題はないのですが、それ以外の夜に会うとなると僕の帰宅が深夜3時過ぎになり、朝は8時始業だから睡眠時間は3時間程度しかなく、翌日の勤務に間違いなく差し障りが出ます。でも、そうしないと会えるのは2か月に1回程度という厳しい現実があります。何とかなるさ。いや、何とかしなくちゃ。実際初めの2-3回は眠かったですが何とかなりました。寝不足を少しでも解消するために僕がやったことは、会社のトイレで30分ほど居眠りすることでした。試用期間が終わったばかりで本採用になったばかりの人間がやることではありませんが、他に方法がないんですから、やり通すしかありません。ところで、新入社員には普通、指導社員という名の先輩が仕事上の指導をします。僕の指導社員のOさんは、初の日曜出勤となった時にシャツから覗いている物に目を止めて、そのペンダントは彼女のプレゼント?と直球で訊いてきました。気持ちを告白したその日に買ったお揃いのペンダントです。 隠すことでもないので、そうだ、というと、日曜も出勤じゃあ、彼女から文句言われてるだろう?そうですね、でも仕事ですから仕方ないです。と、模範解答で答えておきました。それからというもの、Oさんは休日出勤の度にペンダントの有無を確認するんです。どうも、ペンダントを付けている限りは彼女との仲が続いている、と短絡的に考えているようです。ずっと後になって知ったのですが、Oさんの奥さんもキャビンアテンダントだったという事です。僕と同じ苦労があったのかな。明け方までのドライブと日曜出勤が3-4週間続くと、さすがの僕も疲労困憊となってしまいました。兎に角、眠くて体が怠くて頭がボーとして、仕事にも差し支えるようになってきたんです。これは流石に不味いと思い、夜のドライブは控えざるを得ませんでした。二人とも変わったんです。僕らは深夜に会ってもべたべたすることは殆ど無くなりました。お互い仕事があり、しかも新入社員であることから、あまり身勝手な軽々しい振る舞いはできません。自然と行動は慎重にならざるを得ません。この間の僕らの関係は少し微妙でした。一見特に大きな問題は起きなかったものの、会っている時間の圧倒的少なさ、もっと親密でありたいという欲求、でも叶わないことに対する不満やイライラ、それに疲労が入り混じったガスが充満していて心中穏やかではなかったのです。特に僕には。一見平衡状態でありつつ実際は爆発寸前であったのかもしれません。実際、相変わらずよく喧嘩をしました。初めて喧嘩をした時、僕らには一つの約束事がありました。喧嘩してしまったら、必ずその日のうちに仲直りすること。一日中会っていた時はそれが可能だったのですが、今は3時間ほどしか会っていられません。落ち着いて話せるのは1時間だけです。こういうタイトなスケジュールで喧嘩することも大変ですが、仲直りするのは至難の業です。ため息をつきながら僕らが呟くのは、僕たち/私たちは、あと2,3年先に出会えたらよかったのにね。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.06
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にほんブログ村1978年の歳は明け、3月まであっという間に過ぎてゆきました。彼女とは明治神宮に初詣に行き、彼女のご両親公認で翌朝まで二人きりで過ごすことができたのは、本当にいい思い出になりました。卒論は首尾よくいったようです。大学での最後の公式行事である卒業式は、残念ながら全く記憶がありません。そして、最後の最後、3月31日に彼女を連れて大学構内を案内できたのは、何とも誇らしい幸せな気分にさせてくれました。明日は入社式、その後東京本社と九州本社の工場での全体研修、2か月間の工場実習、2か月間の販売会社での研修、そして最後に技術系のみ東京にある技術センタ-での研修、と気が遠くなる程の研修が続きます。つまり、明日以降6か月間は彼女と会う機会を見つけることは、極めて難しいと言わざるを得ません。だから、今日は一日中どうしても彼女と一緒にいたい、彼女の肌を直に感じていたい、彼女の腰に回している手が触れる肌の温もり、柔らかさをわが手に記憶させたい、そういう思いで一杯でした。 それから2週間ほどのち、僕は北九州の或る町で研修を受けていましたが、夜に時間を工面して街に出て彼女に電話しました。しばらくぶりに聴く彼女の声です。その時、予期してはいたことですが、彼女が某航空会社のキャビンアテンダントに合格したことを知らされました。彼女はこれから始まる新しい生活や未来への喜び、そして会社での研修やその準備でものすごく忙しくなること、などを時間を気にしながら話しています。当時は携帯電話などなく、テレホンカ-ドもありませんでしたから、積み上げた小銭を公衆電話に入れるだけでもひと苦労でした。やっと電話出来る時間があっても、九州から東京に電話するのはかなりのお金がかかり、一回の電話はどんなに長くても1分半が限度でした。それに気を取られていたこともありますが、彼女の言葉は僕の耳には入りませんでした。1分半で何が話せるんだろう。何とか時間を見つけて電話しているのに、受話器の向こうの彼女が見えない…。こんなこと一度もなかったのに。電話なんか、しなきゃよかった。電話をかける前はウキウキしていた気分は一気に失せ、僕の気持ちはざらついていました。想像してみてください。もし、今の時代のように携帯やSMSでやり取りができれば、僕らは遠くにいてもホンのちょっとした合間に彼女の声を聴いたり、おやすみ、頑張れ、愛してるよ、僕はいつも君のそばにいるよ、と僕の思いを伝えることが出来たでしょうに。きっと僕等の仲は何とか続いていたでしょう。研修は精神的に結構ハードですが、同期の連中とは毎日毎晩ワイワイやっているので、彼らに混ざっているとざらついた気持ちが晴れるような気がします。何よりも忙しいことが何かに心底打ち込むことが、彼女を忘れさせてくれる唯一の処方箋なんです。僕らは一緒になれないかも…僕は初めて彼女のいない未来を見た様な気がしました。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.05
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にほんブログ村その年、1977年のクリスマスイブは最悪でした。風邪をこじらせて熱が出て3‐4日寝込まねばならず、彼女と初めてのイブを一人でベッドの中で過ごさねばなりませんでした。その数日前に、彼女のベビ-シッタ-のアルバイト先の面接で麻布十番に車で行った際に、駐車違反で捕まり、寒い中交番を探してうろついているうちに風邪をひいたようです。あ―あ、二人で港の夜景見ながらディナーでも、と思っていたのに散々なクリスマスが過ぎて僕の体調も回復したある日、やっと僕らは会うことが出来ました。その時、実は僕らは色々な話をしたんです。大晦日に明治神宮に初詣に行くこと、彼女のアルバイトのこと、僕が来春より就職する会社のこと(11月に大手のメーカ-から内定通知もらった!)について話していると、彼女がついでに、という感じで、来年、キャビンアテンダントの試験受けることにしたの彼女がキャビンアテンダント(当時はまだスチゥワ-デスと言っていました)になりたいという話は、知り合った当初から聞いていたので、特に驚きはしませんでしたが、気になることがあるのです。仕事のシフトが不規則なので、週末が休みになることは少ないというのです。僕は来春より仕事に就きますから、自由な時間は週末だけとなります。つまり、月の中で会える日が殆ど無いという事になりかねません。これは困ったことですが、僕らは(特に僕は)あまり余計な心配はしないようになっていました。妊娠騒動やミスコンなど、それまでの僕らは数々のことに振り回され翻弄されてきました。いい加減、地に根を張って堂々としていたい、という気持ちが強くなっていたのです。いずれにせよ、僕は来春から新入社員としてかなり忙しい毎日を送ることは間違いない。特に入社する会社は新入社員訓練期間が長いことで知られていました。確か6か月間です。どこの土地でどういう研修をするのか、現時点では全く分からないので、要は今色々考えたり心配しても全く無意味なんです。でも、そうでありたいという気持ちとは別に、僕らの心の中は不安で一杯で、気分が不安定なんです。だからか、よく喧嘩したんです、いや、喧嘩という正体のハッキリしたものではなく、束縛しあったり不機嫌になったりてお互いを傷つけあっている。僕らは自然と抱き合いました。それこそが二人の心の中のザラツク様な不安を吹き払い、幸せな安らいだ気持ちにさせてくれるのです。 彼女と一緒になりたいもし僕が自分に自信があったならば、迷わずプロポ-ズしたでしょう。でも、その勇気がなかったのです。それは、かなり高いハードルをクリア-しなければならなかったからです。まず、彼女のご両親から釘を刺されている婿養子の件は、僕らの結婚について最大の障壁です。自分の実家を継ぐかどうかの問題が片付いていない中、おいそれとは承諾はできないし、かといって断れば相手のご両親は結婚について絶対に首を縦に振らないだろうことが予想されるのです。焦って事を運べば、取り返しがつかなくなるかもしれない。それにもう一つ僕を躊躇させることがあります。それは、本当に僕らはこの状態で結婚して幸せになれるんだろうか。結婚したら今ある全ての悩みや不安が無くなるのだろうか。結婚は魔法の杖みたいに。そんなこと有るわけないさ。結婚はゴールではない。結婚は第二の人生だよ。誰かがそう言ったのを、ふと思い出しました。きっとそれが真実だろうな。好きで好きで一時も離れられない僕らは、本当に結婚してから上手くやっていけるんだろうか。お互いを束縛したり、独占しようとすることはもう無くなるのだろうか。哀しいことに、それについて僕は答えを持っていない。僕は強く彼女を抱きしめました。今の僕には、それしか出来ることがないんです。この年末から来年2月末までは卒論のまとめと執筆で目の回る忙しさだろう。彼女もベビ-シッタ-で昼間は忙しい。初詣に行った後は、3月初迄殆ど会えないだろうな。僕らの前には、とてつもない嵐が待っているような不吉な予感がしたのです。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.04
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にほんブログ村大丈夫よ、絶対にミス東京になんかなれないから。と、彼女は僕を慰めるように言いますが。僕には不安はもちろんですが、期待もなくは無かったんです。僕が言うのも何ですが、彼女はとても可愛くて魅力的なんです。僕が審査員なら彼女は優勝間違いなしです。そう思う審査員もいるのではないか。だから心配なんです。 本当に勝ったらどうしよう。少なくとも今まで通りの付き合いは不可能だろう。(何十年後の私から見れば、何て意気地がないんだろう、もっとしっかりしろ、と怒鳴りつけたいくらいですが、当時の私は、それ程ピュアで深く彼女のことを想っていたんだな、って感心したり羨ましく思うことも事実なんです)一抹の望みは、実は彼女は笑い上戸なんです。緊張した時、笑ってはいけないときに笑いが止まらなくなることが度々ありました。だから今度もあるかもしれない。インタビュ-の時に、クスクスケラケラ笑い転げたら審査員も聴衆も呆れてしまうのではないか。彼女には悪いけれど、僕はそれに一縷の望みをかけました。彼女と別れたくない。これは切実な思いでした。これが叶うならば、僕はどんなイバラの道を歩いてもいい。ス-、と長く息を吐いてから僕は、笑わなきゃ、と思いながら、ス-リエがやりたいんだったら、やったほうがいいよ。僕はいつも君のそばにいるから。そう言うのが精一杯でした。君の意思を尊重するよ、でも僕のことも忘れないでよ、というメッセ-ジを伝えたかったんです。うん、ありがとう。そういう彼女の表情は、如何にもホッとした肩の荷を下ろしたようににこやかでした。この時の僕の表情について、後にス-リエから聞いた話では、あなたの顔は、笑っているような泣いているような複雑な表情だった、そうです。正に僕の心の表情を映し出していたんです。話は少し飛びます。その年の12月(中旬か末かはっきりしない)に、僕とス-リエは僕の実家である番組を見ていました。ミス東京の最終審査を収録した番組です。審査の結果は、彼女はFinalの5人くらいには残りましたが、ミスにも準ミスにもなりませんでした。結果を僕に話すとき、審査の途中で笑いが止まらなくなったのよ、と言って大らかに笑っていました。 二人でテレビを見ながら、僕は久しぶりに心の底から笑いがこみ上げてくるのを抑えきれませんでした。彼女を見たら、彼女も思いっきり笑っていました。これが本当の私なの、分かった?と言っているようでした。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.03
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にほんブログ村妊娠騒動が一段落したと思ったら、またまた厄介なことが起きました。秋も深まったある日、家に招待されて、ス-リエとご両親の前で、飛び上がるほどびっくりしたことを知らされました。彼女の母親が内緒で、あるミスコンテストに応募したら書類審査と二次、三次審査を通り、あとは最終審査を残すだけで、それも間近に控えているというのです。それはミス東京でした。思わず、エー、と叫んでしまいました。で、僕にこのまま続けていいか訊ねてきたのです。正直、初め何を言われているのか、なんでそんなことを僕に聞いてくるのか、状況がよく理解できずかなり混乱していました。そのミスコンの名前は聞いたことはありますが、ミスインターナショナルやミスユニバースのような超有名というものではありません。話を聞いてみると、最終審査はテレビで放映され、ミス東京に選ばれれば1年間都が主催する数々のイベントに参加することになるというのです。つまり、その1年間は僕とは付き合えないし、もちろん結婚なんかはできません。この時の僕の心境を正直に言えば、審査を辞退して欲しい、でした。それはそうです。彼女が自分でやりたい、と思って応募したわけではないし、もし仮にミス東京になれば僕は元カレ、あるいはその痕跡さえも消え去られてしまうかも。しかし、この手のミスコンやアイドルコンテストに自分から応募する人なんて、実際にはそれほどいないでしょう。よくあるのは、両親や兄弟姉妹あとは親戚が本人に内緒で応募するケースでです。だから、彼女が自主的に応募したのでなくとも、現実にその可能性が出てきたら、やっぱり挑戦してみたくなるではないだろうか。その気持ちはわかる、わかりますが。もし自分が、申し訳ないけど辞退してほしい、そう主張して頼み込めば、恐らくス-リエはそれを受け入れてくれるだろう。その自信はあるけれど。今三人は次の最終審査のことを何やかんやと話している。彼女も絶対無理、とか、そんなことないよ、水着審査やだな、とか言いながらケラケラ笑っている。ご両親も何となくウキウキしているような気がする。この時、突然マッチ売りの少女になったような錯覚に襲われてしまいました。同じ部屋にいるのに、自分の周りの空間だけが時間が止まったように動かない…。要は、僕の承諾を得たい、なんていう気はまるでないと言っていいのです。今日僕に話してくれたのは、こういう可能性もあるから覚悟しておいてくれ、というのが真相でしょう。そりぁそうだ、僕らは付き合っているだけで婚約しているわけじゃないのだから。この時の僕は一言も話さなかったようです。いや、何を話していいかその言葉さえ見つからなかったのです。気が動転して頭の中が真っ白でした。僕は一体何て彼女に言ったらいいんだろう。 先ほど僕が辞退して欲しい、と頼めば彼女はそれを受け入れる、と書きましたが、そんな事言える訳はないんです。そんなことを言う資格なんか僕にはないのだ。僕らはそれまでよく喧嘩した。原因がはっきりしていないのに、いや、ハッキリ説明できないから厄介なのです。つまり、どうしても相手を束縛しようとしてしまうのです。束縛し合ったら楽しく付き合えるはずがない、そんなことわかっているのに。そしてそんなことは二人とも望んでいないのに。この件も結局は同じです。僕は嫌だ、とは言いたくはない。できることなら、笑いながらこう言えたらいい。ス-リエがどこまでいけるか楽しみだなぁ。俺も応援するよ。笑い上戸だから気をつけろよ。そんな僕を見てる人が一人だけいました。彼女のお母さんが優しい声でA君は本当にうちのK子のことが好きなんだねこの時、不覚にも僕は涙ぐんだかもしれません。ほんの少しだけ…。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.02
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にほんブログ村6月末に語学学校の授業が終了しても、僕らの熱々な関係は相変わらず続いていました。一つ変わったことはといえば、大学の研究室に顔を出すことが多くなったことでしょうか。いい加減卒論に真剣に取り組まないと、卒業はもとより就職もやばくなる。夏休みの大半を大学の研究室で過ごした影響で、ス-リエとはあまりまとまった時間会う機会がありませんでした。勿論、頻繁に電話では話していましたが。やっと見通しがついて一段落してほっとしていたある日の晩、いつものようにス-リエから電話がかかってきました。この頃は彼女の方からくることが多くなったんです。彼女の声は沈んでいました。やっぱりまだ生理がこないのその時の僕の気持ちは、やっぱりそうか。実は、このことはちょっと前から二人の心配事だったのです。7月の末に二人で軽井沢に二泊三日の旅行をした時に、羽目を外してしまい、アレをしないでやってしまったんです。大丈夫だと思うけど…と彼女は自分に言い聞かせるように受話器の向こうで呟いていました。電話で話せることではないので、翌日会うことにしました。会って詳しい話を聞いてみると、私の生理はほぼ予定通りに来るのに、今回はいつもより遅れているの、ちょっとやばいかも。僕らは付き合って暫くしてから、お互いの性について話をするようになっていました。それは、お互いの気持ちを知った後に、必ず来るものだからです。男は女のことを、女は男のことを、知っているようで知らないものです。だから知りたいんです。特に生理は男にとって想像力の及ばない全く未知の生理現象であるので、好きな女性のそれについては何でも知っておきたい、理解したい、と思うのです。少なくとも僕は。生理の周期、症状、大変さ、ナプキン等々、何でも聞きました。僕も男の性欲(肉体的精神的ともに)、悩み、セックスのことなどを包み隠さず話したと思います。でも、いくら豊富な知識があっても、こういうことは起きてしまうのです。昨日あなたに電話してからず~と考えていたんだけど、心配で落ち着かないから、やっぱりお医者さんに行ってくる。この沿線で女医の産婦人科があるのでそこに行こうと思うの。僕もついて行こうか? 嬉しいけど、来てくれても何にもできることないだろうから、一人で大丈夫。当時は今みたいに妊娠の有無を簡単に確認できる簡易キットなんかなかった時代ですから。その当日のことは、今でもハッキリと覚えています。産婦人科医院の近くの公園で、ポツンと一人で待っていたのを。待ちながら色々なことを考えていました。兎に角心の中を整理しておきたかったのです、たとえ最悪の事態になったとしても、心の準備だけはしておきたかったのです。もし彼女が妊娠していたら、どうすることが二人にために一番いいのか。来春僕は就職するから、身重になった彼女と結婚することも、きっと経済的に可能だろう、と思う。ちょっと気恥ずかしいけど、と思った瞬間、彼女のお父さんの強面の顔がググ―っと目の前に現れたような気がして、頭がくらっとしました。きっと殴られるな自分が殴られること自体怖くはないけど、修羅場になるかも。ス-リエが殴られないように守らなきゃ。その時の自分は、ス-リエが「妊娠している」、と僕に告げることを予知しているかの如く、そう決めつけていました。最悪の事態を想定して、心の準備、理論武装をしていれば何も怖くない。僕がそれほど強気でいたのは、彼女を心から愛していて一緒になりたい気持ちが強かったこと、そして学生とはいえ大学四年生で来年社会人になれば経済的にも何とかなる、という目論見、計算があったからだと思います。それに、もし弱気になれば、周りの圧力から自分が押しつぶされ、肝心の彼女を守れなくなる、そして最悪周りの意見に押し流されてしまうのではないか、と感じていたからです。余りにも興奮して考え事をして頭が悲鳴を上げてきたころ、公園の入り口に彼女の姿が見えました。その時の彼女の顔の表情は、前に何処かで見たような、いわゆるデジャビュというやつです、唇をつんと尖らせて何か企んでいるような、でも何か微笑んでいるような表情で、僕を見つめていました。その時、僕は直感しました。 そうか、良かった、これで良かったのだと呟いたと思います。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.04.01
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にほんブログ村その時、僕は思わずス-リエがいる場所とは反対の駅の方を一瞬見やりながら、ス-リエの方を振り返り、どうしてここに?と驚きの表情で彼女を見つめました。だって駅とは反対の方向から来たのですから。ス-リエは、唇をつんと尖らせて何か企んでいるような、でも何か迷子になった子供を優し気に見守る聖母のよう顔つきで見つめています。そうなのだ、ス-リエはカトリックのクリスチャンなんだっけ。お母さんから聞いたョ、私のこと待っててくれていたんだってね。ごめん、ス-リエに嫌な思いをさせて。もうあんなこと絶対にしないよ。あなたにも腹が立ってたけど、それ以上に焼餅焼いている自分に腹がたったの。だからあんなことはもうしないと約束してね。最悪の事態にならなくて、本当にほっとしました。同時にどうでもいいことをも考えていたんです。でも、これからはス-リエに頭が上がらないだろうな。本当に笑っちゃいますけど、これからのこと考えるとちょっとやるせないというか、情けないですね。ス-リエから話を聞いて、やっと状況が理解できました。家に帰るス-リエと駅前に向かった母親は、途中で別の道を通ったらしく行き違いになったという事だそうです。仲直りしたその直後、ス-リエから予期していなかった誘いを受けます。まあ、今日は起こることすべてが予想外ですけど。もうすぐ夕食だから私は家に戻らなきゃいけないけど、Aさんもどお? お母さんは食べに来てもらったら? って言ってたけど。ス-リエのお宅には結構お邪魔してるけど、食事に誘われたのは初めてでした。めちゃくちゃ嬉しいんですけど、ただちょっと迷います…。お父さんと一緒に食事というのは、今の自分にはハードルが高い。どうしようかなぁ、そんな顔をしていたら、お父さんは仕事で遅くなるから、夕食はお母さんと3人だよ、いいでしょ?勿論、願ってもないことです。助かった! そうは思っても口には出しませんでしたが。この後、三人で食事したのですが、何を食べてどんなことを話したのか全く覚えていないんです。でも、帰る時、門のところまで送ってくれた彼女が小声で、お母さん、あなたのこと気に入ったみたいよ、何となく雰囲気でわかるの。どんなこと話したか知らないけど、きっと、あなたが今日起こったことを正直に話したからだと思う。そう言った彼女の顔はこぼれんばかりの笑顔でした。嬉しかった、ありがとう。と聞こえたような気がしました。彼女の顔がそう言っていたのです。でも、この出来事を境にして、二人の間の力関係が微妙に変わったように感じます。彼女に頭が上がらなくなった、というよりも、彼女がより強かにななった、そんな気がしました。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.31
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にほんブログ村ここは、ある私鉄沿線のある駅、仮にT駅とします。ス-リエの家は南口を出て徒歩10分くらいのところにあります。今駐車しているのは、ス-リエが帰宅する際必ず通る駅前通りで、駅から50mほど離れた所。見通しは良いが、道幅がそれほど広くなく、車を置いて駅の改札に行くことはできないので、ここで待つしかなさそうです。この通りを歩いたのはいつ以来だろうか。ス-リエと知り合った当初は、この駅で降りて家まで送るのによく通ったもんだ。土日は車で走り回ることが多く、別の道を通ってス-リエの家へ行きました。電車が着く度に前方に注意を払い、彼女の今日の服装を思い出しながらそれらしき女性を探す、その繰り返しです。頻繁に電車が着く訳ではないので、結構暇な時はあります。でも、待つしかないんだ、今の俺には。ふと、初めてス-リエの家を訪ね、ご両親に会った時のことを思い出しました。好きな人の両親に会うのは初めてだったので、かなり緊張していたことを覚えています。ご両親について知ったことは、父親は不動産関係の仕事をしていて、銀行関係の取引先とよくマ―ジャンをしていること、あまり笑わないちょっと強面の、言ってみれば僕の苦手のタイプの人か。どうも何を話していいかわからないんだよな-。母親は逆に朗らかでおっとりして話しやすい。ス-リエの話では、すごく勘がいいらしい。ひとつ気になることを言われてしまいました。まあ、君たちは付き合い始めたばかりだから関係ないが、と父親は前置きして、うちは一人娘だから婿を取ることに決めている、と言われたのです。いわれて、まずいな !、と心の中で呟きました。実は会う前に僕としては、もしご両親に聞かれたら、結婚を真剣に考えている、という事を言うつもりでいました。しかし、婿養子という事は全く考えていませんでした。正直言って、婿養子は自分としても抵抗があるし、僕の両親も賛成はしないでしょう。調子に乗って軽々しいことは言えないな、と気持ちを引き締めたのを覚えています。その後もス-リエを家に送りがてら、家の中で母親も交えて話したことが何回かありました。そんなことを思い出しながら前方を見ていた時、不意に横から聞き覚えのある声で名前を呼ばれて、びっくりしてのけ反りそうになりました。それもそのはず、ス-リエの母親が車の横に立っているんですから。思わず、しまった、と心の中で呟いていました。こんなところに駐車していたら、夕食の買い物に出ている母親と出くわす恐れがあるという事を、全く考えていなかったんですから。思えば今日はいつもとは別の理由でス-リエのことばかり考えていたから、他のことに全く気が回らなかったんだな-、とため息が出そうになりました。こんなところに車止めて何してるの ? 誰か待っているの?予想通りの質問でした。前にも書きましたが、ス-リエのお母さんは勘が鋭いんです。家の最寄りの駅前で誰かを待っているのを見つかった限りは、本当のことを言うしかないな、と観念しました。どうせ後でわかってしまうだろうから。ただ、自分から説明するのは、惨めで恥ずかしい。ここにいる訳を「簡潔に」説明すると、あんたたちは良く喧嘩するのね、まあ、頑張ってね、でもここに車止めておくと目立ちすぎるよ、と言ってとっとと家の方角へ行ってしまいました。素っ気ない対応だったので、ちょっと拍子抜けしちゃいました。その後、どれほど待っていたでしょうか。それは車の外で体をほぐしている時だったと思いますが、突然、Aさん、これも聞きなれた、ん-、とちょっと伸ばす甘ったるい声が背中から聞こえてきました。振り向くと、そこにはス-リエが立っていたんです !!!TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.30
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その時までには、僕らの仲はクラスメ-トの間ではかなり知れ渡っており、当日出席した者は全員知っていたはずでしたが、それについて触れたり、ましてやからかうようなことはありませんでした。話は少し遡りますが、二週間前のある朝、ちょっとした事があったのです。まあ、単なる悪戯です。僕が教室の中へ入ると教室内が妙に騒がしく、ス-リエは僕の姿を見ると目だけ笑っているような複雑な顔で駆け寄ってきて、黒板を無言で指さしましたのです。そこには、白赤緑のチョ-クで色鮮やかに描かれた抱き合ってキスをしているカップルが描かれていたのです。ちょっと上手い絵だったので一瞬感心しましたが、そのカップルが誰であるかは一目瞭然でした。結構特徴を上手く捉えており、特に女はポニ-テ-ルでしたから。当時この教室でその髪型はスーリエだけでした。クラスの皆には付き合っていることは黙っていました。付き合ってますよ、と宣言する必要なんてありませんから。でも、何処かで見られていたんですね。抱き合ってキスしている姿を。実は昨日、御茶ノ水からそれほど遠くない千鳥ヶ淵か何処かのお堀で、ボートに乗ってイチャイチャしてたのを思い出し、頭に血が上ってしまいました。別に付き合っていることを知られたのなら、実はそうなんだよ、と言って笑って誤魔化せますが、抱き合ってキスとなるとちょっと厄介です。僕はいいけどス-リエが可哀そうそう思うや否や、黒板の絵をすごい勢いで消していました。ちょっと怖い顔をしていたと思います。こんなこと、小学生の時にあったな、黒板に憧れの女の子と相合傘を描かれ、恥ずかしいが嬉しい、でも彼女はどう思っているだろう、と複雑な心境で、でも必死に黒板消しで消していたのを思い出しました。今更同じことが起きるとは。消しているうちに気持ちが落ち着き、あとは何事もなかったようにニコっと、それこそ今迄で一番の笑顔でス-リエに笑いかけました。大したことじゃないよ。それから僕らのことは知っているけど知らない振り、という事でからかう者は誰もいなかったのです。さて、話を元に戻します。当日の参加者に、実はちょっと気になる女子がいました。その子(仮にB子とします)は服装化粧それに振る舞いが派手で、小悪魔的な雰囲気のある、でも僕のような初心な男には危ない女子でした。まあ、僕の彼女ス-リエとは真逆のタイプの美人でしょうか。実は、その日B子は何故か僕によく話しかけてきたんです。それ迄は殆ど話したことのない相手だったので、少し意外な気がしましたが、他の女の子と同様に話ていたつもりでした。勿論ス-リエにも気を使いながら。そう思っていたのですが、傍から見るとかなり親しげに話しをしていた、と映っていたようなのです、まるでス-リエに見せつけるかのように。異変に気付いたのは、僕の隣に座っていたC子が突然僕に向かって、Aさん(僕のこと)、彼女の顔が強張ってるよ一瞬何のことを言われているのか分かりませんでしたが、ス-リエの顔を見た時、笑顔になる直前の強張った顔が見えて全てを理解しました。これはやばい!ス-リエは怒っている、それも凄く怒っている!それまで僕はス-リエの怒った顔は見たことがありませんでした。もしかしたら怒ったことがないんじゃないの、と有り得ないことを想像させるほどいつも優しい無邪気な笑い顔をしていたからです。場が、一瞬凍りついた様に冷たく静かになった、ような気がしました。その時C子が、もうお開きにしようか、と救いの手を差し伸べてくれなかったら、きっと修羅場になっていたでしょう。ありがとう、君は本当によく気が付くね。ただ、本当の修羅場はそれからでした。皆と別れると、ス-リエはスタスタと早足で御茶ノ水駅に向かっていきます。あれ以来、僕の顔を見ようとしません。顔が無表情なのが、妙に怖い。女性を嫉妬で怒らせてしまった時、男はどういう態度をとるべきなのでしょうか。そういう経験をしたことがない僕は、かなり焦っていました。どうしよう、どうしよう、と。頼りない頭で考え付いたことは、兎に角、謝り続けよう、でした。何てダラシナイ奴なんだ、お前は!、という罵倒する声が聞こえてくるようですが、繰り返しますが、こんなこと人生で初めてのことなんだから、しようがない、としか言えないんです! 新宿に着くと、西口にあるデパ-トの方向にスタスタと相変わらず僕を無視して行ってしまいました。追いかけて行っても事態は変わらないだろう。今ス-リエは僕に罰を与えているつもりなんだろう、そうであればここは一時撤退して出直したほうがいいのでは、でもこのまま険悪な状態を放置して、どのように明日接すればいいのか、いや、まず会ってくれるのかどうか、やっぱり今日何とかしないと。アホな僕が出した結論は、まず家に帰って車でス-リエが降りる駅に行き、そこで帰ってくるまで待っていようというというものでした。すぐ行動を起こせば、2時間後には駅に着く、そうすればス-リエより先回りできるんじゃないか、夕方には会える、と。考えるより早く、僕は中央線のホームに向かって走り出していました。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.29
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その日、僕はある提案を彼女にしました。どれくらい長い時間キスしていられるか、ためしてみないか本かなんかで読んだギネスブックの記録はこうこうだから、どこまでいくか僕らもやってみようよ、と。確か北の丸公園でそれをやったと記憶しています。さすがに人前で長時間キスをするのには躊躇いがあったので、低い灌木の茂みに隠れて始めました。実は当初、僕らは楽観的というか、チョロいもんだと高を括っていた感がありました。僕の予想では、10分、いや頑張れば30分は行くかもしれない、と。そしてお互いの目を見つめ合いながら、僕らは厳かに唇を合わせたのです。いつもの甘美な瞬間である。いつものスーリエの柔らかい唇の感触が、そこにある。と、そこまではよかったのですが、10秒を過ぎたあたりから急に息苦しくなるとともに、顔全体がこそばゆいのです。これは全くの想定外でした。想像してみてください。キスはお互いの顔を最接近させなければできない行為です。当然彼女の吐く息は、僕の頬や喉や首筋の辺りまで定期的にくすぐってきます。普通であれば、これほど興奮することはありませんが、この時は違ったのです。これは何か脇の下を触られた時のような、到底我慢できないようなくすぐったさでした。こうなると、どちらからともなく笑いがこみ上げてきて、吹き出したり笑いが止まらなかったりと、キスどころではありません。それでも何とか気を落ち着かせて再チャレンジ。じつはこの時やめておけばよかったのです。キスを初めて30秒ほど経つと、頭がボーっとしてきて、今キスをしている実感が湧かず何をしているのか分からなくなくなってきました。実際、唇を合わせているのにその感触がないのです。どうも唇が痺れてしまったらしい…こうなるともう、息苦しくくすぐったいし、キス自体が何か耐えられない苦痛の様に感じられて、僕らは思わず唇を離しました。その時のス-リエの顔を、何となく覚えています。何か苦いものを食べた後の様に、しかめて歪んだ顔をしていたのを。きっと彼女にも、同じような顔をしていた僕が見えていただろう。その時僕らは学んだんです。どんなに甘美で魅惑的なことでも、度を過ぎれば苦痛になるあるいは物事はやってみて初めて本当の姿が見えてくる、と。とても含蓄のある言葉だと思いますが、本質なんか知らなくてもいいから、こんなことやらないほうがよかった、と思ったことは間違いありません。どうもその日から、キスに対する考え方が微妙に変わった気がします。でも、これはまだどうという事のない、些細な出来事だったんです。語学学校の3か月間の授業の最終日、15人ほどのクラスメ-トと学校近くのCaféでお別れ会を兼ねたランチをした時のことです。そこである事件が起きました。それは、その後の2人の関係に微妙な影を落とす、キッカケになったのです。TO BE CONTINUED 2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.28
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その日から僕の人生は変わった。毎日彼女と会うことができる。ずっと一緒にいられる。そして彼女もそれを望んでいる。夢のようなことでした。思え返せば、それまでの僕の人生で相思相愛、つまり両想いの関係に至ったことは唯の一度もなかったのです。片思いだらけでした。シャイだったことに加えて、高校は男子校、大学は工学系学部でほぼ女子に無縁な環境だったからかもしれません。彼女のことを僕はスーリエと呼んでいました。彼女の微笑む顔が魅力的だったので、フランス語の微笑むという動詞Sourireからとったものです。この呼び名は2人ともかなり気に入っていました。そしてこれはほかの誰も知らない、僕らの間だけで通用する呼び名だったのです。このことがず-と後になって、抜け殻のような存在になっていた僕を一瞬ではありましたが、かつての溢れんばかりの喜びをもたらす結果になるなんて、この時の僕には知る由もないことでした。お互いの気持ちを知ると、僕等の仲は急速に親密になっていきました。鳥籠に入れられていた鳥が扉が開いたときに、一瞬躊躇した後、急いで籠を抜け出し喜び勇んで自由な空に向かって羽ばたいていくように。僕らはきっとそんな気分だったんです。要はタガが外れてしまったんですネ。授業後、クラスメ-トから逃げるように急いで別れた後、中央線の揺れる車内で僕らはいつの間にかお互いの背中や腰に手をまわして支えあうようになっていました。そこから抱き合うようになるまで、それ程時はかからなかったと思います。車内でキスをしたこともありました。ちょっと刺激的でしたが、恥ずかしいという気持ちはなかったと思います。 こんなに大胆になれたのは。僕はもともと恋愛はオープンにしたい、という願望がありましたし、数か月前にヨーロッパを旅した時に見た恋人たちの自由で情熱的な振る舞いに魅了されたせいかもしれません。でも、何よりも僕らをそう仕向けたのは、お互いを信じあっていた安心感だと、これを書いている40年後の今、気付きました。この人となら何でもできる、いつも幸せな気持ちでいられる、と。恐ろしいほどピュアで、信じるという事に疑いを抱いていなかったんですね。うらやましい。この頃僕らはほぼ一日中一緒にいたのですが、別れるときは死ぬほど辛かった。接着剤で止められたお互いの手を無理やりはがすように別れた後も、自宅に戻り次第、僕らは電話で毎晩1時間以上話をした。実際にはもう話すことなどないのに、受話器の向こうの君と会っていたかった、君の息を頬で感じたかった。まるで彼女が目の前にいるように。時には、お互い受話器の前から離れられず、夜中の2時くらいまで、遠く離れている彼女の息の暖かさを感じていたら、受話器を持つ手が痺れているのに気が付いたことがありました。ご存じだろうか、くちびるつんととがらせて、で始まる大瀧詠一のあの曲を、あの詩を。夜明けまで長電話して受話器持つ手が痺れたね耳元に触れる囁きは今も忘れないそう、今でいうCitypopsの代表曲である「君は天然色」です。この曲を聞くと、時空を超えてあの頃の「僕」そして彼女の「息遣い」を思い出します。この気持ちを言葉で表現するのは、心の中ではハッキリしているのに、しっくり当て嵌まる言葉が見つからず、難しいしもどかしい。正直言うと、情けないことですが、あの日に帰りたい、と思ってしまいます。さて、そんな状況が続いたある日、僕はあることを彼女に提案したのです。本当に馬鹿げた内容でした。 この頃の僕は、本当にアホでした。TO BE CONTINUED2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.27
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学生時代、私はある女性と大恋愛をしたことがあります。ここから書くことは、そのイチャイチャラブラブの物語です。なぜそんな昔のことを書くのか、と聞かれれば、それは自分の備忘録のためであり、それと同時に、そこまで自分を夢中にさせ、毎日をウキウキドキドキな幸せな気分にさせてくれた女性に対する、心からの感謝の気持ちを何らかの形で残したい、との思いがあるからだと思います。決してハッピ-エンドではなかったですが。当時、本人たちは至って真面目に結婚すること自体を当然のことと考えていたのですが、後で思い返した時、自分たちの将来に予想される問題にあえて目を瞑っていた、現実問題から逃避していたと思います。僕らは絶対に結婚する、と確信していた(少なくともそう自分は信じていた)のに結婚による様々な問題や結婚後の自分たちの本当の将来のこととかは、真剣に考えたことは無かった、というより考えないようにしていた、というのが本当だったと思います。全くの能天気さ加減でありました。僕は年齢的には21-22歳で立派な大人ではあったが、人生経験の極めて乏しい学生、昔で言う書生(昔の純文学でよく登場した)のような頼りない男であったかもしれない。愛する女性に対する思い、情熱は誰にも負けないという自負はあったようですが…彼女は僕と巡り合いお互いの気持ちを知ったときに、ぽつりと言った。私は運命の赤い糸の存在を信じているの。言ったのはそれだけだったが、あなたがその運命の人なのよ、と心の中で呟いた気がしました。 当時ある大学の工学系学部の4年生になったばかりの僕は、所属していた研究室の卒論をほっぽり出して、東京のお茶の水にある語学学校でフランス語を学びに毎日せっせと通っていました。2月にヨーロッパを友人と旅してフランスを廻っていたら、いつかここに住みたいという気持ちが募ってきて、卒論なんかやる気にならなくなってしまったのです。当然研究室の担当教授とはひと悶着ありましたが、本題から外れるのでここでは触れません。1977年当時、石油ショックの余波で就職戦線は多難な時期であり、志望の航空会社の新卒採用はゼロで、かなり落胆していたことの影響もあったと思います。フランス語は高校での3年間と大学2年間で学んでいてある程度基礎はできてましたが、会話が苦手だったので、語学学校では会話の授業を選択しました。何とかしてフランス語をマスタ-して、フランスに渡る手段を考えよう、そういう思いに憑りつかれていました。そして最初の授業に出席したときに、運命の女性と出会ったのです。彼女は19歳になる直前で、ポニ-テールがとても似合う可愛い女子でした。 何がきっかけで話すようになったのかよく覚えていませんが、それこそ一目惚れ(le coup de foudreクドゥフードゥル)!!!!! その時の情景は40年以上経った今でもはっきり目に焼き付います。 笑顔(こぼれるような笑顔ではなく、微笑み)や髪を掻き揚げる際の愛らしいしぐさなどから、この人しかいない!と直感し、心臓が破裂するのではないかと思うほどドキドキしました。僕らは男3人女2人の5人グル-プで授業後毎日ワイワイ話していたが、彼女K子とは新宿駅まで帰路が一緒であったため、次第に会話も増え、少しずつ親しくなっていったのです。結構運もあったと思います。繰り返しますが、この人しかいない、と思ったことから、気持ちの上でかなり保守的になり積極的な行動がとれなかったのかもしれません。ある程度親密にはなってきたが、そこから先にはなかなか進めない状態が続いていました。この頃になると、彼女のことがもっと知りたい、もっと長く彼女と話していたい、という気持ちが高まり、自分の気持ちを告白してしまいたい欲求が抑えきれないほど爆発寸前まで募ってきたのです。でも、それによって彼女と気まずい関係になってしまったら、と考えると告白したい気持ちもしぼんでしまい、あと一歩がなかなか進めない中、自分一人でイライラを募らせていた。この時の自分を思うと、今でもなんか切なくなります。人を好きになるって、本当に素晴らしいなと思います。ありきたりな言葉しか浮かびませんが。恋の病の状態が2週間くらい続いたでしょうか。毎日短時間ではあるが彼女と話をしていて、僕は確信にも似た思いを抱くようになったのです。彼女は僕のことを好いている! 間違いなく友達以上の感情を抱いている、と。自分にそう言い聞かせて、思い切って彼女を渋谷に誘い、原宿方面に暫く行ったところにあったイタリアンレストランでランチを食べることにしました。決行の時は来たのです。ここで運命の告白をしました。君のことが好きだ、と。このとき自分はかなり緊張していたと思う。心臓がパコパコしていたのではないか。彼女は、私も、といったと思う。躊躇いのないハッキリした言葉でした。その言葉を聞いた瞬間、バンザイ\(^o^)/ をしたい心境だったかといえば、不思議にそういう感情はわかなかったと思う。もうほんとに胸が一杯で喋ることも食べることもできず、2人ともオーダ-した料理に殆ど手を付けないまま残したことを覚えています。食事を下げたウエイトレスの怪訝な顔つきが視界の端に入りました。この人は真剣な顔をしていた僕らのことを見て、きっと別れ話をしていたカップルと思っていたことでしょう。レストランを出てから、僕らは原宿方面に歩いて行ったと思うが、その時何を話したのか興味はあるのですが、全く覚えていません。当時の僕にはそんなことどうでもよかったに違いありません。彼女の気持ちが分かったのですから。ただ、その日から僕の生活、いや人生が一変したのです。- TO BE CONTINUED -2つのブログランキングに参加しています。↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村
2023.03.26
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