Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月09日
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カテゴリ: 霊魂論
「キリスト存在について」Ⅳ
デュッセルドルフ 1909年4月18日夜
「霊的ヒエラルキーとその物質界における反映第10講」
 私たちの惑星の形成は古い土星から始まりました。本当にそれはそのように始まったのです。そして、その形成は木星に至るまで継続しました。木星上で全体的な創造が始まったとき、周辺にいる存在たちのすべてもまたその過程に参加しました。けれども、ちょうど内部の存在たちが惑星系を開始し、彼ら自身の発達を継続するために働いたように、外側にいる存在たちもまた周辺から内に向かって働きかけました。ある種の存在たちが中心から外側へと退いたように、外なる宇宙空間の中にいたあの存在たちも同じことをしました。周辺にいた一定の存在たちもまた退いたのです。木星自体が縮小するにしたがって、退いていた存在たちは圧縮して天王星を形成したのです。同様に、火星進化の間には、退いていた存在たちは縮小して海王星を形成しました。天王星や海王星といった名前は、このようなことがらに対して古代人たちが相応しい名前をつけたような仕方ではもはや選ばれてはいませんが、それでも、天王星という名前にはまだ重要な何かが残されています。それは、正しい名前をつけるプロセスに関して、人がまだ何かを気付かされていた時代に名づけられました。ですから、私たちの惑星系を越えて存在するあらゆるものは、集合的に「天王星」という名前をもって表現されたのです。このように、この二つの惑星を私たちの近代天文学はその他の惑星と同列に扱いますが、実際には、この二つの惑星は、全く異なる基盤の上に立っており、私たちの世界の形成には特に関係していないのです。それらは、古い土星期の間には私たちとまだ何らかの関係を持っていた存在たちが退き、宇宙の周辺を越えたところにその住む場所を確立したことによって生じた世界を表現しているのです。このことから、例えば、これらの惑星が退化してゆく月を有しているというような多くの事実を導き出すことができます。
 私たちはここまで、私たちの太陽系が存在するに至った過程を大まかに概観してきましたが、次のような疑問、つまり、実際には私たちの人間としての祖先であるところのより高次のヒエラルキア存在たちとの関係で、人間はどのような位置にあるのかという疑問が生じました。私たちは最高位にある存在、セラフィーム、ケルビーム、そしてトローネから始めることができるでしょう。実際、それらの本性を特徴づけることによって、私たちは人間についての正しい考えに至ることができます。しかし、私たちがセラフィームを越えて行くときには、たちまち聖なる三位一体の領域に入っていくことになります。これこそが、セラフィーム、ケルビーム、そしてトローネが有している特別なこと、宇宙における他の存在たちには手の届かないことです。つまり、彼らには「神を直接見ること」と呼ばれるものが与えられているのです。彼らは人間がその発達の過程を通して徐々に追い求めなければならないものに初めから与っているのです。私たちは、人間として、「思考、意志、その他のますます高い力を達成するために、私たちは今日いる場所から始めなければならない。もし、私たちがこれを行うならば、私たちはますます神の側に近づき、神はますます私たちと共にいるようになる。こうして、私たちは、私たちにはまだ隠されているものに向かって自分を発達させなければならない。つまり、「神性」へと近づかなければならないのだ。」と言います。一方にはセラフィーム、ケルビーム、トローネがいて、片方には人間がいますが、これらの間の相異とはこのようなものなのです。精神的なヒエラルキアにおけるこれらのより高次の存在たちは、彼らの発達の最初から、神であるところの聖なる三位一体と共にありました。彼らは正に最初から「神性」を見る位置にいることができたのです。セラフィーム、ケルビーム、そしてトローネにとっては、人間がそこに向かって進まなければならない条件が初めからそこにありました。これらの存在たちは初めから神を見ていたということ、そして、その命がある限り、彼らはいつも神を見ているだろうということに気づくことはとても重要なことです。彼らが成し遂げることはすべて神を見ることを通して行われ、神は彼らを通して働きます。彼らの行いがそれとは別様に為される可能性はありません。彼らにとって、それ以外のことを行うのは不可能なのです。神を見るということは強大な力と影響を彼らに及ぼすので、彼らは神が間違いようのない確かさと直接的な衝動をもって命じることを成し遂げます。熟慮とか判断というようなものに似たものは、これらの存在たちの領域には存在していません。彼らには、見たものを実行するための直接的な衝動を受け取るために神が命じるところのものを見るということだけが存在しているのです。彼らは神をその本当の姿において、その通りのものとして見ます。彼らは自分たちを単に神の意志と叡智を実現するものとして考えています。最高次のヒエラルキアが置かれている状況とはこのようなものなのです。



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最終更新日  2023年10月09日 06時10分08秒
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