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以前は隣の町だった平田地区は酒田の山沿い。いい温泉ありました。「アイアイひらた」。昨年オープンしたばかりという。茶色いお湯はとてもしょっぱい。海水に近い塩分濃度らしい。なめた感じでは海水よりしょっぱかったが。しばらく入っていると肌がピリピリする。因幡の白ウサギ状態といえなくもないが「効くゥ」という感じ。なによりもうれしいのはその展望だろう。内湯からは庄内平野、露天からはまたもや鳥海山。いいです。ブログでこのように素直にお湯をほめるこたぁ珍しいですぜ(^^)そこでガアンと入浴写真。心配なく!上半身の後姿のみ。しかし、頭頂部、さらに寂しくなったなあ。
2006.10.20
前夜9時過ぎにはバタンと眠ってしまったので酒田のホテルで迎えた朝は5時過ぎには目覚めていた。コーヒーを沸かして飲んでカーテンを開けて驚いた。鳥海山が眼前にその姿を見せていたからだ。山の右手から上る朝日に完璧なシルエットとなっていた。海岸からなだらかに立ち上がると知っているその姿は神々しいほどだった。いい日に来た、と痛感した。ところで私、鳥海と聞くと今でも高雄・摩耶・愛宕と関西の山の名が続けて3つつながってしまう。なんじゃ、それは?と大半の人が思うであろう。実は鳥海を入れた4つは旧日本海軍の重巡洋艦の同型艦4隻の艦名なのだ。通称高雄型はとても美しい艦形を持っていて小学生の私は憧れた。重巡洋艦は基本的に山の名を付していた。新潟県の名山、妙高も私の中では那智・羽黒の同型艦とセットになっている。小学生時代の記憶恐るべしだ。しかし、そのほとんどすべての軍艦が阿鼻叫喚の中大勢の人の命とともに太平洋に沈んだこと、小学生の私には思い至らなかった。合掌。変な方向に脱線した。「ああ、チョーカイ、わかったからはよ酒田の旅の続き書け!」と思われるかな?
2006.10.16
山形県酒田市のロケに行ってきた。2日間とも晴天に恵まれ絶好の「旅」日和だった。山居倉庫、旧本間邸、本間美術館など酒田といえばの施設は晴天にますます素晴しく、お客さんも多かった。郊外の田園では山形独特の稲掛けの向こうに鳥海山がその優しい威容をすべて見せていた。山居倉庫では越後交通のバスでいらした六日町地区の団体さんと遭遇。「あッ『テニーのいい旅』の・・・!」と何人かの方が握手を求めてくださった。まるで仕込んでいたかのような出来事だった。しかし、ひょっとして「なんだこのリポーターと称するオヤジは?・・」と疑念を持たれていらしたかもしれない倉庫の広報担当の方を納得させるインパクトがあったはずだ、とディレクター氏。(^^)六日町の皆さん、ありがとうございます!!ところで、酒田市郊外を走っていたら「××自動車学園」という看板を見つけた。ナウいネーミングではないか?!でも、よく見ると上部に英語が書いてあった。×× DREVE SCHOOL!おいおい、DRIVEでねえかネ?それではドレブとしか読めんじゃないかね?けれど、少し走って私は思った。ひょっとして酒田の人たちってドライブをドレェーブとなまるのかも!「隣村のオバコと、明日ぁ、ドレェ~ブだぁ」なるほど!!(この項続きます)
2006.10.14
それを初めて教えてくれたのはディレクター氏で去年のことだからエラそうなことは言えないのだが、日本の秋の風景を「かすみ草」のように彩ってきたのが「すすき」。そのすすきが外来種のツォ~い草のセイタカアワダチソウに侵食されている、という。外来種の常でこのセイタカは凶暴なほど生命力が強くしかも地中で他の種の根っこを枯らすのだそうだ。ウ~ン!そういえば高速道路の脇にはあまりきれいでない黄色がいっぱいだなあ。写真の五泉市に近い早出川の河岸も2年前はすすきだけだったのにいまや半分以上がコ汚い黄色だ。日本の秋の色が変わっている。
2006.10.12
「わが」アルゼンチンにも当然軍隊があり空軍もある。昨日のことのような気もするがもう四半世紀前に近い1982年のフォークランド紛争では「シュペルエタンダール」攻撃機でイギリス駆逐艦を撃沈したこともあるのだ。ま、この戦争自体は「軍政」→「失政」→「国内不満鬱積」→「視線をそらすため緊張感をあおる」→「無謀な開戦」→「敗戦」というよくあるパターンだった。(なんか近くにいる迷惑極まりない隣人と似てますな、怖いなあ)平和なアルゼンチンでは空軍は「航空会社」もやっているのだ。LADEという名前で主にパタゴニア方面に運行している。乗ってみたいものですな。パイロットは当然軍服を着てるのだろうか?客室乗務員の男女も軍服で「気をつけ~ッ!これから航空食を配る!テーブルの準備をして待てッ!」などとおっしゃるのでしたら楽しいですねえ。なおアルゼンチン空軍、使用機はすべて外国産。エンブラエルという優秀な飛行機を作る隣国のブラジルとは工業力の歴然たる差がある。その中で「やられた!」というか「それもありかよ?!」なのがアクロバット機である「スホーイ29」を使っていることだ。ロシア製のこの優秀なプロペラ機は多くの民間のプロのエアショーパイロットの乗機となっているが軍用とはねえ(^^)(アルゼンチン空軍様、写真をそちらのサイトから無断でパクりました。許せないのなら軍法会議にかけてください。旅費そちらもちなら喜んで出頭しますので!)写真でわかるとおり機体の国識別マークは輪の中のマル。これってイギリスと同じデザイン。モノクロ写真なら同じに写るのでは。ややこしかったんじゃないだろうか?なお、フォークランド諸島(アルゼンチンではマルビーナス諸島)の領有権をアルゼンチンは依然として主張している。「おいおい、負けたんじゃないのかね?」などというのは日本的論理なのかも知れない。
2006.10.11
1960年代から70年代にかけてメキシコでは3人組の「トリオ」音楽の全盛時代だった。もちろんあのトリオ・ロス・パンチョスが先鞭を付けたのだけれど。日本では結局パンチョスのみが知られるだけだったがメキシコ人が懐かしむ名トリオは数多い。そのひとつがパンチョスの初代リードボーカルだったアビレスがヒルベルトとラウルという双子のプエンテ兄弟と組んでいたロス・トレス・レジェス。特にヒルベルトの弾くレキントギターは超超超絶技巧。コーラス担当者としても双子らしく声質が同じだからこのトリオのハーモニーは抜群だった。リーダーのアビレスはかなりヤクザがかった男らしく自身の引退・トリオ解散に当たりヒルベルトのすばらしいレキントが他のトリオで使われることに我慢ならず脅迫に近い形でヒルベルトにレキント放棄をしいたらしい。で、ヒルベルト・プエンテはソロギター奏者の道を歩むのだがRCAに数多くの名演奏を残したので、まあどっちがよかったのかわからない。近年、ヤクザのアビレスも他界し、呪縛も解けたようで(?)プエンテ兄弟はアビレスそっくりの声を持つ若者を見つけ35年ぶりにレジェスを再結成した。そのCDをamazonで見つけ注文したらなんとUSAから直接送付された!いい時代だ。写真のとおり美男子だったヒルベルト(写真の上段LPジャケで真ん中)も、そしてラウル(同左)も老けてしまった。でもサウンドはまさに「復活レジェス」だった。これまたいい時代だったなあ、あのころは!などというヒルベルトのように美青年でもなかった私も当然老けてしまったのだが・・。
2006.10.10
しばらくの沈黙、たとえば毎日訪れてくださるryosukeさんなんかに申し訳なくてしょうがないのですが、原因はメインコンピュータのハードディスク破壊にあります。サブのノートパソコンで現在こうして書いているわけですがなぜか写真が上がらないのですなあ。電脳オヤジを標榜していても基本がまるでわかっちゃいないのでお・て・あ・げ!でも私の場合、ハードディスク破壊の頻度が高いような気がする。ある若い人は、電源に問題あるんじゃ?と示唆してくれた。う~ん、困った。
2006.10.08
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