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週末ちょいと用があり名古屋まで軽く飛行機で往復した。飛行機で往復なんてのはカッコいいが、なあに早期割引で買うと新幹線東京乗り継ぎ往復より大幅に安いのですワ。往路はJALの子会社JエアーのCRJ200という50人乗りで小牧空港、復路はANAの子会社エアーセントラルのDHC-8-Q400、74人乗りのプロペラ機でセントレアからというマニアック?な選択でした。とくに久々のプロペラ機のQ400は興奮ものでした。6枚羽根のペラという変わり種がブゥイ~ンとふかして離陸滑走するのはなかなか爽快。ところで往路のCRJ200もQ400も「ボンバルディア」という会社の製品。Q400のDHCはデハビランド・カナダでは?と思っていたのでインターネットでお勉強したらデハビランド社はボーイングそしてボンバルディア社に買収されてしまっていたというワケでした。ボンバルディアという名前からスペイン語のボンバルデーロ=爆撃機を連想しちゃうが無縁ではあるまい。プロペラ時代の爆撃機に乗っていた人たちは出撃時は常にある確率で存在する、迎撃戦闘機あるいは高射砲による被撃墜の恐怖にとらわれていたわけで、それを思えばたとえ「爆撃機屋(たぶん)」生産の飛行機であろうが平和な空を飛ぶわれわれは幸せで、たとえ主翼がもげそうな揺れに遭遇しても「キャー」「ギャー」などと叫んではならない。しかし名古屋は大都会ですなあ。広く延々と伸びる「錦通り」に抱いた印象=「まるでブエノスアイレスみたいでね~か!」は名古屋の人をおこらせるかなァ?
2006.11.27
新潟県村上市は私が生まれた街だ。でも小学校低学年までを過ごしただけなので、訪れる気分はやはり「旅人」だ。1日おいての2日目のロケで、亡父の旧制村上中学校の卒業アルバム冒頭の臥牛山(がぎゅうざん=通称おしろやま))からの村上俯瞰写真と現在を対比する、つまり69年前の村上市(当時は村上町)と現在を比べる、という設定のシーンを撮った。約70年という長い時間を経ればさすがに村上市は変わった。だいたい70年前の写真で中央に位置している中学の校舎は市役所になったし・・・。しかし、三面川の流れを核としたその風景は基本的には同じだ、ともいえる。これが村上の魅力のひとつではなかろうか。梶井基次郎という夭折した戦前の作家の「城のある町にて」という作品を若いころ私は異常に愛した一時期がある。梶井の作品のモデルは三重の松坂市ではあるが、そこに描写される城山からの風景を私は幼時に何べんも登った臥牛山からの風景になぞらえていた。頂上近くの急坂を転げ落ちて「九死に一生」の思い出もある・・。霊魂の存在など一切信じない男だが、父も間違いなく70年前に見た村上の現在の俯瞰を見せてやりたく「篭球部(バスケット部ではない)」のユニフォーム姿で父が写るページを開いて風景のほうに向けてみた。アルバムのページを埋める当時17歳の若者の幾人がいま存命だろう?そんなことを考えると初冬の村上の空を風のように流れた歳月を見る思いだった。それを目ざとくディレクター氏が発見。テレビカメラでも撮影しよう、ということになった。「美談」はそこまで。いつまでも素人ではあるがリポーター生活はや12年目の私は即座に「美談もどき」を演じてしまうノダ。(掲載写真撮影もカメラマンS氏)
2006.11.24
私の生地である新潟県村上市は市内を流れる三面(みおもて)川で江戸時代世界で最初に稚魚を放流して母川に帰ってくる鮭を採捕することを始めた町であり、おいしい塩引き鮭で知られる。本日のロケで、村上のいよぼや会館(鮭のことを地元ではこう呼ぶ。もっとも私の幼児の記憶では、町人町に住むいとこたちは『ヨーボヤ』と発音していたようだが)脇の「三之丸流鮭塩引き道場」で塩引き作りに挑戦した。講師の小田師範から実演を見せていただいた後参加者11人とともに取りかかる。表面のぬめりと内臓除去後の腹腔の徹底的清掃がポイントだ。包丁は息子の幼稚園の弁当作りから現在の老母の食事作りまでの長い経験からギターよりもさばき易いものとなっているから困難はないが徹底的な血の除去は1匹目ではなかなか難しい。おまけに魚体とまな板の血をよく洗わなかったので、塩を刷り込んだらピンク色になってしまった。写真は作業中は撮れなかったし、結構残酷なシーンになるだろうから完成品を撮影して下に載せた。おっと完成品ではない。1週間後塩出しをしてそれから2週間寒風にさらしてやっと「完成」だ。報告を書くので乞うご期待。終了後、「初段」の認定状をいただいた!空手、少林寺に続いて3本目の黒帯ゲットか?!と期待したがいただいたのは乾燥させるために吊るすときに使う白い麻ヒモだけでした(^^;師範の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
2006.11.22
ラジコン飛行機入門はもう20数年。と書くと大ベテランの風情だが、なあにその間に15年ほどのブランクがあり、再開してまだ3年半。「万年初心者」のラク印も無理ないかなあ、という程度の実質経歴デス。ブランクの前の競技ラジコン世界ではエンジンの大きさによる分類で60クラスというのが最大で、「いつかは60!」が入門者の夢だった。それが15年の玉手箱を空けてみると競技ラジコンは140~160クラス。倍以上の大きさになっていた。しかもエンジンンの大きさに反比例して騒音も少なくなっていた!私の現在の愛機で「小型機」に分類されているものでさえ往時の60クラスより大きいと言う事実!バルサ材をコツコツと組み立てる「キット」が衰退しキットより安い完成機が主流、というのにも面食らった。中国はじめアジア諸国の低賃金の労働力がその要因である。考えてみると中国東北地区(であろう)の小姐たちがゼロ戦にせっせと日の丸のシールを貼っていることもあるわけで、ウ~ン!と考えたりもする。ま、それはともかく現代の競技ラジコンの主流機体は写真のような大きさ。一般が考えるよりはるかに大きいはずである。もちろんわれわれ貧乏ラジコン派にはたぶん永遠に無縁の世界・・・。
2006.11.15
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