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http://n-stepbystep.blogspot.com/心機一転につき、ブログをお引っ越ししました。りにゅーあるです!
2011年10月13日
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今までがんばってきた人間にとって、これほど大変なことはない。いつもニコニコできてしまって、がんばらないってよくわからないってやっぱりあると思う。あたしは理解できるよ。それがだめだから、ちょっとずつ直さなくちゃいけないことも、分かったし、今やっとちょっとずつできてると思う。会社に休みの連絡をするのが正当だと思ってても、ストレスを感じる気持ちは分かる。できる人にとっては本当に不思議なんだろうけどね。Zoe、あたしが苦しんだのは無駄にならなかったかな。ちょっとでも役に立てたかな。あたしみたいになってほしくないな。
2011年10月13日
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椎名林檎は30の女として達観してて、あぁなりたい、と思うひと。阿部真央は同じように揺さぶられて、それでも必死に生きようとしてるから、一緒にがんばろう、と思える人。ちょっとはまったかも。21歳にしては大人だ。25歳の私は今、あなたに共感するところがいっぱいあるぜ。http://artistblog.jp/blog/abemao/diary.htmlあーーライブ行きたい。生の音楽に触れたい。じゃないと死んじゃう!今仙台はJAZZフェスティバルやってるのかな?!くぅぅぅぅぅぅぅぅ。生音楽枯渇!
2011年10月12日
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はっと思い立ったので昼休みを利用して忘れんうちに。相手を理解するのは、そうしようと思ったときではなく、しかるべきときがくるからだって、たしか村上春樹の何かの作品の中に出てきた。今、それがよく分かった。この1年半、自分でこれだと思って、当時最良の選択をしたにも関わらず、どうしても違和感をぬぐえず、ふらふらと軸が定まらないで生きている。(今は少し変わったかもしれないけど、それはほんのこの1ヶ月くらいの話)振り返って、同じような経験をしていた友達がいたなと思い出す。彼は私よりも先にこの業界に入って、同じように2年間、何かが違うって必死でそれを探してた。社会に出たことがなく、組織に貼り付けられて仕事をしたことがなかった当時学生のあたしは、「ふらふらしてるけど大丈夫かな~」なんて思ってた。本当に申し訳ないと今改めて悔いるけど、正直にいうと、多少もうちょっとがんばれないのかなぁ~とさえ思ったこともあった。でも、今なら分かる、あぁこういうことだったんだって。そして理解もせず、ただ不安定だなぁなんて思ってしまった自分を今すごく恥ずかしく思います。これはもはや分かってというほうが酷なんだと思う。あたしはたまたま同じ業界だったから、今やっと彼の当時の気持ちが分かったけど、違う働き方をしてたら、当時の彼の気持ちはやっぱり分からないままだったかもしれないと思う。自分の身体も、時間も、すべてを犠牲にして、一体何を得てるのか、何を失ってるのか、そして2年後3年後この先に、どうなってゆくのか。そういう一種の恐怖にも似たような不安があるなんて、想像できなかった。だから、自分が昔友達にさえそう思ってしまったんだから、ましてや例えば付き合っている相手がそうだったとしたら、しかも自分ががんばりたいときにそうだったとしたら、相手を頼りなく感じたり、そこまで支えてやれないと思うのは、当然だと思う。そして、同じように私も今理解できないことがたくさんあって、昔の友達に対して思ったように、勘違いをしていることもいーーーーーっぱいあるんだと思う。これでよかった、というよりは、当然の成り行きだ、っていう納得感がすごくうまれました。言い換えれば、いいのかはわからないけど、当然だと、そう思ったということ。じゃぁ同じ経験をしないと人間は分かり合えないのか、といえばあたしはそうでもないと思う。結局、余裕なんじゃないかと思う。余裕があれば、それでいいよ、そのままでいいよ、ってきっと思えるんだと思う。自分の人生に必死になって、自分を支えることに必死になると、周りの人をきちんと理解してあげることができなくなる。例えば、その友達に対しても、今ちゃんと道を見つけてる姿を見ると、よかったね、って思えてる。きっと今、彼の当時の気持ちが理解できなかったとしてもそう思ってる。仮に付き合ってたらがまんできなかったかもしれないけど、友達としての距離なら(この場合は距離の余裕かもしれないが)、こう思えるわけなんだもん。そういうことはこの1年半で学んだ大きな大きな財産です。失ったものは多かったってこの1年半を人生の暗黒時代なんじゃなかろうか、と本気で思うけど、でもそれで痛みを伴って分かったものも、数は多くないけど、すごく重みがあるものがあったんだと思う。(というか思いたい。そうじゃないと苦しいだけになっちゃう)そういうことを今朝、駅に向かうまでにぼーっと考えてたのでした。あぁ、文字にできてよかった。すっきり。
2011年10月11日
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「いいか、偉大な科学者になるには、才能よりもどれだけ自分のやっている事を面白いと思えるかなんだ。自分が本当に面白いと思っていたら、他人に評価されずとも、どんな逆境でも、信念をもって研究を続けられる。」 私は科学者じゃないけど、父親が私に言ったこと、よく思い出すな。すぷつにこもう2年くらい前の話かな。研究者の卵3人に、なんで研究してるの?っていったら、「おもしろいからだよ!」っていい顔をしてゆってました。すてきだなぁって思ったのと同時に、うらやましいなって思いました。あたし、今、わくわくしてるかな。
2011年10月06日
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http://jp.wsj.com/US/Economy/node_291926うーん。もうちょっとおべんきょが必要。メモメモ。
2011年10月06日
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システムから脱却したいんだ!と言っていた先輩がいたことは有名ですが(笑)、本当に社会というシステムは難しいものだなと思う。ウォール街でのデモは、象徴的だなと感じました。それが今はどんどん広がっていって、、、確かに金融の人はお金持ちかもしれんけど、だからといって平等がいいの?っていうとそうじゃない。でも超資本主義的、かつそれにひずみが出てくると、こういうことになるんだろうな。いつか、「なんで自分が稼いだお金で暮らすひとたちがいるのか」って言ってる友達がいて、それはそれで分からなくはないな、と思った。これだけ働いて、働けば働くほど額面は増えていくのに、働けば働くほどびっくりするくらいの税金が抜かれていく。まぁ、国立大学行ったんだから、その恩恵は受けてる側か、と説得してみるけど。でも、なんのために働いているんだか、というのは正直な感想。だからデモの話を聞いて、ちゃんと累進課税なんだからいいじゃん、って思うんだけどなぁ。(アメリカって税少ないんだっけ?どうだっけ。そんなはずもないと思うけど。しらべんとあかんね。。。)それに別に楽して稼いでるわけじゃないでしょうに。ウォール街の人たちは、必死に勉強して、いい大学入って、キャリアを積んで、っていう先にようやく大金を手にしているわけであって。ただのラッキーな人もそりゃぁいるかもしれないけど、みんなそれなりに努力した分が返ってきてるだけだと思うな。もうちょっとずつ、お互い歩み寄って妥協点って出せないのかなぁ。社会という大きな舞台では、マリオットが多すぎて難しいのかもしれないけど。高所得だと言われる人はもう少し分け与える気持ちを持つ。(というよりもそんなに儲からないシステムにする。金融はちょっと異常だ)低所得だと主張する人は、高所得の人並みにちゃんと努力をする。ただの理想論にしか過ぎんか。ってこんないらんことを真剣に考えるから生きるのへたくそなんだな、あたし。笑
2011年10月05日
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何を持ってして自分を幸せとするか。たくさんあると思うけれど、仕事(生活や意識のメインとして)はその中でも重要な要素だとあたしは考えます。ゆえに、「何を持ってして自分を幸せとしたいか考えろ」というアドバイスを受け、何度もなやんだ結果、明日からの仕事を選びました。きっと多くの人ははじめはそうやって仕事を選ぶんじゃないのかな。でも"社会人"あるいは"会社人"としての殻だけが動き続けて、中身を伴わなくなっている人はたくさんいるんじゃないかと思う。ある人はこれらの人のことを「高いスーツを着たunhappyな人々」と呼びました。高いスーツとは、本来happyになるためにがんばった結果身に付けることになったもの。(目的という意味ではなく、結果として、という意味)それなのに高いスーツを着ているのにunhappyだなんて、いったい何のために生きている、働いているのか。とまぁ、そういうことを言いたいんじゃないのかなーとあたしなりに解釈しました。ということで、もちろん高いスーツのいうのは、それが目的じゃなかったでしょ!?というすべてのことをさしているわけですが、そういったもので満足の感覚を麻痺させないで、しっかり自分を幸せにしようと思うしだいでございます。さ、明日からがんばろう。あたし高いスーツを着たunhappyなひとだった・・!!!がーん。。。(スーツは安いけど。。入社してから買ってないもん。。)何を持って自分を幸せにするか、それは1年半前よりもわかってきたかな。いつか東京タワーにいた岩崎さんという占い師さんに言われました。「あなたは本当に失敗ばっかりするわね。こりないこりない。でもそれでいいのよ。」と。また失敗しちゃったみたい、てへ、くらいに思わんといかんね。てへ。
2011年10月04日
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わたしは常に衝動的に動いている人間なのだ。理由はあとからつけるだけで、本当の動機は自分にもわかっていない。いつもそうなのだ。と、私の名前のモデルとなったとある本の主人公が言っていました。名は体を成す、という言葉がこれほどまでか、と思う。1981年、私が生まれる5年前に出たこの本の主人公は、当時にしてはめずらしく、何かに突き進んでいくような、そんな力強い女性像を打ち出したのでした。お父さんはこんな風に自分で人生を切り開く、たくましい女性になってほしい、とこの名前をつけてくれたんだけど、最近ちょっと似すぎたな、、、と苦笑いです。今まで何度か読んだことがあったけど、今また改めて読み直していくと違うことを思う訳で。奈津子がとある詩人と話をするシーンがあるんだけれど、そこで詩人は奈津子の弱さを指摘します。その指摘はいまの私にそっくりそのまま当てはまり、びっくりしたと同時に、なぜかシンクロしたのがtouchingだったのか、泣いてしまった。(このシーンで泣くひとはいないだろう。。。)昔読んだときは気にならなかったシーンなんだけど、今25歳という歳は、そういうことに向き合う歳なのかもしれない。今はちょっと破天荒な部分だけ似ている感じだけれど、ちゃんと弱さを含めた力強さをもつ彼女のようになっていこうと思います。じゃないと、お父さんがかわいそうだ。笑
2011年10月02日
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