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ベトナムの旅3日目、やはり朝早く出発し、先ずは、ミーソン遺跡へ。世界遺産登録。山中にある遺跡まで、バスから降りて15分~20分歩く。遺跡の入口で、踊りの披露するステージがあり、当時の王国に仕えた妖艶な女性の踊りを観ることができる。^^ミーソン聖域はチャンパ王国の宗教ヒンドゥ教の聖域。ミーソンにはレンガ作りのチャンパ塔など7世紀から13世紀にかけての遺構が残っているが、ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されている。実際銃弾の跡が遺跡に刻まれ、残念なことだ。ミーソン聖域は受難の歴史、フランス統治下、多くの美術品が盗まれ、ベトナム戦争で破壊された。現在は補修・修復をがなされて、世界遺産登録後、各国(アメリカ、日本、イタリアなど)調査団が入り、技術提供されている。現在の遺跡をみるだけでも、当時栄えた様子が伺われて、とてもよかった。ここの遺跡は、20世紀になりフランス人により発見されたとあり、それまでひっそりと山の中にたたずんでいたのが不思議。ヒンドゥー教の遺跡はここだけ。ヒンドゥの神はもうここにはいないと、仏像や壁に描く神から、首をハネているものが多い。縦断の旅は、移動ばかりで、バス、飛行機と座りっぱなしなので、1時間2時間くらい歩くのは、とても気持ちがいい感じ。ツアーはトイレ休憩も多くて、友人はトイレが近いので毎回通う(笑)
2014.01.31
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夕食を済ませてホテルに入ったのが、もう23時半・・・照明も落とされ、暗闇の中の古い3階建リゾートホテルだったが、朝起きてみると、意外とおしゃれなリゾートホテルだった。でも、5時半起床、6時朝食、7時15分出発の忙しいスケジュールに、まったりリゾートホテルの庭でコーヒーなぞ、飲めるはずもない・・・ウェルカムフルーツのあるお部屋だったが、深夜に早く寝たいばかり。毎月14日は、ホイアンランタン祭らしい。しかしお祭りは夜9時まで。ホイアン市街に着いたのは夜9時半過ぎてて、それから夕飯だった。14日にホイアンに泊まりながらも観ることができなかったのは悔やまれる。今回、時間に余裕のない日程で、残念だったひとつ。
2014.01.30
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アジアのビールの特徴か、ベトナムのビールは軽いので、ごくごく飲みやすい。ホーチミンは地ビールはサイゴンビール、333ビールはベトナム全土で飲めるらしい。写真の瓶ビールはタイガービールではなくて、ホイアンの地ビールらしい。食事はベトナム料理は同じ食材が多いが、私は好みに合うのか、どれも美味しい。
2014.01.29
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ミトーのレストランで郷土料理のランチ。庭のあるきれいなレストランだった。ドラゴンフィッシュは、匂いもなくてさっぱりしていて、身をほぐしてライスペーパーに巻いて食す。ライスボールは中身がもちもちで、甘くて美味しい!フォーはチキン入り。どれも美味しいベトナム料理だった!ミトーメコン川観光を終えて、昼食を済ませると、あわただしく次の予定をこなすために、ホーチミンからダナン空港へ飛ぶ。初日、2日目と、現地係員は違ったが、3日目も違う係員が、ダナン空港で待っていた。それにしても忙しい弾丸縦断の旅、よくこなせたものだ。ホーチミンから予定より遅れて19時過ぎに飛び立ち、ダナン空港に着くと、20時半になっていたので、ダナンからあわててホイアンまで行き、21時半頃、夕食になった。ダナン空港にて、テト(旧正月)の飾り付け
2014.01.28
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とても楽しみにしていたジャングルクルーズ。たった十数分の手漕ぎボートで渡るメコン川の支流の小さな小さな川。船頭が二人に乗客4人の不安定なボート。ボートはたくさんあり、どんどん次々乗り場に到着して乗せる。瀬戸内海の伝馬船よりとてもちゃっちいボートだから、慣れない人は不安だろう。私のボートは裸足の十代の女の子が漕いでくれる。やはりホテイアオイが進行を邪魔して、漕ぐのも一生懸命。なぜ、このホテイアオイを観光する場所だけでも少し処理しないのだろうか(笑)みんなベトナムのお馴染みの笠をかぶり、気分上々!!残念ながら、船頭の彼女の後ろから写真を撮ることしかできず。大きく左右に揺れて楽しい手漕ぎボートの体験も終わり、彼女に渡すチップは「5000ドン」だと言われた。5000ドン、おおまかにいうと25円!!二人分で50円。この中州に生まれて暮らす若い女の子が生計を立てるこの仕事の報酬は、たとえ1日10回漕いでも500円。(観光地とはいえ、毎日どんどん観光客が来ても、どれだけ手元の入るのか分からない)国の物価状況も違うのもあるけれど、こんなに若い女の子、これからの将来、いつかこの仕事を終えて、村から出て、調理師や美容エステとかなにか認められる技術を勉強できたらいいのになと、外国のオバちゃんながら、母心になった。
2014.01.27
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ミトーメコン川を中州に渡った。舟で10分、中州で生活する人々は、そこで観光、農業で自給自足生活を賄う。学校は小学校くらいだが、結局進学することなく、中州を出ることなく、教育を終えることが多いと聞いた。日本の川と違い、泥のような色の大きな川、しかしゴミはなく、ホテイアオイがものすごく浮かぶ。。川に浮かぶ草はすべてホテイアオイ。半端なものじゃない@@調べてみたら・・・ホテイアオイ外来種の水草繁殖力が強く、あっという間に水面を覆い尽くし、水の流れを滞らせ、水上輸送の妨げとなり、また漁業にも影響を与えるなど日本のみならず世界中で問題となっていて、「青い悪魔」と呼ばれ恐れられている。冬季に大量に生じる枯死植物体も、腐敗して環境に悪影響を与える。世界の侵略的外来種ワースト100に選ばれている。確かに大量のホテイアオイは船の進行を妨げて、結構大変そうだった。日本の金魚の水槽に浮かぶかわいいものを想像したらダメ・・中州の村に着いたら、休憩。ベトナムの果物が美味しい!村特製のお茶やお菓子、はちみつ、ココナッツキャラメルをセールされたが、ツアーにはつきもの、そしてトイレをお借りするわけで、それはそれで楽しむといい。リュウガン(龍眼)と呼ばれる果物が樹になる。ここで提供された果物はすべて農園で。民家の庭に吊り下げられた鳥籠が、とてもレトロで素敵だ。手編みの籠。ベトナムの民家の軒下や庭によく掛けられた鳥籠はみんなこんな籠。中の鳥も黒い鳥で名前はなんだろう?カラフルなオウムじゃないのが、さらに情緒あるよね。歌と演奏とゆっくり休んで、さぁ私が待っていたものが!!
2014.01.27
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ホーチミンシティ、午後4時からの弾丸観光を終え、初日のホーチミン郊外のホテルに入ったのは23時前、部屋は思ったより広めでゆったり。交替で風呂に入って就寝は午前1時過ぎたが、ホテル出発集合時間は朝7時15分、モーニングコールは早朝5時半という睡眠時間4,5時間のキツイ日程は、この旅の最後まで続くことになるのだった。(T_T)せめて、体力維持には、朝食をしっかり食べること!幸い朝食6時からのレストラン、朝6時過ぎには食べ始めないと、チェックアウトが間に合わない。だって昼食は毎日13時~14時頃になりそうだもの。果物の種類は豊富!!パッションフルーツは美味しい!2日目の予定、バスが目指すは「ミトーメコン川観光」。ホーチミンを出て、田舎へと走る3時間のバスの車窓は、結構楽しい。子供の頃から車窓が大好き!!生活感たっぷりの光景に癒される。郊外に出ると、広い広い綺麗な水田が目につく。農耕民族の日本とベトナム。生涯田畑で暮らした亡き義母に見せてあげたい大きな農業の風景。整備された広い水田は、3期作!!田植え、稲刈りを繰り返すが、耕運機、稲刈り機は見当たらず、その代り、たくさんの労働のための牛があちこちに自然にうろつくのが見えた。耕運機が活躍し始めるということは、牛が売られるということだ。民家の家の前にはだいたい雑種の犬が数匹放し飼いにされ(野良犬かも)、猫や鶏も自由で、ほのぼのしている。感心したのは、古い民家でもどこも家の前や道をホウキで掃いて掃除している姿がみられること。道路にもゴミがあまり落ちていない。この感覚って日本人に似ているので好感が持てた。テト(旧正月)が近いということもありそうだが。中国の汚い高速道路や民家や商店の前のゴミを思うと雲泥の差!!別荘?分譲住宅?いえいえ、公務員官舎?ベトナムで超優遇の階級・・・
2014.01.26
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少し遅めのディナーは、サイゴン川クルーズで。演奏と踊りのパフォーマンスを含め、楽しいディナーになった。夜景は、あまり高層ビルのない河岸ではあるが、それでも綺麗。互いにライトアップされた船がゆっくりすれ違う。料理はヘルシーな食材でベトナム料理、ビールは地ビールのサイゴンビールを選んだ。サッパリなビール。料理は女性には適当な量。若い子だと足りないかな?テーブルを同じにしたのは、ご主人が3年前に定年退職したと言うご夫婦。夫婦で以前から旅行が趣味で海外旅行もリタイア後、長期行けるようになり、今年もまだフランス、アメリカとどんどん予定しているらしい。ふむ。(=_=)うちも定年まで数年、家のローンは完済してるものの、子ども達は東京に残り、夫婦で東京をすべて引き上げて、放っていた築30年の地元の家をリフォームしなくちゃいけないし、夫婦の日々の生活費で、旅費など捻出できるだろうか。だいたい30年間、数々の転勤二重三重生活、二人の莫大な教育費で、すでに懐はスッカラカンなのだ。今、定期的に入る給与賞与があるからこそ、旅費もやりくりして捻出できるものだと感じるんだけど。今はなんとか自力で生活している両親の介護ももうすぐ始まるだろう。さて、私の未来に不安を覚えながらも、1時間あまりサイゴン川を遊覧し、本日の観光は終わり、ホテルにたどり着く。
2014.01.24
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ホーチミン、予定通りに弾丸観光始まる。聖母マリア教会フランス領だった歴史が物語る。200年以上前にマルセイユから運ばれたレンガで建てられたサイゴン大聖堂。仏教徒の多いベトナムでも現在2割近くはキリスト教徒。↓中央郵便局マリア教会のそばにある現在も活躍中の郵便局やはりフランス統治下1886年に建築されて、フランスの政府の連絡所として活躍していた模様。中に入ると、中央にホーチミン氏の肖像がある。観光地化されて、観光客で賑わう。コロニアル建築がレトロ。アーチの天井も高い。床とか壁とか木目調でしっくり美しかった。やはりおフランス!。 ↓ホーチミン人民委員会庁舎ベトナムの行政機関。南ベトナム時代もサイゴン市庁舎として利用された。人民委員会庁舎からレタイトン通りを挟んだ所にある広場に子どもを抱いたホーチミン像がある。台座の黒いプレートには「BAC HO バックホー」と読み、「ホーおじさん」という意味。ホーチミンに対する国民の尊敬と親しみを込めた呼び名。ホーチミンは自分の子供はいなかったそうだ。↓ベンタイン市場市民の台所&観光名所とにかく広い市場に小さなお店がぎっしり!!どこもかしこも同じ商品をどっさり店頭に並べて賑やか!日本人と分かると日本語で、「こんにちは~」と声を掛けられ、とにかく私たちの足取りを追ってくる(笑)知っている日本語を駆使して声掛けをしてくる市場の皆さんは、時として、「こんにちは~、味の素~」「ホンダ、スズキ~いらっしゃ~い」「1ドル、うちの店、安いよ安いよ~お姉さん!」と、俄然ポジティブな近づきで愉快だ。同じ店が並ぶので、ぜひうちに来て!と積極的なおばちゃんたちは、韓国も中国も同じようにパワフル!1ドルは20000ドン、1ドルで買えるものは多いけど、やはり生ジュースなど食べ物は用心!そして、やっと夕食へ。
2014.01.24
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ツアーバスに乗り込むとすぐホテルに荷物を入れてチェックインして、観光開始。足早に観光スポットを回る。バスから眺めるホーチミンの光景は、まず、なんといってもバイク!!「なんですか、これは~~~~@@:」と誰もが思う光景。とにかく無茶苦茶なバイクが大量に押し寄せてくる感じで、バスの前後左右に張り付いて、ぶつかるのではないかというハラハラ感、しかし、バスの運転手さんも慣れたもので、クラクションをしきりに鳴らしながら走行、またバイクもバスを気にも留めないが、器用にクネクネしスピードはあげられない。ベトナムは小さな50CCくらいでは免許が要らず、15歳くらいからバイクに乗れるらしい。1台に大人2人と小さな子供2人まで大丈夫という。@@;それで、1台に2人乗りなんか平気で、前後に子供を挟んでいたりする。ベトナムのファミリーカーのバイク。ヘルメットはする規則らしいが、本物は高価なので、ヘルメットに似せた段ボールでできたものを安く買っている人が多いと聞いたが(笑)運転手や後ろに乗っている人が長くて大きな荷物を持ち、走行できるのかというとんでもないバイクも多くて、バスの中から爆笑しきり。パワフルすぎるベトナムの歓迎に仰天したのが第一印象^^;そしてなんてユーモアあふれる街なのでろう^^車窓から見るホーチミンの人々の暮らしは、とにかく女性はよく働き、エネルギッシュ!通りで、通行客に、果物、食材、工芸品、飲み物、少量ながらなんでも売っている。反面男性は、半パンで通りにまったり、のんびりしていて、呑気そう。現地係員の男性もいうに、「ベトナムの男性はあまり働くのが好きじゃないし、今、みんな仕事もなくて暇を持て余し、目的なくてぼ~っとするか、バイクでドライブしてる。特に夜は、エアコンを持つ家はあまりなくて、涼みにバイクを走らせてる人が多いです」と・・・やはり交通事故も夜多くて、外出注意とのこと。。。市内散策とか、観光客には怖いところだわ~~@@:実際、道路を渡るには、押し寄せるバイクを止めて渡らなくちゃいけなくて、ひとりで渡る自信はない・・ホーチミンの平均月収は1万2千円~2万円くらいで、夫婦共稼ぎでも月2万円~4万円。バイクはトヨタ、ヤマハ、スズキと日本製が人気で、1台4万円~6万円。中国製も1万円であるけど、1年持たないと言う話。(そうだと思う・・)自動車は高価で400万円以上する。運転免許を取得するにも高額なので、免許を持ってない人が多く、よって車の盗難は少ないと言う。車上荒らしは多いそうだけど。バスから見ても、日本企業のベトナム進出は多く、「トヨタ」「ヤマハ」「キャノン」「パナソニック」の工場は前を通った。乗用車は、トヨタ車を多く見かけたが、韓国の起亜「KIA」もたくさん見た。KIAって日本の地元のMAZDA車を昔作っていたよね。「ベトナムに来た!」ものすごく実感できるホーチミンの街。
2014.01.21
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今年最初の旅は、前々から予定していた友人と2人のベトナムの旅となった。雨季の観光はわずらわしいので、乾季のベストシーズンまで待っていた。国土が日本に似て長細いので、少し期間に差が出るが、乾季は11月後半~3月前半で、ベストシーズン。一番暑くて雨季で辛いのは、4月~6月と聞いていた。注意するのは、テトという旧正月。韓国、中国同様、大移動があり、交通機関は渋滞、お店は閉店、テトの前後2週間は、買い出しや家の修理、掃除など、あわただしくて、観光には不都合が多いと聞いた。今年のテトは1月31日~2月3日。で、テトで旅にアクシデントがでないように、日本の正月明けの日程としたのだ。ベトナム縦断の旅ツアー成田空港発を申し込んでいた。朝が早いフライトだったので、朝4時過ぎに起きて5時の始発に乗るのも真冬の暗い朝は自信がなくて、仕方なく京成成田駅前のホテルに前泊した。地元から来る友人と違うホテルになったが、朝7時京成成田駅集合で、出発2時間前に成田空港第一ターミナル北ウィングのベトナム航空カウンターにチェックインできた。その後、冬用コートをコインロッカーに預けて出発!日暮里駅から京成成田駅まで、イブニングライナーで。最終便は22時6分で23時成田駅着。駅前のシティホテル泊。ポイント利用で1泊素泊まり5千円也!あまりサービスの評判のよくないベトナム航空であったが、期待薄の割には機体も新しく、笑顔もない機内サービスも特に何とも思わないことにした。機内販売がないのは知っていたし、機内雑誌はたくさんあったので良しと思う。食事も適度な量でまずくはない程度。和食と洋食も選べる(ベトナム料理ではない)。6時間くらいのフライトでビール1本と洋食の食事とコーヒーと、映画も2本観られたから退屈はせず、ホーチミンに到着した。しかし数ある映画で日本語吹き替え選択はあまりないのに、韓国語はどれも付いていたので、日本人より韓国人のベトナム入国者が多いということなのか?ベトナム航空のCAのユニホームは白いパンツに赤いアオザイ。写真に撮れなかったのが残念。ホーチミンシティ(タン・ソン・ニャット空港)は、比較的涼しくて、Tシャツ1枚よりもう一枚あってもいい感じだった。ツアーのバスに乗り、午後4時前より観光が始まった。ツアー現地係員は、日本語のさ行は言いにくそうだったけど、コミュニケーションはじゅうぶん。
2014.01.19
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1月、日本はかなり寒い毎日でしたが、ベトナムは乾季に入り、そして一応冬シーズンなので、暑くて困ることもなく、ベストシーズンでした。個人の旅では聞けないベトナムの暮らしについて、ツアーの現地係員ベトナム人から聞くことができ、有意義でした。反面、ツアーの数人の日本人の横柄さが目について、少し同じ日本人として反省することがありました。毎日3~5時間の睡眠時間の強行日程でしたが、行ってよかったベトナムでした。旅行記をぼちぼち書いて行きたいので、お付き合いいただけたら嬉しいです。実は帰路、出発の2時間前にハノイ空港に着いていたにもかかわらず、ベトナム航空のオーバーブッキングで、カウンターでもう満席で乗れないという事態が起きました。ツアー客最後の方のチェックインで、私の前の70代の4人組グループもなんとかばらばらで座席を確保しましたが、もう私と友人の席はない様子でした。それならそれで、もう1泊ハノイにいるのも思い出になる予定でいましたが、なんと私はツアー出発前に、航空会社に席をリクエストしていたのでした。(本当はこのツアーでのリクエストはないのだけど、なぜか私のリクエストにはツアー会社係員が応じてくれていたのでした)そのリクエストがOKかどうが気にも留めてなかったのだけど、今回はそのリクエストが生きていたおかげで、友人と窓際並び席にて無事乗ることができたというわけです。考えれば、往路もウェブチェックインができていて、成田空港の優先入口から入ることができたので、混雑する中、ありがたかったのです。現地係員がリコンファームしてくれていても、そこは海外、どんなことが起きるか、わからないものですね。前回のフィンランドのロストバッケージにも懲りたので、機内バッグに1泊用の下着の着替えくらいは持ち込んでいたけど、今回は大丈夫でした。これからも、旅のハプニングもそれなりになんとなく楽しめる余裕を持ちたいと思うのでした。
2014.01.19
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昨年の海外の旅は、予定外に、中欧、北欧にいくチャンスがあったが、私の興味のある国はアジアにある。今年の最初の旅は、初めて訪れるアジアの国、それも毎日移動の縦断の旅。気候は南から北へ35度~25度。日本は外出にコートが必要な毎日なのに、あわてて昨年夏に着ていたTシャツや薄手の服を探している。一緒に行く地元の友人は旅行保険も入り、前泊ホテルも手配し、留守宅の準備も万全らしい。成田空港の朝は早い。真冬、都内から始発の電車に乗れば間に合うが、現地で時差がある分、一日が長いので、私も成田空港近辺のホテルに夜入り、前泊することにした。マニアックな現地通貨も交換できるところが地元の空港にできて、すでに交換済み。今回、街では英語も日本語韓国語も通じることが少ない。現地も飛行機で移動することとなり、限られた時間で個人旅行は手配が面倒で大変そう、で、日本でツアーに申し込んでいるので、出発の心構えとか、気持ちが楽。「シンチャオ!」とあいさつすることは覚えた。いってきます!↑↑こんなの乗るかも?
2014.01.12
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1月はパパの誕生日があった。50代ど真ん中、人生もとっくに後半。しかし嫌いな都会でもう一息頑張らなくてはいけない。パパの誕生日は平日だったし、おまけに私が忙しくしている日で、夕飯の支度ができない日だったので、お詫びに休日、ふたりでランチ&買い物に出かけることにしていた。いつもより豪華に、汐留にある外資系ホテルのレストラン。天気がよかったので、28階の大きな窓から浜離宮が見下ろせ、レインボーブリッジも見える。もうどんどんなんでも食べられる時代は終わり、量より質になり、なんかとても寂しいぞ・・・ホテルに入って出るまでに、ホテルスタッフに4度声を掛けられた。ホテル1階入口からレストランの場所とかエスカレーターとか、少し分かりにくくて、ホテルのフロントも28階にあり、右往左往していたのだ。その様子を見かけたスタッフが優しく丁寧に声を掛けてきてエレベーターを案内していただいた。帰りも銀座方面に向かう方向を私がパパに尋ねていたのに気づいたのか、ご案内いたしましょうかと声を掛けていただいた。そのさりげなさがこのホテルのホスピタリティ、「おもてなし」のひとつなのだと感じて、このホテルの印象がかなりよくなった。ランチの後、歩いて銀座へ。向かうのは、パパの希望のユニクロ・・・銀座店には他店にはないサイズ「XXL」があるからである・・(^^)v今月の寒さ厳しいであろうゴルフのために、ヒートテックシャツを買い、フリースセーターを買った。銀座のユニクロ、お客さんもほとんど外国人だったが、大きいサイズの置いてある場所を聞いたのも、韓国人か中国人の店員さんだった・・・・ずっと歩いて有楽町のビッグカメラで玄関の切れた電球の替えも買い、丸の内でカフェで休憩。前から寄ってみたかった、ドラマ「半沢直樹」のロケ地になったカフェ。午前10時半に家を出て、帰ったら午後4時になっていた。疲れたので、夕飯がテキトーになったが、トリ肉団子のスープだけは真面目に作った。銀座のブルガリに蛇がいた@@午年なのに。
2014.01.11
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パンケーキ、ハワイ発。1~2年前から表参道付近にお店が集まり、いまだ行列のできるお店が多い。地元に帰省して、偶然買い物の休憩でタリーズに入ると、バーンと写真があったパンケーキ!「おぉ~!」と食べてみた。530円~580円って、数種類あり、お手軽じゃない?注文したダブルベリーソースが甘かったけど・・・チェーン店なので、焼き立てってわけにはいかない事情があるけど、小腹がすいたり、おやつにはいいかも^^
2014.01.07
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広島で有名な宮島厳島神社、お正月の参拝者は観光客を含め、かなりの数だが、私は初詣は近所の神社へいってきた。私たち夫婦が目指すのは、厳島神社ではなくて、宮島の弥山(みせん)という山の登山。私は若い頃数回登山したが、パパが登ったことなく、ぜひ行きたいというのでお付き合いすることにして、1月4日、夫婦で宮島へ行った。宮島に渡る桟橋前に「あなご飯うえの」があるが、仰天の行列@@;確かに穴子が美味しいが、広島駅前のデパートでもうえの穴子飯弁当を売っているのでパス。渡り船で宮島到着。歓迎いただいたのは、神様のお使いの鹿たち。ちょうど満潮な時間だったので、厳島神社は一番きれいな時。しかし、ここでもとんでもない行列。境内に入るにも2時間近くかかるだろう@@そこを横にみながら通り過ぎて、「弥山登山口」へ。正午すぎていたので、お昼ごはんを先に。もちろん、パパは穴子飯を希望したので、少し贅沢にいこう。登山口付近にある、宮島の老舗料亭旅館「岩惣」で食べた。サービスの御屠蘇をいただき、ビールを飲み、いいのか?登山前に?弥山山頂に上がるには、ロープウェイもあるが、また混雑しているだろう。久しぶりに登る登山道は、傾斜が急で、山頂付近は、さらに険しくなるが、何度も休みながら、到着した。シニアの皆さんが元気に登山していく姿をみた。私よりぜんぜん健脚。若い頃なら1時間くらいなものだろうが、1時間30分くらいかかった。2.5キロの登山道なのだが、登りはかなりの負荷(--;)山頂から見る景色、少し曇り空で残念だったが、年末年始の身体の緩みにカツを入れられたかな?帰路、干潮になり、赤い大鳥居まで歩いて行ける時間になっていた。たくさんある土産物屋さんの中、好きなお店の紅葉まんじゅうも買った。
2014.01.05
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2014年1月1日映画の日に観た映画。「永遠のゼロ」百田尚樹のベストセラーを映画化2013年日本監督:山崎貴出演:岡田准一、三浦春馬、井上真央、風吹じゅん零戦搭乗員であった祖父宮部(岡田准一)の出来事を現代の孫(三浦春馬)が追跡していくとう形で、特攻隊員の悲劇とその後を綴っていく。生きることに執着していた宮部の真実、そして特攻で亡くなったエピソード、残された妻と子の運命など、現代と過去が上手に交差されて、悲しい出来事が分かっていく。娘は百田尚樹原作を読んでいた。私は読んでなかった。ただ、勘のいい人なら物語の展開、結末は読めるだろう。導入ですべてが見えるというところ。ただ戦争物語としてはフィクションなので事実として覚えずに、あくまでも作られた物語として思うことだと思う。時は経ち、太平洋戦争を語る人々はとても少なくなってきた。核家族で、戦争体験者から聞くチャンスさえない。そう思うとこういう映画は若い人にたくさん観てもらい、原作を読んでもらい、日本の過去からよりよい将来を考えてもらいたいものだ。戦前日本の海軍と私は結構馴染みがある。海軍ゆかりの地に住んでいた。戦争体験の語り部は一緒に住んでいた祖父だった。大病をして身体の弱かった祖父(明治生まれ)は戦地には行ってないが、戦地に行く人々をいつも送り出した。昔、親戚のいないはずの北海道からくる祖父への年賀状について尋ねたことがあった。軍人の知り合いが戦地で亡くなり食べることも困窮していた遺族の中学生の男の子を一時期家に引き取り、生活の面倒をみていたそうだ。その人が郷土の北海道に戻り、近況を毎年年賀状で知らせてきていたのだ。昔、祖母が言うには、祖父は人が良すぎて、家でご飯を食べさせていたのは、その人だけではなかったらしい。うちは漁業でも農業でもなく、もともと商いでほそぼそとやっていた。優しくて人が良かったという祖父のおかげで、釣った魚をいただいたり、牡蠣の養殖をしていた祖父の幼馴染みが毎年大量の牡蠣を届けてくれていた。祖父も祖母も20年以上前に亡くなり、我が家の語り部はいなくなった。映画のストーリーは、私が住んだ島の情景を思い起こさせた。私も歳を重ねたものだな。
2014.01.02
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2日目、朝ゆっくりして、鞆の浦へ向かった。漁港の鞆の浦、鯛網が有名な場所。実は坂本龍馬と深い縁がある。坂本龍馬が京都で暗殺されるわずか半年前慶応3年、”いろは丸事件”は起こった。坂本龍馬が伊予大洲藩から借り受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」。最初の航海で物資鉄砲を運ぶために長崎から大阪に向かっている途中、瀬戸内海、現在岡山県笠岡市で紀州藩の明光丸に2度にわたって衝突されてしまった。その後、近くの鞆港に曳航しようとし、途中、浸水して沈没してしまう。その後、両方鞆の浦にとどまり繰り返し賠償交渉が行われた。結局決着つかず、舞台は長崎へ移された。ポニョの舞台とか最近、映画「X-MEN」もロケしたとか。おかげでここも若い観光客多し。観光スポットで、竜馬の隠れ宿の見学もあったりした。保命酒という健康酒も名物としてあちこちに販売されていた。昔の風情を残す町並みを父の足に合わせて、ゆっくり、ゆっくり歩き、昼食は、鯛めしセットを食べて、旅を終えた。お土産に鯛ちくわを買った。新年おめでとうございます。今年もなんとかブログは続けていきたいので、どうぞよろしくお願いいたします。いつもお付き合いいただき、感謝しております。
2014.01.01
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