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ハワイ、ホノルル空港到着 現地時間再び金曜日11時半頃。イミグレーションはひとりに時間がかかる。係の陽気な中年女性はフレンドリー。私は持ち込む食品の説明に始まり、私の今年最後の期限のパスポートを見て、「あなた、たくさんスタンプがあるわね」などいろいろ話しかけてきて、「好きなところにスタンプを押してあげるわよ」と言ったので、最後のページに押してもらった(笑)ハワイなどアメリカは、肉製品、肉加工品、カップ麺の肉エキスに至るまで、持ち込み、持ち出し禁止。ビーフジャーキーの好きなパパは日本に持ち込めない分、ビーフジャーキーをたくさん食べるという目的も持つ(笑)時差が19時間、気温はこの時期25度くらいで過ごしやすい気候。一応ハワイも冬の天気となり、この時期は雨も多いという。ホノルルで再び金曜日の午後が始まる。空港よりWEB手配してあったワイキキ方面行きの車に乗ると私たちだけ。ドライバーは日本語の分かる日系の60~70歳代のおじさん^^ホノルル中心地のワイキキの宿泊ホテルに荷物を預けて、少し腹ごしらえに、ホテルから徒歩3分くらいの有名なパンケーキの「エッグスン・シングス」へ寄った。やはり、お客さんは日本人がほとんど。スタッフもカタコトで日本語を話す。日本の表参道にも出店しているし、旅行雑誌にも掲載あるお店で有名すぎる。ホノルルには何店舗あるのだろうか、あちこちで見かけたこのお店。気分のせいか、気候のせいか、表参道よりホノルルのパンケーキは美味しかった。パンケーキ一つ、オムレツ一つ注文。添えの現地の芋も日本にない味。レストランは2階、1階では販売コーナーがあり、ここのパンケーキの粉を買ってみた。私たちの隣でパンケーキを食べていたのは、制服を着た日本人の高校生の男の子ふたり。ひとつのパンケーキをシェアして食べているけど、まじめそうなおとなしいタイプの二人、声を掛けたら、高知の水産高校の研修船で数か月間、マグロを獲りながらハワイまで来たと言う@@ソチオリンピックも見ずに、ひたすら海の上だった彼ら仲間は30人くらいだという。ハワイは自由行動2~3日間で今日が最終日で、また明日から漁業研修しながら高知へ戻ると言う。ハワイでも宿泊は自分たちの船に戻って寝ると言う。食事はすべて自分たちが得た魚で、マグロばかり食べているので、ハワイではほかの食事がしたいらしい。「帰りも気を付けて、ガンバってね!」と手持ちの東京のアラレを渡したら、久しぶりの日本のお菓子だと喜んでくれた。日本の遠洋漁業を支える若者、がんばれ!
2014.02.27
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1月ベトナムへは成田空港出発だったが、都内の家からさえ午前の早い便は前泊が必要だった。電車も片道3000円くらいかかるし2~3時間かかるし、成田空港は遠い。で、どうせなら、今回は、羽田国際空港国際線利用で23時を回るJAL深夜便、パパは当日普通に勤務し、夕飯を食べてから家を出ても余裕だったから、早めに空港に行くのも苦にはならなかった。私もパパも新しくなった羽田空港国際線利用は初めて。深夜便て結構あちこちの便が多いから、飲食店も遅くまで開いていた。レストラン街に大きな雛人形、もう3月なのかと気づかせられる。時間があるのでラウンジに行くと、狭いラウンジは椅子が壁にずらっと並び、満員の搭乗を待つ人々。ハワイに向かう搭乗客は、若い人が多そう。日本は金曜の深夜、満席のJALは、ハワイ、ホノルルに飛び立った。座席はWEBで予約済み。三人掛けの窓側から2席。先ずは御手拭き、飲み物、軽い蒸しパンのサービスがある。到着時間2時間前に朝食が出た。昨年から、オーストリア航空、フィンランド航空、ベトナム航空利用したが、やはり日本の航空会社は、気分が落ち着くけど、なんだか海外に行くムードがない。(笑)すべて日本語ってのが一番なのだけど。
2014.02.27
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2014年2月、3泊5日、短期決戦のハワイより戻った。パパは2度目、私は初めての突然思い立ったハワイ、ワイキキ滞在、若くはないゆえ、浜の様子を偵察には行くものの、海や浜辺でまったりとすることはなくて、ショッピングエリアやスーパーマーケットをうろうろして過ごしたり、朝食、夕食とか、ビールなど飲みながら買ってきたアメリカ牛肉を調理したり、早朝5時出発ハワイでまさかのトレッキングで筋肉痛・・写真もあまり撮ってなく短い旅日記になりそうだが、記録として書いておこうと思っている~^^ハワイの観光客、ホント日本人ばかりのようなホノルルだった・・・そして、夕食をワイキキを離れた浜辺そばの日本人の少ない静かなホテルのレストランに出かけたら、偶然、、大物男性演歌歌手(私は「冬のリビエラ」が好きだ)にお会いしたり、テレビのチャンネルがショーゲキだったり、いろいろそれなりに面白い旅になった。ぼちぼち日記始めます^^v
2014.02.26
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2月、今年2回目の海外旅行へ。今回は3泊5日で夫婦で。パパは2回目、私は初めての ハワイ!アジアが大好きな私には、芸能人絶賛のハワイに行きたかったわけではなく、まぁ人生一度は、ハワイというところに行ってみてもいいかなくらいの場所。ところが、なぜか突然の諸事情があり、今年どうしてもハワイに行かなくてはいけなくなった。どうせ行くなら、冬でしょう、ということで。格安航空券は二人分だと安くはないけど、ちょっと、行ってきます。時差が19時間うしろに戻るのが、妙な気分。まったくの個人旅行なので、右往左往することになりそうな気配。あまり外食せずに、パパの希望通り、分厚い塊を買い、ひたすら部屋のキッチンで、アメリカ産牛肉ステーキを焼いているはず・・(ヤンパさん、どうよ、これ!)朝はパイナップルをブツ切りにしてるはず・・レストランめぐりの優雅な旅ではないハワイ・・せめて本場パンケーキ食べたいし、アサイーボウルも食べたいが。パンケーキの粉は買ってかえろう。帰国してまた旅日記始めます^^v
2014.02.21
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火曜日、青山(洋服の青山でなくて、渋谷の先の青山ね^^;)に用事があり、表参道駅で降りて用事を済ませ、表参道ヒルズ前を通り、神宮前駅まで歩いた。ヒルズの人気店、ポップコーンのお店やチョコレートのお店の行列がなかったので、不思議に思うと、表参道ヒルズの定休日だった。なるほど。なのに、いつも思うけど、歩道横にはいつもの若者がタムロしていて、いったいここでずっと座って、1日何をしてるのか謎だ・・・メンズファッション雑誌の取材みたいなのもやってたけど。ところで、表参道ヒルズ前で、私は声を掛けられた。フリンジ付のスェードジャケットを着たオダギリジョー風な細い青年と、横には、ベリーショートカットの冬には冷えるだろうと思われるミニスカートにタイツ女子だった。「あの僕たち、青山の美容院に勤める美容師なのですが、カットモデルを探してまして、お時間あればお話させていただきたいのですが・・」へっ??(えっ?でもなく、あっ?でもなく、へっ?がふさわしい)これが20代のお嬢様時代なら、私も少しウキウキでもしようが、この日の私はすでにどっぷり50代半ばなのである。茶色のストレッチパンツにベージュのダウンコート、白いカシミアマフラー、なにより、ほとんどBBクリームしか塗ってない顔に、薄いリップ、お手頃価格で買った黒のフレームのjinsのメガネ、そして前髪はワンレンショートだが、洗いぱなしのお手入れ不要だ。「急いでます」とノーサンキューで即、立ち去ったが、なぜおしゃれでもないオバちゃんに声をかけたか、とても謎だった。不意を突かれた感じで・・(笑)息子も20歳の頃、ここでカットモデルに声を掛けられたらしい。家族に話すと、パパは「美容院というところに連れて行かれ、高額な化粧品を買わそうとするキャッチじゃないのか」娘は、「もしかしたら、ダイエットのモニターじゃないか」息子は、「よほどそれまでに人に断れたのか、確実そうなオバちゃんにせっかく声かけてあげたのに、断られてショックじゃないか」とか・・・地元の友人に至っては、「私(50歳)さえ声をかけられたことがないのに、なぜちーこさんに?」とか。表参道に行き交う人々は、若い欧米人も多く、ホント、ファッション雑誌に載っているような若者が集まる。でも、地方から観光で来ている女子2,3人組とか、どこかでランチしてきた小中高の子供のいそうなお母様たちグループも見かける。そういうわくわく都会に憧れる時期を過ぎてから、東京で暮らす私には、地元で美味しい新鮮な食材に囲まれ、自転車でどこでも行ける日常の方が魅力的になってしまった。ただ、海外旅行だけは、地方よりたくさん航路があり、格安チケットや格安ツアーは魅力がある。数年後、地元に戻るころには静かで平凡な毎日が待っている^^V
2014.02.20
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東京にて、久しぶりに、映画ではなくて、韓国ドラマDVD全話(20話)借りて、毎日4話(8時間)くらい、ソチの時間と並行して深夜、一気に観ている。しかし、久しぶりの韓国ドラマも借りている都合上観るがあまりに定番すぎて、気持ちに勢いがない。ワケありな暗い過去、裏切り、身代わり、重なる復讐、恵まれない家庭環境、玉の輿、貧困と大金持ち格差、やくざな身内、裏金工作、ワイロ、買収、愛人、後妻、交通事故、記憶障害、大病、病弱な身内、殺人、会長の横暴さ、後継者問題、ツバメ(鳥でなくてね)、坂の上のボロ家屋、詐欺、暴力、拉致監禁、逃避行、アメリカ留学、海外ロケ(今回は日本の青森・・・)・・・すべてが入った王道の韓国ドラマは、展開のノロさと、これでもかという復讐の駆け引きのドロドロさと、悪人善人の顕著さ、もういい加減にしたらいいのにと叫びたくなる相手への執着!!主人公のカン・マル役のソン・ジュンギの色白でドロドロ復讐ものには不向きな童顔な顔に多少は癒され、弁護士パク・ジュナ役のイ・サンヨプの登場シーンがなんとなく好きになってきて、観ている。イ・サンヨプさん、清潔なイメージ、熱血なイメージで、今回、私の好感度上昇中!日本のオバちゃんひとりに好かれてもどうでもいいかもしれないけど・・・「優しい男」全20話 2013年放映在韓マダムの評判も良くて^^;ネットの口コミでは評判よかったのだけど、私は特別誰れのファンでもなくて、元恋人への執着と権力争いが主だったドラマに引き込まれないでいる。もう自分の気持ちにも韓国ドラマブームが終わったのかも。悪女ハン・ジュヒ役のパク・シヨン、ハン・ガインを思わせる顎の小さな洋風顔とセクシーボディ(直しているかどうかは不明)な女優だが、人気沸騰というわけでもなさそう。プライベートでは、昨年、向精神性医薬品プロポフォール常習投薬という事実で有罪になっている。顔もボディも薄い主人公ソ・ウンギご令嬢役ムン・チェウォンが悪役の方が面白いのにと思ったりした。主題歌を歌っているのは、JYJのジュンス、声が特徴あるので、すぐ誰か分かるが、暗いけど、いい歌です。追記悪役アン弁護士の風貌やしゃべりや立ち方が、私と全く合わないケチな義兄にそっくりで、徹底的強欲なところが、またまた義兄にそっくりで、笑えて、ひとりで受けている。オホホホ~週末出かける予定があり、観終わって出かけないともやもやするわ。
2014.02.19
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日本映画「舟を編む」2013年制作監督:石井裕也出演:松田龍平、宮崎あおい、オダギリジョー作家、三浦しをんの2011年ベストセラーを映画化。長年に渡り地味に取り組んでいく新しい辞書「大渡海」の編纂に携わることとなった新米編集者の青年を松田龍平が演じる。オダギリジョーなど個性ある編集部の人々とのエピソードと、宮崎あおいの板前を目指す下宿先の孫娘との恋を不器用でユーモラスに、そしてほのぼのと綴る。時代は1995年。電子辞書の普及がまだ浅く、携帯も新しい頃、長いスタンスで取り組む辞書編纂の行方は怪しくなるも、編集者たちの毎日の努力と熱意でとうとう発売されることとなる。華やかなファッション雑誌、週刊誌と違い、辞書つくりとは、果てしなく地味でコツコツで、それに日々没頭して、とびきりの熱意と真摯な態度が必要なのは、気が遠くなるほどでびっくりで。淡々と過ぎていく辞書つくりというストーリーの中、厭きさせないのは、馬締(まじめ)という松田龍平の演じるマニアックな青年の、不器用な恋の話が盛り込まれているからだろう。そして正反対の性格の少し軽めな情報ツウのオダギリジョー演じる西岡が、とてもホッとさせる。渡辺美佐子、加藤剛、小林薫、八千草薫と、名優を揃え、昭和の時代から今にかけて、時代の流れを感じずにはいられない哀愁ある映画だった。私は、オダギリジョーという俳優は好きだ。特に映画「ゆれる」が印象深い。風貌からいつも軽めの行き当たりばったり風若者を設定されてしまうけど、もっと違う役で観てみたい気がする。松田龍平は松田優作の面影を残し、これから楽しみな青年だ。すぐ手に入る情報時代の今がありがたいことは多く、それを毎日利用することが当たり前な今、昔から人が持っている、失くしてはいけないひたむきさを教わったような気がする。本当に地味な地味な映画に派手な展開や大きな事件を期待してはいけない。気持ちのゆとりがあるときに、そっと優しい気持ちで観てもらいたい気がした。
2014.02.18
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先週、欠航で翌日地元から戻ってきたが、東京は今週も雪のお天気。朝方から降り続いた雪は積もっていたが、べちゃべちゃした雪で、足元が汚れそうな感じ。雪から雨に変わるんだろうな。広島で注文しておいたプリプリ牡蠣が届き、昨日から牡蠣料理が続く。東京のスーパーで売っている牡蠣は、どれも残念で、買う気が起きない。今日は牡蠣のチャウダーにするので、吹雪の中、近くのスーパーに生クリームや青梗菜など買いに行った。お店の前まで雪が積もって滑りやすい。バレンタインデー、地元の友人が上京していて、前からお昼ご飯を食べる約束をしていた。八王子の息子さんのところから乗り継いで田園都市線で来るので、こんな雪の日はキャンセルかなと思っていたのだけど、ガンバってやって来ると言う!!で、約束通り、二子玉川で待ち合わせて、ベトナム料理のレストランで、フォーと生春巻きのセットを食べて、その後、チョコレートの巨匠ピエール・マルコリーニのカフェで、チョコケーキとコーヒーで、ゆっくり。デパ地下で、息子とパパにチョコパンとTOPSのチョコレートケーキを買った。雪がひどくなり、友人の帰宅に電車の運行が怪しいので、早めに別れて自宅に帰っていたら、地元の仲良しの友人がバレンタインのチョコを送ってくれていた。今週末も引きこもりかな・・・
2014.02.14
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「バービー」韓国 2012年制作監督:イ・サンウ主演:キム・セロン、キム・アロン、イ・チョニ韓国、田舎の浜辺の民宿、母を亡くし、知的障害のあるの父と小学生の姉妹のお話。知的障害のある父と病弱な妹と民宿をするスニョンの元へアメリカから父娘がやってくる。娘のバービーは素直なスニョンと友達になる。貧しい生活から抜け出したい妹のスンジャはアメリカに憧れている。どうしようもないチンピラな叔父がスニョンの父を騙して、お金のためにスニョンをアメリカ人の養女にしようとするが、スニョンは行きたくない。スンジャは自分が養子に行きたくて、画策して、とうとうスンジャがアメリカに行くことになった。しかし、アメリカ人父が韓国から養女を迎えるのには、大きな理由があった。憧れのアメリカ、しかしアメリカ、どうなんだろう。韓国の福祉の問題、家族の問題、アメリカの養子縁組、臓器売買、いろいろな思惑がそれぞれにあり、韓国の言う美国(アメリカのこと)は、もはや美しくもない。この映画のアメリカは、ひとりよがりで、サイテーの悪だ。韓国はそれでも美国にすがって生きようとする。迫真の演技が評判のキム・セロンちゃんは、ここでも、はかなくて健気で、一目を置く存在だが、本当の姉妹にあたる、妹役のアロンちゃんもなかなかだ。映画だからと突き放せない韓国の現状がリアルだ。アメリカ人の娘バービーは少なくても正義であったはずだが、子どもだということでなす術もなく父に服従する。韓国映画にみる貧困は、もしかしたら、国や周りがなんとかできるのではないかということが多く、その知識がなかったり、放任だったり、無関心だったりするのだ。日本もそうじゃないとは言えないし、いつも被害者は幼い子どもたちというのがとても悲しい。たまたまだが重いテーマの映画が続き、冬のどんよりとした天気と合わせて、気持ちが沈むので、次回はコメディでも観ようか・・・本日、バレンタインディ、チョコレートケーキでも買いに出かけようと思っていたら、朝から雪が降っていて吹雪いてきた。先週に続き、週末の天気のせいで、またDVDで引きこもりそう・・・
2014.02.14
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「さよなら渓谷」日本映画 2013年制作原作 吉田修一監督 大森立嗣主演 真木よう子、大西信満、大森南朋、鈴木杏私の好きな小説家吉田修一原作ネタバレあり!かなこ(真木よう子)は、夫の尾崎俊介(大西信満)と渓谷の静かな田舎で暮らしていた。ある日隣人の幼児殺害事件が起こり母親が逮捕された。のちに俊介がその母親と不倫関係にあり殺害の共犯者として警察へ。この事件を取材する雑誌記者渡辺(大森南朋)の聞き込みからかなこと俊介の関係が分かっていく。15年前に起きた事件からの出発となる。15年前に起きた事件、被害者かなこと、彼女に全てを捧げる加害者俊介との壮絶な物語。加害者が自分を罰し続けるには、被害者と居ることが条件。愛のない二人の関係に、いつの日か愛が生まれたら?ひっそりと生きる・・・それが二人のすべてだったのに、隣人の事件から、二人がクローズアップされてしまう。とても重い苦しいテーマで、秘密が明らかになっていくと、さらに苦しくなるという展開。ただ被害者の人生はこの事件から、もう幸せを手に入れられないと思わせるので、それも少し考える必要があるが、人生を狂わせるほど、加害者には後悔してほしいことである。真木よう子がとにかく暗いが、好演だ。この役を引き受けるのに、ためらったと聞く。作品の中で笑うシーンなどなかったように思う。過去を背負い、虚無感で生きていく女性、かなこ役の真木よう子の細さとまなざしに、それでも意志が見えた。それは、俊介と分れることだったのだけど。この映画は男性と女性で、見方が変わるように思える。かなり辛いながらもやはり観てよかった作品だった。吉田修一さん、作品に波があるが、この作品は優れていると思う。
2014.02.11
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友人と行ったベトナム縦断ツアー、短期間で南から北へと縦断したのは、帰国後もかなり疲れが残ったが、ベトナム、とても楽しかった。同じツアーで、どうベトナムが見えるかは、人それぞれで、友人も私とは違い、あまりベトナムの暮らしに興味がない。私は世界遺産よりもグルメよりも、人々の暮らしに関心がある。まずホーチミンに着いて、バスから見たベトナムの人々は、家や商店の前に、Tシャツ半パン姿で、まったりするおじさんたちと、路上で野菜や果物、または観光客向けにいろいろな手工芸品を売る女性たちだった。失業率50パーセント、就業してない、就業できない人々が多く、路上でふらふらするか、バイクでふらふらするか。女性はとにかく家族のために何かして働く。(これはどの国でも共通かも?)そしてベトナムで過ごすうちに、私が特に目についたのは、小さな労働者だった。私たちのバスに乗って補助する役目をしていた青年は、日本なら中学生高校生の15歳~18歳くらいだった。ホテルの隣にあった大きなスーパーマーケットで、カートを片づけたり、警備したりする役目をしている男の子は、ぶかぶかの警備の制服をきた小学生に見えて、驚いた。路上で果物やいろいろな物を売る女の子も10代だろう。旅行会社の係員は地域によって変わる。最初から3人目までは30歳から35歳くらいの旅の仕事にも慣れた日本語も堪能なベトナム人男性だった。最後のハノイの男性係員は29歳だと言ったが、仕事して2年目になろうとする。案内も日本語もぎこちなかった。彼はハノイ近郊の貧しい農村の出身だった。食べ物はなんとかなったが、ほかが買えなくて平均月収1万2千円~2万円くらいのうち、低い方だったらしい。4人兄弟で大家族で住んでいるが、生活は厳しくて、父親は若い頃からベトナム戦争もあり、軍役があったり、仕事を探して村を離れ、年老いて村に戻った。教育は義務教育はあるが、国の支援が全くなく家計を圧迫していた。小学校5年中学校4年制だが、学校は毎月一人3000円くらいかかる。貧困家庭ゆえ、長兄は小学校を卒業して中学校に行かず働いたそうだ。そして次の姉も中学校1年でやめて働いた。第三子の兄は、上の二人の労働のおかげで高校卒業後働いて、その後大学に行った。末っ子の彼も働く兄たちのおかげで、高校を出て中国、日本の工場で働いた。そして勤勉な日本人たちと日本企業に憧れて、3年働いたお金で大学で日本語を習った。大学生の時も、一生懸命働かなくては生活できなくて、ひとり暮らしのお金もなくて、片道2時間の距離を毎日農村から通った。そして卒業して、何件か仕事を渡り、今の日本の旅行会社ベトナム支社に雇ってもらったらしい。みんな早く働くものだから、平均結婚年齢は20歳~22歳。家族兄弟みんな助け合って一緒に住んでいることが多いらしい。彼も就職してからやっとお嫁さんが来てくれたらしい。そして村で両親、兄家族、姉家族と一緒に住んでいると言う。ベトナムの若い女性たちが今一番良い結婚として考えてるのは、10代20代前半で、裕福なお年寄りの外国人と結婚することらしい。そして10年~15年くらい外国で結婚生活した後や配偶者が亡くなった後、遺産のドルを持って親のところに戻ることが夢と思うらしい。30代で母国に戻れば、家族にもお金のある余裕の生活を送らせてあげられるという。事実、高齢のアメリカ人とか、老後を共にしてくれる若い花嫁を探しに来るらしい。結婚は、手っ取り早い貧困からの脱却手段で、愛情云々とか言ってる場合じゃないんだろうな。ハノイの係員の彼も高校を出て働いている時に好きな人がいた。でもその時彼の月収は1万円、夫婦で働けど今後の生活が苦しいのは見えた。その彼女は月収3万円の高校の先輩と結婚したという、辛い経験の持ち主。で、今は、月収3万円弱になったというので、バスの中で拍手した。私が見た小さな労働者の理由が分かった。賄賂が当たり前に横行する社会、警察官が賄賂を一番多く取り、警察官の子が警察官に、公務員の子が公務員にと、優秀でも賄賂の払えない農村の子は地位のある仕事に就けないそうだ。よくある社会主義国の現実。10代から路上で毎日野菜や切り絵を売り、商売人に小間使いで仕えたり、あるいは夜のお店とか、風俗的なことをして、わずかなお金をすべて家族の生活費に充てて、学校は通えなくても若くしてまた貧しい家庭を持つ。校庭でサッカーボールを蹴り、水泳や習字を習い、ピアノを習い、自由に友人と遊ぶ日本の小学生、親のお金で塾に通う中学生とのギャップが大きすぎる。せめて看護士や美容師や栄養士やなにか資格の取れる学校に行けたら、彼らの未来は明るいのになと考えたが、やはり問題は教育費がないこと。路上のベトナムの子供たちは、そういう夢さえ知らず、親に言われるまま、学校にも行けないで、日銭頼りに働くのだろう。選択肢がない。もっと田舎にいけば、もっと貧しく、ストリートチルドレンもいると聞く。ベトナムも子どもの教育を充実しなければ、大きな国の発展はないだろう。この家庭の貧しさをどのように克服できるのだろう。いろいろなシーンで私たちの旅に関わる小さな労働者たちにわずかでもチップを渡さずにはいられない気持ちになった。ハノイのフランス料理屋でベトナムワインを頼んだツアーの40代の奥様、ワイングラスの注ぎ方が悪いと、食事しながら文句を言っていた。私はワインボトルを持ってきてグラスに注いだ店員が、飲酒する年齢にもなってない男の子だったのが、気になっていたのに。日本人はアジアの国々でどうやら横柄で傲慢になっていく。海外旅行で観光して美味しい物食べて、楽しければいいのではなく、アジアの国々がお互い興味・関心を持ち合い、発展できたらいいのになと感じた旅だった。ベトナムにマクドナルドハンバーガーの1号店が出来たというニュースあり。塾の前にハンバーガーを容易に食べられる日本の子供と違い、ベトナムの子のあこがれの店になるだろう。追記ベトナム、特にハノイには日本、韓国、中国の企業が最近どんどん工場を進出させている。でも労働条件は日本が一番素晴らしく、1日8時間限定でお給料も良い。韓国、中国に至っては、1日10時間、12時間が当たり前になり、さらに残業手当なしに延長有り、給料も低いらしい。それでベトナム人はみんな日本の企業の工場で働きたいと思っている。ベトナム支社の日本人たちは現地のベトナム人労働者にも丁寧で紳士的と聞いて、誇らしくて嬉しくなった。
2014.02.09
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さて、ベトナムでの最後の食事。ハノイ中心街で、ベトナム風フランス料理というが、今までで一番さえないものだった。おまけに飲み物は、今までの最高の価格で、ベトナム人の良心を疑うものだった(笑)でもやはり、ベトナムとお別れは、ハノイビールで!!↑↑↑ 機内食店は音楽やら奇声やら、とてもうるさくて、となりの大きな部屋で、テト(旧正月)前のパーティなるものが若者によって行われていた。前にも書いたけど、ハノイ空港に着いたのは、出発時間の2時間前なのに、ベトナム航空はオーバーブッキングしていて、前日リコンファームしていた団体乗客にもかかわらず、座席がないと言われてしまう。並んだ前の4人組のオバちゃんたちはばらばらだけど、なんとか席確保。もう席はないと言われて最後の手続きが私と友人。まさかもう1泊ハノイかと、それもいいかなぁなんて思っていたけど、私は出国前に自分でウェブ予約で座席指定していたため(すっかり忘れていたが)、無事予定便で皆さんと帰国できることとなった。(笑)カウンターも混み、搭乗口待合室もすごい人々で、おまけに搭乗口変更もあり、アナウンスあって30分遅れの搭乗、友人と窓側並びにやれやれと座ったら、斜め前にベトナム乗務員に大きな声でクレームを言う日本人がいた。湯呑を強引に買った夫婦の旦那さんの方だ。座席中央4人掛けの真ん中二つに夫婦2人の席だったので、「カウンターで通路に席を取るように言ってOKと言ったのに、この席は違うじゃないか!!今すぐ通路の席に替えてくれ!!責任者を出せ!すぐ席を替えろ!」と日本語で叫んでいた。ベトナム乗務員も日本語の分かる係員を連れて来たり、カウンター係員も来たりしたが、オーバーブッキングだというのに、満員でどこに通路の席があるというんだろう。その夫婦とは搭乗口で「私たち本当はオーバーブッキングで乗れなかったかも」と立ち話したし、それに個人客でもなし、席のことは問いませんという団体の安いチケットで乗っているので、自分の希望通りにするのなら、この便は降りて自分でチケットを取ることだと私は思う。隣に座る奥さんも旦那さんに加担して文句を言い、さらにびっくりすることに、その後ろに座ったツアーの日本人70歳近い女性2人も4人掛け中央にいるので、自分たちも通路希望したらここになり、席が替われるんなら自分たちも替えてほしいと言い出した。とにかくベトナム航空乗務員に激しく攻撃するものだから、乗務員は顔を困惑させて見つめあい、時間がたつばかりだった。この日本人たちのクレームで飛行機の出発時間はさらに30分遅れているのだ。たぶん、その後「降りるしかない」と言われたのだろう、席はそのままで、ベトナム航空機は予定時間を1時間余り遅れて飛び立った。日本人の美徳とか、良心とか、気遣いとか、奥ゆかしさとか、謙虚さとか、もうすでに失っているのだろうか。友人は「このツアーで疲れているんだろう」と言ったけど、そういう時こそが、日本人の本来の姿なのではないか。揉めている最中、通路席にいる私が「飛行時間を遅らせてまでお怒りなら私が替わりましょうか?」と言おうかと思ったが、それはその分別あるだろう年齢の男性に恥をかかすか、失礼だろうと思ったから。いや、もしかしたら、「そうですか、それじゃ!」と夫婦で替わろうとしたかな。そして、後ろの席で便乗しようとしたオバちゃん二人組も、いい加減にしてほしいな、恥ずかしすぎるよ、日本人!ベトナムの旅の終わりに、何とも言えないサエないエピソードで締めくくってしまったよ。@@翌朝7時頃、成田空港に到着し、お疲れモードの皆さんは、言葉少なく、それぞれの場所に分かれていった。今回でベトナムの旅日記は終わりました^^お付き合いいただきまして、ありがとうございました。カム オン!!このベトナム縦断旅行、キツイ日程で、自由時間がなくて、全食事付きだったので、なんと、私はベトナムで一度もクレジットカードを使うことがなかった!!成田空港で、娘のCCクリーム一つ買ったあとは、ベトナム国内では日本で両替したベトナムドンと米ドルを使った。ベトナムは外国人だからなのか、勘定は米ドルで伝えてくる。ドンより米ドル優先という感じだった。ドンは果てしない0の数字に眩暈がするが、ドルなら円との比較が容易。買い物は、ベトナム刺繍の袋、クッションカバー、テーブルセンター、バッチャン焼きの額絵、カレンダー、人形3体(これが一番高価だったくらい)ベトナム菓子の土産数個 缶ビール5個、ベトナムインスタントコーヒー、絵葉書と、今までの旅行にはないお土産の軽さと、破格値だった!ベトナム、チャンスがあれば、もう一度行きたい!!!今度はハノイからサバ族とか会いに行きたい!
2014.02.08
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ハロン湾、静かに進み、船のデッキで景観を眺めながらゆっくりとしたひととき。途中、鍾乳洞に立ち寄るが、結構階段や坂道で、疲れがどっときた。山口の秋吉台鍾乳洞を見たことのある私は、断然秋吉台のほうが素晴らしいと思うが、やはりツアー客でそれを言っていた人がいて、うなずいた(笑)それに妙なライトアップとか、岩に目を付けたりとかリボンしたりとか、自然をイジっていて、それはダメだと思う。でもここを見つけた人はエライな!広い広いハロン湾のほんの少しの遊覧だけど、この自然の景観は、日頃の疲れを癒すのに、最適。ベトナムの旅は、ここハロン湾で観光を終わり、一度ハノイに戻り、夕食となる。もう宿泊することなく、帰国になるのだ。 鍾乳洞を発見した人は、下から2番目の写真にある穴から偶然入ったという。猟師が猿を追いかけてと聞いたが、ハロン湾に猿が??ハロン湾からまたハノイへ・・・広島の雪は止んだが、欠航になった。しかし振替するための電話がなかなかつながらず、今回マイレージで帰ったことが悔やまれた。
2014.02.07
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いよいよ最後の観光の地、ハロン湾、ここも世界遺産の景観。船乗り場周辺には、宿泊施設がたくさんあった。また、1泊3食のハロン湾周遊の船もあるのは、テレビで見た。私たちは弾丸ゆえに、昼食付3時間のコースでハロン湾を巡った。天気は曇り空から、少し日が差してきて、まぁまぁ。船が出発すると、エンジンのついた小舟が近寄り、窓を叩いて、果物やら食べ物を売ろうとする。水上生活者だと聞いた。しかし、帰国するのに、果物はお土産にできなし、買うことはできなかった。新鮮な海産物は、ここで買うと、船で調理してくれるというが、とても高価な値段だった。船でランチを食べながら、ハロン湾を眺める。続く~広島は昨日から雪、8日羽田空港へ戻る予定が、東京も雪、しかし、なかなか欠航の決定がない。広島空港まで、家から1時間以上かかるし、交通費もかかるので、空港着いて直前に欠航が決まるなんてことにならないようにしたい。潔く欠航にして!!
2014.02.07
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ハノイのホテルは、韓国系のホテルであった。デウーホテル。縦断の旅の最後の宿泊ホテルとなった。だから、韓国人の宿泊客が多かったので、朝食ビュッフェにはもちろん、キンパブとキムチがデーンとしていた。部屋にあった卓上カレンダーは、ベトナム人新進画家の絵のついたものだったので、部屋からフロントに聞くと5ドルで分けてくれるという。若いボーイさんが緊張して持ってきてくれて、チップを「YOU」と渡すと、丸い顔が緩んだ。ホテルの土産物売り場は8時くらいがオープンだが、私たち日本人は7時半の早い出発のため、早めに店を開けてくれ、私は水上人形劇の小さなお人形を買った。ハノイ郊外にあるバッチャン村は、ベトナムの陶芸村。ベトナムの陶器バッチャン焼きは有名なので、多くの観光客がやってくる。陶器製作工場見学ののち、販売所に行く。友人はバッチャン村の陶器を買う予定にしていた。友人の大学生の息子さんがベトナム一人旅で1年前に買ってきたものを足すらしい。ベトナムの物価にしたら、陶器の値段は安くはなかったが、友人はコーヒーカップ等揃えた。私はベトナムの風景の壁掛け20ドルをひとつ買った。販売所でツアーの定年夫婦が、小さな湯呑10個をすごく値切っていて、係のベトナム人の女の子は困っていた。「すみません」としか言わないので、その日本人奥さんは、会計所に持って行き、すごい形相で、さらに値切ったが、どの店員も顔を曇らせて「できません」と言う。うしろに並んでいる私にも困った顔とシラケたムードが伝わる。包んでもらってのち、その奥さんは強引に自分の言い値の額をバンと置いて立ち去った。店側の値段とその人の値切った値段て、200円くらいなのだ。日本人の200円と現地の200円は価値が大きく違う。「春にはフランスにも行くのよ」と言っていた上品そうなその奥さんの私のイメージはここで一気に崩れた。バスでその奥さんは買った湯呑のうち、もう一組の定年夫婦の分として5個渡していたから、一家100円くらい値切っただけのこと、楽しく買えずに何が嬉しいのかと反対に私がシラケた。ツアーの一コマ。
2014.02.06
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ダナンからハノイに入ったのは、やはり午後7時頃で、ツアーにはハノイ観光とあったけど、バスから車窓で名前だけ言われただけ。真っ暗な中、外はいったい何なのか分からないので、ハノイはもう一度来たいと思う。夕飯を済ますと、一番楽しみにしていた、水上人形劇鑑賞。でも写真を撮れないことになっているので、写真はなし。水面で愉快な人形が、ベトナム語で動き回るが、農民の生活を模したストーリーで、楽しかった。人形を操る人は腰まで池に浸かる。これは昔、農民が川や田んぼで始めた娯楽だからだ。人形劇が終わって、ハノイのホテルに入ったのが、やはり22時半。水上人形劇場は、小さな劇場だったが、楽しかったよ!
2014.02.05
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フエを離れてダナンに戻り、ダナン空港から飛行機で縦断最後の地、北部のハノイに向かう。その前に海鮮料理の昼食となった。ダナンの海沿いのレストランだった。隣は韓国人観光客向けレストランだった。(メニューにキムチが付いてるのかも?)また、中国人観光客向けレストランもあり、中国人は中国の習慣でテーブル回りを汚すので、国別に分かれているのはありがたい。波が高くて、海は少し荒れていたので、浜辺を散歩している人なんていなかった。最近ダナンあたりはリゾート開発が盛んのようだが、そううまくはいかなくて、工事中止したり、開発会社が倒産したりして、廃屋、幽霊ホテルも林立していた。欧米人向けの近代的な豪華なセキュリティ万全なホテル、中国人向けのギンギンのホテル、ベトナム人はそこでお客となることはなくて、どれだけの賃金で職場とするのだろう。。フルーツに塩と唐辛子が付いてきた。パインに付けてみたが、口に合わない。日本人は無理かも。
2014.02.04
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ベトナム4日目は、朝から小雨な少し残念な天気。でも一応冬ってことで、蒸し暑さはなくて、半袖にもう一枚羽織るくらいで過ごしやすい。南部は乾季になっているけど、1月上旬はまだ中部、北部は雨季の最後のシーズン。北部の雨季は3月半ばまでと聞いたが、南部のホーチミンの4~5月は、一年で一番暑くて大変な雨季が始まるので、ベトナム縦断には1~3月が一番良い時期だといえる。ご参考に!フエは世界遺産の街。雨のせいか、時間のせいか、足早に観光するが、フエはとても静かな落ち着いたところだった。目を見張るほどの豪華さはなくて、やはり日本的な落ち着いた美しさを見せるので、親しみがわく。ベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝、1802年にフエ政権を樹立。フエは当時の中国である清国を宗主国とし中国風の文化を培うが、途中フランスの占領下、フランス様式のものも見え始める。その後ベトナム戦争が始まり、フエは激戦区となり、現在に世界遺産に登録されている阮朝王宮をはじめ、多くの遺産が破壊された。雨の降る朝8時、まだ観光客の少ない静かな阮朝王宮を回る。ティエンムー寺 ↥↥↥この寺は王宮の外れにある。ティエンムー寺は7重の塔がシンボル。また祠の中には重さ2トンの鐘楼がある。カイディン帝廟 ↓↓1925年没のカイディン帝の墓所。ヨーロッパ風の高い塔、帝廟の前には兵馬俑のような兵士の像が安置。帝廟内部は写真や遺品、カイディン帝の像などが展示。毎日バスにはベトナム人の若いサポーターの子が乗っていた。雨の中、足元が悪いので、バスに乗りやすいように、足元に板を敷いてくれたり、手を引いてくれたり、至れり尽くせり、日本人観光客にサポートしていた。これには感動した。しかしこの時私の疑問が、最後のハノイの係員の話によって解決されたが、悲しいベトナムの現状だった。
2014.02.04
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夜7時過ぎ、フエに到着、すぐ夕食を食べて、宿泊ホテルに入る。レストランは「フエの宮廷料理です」と言う割には普通(笑)世界遺産のフエだけど、すでになくなってしまった王宮の、料理のレシピがきちんとあったのかどうか、調べてないけど。今まで食べた健康的なベトナム料理と差はなくて人参細工だけのもの。しかし旅行会社が食事料金をケチっているのかもしれないし、他にレストランに入ることがないので、比べようがなくて、どうだろね。ビールはフエの地ビール!いつもより早めの夜9時半にはホテルの部屋へ。ここのホテルは、ランキング上位の外も中もデラックスだが超近代的なホテル。海外でも国内でも、お化けがでそうなくらい古くても、ずぅっと伝統を守ってきたボロいホテルが好きなので、私的には残念。でも思うに、ベトナム戦争という悲しい歴史のある国で、なかなか叶わぬものなのかもしれない。次の朝はやはり7時半ホテル出発。ふぅ~!今回入ったホテル(ベストウェスタン フエ インドシン ホテル)には、日本人女性スタッフがいた。世界展開のホテルだけど、ベトナムといえど、ホーチミンやハノイでなくて、中部の小さな古都フエで働く彼女はまだ28歳らしい。笑顔のかわいいアオザイの似合う華奢な日本女性、パワーを持つ若さってうらやましいと思った。疲れのせいか、食欲が落ちた・・・(えっ?それぐらいがテキトーって?)
2014.02.04
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ホイアン昼食後も、観光地を15分くらい徒歩で巡る。福建会館のある中華街地区から庶民のホイアン市場まで。ただ素通りするだけが残念だけど、ホイアンからフエまでまた数時間のバスの旅が始まるのだ。団体旅行にはつきものの我慢のしどころ、「なぜいつも集合時間に集合場所に来ないのだろう、なぜ勝手に列を離れて迷子になり、係員が探しに行く羽目になるんだろう」(いつも同じ中年娘姉妹)ということがあり、日本人の良きところも失われつつあるように思うことがあった。、高速道路でフエまで入るが、山中を通るので、上り坂で渋滞し、予定より1時間近く到着が遅れた。積載量オーバーとみられる大型トラックが、カーブで横転し・・(@_@;)狭い高速道路の通行の妨げになっていたが、まわりをみても、どのトラックも荷物積み過ぎで恐ろしい光景。時間通りにいかないだけで、満足しないとね・・・あ~ホイアン、ベトナム語が分かるなら、3~4日居てもいいところだけどな。
2014.02.03
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ホイアン観光は続く。シクロを降りて、徒歩観光になった。日本橋(来遠橋)1593年、ホイアンには商業でやってきて住んでいる日本人が多く居た。日本人によりかけられた橋は、左右で日本人街と中華街とを分けていた。橋の真ん中に小さなお寺があり、船の航行安全を祈っていたと思われる。木造の小さな橋だが、ベトナムのここホイアンで日常利用され愛されている。フーンフンの家ホイアンの独特な邸宅建築の民家。200年前に作られた貿易商人の家で、木造。ベトナム式に加え、中国、日本の建築エッセンスが取り入れられている。街の通りを足早に回り、昼食のレストランに入った。下から4つ目の写真は、フランスパンにペーストを塗って揚げたもの。ベトナムにフランスのテースト。
2014.02.02
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ミーソン遺跡観光を終えて向かったのは、友人が希望していたベトナム中部のホイアン、欧米人からも人気のある街。観光地として、観光客向けのお店が並んでいて、物売りのオバちゃんたちもいて、とても綺麗な街だったが、生活感が薄い。手刺繍の工芸展示館に立ち寄り、シクロという自転車でこぐ一人乗りの車にみんな乗って、列になり、10分くらい観光スポットの地域を回る。終点は日本ゆかりの場所、日本橋。シクロのおじさんのチップ1ドル(105円くらい)は妥当だろう。あのミトーのボートの女の子に払ったチップ25円(統一のチップ)をふと思い出して切なくなった。1ドルを「ありがとうございました。サンクス!」と渡すと、おじさんは丁寧に両手で受け取って、お辞儀をして「マダム、サンキュー」と言った。私のペットボトルを買うにも満たない1ドル、物価の違いといえど、こんなに低姿勢で受け取ってもらえたことで、私は少し気持ちが熱くなった。昨年のオーストリアのレストランで言われた「マダム、サンキュー」とは、全く響きが違ったんだ。こういう一コマが、ベトナムの国民性なのだと感じた。さて、ホイアンは黄色い建物で統一され、色とりどりの提灯が飾られ、本当に情緒のある街だ。日本は馴染みが多く、世界大戦が始まる前は多くの日本人が居住していたそうだ。ツアーゆえ自由時間がなくて、素敵な雑貨屋や土産物屋さんに入れなかったのが残念だが、少し歩いて街を観光する時、街のムードを味わうことができた。街散策の途中に昼食となった。ホイアン観光 続く・・・
2014.02.01
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