2003
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イアン・ウォーレスが1964年にジャガーズから移籍したThe Warriorsでプロデビュー後、1967年夏にジョン・アンダーソンが抜けバンドが解散し、ウォーレスとギターのロドニー・ヒルはドイツの従業先でよく共演していたビッグサウンドへと加入し活動してました。ロンドンへ戻るとウォーレスはYESのメンバーたちと同じフラットに居候し、ウォリアーズとビッグサウンドの連合バンドはSleepyと名を変え、1968年には三枚のシングル盤を制作し、うち二枚が発売されていた事は当ブログでも以前に取り上げました。その後ウォーレスがサンデイ・ショー他いくつかのバックバンド仕事で糊口をしのぐ中、解散直前のボンゾドッグバンドのギグを手伝ったり、その縁で1970年春には元ボンゾスのヴィヴィアン・スタンシャルの企画盤シングルで叩いたり共にラジオやテレビに出演しました。秋にはニール・イネスのザ・ワールドでも活動していましたが生活は苦しく、その頃キース・エマーソン宅に居候してた縁でキング・クリムゾンのオーディションに紹介され無事ドラマーとして加入が決まると「やっとこれで食える」と安堵した話がありましたねw毎度のごとく前書きが長ったらしくなりましたが、その過程の彼の活動で不明だった1969年のセッションワークの一つがこのサンディ・ショーのアルバムだったそうです。私は最近知ったのですが、以前からとっくに知ってる方もいらしたそうでw いやはやまだまだ判らない事が色々ありそうです。SANDIE SHAW - REVIEWING THE SITUATION (1969) (2004リマスターCD)今回入手したのは2004年再発CD。オリジナルジャケットと少しデザインが違いますが、オリジナルLPが1万越えでとても買えないので安いCDを買いました。このアルバムでのイアン・ウォーレスのクレジットは珍しくフルネームのイアン・ラッセル・ウォーレスとなっておりました。他の参加メンバーを見ると68-69に在席してたスリーピーのメンバーから、ロドニー・ヒル(ギター)とジェフ・ピーチ(木管+ブラス)も参加していてコーラスでもウォーレスとピーチがクレジットされてます。レコーディングがアビーロードだけあって音質はクリアでとてもしっかりとしております。イアンのドラミングは1969年という年代らしいフィルが出たプレイ。サウンド全体も60年代末の時代の響きがそのまま詰め込まれた好きな人にとってはたまらない作品だと言えるのでしょうね。再発CDは特に高値でもないので探せば割と入手しやすいと思います。
Apr 30, 2018
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DGMによるとキース・ティペットが肺炎となり合併症で心臓発作などに苦しんでいると報じられています。現在は小康状態で自宅に戻られてるようですが、肺炎は気を抜くと重篤化する怖ろしい病気です。DGMでは彼の作品購入リンクで売上が100%彼に渡るとして、ファンに購入が闘病中の彼への支援になると呼びかけています。DGMLIVEの該当記事中に購入リンクがありますので、当サイトからもリンクを貼っておきます。https://www.dgmlive.com/news/Help%20Keith%20Tippett一日も早い彼の回復をお祈りいたします。※買いましたw
Apr 28, 2018
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SONG TO SOULがまたやってくれました。ELPのタルカスが特集放送されます。番組には、今や唯一のELPメンバーのカールの他、リック・ウェイクマン、リージャクソンらメンバー所縁の人物が登場するそうです。楽しみですね♪番組サイトhttp://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/
Apr 27, 2018
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アラン・ホールズワースメモリアルビデオが公開されてます。
Apr 26, 2018
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ジョン・アンダーソンやイアン・ウォーレス、後期にはブライアン・チャットンといた1960年代のバンド、ウォリアーズ。その未発表曲のアセテート盤が現在ユーチューブ上に突如公開されてます。毎度の如くいつ消えるか判りませんので、お聞きになられる方はお早めに。Unreleased 1965/66 UK Mod Freakbeat Acetate by The Warriors pre - Yes, pre - King Crimson.レーベル面で見る限り曲のタイトルは、RUN TO ME のようですね。今回も@starlessmatsu様に教えていただきました。ありがとうございます。
Apr 26, 2018
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イアン・マクドナルドの現在所属しているハニー・ウェストのライブ映像が公式アカウントにより公開されてます
Apr 25, 2018
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新入生への部活説明は二年生の御役目の巻古書街は色んな人が訪れる街
Apr 25, 2018
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今年1月ロンドンで行われたボートショーにアンドリュー・マカロック氏が姿を現したそうですね。それもただ現れただけでなくトークショーの舞台に立たれて、ヨットの話やギリシャの島々の魅力を語ったそうです。残念ながらその時の様子を伝えるレポートや映像・画像は一切見当たりませんが、唯一一枚会場で取られた写真がありました。ほぼ10年ぶりの彼の姿です。実際このイベント告知では最近のヨット指導者としてのアンディの姿も掲載されてたみたいです。日本でのボートショーや東京五輪にもぜひ来日していただきたいものですねw
Apr 18, 2018
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余り自身のアマ時代からの音楽歴について詳しく語らないアランでしたが、数多くのインタビューの内世界的に知名度を得始めた70年代後半のものの中には珍しくその歩みを語ってたのもありました。今回はそれらを端的にまとめた拙ツイートから再掲載です。Q、ギターを始めたのはいくつ位から?アラン「16か17の頃、最初はどこのか判んないギターで次がヘフナーのプレジデント(写真)」Q,最初のバンドは?アラン「生まれ育ったブラッドフォードのセミプロバンドで労働者相手のクラブなんかで演奏してたよ。」(写真はおそらく当時のバンドMike Judge and The Jurymenだと思われる)Q,その後は?アラン「その後はサンダーランドやマンチェスターとかいくつかのバンドで3年やってたよ。」(ミュージアム、イギンボトム、グレンサウスバンド等か)Q,ロンドンへはいつ?アラン「組合の巡業で知り合ったアルトサックスのレイ・ウォーリーから電話があったんだ。まだやってるかってね。昼間は工場で働いてると言うと、いいからロンドンに来いって。それで少し地元で頑張って72年彼の家に居候したのさ。」Q,ロンドン出てからは?アラン「レイにあちこちのクラブに連れていかれて、お小遣いももらって色んなミュージシャンに紹介されたよ。幸運な事に誰かがジョン・ハイズマンに僕の事を教えたみたいで電話があったんだ。そして入ったテンペストは僕にとって最初のプロバンドとなった訳さ」Q,その後のソフトマシーンは?アラン「テンペストを離れた後ミュージシャンユニオンのクリニックに出る事になった。そしたらソフツはギタリストを丁度欲しがっていて、一緒にリハをやろうって電話してきて。それで彼らの曲を教えてもらって演ったんだ。」Q,あなたのスタイルに影響を与えた音楽は?アラン「元々音楽に溢れた環境に育ち、サックスソロに感銘を受ける事が多かったんだ。ギター始めてからもそういったトーンを得たいと思ってたね。よくあるマシンガンサウンドとは対照的な流れる水のような。そういうのが好きだね。」補足:アランがロンドンで一躍有名になったロニー・スコッツでのギターフェスティバル。同じ舞台にいたのはジョン・ウィリアムスとバニー・ケッセルでアランの稲妻の様な運指にケッセルは感銘を受けたと出ている。71年だの72年だのハッキリしてなかったが72年9月で結論が出た。やはりロンドン上京後。ケッセル「君はどんな弦を使ってるんだ?」アラン「普通ですよ」ケッセル「どうやったらあんな奇妙な音になるんだ?」その後のジョン・ハイズマン「噂を聞いてアラン・ホールズワースを呼んだんだが、10分やっただけでコイツで正解だと思った」以上、一周忌メモリアルとしてお送りしました。
Apr 17, 2018
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画像を貼ります(またかw)Juryman時代18歳でローカル紙に載った時の。たぶん1965年前半。イギンボトム1968-69の何時頃かは不明ですが少なくとも冬ではないwUKBruford自転車w
Apr 16, 2018
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今回はちょいと関係性がややこしい作品です。ゴードン・ハスケルが1970年代中期、マイケル・アリソンとピート・シルズの二人とCSNスタイルのボーカルグループとしてレストランで歌って日銭を稼いでた頃、アリソンとシルズの二人は3人で録ったデモテープをクリフ・リチャードの元へ送っていたのでした。 そのテープを聞いたプロデューサーのブルース・ウェルチは楽曲の起用を決定し、1975年9月と12月にレコーディングし翌76年にアルバムは発売されてました。 デモテープ作りには参加したものの、ハスケル自身が書いた楽曲はデモにしてなかったそうですが、ウェンブリー・スタジオで行われた最初のレコーディングではアリソンとシルズの書いた6曲でハスケルはベースで、ドラムスにはその頃一緒に活動していたジム・ラッセルが当初参加していたそうです。スタイルの違いからかラッセルは途中で呼ばれなくなり、ウェルチはシャドウズのメンバーを招集した様なので、あくまで初期段階のヘッドアレンジという事だったのかもしれません。 アルバム用の録音は場所をエアースタジオに移し行われ、全く別のメンバーで制作となりハスケルの演奏はアルバムには未収録となりました。画像はリマスターCDの物です。クリフ・リチャードの周辺のセッションについては、英国に専門サイトがあり、50年以上の膨大な活動記録の詳細が出ているのですが、すべてが詳細に出ているわけでは無かったので、このアルバムについては疑問が多かったのです。今回リマスターCD購入で制作時のデータから本式の制作にハスケルは関わらなかったことが確定しました。彼が自伝で書いていたレコーディングはあくまで仮のものであったといえるのでしょうね。また本作にはMISS YOU NIGHTSという楽曲を当時26歳の新人SSWだったデヴィッド・タウンゼンド(少し前にマイケルジャイルズ参加LPを本ブログでも紹介しました)が提供していますが、それもカセットに録音されたデモテープだったとCDに記載されてました。スマッシュヒットした同曲によりDタウンゼンドは業界に注目され、その後のアラン・パーソンズ・プロジェクトへの参加となったのかもしれませんね。アルバムに収められたアリソンとシルズの共作曲は表題曲を含め計4曲でしたが、その後もクリフに楽曲提供をしています。クリフとスタジオではレコーディング実績の残せなかったハスケルでしたが、その後アルバムのツアーで1977年オランダなどをまわっておりました。計12週間のツアー参加では日本にも来ていたとハスケルは自伝で書いていたのですが詳細は今のところよく判りません。もしそれが事実ならば、ハスケルの初来日はクリフの来日公演となります。1977年に山口百恵のアルバム制作等JOE関連での来日は二度目の来日となりそうです。いかんせん40年前の事ですので色々調べてもなかなか当時の情報が見つかりませんが、当時のゴードン・ハスケル氏がどのような活動をしていたか、このCDのライナーによりその一端が判りました(演奏は入ってませんがw)。最後に以前もご紹介しましたが。1977年秋にクリフ・リチャードのツアーでベースを弾くハスケル映像をもう一度リンクしておきます。Cliff Richard ..... Gospel Concert De Doelen 1977年10月24日
Apr 14, 2018
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今回初めて知ったシングルですが、ハスケル氏が「唯一金のため書き下ろした曲」と称したジョークソングです。歌うは英国のコメディ俳優ジャック・ダグラスだそうで。B面にはハスケルのセカンドアルバム収録曲Bennyがインストバージョンで収められていたようです。Jack Douglas - Don't Forget The Beer, Dear / The Douglas Walk (1978)
Apr 12, 2018
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もういい加減マイケル・ジャイルズがセッションした作品は全部網羅しただろうと思い込んでいたんですが、まだありましたw 一体どんだけこの方セッションやっていたんだかと。ということで今回ご紹介するのはデヴィッド・タウンゼンドの1978年作。この方、主にアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加されたことでも知られるシンガーソングライターさんだったらしいです。それ以前としては1975年にクリフ・リチャードのヒット曲ミス・ユー・ナイトの作者として一躍知名度を得ていたようですね。でこのDタウンゼンド唯一アルバムでマイケル・ジャイルズ(Michael Giles)は計4曲でドラムスを叩いています。他有名どころの参加者は、モーリス・パート、モ・フォスター、レイ・ラッセル、BJコール、グラハム・スミス他実力者ぞろいで、マーキースタジオとエアースタジオで録音され、エアーでミックスダウンされたそうです。LPジャケット裏面には各曲ごとに参加メンバーがクレジットされています。※裏面画像をクリックすると別タブで画像が拡大されますのでそちらでご覧くださいw※ジャイルズ先生が叩いているのはA-4、B-2,3,4の4つの曲。彼らしさのあるタイトでキメの細かいプレイが楽しめます。主役のタウンゼント氏はほとんどの曲で様々な鍵盤を弾いていますが、あくまでAOR調のSSW作品なのでプログレを期待しても全く無駄ですwB1曲なんかじゃメロトロンまでクレジットされているんですけどねぇ。あくまでもドラムサウンドのジャイルズ節をファンは堪能してください(?)もちろんDタウンゼンドさんのジェントリーヴォイスが大好きなのよ!という方にはそういう楽しみもあるのでしょうけれども(そっちの方が正当じゃねーかとは突っ込みご無用w)。アルバムは40年経った今も中古で入手しやすいようです。大ヒット作でもないのが影響してかあまり聞きこまれていないいい状態のが割と中古でも出回っています。あくまで購入は自己責任にてよろしくお願いします。買った後になって文句を言われても当方は何とも致しようがありません。今のところ何か引っかかる部分が無いかなとレコードをひたすら聞きこんでるところです。B-1は当時シングルカットされてたようですね。今も英国のEbayに出品があるのを確認しました。繰り返し聞いて個人的に気に入ったのはドラマティックな展開のB3とジャイルズの変則プレイが聞きものになるB4。他の曲も派手さは無いが結構作り込まれている印象です。アラン・パーソンズ・プロジェクトがお好きな人には魅力的に聴けるかもです。
Apr 9, 2018
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2018年11月から約一カ月に及ぶ来日公演が発表されました。一般チケット販売は6月2日からだそうです。詳細は以下でご覧ください。キング・クリムゾン | UNCERTAIN TIMEShttps://www.creativeman.co.jp/artist/2018/12KingCrimson/
Apr 4, 2018
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1981年に一度発売中止になったアルバム「タモリ3」は、その後権利関係の調整で正規発売まで大分待たされましたね♪発売まですったもんだがあった為か、タモリ3が発売された時の帯には「お待たせしたかいがありました!!」の一文が添えられておりましたねw体育マットがあるとプロレスごっこしたくなる人がいましたねw大事なレコードは気安く貸し出してはいけませんw
Apr 2, 2018
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