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私は病院で外科医をやっていた17年間、亡くなった患者さんの死亡
診断書はすべて自分で書いていました。通常、自分の勤務時間外に
患者さんが亡くなると、当直医や同僚に死亡診断書を任せます。でも、
私はそうしませんでした。
めったにない家族旅行中、患者さんが亡くなったという電話をもらい、
死亡診断書を書くために、新潟の宿泊先から群馬の病院まで、家族が
眠っている間に高速道路を往復したこともありました。自分の患者さん
を最後まで診るという、医師としてのプライドや責任感があったのかも
しれません。
当時、私は、病院での看取り方に違和感を覚えていました。どうして
亡くなる人に「心電図モニター」が必要なのかと疑問に思っていたのです。
亡くなりそうな人は、まず個室に移されます。相部屋で同室者が亡く
なるシーンを見せないためです。個室に移された患者のベッドサイド
には、心電図モニターが設置されます。重症患者や集中治療室の患者
ならもちろん必要ですが、これから亡くなる患者になぜ心電図モニター
をつけるのでしょうか。単なる習慣です。
亡くなるとわかっているのに、あくまで「死」はタブーであり、死ぬ
まで重症者扱いされるのです。「もしものとき」「急変」に備えて、
厳しく管理・監視されます。これから亡くなるのだから、「もしものとき」
でも「急変」でもありません。起こることはすべて、死に向かうプロセス
にすぎないのです。
ベッドサイドにモニターがあると、家族は患者本人を見ないで、
モニターばかりを見ています。そして、モニターが止まると、医師が
呼ばれて心音と瞳孔反射を確認し、家族に「ご臨終です」と伝えます。
すると家族は、いっせいに泣き出す……。
いったいなんの儀式なのでしょうか。当時から心電図モニターは
「医師と家族による単なる儀式」にすぎないと感じていた私は、外科医
になって10年目から、自分の患者さんには心電図モニターをつけるのを
やめました。
その後、在宅緩和ケア医になり数々の死を見てきた私は、この儀式を
本当に不毛なものだと感じています。死んでから泣くのではなく、生き
ている間に「これまでありがとう」「大好きだよ」と言って、泣いて
あげればいいのに。
意識がなくなるまで「頑張れ」と言われながら亡くなっていく、そんな
看取りにずっと違和感を覚えていました。
「日本はそういう文化なんだから仕方がない」先輩医師にそう言われた
こともあります。でも、その文化のせいで哀しくつらい死があるのならば、
そんな文化を変えたいと当時から私は思っていました。

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さそい水さん