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別府タワー カボスジュース 孔雀 人工スキー スワン いか ねぶた 東レビル バンクーバーポリスカー バンクーバーホテル 渓谷 神戸屋上
2005.12.31
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山口百恵が引退したのは、21歳の時だったのだなあ。その後のスターといえば、松田聖子であったが、なんと、年の差は3歳だったのだなあ。 まあ、そんなことはさておいて、年賀状を作ってなかったので、急いでプリンタオンすると壊れていたので、急いで、家内制手工業に切り替えたが、もはや長らく字を書いていないので象形文字に拍車がかかってすでに、線文字B近くになってしまった。夕方から悪戦苦闘しているが、出来上がらないので、もはや半分諦めている状態である。 まあ、そんなことはさておいて、従兄弟に子供が産まれたのでおもちゃでも買わなくてはと思い、トイザラスにてあれこれ見ていたが、私が子供の頃に比べたら隔世の感である、といいつつ私には記憶はないので、写真で見る限りにおいてである。神妙な顔をして、おもちゃを真剣に押している紳士を傍から見るとおかしく見えるのかも知れないが、私は決して自分で遊んでいるのではなく、子供の為に吟味に検討を重ねているのである。 まあ、そんなことはさておかないで、話を戻すと、年賀状を作るに於いて、今年何をしたか、今年の日記を遡って飛ばし読みしたので疲れた。その結果分かったことは、その日にあったことや時事的なことがほとんどなく、別にその日の日記でなくてもいいじゃん(横浜弁風)ってことであった。まあ、そりゃ、一介のリーマンに毎日めぐるめく経験や体験があるはずもないのであるが。それにしても今年も極悪日記ありがとうございました。今年のベスト10は、ファーストクラス震災10年スマトラバスパノラマ現象近所案内中国パリドライブ実家キャンプファイヤーと思っていたら5月で10まで行ったので@終わり。よいお年を。
2005.12.31
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鎧を身に着けたサーバントを雇うことにした。小天守閣頂上。いつもは、公開されていないそうであるが、大天守閣が工事中で、景色が見えないため、申し訳程度に小天守閣を公開してマッスということである。ここの入場料の切符売りのおばちゃんは、私の気持ちを察して、お釣りを先にくれた。私は、機転を利かし、その入場料-お釣り分の代金をお釣りを添えて渡してみた。漫才のようである。 小噺のようである。「ねえねえ、1万円貸してくれないか?来週倍の2万円で返すからよお。それまで、質草でこの時計も預かっといてくれよお。」「いいよ。ハイ、2万円。」「ありがとう」「ところで、来週2万円も返すの大変じゃない?」「そうだよねえ」「じゃあ、2回に分けて、今日、1万円返してくれて、来週1万円返してくれたらどう?」「それは名案だよねえ。じゃあ、ハイ、1万円」「ありがとう。じゃあ、来週1万円ね、バイバイ」そんな感じである。松山城には、3分で到着するリフト又はロープウエイが便利だ、が、たった3分である。何故、若さみなぎった私が大枚片道260円を払って乗る必要があるのか。そんな訳で、東京から来たと思われる先程、市内で地図を見ていた若人女性2人組のロープウエイ組を天守閣で抜き去り、そのままぶっちぎっていった。痔ビールというのは、凡そ高いものである。しかし、清水の舞台を飛び降りる思いで、温泉後に店に入ったのである。大変な混みようで、私以外に客がいなかったことは、多少気にはなったが、漱石ビールという860円500ミリリットルのビールを注文。窓越しにNHKが取材のために女性ベックの観光客をナンパしているのが見える。権威を傘に立てて偉そうである。何だったら俺様をナンパしてみな、身持ちの固い私は0.5秒でお断りしてあげるよ。と思いながら5分程度でビールを開けてしまう。空虚が店内を漂った。ぎやまんの庭に着てみたが、一部はガラス展示準備中であった。しかし、入場料は同じであった。入場料は、250円が妥当だと感じたが、4倍もした。観光客を舐めているとしかいいようがない。ましてや、私は伝道者であるににである。江戸時代からのガラス製品を展示しておる。ぎやまんとは金剛石のことのようである。スワロフスキーシャンデリアっつうことです。道後温泉天井。道後温泉正面 道後温泉横道後温泉に入らずして、ドコに行こうということで、温泉に突撃した。実は、道後温泉は10数年前に一度密かに訪問しているが、この建物と、更衣室しか覚えてなかった。1時間以内に出てくださいと案内がるが、実際は何もタイムキーパーされていない。そして、ほとんどが地元のじいちゃんばあちゃんにより占められており、なかなかいい感じである。更衣室に入ると100円でロッカーに預けるようになっているのだが、地元やり手じいちゃんが存在しており、「にいちゃん、奥のロッカーはただでっせ、えっへへへへ」と純朴なアドバイスを頂いた。親切なものである。次に入ってきた観光客にもそのじいちゃんは「おっちゃん、奥のロッカーはただでっせ、えっへへへへ」と言っていた。私は、自分がまだにいちゃんであることを認識した30代後半の冬であった。 湯は、かなり熱く、チョイ温泉フリークを再開した私としては、猫肌なので、温泉に入場してから出るまで20分を要した訳である。坊ちゃん列車 に乗らずして、松山に来たと言えるのか、という疑問を呈しつつ、乗ることもなく、下記普通のチンチン電車に乗った。どこまで乗っても150円である。1日乗り放題券は300円であるが、憎い設定である。3回は乗ることもないという奴である。ところで、ここにはぼっちゃんやマドンナ、赤シャツに扮したボランティアの人々がいるのであるが、どういう訳か観光客は、彼ら彼女らと一緒に写真を撮らずに、彼ら彼女らに写真を撮らせていた。こんなことでいいのであろうか。まあいいであろう。個性化の時代だ。個性化の時代といいながら、中流意識を植え付けた企業戦略にまんまとはまり、「皆が持っているから」という理由で購買力をそそるといった時代は、なんやかんやいっても、まだ続くのであろう。何が個性化や、ちゃんちゃ笑っちまうぜよ。チンチン路面電車はひたすら多く走っている。憎い料金設定とは近鉄の特急のようである。近鉄の特急は酷いのである、ほとんど急行と所要時間が変わらないのに500円ぐらい取るのである。メリットは、支線への乗り継ぎがすべて特急到着にあわせていること、トイレがあることである。今は知らないが煙草もかつては吸えたような気がする。500円であれば、酔っ払った時や、ぎりぎり急行に乗り遅れた時に、迷ってしまう金額設定である。憎いよ。勿論、阪急も阪神も京阪も山陽も特急に別料金なんか取るはずがないのである。
2005.12.30
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1990年代より、常時車を渋滞させ、エビやマグロを世界中からかき集め、全世界の、3,4割を独占し、森林伐採で各国の自然を破壊しながらも、世界旅行に1000万人を越える日本人が出かける中、国内旅行に控えめに控えるという臆病者としての私は、朝から松山に勝手に出張してきた。工事中の主守閣、管理事務所のほうが立派に見えるところが多少シュールレアリズム。勿論、そうだからといって、ちゃんと入場料を値引きしてくれる訳ではない。松山城について万能塀も多少馬鹿殿を演じている。ラフォーレ原宿を模してラフォーレ松山・・・・何故なんだ。こういうのを植民地奴隷主義ちゅうのだろうか。セイセイドウドウとバンコクのニセ丸井のように、ビルぶっ建てたほうがよっぽど気持ちいいぜよ。松山には、生粋のネオン街がある。ネオン街入口の看板がお洒落。温泉大規模ホテルが建つようになってから、浴衣姿の人間が街を闊歩することがなくなり、寂れ鄙びた感じがシブイ。ネオン街入口には、やり手ババア(死語に近いか)が獲物を見るような目で鋭い眼差しエールを私に投げてきた。私はキャッチすることが出来ず、苦笑いで状況を誤魔化した。私の人生のようである。バー、シスター、いつかはいってみたい。姉妹合わせて130歳はいってそうである。俳句ポストが各地に設置されている。さすが、正岡子規の世界である。私の頭の中には極悪で字余りの俳句ばかりが量産され、できれば、有害図書ポストも横に設置して欲しい程だ。ガラス枕という作品あり。解説には、職人が頑張って作ったが、実用には程遠いとのこと。常識を超えた発想に発明があるのだろうか。苦笑してしまう私は凡人である。ハレンチヘアカット・・・きっと有名店なのであろう。カットしてもらうと髪型が猥褻物陳列罪になるのであろう。自動販売機も商魂逞しく自己主張を激しくがなりたてている。目覚めよ!新しい人。先日、長崎空港グッバイコーナーを紹介したのであるが、ちゃんと松山空港にもグッバイコーナーがあった。しかしながら、それは携帯電話で行われていた。時代だねえ。金かかるねえ。丸虹(丸紅にあらず)
2005.12.29
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3回目から20003回目までの望年会詳細は、紙面の都合上省略させて頂いたのであるが、忘年会という言い方、その年が良かろうが悪かろうが、忘れてしまおうぜって魂胆なんだろうか。暗澹たる気分になる危険性を孕んでいることに薄々気がつき始めた年頃。昨年と同じ店に行った。勿論、昨年の猛省の件はとっくに忘却の彼方である。 1皿9900円の肉を食った。人間コンピュータ実利主義といわれた私の瞬時による計算によると、一切れ600円である。それを6人テーブルであるから、一人1650円である。つまり3切れである。即ち、食道通過速度0.5秒で咀嚼時間4秒肉の口内体温による溶解度も鑑みて、5秒×3切れ=1650円である。見苦しい計算は得意なのかも知れない。しかし、人生の計算や異性への計算はスコブル鈍く、恐らく頭の中はシナプスの代わりに真空管回路もあると予想される。 どういうわけか、それほど酔った訳でもないのに、店を出ると、高級なものを早食いしたせいか、胃が高級肉に慣れていないのか、エグゼクティブらしく、気分が悪くなってきた。そんな訳で、皆さんは2次会3次会と流れ、高級肉で潤った胃袋を、1杯290円のチューハイで薄めてしまう姿を尻目に、鶴橋駅より急遽自宅に帰還した訳である。 朝起きても、二日酔いではなかったということは、恐らく、胃袋の神が、肉を体内に温存せよという指令を出したのであろう。 先日、偶然、テレヴィで高校生駅伝を見た。何を隠そう、私も高校生の時は駅伝ランナーとして、市大会で上位6位までしか行けない県大会への出場を2回果たした訳であった。高校の頃の全国大会での歴代優勝最高タイムは2時間8分台であり、当時の瀬古俊彦選手が一人で走るのと変わらないという時代であった。大人ってすごいのだなあ、とつくづく感心していた時代であった。 兵庫県は報徳学園と西脇工業がいつも熾烈な全国トップレベルの争いをしていて、全国大会入賞より県大会で優勝する方が難しいといわれていた。 高校一年の時の兵庫県の出場校は西脇工業であった。全国大会では7区ラストランナーが私と同じ1年生であった。彼、B君は、中学生の時から有名で、彼の父が私の父と同じ勤務先であること、私が3歳の時に引越しをしなかったら、彼と同じ中学に通っていたかも知れなかったということで、父でさえ彼の存在を知っているという有名人ぶりであった。 6区のトップで帰ってきた千葉県のランナーとほぼ同時に2位でやってきた西脇工業。それを見て「B君は高校1年の5000メートルで夏の全国大会で2位の実力であったから、解説によると、千葉県のランナーも1年生らしいので、余裕だな」と思ったのであるが、解説は続いた。「千葉県のT選手は夏の全国大会で1位でしたからねえ。B君も2位なんで1年生対決微妙ですねえ」 5キロ、二人は併走し、手に汗を握ったのであった。 競技場でB君が千葉県を僅かな差でかわしたのであった。翌年は、報徳が全国大会に出場した。報徳には、中学校の時の後輩N君がいた。N君は中学校1年のときから全国大会に出場していた。その時1500メートルの彼のタイムは4分19秒。(私がそのタイムを切ったのが高校2年であった。それでも、市大会で予選落ち)N君と走っていると、つくづく才能なのだなあと思わざる得なかった。N君の活躍もあり、そのときは大会最高記録の2時間5分台をマークした。当時の大人の世界最高マラソン記録より速かった。(今は2時間4分台) 昨年の高校生駅伝のタイムが2時間1分台という脅威のタイムだったのだが、今年は5分台であった。まあ、そんな訳で、手に汗を握る即席テレヴィ中継鑑賞会であった。 自宅近くの夕暮れ
2005.12.28
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世界石油紛争→原油の高騰→アラブマネー→日本への株式投資→日本の株式回復?1,2,3,4,5,6.片方しかない靴下数えました。人生初めてのことで恐縮だが、そしてよくあるギャグでもあるのだが、トイレに行って、用を終えたとき、ついついよそ見をしていた。そしてジパーを閉めた。ウォオオオオォォォ~。イデェ。実家に突然数ヶ月ぶりに寄ったら誰もしない。文明の利器携帯電話で居所を尋ねると、河口湖やといわれた。医大なる良種様が帰ってきたというのに。しかし、心優しいアナック(息子さん)は、秘密の場所から鍵を抜き取り、不法侵入してみた。私以外、誰も懐かしくない風景。かつての私の部屋(現在、母の絵手紙作業スペース)春にはツツジでピンクに。秋は紅葉となるが、登山してみると、やたら土力が弱くなっており、結構木が剥げていて、岩肌が見えていた。 岩肌は悲しい。まるで、年老いた白髪の印毛のようだ。反対側からは海が見える、筈であったが、前に家が建ったので、見えなくなっている、時の流れは無情なものだ。
2005.12.27
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2005.12.26
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分からないもの理解のできないものは、怖いもんだよね。江戸時代の人間が現在にタイムスリップしたら、飛行機を見て腰を抜かし、電車や車をみて腰を抜かし、テレビやパソコンを見て腰を抜かすだろうなあ。まったく理解不能なものだから、怖くて逃げ出すだろうなあ。逆に、亡霊なんかは、割と、「あっ、それ幽霊ね」なんて既知のものとして平然としていたりしてねぇ。 そういえば、フィンランドは森と湖の国。「精霊がね」というのは日常会話の中で頻繁に使われていたわなあ。 未来も訳が分からないから怖いもんだけど、最近の事件もよく分からないし、理解不能だから怖いよねえ。ただ、あんなけ幼児の虐待や殺害がテレビ等のマスメディアで発表されていて、根本的な解決法も示されないし、分からないんだけど、兎に角ニュースなので、垂れ流し続けるんだよなあ。もしかして、いじめがあればいじめの報道があり、さらにイジメが増える、自殺が報道されれば更に後追い自殺が増える、少年が人を刺す報道が続けば、更に人を刺す少年が増えるの法則と同じなのかも知れない。幼児のニュースが下火になれば、次第に件数も減ってくるのかも知れないなあ。勿論、マスコミに悪気はあまりないんだろうけど、いつの間にか扇動しちまっているんだよなあ。 何だろう。幼児が殺されました、というニュースが繰り返し流されれば、日本に住むほんの数人や数十人の視聴者にピピッと、幼児を殺すという部分だけに何かが刺激反応するのでしょうか。それは脳の病気なんかねえ。受け手側の自己防衛だけではムツカシなーの問題でしょうねえ。 ところで、いつも不思議なことだなあと思うことは、世の中不思議だらけで、今日は1例を挙げるに過ぎないのだけれども、ウイスキーなどのミニチュアボトル集めている人いないよねえ。私自身は、何のコレクターもしてないし、残念ながら整理ができないので、コレクター資格やコレクター認定書を持ち合わせていないんだけど、世の中、いろいろミニチュアを集めている人はいるんだよねえ。ミニってのは、基本的に可愛いものであったり精巧に出来ていてシブイものであったりしたものであるんですが、あのホテルに置いてあるミニチュアボトル精巧に出来ているのに何でか人気がないような気がする。希少性もないし、今更舶来のありがたさはないけども、何となく裏悲しズムがあるとは思うのだけれども。でも、あれ瓶じゃなくってプラスティックのもあるんだよねえ。去年、とある極秘でもないけどルートで数十本仕入れたんだけど、速攻で飲んで、空き瓶は速攻で資源ごみと化し、速攻で捨ててしまったんだよねえ。悲しいなあ。
2005.12.25
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18歳、まず、高校を卒業した瞬間に原付の免許を取った。取ってからすぐに、RZ50を買いに行った。 勿論、中古である。ある年式以前のものは、速度リミッターがついていなかったから、古いものを買いに行ったのである。勿論、最大の問題は金銭的な問題であったのではあるが、それは愛嬌というもの。 今はどうか知らないが、当時は原付の法定最大速度は30キロであった。30キロといえば、高校以前まで私が自転車立ち漕ぎ速度でもあった。それゆえ、法的に信号無視できる自転車のほうが原付より早いというマニファクチャーのメリットがあった。 中古バイク屋で、勢いよくバイクを購入した私は、店員に「運転できますか」と言われたが、「勿論です」と気の弱い私は答え、ギアチェンジのやり方が分からず、店を出て次の信号で早速、プスンプスンとやってしまった。私は、1速から順番にギアを上げて行くことを知らなかったし、1速と2速の間にニュートラルがあることを知らず、歩いて家に帰る方が早かった程である。それで、家の裏にある分譲住宅予定地で、徹底的に運転の練習をしていたが、その乗り方がシロウトゆえ、素人らしい運転であったので、速攻で見回りのパトカーに盗難品と間違われ、職務質問され、散々疑惑疑獄をかけられた。私の爽やかなルックスをもってしてやっと開放された午後の昼下がりであった。 しかし、それから警察との存在の絶えられない程度の確執が始まったのであった。 私は、音が五月蝿いのはとても忌み嫌うのであるが、そしてダサダサの服や、団体で走ることは嫌悪するのだが、スピード感だけは、何となく暴走族に共感を覚えてしまう気もしていたのであった。そんな訳で、リミッター解除された原付は最高105キロまで出るのであった。そんな訳で、暇さえあればというか、ずっと暇だったので、暇を見つけては原付に乗って、いろんな道を走った。幼い頃、学校の帰り、あらゆる道を寄り道して、なかなか家に帰らないウロウロ病の行動範囲が広がったようなものであった。 そして、ついに、スピードオーバーで捕まった。50キロ以上オーバー、免停90日である。白バイのあんちゃんは勝ち誇った様に「このメーターを見ろ」と言った。私は負け誇ったようにうな垂れた。 その後、2年程度経過し、この人にあげた。 時代は変わってきた。暴走族は、団体の厳しい師弟関係が忌み嫌われ始め、ばらばらになり、走っていても、その姿を見せたいためか、やたらゆっくり走るという状態だ。運転中の携帯電話は禁止されたが、ハンズフリーならOKだ。集中力がなくなるのでは同じなのであるが。それにナビは禁止されていない。勿論、ナビを見続けて運転するのは違反になっているが、警察がそんなこと確認できるはずがない。ナビゲーションシステムは警察OBがからんでいるので、こちらは禁止されることはない。 ところで、仕事柄、カーシェアリングをちょっこっと調べたことがある。なかなかいいシステムである あんか480円。
2005.12.24
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エッフェル塔に行って来た(嘘)。勿論昨日ではない。前に行ってきたのは半年前だ。朝の9時だか10時だかにオープンなのに、20分前に到着した。そして、開店したのは、時間に厳格な国民性を反映して(嘘)9時20分だか10時20分にオープンした。エッフェル塔には時々自殺願望者が鉄塔によじ登り、「死ぬ死ぬシーぬ」と叫ぶ風物詩がある。その度に特殊隊員が出動するのだが、本日はそういうことはなかった。エレベータで上がっていくのだが、エレベータのボタンを押す係員が、中年の男で、ばっちりシブイ背広を着込み、これからデートだもんねボクといった感じのアランドロンなのにはしばし驚いた。フランスは職人の国である。この道何十年というウエイターやギャルソンが飽きもせず渋く働いているお国柄でもある(多分)。7区。何故朝っぱらからエッフェル塔を散歩していたかというとホテルエッフェルに泊っていたからだ。(嘘)エッフェルのある7区のプチホテルに泊っていたので、歩いて3分でエッフェルを眺めることが出来た。7区は比較的住んでいる外国人が多い感じであり、食事に行っても英語が通じるのである。7区にはロダン美術館がある。ロダンは嫉妬しいで、弟子(愛人)のカミーユクロデルの作品をぱちったり、最終的に精神病院に送り込んだりした鬼畜でもあった。写真の中央に流れるのは、あまり有名ではないかも知れないが(嘘)セーヌ川である。その両脇に1,4,5,6区がある。1区、そこにはノートルダム寺院があるが、そのすぐ近くに最高裁判所があり、その中に家庭裁判所があるという。家庭裁判所、パリのカップルの2組の半分が分かれるといわれる。ここにお世話になる人々はかなりの割合になるのではないかと予想される。 4区、フランス人の4割が、イエスは神ではないと答え、5割がイエスイコール神であると答える。4区とは関係のない話だ。5区、6区は紙面の都合上省略する。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。 そのロダン美術館の横にあるのが、ナポレオンの眠るアンバリッドだ。金色のドームの建物である。わ、狂った。 その横にあるグリーンの敷地は士官学校である。勿論外人部隊はいない。7区には、世界最初ともいわれるデパート、ボンマルシェが出来た場所でもある。デパートの設立とは、定価制の設立でもあったといえよう。そしてこのマルシェこそが、バーゲンを生み出したのであった。 凱旋門があるのは8区である。不在のものしか人は想像できないと、プルーストは言ったが、彼は、生涯のほとんどを8区で過ごしちゃった。失われた時を求めて執筆で有名なコルクの部屋・・。・・・。そんな訳で時間がきたので、その他の区はまた2,3年以内に紹介したい。勿論ちゃんと取材旅行に出かけるつもりである。(文責口だけクラブ代表) この前、秘密であるが(嘘)東京タワーにも行って来たのであるが、このエッフェル塔ができてから70年後に建てられて、高さは333メートル。エッフェルも320メートルあり同じようなものであるが、鋼材の総重量はエッフェル塔の半分であるにも関わらず、強度は2倍である。70年の間に構造の進歩と、材料の進歩があった。 駅からの道程が真夜中のように車が走っていなかった。この鋼材、エッフェル塔ではなく、おそらく物干し竿であると推測される。それも公道である。
2005.12.23
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電気アンカは、家電製品店では500円程度で売られていたりなんかする。実は、アンカという言葉を知らなかった。小さい頃、電気毛布に寝かせてもらえない年頃の頃、母親は、「おこた暖っためているから」といっていたので、てっきり、おこたというのかと思っていた。30年以上も母に騙されている単純計算である。漢字で書けば、行火である。シブイ漢字である。 昔、南のビーチでフラフラになりながら、飯を食っていた。私はしばらくスプーンを眺めていたが、前にいる人に、話しかけた。「なあ、これってスプーンっていうけど、もしこの名前がサルルリゲラっていうとすれば、何か不思議じゃない?世界がコペルニクス的転回にならない?」 我々は、一通り、笑った後、彼が言った。「なあ、ゴリラって名前、ホンマにゴリラっていう感じやなあ」 我々は、一通り、笑った後、私が言った。「なあ、出手人って漢字で書いたら簡単やけど、しゅつでにん、って変やなあ」 我々は、一通り、笑った後、再び珍しくお喋りになった私が言った。「なあ、ミジンコ湯原ってさ、三原順子やな。言葉は不思議だね」 テーブルの間に置かれている透明の花瓶にボウフラが1匹揺ら揺ら動いていた。我々は、静かにソレを眺めていた。沈黙が訪れた。沈黙を破ったのは、またしても私であった。「ボーフラはみんな生きている~。生きているから嬉しいんだ~」再び沈黙が訪れた。
2005.12.22
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イギリスにいる妹から「この前にイギリスとパリに来た時のお兄ちゃんが写したお母さんの写真をメールして欲しい」という依頼があった。任せておけとばかりに、パソコンに死蔵してあるロンパリの画像を見たのだが、母の写真が一枚もない。勿論、自分が写った写真もない。 もう長い間、人物の構えた集合写真を撮ったことがない。私の自慢は、今までVサインをして写っている写真がないことでもあった。 最近は、人物の写真が多すぎる。昔は、そんなになかったように思う。アジアなどの片田舎に行くと、ずっと昔に撮ったたった1枚の家族写真や自分の幼い頃の写真を大事に持っているのをみて、持ちすぎるのもなんだかなあ、と思った。 考えてみれば、家族4人で写った写真は、上高地で中学校2年の時にタクシーの運転手に撮ってもらった写真だけである。 阪神大震災で、神戸の湾岸部も壊滅的な影響を受け、ソレを期に神戸製鋼や川崎製鉄といった臨海工場地帯が住宅やシネマコンプレックス、美術館、防災センター、健康ランド、大手家電店へと変わっていった。昔、父に、灘区のほうに、給料を貰いにいくからといって、車に乗せられてついて行ったことがある。どこかの入口に、ちょっとまっとけや、と車に置き去りにされ、守衛室をくぐっていった。 お金が入ったので、帰りは何処かに寄ってお菓子かジュースでも買ってくれるのかと少し思っていたが、ガソリンスタンドに寄っただけであった。 子供の頃、選択幅が多過ぎるというのは、実は不安定になりやすい傾向がある。これしかない、といった方が精神的に健康でいけたりなんかする。 目の前にある現実を対応して処理していく訓練が必要だ。臭いものがあれば、お香で匂いを誤魔化すよりも、臭いの元をたたんでしまうことが大切だ。しかし、これがなかなかできないんだよなあ。
2005.12.21
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本を買うも、家は寒いし、家まで3分もかかるので、マクドナルドに入り、100円コーヒーを頼み、本を開く。いつも100円バーガーを頼んでみたくなるが、未だ、一度も頼んだことがない。今年の総括として、ハンバーガーは2回食べた。一度はシアトルの空港でバーガーキングをキメタ。もう一回は成田空港でドナルドをキメタ。たまに食うと旨いハンバーガー。ハードロックカフェで1500円ぐらいするハンバーガーを今まで10回程度食べたことがあるが、ドナルドバーガーは安い。何ヶ月か前に「スーパーサイズミー」という映画を観たが、その影響からか、紙のナプキンの後ろを見ると、食品標準成分表が記載されていた。何故かコーヒーも7キロカロリーあり、0カロリーの商品はソウゲン美茶オンリーであった。カロリーチャンピオンはポテトのLであり、529キロカロリーとなっている。 ところで、来年はお得な年であるそうだ。なんと、元旦の8時59分だか9時だかが61秒もあるといううるう秒の年だそうである。といってもここ6年ぐらいはなかったが、以前は毎年のように調整されていたようである。きっとパソコンの時刻も勝手に合わせてくれるであろう。でないと、秒刻みの過酷な私のスケジュールに支障をきたすからね。これでも、どんなに酔っ払っても、睡眠薬入りジュースを飲まされても、気がつけば、1日まるまる過ぎ去っていたという経験はないからね。まだ朝と夜の9時を間違えたことなら2,3回ある程度だからね。 これでも、私は、愉快なことに、数カ国の言葉なら10数程度の単語を知っている。ローズの複数をロージーズって言うって可愛くないかい?ありがちなパターンなんだが、今日、横に座った取引先の彼、給料はパートナーに召し上げられ、へそくりもなく、共働きのパートナーの収入と貯蓄は秘密にされ、スズメの涙のお小遣いに涙し、ひたすら将来の展望を語らず、何かに耐えている。でも、私はそういうことができないから金がないんだろうなあ、とも少しだけ思った。きっと彼の収入は私と変わらないのに、昼食散髪込みの彼の小遣いは35000円。私の月間本代は35000円だ。私はどうしたらいいのだろう。なーんちゃっての最終電車であった。
2005.12.20
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・ ・・山沿いは雪である。 現在の赤いサンタクロースの衣装は、コカコーラ社が宣伝したもので、商業主義から生まれたものであるが、それが、今や全世界の共通のスタイルになっていることは周知の事実である。 フィンランドの北極圏上にサンタビレッジというところがある。自家用車で真冬に連れて行ってもらったのであるが、マイナス30度では、どの車にも、何かバッテリーの線みたいなものを(何ていうのだろう)家から引っ張ってきていて、一発でエンジンがかかるような仕組みになっている。ロヴァニエミの街から8キロの郊外にある道は、車通りもほとんどなく、昼間だというのに、1日中夕暮れのようであり、陰鬱なイメージがある。 雪の中に閉ざされたサンタ村は突然現れ、子供を中心とした人々で割りと賑わっていた。ここからはいよいよ、先住民族サーミ(昔のラップランド)人の本拠地である。サーミはスエーデンノルエーフィンランドロシアの北部に住み、狩猟や漁労、トナカイの飼育で、かつては移動生活をしていた。国土の明確化により、移動も制限されるようになり、サーミ人も労働者やサービス業に転化されていき、言語を話す人も半分程度ともいわれており、何となく、アイヌと共通するものがある。早く、北方領土をアイヌに返還してもらいたいものである。それにしても、首都ヘルシンキからすごく吹雪いているのに、北部ロヴァニエミ行きの飛行機は平気で飛んでいくんですよね。まあ、冬はずっと吹雪いているから欠航にしたら、毎日欠航になってしまいますけどね。 ところで、フィンランド語でクリスマスのことをヨウルという。各家庭ではクリスマス料理として保存のきく料理を食べる。厚切りのハムや、塩漬けのサーモン、ジンジャークッキー、おかゆのようなもの。そういったものを食べる、というより、飲む飲む飲む。酔い覚ましには少し外に出るだけで酔いは一気にクリアリィー。おかげで1週間の滞在で、オーロラをみる時間もなかったよ。 私の北極圏での目的は2つ。オーロラを見ることと、サウナでぎりぎりまで我慢して、雪の中につっこみタクをとること。結局ひとつしか達成できませんでした。川の水の温度が,大気の温度より随分高ければ水蒸気に。
2005.12.19
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2年程度で計算は合わないが、1000件目の日記になった。 ミュシャを催していた。1年ぶりである。ミュシャの絵は観ていて楽しい。 知人に子供が産まれたということで、夜、見に行くことにした。(翌日に続く)
2005.12.18
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某年会は今年あと2万回程度残っているが、まあそれはいい。今日は、梅田は新地、某大手広告代理店の接待で、帰りにタクシーチケットをくれた。エグゼクティブなので、断ってもよかったのであるが、断り切れずに、紙切れを貰った。早速神戸の自宅に帰るともりで、タクシーに乗った。「京都の祇園に行ってくれ」タクシーは大阪京都を行き、昔読んだ「その年の冬」立原正秋を思い出した。流れ行く景色に、ほろ酔い気分が心地良かった。祇園といっても行き先がないのがエグゼクティブの定めだ。おまけに、大阪より、盆地はよっぽど底冷えしているので、コーヒーを一杯飲んで、阪急電車に乗ったのであった。 エグゼクティブには貢物もいっぱい集まる。ほぼ100パーセントの人々が、私に貢物をしても何の役にもたたないことは分かっていない模様である。しかし、靴下は役に立つ。普段は分厚い靴下を履いているが、薄い靴下をたまに履いている私を見たら、それは多分、私である。 エグゼクティブは人生や生き方には優柔不断であるか、または、何もしないでやり過ごすのであるが、物を買うのは早い。即決である。背広は3分以内に買うのが信条である。車は、他人の車を運転させてもらって、そのままディラーに行って、「これ下さい」と言った按配だ。しかし、車を買うときって買う決断をしたとき、何と言うのだろう。ショールームに入って目的の車を見つけたら、これ下さいというものなのだろうか、よく分からない。よく考えたら車の他人の決定する瞬間をみたことがないので参考にならないのである。住まいは、紙面で間取りと建物の外観と家賃を見ただけで決定した。カッターシャツに至っては、神戸の西のアウトレットであるポルトバザールで一気に20枚購入した次第である。おかげで5年間カッターシャツを買う必要がなく、無駄な時間を過ごさずに済んだと言うメリットがあった。ちなみに1枚500円であった。ただエグゼクティブのあざといところは、「で、これなんぼにしてくれるん?」ということである。それはエグゼクティブの特性でなく関西人の特性かも知れないとも思う。(さすがに紳士なのでシャツは値切らなかった)しかしながらエグゼクティブが半額になった200円台の弁当を買うときは、さすがに30秒ぐらい悩んだりもする。肉があまり入ってないことをチェックしているっという理由もあるのだが、もしかしたら、知らないうちに栄養価をチェックしているのかも知れない。取り留めのないことを書いているのは、京都から大阪40分、大阪から神戸に20分という電車酔い野せいかもしれない。本当は京都から自家用機ボーイング777(座席数オーバー500席)で帰ってくるともりであったが、今日はフォッカー50(座席数50席)しかないと執事がいうので、仕方なく電車で帰ってきた次第である。明日は酔っ払っているので、午前中はゆっくり寝たいため九州旅行は中止にすると今決断したのである。今日こそ正しいエグゼクティブの方法を伝授しようとしたが、またロイヤルエグゼクティブの話を取りとめもなく酔った中、へなちょこ文章を書いているのであった。
2005.12.17
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私も、コーヒー男である。コーヒーは1日20杯ぐらい平均して飲む。世界貿易で石油の次に取扱量が多いのはコーヒーである。そんな訳で、今もコーヒーを飲もうとしたが、豆が切れたので白湯を飲んでいる。 部屋の温度は3度ぐらいであると昨日題目に書いたが、そのため、部屋の中でも外といる格好をしていて、コートやジャンパー等を着ていたりなんかする。勿論、布団の中ではコートを脱ぐことにしている。そんなわけで年間を通して電気代とガス代が毎月1000円台である。ひとえに、家にいるのは、不愉快空間システムを採用しているので、家にいるときは、本を読んだふりをしているか、パソコンをいじって秋葉しているか、布団に入っているかで9割を占めていると推測される。勿論、布団からは大型14インチのテレビを用意しているが、テレビとはつながっていないので、DVD専門のモニターという優雅な位置づけを獲得している。しかし、寝転がって見るので、映画を最後まで観る確率は30パーセントを越えることはない。映画が終わっても、音楽はなっていたりするので、悪夢にうなされる確率も約10パーセント程度ある。 昔は、結婚もしていて家族数が二人という大所帯であったので、ガス代も冬にはオーバー1万円であった。戸建に住んでいたため、自分の体を温めるより、部屋を暖める方が高くついたのである。ガスストーブも持っていたのであるが、急激に暖まるだけでなく、急激にプチ一酸化炭素中毒になり頭がぼーっとするという副次的メリットもあった。 今は、居住者が約半数に減ったため、部屋の大きさもそれに合わさずに1/4になった。何と言っても集合住宅になったので、入居の時にはオンドル又はセントラルヒーターが完備されていると勝手に思っていたので、何の冷暖房器具も持たずに入居したのが痛かった。しかしながら、家の前のドブ掃除をサボって近隣から白い目で見られたり、回覧板で「最近、家の前の溝を掃除しない人がいます」と地域中に言いふらされて恥をかくこともなくなったことは大いに賞賛されることである。 食事は、以前はよく作っていたのであるが、徒歩2分にスーパーという大型冷蔵庫を完備しているため、閉店間際の残り物弁当半額で買ったりするため、夕食が200円から300円で済むことも多い。スーパーにはワインセラーも常備しているので、結局は2000円ぐらいの豪華な食事に変貌することもたまにはある。たまには外食としゃれ込むことはあるが、おごられ以外には居酒屋に行くことは滅法なくなってきた。普段の食事は質素極まりないものにし、ここぞというときに多少高くても旨いものを食うのである。問題はここぞというときがないくらいなものである。 超高級車に乗っているのであるが、それに乗って古本屋や100円ショップを巡るアンバランスさに甘んじている。しかし、私の夢は運転手付の車であるので、多分、次の車はタクシーになると予測される。温泉には最近また行きだした気配はあるのであるが、家ではシャワーオンリーなので、水道料金は基本料金を越えることがないと推測されるが、基本料金がいくらか分からない。しかし、神戸市の水道代はかなり高いという噂を聞いた。確かに2ヶ月で2000円台というのは、大変高い。いずれにせよ、ガス料金は何故か自動引き落としにしてあるが、その他はコンビニ払いである。何故なら、早期徴収とかんとかいって、1ヶ月ぐらい早く徴収し、インフラ会社はその金利の利ざやを稼ぐからである。自動引き落としにした方が年間安くなるよと誘惑もしてくるのであるが、面倒なのでそのままにして、そのまま、支払いを忘れ、そのまま催促されるのが通常のパターンである。ガス代にいたっては、引き落とし口座にいつも、金が入っていないので、(入金の全くいない死蔵口座)毎月、未引き落としの催促がきて、そのたびに、入金に行くのであるので、コンビニと全く変わらないという錯覚に陥っている。 ところで、エグゼクティブな手法を書くつもりが、ロイヤルエグゼクティブなことばかり書いてしまっっテイルような気がしてきた3度の部屋であった。私の家に人、入り過ぎのような・・・
2005.12.16
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鼻毛に白髪が混じってくるモジモジした年頃、物思いに耽る夜中のコペルニクス。 昔、大阪ミナミののインド料理屋に行った。私の隣には、何故かお見合いに挑んだカップル。男はノリノリだが、女性はあまり乗り気ではなく、早くこの場から逃げたいわオーラを発信し、私にまで届いてくる程度であった。インド料理屋の作法として、手で食べ始めると、その隣の女性の目が点になり、私の仕草を固まりながら見ていた。益々、ハイテンションの男性の話をそっちのけにしてしまい、無言で人のお見合いを潰すのに貢献してしまった。 アホみたいにこの優雅な画像作って遊んでいたら、えらい時間かかってもたので、今日は早々に書くのは終わり。以上。
2005.12.15
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くじら料理である都築響一の本は良く見るのである。忘年会1日目である。鯨ハリハリ鍋である。うんちくはないのであるが、エグゼクティブな男ばかりが集まれば、飯を食いながら、当然、ウンコネタである。いかに我は自宅に帰るまでウンコを我慢したか。いかに我は電車の中でウンコを我慢したか。いかに我の知人はエレベーナー内でウンコを漏らしたか。いかに我はウンコを想像を絶する場所で脱糞したのか。料理がまずくなってしまうのは当然のことである。ウンチクはないのであるが、IWC・国際捕鯨委員会では、日本沿岸のミンククジラ、ニタリクジラ、マッコウクジラの5年間捕獲禁止が決議された。 5年間といいながら、現在に至るまでこのモラトリアムは解除されず、日本の大型鯨の商業捕鯨は全面禁止の状態にある。理由は、「クジラは絶滅の危機に瀕している。」 「国際社会のなかで日本人が嫌われ者になってまで捕鯨を継続するメリットがない。」 「クジラなど、日頃、食べていないから今後も必要ない。牛や豚で十分ではないのか。」 「クジラたちは、かしこく、心の優しい、清らかで聖なる動物である。汚れきった現代社会に生きる我々日本人がこれを殺して食べるなどもってのほかである。」といった簡単なものである。食っているのは、試験的に捕獲したものである。インド人はアメリカに対して神聖な牛を食うなというべきでるし、イスラム教徒は不潔な豚を食うなとアメリカにいうべきである。我々はノルウエーと共にガンバラなければならないと鼻息を荒くして、第一回忘年会は終了した。昼間のことであるが、大阪市中央区の堺筋外れの本町通にある昔ながらのアイスクリーム屋を懐かしく発見。10年前に何度か来たことがあるがここのアイスクリームはうまいが、オヤジが頑固である。早々にアイスを食って出て行かなければ怒られる。長居していたと思われる高校生カップルが頑固親父に怒られていた。不憫であった。小遣い少ない高校生が青春の一時を、アイスクリーム屋で粘って一時間のうちに恋物語を展開しているのである。混んでいたとはいえ、その高校生カップルに同情をせざる得なかったという苦い想い出が蘇ってきた。その光景を見てから、そこでアイスを食べることはなくなってしまったのであった。
2005.12.14
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当り前の話であるが、今いろいろ問題になっていることでもあるが、安全管理とコストダウンは別次元の問題である。 某2大日本の航空会社の飛行機に乗っている時、客室乗務員の方々が非常にマメに動いて、いろいろ注意を払って懸命である姿を見ていた。安全事項に対してかなりの多くのマニュアルが存在しているのだろう。シートベルトの確認から上部荷物入れの確認、足元に荷物がないかの確認、シートを倒していないかの確認、その他目に見えないところで多くの確認作業が慌しくされていることだろう。その割には、残念なことに、最近は少しニュースにならないが、よく問題を起こした。何故ココまで一生懸命やっているのに、と眺めていたら、もしかすると、確認マニュアル事項が人間の基本容量を超えているのではないかと思った。そしてコレだけは他は忘れても、必ずしておくという重要事項優先順位が多少おろそかになっているのではないかと思った。おそらく目に見えるのは安全確認だけだが、安全以外の確認事項も多すぎるのではないか。飲み物の補充はされているかとかトイレは綺麗になっているかなど。そういう小さな命に関わらないミスでも、反省会などで減点主義による注意を受けているのではないかと、勝手に推測すると不憫になる。 ドアだけはちゃんと閉じられているか、それだけはあとは忘れてもそれだけは確認すること、など単純化できないものかと思った。 温泉プリンを食べた。プリンを食べているのは、子供と女とロイヤルエグゼクティブぐらいなものだ。しかし、私は普段はそう簡単にはプリンを食べないが、温泉という文字に騙されてプリンを食ったら、結構いけたので「ウマイ」と3回呟いたのである。そこに、たまたま居合わせたおっさん団体旅行客のおっさんの一人が、「俺も、プリンなんか何十年も食べたことねえけどよお、なんかおいしそうだなあ。ちょっと食べてみるか」といい、とプリンを買いに行った。そして、プリンに似つかわしくないことを大いに自意識して、何度も言い訳してプリンを食べていた。まわりの同行おっさん団体旅行者のおっさん達もそれに触発されて、皆、言い訳をしながら、プリンを食べていた。知らない間にプリン屋に貢献してしまった。温泉卵も食べてしまった。4つで210円というから、多分消費税込みであろう。温泉卵は別に珍しいものでもなく、家でも温泉ではない温泉風卵をよく作ったので、味には慣れている。まあ、低温で暖めまくるだけなんだけど。
2005.12.13
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噴気、熱泥、熱湯の噴出。ダンテ「神曲」もミルトン「失楽園」も天国編より地獄変が矢鱈滅多ラ楽しい。私は、人生経験上、まだ地獄を見てきてないので、しばしここで地獄を垣間見ることにして似非地獄体験をする。山地獄 山の間のいたるところから噴気が巻き上がる楽しさ。ここには動物園があり、カバなどは温泉に浸かって飼育されている世界一幸せなバカなのである。あ、カバなのである。毎日が適当な私にとって地獄はいい刺激でもある。適当は適度に当てること。海地獄 天国であるビーチの海の色はコバルトブルーであるが、地獄のここも硫酸鉄のおかげでコバルトブルーを実現。かまど地獄 となりに御土産屋「金龍地獄」があり、思わず間違えて入ってしまいそうになる便乗商法地域がある。鬼山地獄 鬼のハリボテを置いた意味不明の地獄である。ワニを飼っており、ワニの故郷の一つ、マレーシアボルネオ島のサラワク州のハリボテ建築物があったりなんかする。サラワクの河で泳いだが、知らなくてよかったです。白池地獄 ホウ酸食塩泉であるここの色が一番綺麗だったかな。血の池地獄 酸化鉄を含む赤い地獄で、もっとも地獄らしい色でございます。紅葉とマッチします。竜巻地獄(イエローストーンと同じ間欠泉) 世界一休止時間が短いというのが自慢で、30分以内に10分程度噴水が上がります。入口に信号があり、赤になっている時間が噴射時間なので急いで見に行かなければならないという相手都合の地獄。鬼石坊主地獄 ネットリ系で、妖怪人間ベムのオープニングのようです。全8箇所敢行 スタンプを押して回っているのは、子供と、ロイヤルエグゼクティブの方々ぐらいなものです。おまけ。バス停より。
2005.12.12
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いろんな方々のアドバイス通り、大分に飛んだ。 何故か、鉄輪(かんなわ)に行きたいといっても発音が違うのか、空港インフォメーションもバス切符売りの人も「えっ?」と聞き返された。発音が違うのであろうか。本と見比べてみる。 別府駅までバスで行き、そこから乗り換えのバスを探している間に2人から声をかけられた。門司港の老舗ホテルを潰して鉄輪に流れ着いた藤原新也先生の父親も別府で客引きをしていたことを思い出した。 鉄輪行のバスはかなり古く、道も寂れており、いい感じであった。やたらハングル文字が目立つ。別府大学の学生や立命館アジア太平洋大学の学生もバスに乗ってきて、多少年齢層は下がる。立命館アジア太平洋大学は、山の頂上辺りに校舎が見えた。地元の人々だけの元湯の建物の鄙び具合が飾り気がなくよい。一般家庭も温泉が引かれているのか。町名のつけ方が「組」である。仲良くやって欲しい。 鉄輪全景。それにしても、集客を図りたいのは分かるのだが、あまり温泉街にビル型ホテルが建つのは宜しくない。今は、都会の人々は高層マンションに住んでいたりなんかして、高層は珍しくなくなった。街全体の眺望を重視して欲しいものである。温泉からの風景というのは、ぱーっと景色が広がるのもまあまあいいが、閉じられた空間であるほうが落ち着くものである。 別府までの帰りは、違う路線バスで戻る。郊外化してから日本の町は、どこでもロードサイドは同じようになった。あるのは、郊外の大規模店舗の複合施設を持ったスーパー、全国展開のファミリーレストラン、ユニクロ、ツタヤ、パチンコ屋、マクドナルド・・・昔、都会に出て行った若者がたまに田舎に戻ってくると、男はサングラスに皮ジャン、女は厚化粧に派手な服、なんていうのが古い映画の定番であったような気がする。今は、東京に出なくても、レアモノ以外、ブランド物でも何でも郊外で手に入るようになった。そして、車での移動が増え、大量集客が郊外施設で行われ、匿名性が広がった。仕方ないことだが、そうやって地域のコミュニティが減少し、匿名性のため、昔は街の繁華街での犯罪が中心であったのに、今や、郊外での犯罪が増えているような気がする。そう思いながらバスからの風景を見ていた。
2005.12.11
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以前、ヤボヨウでアメリカ領事館に行ったことがある。(本当は、アメリカが私のアドバイスを聞きたかったのであるが、それは内政干渉といわれると困るのでココだけの話である)大使館や領事館というのは、その国の治外法権であり、別の小さな国家が入っているようなものだ。 アメリカ合州国という国は、自ら敵を作り出している。自分で内側から壁を作っておいて、ちょかいを出し、仕返しでもしようものなら、本気で怒って向かってくる。 アメリカ領事館の前も、ビザを求める人なのか何なのか分からないが、朝一番だったからに過ぎないのかも知れないが人でいっぱいであった。領事館に入るには、アメリカに入国するのと同じであった。パスポートの提示を求められ、金属探知機を通り、ライターやカメラなどの電子機器は入口で預けなければならない。そしてボディチェックの後、エレベーターに乗ることを許される。天井を見渡せば、あちこちに監視カメラ。そして、星条旗、大統領だけでなく国務長官や防衛長官の大きく自信に満ちた写真が掲げられている。設備は、何かと相変わらずピカピカで強いアメリカを標榜しつつ、世界のはみ出しモノであることをやせ我慢で隠蔽しようとする感じを受けた。 用事を終えていると、学歴あるヤクザ屋さんのような人が、アメリカに住んで仕事をしているなと一目で姿を見て分かる日本人女性弁護士と共に入ってきた。彼の言い分は、ハワイに行った時に、税関で現金1万ドルを没収されたままであるということであった。閉所恐怖症で、飛行機でうずくまっていて、客室乗務員の質問にウンウン言っていただけで、何故か分からないが、外貨の持ち出しすぎで没収されたのであるという。それを何とか返して欲しいとのことであった。その演技が何とも笑いそうになったが、アメリカ領事館の空気は張り詰めていた。 一番ノンビリしていたのはチベットのラサにあるネパール領事館。ちょうど国境が開いたところで、ネパールに行く(写真バス参照)旅行者が増え、ビザ発給業務が増えたのであろう。ネパール領事館の門の横に、守衛が入る半畳程度の小屋をビザ受付発給所として、笑顔のネパール人が一人でやっていた。なにやらビザのシールを貼ってお金を貰ってスタンプ押して終わりであった。ラサのネパール領事館敷地には3歩しか入っていない。
2005.12.10
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(前回までのあらすじ・・・優雅で感傷的なイタリア紀行を終えた「私」は、途中で飛行機乗り換えのアムステルダム2時間の間にアムスの香りを嗅ぐために、厳しく辛い時間旅行に出掛けたのであった。そして35分後に離陸というのに、まだアムステルダム中央駅で、乗るべき電車を探している紳士状態であった) 細い機内の通路を歩く間、随分前から座っている日本人団体旅行者たちに何かジロジロ見られている気になり、やたら自意識過剰状態になり、一番後ろに自分のシートを見つけ、隣の空席に荷物を置いて、どっしりと座った。本当に大阪行きか不安になってきたが、何も言われなかったし、日本人も多い。何と言う平和な気分。一応、もう一度、搭乗券の半券を確かめる。後は、私の体を東洋の果てに自動的に連れて行ってくれるだけである。大魔術である。1万キロの彼方へ。矢鱈滅鱈、リラックスし、心の平穏が訪れた。行け行け!グッドとリップ! 飛行機は滑走路を離れた。前の方の団体客は、ぎっしり座っている。客室乗務員が私のところにやってきて、「前の方のシートが空いてますのでお越しになりませんか」と他人に聞こえないように小声で言った。ビジネスクラスへのお誘いだ。今や大王に限りになく近い私は、小声で返した。「結構です」何故なら、私の列は全部空席なのである。これから私は5席ぶち抜きにして、フルフラットで眠るのである。全てのアームを上げ、私は寝転がった。そして90分が経過した。勿論、私はグッドトリップ中である。機内放送があった。「ただ今、コペンハーゲン上空ですが、当機に異常が発生しました。ただ今、地上との連絡を取っています。90パーセントはこのまま行きますが、10パーセントは日本に行く自信がありません」と機長がきっぱり言った。続いて日本語の放送が入った。「皆様、当機に異常が発生しましたが、全く問題ありませんのでご安心下さい」その日本語を聞いた日本人観光客が団体でどよめきだした。「当機は、スキポール空港に戻ります」そのとき日本人が叫んだ「見ろ!エンジンから燃料が漏れているぞ!バクハツするぞ!」と叫んだのである。数人が何故かカメラを持ち出し、翼近くに集まり、「ホンマや!」と叫ぶ。日本人たちは団体で更にどよめき、パニック状態になった。私は、寝転がって、ノートにリラックスの心情を書きとめていたところであった。バッドトリップ・・・私はノートに「幸せな人生だった」と書く内容を変えた。大変、バッドトリップである。10パーセントの確率で落ちるのではなく、10パーセントの確率で引き返すってことだよね、と自分を慰め、着陸の為、機体を軽くする為に燃料を捨てなければならないんだよね、と自分を励まし、飛行機墜落なんか何十万回に1回も落ちないからね、と自分を高揚させ、阪神大震災にももう直撃したし、と訳の分からないことも考えた。考えれば考えるほどバッドな方向に進んでいく自分がベリィバッドであった。 大抵の日本人は知り合いや友達と来ているので、お互いワメキあって、相乗効果を高め、余計に怖い怖いゴッコをしている。私は、一人なので、もはや仙人モドキである。体は動かないが、しかしながら心臓が口から出そうになる。心臓音が五月蝿い。外見と中身のギャップが激しいものだな、と静かに思っていると、もうアムステルダム駅前喫茶店から3時間が過ぎようとしていたので、もはや平静であるはずだと、急速に覚めていく気がするのであった。アアあぁああいあぁあぁあああっぁあああああ・・・頭の中は真っ黒になり、大きな「あ」や小さな「あ」が滅茶苦茶に暴れまわっていた。 今日2度目のスキポール空港ランディング。密かに、このまま、航空会社持ちで、豪華ホテルにお小遣い、出発は明日というコースを期待するほどに、私は余裕の酔っちゃン振りを発揮していたのであるが、90分も機内に押し込め、悪い部分だけ交換して再び離陸した。90分は伸びきったカップヌードルで誤魔化された。結局18時間のフライト、しかし、フルフラットの私は全く疲れず、大阪へ。税関。「どこへ行ってきましたか」私は胸を張っていった。勿論オランダとは言わない。「イタリアです」「じゃあ買い物されましたか」「勿論です」「買い物は、いくらぐらいされましたか」「えっ?」「はっ?」「あ、その5,000円ぐらいですかねえ」「えっ?」「あれっ?」「少なくないですか?」「はっ?」「まあ、いいでしょう」 何がいいのか分からなかったが、まだキテイルのかと一瞬思ったぐらいであった。しかし、無事税関を通ったことは、快挙である。歓喜である。寛容である。自慢である。頭脳の勝利である。チョットダケグッドトリップであった。
2005.12.09
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「ちょっとまてよ」私は、飛行機がアルプスを越える頃に思っていた。浅ましい私は緻密で完璧な計画を立て始めた。 「アムステルダムでの大阪行きの待ち時間は2時間20分である。街に出て、ひとときのハイタイムが過ごせるのではないか。荷物はイタリアから日本までそのまま持っていってくれることだし。」 決心を固めた頃、アルプス山脈は終わり、青かった空が、雪の街が現れてくる。世界はあなたのもの・・・ アムステルダム、スキポール空港に到着すると、私は一番に席を立ち、長いロビーを勢いよく直線的にズンズン進み、イミグレーションも税関も強張った笑顔で通り過ぎ、まずは空港を出た。そのまま、振り返ることも迷うこともなく、速攻で駅に向かう。 ロッテルダムからやってきた列車はビジネスマンで溢れかえっており、よりよく私は、シャキっとした。ここまで15分。「アムステルダム中央駅まで4駅20分、往復40分、列車は1時間に4本、列車の駅での待ち時間15分、空港から飛行機まで20分、予備時間20分、つまりアムステルダム市内滞在時間は、許されるところ、30分!」私は飛行機の中でこの計算ばかりをしていた。大学の試験のように計算するごとに合計が変わるという一抹の不安を抱えながらも、兎に角市内滞在は30分以内なのだ、と呟いた。 家庭で父親に暴力を振るわれ、絶対こんな感じの人とは結婚しないと反面教師にしながらも、父親のような人と一緒になってしまい、暴力夫に悩まされる女の気分になりつつも、車窓から余裕をかますふりをする。 アムステルダムセントラルステーション13時20分着。駅の構内で、3,000円を両替し、いざ街へ!と駅から出た瞬間に、ジャンキーコカインプッシャーにまとわりつかれる。そいつを何とか振りほどき、駅前の信号待ちをする。 そして、駅から一番近い喫茶店に直行し、カウンターにズンズンと一直線に行き、「コーヒーとこれ下さい」と間一発注文謎の滅法興奮気味の東洋人は注文する。注文を終え、店を見渡すと、昼間からヘロヘロした黒人3人組と、白人男女5人組。ウエイターの若いねえちゃんは「イエース」と何か間延びした返事をくれる。こっちは事情があって結構ノンビリできないんだ、そんなスロオな返事をしないでくれ、と私は小さく思う。日本から持参していたベネチアで読んだ「紺色のベネチア」(塩野七生)を取り出し、カバーを剥ぎ取る。焦ってはイケナイ、飛行機はきっと私の帰りを待っている、ロール、ロール、ローリング。店内は甘ったるい。私は深呼吸し、その匂いをかいだ。コーヒーのプラステックの細いマドラーでコーヒーを混ぜ、気分はプラステックス。 ふと、時計を見ると、私の緻密な計画より5分早い。私はテーブルのものをポケットに無造作に詰め込み、いい感じだと呟き、多少の余裕をみせて、ウエイトレスに笑顔を送り席を立つ。ウエイトレスは「ハーイ、バーイ」と相変わらず間延びしていた。勿論、支払いはキャッシュオンデリバリーで済ませてある。 外は、10日前よりは暖かくなった気がする、そんなことを感じる心の余裕さえみせた私は、ふと運河を見る。まだ凍っている。市内運河スケートマラソンの日程も近い。歩道は広く取ってあるが、歩道の横にある赤い自転車専用道で危うく自転車にひかれそうになる。 駅に戻り、まず最初にすることは、お金の札をコインに替えて、自動販売機で切符を買う作業である。本屋に入り、原色のチューリップの絵葉書が派手に目にボヨヨーンと入ってきたので、それを購入することにした。キオスクの太った女性店員が笑顔を振りまきながら、日本語で「アリガト」といってくれて、両国の過去には非常に古い歴史がございますなあ、と思い、私もニヤニコした。しかし、店員はすかさず「あといくらいくらのコインを持っていないか」と尋ねてきているようだが、私はコインをお釣りで作るために絵葉書を買ったのである。それに非常に複雑な計算をさせられているような気分に陥り、何故か、財布を意味なく見ているのであった。いや違う違う、コインを作るのであった。私は再び店員を見て「コインはないのよ」とヘラヘラ答えた。 よし、コインはえきた。自動販売機である。行き先の数字を押せば、金額が出てくるので、その金額を入れれば切符が出て来るという仕組みなので、えいや!と私は気合を入れて番号を入力する。エラー。少し焦り、その間に何番線から空港行き列車が出るか時刻表で確認する。そっか、機械が壊れているのかと思い、違う機械に向かい、番号を押す。キャンセル。おかしい。すると先程の機械でちゃんと人は切符を買っているではないか。何故、私だけがキャンセルされるのだ、ああ、ラリルレミゼラブル!落ち着け落ち着け、ここには何か問題を見落としているに違いない。私は全集中力をかけて考えた。そしてついに答えを出すに至った。私は、アムステルダムにいるのに、アムステルダムの番号1000を押していたのである。空港で1000を押して、切符を買ったのであった。そりゃキャンセルされるはずである。オーマイガデムアットンブリケエである。スキポールだった!しかし、またスキポールの綴りが良く分からなくなり、カバンを何故か空け、本を出し、綴りを確認した。頭は一気にスパークし、スキポール空港1117番を押したら、速攻で機械的に、料金を表示し、無事購入することができた。勿論、ここで予定の時間を10分オーバーしていたのであった。 すっかり出発時刻と何番線か忘れてしまった私は、再度、時刻表でを確認しに行った。しして、駅を余裕であるいていると、やたらいろんな人種がいて面白いなあ、としばし路上観察してしまった。しまった、また何番線か忘れてしまった。もう適当でいいやと、最寄のプラットフォームに上がってみた。するとそこには列車があり、行き先を見たらスキポールと書いてあるようにみえたが、どうも綴りが違うような気もした。心配なので、近くにいた人に聞いてみたが、やはり違うとのことであった。仕方ないので、もう一度地下の時刻表を見に行き、時計を見ると、乗る予定の列車が今、まさに出発しようとするところであった。いけないやばい、私は走りに走った、が、無情にも列車の扉は閉まった。 15分後に出発する列車に乗り込み、出発を待った。もうこれ以上のミスは許されないという非常に厳しい状態であった。ましてやイミグレーションが混んでいれば終わりである。列車の出発するあと7分間が異常に長く感じられた。 一心不乱の状態でX線を通過し、異常に広い空港の端まで歩いていくと考えれば気が重くなった。列車は静かに出発した。運河とメルヘンな風景が見え始めた。空港まで4駅だが、2駅目で既に田舎の風景になる。20分がまた異常に長い。流れる風景はせわしく、乗ってきた子供達の声が煩わしい。 スキポール空港駅に到着し、何人かの背広姿の人たちが立ち上がる。ともかく私も立ち上がり、右手右足を同時に出しながら、通路を進み、列車を降りる。神からの導きにより、すべて、スムーズに進み、X線検査、イミグレをやり過ごし、遠くの搭乗口まで進んだ。まさに、機内に人が入っていくところであった。 余裕だ。私は、それを確認して、引き返し、からからになった喉を潤す為に、バーに寄り、一杯を一気飲みして、飛行機に最後の客として入っていくのであった。 自分のシートが見つかり、座った。本当に大阪行きか不安になってきたが、何も言われなかったし、日本人も多い。何と言う平和な気分。後は、私の体を東洋の果てに自動的に連れて行ってくれるだけである。行け行け!グッドトリップ!やっと、グッドトリップ!
2005.12.08
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レッドツェッペリンが大音響で流れ出し、いやおう無しに起こされる。脳みそが半分程度はみ出る気分だ。二日酔いに対する罪悪感は二十歳の時には失っていた。確かに、これでも羽目を外してしまうことは無くなった。記憶している範囲内で。 目がしょぼしょぼになるほどに、注射器を腕に刺すと、アルコールが噴き出るほどにまでは飲まなくなった。 ポーズとしての節制はしている。ふとした瞬間にグラスを見つめながら、「まだ酔っていない」と静かに思う。何度となく静かに思う。時折、饒舌に話す自分を思い、「少し酔ってるかな」と脳の片隅で警告音が静かに鳴っているように思う。今、とても下らない話をしている、と、思う。書物で知った薄っぺらなことを受け売りで振りかざしている自己顕示欲丸出しの自分が少し貧しい、と、思う。もしかして、先程と同じ話をしているかも知れない、と、思う。非常にまずい状態のような気がする。同じ話をしてしまっていることに、誰も気がついていないということは、誰もが酔っているのではないか、と、思う。最終電車まであと10分。もう帰らなければ。油汗。最終電車まであと5分。もう帰らなければ。胃液が充満。最終電車まであと3分。もう本当に帰らなければ。高ぶる動悸。最終電車まであと1分。多分帰らなければ。走った夢をみる。ギター音が脳に軋む。 節度も節制もなく、顔面にこびりついている脂汗を流し、昨晩、帰りに乗ったタクシーの運転手が親切だったなあ、と、思う。意味もなく、現実の夢に触発されて、小旅行に出かける。目的は、移動だ。風景は変わる、感情はついてくる。どうせ家に帰る。道は平坦、出発点と終着点が同じ。レールは退屈な平行線。温和で緩慢なる旅。意味を見出そうと無駄な時間を過ごし、逃げて逃げて。ただ、できもしない約束をしてしまっただけなんだ。
2005.12.07
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先日、飛行機に乗ったら、今月のスペシャルティーはチャイであった。まだ市民権を得ていないのか、前の乗客であるおっちゃんは「ソレ何?」と聞いて「ミルクティーのようなもの」と答えられると、「じゃあ、ソレいっちょう頼んでみるか」といい注文した。暫くシテ客室乗務員が通りがかり、「いかがでしたか」とそのおっちゃんに尋ね、おっちゃんは「甘すぎたなあ」といい、「お水頂戴」といった。「甘さはおさえているんですけどね」と申し訳なさそうに乗務員は言った。 私は、国内線飛行機に乗ると、たいていお水を頼む。最近、お水を頼む人が少ないことに気がついた。お水は上に置いておらず、下から取り出してくる。 昔、パキスタン航空で、食事のお代わりを求めて断られて恥ずかしい思いをしたが、最近は、食べなかったりもするようになった。ただそれだけだ。 この40年間で、1人辺りの国民総所得が1万ドルを越えることが出来た国は、韓国、シンガポール、香港、台湾のいわゆる古いがアジアンニーズのみであった。この40年間で富裕国41カ国から10カ国が富裕といわれる国から転落した。この40年間で、最富裕国と貧困国との差は16倍から35倍に広がった。この40年間でGDPが1000ドル未満に分類された25カ国のうち抜け出せたのは2カ国に過ぎなかった。この40年間で、富裕国の仲間入りに入ると予測されていた22カ国のうち、ほとんどが逆に貧民国になった。その原因のほとんどが政情不安定と内戦からきているといわれている。 そんなことを思っていたら1時間ぐらいすぐに経過し、もう着陸だ。先日、ANAに乗ったスチュワードは明らかにゲイであり、サービスするのが、嬉しくてたまらないという感じで見ていたら微笑ましいものであった。どの航空会社もスチュワードの7,8割はゲイである。カンタスにいたってはほぼ100パーセントであるとまで噂されている。東京や大阪の地上での搭乗手続きカウンターの人々は忙しいので仕方ないが、地方に行くと、なかなか皆さん親切である。先日も着いて、すぐカウンターに行き8時間後であるがチェックインさせてくれた。(当り前か)長崎も、5時間前にチェックインさせてくれた。おまけに、「まだ時間がありますから街に行かれますか」と心配してくれた。今着いたばかりとはいえなくなってしまった。まあ、そういう訳で、今後も飛行機を観察して、どの航空会社を購入するか頭を悩ませるのである。
2005.12.06
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朝起きたら、自宅の裏庭の山が霧で覆われていた。今日も、激務の仕事に挑んでいかなければならないという使命があるのだが、裏庭という名の六甲山が気になり、急いで少し見に行った。紅葉しているのは、いい感じなのだが、何か奥の方の山に白いものが見える。年なのだろうか。車の表示は8度。反対側の神戸市内は、私の工場からカドミウムの煙をモクモクさせ、順調に操業しておることを確認。(一応工場の看板は「神戸製鋼神戸製鉄所」にしているけどね)荘園を後に、登ってゆく。紅葉というのに、雪化粧していた。私の断りなしに。まあいいか、六甲山に入るとする。車の表示は5度。何故か積もっている。今年一番の雪か。しかし、車で10分も行かないうちに雪なのか。車の表示は3度となり、意味無く車がポーンと3度の警告を鳴らす。道が危うくなってきた。私の車のスパイクデナイタイヤでは危うくなってきた。対向車はほとんどなし。これ以上走るのは危険なので、引き返す。といってもほとんど山頂。仕事は遅刻。車は2.5度を表示。裏庭の管理は大変である。裏庭に行くのに、無くなりかけでじつと我慢していたガソリンを入れたら70リットル1万円近くのガソリン代を請求され、いっそのことこの前レンタカーで借りた車に買い替えしようかと思ったぐらいだった。考えたら、ガソリンで人間一人運んでいるのと同じ重さなんだよなあ。それで燃費悪くなるやん。
2005.12.05
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阿蘇山麓にある草千里という地域では馬が放されているが、馬に名前が書かれていて弱冠悲惨である。「アキコ、65」と書かれているが、きっと馬自身は大して気がついていない模様。 そんなこといいながら、翌日より、何となく日常のルーチンワークに戻るのが、妙に不思議なものである。ニュースを聞いたり見たりして、暗澹たる気分になる。ニュースは、事件でなければニュースになるのでマイナスエネルギーを大放出だ。聞いたり見たりしなければそれで済むものなのだが、世間から取り残されるという程の焦燥感はないとしても、仕事や対人との一般的な会話ができなくなる。事件は増えているのか?警察が強化キャンペーン期間中で検挙が増えているのか?マスコミが強化キャンペーン期間中で報道が増えているのか?それとも本当に増えているのか?分からない。未成年犯罪は増えているといわれる。しかし、それはいつを基点にするのか?そして犯罪の中身が分からない。10年前より増えているが、5年前より減っていたりなんかする。窃盗犯など軽微な犯罪は増えているが凶悪犯は減っていたりなんかする。いずれにせよ、子供の犯罪は、大人の鏡であることは確かだ。(実は確かだといいながら憶測) 早速古本を買ってきて、読み始めている。確かに、黒川温泉、番頭さんの愛想がやたらよかったような気がする。山上がガタガタなのは、きっと吹き飛んだからであろう。外輪山より。コンクリートで固められた避難小屋もある。 ところで、この意味なしシリーズ、次は美也崎か駕篭島か性か大痛辺りを目論んでいるが、どこが極悪でしょうか?また、福岡がモースト極悪なら何度も行ってますが、また行ってみたい。勿論、その後、ジェットエンジンの燃料が切れるまで、先代や二位潟や飽田等東北方面も検討中でありまする。
2005.12.04
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ところで、黒川温泉だけ私がおめおめと関西に帰った訳ではない。世界最大級のカルデラを何とかしてみたい・・・自分の中にだけ流行っている九州第2弾を敢行することにした。(今の所、第5弾程度までを勝手に予定している。完了時期は未定であり、今日の敢行も昨日の夜8時に行くことが決定した。何せ、最近、何となくずっと仕事を休んでいないので、自分へのご褒美である。しかし、考えてみれば、自分へのご褒美という怪しい言葉、うがってみると、バブル経済を若くしてを体験し、もうその気分のまま、10数年年齢をとってしまいましたという人が使う言葉なので、私にはあまり関係のない言葉であった) 昨晩、夜な夜な、インターネットで時刻表を検索したところ、(便利な時代である)大阪7時40分→熊本空港→タクシー10分で肥後大津駅9時22分発→阿蘇駅バス10時30分発→阿蘇山麓よりリフトという綿密な計画が出来上がったが、列車は1時間に1本、バスは2時間に1本という個人フラフラ観光客にはスコブル不便で不親切なものになってしまった。 9時、熊本空港案内所の案内レディに渋く、私は参考意見として尋ねてみた。「観光敢行にはどこがお勧めですか?私、17時にはここに戻ってくるのですが」 案内レディは阿蘇山を含め、黒川温泉のお勧めに加え、「田楽はお好きですか?」と聞き返された。私は、自信満々に答えた。「田楽は、勿論、お好きです。多分、熊本ラーメンもお好きです」と。 「では、高森町の田楽をお勧めします。」 一通りの説明を終え、ありがたく、これをどうやって公共機関で行けるのか聞くと、「それはこの時間内では無理です」と言われたのであった。温泉フリークなので、実は、初めて黒川温泉という言葉を知った。 そのまま、地図を貰い、隣のカウンターに行った。「一番安くて、渋くて、燃費が良くて、兎に角、一番安い車を1台貸してください」そして対応してくれたレンタカー屋のヤンキー上がりと思われるにいちゃんに、渋く、私は参考意見として尋ねてみた。観光敢行にはどこがお勧めですか?私、17時にはここに戻ってくるのですが」 煙の立ち込める中岳に行くと、少数の黒人、ブラジル人の他は韓国人ばかりであった。韓国人は、写真のポーズで喋らずともそうだと分かる。 廻りは馬を飼っており、馬糞と硫黄の臭いが交じって、ソースイーティで頭が痛くなる。 喘息、気管支炎、心臓の悪い人は火口周辺入域禁止であった。私は小心者なので、本当は入ってはいけなかった。ああ、また禁を犯してしまったのかも知れぬ。 阿蘇山とか外輪山とかって、小学校の国語の教科書で習ったような気がする。それにしてもレンタカーの燃費はリッター18キロと凄くよく、私のスーパーカーの3倍の燃費であった。200キロ走って1,800円であった。
2005.12.03
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温泉フリークの私が黙っている訳がない。今まで行った温泉の数、数百÷百。黒川温泉に足を伸ばしてきた。 はっきりいって全国人気ナンバーワンといわれた湯布院の横にあり、湯布院がメジャーになり過ぎて、隠れたナンバーワンといわれた(私が勝手に言っているねんけどな)温泉である。都合のいいデータばかりを作為的に集めると、ナンバーワンに勝手に近いのである。勿論、私が今度行く温泉も都合よくナンバーワンになる予定である。ここでは3位 ここでは西日本1位 かにを食べられるでトップ 日経新聞で1位 温泉教授の温泉ゼミナール(光文社)の先生 身銭を切ってのいい宿 小泉首相もメルマガで 黒川温泉の隣はイラクである。黒川温泉のドンの「新明館」の外湯に入ってきた。23歳当時の後藤哲也氏は、「負けたくない、負けちゃちゃいかん」という一心だけだけで、温泉を掘って「新明館」を作った。 後藤氏の有する「新明館」は、狭い土地にへばりつくように建ってる建物しかなく、敷地を広げるのは物理的に不可能だった。しかし、お客さんに喜んでもらうにはどうしたらよいか、後藤氏は必死に考えた。そして、身内の猛反対を押し切り、一人で裏山を掘り始めた。しかも、掘り始めた当時は、電気ドリルもない時代、岩質が柔らかいので、ツルハシさえも使えなかった。仮オープンまで3年間、今の形になったのは、裏山を掘る決意をしてから10年後の歳月を経た後だった。 起死回生の起点となった洞窟風呂の入り口には、約50年前にこの風呂を一人で掘ったことが記された看板が立てられている。そこには、「お客さんに喜んでもらおう」とただひたすらに頑張りました。」とあった。「鶏優先」という看板もあった。 勿論、私は、500円で混浴の洞窟風呂に入ったわけであるが、誰も入っておらず、見学者が引っ切り無しに訪れ、私の裸体に惚れ惚れして帰っていく姿を認めるに過ぎなかった訳である。きっとそのうち50人の美女達が入ってくるであろうと密かに期待もしていたのであるが、50年前に美女であった元美女達のみが入ってきて、またまた私の裸体に惚れ惚れしたことは、トップシークレットである。帰りには大根10本280円をアメリカ農場で購入して土産盛りだくさんで海外旅行を終えた1日であった。明日買いに行く本
2005.12.02
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こんな私でも、案外、満員電車に毎日揺られている一介のリーマンである。満員電車では、凄いスピードで文庫本のページをめくる作業に没頭している訳だが、大阪からの地下鉄は、幸いにも始発駅なので、時間に余裕があれば、一つ後の電車に乗って、座り、凄いスピードで眠る。 幼い頃から、今まで、恥ずかしがりやなので、席を譲る行為が照れるので、後からもう人がそんなに乗ってこないと予想される以外は席には座らない。それでも、今まで、勇気を振り絞って席を譲ったことはある。基本的には混んできたら黙って立ち上がる場合が多い。 しかしながら、言い訳をすると、朝は大抵老人や障害者やニンプや怪我人は乗ってこないので、座らせてもらっている。言い訳だが、座ろうと思えば、一つ電車を遅らせれば確実に座れるので、急いでいる人が建っているものなのだと自分に言い聞かせている。それに大抵3,4駅以内にはほとんどの人が降りてしまうからなと、再び自分に言い聞かせている。 しかしながら、今日は発車寸前に杖をついた老人が乗ってきて、私の前に立った。何故か、私は、この爺さん3分待てば次の電車で座れるのにヨロヨロ乗ってきたのか?と邪推し、きっと1駅で降りるからなんだろうと邪推した。いつもなら熟睡体制に陥っている私は冷や汗が出てきた。譲るべきか譲らないべきか、それが問題だ。 満員電車になっているので、席を譲れば、私の立つスペースもすぐ譲っている間になくなってしまう、とかもう寝たフリを決め込むかとかいろいろ考え出して、この時間がすっ飛んでいくことを祈った。 次の駅で、多くの人が降りたが、老人は降りなかった。譲るべきか譲らないべきか問題に私はあと2分考え続け、次の駅で老人は降りた。 小心者の自分が恥ずかしくて、やけに自己嫌悪に陥った。陥って、すぐ眠ってしまった。 難波パークスに日記を書いた頃が、この日記のスタートあたりだったなあ、と思いながら、今や、ほとんど人のいない難波パークスに寄って来た。5日ほど前にオープンしたオイスターバーを見つけ、牡蠣をやっつけてきた。米国では、アルコールが入ったショットグラスに牡蠣を入れて一気に飲むスタイルがオイスターシューターというらしい。ウニのトッピングされたのを頼んでみたら、こいつはなかなか旨かった。本当は、生ものに合うのは、ワインではなく、日本酒なのだと思う。
2005.12.01
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