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(大きな声では言えないが、先ほど洗濯したら雑誌が挟まっていたようで、衣類と洗濯機が紙だらけになってました。除去作業に無駄な時間を過ごしました。今後は、洗濯物に雑誌や食いかけコロッケ挟まってないか、十分注意しようと心の純情に誓った。)宿からズーリックHBまでまあ、15分程度荷物を転がす。空港方面なら飛行機のマークをつけてくれるかAIRPORTと切替表示してくれればいいのに、Flughafenの表示のみ。ああ、ドイツ語習っててよかった、いや違うな学生時代はそんな言葉しらなんだ。自動販売機でチケットの買い方もよくわからず(ンー、前にも買ったんだが)、とにかく、行きに6.6スイスフランだったんで、それに合うよな値段を探し出し、購入(検札があって、問題なかった、前に座っていたチウゴクジンは問題があって、空港ついたら引っ張りだされていた、なくしたとかいってたけど、ありゃ3倍だな)したあと、10分ほどの余裕があったので、コーヒーを飲もうとするが、うわ、どこも高い、コープでさえ3フラン近い(今、ざくっと1スイスフランは110円ぐらいで1ユーロ120円ぐらい、あれ、逆転してない?)2,3回ると2フランのパン屋を見つけ、コーヒー購入、すばやく列車に乗り込む。いやはや空港まで15分だか20分なのに、700円ぐらいって、高いよねえ。さすが黒いスイス、物価もピカ一。(ジュネーブ空港かどこかは、飛行機で来たら市内まで列車タダなんだけど、ここはそういう制度なし)コチラに来てから、夜な夜な見ていると、セルビア行きチケットはウィーン経由と思っていたが、なんだちゃんと直行便があるやないか、ということに気がついたのである。気がついちゃったンです、そういうことである。ちゃんと各航空会社や空港の発着HPをチェックしとかなあかんな。あかんな、って言ったところで、旅行中にそんなのチェックしている人あまりいないような気もしてくるのであった。ズーリック空港は、なんだかスムーズで評判がいいのだが、んー、そうね、スムーズね。チェックインして荷物ドロップアウトしたら、あとはどこへでもいけ、というか、シュテーゲン協定外なんだね、セルビア、で、セキュリティのあとでパスポートコントロールなんだが、パスポートのスタンプがもはや限界(次回増刷やな)で、「おまえどこからヨーロッパに入国したんだ」といわれ、「リーガ」というと、「違う、英語話せるか?」「だからリーガ」「わからん」「(発音がわからんかったけど)ラトビア」「うーん、俺の質問わかってないな、いつヨーロッパに入国したんだ」「12月26日、リガ!」「とにかく入国スタンプがない、お前自分で探せ」パスポートを返され、「ほらこれだよ!」「あ!(急に照れ笑い)」速攻で出国スタンプをガシャンと押される。(リーガと発音するのかリガと発音するのか、分からない)チューリッヒからは1時間20分で到着。やたら荷物をゲートで預けさせられる人でごった返し、少し遅れる、特に追加料金迫られて、カード持ってなくて現金払いでやたらその人で時間がかかる。アメリカじゃカード持ってなかったらブラックリストならぬホワイトリストになって、いろいろ不便(飛行機搭乗拒否されるとかテロリストと間違われるとか)みたいだけど、ヨオロッパでもそうなんかね。ベオグラードの空港は、入国は、30秒である。機械にパスポルテスキャンして、終わり、即効でスタンピング。外に出ると、うーん、経済状態が分かるのが白タクである。タクシーあんちゃんたちに囲まれる。しつこくついてくるが、出口すぐのタクシーカウンターに行くと、1800で、こっちはどうなんだ、とカウンターの人に聞くと、さあ、君が決めたら、というので、いったんカウンターを離れてまた戻ると、領収証を先にくれた。それで、あのタクシー運転手いくらっていってた?と聞いてきたが、聞いてないんだよと答える、聞いたのだが要領得なかったんだけどね。1セルビアディナールは、まあ1.1円ぐらいである。そんな訳で計算しやすいのである。白タクのおっさんと戦いながら(無視しながら)正規タクシーに乗り、市内へと向かう。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.31
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結婚式、勿論、私の結婚式ではありません。結婚式は、まあ、最近は葬式の方が多いので大きな声では言えないのですが、2,3年ぶりということはないのである。4,5年前に京都で取引先の人の結婚式に行ったきりぐらいと邪推するのみです。なるほどと目を閉じて思いを馳せるのですが、考えるとその人は離婚もしてないのです。20代に出席した結婚式でのカップルは、そうだねえ~、離婚率は半分ぐらいだねえ。とフト思うのであります。最後の大物トイモイ博士自身が残っているものの、さすがに、同世代の結婚式というのは数年前で終了でして、打ち切りになっています。 結婚式という区切りを理由に、一昨日飲み会があったのですが、それが夜21時スタートだったので、時間が出来て散髪しました。落ちる毛に白髪が多く、俺ももうすぐ死んじゃうんだなあ、と軽く思いました。思ったものの、ここからがしぶとく、あと30年以上騙し騙し行き続ける所存なのです。しかし、金も心もエンプティになると、生きる気力はすっかりなくなるんでしょうね、と思いつつ、ついついサミュエルウルマンの詩を思い出しました。でも思い出しただけです。青春は心の持ちようだよ、と。また結婚式という区切りを理由に、靴もタダで新調しました。靴連れを起こさないように気をつけるのみなのです。また結婚式という区切りを理由に、眼鏡も新調しました。1昨日の飲み会が21時スタートで、2次会に行って、そろそろ終電なくなるから解散しようか、と私は提案し、外に出て時計を見ると、終電どころか2時を過ぎていたので何か見間違えたのかと思ったぐらいですが、体内時計は、いつも7時や7時半スタート、終電12時半前にそろそろやな、がそのままスライドしていたようです。それで仕方なく大枚叩いてシータクで帰ったのですが、朝起きたらメガネがない。薄いヨッパライの記憶でもタクシーに乗ったり、勘定したりしたので、少なくとも置き忘れてきたということはなく、必ず家のどこかにあるのですが、これ以上探していると遅刻するので、探すのを諦め、会社帰りにメガネを買いに行ったのです。(本日の仕事は全く見えない状態でしたが、特に仕事に支障はあっても気が付きませんでした。)それで眼鏡屋さんで、眼鏡下さいなんか野暮なことは言わず、これ下さい、とおよそ1分でメガネフレームを決定、 2年前にも購入した店だったので、私の目のデータがあり、度合いは同じで結構ですよ、とにかくメガネ無くしたので、今から作ってくださいませんか、というと、1時間お待ち下さいといわれたので、一旦半額弁当を購入して家に帰ったのですよ。眼鏡を買うときはいつも、無くしたか割れたときなんですね。 そういえば、昔って韓国眼鏡安いからって皆買ってましたよねえ。そういえば、眼鏡との付き合いもながく、高校生のときからなんですが、常時かけるようになったのは、働いて2,3年してからなんですね、それまでは、車の運転の時ぐらいだったんですね。学生時代までの写真で眼鏡かけている写真ほとんどないですね。いやはや、コンタクトレンズも1度は挑戦してン万円払って買ったのですよ、それで目に入れて、ずっトいらいらして、1週間たっても2週間たっても痛いイライラ、すぐどっか目玉の裏に行ってしまう、ということで、辞めました、捨てました、という結論です。私の体は、体内は異物を軽く受け入れるのですが、目は駄目みたいです。多分痛がりというのもあるのでしょうが、とにかく2週間たってもコンタクトはめるのにも5分以上掛かるのでそれも辞める原因となりました。ん?コンタクトレンズどこ行ったんだろう?ん?いつ挑戦したんだったかも忘れてしまいました。それにしても、眼鏡だけでなく、最近はぼーっと力を増しつつあるんですね。という訳で、3種の新調で、結婚式に望むのですが、そうそう、眼鏡買って家に戻ると、ズボンプレッサーの谷間に眼鏡入っているじゃないですか。在庫抱えてしまいましたよ、ということでした。背広ズボンと一緒にチャンと眼鏡もプレスしてたんですね。それはそうと、肝心の結婚式ですが、会社の同じ部署の後輩と、後輩より昔から知る取引先でした。終り。あ、おめでとさん。それにしても、頼りになり仕事を任せている後輩を失い、ヤットイテー、といつも言うだけ倶楽部の私が、オマエがヤレヤ状態に陥り、周り周辺からトイモイサンが一番寂しいでしょうね、と同情の声が上がる、寂しいのではなく苦しいのである。言っておくが、オレは仕事が出来ないんだ。単純にやる気と能力が多少不足しているだけなんだ。だから電話するのである。あの資料どこにある、このファイルどこにある、これどうなってんの?早く電話番号変えたらいいのに、と思うのに、善人である。オレなら辞めた瞬間に携帯番号を変えるけどな。まあ、みなさん、優しいのである、オレに。感謝である。それにしても、取引先も知り合いだったので、10年ぶりクラスで会う人が居て、皆しんせつなんだよねえ、なんでかな。名前覚えていてくれてありがとうございます、顔覚えてくれていてありがとうございます、久しぶりです、って、それはこちらのセリフなんだけどねえ。ところで、新郎が死ぬこと(飲まされすぎになって倒れるらしい)になるという情報を得て、新婦から「あいつ死ぬみたいなので、途中から隣に座ってください」と代行を頼まれたので、一応下準備として、たすきを作成。幸い、使用することもなく無事終了。イッキ飲みは、アルコール度数10分の1に抑えられていたのであった。さすが配慮社会、窮屈な世界である。あー、楽しかった。
2016.01.30
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ファランポーン・バンコク中央駅に到着したあと、そうだ、ちょっと懐かシズムでチャイナタウン行ってみるかと思った。中央駅の待合室ってこんなに狭かったのか、と25年前の記憶が大いに歪められたことに気がつき、あ、荷物預け場所が右から左になっている!と気がつく。お、有料トイレは同じ位置にあるな。1987年秋、陸路でヨーロッパまでの旅行を終えた帰りの帰りにタイに寄ってビーチに行って、帰ってきた朝、荷物を預けて夕方の飛行機に備える。すぐに出発しても特に行くところはないので、暫くファランポーン駅ドームの下で何となく座っていた。前の若い女性が足を組んで新聞をガバッと開いて暇そうに読んでいた。 駅からスリクロンホテルが見えた。何だか疲れたときとか特別の時にスリクロンに泊まった。ジュライの3倍ぐらいして、1階のカフェは冷房が効いているので、よくアイスコーヒーを飲みに出かけた。一帯のホテルが老朽化改善を当局から要求されて、対応しきれずに閉館していたのに、改装を繰り返したスリクルンは今も健在だ。何となく嬉しくなる最後の灯火だ。それやったら泊まったれや、そやな。2,000円ぐらいやな。 歩いて7・22ロータリーへ。あ、昔からあった売春チョンノマはまだあるやん、やたらシャッターが多い中、頑張ってるな、何が矢という感じであるが、とにかく人が歩いていない。 ジュライホテルこんなだったかな、何だか15階ぐらいのイメージがあったのだが。お、8年前に訪れているのか。もうそのときも終わっていたが。 ついつい、自分の純情時代を思い出すのである。楽宮ホテル、多分このへんにあったと思うんだけど。 8年前は楽宮はなくなってたけど、スワニーは残ってたけど、看板も潰れてしまったねえ。しぶとく生き残った台北旅社もついに2015年終わったようだ。記事をそのまま、一部余計なところ削って記載すると、以下のようだ。■ タイ旅行本でも有名な「台北旅社」が6月に閉鎖 タイの首都、バンコクの中華街、通称ヤワラー地区にある安宿、台北旅社が、閉鎖されることがわかった。閉鎖の日時は当初は6月15日とされていたが、早ければ5月中にも閉鎖されるという。台北旅社の開業は1965年。およそ50年間の歴史に幕を降ろすことになる。台北旅社は往年の日本人旅行者に愛されたことで知られる。バンコクの安宿街といえば、カオサンロードが有名であるが、同地が活性化するのは1980年代末ごろからである。それ以前は、ヤワラー地区に多くの日本人が集っていた。 その理由は定かではないが、タイ各地への長距離列車が発着するフワランポーン駅(タイ国有鉄道の主要幹線4路線の起点として位置づけられている)へのアクセスのよさ、元祖歓楽街といえるパッポンやタニヤへの近さ、漢字があふれているのでタイ語よりは日本人にはなじみがある、といった理由が挙げられるだろう。 台北旅社の宿泊料金はシングルの場合1泊450バーツ(約1,600円)。部屋には広いダブルベッドと、電気式のホットシャワー、カラーテレビ、エアコンがある。そして、毎日のシーツ交換と、お茶入れに使うお湯のサービスがある。ホテルには、ほぼ住み込み状態の従業員や娼婦もおり、ひとつの貧民窟のようになっている。さながら中上健次の小説で描かれる「路地」の世界である。■都市開発で味のあるヤワラー地区の景観が失われる ヤワラー地区には台北旅社以外にも、日本人旅行者が根城とするホテルが存在した。台北旅社と通りを隔てた向かい側に位置するジュライホテルは、多くの訳あり日本人が長期滞在することで知られ、その様子は、小林紀晴の『アジアン・ジャパニーズ』(情報センター出版局)や、クーロン黒沢の『バンコク電脳地獄マーケット』(徳間書店)をはじめとする一連の著作に詳しい。さらに、楽宮旅社なる安宿も存在し、谷恒生が『バンコク楽宮ホテル』(徳間書店)を著している。この現状についてタイに詳しい旅行ライターに話を聞いた。「ジュライホテルは1995年、楽宮旅社は2004年に閉鎖しました。楽宮の1階には北京飯店という日本料理(のようなもの)を出す食堂もありましたが、こちらも数年前に閉店しています。ヤワラー地区に最後まで残った日本人宿の台北旅社が閉鎖することには、ひとつの時代の区切りを感じますね。従業員の話によれば、閉鎖後に建物は取り壊され、同じオーナーによって新しいビルが建設されるそうです」(タイに詳しい旅行ライター) 現在、ヤワラー地区はフワランポーン駅から続く地下鉄の延伸工事が行われている。ヤワラー地区には廃墟となったジュライホテルをはじめ、無人となった多くの建物が存在するが、地下鉄開通にともない、あたり一帯が再開発されるという話もある。 これまで、この界隈はバンコク市内屈指の大渋滞ゾーンとして知られたが、地下鉄開通にともない、渋滞知らずの現代的な時間がこの地に刻まれることになるのだ。「センチメンタルな見方をすれば、台北旅社の閉鎖は、ゆるゆるとした往年のバンコクの古きよき町並みがなくなるともいえるでしょう。むしろ、21世紀までこのような風景が残ったということが奇跡だといえるかもしれませんね」(前出・同)(文・写真=平田宏利)ということである。いやはや、どこが台北旅社だったかな、ということも忘れちまった。 すぐ近くにある棺おけ屋、ヒヨコ屋、棺おけ屋となりヒヨコ屋となり棺おけ屋というシュールなストリートは、まったくヒヨコ屋がなくなっていて、棺おけ屋もちょこっとだけオープンしていたという次第。10代で、生死生死生死を連続して見せられて、危うく詩人になるところだったからねえ。いやいまは、まさしく死の連続だけになっていた。そうやって、イッチョまわりしてまたバンコクファランポーン駅に戻るのだが、工事中でどこ歩けばいいねん、ということで、面倒なのでどうせ渋滞なので車道を歩く。前に一人だけ歩いていたから、まあ、じゃあ、歩いていいんじゃねえか、ひかれても知らんけど、というおとで歩く。いやはや30年前のガイドブックからは隔世の感だね。ファランポーン駅も5時か6時かになったら、拡声器で国家が流れ、皆が一様にキョウツケして静止するのだが、屋台のおばちゃんや車が止まったりして、うわ、スゲエな危ないな、尊厳だな、とは思ったが、もう今はそんなのないんだろうね。 おお、ファランポーン駅横の空港行バス、今はどっちにいくのか、スワなんとかにいくのかドンムアンに行くのか、知らないが、ここから何度乗った?んー、20回ぐらい乗った、但し全て学生時代の話。一度、空港行のバスに乗って出発を待っていたら、スンゲエ荷物を持った日本人が乗ってきて、あれ日本人ですか、いやーよかったーといって、チェックインで荷物の分担をさせられ、成田で酒2本持ってくださいといわれて持って、いやー追加料金も免税もされましたよードモーとノー天気に言われて終わったなあ。何でも、タイで柔道教えてるって、体格が良かったが、何で弟子とかが送ってくれないんだ?さて、新しい時代、地下鉄が出来て、ファランポーンからシーロムまでたったの2駅。19バーツである、5分くらいで。先ほどのアユタヤバンコクは90分で20バーツである、20バーって、70円じゃん。新快速じゃ姫路京都ぐらいいっちゃうよ。今駅スパートみたら2270円だよ、2200円も高いよ。まあ、関係ないけど。 シーロムで降り、日本人歓楽街タニアを横切る。ホテルに難なく到着、ホテルも広いやン、7000円にしては、クリーンでWIFIも通じて良かった。難を見つけろ!と言われたら、ま、絨毯チョトくたびれてたかな、ベッドちょと硬いかなぐらいであり、枝葉末節の類である。ベロベロに飲んで店を出ても10分以内に眠れるぞ、ソレが重要である。ここはまた泊まろう。ロビーからして、あれ、これ7,000円安いんじゃないの?と一瞬気後れしたぐらいである。ま、一瞬だけど。でも、5分でもう出かけるんだよね。A Walk On The Wild Side するんだよね。ルーリードも死んじゃったね。何が、だね、だよ。2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.01.29
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EUのメイン機構は、ブリュッセル、ルクセンブルク、ストラスブール(フランス)に概ねあり、ルクセンブルクは主に裁判所部門だが委員会も開催される。勿論、ちょとだけルクセンブルク旧市街から(歩いて行けるが)離れているので、まあ、見に行くでもナシである。 簡単にいうと、第2次世界大戦後、戦争の原因はエネルギー争奪戦にも一因であるから、石炭と鉄鉱石は共同で管理しようやドヤっ、ということになり、ECSCができ、EEC(ヨーロッパ経済共同体)とユートラム(ヨーロッパ原子力共同体)が合体してECとなる。うーん、中学校の時の記憶では、石炭鉄鉱石を管理するEECが経済全体を共同にするECになったと習ったような気がするのだが、まあ記憶もあやふやなものだ。そのECってイキルけど、当初は発起人フランスに、ベネルクス3国、イタリア(何故か)、そして敵国西ドイツのたった6ケ国だった。まあ、その頃は、皆カトリックプロテスタント別にしてもキリスト教であり、国家間の経済格差もなかったから、ないというか対応できる範囲だったし、まあ、もともと、これらの国々、貴族王族上層部が縦横無尽に婚姻関係を結んでいたので(パソコンで何度、婚姻と出したくてキーボードを打っても出なかったが、よくみたらインコンと打っていた)文化も似通い抵抗も少なかったのであろう。81年にギリシャ、86年にはスペイン、ポルトガルが参画して12カ国になったのだが、このころから(87年に初めてのヨーロッパギリシア、96年にスペイン、ドイツ、1年後、オランダ、イギリス、フランス、イタリアと今気がついたがECを巡っていたが、いちいち両替していたし、それだけに各国違うなあという感じはしていた。今では、もうその通貨でさえ忘れかけているぐらいだ。ドラクマ、ペソペセタ、マルク、ギルダー、ポンド、フラン、リラ。。。お、このあたりは覚えているな。しかし、この頃行ってないオーストリア、ポルトガルなんか、通貨何やってン状態である。シリング、エスクード・・・知らんな、である。シリングなんかポンドとペンスの間じゃないのかと思うぐらいである。 まあ、それほどに、ECって何かそんなのあるんだね、って感じだった。それをマーストリヒト条約で、司法内務外交軍事あたりまで一緒にしちまおうぜ、とEUになったのである。こりゃ、実際かなり無理があった。今そのほころびが出ている。 どこでも働けたりどこでも勉強できたり自由になったら、いやー例えばアジアを日本が統合したら、まず日本の人口がすぐに2倍ぐらいになって原日本人の所得は半分になるねえ。いや、実際植民地は搾取するものなのに、教育したり選挙権与えたり同等に扱って植民地持つほうがかえって金かかってしゃあなかったわ、というのが戦争時代。それで台湾みたいに感謝されたらマシだけど、憎まれるわけだから、余計なことしなければ良かったんだよね、でも、ほっといたらロシアがやってきて、挙句の果てに日本にもやってきたかもしれないから、まあ、何が最善だったのか、は分からない。イエスノーでなくゼロヒャクではなく、グレーなものなんだよね。 さすがに2002年ユーロが始まって以来、何かが変わった。実はでもないが、初めてユーロをみたのは2006年だったかも知れない。どこの国に行っても物価が高くなったような気がした。 んー、EUの理念って何でした?よーろっぱはひとつ?だっけ。まあ、半分ではないがドイツやルクセンブルクは金を出し、残りの貧乏国は援助金を受け取り、ギリシアは、順調に今宵の金を残さず、うまく援助金で発展しているのがポーランドのようである。何で金ださないといけねーんだよーって不満もあろう、その最先端が、イツもケチをつけてユーロにはいっていないイギリスである。援助金も、もう脱退するよとブラフかけて少ないし、入国検査も厳しいし、かといってイギリスは世界の金融市場で抜けてもらっては困るし・・・シュンゲン条約(ヨーロッパ国家間での国境検査ナシ協定)にも入らないし・・・トホホであり、かといって、スコットランドまた独立再燃すると思うから、いやポンドはイイヨ、ユーロがあるから、それに北海油田うちのねという強みもあって、これまたイングランドの悩みでもある。ゲボ。 考えたら、独逸人って、そしてドイツの出店みたいな(違うか?オランダの出店か?いやいや、ヨーロッパ一の金持ち国家だぞのルクセンブルク人か)昔はよかったなあって、思っているかもしれない。東ドイツ助けるだけでよかったからなあ、金出て行ってもまあ自国民だものなあ(ルクセンブルク人は知らんけど)、何で今ギリシアとあPIGSみたいなチャランポランな国わしらマジメなプロテスタントが援助せなあかんの?はあ、って感じだろうか。反面、ユーロになって、1国では金融政策が打てなくなった。お札ジャンジャン刷ってインフレ喚起しようぜって出来なくなった。だが強いドイツは、ユーロが他のヨーロッパから見ると安く、輸出がさらに強くなってしまうのである。おまけに、他の国から欲しいものはないのである。ドイツ車が一番じゃねえのか、ギリシアの車なんかあるンかしらないけど誰も要らない。よい商品がればスペイン製でもギリシア製でもどんどん輸出してくれ!とドイツはいうが(思っている)が、そんなものない。おまけにケチケチドイツである、東ドイツを助けるためにさらに節約生活に入っていたのである。いや、その辺りからケチケチやっているとフォルクスワーゲンの不正が出てきたって話かも知れないね、何イッテルか分からないね。ルクセンブルクだね?ダイヤモンドだね~ああ、ああ。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.28
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10日ぶりの休みであるからにして、今日は夕方まで寝るぞというのは、俺の心の中の何かが許さない。そういうことだ。昨日は、飲み会にて土佐料理の店であったが、ん?この店、高知空港にも支店あるなと思いつつ、箸入れの紙を見ると、まさにそうであった昨晩であった。2件目の梅酒専門店バーで赤ワイン梅酒飲むと、割といけるじゃんとお代わりじゃんじゃんしていたが、それは、昨日のことであり、家に帰ってから何となく、0.5リットルコーヒーを沸かし直して一気飲みしてから寝床に入ると、妙に目が冴えてしまい、おかしいなおかしいな、と読書が進む進むのであった。とにかく、神戸空港に向かうときは、車で行くのである、いつものように決めてぶっぱなすのさ、ああ、雨上がりに朝方に。とにかく、7時半に家を出て、8時に空港に到着し、8時20分発の新千歳行に乗るのである。CTSである、神戸空港はUKBである。伊丹行きではなくフェイントで神戸空港である、伊丹関空神戸は、成田羽田と同じように、どこのチケットでもどちらからでも乗れるシステムである。 北海道は、トイモイ日記調べによると昨年7月以来半年振りということが判明。 明石加古川あたりの播磨工場地帯。 高砂あたりの播磨工場地帯。ん?方向が逆だって?まあ伊丹とか関空近いからさ、姫路赤穂ぐらいまで行って180度戻るの法則なんだよねえ。(帰りもそうである) ところで、機内誌に昨日最後に乗った人の搭乗券が挟まったままになっていた。夜10時に関空に到着しているのだが、今翌朝の8時に神戸空港に機体があるってことは、パイロットだけで飛行機運んできたってことだよねえ。左が竜飛岬、真ん中が津軽海峡、右が北海道でございます。函館近くの恵山岬でございます。 新千歳空港に到着したのは、沖縄よりチョトダケ近い1時間50分後の10時10分定刻が5分程早まり、マア、そういう訳で11時2分に小樽行きに乗り込み、小樽に到着12時16分、すかさず4分乗換えで12時43分に余市到着の予定が、10時18分の電車に乗ったということである。その場合、電車は札幌から旭川に向かうので、札幌乗換えである。乗り換えたら車内にゴミ箱があるじゃないか、いいじゃないか。それにアジア系外人多いし。前座っている人、台湾人だけど、この前の日曜前代未聞の雪が台北で降ったらしいけど、雪大喜びね。あの寒波は、香港も最低気温、バンコクも20度切ったりして一時どうなるかと思いましたね、うちも10度気温上がりました。向こうにいるのは、インドネシア人じゃないかな。13時の工場見学に向かって走っているのである。何セ決めたのが前日のことで、HPを見ると3日前で予約終了になっていたので、3日前なんか行くなんか全く決めてないやん!ということで、急いで各種コネクション(各種と言ったが1種だけで、ニッカの親会社勤務の後輩に電話して、明日行くからなんとかせい、と言っただけだ。) そして、電話が折り返し10分後かかってきて、「ビップ待遇でとっておきました。説明人1人のマンツーマンです」と言われたので、「それは駄目だだめだ、それなら話マジメにキクフリしないとイケンやんか、団体に混ぜてくれ」と再度ワガママなりくえすとをし、贅を尽くすのであった。「それにしても見学は13時ですか?」「そうだ、最速で行って13時だ、ん?何で電話口の向こうでオマエは失笑しているのだ!」そいいいつつ、お土産は樽で作ったコースターなんかいいなあ、と思うのであった。(一番目の写真)山崎工場で、もらったときは、つまんねえもの貰ったなトホホと思ったのだが、日記の日付を見ると2007年なのでもはや8、9年も愛用し続けている計算になる。おや、意外と気に入ってたんだな、と今更に気がつくのであった。あのときのコンパニオンのオネエさん、私を選んでくれてありがとう、今頃になって感謝するのみよ。 まあそんな訳で余市ニッカ工場見学&ドリンクも含め、良い地位の滞在時間はドドーンの2時間15分である。3時間23分滞在すると、最終便出発の20分前に空港到着であり、それでもいいのだが、そうするかどうするか空港滞在はマ、イッカは、これから工場見学勝手に1時間と決め、残り1時間で2箇所順調に回れるかどうかに掛かっているということである。何せ明日は仕事でもあり、何となく雪国は心配トラウマモードなのである、あるといっても先週日曜は激サムで、九州で雪が降って軒並み飛行機運休になったがさすが除雪車完備の札幌、普通に飛行機飛ばしていた、心強いものである。信用していいか?いいか、悪いか、それは、オマエが決め、そして、常におのれが決断しなければならない。 人生は、意外にも決断の連続であり、それは必ずしも大きなことばかりでなく、ほとんどが小さな決断なのである。朝起きるのも決断であり、同じ距離の道を右から行くか左から行くかも決断であり、優先順位や重要度がどちらでもいい仕事に対し、これからやっておこうか、という決断であり、満員電車に無理矢理背中から押して乗るのか次の電車を待つのかも決断である。勿論それは1分後にくる地下鉄の話であり、10分後にしか来なくてソレに乗らなければ遅刻するJRであれば決断でなく、必ず乗るの出る。いわゆる決断ではなく、決定事項である。他者が関わるのは決定事項が多いのである。打ち合わせ日時とか、いついつまでにこれせなアカンとか。まあ、仕事でいついつにまで何せなあkんというのは決算である。決算がないとケジメがつかないし、何が利益か分からないのである。私生活で決定事項ってのはそういう意味ではダラダラするのが私生活なので、決定事項はあまり思いつかないものである。まあ、そうねだいたいね~である。あるべき姿である。仕事がカチっとしているので私生活はゆるゆるである、といいたいが、実際は正確がそう許さないのである。え、それは、そんなに問題なのか?と会社ではいつも驚かされる毎日である。問題が起こってから対処したほうが楽なのか、未然に防ぐ対策にかける労力や金銭のどっちが楽なのかよく見極めして欲しいものである。まあ、会社は雇われてるので基本的に従順にやるのが鉄則である。自分の不満なんかつまんねえからねえ。だって、いろんなことが割とどうでもいいことだかからねえ。 つまり、決断と、決定事項と、習慣(オートマチカリー)で成り立っているのである。成田ではない。習慣というのは、自動的に派を磨いたり、自動的に家に帰ったらアルコールに手を出したり、自動的に昼になったら飯を食ったり、自動的に家を出るときに鍵を閉めたりすることである。だからフト気がつくと、出かけてから鍵閉めたかなあ?昨日昼飯何食ったかなあ思い出せないなあ、あれ知らんけど二日酔いになってるやん昨晩どんなけ飲んだんや?ん?閉まったネクタイ締めてくるの忘れた!あ、シャンプー洗い流すの忘れてた!あれ、風呂はいるの忘れてた!あ、また同じ本買ってもた!今日の仕事で作った書類保存忘れた!うわっ、もう4時や3時間しか寝られへん、オレ何してたんや無駄に起きてた!逆に、わ!座ったまま(家で)1時間も寝てた!おや昨日ブログ更新されてないな、したと思ってた!という事態になるのである。 まあ、その前に、小樽に着くが接続待ちが40分もあり、結局予定通りの到着になてしまう。小樽駅を出るが前も来たので、バス停に向かう。案内窓口に聞くと、10分後にバスがある、ニセコ行きに乗れということである。列車で3駅先、なのに30分弱、バスも30分程度であり、バスは430円、列車は360円である。列車は空港から小樽まで1870円である、しかし、空港から余市まで通しで買うと2300円であり、小分けシステムで買うほうが安いのである。都会ではよくあることだが、オマエもかブルータス。バスはちゃんとちょとだけ、人生裏街道的な海沿いの寂寥リアリズム道路を通ってくれる。てな訳で12時27分にニッカウヰスキー前に到着した訳である。自宅を出てからジャスト5時間ぐらいである(形容矛盾)。んー、自宅に帰ったのが午後9時なんで13時間半のドアツードアで移動が10時間という計算になるのか。ウム、確かに余市の滞在時間が2時間半で千歳空港の滞在時間(メシ食う時間)が1時間であった。明日からまた「楽しい労働」だ、ラテン語で「ヒロポン」だ。2016余市 余市 宇宙館(リンク) 余市ウイスキー1(リンク) 余市drinkの旅(リンク) 余市ウイスキー工場細密(リンク) 余市シングルモルトの旅(リンク) 北海道gourmetの旅(リンク)
2016.01.27
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12345都市機能あるのかの首都ライン川で国が分かれているものの・・・。678910ここ。11121314151617181920ここ。(終り)2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.26
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バス含みの通しチケット、高っ。 チューリヒ湖湖畔を通るからね。そのうち田園風景になって、マアこの日は霧ですわ。幻想的な感じになるわけで。ソレが終わると、山が見え始める。そして、ヴァレン湖の湖畔にそのうち入って対岸は岸壁になってるわけ。湖が終わったらすぐにザルガンス駅になって降りる。駅降りたら何だかよく分からないが、目の前はバス停留所で、リヒテンシュタイン行きのポストバスに乗るということなのだが、時刻表みてもどれも違う気がして、停まっているバスの運転手に聞くと、あそこで待っとけといわれる。 そこに来たバスの運転手に聞くと、これだよ乗れというので、ファドース行(リヒテンシュタイン首都)というのに乗るのだが、結局出発するときには3人しか乗っていない。まあ、そういうものか。小国行きやねえ。 2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.25
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2日後は、この冬一番の寒さで、マイナス気温には凍えた、風があったもので。よくよく考えたら、韓国料理も久し振りである。好物ケランチムも久しぶりである。 店に到着した頃はペゴパ(腹減った)状態である。ブッソッグ(おなかいっぱい)ではない、あ、間違ったこれはタガログ語だった。何せ、今年一番の寒空の中、一日中半分外のようなところでビジネスを展開したからである。いや、ビジネスって大それたことを書いてしまったが、要は一日中立ちっぱなしであったので、普段履かないパッチを必死のパッチで履いて行ったぐらいで、上も下着にヒートテクにしてワイシャツ、ネクタイ、背広である。靴下に足用カイロを貼り付けての重装備である。あるのだが、そのまま店に行ったので、もはやモワー状態である。いきなり全部脱いでしまいたい衝動に駆られながらも、理性人なので、簡単に死への衝動を抑えることが出来る。出来る幸せよ。まあ、オッパは韓南スタイルである。古いね。でもこのヒョナバージョン、ついつい人生上6,7回見てしまった。ごめん。白痴美みたいじゃん。見たといえば、韓国映画で2回以上見たのは、板門店に行ったあとで見直したJSA(このあたりが韓国映画国策ヒット作のはじまりではなかったか?いわゆる韓国版ニューウエーブ、フランス語で敢えて言うとヌーベルバーグ)と猟奇的な彼女と、スカーレットレターだ。何だか本当にイウンジュ死んじゃった。むむ、韓国映画、割と見ているんじゃねえか?親切なクムジュさん、シュリ、ブラザーフッド、シルミド、ラストプレゼント、チング、グエムル、カンナさん大成功です、殺人の追憶、イルマーレ、オールドボーイ、四月の雪・・・ま、皆さんで韓国でも行きマすか、さくっと、という話になりつつ、韓国はちょっと飽きた感があって、2008年から8年間のうち2014年は行ってないが、何度も行っているイメージだ。何だか、会社の帰りに背広で行くイメージである。そういえば、一度、金曜直帰(というか直空港)の前に打ち合わせをしていて、「トイモイサン、この重要書類渡しておきます」と言われたが、「いや、月曜持ってきてくれたらいいよ」と受け取り拒否すると不思議そうな顔をしていたなあ。重要書類持って韓国行けないからねえ。久しぶりにアリラン食堂行きたくなってきたな。韓国で食った料理を紹介して終り。ポシンタンはまだ食ってないけど、食う気もないけど。やっぱサンパッチブ。3回行っている。1年前にいたオバチャンがいて、また来たの?と笑顔。混んでて順番の番号は韓国語なので、聞き逃すとすぐに順番抜かれる。とにかく、前から待っている人と後から来たひとを覚えておくことが大事だ。まあ、やっとこさ、パクウネさんも追い詰められてきて、現実路線を歩みつつあるんだろうかね。ほんまは、あの人、親の影響もあるから親日のはずなんだけどねえ・・・。サンナクチ。キムチ。シジミスープ。ピンデトク。粥カイコ。アワビ粥、海鮮サムゲタン、太刀魚。、ホンオフェは食わんよ。マシッソッソヨ(写真と本文は今のところ全然関係ありません)。
2016.01.24
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由緒正しいラトビア リガ旧市街観光案内ではない。(昨日の日記アップしたと思ったらアップ失敗してましたね、気がつきませんでした)リーガは、行きたいところは、順調に全部閉まっていた。その1 医療史博物館。3日とも閉館。その2 火薬塔、軍事博物館えーっ、冬季ずっと休みなんですか。カックん。その3 リガ自動車博物館だ。別に自動車に格別の妄想を持っているわけではないのだが、 ブレジネフの事故車両とかスターリンの車とかあるらしいので、ワザワザ、10キロ先郊外まで出発だ。バスの行き方は抑えたものの、10キロだろ、面倒だろ、1000円台で行けるだろタクシーでということで、リーが駅でタクシーを拾う。割と時間が掛かってズンズン郊外に行き、少し心配になってくるが、気分はアラベスクだ。いつの話だ。 ようやく、到着したが、何だか閉まっている。運転手はカーナビをネットにつなぎ替えた。ネットで電話番号を調べ、電話してくれたがノーアンサーで今日は休みのようだ、と言った。ここはいいぞ、俺も3年前に行ったぞ、と言われたものの、俺は行ってない。タクシー料金は間もなく12ユーロである。仕方なく元来た道を戻り、独立記念塔の前で降ろしてもらう。ラトビアの独立記念だ、ソ連に占領されても壊されなかった。今も衛兵2人がいる。自動車博物館は、まあ興味ないけど、数が多ければそれなりに面白いものだ。人が触りすぎて光り輝く家畜を通り過ぎ、それなりに落胆しつつ、宿に戻る。同じ服を着た子供(なんかふわふわの白いスカートはいている。)が立ち話しているのがシュールな感じで、思わず怖い映画を思い出したよ、」シャイニングの双子、怖かった。ジャックニコルスンの演技も最高。その後部屋に戻ったら、マドンナのカルト的なポルノ映画「マドンナIN生贄」を思い出したよ。学生時代夜中酔っ払って家に帰ったら、ラホールで知り合ったパキスタン人が来ていて、生まれて初めてえろびでおを借りに行ったのであった、敬虔なイスラム教徒に酒飲ませてえろビデオ見せて。(この映画はチートモえろくなかった、とうか、翌日大学の女性友達2人の下宿先に彼を連れて行き、4人で酒飲みながらえろビデオ見て、何かしらんけど、ゴロ寝したら、そのうちの一人の女性が金縛りにあってて、俺はまだ起きていて、うなっているので「オマエ、今、金縛りにあっているだろ」といった。彼女はウーンウーンと言ってた。起きてから俺が声掛けしたこと覚えているかと聞くと、覚えてないと言った。パキスタン人サヒドさんはすやすや眠っていた。)まあ、そんなことをおぼろげに思い出した。あ、その彼女、癌で死んじゃったな・・・。 123の妹誕生日にて日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.23
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ラトヴィア国立劇場。高いオペラ関係もこの国では安く見られるよ、お得よ、どうよ、ということらしい。ラトヴィア国会リーガ城 ラトヴィア歴史博物館 海外美術館城には見えないんだけど、フツーの建物、ま、いっか、という感じ。建物に引っ付いた円柱建物が海外美術館。夜なので閉まっている。まあ、要は、旧市街は世界遺産ということである。聖母受難教会あたり。まあ、要は、旧市街は世界遺産ということである。スエーデン門、ショボイ門なんで気がつかず、通り過ぎる、翌日、あら?これかと1秒見学。旧城壁跡。1991年のバリケード博物館。ガイドが何か説明してた。何語かも分からなかった。しかし1991年といったらあの頃、ピンと来るのはソ連崩壊、新生東欧やバルト三国独立である。三人兄弟の館。聖ペテロ教会聖ヤコブ教会リーガ大聖堂。ドゥアマ広場。証券取引所。大ギルドコンサートホール。英国教会。ブラックヘッド(黒頭)会館。いやー爆撃されたので、1999年に再建、そら新しいわ。14世紀建築がオリジンとのこと。市庁舎。火薬塔。猫の家。だいたい写真で紹介したので詳しく知りたい人は、ネット検索やガイドブックを見るべし。まあ、私も、猫の家は人種差別でギルドになかなか入れてもらえない商人が怒って猫の向きを変えたとか、3兄弟の家はだんだん貧乏になっていったので、豪華さもそれぞれ違うとか、一通り多少間違えているが読み込んではいるのだが、膨大すぎてここは他に譲ろう、といって逃げる。 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.22
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20時過ぎにチューリッヒに到着した。スイスもルクセンブルグ並というかそれ以上に高い、高いから不愉快である。不愉快だが仕方ない、仕方ないが旅行である。いや旅行だから「仕方ない」わけで住むには、申し訳ない。スイスは3,4年ぶりだが、前のことはよく覚えてなくって、とりあえず、ズーリック中央駅に出る、出ると行っても電車で15分か20分ぐらいであるが、とにかくフランクフルトやアムステルダムなみに中央駅は近いのだが、そんな時間でも600円だか800円だかかかるから、まあ憤怒である。ホテルに向かう途中、ゴロゴロ荷物を転がしていたら、アル「バーで入口から人が溢れてたので車道に出て、そのまま、暫く車道を歩いていたらサイレンがなりパトカーが私に向かって、歩道を歩きなさいと、教育的指導を行った女性警官であった。アラマコリャ失礼と少しにやけた。 実は、前日のルクセンブルクの夜、次のズーリックのホテルをイロイロ調べていたが、まあ高いのだが、かといって駅から遠すぎるとか、ドミトリーとか学生じゃないというか人と関わりたくないので、そういうのもイヤで1万円以下というと、まあ3,4件しかないよ、そうするよ、ここいいじゃん、でも無人ホテルか、あれはノルエーで困ったからなあ、ここは仕方ないパスだ、と思っていたが、最終間違ってそこをネット予約してしまった。ノルエーで何が困ったかと言うと、カード払いでカードを刺し込んでカードの暗証番号をいれるのだが、それを覚えていない。だめじゃん、の世界である。それで悪戦苦闘したので、今回もカード暗証番号聞かれたらどうしようと急に不安になっていたのだ。最悪の場合に備え、違うホテルを控えておいた。 中央駅に到着し、手書きの地図を頼りに歩き始めて、携帯マップを見ると作動していたんで、それを頼りに歩き始める。9時頃なので、途中コンビニでアルコールを購入しておく。 20分ぐらい歩いて、ホテルを発見したが、ホテル名が違うし(グループ名だった)、小さな電照看板だけなので一度通り過ぎたが。)ホテルの前に一人東洋人がぼさっと立っていたので、どうしたのか聞くと、友達待っているとのことで、開け方分かったか?と聞くと分からないという。悪い予感がしたものの、メールに送られてきた5桁の番号を入力すると、鍵がゾスンと落ちてきた。あ、なんだ、もう鍵貰った、カード暗証番号というかカード突っ込む必要なかったわ、はっはあ、君も温かい中に入っておけば?といって一緒に中に入る。チーピーな機械に暗証番号を入れるだけ。 部屋に入ると、清潔であり、もうこれはスイスで7,000円、安いんじゃないか?と思いながら、ネットに繋げようとするが、パスワードはSMSに送ったよ、だって、だってじゃねーだろ、携帯電話番号なんか一度も教えてないんだから。 仕方ないので、とりあえず、メシである。部屋メシである。ルクセンブルク空輸で買っておいたディスカウントナシゴレンである。インドネシアである。まあヤキメシである、ヤキメシを食べつつ、テレビを見ながらビールを飲み、まあ、飲んだ食ったということである。 それで外に出てみたら、どうやら猥雑な地域であったようだ。おお、オモロイな、と思いながら、立ちんぼうの娼婦は、東欧美人である。スイス人ではない。そりゃ、金になるからな。あとなんだかえろとっくばーとか、いろいろある模様で、それでも女性も多く飲み屋街でもあるようだ。まあ、詳細は大学の同輩がスイス企業に勤務していて散々聞かされているので、ここでは省略する。こりゃおもろいエリアだなと思いながら、携帯を何度か見ると、あるバーかホテルのWIFIがセキュリティかかってなかったのでネットにつなぎ、ホテルにメールをする23時頃。「○○ホテルの○○号室に泊まっているトイモイ博士だが、パスワード分からないよ、SMSで受け取ってないし」とオフィスにメールをしておく。翌朝8時からだから、またそのころこの場所に戻ってこよう。と思いながら、ブラブラ歩いて、まあ、歩いただけで、スーパーでアルコール買って部屋に戻って飲んで終わり。翌朝9時頃その場所に行ってノラWIFI拾うと、ハローキミの番号はこれだよ~、と返信されてて、ようやくネットが開通したって按配。結局スイス、外食飲食ナイネ、全部ホテルね。タカイネ。ワルクナイネ。ナイススイス。黒いスイスね。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.21
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空港からは、物価の高いルクセンブルグ、バスである。バスは破格の2ユーロ20分少々である。最初は空いていたが、会社帰りのネクタイ男が多数乗ってきたが、金融関係だろうか、ルクセンブルグ人のイメージはないが、何となく、外人であり、フランス人やドイツ人やイギリス人が同僚と話している言語と雰囲気から想像される(オランダ人とかベルギー人とかかも知れないが。実際るくせんbるぐ人の割合も多いし、外国から通勤している人も多いようである。そして荷物を持った空港からきたような人間は数人であり、そろそろつきそうなバス亭で皆が降りたので急いで降りてしまう。ここが中央駅前か、なかなかショボイな。と手書きの地図を見てホテルを5分程探すが、どうも通りの名前が全部違う。間違ったか、と気がつくのに5分。 どうやら何駅か前に降りてしまったようだと気がついたのは10分後であるが、またバスに乗りなおすかと思い、何気なく携帯電話のマップを見ると、あれ、これつながるんじゃねえか、と思ったら、おお、ルクセンブルグ、フリーファイワイ市内に張り巡らせてるじゃん、スゲえ。歩いているのに、ネットに繋がり、地図にもつながった、自分の位置が分かった、あ、渓谷の橋を渡り15分ぐらいだなと分かり、まあそんじゃ歩いているかということとなり、携帯電話の地図を見ながら歩く。いや、方向だけ分かれば、もう必要なかった。ただの1本道だ。しかし、変な感覚だ。ホテル目指して歩いている間に、日本に向かって、「今ルクセンブルク、ホテル向かって歩いているなう」って送るのが。いや向こうは夜中だから返事はないよ。 ぼやぼや歩いているうちにルクセンブルグ中央駅が見えた。何で、先、バス降りてしまったんだろう?あ、そうだ、駅の表示があったのだ。それに人が半分ぐらい降りたので。今考えると、それは駅に行く方面という表示だったのだろう。(間違って降りたところは、旧市街の入口あたりであったことが翌日判明。だから多くの人が降りたんだ)ホテルは駅の前にあった。フロントのおばさんは丁寧にいろいろ説明してくれた。鍵をもらって、ソレ見て53と書いてあるから、振り返って「ファイブ?」ときくと、「イエス、フィフス(5階よ)」と返事がありちょと恥ずかしかった。どうも3桁を想像してしまうので。 よくよく考えたら、俺は家もそうだけど、ホテルはベッドより椅子と机が重要だと言うことに気がついた。考えればだが。椅子に座っている時間が割と長い。勿論、ネットで明日の予定や行き先や飛行機や宿を探しているわけである、ついでに当地の観光情報も入手しているのである。ここ何があるねん、と。 とりあえず、夜はまだ早いので、10分せぬうちに出かけるものの、ルクセンブルグはやっ!である、まあ、年末もあるんだが。 店は何だか終わっているので、コンビニ(というかカルフール、コンビニエンス)に入り、夕食を購入。俺らの子供時代、EUはなかったしECがあったけど、教科書で習ったのはベネルクスである。今も地理で習うのかもしれないが。今度どこ行くの?って聞かれて、んールクセウブルクですかね、あーベネルクスですよね。とオイラの世代はオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、3国でベネルクス、何がやねん、って習ったような。まあ3国合わせてもおフランスの5分の1ぐらいの国土(だっけ?)だしねえ。まあ、ベネルクス3国の最後の地に来ましたよ、ということである。特にルクセンブルクは、まあドイツの脱税領みたいなところだ。それにしても人通り少ない、どうやら旧市街が中心なのか。しかし、橋を渡って旧市街に行くのは明日にしよう。まだ21時だけど。 そうだ、この前、この国の首相が、同性婚しましたね。アイスランドの女性首相に次いで2組目だね、日本の風土じゃ考えられないね。いいじゃないか。アルコールと食糧を抱え、駅を覗いてみる。外国から通勤が多いと聞いているし、レジデンスも半分が外国人だと聞いている。電車でも来るのだろう。そいうえばハルジ氏もカナダから毎日アメリカ通勤してたね。駅の中にあるキオスク見ると、OKエナジードリンク。駅前道路渡ったところがホテル、その間に空港行きバス停。さて、早寝早起でもしてみるか。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.20
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いま、ISが暴れて、難民が溢れ、何とかシリアを脱出、ヨーロッパに辿り着いたのは?あれなんでアルジェリア人?みたいな状態になってたりして、もうドイツにも60万人だか100万人だかの難民申請者がやってきたりなんかして、いい加減に、ウエルカム強硬姿勢のメルケルもダウン。イランは核作らないよ、といいつつも、核を作るのを密かに容認しているアメリカ、ISの敵は欧米だけではなくシーア派、そんなシーア派の国を応援したいアメリカ、でも元々仲悪い、イラン核作ったらスンニー派、というか憲法も国会も選挙もない過激派ワッハーブのサウジ家の国サウジアラビアが怒り、パキスタンから自動的にサウジアラビアに核が運ばれる協定が結ばれてある。本来サウジアラビアとアメリカはべったりなのに。もう一つアメリカとべったりな国イスラエルも、面白くない。イランはともかくレバノンのシーア派の過激組織ヒズボラに手を焼いている。そうやってISが出てきて、アメリカ、イラン、サウジアラビア、イスラエルの関係がぐちゃぐちゃしている。一方、前にも書いたが、IS(シリア)に入るためのルートはトルコ経由であり、半ばトルコはそれを黙認している。ISと実質地上で戦っているのはクルド人が多く、欧米はクルドを支援、しかし、トルコ国内にイーパイいるクルド人の勢力が強くなるのは困る、ややもすると欧米が世界最大の国を持たない民族クルド人国家を承認しかかねない。なんせ三千万人ぐらいいるのである。加えて、トルコはNATOにも加入し、欧米寄りだが、いつまでたってもムスリム国家だからEUにも入れてくれない、何とかロシアの南下政策にも昔から阻止しようと頑張っているを欧米は支援してくれてきたが、なんでクルド人支援するんだよ~と心の叫び。おまけに今の大統領エンドリアンはイスラム主義、だんだん、トルコはイスラム側に傾きつつある。いやー、アメリカなんか、もう中東では実質負け続きで(というか第2次世界大戦後、小さな国以外全敗じゃないのか)中東に対しては厭戦的な上に、やっぱり中国がここまできたらもう世界2位まできちゃったらこっちに問題をシフトしたいのに、中国の海洋進出を阻止せなあかんのに、もう中東はいいいよ勘弁して欲しいってことだろう。そうやって欧米にほされたトルコに接近中なのが、欧米の敵、トルコの南下政策の敵、ロシアである。プーチンは、なんやったら天然ガスパイプライン、黒海経由でなくトルコ経由にしちゃろけ?なんて甘い言葉を囁いている。ヨーロッパは、ヨーロッパの敵ロシアからは、イーパイ天然ガスパイプラインを買い付けているのである。パイプラインがトルコ経由になったら、まあヨーロッパに対してトルコは、ウハウハだものね。今はカスピ海、ウクライナ経由だから、出た!、ウクライナ問題だろ?ま、ヨーロッパと行っても北海油田のあるイギリスは強硬路線である。ロシア経済封鎖じゃ、と鼻息あらくできるのはイギリスと関係ないアメリカである。ま、ノルエーあたりもか。ドイツがこの強硬路線をなだめながら、自分の国、原発はもうやめだといって、電力足りなくなって原発大国フランスから電気買って、ウクライナ困ったらヨーロッパ困るといっても、あ、パイプラインからガスこないのと、実はフランスもドイツに原発電気イーパイ売れて、げへへへである。まあ、結局さ、Isが弱体しても、また貧富の差が広がりつつあれば、出てくるよな。アルカーダみたいな同じような何かが。そもそもイギリスとかフランスが勝手に引いた国境線、国家概念が違うしな、ムスリムだろ、ペルシャ語のイランは別にしても、このあたりの国、ずーっとどこまでいってもアラブ語だし、宗教一緒だし、メッカいきましたよ(ハージュ)、で同胞だしな。ん?リガの話は?日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.19
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びちグソ踏んで滑るの注意佇む猫バリカー(車侵入防止柱)に顔があってもいいじゃないか。50メートル先駆け落ちしろまさかの売り物です。んー百ユーロです。トキョー、左右女お子をひっくり返しただけ徹夜ひと人か?教会のはしっこにヒッソリ醜悪木馬パウルスストゥラディンシュ医療史博物館入口(3日とも訪問、3日とも休館、最終日は入口が開いていて、中に入って行くと、受け付けでNO!と腕で×印をされる。シバキ。シバキついでに身長測れば?なんでも、いらないもの引っ付ければいいという訳ではない。家工事の養生が家滑る日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.18
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「にいさん、ええブツありまっせ、ゲヘッヘッヘ・・・」と言われていたために、時間を見つけて築年数とリフォームが気になるものの、そのブツの確認に飛行機に乗る。 その前の特記事項として、今までで多分一番早く空港に到着したと思う。私の家からは1回乗り換えの、JR伊丹から市バスで伊丹空港に行くのが一般的なのだが、市バスも1時間に1本だけ直行バスがあり、それに乗れるは、JR伊丹駅から降りてバス亭での待ち時間が5分以内だわ、乗り換えの尼崎駅での待ち時間も5分以内だわのトントン拍子のドアツードア1時間を余裕で切ったという記録である。自分でも感心した。 感心して、7分だけラウンジオブオーサカに寄って、カフェラテ・カプチーノ・エスプレッソイッキ飲みしてセキュリティに向かう。 乗ると、操縦席のアナウンスからは女性の声が。2010年にJALで初めて女性キャプテンが誕生したが、ANAも誕生したのであろうか。2015年に誰かがユーチューブに機内案内をアップしている。ANAにもパイロットは2,30人いるようだが(ネット情報)、機長副機長も生まれたのか?機長になるんは飛行経験15年は必要だね。 さておき、松山は近い。松山空港は、伊予みかんシャンペーンタワーがお出迎えだ。ホストでヤクザな世界である。それにしても極悪不動産屋さんに会うにもまだ6時間ぐらいあるので、急ぎ2,3箇所寄って70キロほど離れた宇和島へ行く。それも赤松遊園地(覗岩遊園地)である。結果的には完全に失敗である。負けた、という感じである。 宇和島北あたりのインターで降り、海岸線をひたすら数キロ走り、車1台ギリギリになりつつも、走った先にあった物件である。いや事故物件であった。少し広まったところに車を停め、中に入ると(入場無料)、何だかおじさん2人が仲良くだべっていた。遊園地ではない、廃墟である。だべっているおじさん2人の手前に3台のスペシャル動く(いや動かなくなった)機器が。危機だろう。オマエは既に死んでいるという奴である。ロボコンか。手を振るな!反り返りの仮面ライダーか、いきり立っているのが、まあ、イイネ。仮面ライダーのモデルは? 昭和ライダー 1・2号はバッタ、V3はトンボ、アマゾンはコモドドラゴン、 ストロンガーはカブト虫、このへんまでしか見てないんだよねえ。アマゾンが一番よかったよ、アマゾン嘘つかない、子供心になんだかそれだけ耳に残る。ほんまにそんな台詞あったのかも不明。白人嘘つくインディアン嘘つかない、素朴をバカにしてるのか、って話。しかし、考えればカマキリではなく、バッタをヒーロー、視点がシブイ、バッタって弱っちい代表みたいなもんじゃん。その向こうに死へのダイブブランコがあり、乗ろうとするが、老朽化を考えてかロープで縛られている。これはいけない。この遊園地は既にその機能を終えているではないか。終えてるどころか、死せる魂状態である。その他のアトラクションは、んー、ない。終り?しくった。しくったと思ったら一人のおっさんが自転車でやって来て、おもむろに自転車を降り、靴下を履き替えた。履き替え、海を2,3分眺めるとまた自転車に乗った。乗ってどこかに行った。そのおじさんのいた横、つまり一番奥が龍王神社となっており、神社の向こうに岩がある。その岩が覗き岩なのだろう。ライオン岩にも見えなくはない。覗き岩も横にすると、うーん、ひわいな感じにも見えてしまう。煩悩である。愛嬌である。無記である。そろそろ、ここで5分を費やしたので戻るとするか、ということになり、カーナビをセットすると、松山到着まで1時間40分かかると表示。遠いやないか。何しに来たんや、まあそういうこともあるわいな。と慰める。あと5時前に到着しますよ、と連絡すると、丁寧な悪徳不動産屋さんは、オマチシテオリマス、近くにくれば電話クダサイ、とのことであった。電話ぐらい、任せとけエッヘンである。そういうわけで、車を有料道路でとばすのではあるが、ときどきしか追い越し車線がない1車線道路である。眠気とも格闘しなければならないので大変だ。おまけに、何か間違っているのだが、下り車線になったときに追い越し車線が出来るのである、これは設計ミスではないのか?高速道路に関しては、他の事象と同じく素人ではあるのだが、今まで上り車線で追い越し車線が出来るのしかみたことなかったものだから。過去の経験に囚われるな!の事例なのだろうか。我が人生を呪うぜよ、セ・ラ・ヴィ! 松山で用件を1時間で終えて、最終便に間に合わせるべく早々に空港に向かう。レンタカー屋に到着したのは出発40分前であり、考えたら今日はまだ何も食べていないことに気がつき、急ぎ何か腹にいれておくかと思うと、搭乗券発行してもらって振り向いたらウドン屋があり、スーパースペシャル素うどんに20円プラスしたらスーパースペシャル宇和島うどんになったので、それにすると、宇和島名物鯛ではなく、ジャコテン2切れであった。1切れ10円か、ま、いっか、ということなのだが、食べている途中で15分前までにセキュリティ通ってくださいよ、というアナウンスが入り、うどん食べている場合じゃないよ、20分前だよ松山だよ、ということで、火傷しそうになりながら、駆け込み、急いで3分でお菓子を買い、16分前に一応保安場を通過。うどんに鯛、それは叶わぬ夢。昔、めで鯛ということで、天皇は毎日鯛食べさせられていたみたいね。多分、一口食べて、「飽きた・・・」と呟いていたことだろうな。 帰りはボンバルディア74席である。松山は1便か2便以外全部ボンバルディアである。高知は全部ボンバルディアであり、どちらも1日7,8便ぐらい出ているのではなかっただろうか。(行きは、ボンバルディアを避けた)乗客数はドドーンの23人である。大阪では沖止めで、バスで人数を数えたぐらいであり、数えたのは多分俺と客室乗務員だけだろう。いや、客室乗務員は全員降りたことを確認しただけかも知れない。あ、不動産については、これから仕事と同様、無理難題を主張する厳しい価格交渉が待っている。それ次第だ。こちらは真剣勝負だ。身を投げ出せない!2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.01.17
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昨年は20年という節目もあって、今年の追悼式参加者は半減したそうだ。あれから21年、そりゃ、皆、年取るわな。震災以降生まれた子供達も各市町村2割ぐらいになり、20年もたつと、復興住宅出て行け期限も次々にやってくる。 語り続けるのか? 語り続けるのか? 語り続けるのか? 語り続けるのか?
2016.01.17
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三国と行ったが、今回は実はラトビアだけである。エストニアもリトアニアも時を別にして行ったのであった。20年の時を経て、バルト3国完成である。バルト3国で一番行きたいところはシャウレイ郊外の十字架の丘である。行き方も親切に書いておられる方もいる。 しまったなあ、今考えたら行けばよかったよ。ヨーロッパは、ついこの前まで、EU内のギリシア問題でワーワー言ってたのに、半年でそのことを忘れ、いまや難民問題で大変である。ヨーロッパのどの空港も多少緊張気味である。でも、アサドシリア大統領が、巴里のテロのときに哀悼が「押し寄せる中、言ってたように、オマイらも責任の一端はあるってのが、大抵のEUの人も分かっているんのではないか。難民が押し寄せて、EUは、不寛容になりつつある。ドイツとその他の中堅国と借金丸出し国にまず分断されそうな勢いである。難民申請は基本EUに入った最初の国で行わなければならなく、地理的にもドイツは奥まっている。皆、難民はドイツに行きたい、行けるのは資金がまだある難民だ。ドイツに到着した難民は、若く、こざっぱりで、ほんま難民か、という感じである。うまくトルコ経由でハンガリーとかクロアチアとかセルビアとかオーストリアとか抜けてドイツに来るか、いや、それはEU最初の国だから駄目なのだが裏口があるのだろう、基本、ドイツで難民申請したかったら空路しかない。もしかして、リガで私は最初のEU入りをしたが意味なく時間がかかったのは、パスポートのスタンプの数が多いからではなく、ひっきりなしにくるEUシチズン以外を警戒していたのかも知れない。まあ、日本は難民国に指定されてないから難民になれないんだけど。ヨーロッパはひとつ、そんな理想が崩れつつあるのを感じるのであった。2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.16
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昨日は飛行機では徹夜して映画を見てしまったため、至る所で時々意識を失ってはいたが、結局3時過ぎまで起きてしまっていたので、若干、起きるのが心配であったが、確かにアラームが鳴ったが、起きる時間だと認識はしたが、カオトム(おかゆ)食べるために30分ぐらい早めに起きなければと思ったものの、気がつけば、ヤバイ時間だ、急いで空港だ、しかし、タクシーに乗るほどの金は残していない散財振りである。マッサージ2回もいってもたからな。チップ50渡して合計300バーツ×2本。まあ2,000円ぐらい。何せ1万円もバーツ両替したからな。アユタヤで車をチャーターしたのがジワリとボディブローのように効いた。タワナホテルはなかなか良かった。朝のパッポンを横切る。屋台も綺麗に撤去されている。カオトム食べる時間はもはやない。ブッシーなら食べる。D伸ばすなよ。時間はないが、マシーンを使っているのを見て、アイスコーヒーを頼む。20バーツ。最近そういえば、何かの記事でタイも本格的コーヒーが流行っていると読んだことがある。また北部ではコーヒーの栽培も行われるようになっていて、専門家の間では有名らしい。ドイチャンコーヒーが専門チェーン店である。タニヤ通りも静かである。コーヒー飲みながら、駅に向かう。日本で甘いコーヒーは駄目だが、タイじゃ許してしまう。MRT(地下鉄)シーロム駅に到着。5駅先のペチャブリで降り、エアポートリンクのマッカサン駅に行く。10分ほど待っている。5駅でスワなんとか空港(黄金の大地空港)。やばい、長蛇の列だ。ヤバイヤバイ、カットオフの時間が迫る。搭乗券を貰ったのが、出発50分前、ふう、10分程間に合った。161番目って、じゃあ80席ぐらい空いているな、こりゃ3席独占かも知れない。787のウインドウ側初めていじってみたよ。自動で色が変わるやつ。水平飛行になると、トイレに行けるよう通路側に席を移る。あとで3席アーム上げて横になって寝よう。進撃の巨人2作目を見る(1作目は行きに見た)。漫画とストーリーがえらい違う。USBポートもあったので、ちゃんと携帯電話の充電もしておく。ビールを貰いに行く。最後尾ギャレーに頂きに行ったら、スナックもどうぞ、とくれた。何か用事があるときは、必ず、どのクラスに座っていても、こちらから行くことにしている。こちらは運動を兼ねているのだが、向こう側からも印象が良いのだ。そういえば、他社便だが、前にビール貰ったけど、お尻が痛かったのでそのままギャレー脇で立ってスタンディングバー状態で飲んでいると、ビールくれコーラくれと次々人がやってくるのだが、俺も会社帰りだったので背広である。薄暗いから皆間違えて俺に注文するんだよ、それ見た乗務員が面白がって、次来たらそこからとってあげなよ、栓は開けてね、プラスチックコップはここだからよろしくハハッハ、と。俺も面白くなって、次に来た人に、ビールを渡す。時給は無給でいいぜ、といっておく。速攻であと90分になってしまった。寝る暇ないやん。4時間半ってすぐであった。17時50分の到着、18時5分のリムジンバスに乗り込んだ。
2016.01.15
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ビールは500CCで1本200円弱だね。150円ぐらい。NAVERSENってのが、まあコンビニだ。スーパーはRIMIだ。いや、逆だ。リミはスーパーだ。ミリは、ボルネオの都市だ。夕食はビールにサンドイッチだ。缶ビール並べてドドーンの明日行くところとか宿の検索。朝食。苦い食膳ジュースみたいなのを飲み、ウゲゲとなりながらも、ちょとづつ盛る。種類はかなり豊富で半分いてないな。キャベツザワークラフト系と巻いているなんかがうまい。夜は7時ぐらいから夜中までビールタイムである。え、観光せいや?まあそうね。ところで、リガは、神戸の姉妹都市である。そしたら、神戸にもラトビア料理店アルカと思いき検索したら、まあ、ない。その他の姉妹都市は、シアトル(アメリカ) マルセイユ(フランス) リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル) 天津(中国) ブリスベン(オーストラリア) バルセロナ(スペイン) 仁川(韓国) である。(今調べたんだけど、ブリスベンと天津は知らんかった)バルセロナが飛行機降りるときに海岸線を飛ぶのだけど、確かに、あ、神戸に似てるなと一瞬思ったことを思い出す。シアトルも言われればそんな感じがするが、インチョンはどうかなあ。空港のイメージがありすぎてねえ。湿地だものな。夕飯はビーツやサラダにビールかな。かな、ではなく、そうなのである。明日の昼飯も用意。買ってしまった。空港で食う。おかゆがいける、パンに卵挟んだのもいける。ゆで卵は剥きにくい、新鮮な証拠だ。卵料理も多いみたいだぜ。ラトビア料理ってなんだ?なんだったんだ?2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.14
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バンでアユタヤに朝の8時に到着、そのまま、速攻で、交渉開始。隣のアントン県まで行ってくれ、オマエ、ここいくんか?と失笑され、オマエこんなん好きなんか?と笑われながらもマジメに交渉、地獄寺2つに、あと時間余ったらアユタヤもついでに観光6時間チャーターだ。どうだ、いや、どうでもいい。アントンは昔、自転者旅行していたときに宿泊している。アユタヤから30数キロ北上し、ワットムアンに到着。まあ、地獄寺のひとつである。舌が好きみたいである。イカレ具合が良い。タイはアッチャーガムのようなクライムマガジンが平気で売られているから、こんなの平気だよーん、てことあろうか、子供に親が説明してたりなんかして微笑ましいのだ。そう、かなり人が多いのである。かなりメジャーな寺である。僧は無記。なんとなく嬉しそう。一番に迎えてくれるのがこちら2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.01.13
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私にとってバルト3国の最後の国である。エストニアは1997,8年頃、エストニアは2年前、そして今回ラトビアである。コレラの国は、いち早くソ連から独立し、そして、EU参加を希望した。EU参加というかユーロ参加を当時は熱望した。特に貧乏国家エストニアは早かった。3カ国ともEUになったのは2004年だが、エストニアがユーロになったのは2011年である。バルト3国で一番乗りである、あるって、1990年代初頭に独立したときは、ロシア同様、ハイパーインフレを経験し、公務員も半分クビ、自力で財政を立て直し努力した、どこかの国のギリシアとはえらい違いである。そんでもって、イケイケドンドンになりかけたら、例のリーマンショックに派生する金融危機、それでも頑張った頑張った、ついにユーロ使える2011年まできたが、うーん、その頃にはユーロの夢も何だか雲行き怪しい頃、それでも参加。GDPはギリシアよりまだ低いよ、それでも借金なしの優良国家になったのだ8まだなってないかも知れないが、とにかく目指している、ギリシアは目指してない、そんな気ない、なんせ、おれらがヨーロッパだからね、いやいや、おまえら古代ギリシア人の血ないやろ、トルコ系を中心とした他民族やろ、既に)ユーロ導入目指して、夢の国!残念ね、2011年に続き、ラトビアも2014年、リトアニアも2,015年にユーロ導入。旧共産圏諸国でのユーロ導入は、スロヴァキア、スロヴェニア、エストニアに次いでラトビアが4カ国目となる。一言で言うと、リーガ空港でラトビアン通貨のラッツに両替しようとドルを出して、ユーロが出てきて、俺の情報どんなけ古いねん、ということであった。ガイドブックはまあ3年前のものをコピーしてきたので古いし、ネットで調べてきたものなんだったの?なのであった。ホテルにチェックインである。3時半過ぎである、目指すは5時まで営業している医療史博物館である。今回のメインの一つである。ベリベリナイスなのだが4時過ぎに到着すると、今日は4時までという張り紙があり、OMGである。がっかりであり、明日行くよである。いや明日は日曜で休みなんで明後日いくよ、である。シバキである。パウルス ストゥラデッシュ医療博物館は、隣がフランス大使館なので、護衛に睨まれるのである。明後日またいくよ、行ったが、翌日も別件で目の前を通ったのである。オメ、昨日の夕方もトオッタダロ、不良東洋人、と言う感じである。最終日に行ったら、オメ、年末なのに開いてねえだろ、ギャフンである。10000万キロ向こうから折角見学にきたのに、どうしてくれるんだ、なのであった。(おまけに最終日は入口が開いていて、中に入って行くと、受け付けでNO!と腕で×印をされる。)寿司、食べません。 100めーとるぐらいの高さ 2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.12
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注意:1月11日の朝にこの日記を作成中、久しぶりにデビッドボーイを思い出し、日記に書いたら、今日の夕方悲報が・・・。 正月明けた初日から仕事のペースを取り戻すのは難しい、難しいが、最近は、すぐに成人式を伴う3連休が待機しており、苦しみの1週間を経ると一応世間は3連休に突入する。仕事始めの1週間は長く遠い道である。 年初めやっとの金曜日であり、仕事は早々に切り上げ、家路に向かう。飛行機は0時半であり、南の国である、コートなどもっていけば荷物になるので、実際置きに帰るということで、どうするか検討の結果、ユニクロヨーロッパ用ダウンインダウン用に買った軽いダウンを着ていくこととする。これなら向こうでは折りたたむとコンパクトサイズとなり荷物であるショルダーバッグに入るのである。それと下着と靴下1ちゃくづつ、文庫本2冊、貴重品類、ハミガキセット類、個人で作ったガイド用紙、以上を急ぎ詰め込んでシャワーを浴びて、ショルダーバッグ1つで、折り返し大阪駅に戻り、リムジンバスに乗るのである。勿論往復割引を受けるためのチケットを購入である。 そんなことを思い起こせばこの3年間で勝手に繰り返していた。去年はアテネから帰ってきてから、3連休にシンガポールにいっており、一昨年もプラハから帰ってきてグアムに行っている(って忘れてたので今自分のブログを調べた)模様。 空港には早くも1時間50分前に到着したが、夜中便は皆暇なのであろうか、早々にチェックインされた方々も多いし、自分のことを考えたら分かるがホテルに泊まっている人(海外の人)なら昼前にチェックアウトしているから、疲れてそして免税品を買うため(さすがに23時頃になるとショボイ関空なので免税店も閉まり始めるのである)3時4時間前に空港に来てチェックインしているのであろう、既にチェックインカウンターも空いているのである。2時間前にチェックインを済ませ、急ぎ奥にあるセブンイレブンに行き、チューハイを購入して飲むのである。ここでもITMKIXカードは有効である。へー、5パーセントも引いてくれるの。といっても数円だけど。銀行に金を下ろしに1Fの旧シティバンクに行くと両替所にITMKIXカードで両替安くしますという泉州銀行だかなんだかの表示を見て、ちょとだけバーツに替えておく。得かどうかは分からないが、元々前回のバーツの残りで、バンコクスワなんとか空港で両替する手間もない、どちらがお得かは分からないが、市内までは十分行けるバーツを確保。 バンコクまでは5時間半、俺はイヤだといっているのに、333席の真ん中の3席の真ん中である、まあまあの込み具合で、俺は葉トイレが近いのだよ、窮屈やんと思うが、まあ仕方ない、満席に近いのだから、泣く泣く、泣くしかないのである。 そんな訳で、利尿作用のあるビールやコーヒー飲まず、寝るかと思いきや、映画を3本見てしまったので、結局夜中1睡もせずに4時半早朝にバンコクに到着、ウォー眠くなってきた!だが、急いでエアポートリンクに乗れと脳が命令するので、地下に行くと、10人ぐらいがまどろんでいた。ん、あ、始発は5時55分だ、まだ50分ぐらいあるぞ、じゃあ、俺もベンチに座って待っておくか、いや待てよ、エアポートリンクに乗って、最終駅からMRTに乗り換えても3,400円かかるので、、もう大富豪だからタクシーでいくか、市内まで1,000円少々だからな、と思い、タクシーレーンまで行き、「アヌサワリーチャイ(戦勝記念塔、ビクトリーモニュメント)」というと、運転手は「ビクトリーなんちゃら」と言ったので、そうそう、そんな感じのところ、と頷く。思いのほか、夜中であれば35キロ離れたバンコクも30分程度で到着するのだが、工事渋滞に途中巻き込まれ1時間以上かかる。さすがに徹夜なので時々意識を失いだり途切れたりしながらも、6時半か7時頃に戦勝記念塔に到着。何からの勝利か?フランスからの勝利である、というか、一部インドシナとしてラオスとかカンボジアの元々タイの領土を返してくれ!と叫んだ1940年、フランスは無視したが、日本の協力を得て粘り強い交渉により、失地回復したのである。戦勝というよりレコンキスタモニュメントが正しいのかも知れない。このあたりはタイ北部のイーサン料理の店が多いのだが、昔、一度ジャズバーだかレゲエバーに来たことがある。昔と言っても1990年代前半だからまあ25年ぐらい前か、カオサンで知り合った5,6人で無理矢理1台のトゥクトゥクに乗って戦勝記念塔まで行って帰ってきたんだ。その中でカップルがいて、明日日本に帰るんだよな、アレ余っちゃってね、と言われ、ンー、じゃあ、貰いに行っていいですかといい、カオサンに戻った後、そのまま彼らの部屋に行く。彼はカメラの三脚を振ると、スポーンとアレが出てきた。そんあことを思い出した。思い出したが、それがこのどのあたりの店だったか、朧気にモニュメントの東側だったということしか思い出せず、とりあえず、それはいいとして、アユタヤ行きの乗り合いミニバンの場所を探すことにした、というか、それはモニュメントの東にあることは分かっていたのでそのあたりをウロウロする。だいたい10~30分おきに、とにかく満席になったら出発するのである。よく分からないうちに、何人か聞いてみるが(アユタヤと日本語で言っても通じない、アヨーチャヤ?なんかよく分からない)、それでもよく分からないうちに、タイ語は読めないが、アユタヤという表記だけは、控えてきてたのでそれを照らし合わせながら、ミニバンを発見した瞬間にバンは出発、じゃあ、次の便だ、ここでボサーっと待ってたら来るだろうと思っていると、ちゃんと、3,4人並び出して、10分ぐらいしたらバンが来た。運転手にアユタヤ?と聞くとそうだ、乗れといわれ乗る。60バーツ(210円)である。乗ったはいいが、席を数えると20席ぐらいあり、結局15分ぐらい待つ。うまい具合に遊びに行く若い女の子たちが集団で乗ってきたので、16席ぐらいが速攻で埋まり、満席になったら出発した、道は旧国際空港、ドンムアンのほうである。ドンムアン空港は今でもまだドメステックで活躍しているが、いい空港だった、何がいいかというと、ドンムアン村が目の前にあり、チェックインしたあとに、村の屋台に飯を食いに行けるのが良かった。いつもタイからの帰りはドンムアン村屋台でカオパッ(焼きメシ)が俺の定番であり、空港に戻るのは8車線だか10車線だかある道を横断するのだが、その必要はなく、タクシーがウダウダしているんである。バスで降りた客を乗せるためである。俺も飯を食った後それに乗る、料金は無料である。理由は簡単で人を乗せてなかったら空港に入れなかったからである。空港から誰かを乗せるために空港に入りたい、と、車線危険なところを横断するより、1,2分であるがタダタクシーに乗ってデパーチャーまで連れてって行ったほうがいいよねの貧乏人の利害が合致していたわけである。いやあ、グラムロック時代のデビッドボウイだったなあ。って時代違うんだけどね、あの頃にバンコクで買った海賊版テープのひとつ。デビッドボウイだったなあStarman徹夜の眠気と戦いながら、20数年ぶりにドンムアン空港みたいなと思いながら、懐かしい気分になりながら睡魔に襲われ、途中何度か、気を失って1時間でアユタヤに到着。2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.01.11
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バーを梯子し、一旦ビールを買って12時頃にホテルに戻り、テレビを見ていると、衛星放送でNHKでAKB紅白に卒業生の大島と前田が特別出演その裏側みたいなのをやっていて、そうだったのかと暫く眺めていたが、あなたは大島派ですか、前田派ですか。それはそうでもいいのだが、夜の1時となり、腹が減ってきたので、屋台に何かを食いに、また出かけることにした。土産物屋を通る途中でバーミーナム屋台があった。パッポンから北、タニアから更に北のゲイの集まるバーが集積するあたりだったので、何組かゲイがいたり、男を買ったのか同意したのか連れ歩く西洋人男を多く見かける。屋台の中にある麺の太さを選び、指差し、ので、1席空いていたのでそこに座る。ものの1,2分でバーミーナムは運ばれてきた。20年前に比べると、何だか具の種類も随分増えたと思う。昔は魚肉ボールにハッパ類がちょこちょこ数種類のっかっただけの透明スープに麺だっただけなのだが。 屋台のおばちゃんでなく、支給するにいちゃんが、何か飲み物はいるかと聞いてきたので、それはビールだ、と答えると、どこかに買いに行き、2,3分で戻ってきて、これでいいかと大瓶を見せた。いくらか聞くと、100バーツ(店で50バーツぐらい、バーで小瓶120~150バーツだったので)飲むよと言った。栓を開けて、ストローを貰った。ビールにストローはないだろう、少し困った顔をすると、それを見ていた隣に座っていたオカマがにいちゃんに、オマエこれはないだろう、と代わりに言ってくれた。にいちゃんはまた消え、プラスチックのコップに氷を入れて持ってきてくれた。プラスチックがやたら薄くフワフワなのだが、まあそれは愛嬌だ。氷を入れるのは、まあフィリピンでは良く見られるが、タイでもたまにみるので、いいだろう。 バーミーナムを草々に食べ、随分既に飲んでいるのでスローペースで飲んでいる。 3人組のゲイは1人だけ猛烈に腹が減ったのであろう、彼だけが麺をすすり、あとの2人が彼の食べ姿を愛らしく見つめている。 いままで座っていた人たちが全員入れ替わり、前のテーブル(車道にはみ出ているが)の兄ちゃんが湯に咳き込み、口から思わす内容物を吹き出してしまった。誰かに見られたか、瞬時に彼は周りをさっと見て、俺と目が合い、ワハハハとお互い笑う。 なんだか、猛烈に楽しくなってきた。最近の旅行で一番楽しい気分だ。馬鹿みたいに、一人、クフ、クフフ、クフフフ、とにやけてしまう。そっか、今回はこの屋台に座るためにやってきたのかと思うと、嬉しくなり、俺は、人間行動観察研究所の定点観測装置になった。 屋台の席を立ったのは2時頃である。パッポンの土産街もゴーゴーバーも店仕舞い済であった。2016.01アユタヤ 暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.01.10
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ん、韻踏んでいるだろ?って、いやいや、直行便はないので、実際のところはリーガ(ラトビア)→フランクフルト(ドイツ)→ルクセンブルク(ルクセンブルグ)であるが、それはトップシークレットである。FOR YOUR EYES ONLYである、言いすぎである。いやいや、このまえもKIX-RIXでも密かに韻を踏んでいたんである、キックス(関空)、リックス(リガ)、リュックス(ルクセンブルグ)である。kIXは、何だったか、空港3レターコードがどっかの国で関西国際空港、KIAとかあといろいろ既に使われてて仕方なくKIXになったんだよねえ。KIではじまる3レターはもうほとんどなかったみたいで、IとXしかなかったみたよ。26文字でドッチ選ぶねん、言われたらXかな。ま、いいや。 昨日乗ったタクシー運転手が、明日どうしてんだ?って聞いてきたから、明日は空港に行くんだよ、というと、じゃあ迎えに行ってもいいか?というので、まあどうせメーター制なので、いいよ、というと、どのホテルだ、と聞くが、いや違う、ミュージアムの前で待っているからそこからホテルで荷物をピックアップっして空港に向かってくれるか、というと、勿論、イイヨ、との返事であった。 そんな訳で、ムージアム前で震えながら待っていた11時20分、律儀にも11時30分と言っていたのに11時25分に来てくれて、おお寒空の中、まあまあありがたいやんと思うのであった。 ホテルまで5分程度で戻り、預けていた荷物をピックアップした後はひたすら空港に向かってGOである、ラトビア語ではIETである、日本語でイッテチョーダイである。ラトビア語あるよ、エストニアみたいに、世界中で200万人ぐらい話してるみたいよ、ネット情報だから当てにならんけど。タクシー内は、WIFIフリー。 空港に着けば、速攻でチェックイン、かなり空いている模様が想像できたのであった。暇となる。暇となれば何をするか。ビール飲むあるよ、しかしまだお昼あるので、売店の人も袋に入れてくれた。でもちゃんと前に並んでいた人もビール買ってたんだ。最近の携帯電話はよく分からんほど勝手に個人のメールを読み込んで飛行機情報を流してくる。しかし、まさかの搭乗口の変更まで流してくるとはどっからそんな情報拾ってくるんだ、別にそんな情報いらんけど。セキュリティに並んでいると後ろの黒人が心配そうに、これはミラノに行くのか、と聞いてきたので、全員通るんだよとお答えしておいた。意味なくくまなく空港内をうろつく。久しぶりにルフトハンザに乗るような気がする。月間無料リガガイドに載っていた店空港にも支店があったが、その名はヤバイだろう。エア・バルチックはラトビアのフラッグキャリアである。もともとSASグループであった。サンドイッチを食し、ワインで流し込む。具はチーズと肉が選べた。んー、フランクフルトは8度か。よく考えたら2年ぶりで、何だかホームグラヌドって気がして懐かしさを感じる。ルフトハンザ航空の店を物色し、地下に降りてみるとフーターズやノードシーはなくなており、タイ料理の店はアジア料理になっていた。今日の晩飯にカオパッを買おうと思ったのに、売ってないやん。どうやら乗客は30人ぐらいしかいない模様。ボンバルディアに乗り込む、何セすぐそこだからね。近郊を飛ぶルフトハンザシティラインであった。何がルフトと違うかよく分からんが、30分ぐらいで到着。伊丹高知ぐらいである。もはや、飲み物も出ない。プラハも近いけど、お菓子と飲み物出たけどなあ。2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.08
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ルクセンブルグ中央駅から空港までバスで20分であり、リーズナブルな料金設定2ユーロである。来る時は外の自動販売機でチケットを購入したが、どこにも売っていないので、バス乗るときに支払う。(皆、定期みたいなのを持っているのだろう、誰も支払っている人はいなかったが)バスは3両つなぎ合わせた長い図体で、曲がるときにGがかかる。途中で日本人家族が乗ってきて催し物会場のようなところで降りて行ったが金融機関の駐在員だろうか。2時間10分ぐらい前に到着し、チェックインカウンターを覗くが客も職員もいない。仕方ないので、街中で購入してきた缶ビールを飲みながらベンチに佇んでおく。確認すると、ちゃんと表示されチェックインカウンター番号も表示されているのだが・・・。90分前に遠慮気味にカウンターに行ってみると、職員が2人、客は0人であった。小さい空港の上に、人が少なく静かな空港である。ボーディングパスを出してもらい、空港をうろついてみるが、店が2,3店舗あり、それで終わってしまい、カウンターの前を通るとまだ誰も客はおらず、とりあえずセキュリティを通る。45分前にゲートに到着するが、待っている人は十数人である。人数は20分前になっても変わらない。結局乗ったのは20人程度である。むむ、小型機なのにエンジンが片側に2基ついている。どうやら、アブロのようだ。徐々にボンバルディアに移行しているとのことだ。これは初めて乗った。画像検索したらスイスでよく使われている感じだな。食べ物は小さなチョコが一つ。ワインを飲む。窓を遮断するシェード、だいたい上からで、イグジッドロウだけ下から上げるってパターンを見たが、おお、上からも下からも使えるぞ。こんなんないのか、コスト掛かるからか、と思っていたが、発見である。ちょとだけ感動した。これまた30分程度でチューリヒに到着である。元々帰国はスイスからかなー、と思っていたのだが、いやいやまだまだ続くよということである。マニアな世界もあるんだねえ。スイスは2012年ぶりである。前来たときにホテル予約してなかったので、空港からネット予約したのだけど、何だかフリーWIFI、携帯電話番号入れたらSMSでパスワード送るって、SMS受け取れないよ。(受信は無料で受け取れることになっているようなのだが)2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.07
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実家には、まあそうだねえ、挨拶にいっとかなねえ、ということである。4日の出来事である。3日の朝に妹夫婦&子供がイギリスに帰ったのであるが、また3月に来るとの事である、年に何回来てるねん、ということである。妹にあげたアバクロジャージは置いて言ったとのこと、ケシカランが、3人で量り用意して(体重計か?)、25キロの3人分75キロギリギリまで量って、積めるだけ詰めて、あとは諦めたようであり、アバクロは諦め組である。しかし、今回はKLMのビジネスなので、荷物はもっといけると思うのだけど、あやつらは気がついていないのだろうか。まあ、関係ないけど。俺なんか、荷物重いぞ、行きも帰りも12キロだぞ。 本当は、ルフトでフランクを2日に出て、3日の朝に関空に到着し、そこで妹夫婦らにバイバイすゆプランニングだったが、旅行計画画策してて、ベオグラードからフランクフルト直行便はなく、オーストリアンでウィーン経由とかスイスでズーリック経由ならいけるのだが、いずれも午後便で、午後一にフランクに到着出来ないので諦めた次第。前日に行って、フランク1泊したらいいのだけど、まあ、フランクフルトはもういいよ。20回ぐらい行ってるから。ということである。あるのだが、考えたらフランクに一回も泊まったことないなあ、私のベース、フルクハーフェンその1なのになあ。 まあ、今回は、電車でGOである。車内で読書もしたかったからである。賄賂は、簡潔にいうと今回旅行やっつけ土産に、日本酒、プリン、お歳暮にもらったハム、お年玉である。 日本酒については、オトンが好きだったと思ったが、今は健康管理オタクマンになっており、12市長海洋に年末になったようで、そこから酒断ちどころか、いろんなものを絶っており、おかゆを楽しんでいるようだ、いや楽しんでないか。それでもさすが厭世主義者なので、それらが禁止されても、あまり屁とも思っていないようである。あ、飲み食いだめなの、あ、そ、である。すごいよなあ。トモダチもおらんし、俺が帰ってきても、テレビから目を離さないし、必要なこと以外なにも話さないからねえ。全てが面倒DNAをきっと俺も半分は引き継いでいて、何でも今日そそるオカンシステムのDNAを半分受け継いでいるので、私は興味のないこと以外は全くどうでもいいという感じに多分なっているんであろう。だから仕事のどうでもいいこだわりには上司部下関係なく従うが、時折失笑である。笑顔と失笑は、顔の対象性が違うものだが、俺は同じである。ただ、失笑の時は、多分、力なくニコヤカに笑っている。ワハハをトホホに言い換えると、まあ解り易い。 まあ、十二試聴海容のことも、オカンは、病名なんだっけ?と聞き、親父も病名が出てくるまで、随分時間を要した。すばやくでたのは、年末で病院開いててよかったよ、ということである。緊急病院はいつでもやっているのではないのか?知らんけど。 そういえば、子供の頃、一度だけ、親父が我慢できなくなって救急車に来てもらったが、子供心に「あれ、乗りたいなあ」と思ったことを意味なく思い出したのである。勿論付き添いとしてである。ん?あのとき、何の病気だったのか知らないが、オカン乗って行かなかったな。そういうものなのか?救急車未体験の俺には分からないが、一生分からないままでいたいと今は思う。 あ、それで日本酒だめだったら、どうすんだよ、まあ金粉入り、オカン飲んどいてや、ということである。帰国して、時差ボケが始まって、飛行機で2時間しか寝てないのに、寝たのは4時か5時であり、起きたのは10時くらいであり、夕方、ようやく年越しソバ(いや、年2日越してるけど)を食べに行くが(WITHねぎとろ丼)、固形物を食べるのは20時間ぶりであった。そして夜中1時頃に、スーパーで半額になっていた刺身に、半額になっていたおにぎり2つを解体して、またもやイロイロ海鮮丼にして食ったら、そのまま座ったまま眠りに入り(LIKE A レインボーマン)、気がつけば4時であった。これはいけないと急いで5時に寝るが、起きると9時である。そこからうだうだして、ハラヒレしてから実家に向かったのであった。 あんた、今日はテレビずっと見てるけど、家では見ないんじゃないの?と母親に詰問され、ん、まあね、テレビ地上デジタルだかなんだかに移行してもう見れなくなったからテレビ引退した、という。フーン、以上。 この前のハワイで買ったコナコーヒー、友達えらい喜んでたわ、美味しかったって、まだあるから開けてみるか?あ、甘い匂い?これはイマイチじゃないのか?(飲んでみたら)1あ、苦くない、あ、苦くなってきた。あ、後味イマイチやな。以上。これフレーバーコーヒーやったんかな、と思うが、まあ、思っただけで、俺も飲んだが、いけんじゃん、てことであった。ま、この前のハワイで、コロナビール頼んだら、なんだこの水みたいの?と激怒はしてないけど、ガッカリ感満載だったので、保守とはそういうものかも知れない。そのあと鉄板焼きの店に行ってプレミアムモルツ(サントリー)飲んだら、やぱ美味いねえ、と言っていたからねえ。まあ、そういう俺も初めて飲んだビールで感動したのは、チェコのブドワイザーだけだけれどもね。ベルギービールとか美味しいし、日本もこれしかないよ、といわれてもウエルカムだが、そこそこの美味さであった。感動装置は、まあ期待度とシュチュエーションによるからね。ドイツのドレスデンからチェコプラハに向かう列車の中で、販売員からビール買ったんだけど、あれが史上最高に美味かった、いや、もうひとつ思い出した、18歳初めてフィリピンに行った時にビーチで飲んだサンミゲル、ただ前日マニラで飲んだときも美味かったが、断然、ビーチレストランで飲んだビールが美味かった。初めて見る椰子の木、オープンエアのレストラン、海から吹く心地よい風、何もすることのないリラックス度、珊瑚礁、まあ、やっぱシュチュエーションと初めて感だろうな。2度目に初めて以上の美味さ感動はない。 あときいたのは、田舎のことであり、まあ超ドメステックないがみ合いということである。ああ、そういえば、オカンのアニキの息子2人のイトコには子供が二人ずついるが、顔も名前も知らん。オカンの弟や妹には子供おるのか、結婚したのか、も知らんし、親父の兄弟のイトコについてはまったく分からん。いや、親父も知らんけど、何年も自分の実家に行ってないのではないか?今ふと思い出したのである。もう親父方のほうは俺自身20年ぐらいいってないわ。マア特に問題ないんだけど。どうやって食ってンのだかだけは不明である。プリンは二人分である、モロゾフの抹茶の。すきかどうか知らんけど、歳時記というか季節を守っているのは老夫婦というか、割と3時のおやつ(和菓子かも知れないが)というのは食べると聞いたので、買っておいたが、食べるかどうかは知らない。お歳暮に貰ったハムについては、お歳暮にハム攻撃で、ハムがイーパイあってこのままでは捨てるしかないのである、だいたい、俺はハム食べないのである。薄々のハモンセラーノぐらいなら食べるが、切るのも面倒だし、1枚ぐらいなら愛想で食べるのだが。いやー、お歳暮お中元で嬉しいのはビールだけである。あと、ま、コーヒーでもいいよ。ということである。 お年玉については、ま、そういうことである。きっと妹らは渡してないというか、くれくれ娘にくれ、それお渡しが使うから、であろうから補強しておこう。ま、ガキにあげるのではないので、財政的に私的には厳しい金額を渡しておく(が、多分すぐ忘れる)。あとから、アッレエ、何で金ないんかなーといって終わるのであると想像される。 まあ、そんな感じの2016年挨拶であった。というか個人的な日記なんで読む必要ないよ。参考)1年前の実家挨拶DAY どうやら来週、シンガポールいこうや、と母に提案したことが判明。そうだったかな。 昨日、15分遅れで帰国した。いやはや同じ気温でも、日本は寒い。何せ、家に帰っても寒いのである。そういうことは分かりつつも家に帰るしかないのである。それが宿命なのだ。いや、帰る場所のある幸せなのである。 しかし、昨年末に携帯電話を必要に迫られて買ったのであるが、それが、何故だか私を追いかけてくる、どこからどうやって情報を取ってくるのか、ゲートまで勝手に確認して、全く勝手なおせっかいなことしやがる。飛行機に乗る時間ですとか、ホテルのチェックアウトですとか。おまけにバス乗ってたら位置情報まで勝手に確認して気温教えてくれる、GPS切っているのに。あまりよくないシステムである。ほっといてくれ。 家に帰ったのが何時だったかなあ、とにかく正月気分もあって、なんとなく、鍋焼き饂飩やろ、ということになり、コンビにで冷凍鍋焼き饂飩を購入。いやはや、実際は不思議なことで、日本食は好きなのだが、いくら海外にいても日本食食べてもいいけど、もう食べたくて仕方ないってことは18歳のときから無くって、実際何年も米を購入しなかったこともあるが、それでもたまに海外ででも、たまにノリで日本食行く。それはいいとして、今回は日本に帰ったら年越しソバだな、と思っていると、実際のところ家は寒いので年越し饂飩でないとあかんやろということになったという乗りである。そんな訳でウドンを食べた後は、まあ、そうだな、チューハイ飲むかで、帰国日は終了。 翌日は、さくっと起きるつもりもないのに、睡眠時間6時間でサクッと起きてしまった午前8時半であった。機内での睡眠時間が4時間であったというにである。マア多分、それは愛嬌と時差ボケであろう。特に問題は無い。そして、ぼやおやしているうちにというか、ずっとボヤボヤしているのであるが、お土産を装備しながら、実家にはイかなあかなということで、2,3週間ぶりに車を転がす。実際は転んでいないのであるが、バッテリがあがっているのではないかと多少不安感もあったが、まあ、そういうことはなく、車は順調にエンジンはかかったがガソリンはエンプティ状態で、ロシアのルーブルが下がったから連動してガソリン代も下がったのではないかと思いガソリンスタンドに行くのだが、天然ガスとガソリンの連動性は良く分からず、前に入れたのもリッターいくらか忘れたので結果も分からずである。 まあ、そうやってガソリンを入れるのであるが、(満タンにするとガソリン自体で車両が重くなり、燃費が悪くなると思うのである。何セ7~80リットル入るのである。それにしても、車はヒトリで乗ると不条理である。私という60キロを運びために2トンだか1トンだかの鉄の塊が走っているんのである)車を転がすのである。何故転がすのか、そういう道徳的なものや哲学的なことに対しては、いつかいつかの次回を待てなのである。誰も待っていないので、私も忘れるのである。ただ、車は車に皆さんはある程度の信念を持っているのである、例えば、私の父親の信念は安い車しか買わないが車検を受けたことがなく常に新車を買い続けるのである。そして、売り込みが嫌いで、トヨタは何かと次はどうですか、車の調子はどうですか、何か不具合はありませんかとやたらサービスが良くて、嫌だそうである。売ったら売りっぱなしで音沙汰のないニッサンがいいみたいである。私の場合は、運転が下手糞なので、煽られたくないので、見た目高級車である。皆さんが私を避けてくれないといけないのである。しかしもう10年ぐらい乗っているが、壊れたらもう車人生は引退である。もう前にも書いたが後ろドア左が開かなくなり、サンルーフも開かなくなり、カーナビも壊れた。まあ、そういうのは大勢に影響がないので直すつもりはないのである。走ること、イキること、舐められないこと、まあ、それが大事なのである。 実家に到着したのだが、まあ特に話題はなく、あんたの会社の折込チラシ入ってたで、ぐらいであとは、ぼーっとテレビを見ている。もう40代のオッサンが行っても何もないのである。親父が、白髪出てこないなと言ったぐらいで、いや結構出てきたよ、もう死ぬよ、と返事じたぐらいである。お土産渡したら、一応お土産もらう。オカンに今週末、旅行行かないかとオファーしたら、まあもともと予定はないよ、とのことであった。まあ、世間体にいうと、親孝行である。親から見ると、あんた誰かと行く人いないの?である。 帰り道は、CDからは、ジョンレノンのワイルドターキーがかかる。サブイボだね、ジャンキーがヤクが切れたときにサブイボができる状態のことをいうんだね。ああ、そういえば、あ、なんだったかな。 でも、家帰ったら、この前娘夫婦に驕った焼肉代が高くて、少し寂しくなった。支払いに関しては、悪い年明けである。ゴーン。ところで、私は、第一印象というか、インスピレーションが結構正しいと思っているからね。それは、多分、整理してないけど経験上から来ることを前提にしているはずだけどね。だから、上手くいったら、何故上手くいったか分からないんだよ。そういうものじゃない? 帰ってからお土産の自家製コロッケ6個全部食べてしまった・・・。おふくろの味にには何にもかなわないというものの、実家では、ガキ時代イタリアンというかパスタ、スパゲティなんか1回しか出たことないのに、イタリアンは好きである。カモも何かのムニエルも1度も無いがフランス料理は好きである。幼稚園の連絡帳には、先生にオカンから「好きな食べ物はヤキメシと餃子です」と書かれていた。まあ、そんな感じである。考えれば親とはもうあと5,60回も会わないのである。多分。
2016.01.06
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前回からの続きの模様。 そういう訳でアタチュルク、イスタンブル空港をぶらつくのであるが、イスタンブール空港の内部は大体分かっている。いまさらであるが、先週割引していたウィスキー系チョコが定価に戻っていたので(16ユーロ←12ユーロ)ムカついて買わなかったまでである。席という席は埋め尽くされており、ヨーロッパ人と中東の人は地べたに寝転がっているのである。12時間から遅延しまくりで、私も仕方なく、行くところもないので3時間を地べたで過ごすのであるが、はやくゲート表示ぐらいしてくれっよ、と言う感じだったが、出発1時間前にゲートが表示された。ああ、これバス移動のやつやな、とすぐに分かるのであるが、そぞろ日本人が集まってくるのであった。座っていると、ガイド付き団体がきて、やたら説明していて、親切だなあ、と思う。この時期団体旅行ってお金持ちなんだねえ、と思うのであるが、個人旅行少ないね、さすが正月とも思うのであるが、さすがに本を読んでいると、もう夜中の3時を過ぎて、時々気を失う。あ、あおれいま寝てたよね、あ、ガイドがたまきひろしだかこうじが乗ってきた話してたよね、とか思いながら、昨日のトルコ航空関西便キャンセルになったので満席に近い野違うかと思うのであった。イスタンブールイミグレ空港、税関通ってからでも2階に外に、外気に触れる場所があって、まあ喫煙コーナーなのだけど、厚着で蒸し暑くなった中で外に出ると気持ちいいのである。外を見ると、雪がかなり積もっている。この影響なのか。(今は全く降っていないが、滑走路以外は割りと雪が凍り付いている)実際思っただけで、多分、いろいろ昨日振り分けられたのであろうか、びびった、25席ぐらいあるブジネスクラスに私を含め6人しか座らなかったのである。ガラガラである。1月2日である、テロで控えているのか、トルコやばい、シリア隣ってのがあるのだろうか。いや、何かおかしい、昨日の関空便はキャンセルになっているのに今日空いているのである。全員振り替え輸送できたのであろうか。まあ、今回のアメニティキットはジャガー提携のようだ。分からないが、トルコは今、独裁政権の大統領である。今、トルコは、EUに参加サテくれないヨーロッパ諸国にいらだっているだけでなく、トルコは世界最大に国家を持たない民族であるクルド人を弾圧しているが(2000万人ぐらいいる)、クルド人が自治を求め頑張っていて、ISに対抗してそれをアメリカと欧州が応援している。ISが潰れたらこれら欧米がクルド自治を認め国家を形成することができるかも知れない、それはトルコは自分の領土が減るので面白くない、だから心情的にISやってまえや、みたいな感じもあって、欧米が怒っているにも関わらず、ISシリア入りするのはトルコ経由で割りとトルコは黙認している。だから欧米は怒っている、そういう構図であり、それがどうなのか知らないが、空いていた、いやはや正月で乗れるかどうか危惧するハズナノニガラガラである。 ま、関係ないか、でも、うわっ、誰もオラン、とびびったのである。俺ひとりやったらいややで、いややから、すぐ座って3分後に映画試聴開始。結局、25席ある6人は団体旅行の初老2組と、アップグレードしたような女性と、背広のビジネスパーソンのような私だけである。あ、帰りは背広じゃなかった。しかし、4時にもなると眠気限界であるが、結局、映画を3本見て、睡眠時間2時間である。ヤバイのである、帰りは近くてたったの10時間である。飯もちゃっかり2回食って、いよいよ関空22時46分到着である。勿論、一番に機外に出て、何故か一人だけ速攻で荷物ベルトに到着してしまったのである。22時55分である。大阪行き23時10分、神戸行き23時15分に乗らないと公共交通機関で家に帰れないのである。しかし、荷物は出てこないのである。そのうち、後続隊も現れ、しまった、機内持込にしたら良かったと後悔するんであったがもういいや、いいやって早く動けや、といいつつ、13時8分にベルトが動き出し、1分後に荷物が出てきたので、急いで税関を15秒で追加して走ったら、神戸行き11時15分の1分前に乗ることが出来たのである、考えたらあの便で公共交通機関で帰ることができたのは私以外にいたであろうか?いないよ。まだバスはあるので、大阪駅や三ノ宮駅には出られるだろうが、電車は走ってないまあまあやったねえよくよく考えたら、セルビアワイン買ってしまったので、機内持込不可やったね。(再両替できなかったので)ところで、さすがに、現地時間5時前に出発して、ディナーはないだろう、と思いきや、俺はあるだろう、ということで、メシ&ワインである。いつも、ワインはその国のワインを飲むようにしているからね、だから今回もターキシュワインでお願いします。フルボトルで(そんなのないけど)。トルコは尻もだめであり、尻にボカシが入る。水着の尻がだめみたい。メッカの方向(キブラ)朝食も食ってしまう、というか、日本時間もう夜の9時くらいだぜ、フルーツで決めるか、俺のいつもの定番、マンゴースムージーどこいっちゃたんだよぉ~。いやあれは朝食にはない。前にもたしなめられたわ、「ごめんなさいね、スムージーは夕食にしか出してないのよ」と。そういうわけもあって(そういうわけは、ないけど)、ブラックコーヒー2杯である。 最終電車で自宅に戻る。三ノ宮駅構内は若い酔っ払いの老若男女で溢れ、まあ、悪くない気分であった。もう、既に日常が始まっている、いや日常の連続のまま戻って来た。日本語が聞こえてくる。あと15分で家に帰ったら、旅行終りやなあ。2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.05
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ベオグラードは、いやヨーロッパはナのだろうが、本来の冬を寄り戻しつつあるようで、イヤになるほど寒くなった。ホテルに荷物を預けていたが、5時に戻るから5時半にタクシー来てもらえるかな?という要望も、ハナタレ親父状態で4時過ぎにホテルに戻る。フロントの親切なオネエサンは、昨日の夜の男、朝のめがねの親切な女性に代わってまたチェックインしたときの彼女であった。寒かったでしょ、いやいや、もう「死にました」とマイナス8度を6時間も彷徨したら足先が凍りそうである。ベオグラードはどうだった?おおん、とっても良かったよ、ただ寒かったな、そうね、彼女も「朝はマイナス10度だったのよ、あなた熱いトルココーヒー飲む?」といってくれ、「タクシーが来るまで1時間あるけど、それでいいの?」「そうね30分後の5時に来てもらえる?空港で3時間待つわ」といい、親切にしてもらったんで、日本から持ってきた抹茶クッキーを「これ食べてくれない?」と賄賂を渡しておく。 ベオグラード空港までのタクシー派メーターでまあ1800(1900円ぐらい)だよ、と聞いていたが、確かに1780であり、まあ15分から20分で到着である。運転手はあざとく、速攻で車を降りて荷物を出してくれる。まあおれも別に社会人の勤め人なんで2000ディナール札を渡す。まあ200円ぐらいはチップとしておこう、特に問題はない。もし、問題があったら、ちゃんとバスで行くはずである。 とにかく、3時間もあって暇なのは解っていたので、事前にビールを買っているんである。袋で銘柄を隠して、まあグビグビやっているうちにビールがなくなったんで、1.3倍ぐらいするビールを追加である。昨日かセルビアビールばかり飲んでいるのでチェコのブドワイザーも捨てがたいが、ここはアムステルビールである。そんなわけで飲んだり、空港フリーWIFIしている間に出発45分前となり、いよいよチェックインすということになり、要は120分ぐらいニコラテスラ空港でうだっていたのである。悪いか、いや特に悪くないと思う。仕方ない。ニコラテスラ、いやいや、2,30年前から、これは狂気のマッドサイエンチストにして天才という認識であったが、空港名とはうわわ、である。要は割と旧ユーゴスラビアでは人気の人であり、キワモノではないのかも知れない。知らんけど。時代が早すぎたのか、オカルトチックすぎたのか、世界システム、早すぎたか。いや、フリーWIFIしてるときにヤバイ事に気がついた、もともと乗り継ぎガ110分だったので、多少急がないと思っていたのだが、地縁3時間10分のメールが。マジカ、イスタンブール夜中のカーボーイ5時間か、まあそういうことになりそうである。それより、それは仕方ないとしても関空にはなんとか22時台についてもらわないと困るのである、24時間空港を標榜していても、帰れるかどうかなのである。さすがにブルジョアの私でも関空に夜中に着いたら、多分朝まで待つ。タクシーで2万円も払うつもりはない、何セ空港は得意だ、8時間ぐらいなら意味なく過ごせるぜ、まあそういった感じである。今、これを見ると、22時40分ごろ関空到着であるので、公共交通機関で帰れるのではないか、冷静にそう思いながらアムステルビールを体内に注入していくのである。とにかく、注入作業に忙しくチェックインどころではないのである、というとまあ大袈裟である。出発40分前にチェックインすると、あとは、はやいはやいのオートマチカリーシステムであり、この小さな空港を縦横無尽に駆け巡り、速攻で搭乗口である。余ったディナールを処理する銀行が見当たらないので、意味なく免税店で「コンナけのディナールあるんだけど、これでワイン何が買えるの?まあ12,00円分ぐらいだけどね。」というとすかさず、このあたりどうかしらというサゼスチョンがあり、ソレを持っていくと、アト3ユーロ分ぐらい足りないね、というので、まあユーロもあるから適当に払うよ、ということでワイン購入し、ゲートを通過。 さすがに20時21時である。ブジネスクラスの10席ぐらいで、夕食どうかしら、って食べる人が俺含めて3人である。何故なら俺は朝からアルコール注入しただけで、何も食べていないのである。24時間ぶりの固形物なので頂く、頂くってかこの中途半端な時間の便は、食べ物を持ってきて、「どうする?食べる?」と乗務員は聞いてくるのである。それでほとんどの人が食べない。まあ、おいしいやん、食べようってことである。まあ、1時間半ぐらいでイスタンブルについてしまうんだけど。 イスタンブールに着いたら、荷物が25分出てこなかった。もし夜中の1時オンタムならもはや45分前であり、速攻で走っていかなければいけなかったけど(え、スルーっチェックインしろって?最後のトルコのスーパーマーケットで買い物しないとお土産何もないでしょ) まあ、とにかく1時が4時10分であり、さらに延長されて4時40分である。暇というか、暇なのであった。いや、もはやテロの影響か、何か外見たら雪になっていて天候のせいか、のきなみ遅延、特にヨ-ロッパ便は軒並み夜便が朝便になっており、空港内では皆死んでいる。あっちこっちで野たれ寝ているのであった。野垂れする自由を、いつもそう思う。駅舎でいつの間にか死んじゃってる。その影響、機材繰りがアジア便も影響を受けていた。いや東京は1時10分に定刻で出発なのに、である、でもそれに乗ったら、結局成田に着くのが20時過ぎである、成田1泊になるので、関空なんとか間に合うのか、私の場合公共機関で帰れるのが大阪行きバスが23時10分、神戸行きが23時15分である。ということはやはり22時台に到着やな、表示は22時50分問到着だが、そうする、いやどうもせえへんよ、最悪関空で寝るよ、ベンチでな。(続く)2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.04
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会社は無事終了である。終了したら、空港である。そんなに急いでどうする、どうもこうも年末どんどん混むでしょ、だから急ぐのである、いや今1分を急いでも仕方ないのであるが、生き急ぎ組としては仕様がないのである。急いで空港に行ったら、急いでアルコールを注入しながら体内充電に加え、携帯電話充電もしておくのである(あるが、機内で充電できたのではあるが)。ここ3年か4年ぐらいはトルコ航空利用が多い、のは夜中に出て早朝に到着するからであって、どうしてもヨーロッパ便は翌日の朝に出て夕方につくので12時間ほど遅くなってしまうのである、まあそれでもいいのだけど、最近困ったことにルフトが減便で関空デイリーでなくなったので利便性が悪くなったのも原因である。しかし、ヨーロッパ行くなら、オーストリア航空が気にいったゴールデンウィークであった。まあ、それはいいのだが、危ないところで満席御礼であり、それもトルコ航空ビジネスクラスアップグレードキャンペーンなるものをチェックインカウンターで行っており、5万円である。それで世の中の老夫婦はアップアップしちゃってて、なんだか席に向かうと、中年というか精神的老人に近し私がその中ではぴちぴちの若者だったからビビルのであるというか、一人だけ背広なんできっとビジネスパーソンに見られたんであろう。確かにドメステックオンリーのビジネスパーソンではある。偽りのない事実である。今はただ着替えがないからそうなっているだけである。それにプラスして、チェックインカウンター及び乗務員に良い印象を与える姑息な理由もちゃんとある。こいつ仕事人やな、慣れているな、良い席にしちゃろ、ということを日々狙っているのである。なんかJK女子の日本ダンス映画も見るのである。体操もするのである。まだまだ映画も続くのであり、ゆっくしビール&おにぎりである。そんんでもって、隣のオバチャンがちょっかいをかけてくるので、終始ヘッドセットをして映画を4本見たおかげで寝不足である。いや3本目のほとんどは寝ていたような気がする。ストーリーがまったく思い出せない。そういうものである。飛行時間13時間少々で4本なんで、たぶん本格的に寝たのは3時間か4時間である。(トルキッシュ航空は北極海方面シベリア方面でなくまっすぐ飛ぶんで、ヨーロッパ諸国に行くより1,2時間、時間がかかる、いやフィンエアなんか10時間切ってなかったか?)そんでもって、皆さんというか隣のオバチャンも含め小金持ちという感じであった、トイモイ博士みたいに、これだけにジェニコつぎ込んでいるわけではないのである。持ち物もブランド物であり、私のように韓国地下鉄構内路上で買った500円のエスポとは違うのである。それでも、みなさん、浮かれポンチ的な感じで、その中で一人静かなビジネスパーソンもどきなのであった。ワイン飲み過ぎやろ?今回は乗り継ぎ便の混み具合やなんやかんやを見て、結局は6時間以上待ちのイスタンブール空港であり、以前なら街に出たが、今は、ひたすらじっと時を待つのである。高いチャイ(6.5トルコリラ、約300円弱)を購入し、WIFIにつなぐのである。流れている映像が、セクシーダンスだったので、ここはトルコなんか?と一瞬だけビビル。ラトビアは割りとイスタンブールから遠くて3時間である。さすがに3時間となると、インビジュアルディバイスが設置されていた。おお、日本語にも対応してるじゃん。キブラ(メッカの方向)も指示。黒海の脇を通る。リーガ空港では、美人イミグレの人だったのだが、リトアニアみたいに、金髪率世界有数に高いのか、と思ったものの、そんなことよりパスポートのスタンピングされた国が意味なく多く(最近ヤバイナ。この前のハワイもだけど)、疑いを持たれ、やたら質問が多く、もはや誰も並んでないやないか、後ろ、という状態になってしまった。これからは5年パスポートにしよう、そう思ったのである、どうせ10年パスポートも1回しか増ページできないなら10年もたないからね、ということである。世界的な教訓としては、女性はマジメなので、できれば女性のイミグレーションオフィサーのところには並ばないことである。それとセキュリティを通るときには東洋人の後ろに並び、子供老人西洋人黒人の後ろにはトロイのでできるだけ並ばないことである。首都リーガの空港は小さく、出たら終わりという感じであり、急いで両替すると、しまった、ここ1,2,3年でユーロになったんだ(ラッツかと思っていたが、2014年1月1日からユーロになった模様)、ユーロ持ってるよ、ということで、必要のない両替しちゃったじゃないか、と後悔をするものの、まあ、ユーロなんぼあってもええけんどね、ということである。道理で誰も両替してないわけだ、とも納得するのであった。あったが、ただ無駄なコミッション取られた気がする。空港を出てまっすぐいけばバスが拾えるということであったが、そんなにタクシーは高くないし近いのでタクシーに乗ると、タクシー内WIFIフリーであった。おお、おもろいやん、まあそいういうことであるが、ななぼやったかな1000円か2000円で到着したのであった。ラトビア、バルト3国私にとって最後の国である。エストニアに行ってから20年弱である。あれか、ソ連から分離できて5,6年だったから、東洋人自体が珍しく、何度も振り返られた、そういう1990年代であった。(さすがに、リガ、最下層東洋人男性に誰も振り向かず)そうやって旧市街の少しシャビーな感じの通りにある宿にタクシーは到着するんであった。2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.03
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2016おめでとうございます ベオグラード今年の年賀状である。(オカン作、俺引退済み)12月31日にベオグラードに着いてから、1時間ほど散歩したらさすがにマイナス5度なので、もう終了である。体が冷え切ったからだけではない、年末年始はすべて美術館博物館関係は終了であり、おとなしく飯を食うぐらいしか外ではすることはないのである。宿屋のおねえさんも、全部クローズだからね、ひたすら歩き回ることよね。と言った。 そんなわけで元旦まで6時間あるのであるが、日本はすでに正月であり、ライン無料電話してみたりしながら、もうすることはないのである。ビールが種類にもよりが1本500CCで100円から120円なので、2本購入して部屋に戻るが、速攻でなくなり、追加注文2本で外にでるのである、出るというか、コンビニというかキオスクみたいなのはホテルの目の前である。ソノコンビニでは不思議と大人がスナック1つとかガムとか買っていく。そういえば、昔、京阪沿線に住んでいたとき、京橋駅プラットフォームにフランクフルト売る店があって、たまたまその前で電車待っていると、おっさんが3分おきぐらいにフランクフルトを買うのである。これはすごい売り上げだ、と思うと同時に、世の中のオッサンはフランクフルト意外と好きなんだな、と思うのであった。帰って飯食わないのか、いやその前哨戦だろうか、ちょとだけ関心した20代終わりの多感な年頃であった。それから10年以上経過したが、いまだに会社帰りの家路に向かう途中で、フランクフルト食いてえ、と思ったことがない悲しきドイツ、あ、そいつはドイツじゃねえ。なんか、2年ぶりに2日前にフランクフルト空港経由したら、懐かしかったなあ。本当はオランダ、スキポールを私の心のヨーロッパベースにしたいのだけど、飛行機の都合上、フランクが私のヨオロッパベースであり、フランクに来たらなんだかもう日本に帰った気分になってしまうのであるから変である。(まあ直行で12時間で日本なんだけど) そんなわけで、やはり0時まで6時間あるので、これは寝るか、ネットサーフィンするか(もう飛行機と宿泊の検索は昨日で終了である)、本でも読むか、正月向けテレビでも見るかである(まあ日本風にいえば紅白みたいな感じかな)。まあ寝てしまうと、もはや夜眠れないので、ビールを飲みながらテレビをつけてネットでベオグラード観光地を検索しつつ、さきほどの1時間でだいたいみて終わったなと思う。テレビは、まあ、歌を歌い続けるのボレロ踊り続けるのボレロ番組が4,5あって、見ているのである。23時半となり、じゃあ、出かけるかと外に出てみるが、中心広場でも特に盛り上がり感は統一されておらず、何だかよく分からないうちに正月となり、個人的に花火をあげる人がちょっぴりいるぐらいで、ホットワインコップナミナミ150円を購入して寒さをしのぎながらも、0時30分には部屋に戻るのである。部屋に戻ったら、自宅のテレビは壊れているが、ここではテレビっ子と相成るわけで、今年もよろしくおねがいしますなんである。マア毎年正月一緒じゃん。2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.01.02
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