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出発の2日前に入場料を見ると、え、ダルバート広場入場料1,000円?え、1000るぴー?え、その他に行こうとした3か所も1000ルピー?ウソだろ。今貧乏旅行したら、多分ネパールなら1日1000円ぐらいじゃないか?私が昔30年前行ったときは、インドより安くて、1日300円から500円ぐらいで旅行ができたが、たまにスイギュウバーガー食べたりしてあれいくらぐらいだったかなあ。あ、ダルバートは食い物だった。音楽が流れていて、よくみると、兵士たちが寺の上で笛を吹いたりしていた。早朝だからなんだろうか、何だかいい感じだ。それも相当有名なおおきな世界遺産の寺の屋根でだ。まあ、入場ブースはユルユル。しれっと入っても分からないが、地震復興を祈って正直に払う。現地の人は無料だが、当然30年前は無料だった。町の中に一体となっているから、路地があちこちに延びてどっからでも入って行けるじゃん、柵ないから、今もないけど。警察が何かあるみたいで、うろうろしていて、高級車も通った。小さな犬、ではないか。もちろん、はげ落ちた獅子.木の中に祠。モンキー(ハヌマーン)宮殿。太鼓。齢300年。カーリーだったかドルガだったか。カーラバイラブ、赤い畏怖者。ネパール航空ロゴにも出現。あ、うっかりこれけんさくするまでロイヤルネパール航空かと思っていた。そっか、ロイヤルじゃなくなったんだ。(旧ロイヤルネパール航空である)ロイヤルブルネイ航空には乗ったけど。前に来たときは、ここまで派手になってなかったような気がするのだが。右はインドラプル寺院。ビシュヌ寺院あ、関空カトマンドゥ、ネパール航空とばすニュース去年あったけど・・・。クリシュナ寺院獅子なのか。セトバイラブ、白い畏怖者。シバの化身のひとり。タレジュ寺院(Taleju Temple)、観光客は入れないが、笛吹く軍人は入れる。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.31
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野柳地質公園へ 台湾基隆の奇石正確には基隆市ではなく隣の新北市萬里区にある。新北市は台北市や基隆市に接しているが、キュウフンや淡水も新北市で、横にビヨーンとやたら長い。紙上旅行部上では、指で測ると10キロぐらいなので、タクシーで行ってもまあ1000円ぐらいかなあ、そいじゃあタクシーにしようと決めてきたので、駅前でタクシーに乗るが、不覚にもやたらグニャグニャ曲がり、1800円ぐらいかかってしまった、多分倍ぐらい走ったのえはないか、時間も30分ぐらい海岸線を走り続けた感じだ、一度山のほうに戻るので不安にもなるし、20円ごとにメーターが回るので、心臓に悪いのである。基隆島もズドーンとそびえている。だが、まあ、時間節約と楽チンで、まあ、戻りはタクシーかなと思った次第。バスで行けばよかったかなと思った。1815番で台北行けるし、基隆は790番、反対側の淡水からは862番。バス停も確認!うわあ、ひっそりしたマイナーなところだと思っていたら、観光団体バスが何十台も停まっていて、一大観光地になっていた。食堂レストランや何店舗かあり、海沿い、海鮮押し。土産物屋通りも駐車場とスタジアムの間に開設されており、土産以外にも食い物がある。まあ、そのあたりをチェックしたあと、トイレを済ませ、300円少々の入場料を支払い、中に入る。友好公園と姉妹公園の違いを理解せぬまま、おお、我が兵庫の日本海側ジオパークも友好しているやん。名前を付けられた岩だが、写真で初めて詳しく見て見た。海岸までは、暫く歩いて行かねばならなく、概ねダラダラ5分ぐらい歩く。前哨戦の奇石が現れ始める。そこに行く着くまでに早くもダラダラお菓子食べたり休んだりしている連中やカップルやその他もろもろもいるけど、そういうのはぶっちぎり抜かしていくのが私の流儀である。次があるんだ。きのこに傘軍団見え始める。人が多いんだなあ。もっとマイナーかと思ってたし、こんな日傘流行っているとは知らなかったよ。2019台湾フィリピン台北へ基隆へ野柳地質公園野柳地質公園2野柳地質公園3野柳地質公園4野柳地質公園5基隆 仙洞巌台湾残りの基隆基隆 中山公園基隆 中山公園2台湾基隆夜市台湾基隆夜市2台北 アニメ化龍山寺台北 華西街観夜市台北のホテルへ戻る台北→マニラマニラ20時間マニラ→帰国
2019.03.30
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ここ厳美渓では「空飛ぶだんご」として知られる郭公だんごが、まあ珍風景のようだ。渓谷の休憩所から、ワイヤーロープでつないだ籠に代金を入れ合図の板を叩くと、対岸の店員(店主)が篭を引き寄せ注文を見て、団子と茶を再び籠で届けるという仕組み。それがどないしてん、て感じだが、これが割と話のネタなのかなんか有名のようだ。空を飛ばないだんごやも散在している。しかし、12~3月休業、なんだよ。ちなみに、売上は多い時で、1日3,000本以上、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。こんな感じのようだ。しかし、団子、特に好きではない。嫌いでもないが、基本食べないんだ。うまいだんごを食べたことがないからかもしれない。まあ、あまり甘いものは、暑い国以外じゃあちょと。郭公団子とは、カッコウの如く飛ぶからであろうか。団子が飛んでいるのか。まさか、托卵ならぬ、違う店から団子入れ替えたものではないよねえ。ま、あ、カッコウの巣の上は、そういう意味か。ケンキジーのさくひんで、やたら映画ではニコルスンの演技が役にはまっていたが、そっか・・・あ、何がそっか、だっけ。サハラ砂漠のガラスかと思ったら、さはらさんということが俄かに判明した。ところで、来場者は早朝9時台ということもあり、団体客のバスが1台、以上であり、その方々は、私が到着したときに、ちょうど早速厳美渓に歩いていくところだった。空飛ぶ団子ねーぞ!とは文句もいわず、冬期休暇かいな!と不平も言わず、峡谷を楽しまれていた。2019岩手岩手 花巻往復岩手 佐原硝子岩手 空飛ぶ団子、佐原硝子達岩窟毘沙門堂毛越寺 中尊寺金色堂中尊寺再訪デクノボーの道デクノボーの道2幽玄洞幽玄洞2花巻 温泉郷
2019.03.29
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沖縄最北端から最終便に乗るにはそろそろ帰らなければならない時間になってきたと悟った。100キロ以上あり、渋滞にでも巻き込まれたら泣くに泣けない状態である。出発まで3時間である。島らっきょう齧りながらdriveって訳ではない。潮目前にもきたとき、駅伝やっていた。ああ、そういえばこの季節だった。こちらあたりに来ると(奄美大島以南)、木の幹が目立つ那覇市内に到着、離発着フライト眺めスポットの那覇空港横の瀬島に迷い込む。空港に到着したら神戸便の最終コールをやっていた。関空便20時5分なので大丈夫だ。まえそんな遅い離陸時間なかったような気がするが。何だか今日初めての食事といいながら、この店も連続3回来ている気がする、なんせ、食事時間が10分しかなかったのだ。機内では、搭乗口で飲もうとしていたビールを飲む、飲んでいる時間がイッキするしかなかったのだ。土産は、空港のファミリーマートで売っている酒。前も買ったけど。ヤンバルクイナから自宅に到着するまで6時間近くかかったか。2019沖縄本島今帰仁城備瀬フクギ並木、案山子広場古宇利島ヤンバルクイナ大石林山沖縄島最北端から帰る
2019.03.28
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寺の横に洞窟アリ。寺や神社や教会好きなんだが、どこに行ってもちっとも寄付もしないし、祈りもしない不届きものだ。寺に入る。ベトナムもいろんな人生や仕事がある。2019年ベトナム関空→ハノイハノイチェックインロンビエン橋ハノイ散歩ホアンキエム湖1ホアンキエム湖2ベトナムナイト線路沿いカフェサーカスへハノイ交通ホアロー収容所ホアロー収容所2ホアロー収容所3公安博物館タイロン皇城タイロン皇城2ハノイgourmetの旅軍事歴史博物館軍事歴史博物館2フォン寺へフォン寺 川フォン寺 川2フォン寺 川から寺へフォン寺 寺から洞窟、登山へフォン寺 洞窟寺から戻るフォン寺 寺の一部ハノイ→関空
2019.03.27
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台湾は、1年半ぶりということが判明した。台北到着3時間かからず、映画を1本みたらおわり。5年ぐらい前の、生まれたときに子供が入れ替わている日本映画をみた。(次、台北マニラ間のチャイナエアラインのほうが日本映画多かったような気がするが・・)昨年あたり、台北桃園空港からやっといつかできるきっといつかできるといわれていたMRTが開通した。150元(600円)の40分ぐらいで台北駅到着である。23時頃に到着するので、台北駅から歩いて行けるところに宿をとったが、そこはまあ、ビルリノベのプチブティック的ホテルであり、若者が割と泊まっていたような気がする。入り口、1階とは別に3階にあったホテル、香港チョンキンマンションのような感じでビルにホテルがいくつか入っていた。今日は、会社帰りで、破れてしまったズボンに擦り切れてしまったネクタイを持ってきたので、このまま荷物を減らすため、捨てる。夜中の散歩に出る。日記ホテルとな。夜中の散歩終了。台北城北門。2019台湾フィリピン台北へ基隆へ野柳地質公園野柳地質公園2野柳地質公園3野柳地質公園4野柳地質公園5基隆 仙洞巌台湾残りの基隆基隆 中山公園基隆 中山公園2台湾基隆夜市台湾基隆夜市2台北 アニメ化龍山寺台北 華西街観夜市台北のホテルへ戻る台北→マニラマニラ20時間マニラ→帰国
2019.03.26
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台北発マニラ行きは7時半頃であったがマニラ発は6時55分である。台北桃園空港まで10キロ程だったので、いろいろやることあって2時に寝て5時に起き、5時半にチェックアウトした。そのせいもあって、夜8時頃に急に眠くなって、起きれば1時頃、5時半頃に空港着きたいので、あと4時間半だ。どうすんべか、そうだ、だらだら歩いて近くに飲みに行こう、そういうことに勝手になった。適当な店に入ると、店の中にいる従業員は暇そうにしていて、みんなが来た。ビールは1杯100円なので、皆さん、ノメノメと勧める。暫くいろいろ話をしていたが、そのうち、睡魔も襲ってきて沈黙状態になってきた。3時前に店を出て、あと1時間半でチェックアウトしないといけないので、寝るのはやめよう、ということになった。コンビニで何故かまたビールを買い、部屋に戻って、シャワーを浴びた後、飲んでいると、座ったまま意識を一瞬失ったのかも知れない。やばい、急いで、荷物をまとめ、速攻でチェックアウトし、タクシーに乗り込んだ。タクシーは300でどうだ!というが、200で行ってくれというと、OK中国人か!いや日本というと、彼は急に日本語を喋り、いやあおれはオーバーステイして日本で7年過ごしたよといった。最初はバンドマン、そして現場ね!と工事現場で働いていたようだった。それで今はタクシーはじめて5年やねん、なんかいいながら空港に到着。今度来るとき電話頂戴、といわれラインもおしえとくわ、と言われ一応メモした。チェックインしたのは、177席中、175番、カウンター締め切り10分前、誰も乗客はいなかった。かつて世界最悪の空港といわれたマニラニホイアキノ空港も綺麗になって、乗客以外入れることもなくなって、スムーズに進む。確か10年程前に来たときは、2時間前に到着し、出国手続きの長い列に並び、出国手続きを終えたときには出発時間であった。多分多くの人が遅れていると思い、そのまま搭乗口に行ったなあ。搭乗口の前の売店でビールを購入、350CCが200円ぐらいだったので、機内で飲むつもりだったが、搭乗口前でチケット確認チェックと荷物検査があり、これ飲んで下さいねと言われる。うわ、もう、どんどん飛行機に乗り込んでいっているやん、これは、急いで一気飲みだと、学生デモあるまいしなのだが、早朝からビールイッキ飲みの修行であった。ほぼ最後に搭乗、まあ、一番前の通路側なので、最後でもよろしいがオーバーヘッドビンがどこも詰まっている。手荷物は7キロまでで、6.5キロであったので、大丈夫だったが、ぎゅうぎゅうに押し込める。(荷物預け無し)ジェットスターの国際線は初めてだ。席は一番前の通路側で、乗務員と向かい合い席で、日本人とシンガポール人だった。ディバイスがないので、暇で本を読みながらも、いろいろ放送などやっていることをついつい見ていたりなんかして、ウエブ上で食事をオーダーした人に配り、その後、当日のオーダーを採って行った。その次は、本を開けば目が閉じる状態で、どうやら眠ってしまったようだ。3時間20分で予定より15分ぐらいはやく到着したのであった。関空にはすごく多くのアジア人がいた。帰って洗濯したら、靴下がいっきに三足も片一方しかなくなってた。何で洗濯すると靴下なくなるのだろうか。片一方靴下が10足ぐらいになった。今度旅行に吐いて行って捨てよう。2019台湾フィリピン台北へ基隆へ野柳地質公園野柳地質公園2野柳地質公園3野柳地質公園4野柳地質公園5基隆 仙洞巌台湾残りの基隆基隆 中山公園基隆 中山公園2台湾基隆夜市台湾基隆夜市2台北 アニメ化龍山寺台北 華西街観夜市台北のホテルへ戻る台北→マニラマニラ20時間マニラ→帰国
2019.03.25
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台北駅MRT空港線。こいつで空港方面に向かう。昨年あたりにやっと開通したのだ。(それで空港から台北駅に来たんだけど)快速と普通があるのだが、快速しか来ないのでなんでや!と思ったら別に普通各駅ホームが別にあった。(壁があって見えない)1本乗り過ごしてしまったじゃないか。山鼻駅、一発で名前覚える、台湾桃園空港の2,3駅前。空港近く(グーグルでは12分で空港着。ここからホテルまで3キロぐらい)。それでここで降りたのだ。タクシー代削減。満月の夜22時、空港近くのホテルに向かう、明日早いのでなあ。山鼻駅で降りるとタクシーが3台止まっていて、2台すぐ乗られて、3台目に乗る。タクシー運転手が、日本人かと聞いてきたので、そうというと、何かつぶやいていると思ったら、SIRIを使って、「日本は素晴らしい国です」と携帯電話が喋った。お礼をいい、でもかつての発展は私の上の世代のおかげであり、礼儀正しさ的なものとか町が綺麗的なものは、私以外のことだからなあと思うわけない気持ちになる(いつもだけど)。それに、他の国もクリーンな国多いので、そんなに清潔なのかな、といつも思うのだが。シリで何かと話しかけてくる。「私の同僚もたくさん日本に旅行に行ってます」とか。ホテルに程なく到着し、エントランスにフロントの女性がたまたまか、出ていた。何か中国語で話しかけられたが分からないというと、英語でタクシーに忘れ物はないですか、と初めてそういう言葉を掛けられた。日本みたいだなあ、と思った。ホテル外観からしてデザイナーズホテルと分かるのであった。ロビーでチェックインしたのは23時頃であったが、朝食のことを言われたが、ゴメーン、あした5時半にタクシー呼んでくれる?と頼む。空港までね、というとターミナルはどこといわれ、チャイナエアラインだけど・・・ターミナル1のようだ。エバエアとチャイナで1,2タミで使い分けているかというと、まあ、そうでもないのがミソで、混在したりするてか、変更になるときもあって、前来た時も、便がない!キャンセルかと思った。別ターミナルの表示はないので、ターミナル移動するとあった。大駐車場見える、モールか。部屋に向かう。新しいホテルだ。部屋も新しい。ああ、川の流れのような蛇口、知ってるけど、ホテルで見るの初めてだ。ビール買いに行く、地元コンビニ。50メートル先にはセブンイレブンあるが、近い方だ。台北でもマニラでもコンビニのイートインで結構たむろしていて、ここでも、若者男性5人組とか若者女性2人組とかがダラダラしていた。ガソリン、リッター100円程度だね。部屋でビール。朝の5時半にチェックアウトすると、黒塗りの屋根にタクシー看板がない車が待っていたが、ちょと高級タクシーで、普通50元出発で5元ごとに上がっていくが(5元20円弱だが、すぐ上がるので心臓に悪い)、76元スタートで、6元ずつ上がっていく。でも12分程度で着くからいいかと思ったが、なんだか、やたら遠く、特に空港周辺に来たのに、くるくる回ったりして1500円ぐらいかかったような気がする。高っ。30分ぐらいかかった。一番安い方法かと思ったのだが、どうだか。考えたら台北市内からでも早朝バスあっただろうけど。第一ターミナルに到着し、カウンターを確認。飛行機は222の1列6席ででかめ。搭乗口に向かうまで2回も外人に搭乗口聞かれた。40分前搭乗口ははオープンし、うわ、ほぼ全員並んでいる、速攻で飛行機に吸い込まれる。ああ、空いているじゃん。お土産は、オークラのパイナップルケーキ、これ定番らしい。1つ200円。チャイナエアラインから機外に出るときは、ピりピン人や台湾人にそれぞれの言葉でアリガトいっていたが、私の顔を見ると、ありがとうございます、って日本語、え、日本人って分かったの??1時間半でマニラに到着。近いなー。近いから来てしまったじゃん。マニラ経由で帰ることに死者ったじゃん。いや、しちゃったじゃん。マニラの法則は、前の道路までタクシー捕まえに出る。ぼったくり防止。タクシー安い。250円ぐらいでホテル到着。2019台湾フィリピン台北へ基隆へ野柳地質公園野柳地質公園2野柳地質公園3野柳地質公園4野柳地質公園5基隆 仙洞巌台湾残りの基隆基隆 中山公園基隆 中山公園2台湾基隆夜市台湾基隆夜市2台北 アニメ化龍山寺台北 華西街観夜市台北のホテルへ戻る台北→マニラマニラ20時間マニラ→帰国
2019.03.24
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行く予定はなかったが、(知らなかったが)青の洞窟というサインが見えたので、寄ってみることにした。ここにもあるのか。海水の浸食によって出来た洞窟内部の海面が、太陽光線の反射で神秘的に青く輝くところが青の洞窟と呼ばれてて世界中に沢山あるぜよ、ここにもあるのか。じゃあ、行ってみるか、まあ、そんな感じである。メインストリートを離れ、1,2キロ走ると、新し目の建物があり、入ると、大変な賑わいで私以外には係員のおじさんと宅急便のおじさんだけであった。係員のおじさんは、一折の説明をして、洞窟にある石はパワーストーンです、とおじさんに似つかわしくない言葉を発した。まあ、だいだい20分ぐらいです。洞窟まで行けば1500円です、自動販売機で買ってください。え、高っ、しかし、俺しかいないし、一生もう来ないし、地元にちょっとお金落とさないといけないしなあとも思うのであった。それにしても、大雨と凄い風で傘をさすのも、傘が壊れそうだ。何故か自動販売機で切符を買い、改札でピッとバーコードをかざすが、この施設が入場料に上乗せか?来場者少ないのに過剰投資としか思えない状態だ。風が一方にずっと吹くから、木が同じ方向を向いているのが、素敵な光景となっている。しかし、風は強く、雨に濡れ、傘もさしているので、写真もまともに撮れないというか、まともな写真とるより濡れたくないなあ状態である。早々に、下の方に降りていく。トンネルを越えると、そこは洞窟であったが、青の洞窟?違うやん、青の照明ライトアップじゃん・・・やられた・・。入場料は、まあ、初期投資回収か・・・。LCCとかSNSの発達で、旅行者は増えたがそれも同じようなところにいくことになった。それで有名観光地は大渋滞って、渋滞ぐらいならいいかもしれないが、団体バスで2,30分来ても、せいぜい缶ジュースぐらいしか買わない、個人でゆっくり宿泊した人一人の落とす金は少なくとも1万円は使うだろう。じゃあ、観光地は、団体旅行者20分滞在者50人など来てもらわなくてもいいんじゃないの?地元にとっちゃ。駐車場も整備して、負荷だけかかって地元にお金落ちない、カックン。白川郷も、30分の滞在でもなんでも、3,000円ぐらい入場料とればどうかね。そういえば、いくらか忘れたけど結構な値段、ミャンマーのパガンの空港で入町税取られたな。ランプの宿が眼下に。2019能登半島能登半島行能登半島 恋路海岸、見附神社能登半島 逆さ杉等能登半島 青い洞窟能登半島最北端 狼煙能登半島最西側に入る能登半島から帰る
2019.03.23
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インドラ・チョークにある一番立派な寺院は、アカシュ・バイラブ寺院である。おしゃれな装飾が施されている。アサンチョーク、インドラチョ-クあたりは市場と寺院がごった煮状態だ。ダルバート広場の寺院が見えてきた。寺院の1階がショップになっていたりもよくある。レンタルバイク、雑貨屋でもやっているのか。冷蔵庫あるが、そういえば、ホテル何度も停電したが、だいたい1分程度で復活していた。30年前は、デリーのコンノートあたりとボンベイの都会中心部以外にジーンズの女性はいなかったなあ。爆発的電線、アジア名物。音楽隊練り歩く。ハヌマン寺院(ハヌマーンドカ)から出てくる。旧王宮だ。20年ほど前王室が廃止されたから、当然住んでいない。博物館だ。牛無視ホテル横の階段下サリサリストア。ビールの見本も置いているな。ネパール国旗の形は有名だね。ネパール人形2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.22
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空港横を向くと、ヒマラヤが見える。ナガルコット方面だ。チェックインバンコク行き。ボーディングブリッジはない空港。平屋建ての空港。夜に出て朝に到着する便なので、トイレ行く人少ないだろうなア。乗り継ぎ4時間半待ち時間にビール。バンコクの街にでるのはやめよう。1階のフードコートでソムタムつまみにビール。飛行機待ち時間にビール。しかし、入場料は高かったなあ。ネパールで1,000円ってすごい価値だよ。まあ、緩いので、通り過ぎるぐらいならすり抜けられたけど。(どこも、いちいち柵はない)天気が良かったから山が見えたようだ。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.21
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Kaathe Swyambhu Shee: Gha: Chaityaアサンチョーク、インドラチョークとか旧市街の市場などが続くメインストリート横に、ふと寺が見えた。ここにも、これ系比較的でかいのがあるんだなあ。スワヤンブナートのストゥーパを1650年に複製したチベット寺院ということだ。ki2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.20
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三つ目。第3の目。民家や商店の横や前に小さな寺がどんどん出てくる。祈るところは、あらゆるところにあり、人は、気まぐれにチリンと金を鳴らしたり、一周したり、花を添えたり、色で染めたり。ガジュマルの木の下で、スキまたはスキマあれば祈れる場所設置。小さな顔を祭るのか。寺院が建物にめりこでいる。 2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.19
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1986年初めてインドに行ったとき、何だか会う日本人の何人もがシタールシタールといっていて、何だかシタールとかタブラー(太鼓)とかいじりに楽器屋(ただの部屋だけど)におれも何度も行ってたなあ。何か忘れたけど、シタールが4万円で木の箱が1万円みたいな日本に持って帰る入れ物が高かった、でかいし、入れ物っての木を張り合わせただけで、これで1万円かよ、って感じであった。実際、大阪空港に帰ってきたときにたまたま知り合った日本人もシタール買っていて、やたらでかい荷物を持っていた。おお!ラビシャンカール!ビートルズ、ジョージハリスンの師匠!(ノルウエーの森でジョージはチョイシタール演奏している)。今では、ノラジョーンズとアヌースカシャンカールの父で有名か?結局、楽器は、今でもなにも弾けない。2019年の大阪・兵庫・奈良自宅正月平成最後の正月自宅2自宅36月7月有馬温泉の定宿三田市、有馬不二梅田大丸さざえさん0梅田大丸さざえさん1梅田大丸さざえさん2梅田大丸さざえさん32度目のアサヒビール工場見学もうすぐ万博だよ全員集合もうすぐ万博だよ全員集合2万博だよ全員集合太陽の塔内側だよ全員集合1太陽の塔内側だよ全員集合2万博だよ全員集合2万博公園無料ディ大阪国立民俗博物館メキシコ大阪国立民俗博物館日本インドネシア大阪国立民俗博物館シタール万博公園日本庭園吹田市長肝煎カフェ吹田蛍見に行く吹田ダスキンミュージアム吹田ダスキンミュージアム2豊中キャンドルロード大阪市内の清水寺大阪南港めんたいパーク見学大阪南港ツーリズムエキスポジャパン1大阪南港ツーリズムエキスポジャパン2大阪gourmetの秋奈良新大宮金魚1奈良新大宮金魚2奈良鹿公園奈良 頭塔
2019.03.18
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2012年トイモイ日記によると、有名なのが成功地方モデルの能登空港だ。搭乗率保証制度が効いている。乗車率が目標に達しなかったら地方自治体が航空会社に金を払い、目標をオーバーすれば販売協力金を航空会社が払い、創意工夫されているのである。俺も行こうとしてなかなか乗れないぐらいである。お、スカイツリー見えるな羽田空港早起きしてたので、何故か一瞬気を失ったが、それ以前に近いよ。横断でなく縦断。いったん日本海に出て、能登半島に入った。能登半島に入ってから、やたら、町がなく、山々ばかりだが、ここに降りていくのか?能登里山空港は、ANAのみ、東京に朝夕の1日2便往復だけだ。大阪10度東京17度能登2度。早速、空港内にある3社のブースの一つに行く。ちなみに、和倉温泉や輪島、珠洲など、羽咋郡以北の能登半島各地と能登空港を結ぶ乗合タクシー「ふるさとタクシー」がある。あと、めずらしく、道の駅のと里山空港という道の駅がある。ウキペディアより興味あるところだけ抜粋(いわゆるマスコミがよくやりキリトリ=前後を無視して都合のいいところだけ抜き出して批判、または称賛するマスコミのアクドイやり方のこと)輪島市、穴水町、能登町にまたがる木原岳周辺に、2003年7月7日に開港。 計画段階では東京(羽田)、名古屋(小牧)、大阪(伊丹)の3路線を見込んでいたが、定期便として就航するのはANA羽田線のみ。自治体による搭乗率保証制度を採用している。 年間利用客数は、開港15年目(2017年7月7日~2018年7月6日)の石川県集計で16万人。4年連続の増加で、過去最多だった。 なかなか順調。開港前、1日1往復の運航で利用者数を見極めたい全日本空輸 (ANA) に対し、当初より1日2往復の運航を行い利便性などを高めたい石川県および地元自治体側との間において、意見の相違があった。 そこで、年間平均搭乗率が70 %未満の場合は県と地元自治体が航空会社に2億円までの損失補填を行う、全国初の「搭乗率保証制度」を導入した。この制度では、あらかじめ定めた搭乗率に満たない場合、自治体側が補填することだけではなく、逆に定めた搭乗率以上が得られた場合は地元に金銭(販売促進協力金)にて還元することも盛り込まれていることが特徴である。この制度は使用機材の変更などによって年ごとに条件を変更しつつ継続している(還元額は、上限2億円としている)。また、開港3年目からは目標搭乗率前後に「特別枠」が設けられ、枠内の搭乗率であれば搭乗率の過不足にかかわらず双方それぞれの支払いを行わないものとした。 2004年 開港から1年間の平均搭乗率が定められた目標搭乗率を超える79.5 %に達したため、ANKより販売促進協力金として9,732万円が支払われる。10月19日 - 開港からの利用者が20万人を突破する。2005年 - 開港から2年間の平均搭乗率が定められた目標搭乗率を超える64.6 %に達したため、ANAより販売促進協力金として1,598万円が支払われる。2006年(平成18年) -開港から3年間の平均搭乗率が定められた目標搭乗率を超える66.5 %に達したため、ANAより販売促進協力金として2,000万円が支払われる。9月16日 - 開港からの利用者が50万人を突破する。2009年(平成21年) - 開港からの利用者が100万人を突破する。2014年(平成26年)能登空港から愛称であるのと里山空港に掛け直された看板の除幕式が行われた。のと里山空港若者未来応援助成金(地元高校生に対する助成)・・・能登地域の9市町に所在する高等学校に在学する生徒が、学校の課外活動時にのと里山空港を利用する運賃の一部を助成します。<対象者>能登地域の9市町に所在する高等学校に在学する生徒<対象の課外活動>のと里山・羽田便を利用した次の各号のいずれかに該当する学校長が認めるもの。1. 研修、発表会、交流会など2. 部活動等の大会、練習試合、合宿など3. その他、学校長が認める活動<助成金額>のと里山・羽田便の利用1席につき、2,500円※予算の範囲内で助成(200席分、先着順)ファミリー能登羽田便利用旅行助成金制度(地元住民用)・・・能登地区に住所を有する2名以上の家族が、能登-羽田便を往復利用した場合、以下の助成を受けることができます。<運賃助成額>1人あたり 3,000円ハッピーバースディ能登羽田便利用旅行助成金制度(地元住民用)・・・誕生月に「のと里山空港ウィング・ネットワーク」個人会員が、のと里山空港を往復利用して旅行をすると、1人当たり3000円の助成が受けられます。<運賃助成額>1人あたり3,000円のと里山空港を利用すると運賃助成が受けられます。【助成金制度の対象】・宝達志水町に住所を有する人で、のと里山空港を離発着する航空機を利用した人。・町内の小学校、中学校、高等学校の修学旅行で利用する人(引率者を除く)■往復利用普通運賃 2000円 小児運賃 1000円のと里山空港首都圏研修等助成金制度(地元住民用)・・・のと里山空港を10名以上で利用して首都圏等で研修等を行うと助成が受けられます。<運賃助成額>往復利用...1人あたり 3,000円がんばってるよねえ。2019能登半島能登半島行能登半島 恋路海岸、見附神社能登半島 逆さ杉等能登半島 青い洞窟能登半島最北端 狼煙能登半島最西側に入る能登半島から帰る
2019.03.17
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ベナレスの火葬場。(抜粋) 火葬場で、死んだ人が焼かれる光景は、日常であり、特に、焼き場で働く人間にとってはまったくの日常であり、死が隠されている日本人にとっては、その人が焼かれるということ自体が日常であるということに、驚かされる。死が管理されて隠蔽されていないところに、自由を感じることができる。 人が焼かれると、時々、水分が鉄砲水のように飛ぶこともあり、腕などが硬直して、ギギギギっと生きているように動くこともある。そして、焼き場で働く男たちは、次の死者を焼くために、川に無造作に、焼けた骨や焼け残った肉を川に放り込む。死体になんて邪険に扱うのだ、と思うと思ったが、そう思わなかった。 西洋人たちも、一日、川沿いで焼かれる死体を見ている。私は気がついた。焼かれる死者を見る目が、西洋人全員が同じ目をして見ているのだ。きっと、私もああいう目で見ているに違いない。死体が焼かれる光景を見る死者を隠す社会から来た人間の目は皆、同じ目をしている。 それは、どこも見ていない。焦点があっていないのだ。ただただ、燃える肉体を見ており、恐らくだが、何も考えていない。何も考えず、受け入れているのである。許容しているかどうかは、分からないが、そのままを受け入れているのである。肯定も否定もない。煙がパシュパティナート寺院を隠してしまう程であった。インドは近寄りがたい雰囲気もあり、その割に、焼いた後は雑で川にボトボト履いて全部落としていた。こちらは、誰がじっと見ていようと、気にせず、そして遺体も焼き方も丁寧に見えた。時代が変わったのかもしれないが。煙は意外と煙くない。普通目がいたくなるものだが。しかし、煙を吸っているってことは、亡くなったかたの一部が体内に入ってきているということだ。勿論日本でも焼き場の煙突から風に吹かれて微量に入ってくるかも知れないが、見ている人や通行人にはモロに入ってくる。それってどういうことだ?小さな寺の中はリンガ確かに1日中いることができる。眺めている周りの旅行者の目を見回したら、炎と煙の方向を見ていたが、やっぱり目の焦点が合っていなかった。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.16
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灯台近くまでの道は道路工事中だったので、まあ、ええわと思ったのだが、前にも灯台に記憶はない。曲がるくねった細い道の下り坂を車で下って行った記憶がある。そして、ガソリンスタンドで領収証を出してくれなかった怪しいおっさんから満タンにしてもらった記憶があり、もしかしたらこの潰れているガソリンスタンドのことか?と思った。勿論道の駅はなかった。能登の風、日本海の風の雰囲気はおぼえていた。かえってグーグルアースで地図画像を見たが、その海岸が分からない。そういえば、メインストリートは拡張されているに違いない。ここだったかなあ。砂浜まで車でおりていったんだよなあ。10年前の日記を加筆しよう。集合は西宮北口駅であり、車を停めた瞬間、エンジンが止まった。ガソリンがエンプティになり、我々はガソリンスタンドまでガソリンを買いに行った。ペットボトルなんかの薄いものはガソリンを入れると溶けてしまう。そんな感じで出発は遅れた。学生最後の年、石川県能登半島最北端「狼煙」に行った。その年の冬、12月30日、我々は、車2台にバイク3台で、能登半島へ向かった。我々とは、大学の仲間であるが、具体的なメンバーはあまり覚えていないし、何故そこに行ったのかは憶えていないが、とにかく、出発は同じでも、現地集合のキャンプであった。(我々の車は、実家が金沢にある後輩の家に寄り、でかい魚一匹もらってきたのであった。)「厳冬キャンプ、魚のナベ食べ放題バカバカツアー」はかくて遂行されたのであった。雪が舞い、車を恐る恐る走らせて、もう日もどっぷり暮れた頃、私は、叫んだ「おお、おおかみけむりの標識がでたぞ」すると、わたしより4歳も年下のYが言った。「トイモイサン、あれは、のろし、と読むのですよ」私は、彼をその場で降ろそうかとも思ったが、ぐっと我慢して、ちょっとだけしばきまわした。隠すほどのこともないのであるが、私が最年長にほぼほぼ近かったという事実はあり、大学生的に言えば、天皇的立場にあったので、ちょっとだけ強権発動しただけであった。夕方、砂浜の現地について、早速テントを張り、ナベを雪降る強風の中、作り始め、真っ暗になってしまったが、勿論、宴会が始まった。勿論、冬だって容赦なく、キャンプファイヤーはする。例に漏れず、火を見ては逆上し、雪は何のそのである。しかしながら沈着冷静な私は、子供に近いYが海に飛び込もうとするのを静止するほどの余裕まで持ち合わせていた。しかし、例に漏れず、その1時間後には、余裕で、私は果敢にも寒中水泳を敢行していたのである。勿論、あまり記憶にはない。私は、海から戻り、さっそく、冷え切った体を休める為にテントに入ったようである。「だ、大丈夫か!」という声に私はちゃんと返答をしたようだ。「大丈夫だ、まだ卒論は間に合う」と。しかしながら唇まで真っ青になってきた私は、自動的に車に入り、エンジンをかけヒーターを入れた。後部座席中央で震えていたのであるが、いつの間にか、両脇にも、後輩ドモが乗ってきたようである。テントでは寒すぎたようであった。テントで寝たものは、寒すぎていなかったようだ。私は、律儀だけが取り柄でもある。「おい、吐くぞ」と私が言った時には、シートを汚される悪夢に怯えた車の所有者も観念したようであったが、ちゃんと、後部ドアを開けて、後輩のひざに胸を当てて、顔だけを外に突き出し、オエーゲゲーとやった後には、何食わぬ顔をして「終わった」といってまた眠ったのであった。翌朝、若さゆえの回復力だけが取り柄だった私は、強烈な二日酔いもさほどなく、誰がこんな車の脇にゲロったのか、降りることができないではないかと罵り、まだ海水が乾かぬジーンズを見て、誰が俺を濡らしたのかとプンプンしながら、酒の臭いもプンプンさせながら、帰途についたのであった。往路も復路もずっとタイマーズをかけていた。そして帰りには、さすがに他の同乗者もタイマーズを絶叫していた。29年前のことを少し思い出しながら、車を走らせ、南下していく、きっとこの道は通ったのだろう、この道しかないからな。ゴジラ岩2019能登半島能登半島行能登半島 恋路海岸、見附神社能登半島 逆さ杉等能登半島 青い洞窟能登半島最北端 狼煙能登半島最西側に入る能登半島から帰る
2019.03.15
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恥ずかしながら、30年前はここを知らなかった。ネパーる最大の寺院というが、まあ、ひそかに空港から歩けるてか、昔はすべて陸路だったか。いや、誰か送り迎えしたはずで、空港の印象はもうなかったが、空港に行った記憶はある。あー、知り合いを見送ったような気がする。Katmanduに唯一でかい道路があり、中国が作ったそうだ。こりゃ立ち退き多かっただろうな。ああもしかして、道路が世界各国の首都で最悪状態ってのは、地震の後遺症のままなのかも。遠くにナガルコット方面が見える。ナガルコットは2100メートルの村でエベレスト(サガルマータ)、マナスル、アンナプルナなどが見える(ことがある)。今日は天気が良く、良く見えるそうだ。カトマンドゥからも見えているじゃないか雪山。ネパール最大のヒンドゥー教寺院パシュパティナート、駐車場から参道を歩いて寺に向かう。概ね10分ぐらいぶらぶら歩いて行く。特徴のある木は道路の遠くからでも見えた。寺院は入れないので外から見る。寺院にはいればすぐ象がいて、写真に写っていないが、でっかい金タ〇をぶら下げている。入ろうとすると、えらい剣幕で警備員に止められた。ここはヒンズー教信者のみだ!とのこと。少しあとずさりすると、そういう看板があった。パシュパティナート寺院の入り口。シバ神を祭るインド亜大陸4大聖地のひとつで、1500年前からあるという。他の3つどこやねん。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.14
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ボダナートの見学終了.ところで、太り過ぎの人はそう思わないかも知れないが、飛行機に乗ればひじ掛けを遠慮して使わない人もいるが、太り過ぎの人ははみ出る。しかし、飛行機は20キロエコで超えたら追加料金だから、体重も同じようにしてもいいんじゃないのか?60キロの人と80キロの人燃料代違うような気がするが。体重+荷物で値段決定!何となくよさげだが。まあ、プライバシー問題あるのかねえ。でも、正直座席から肉がはみ出すぐらいの体重過多の人が隣に座ってきたら、その人が申し訳なさそうにしていても、チョトムカついてしまう、すみません。サモア航空がそんなことしてるよね。ほとんど皆肥満だからね。車道は世界の首都の中でも凸凹度であった。もう道はジュクジュク、デコボコ、インフラやばい。ここ100か国でここだけみたら、インフラ度最低ラベル。ホテルは、何故か電飾。ネパールのガイドブックないので、地図手書きしてきたが、分からん。懲りないなあ。それにしても、30年ぶりにやってきて変わった点のひとつとしては、昔はどこに行っても王様女王様の肖像画が飾られていた。 2000年代初めにクーデタ説など諸説あるが、殿乱心事件があった。それが原因で王室はなくなった。あれには、びくりしたものだ。ゴルカ王朝だったんだねえ。ネパール最後の王朝。本当かどうか知らんけど、王王妃の写真に手を合わせ敬意を示す人、かつていっぱい見た。水汲み場、深い。チベットからタメルに来たときに、ホットシャワーが出て涙が出るほど嬉しかったのは30年前。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.13
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達谷窟毘沙門堂一関から平泉に抜け、車を走らせていると、崖に仏が彫られている磨崖仏が見えてきた。岩にめり込む寺。懸造というものだ。清水寺や投入堂とかみたいなやつだ。中のほうは写真とってはならないらしいが、原色毘沙門天。9世紀、征夷大将軍坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた蝦夷を討伐した記念として建てた。(とうじはまだ蝦夷という言葉はなかった?)坂上田村麻呂は、教科書でならったが、清水寺も造ったのではなかったか。どうやら、清水寺を真似て造ったようである。駐車場完備で、参拝客も多い。はいるときに出ていく人ひとり、出るときに入ろうとする男性3人組とすれ違う。しかし、こういう造りのへばりつくような建物いいねえ、と思うのはなんだろうか。重力に逆らう意思なのか。岩が彫られた仏。2019岩手岩手 花巻往復岩手 佐原硝子岩手 空飛ぶ団子、佐原硝子達岩窟毘沙門堂毛越寺 中尊寺金色堂中尊寺再訪デクノボーの道デクノボーの道2幽玄洞幽玄洞2花巻 温泉郷
2019.03.12
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50年ぶりに太陽の塔の中に期間限定で入れることになっていて、HPをチェックするとキャンセルが出ていて、急いで予約したのだ。予約しないと入れてくれないシステムである。早速、万博公園に到着、正直、写真撮影ダメな場所だったので写真はないが、あの左右の腕を内側から見たのが一番凄かった。こりゃ燃えるよ。勿論横に円錐になっている空洞で、金属フレームが内側の壁に巻き付いている。そして、今はライトアップされていて、円錐の先まで20メートルぐらいあって、近未来的でかっこいいのだ。さて、予約は11時であり、30分の見学時間、700円/人である。QRコードが送られてくるので、それを受付でスキャンしてもらうシステムだ。1階だけ(正確には地下1階だけ)写真撮ってもいいですよ、という注意を受け、並ばされ、16人ずつ出発させられるシステムである。さて、50年ぶりのお披露目である。岡本太郎がデザインした高さ約30メートル塔。てっぺんは金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」(いつしか、目が夜光っていた。前は壊れて光ってなかったような気がするのだが)、現在を意味する腹部に「太陽の顔」、過去は背面の「黒い太陽」が描かれている。原生生物から人類に至るまでの生命の進化の過程を表現した鉄鋼製の「生命の樹」(高さ約41メートル)は、博覧会以降非公開だったものを復元・再生し、2018年3月より公開。樹の幹や枝には大小さまざまな292体のちょっとチープ環漂う素敵な生物模型が取り付けられている。今回復元・再現したのは183体だとか。博覧会終了後は、地下の展示空間は埋められていたようだ。そして、地下に当時4番目の顔(地底の太陽)があったようだが、行方不明になっている。ここで、表現されているということは、こいつはレプリカってことなんだなあ。(説明書読むと、復元と書いてあった。)しかし、50年もほったらかしといて、と思ったら、さすがに2016年10月耐震補強工事して、内部再生工事着工しとった。今、豆を食べながら書いているが、96年に死去した作者岡本太郎が新幹線に乗っていた時、近くの人が弁当食べていて、豆が落ちたのを見て、真面目に、豆落としましたよ、と拾ってあげたというエピソードを思い出した。本当か知らんけど。来場者は懐かしむ年配者とそれ以外だ。つまりすべての世代だ。共通するのは、多分、皆さんインターネットはしているということだ。幹は直径1メートル。地下1階から生命の樹がそびえる。昔はここからエレベーターで上がっていた、というか、人が多すぎて立ち止まらせないというのが趣旨であったのだろう。昔はエスカレーター5基乗り継いだ。というか、大屋根のテーマ館に客を乗せて行ったので、また地下一階まで降りてくるってのはなかったようだ。50年前のレトロ感あるかといえば、サイケのままで、今でも十分楽しい色彩であった。公式サイトの太陽の塔説明単純な生物進化じゃないぜよ、エネジーである。単細胞からネアンテルダール人、クロマニヨン人まで。当時はネアンテルダール人も人類の祖先だと考えられていたつうことで。さて、生命の樹を中心にらせん状に登っていくのである。(つづく、と、思う)2019年の大阪・兵庫・奈良自宅正月平成最後の正月自宅2自宅36月7月有馬温泉の定宿三田市、有馬不二梅田大丸さざえさん0梅田大丸さざえさん1梅田大丸さざえさん2梅田大丸さざえさん32度目のアサヒビール工場見学もうすぐ万博だよ全員集合もうすぐ万博だよ全員集合2万博だよ全員集合太陽の塔内側だよ全員集合1太陽の塔内側だよ全員集合2万博だよ全員集合2万博公園無料ディ大阪国立民俗博物館メキシコ大阪国立民俗博物館日本インドネシア大阪国立民俗博物館シタール万博公園日本庭園吹田市長肝煎カフェ吹田蛍見に行く吹田ダスキンミュージアム吹田ダスキンミュージアム2豊中キャンドルロード大阪市内の清水寺大阪南港めんたいパーク見学大阪南港ツーリズムエキスポジャパン1大阪南港ツーリズムエキスポジャパン2大阪gourmetの秋奈良新大宮金魚1奈良新大宮金魚2奈良鹿公園奈良 頭塔
2019.03.11
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ハノイ駅と次のロンビエン駅の間は列車も少ない。線路沿いにカフェが並ぶが、列車が来るときだけは引っ込めることとなる。ちなみに、カフェに行くには線路沿いしか入り口はない。道路から入ることはできない。ですので、線路の上を歩いてビールやお茶を飲むシステム。その他、線路側からしか入れない民家やブチックや食堂が並び、渋滞避けるためにバイクが走っていたりする。地図作っておられる方いました。日本でこんなことして、SNSアップしたら自動的に炎上まちがいなし。子供の頃、SNSなくてよかったわ、線路でお茶飲んだことはないけど、線路入ったり、5円線路に置いたりしたけど、それアップできなくてよかったわ。道路からは、ここから階段を上がって線路に入る。撮影してたりもしていた。2019年ベトナム関空→ハノイハノイチェックインロンビエン橋ハノイ散歩ホアンキエム湖1ホアンキエム湖2ベトナムナイト線路沿いカフェサーカスへハノイ交通ホアロー収容所ホアロー収容所2ホアロー収容所3公安博物館タイロン皇城タイロン皇城2ハノイgourmetの旅軍事歴史博物館軍事歴史博物館2フォン寺へフォン寺 川フォン寺 川2フォン寺 川から寺へフォン寺 寺から洞窟、登山へフォン寺 洞窟寺から戻るフォン寺 寺の一部ハノイ→関空
2019.03.10
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綺麗で青春漫画のような目。ボダの前の幹線道は渋滞だったんだが、急に変わったわ。高さ約36mのネパール最大のチベット仏教の仏塔(ストゥーパ)である。そんなでかい感じはしないがなあ。スワ何とか寺院は厳密にはストゥーパではないが、こちらがストゥーパである。ストゥーパとは、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨等)を安置した仏教建築のことだ。まあ実際はほんまにそうなのか知らないが。30年ぶりとかいいながら、こちらの場所の記憶がない。いい感じの音楽が鳴っていて、時計回りに皆さん回っている。毎朝、信者たちがマニ車を持って周囲108回右回りするという。夕方にいったからマニコル持っている人みなかったし、108回回っているかも確認できなかったが、108回も回るには、4,5時間かかると思うのだが・・・。仏塔を取り囲んでだいたい3,4階建てに統一された土産物店、宿泊施設、飲食店がありながらも、路地が放射線状に延び、一般の家なんかもあったりして、だらだらするには良さそうだ。あー、一回ここに泊まってみたいなあ、と思った。どこがカトマンズの中心なのか、不明だが中心から6、7キロ先にあり、チベット人が多数住んでいるようだ。昼間は一段目の基壇部にはいけるようだ。五体投地チベット高原で、2泊3日のバスの旅、カイラス向かって平原を五体投地しながら進む巡礼者を何度か見たが、あれはいったい何年かかるのだろうか。カイラス山も五体投地で一周回るという。後ろ側。上からみたらこんな感じのようだ、曼荼羅になっている。ちなみに、ボダナートは仏陀の主人ってことだ。ちょっとちがうかな、仏陀は主人、神様ってことか。まあ、仏陀は神ではないが。いずれにせよ、死ぬまでにもう一回来れてまあ、良かったかなと、思った。が,人生は奇しくももう少し長く続きそうなので、もいっかいぐらい2、30年後行くかも知れないなと思うのであった。その時は、ここに泊まってみようか。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.09
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道端でチャイを飲むと、10円であった。昔と変わってないような気がした。(実際は昔は3円とか5円だったが、たしか1980年代後半はインド1ルピーが12,3円、ネパールルピーがその半額、5,6円であったが今は1円。チャイは1ルピーと相場が決まっていた。10倍になっているが、日本人からみると倍。まあ、前はネパールではダルバートばかり食べていた。ダルは豆カレースープ、バートはごはんだ。あとはカレー味湯で野菜や葉物の野菜や、ダヒ(ヨーグルト)がついてきたりする。基本、辛くない。あと、よく食べたのはチョウメンだ。まあ、省略していえば焼きそばだ。中国料理なのか?しかし、昔はどの店も料理が出てくるまでに時間がかかり、1時間待ちってことも何度かあった。他に客のいない店でも。昔は毎日、落花生1ルピー分買って歩き食べしたが、時々ピーナツゆでているのもあり、それは、あまりうまくなかった。サモサ系スナック、ちょっとほうばるか、そういうのが楽しいわけよ。何故かビリヤニ食べてしまう。よくココナツの内側の柔らかいビロビロ白いの食べたなあ。部屋呑みのつまみはどうかなと頭の片隅に思い描きながらぶらぶら歩いていたが、21時を過ぎると店も屋台もほとんど閉まっており、お、なんか卵に青玉ねぎがあったこと、屋台おっさんと目があったことで、購入することに決定。卵を敷いて、チャパティを置き、たまねぎやらなにやらを挟み、巻いたもの。熱っといいながら部屋に戻る。水もエヴェレストブランド(ホテルからの無料進呈)部屋飲み。ネパールアイス大ビン250円。エヴェレストビールはもう少し高く、ネパールの物価からしたらバカ高い。グルカビール。支給の少年がゆっくり大事そうにビールをグラスに入れてくれた。何故か白湯も出てきた(飲まんが)。食堂に入りベジモモを食べる。モモ(ネパール蒸し餃子)が50円だか80円だかで、ビールが400円ぐらい。モモと称するのを食べるのは確かにネパールに以前来て以来かも知れない。日本のインドネパール料理屋で食べた記憶はないような気がする。付け合わせは2種類の香辛料カレーである。旨いじゃん。インドではあまりみないような気がするが、ネパールでは割と水牛を食い、バフ(水牛)モモもあった。昔、何だか洞のような店でモモ食いまくったなあ。もとはチベット経由だな。バナナ購入。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.08
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空港から東北自動車道を南下すること60キロぐらいで到着。サハラ砂漠のガラス屋さんだよ。サハラを日本語にすると砂漠。砂漠砂漠。ガンジス川のガンジスを日本語にすると川。川かわ。まあそんあものよ。噴水から水が出てないな、仕方ないな。素晴らしい展示品だわ。そういえば、日本ほど外国文化というか作品が翻訳されて出版されている国はみたことがない。原書は売っているのかも知れないが、海外で書店に行けば、まあ、基本しょぼい。ホメロスやガリア戦記、ギルガメッシュ、ハーハーラバタ、そんな古典が岩波あたりにそろっている。そういえば、明治時代、アジアの国から留学生がいっぱいやってきて、図書館にこもった。日本語をマスターすれば世界の作品を読むことができたからだ。まあ、西洋からの訳語を今は、漢字を教えてもらった中国に輸出しまくったってことになったんだねえ。まあ、中国にはないけど、権利とか自由とか。社会も哲学や科学どころか、国名も。民主主義、人民、共和国それぞれ。あ、中華は中国語よ。熱せられたガラスをプーと吹くのは面白いと思うが、いまのところ経験はない。やってみたいとも、ごめん、何故か思わない。そういえば、ベネチアのガラスの島、ムラーノ島に行ったことがある。満潮が迫っていたのか、いつもなのか、道のよこの海(運河)が道のぎりぎりまできていて、あと20センチで道が海水で水びたしになりそうだった。そして柵はないので、よろけたら海にドボンという感じが面白かった。水上バスで行ったが、空いていたなあ。今は知らんけど。ヴェネチアングラスも忘れてしまったが、工房や美術館に行った記憶はあるが、それより、海面ぎりぎりのところを散歩したことだけが思い出される。それとカラフルだったな。ああ、こんな感じだったわ。ああ、このHP古いな。いいじゃん。まあ、ガラス工房としては、日本一のでかさ、なのかも知れない。たまたま団体客がやってきた。駐車場があるから寄っていくのかな。大盛況で、個人では他に誰もいなかったが、そりゃまだ10時ぐらいだからなあ。俺たちのガラスはなんだったのか。二酸化ケイ素か。2019岩手岩手 花巻往復岩手 佐原硝子岩手 空飛ぶ団子、佐原硝子達岩窟毘沙門堂毛越寺 中尊寺金色堂中尊寺再訪デクノボーの道デクノボーの道2幽玄洞幽玄洞2花巻 温泉郷
2019.03.07
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そういえば、昔は、何度かウォークマン持って旅行したなあ。カセットテープなんて、20本ぐらい持っていくから荷物が重い。今は曲は何千倍も入るようになって、軽くなった。食べさせる。供え物を買って歩き始めた男性が、ちょっと待てよ、店に戻って花を買い足した。花の体積が一番でかいのであるが。ヴァラナシでの沐浴場(ガート)でのことを思い出した。夕刻、ガンジス河に行き、沐浴を行い、体を洗った。宿に戻ろうとすると、すぐに色を浴びせられ、結局、河のほとりに座り続けていた。 沐浴場の階段で、神の歌を謳う一団。五、六人の男たちは、サドゥ(聖者)を取り囲んでいる。一団の民間人は、こざっぱりした格好をしており、話し方もスマートで、社会において地位の高い職業に就いているものと思われる。私は招き入れられた。サドゥを囲んではいるが、聖職者なのか、彼には何も話し掛けないで、皆、雑談している。隣の男は、ハシシをこねながら、私と日本の話をしていたが、突然、サドゥに向かって話し掛けた。「ババ、用意ができました」彼は、ハシシの入ったチュラムパイプを手渡す。サドゥは、熱さ防止と、煙を冷やして喉に負担をかけないためと、煙以外のものが口に入るのを避けるためのガーゼを取り出し、階段を降りて行き、ひんやりとしたガンジスで清らかにガーゼを濡らした。そのガーゼをパイプの吸い口に巻き、神に祈る。男が火をつける。サドゥは、ほんの一口、それも強力にしなやかに吸うと、ガーゼを取り、男にパイプを渡す。男は改めて、鞄からガーゼを取り出し、水に浸し、パイプの吸い口に丸めて、吸う。後は、輪になった民間人の弟子たちにパイプが順番に回す。自分専用のガーゼを持つダンディなサドゥは、最初の一口しか吸わない。何度か、作っては吸い、トリップした頃、サドゥはようやく私に気づき、英語とも何とも分からない早口で、私に、表情を変えず、二、三言話し掛けてきた。目には特に敵意も親しみもなかった。ただ、鋭く光っていた。祈りの祠の上に何か書いているが、何だろうか。犬がセキュリティしているのか、何かチベット服を着せられている。rakuten2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.06
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ベトナム会談第二回米朝会談が物別れに終わりましたね。じょんうんさんは、1回目会談に気を良くして、アメリカを舐め過ぎていた、トランプは不在中にあれこれ顧問弁護士に暴露されたりしてきがきではない、或いは自分ファーストなのに、ニュースが暴露のほうが一番でこの会談がサブ記事にムカついたのか、早々に帰国。おじいさんの金日成を真似て列車入りしたけど、帰りは早々に飛行機乗って帰ったら良かったのに。それとも、ちうごくの兄貴のところに寄って帰るのか。困ったのが、お隣のお国のブンザイトラもなんかの100周年記念どころではない。今回、得した国は、なんといっても、べとなむだ。まあ、ベトナムもうかったな。多分、日本も得したほうだろう。 ,2019年ベトナム関空→ハノイハノイチェックインロンビエン橋ハノイ散歩ホアンキエム湖1ホアンキエム湖2ベトナムナイト線路沿いカフェサーカスへハノイ交通ホアロー収容所ホアロー収容所2ホアロー収容所3公安博物館タイロン皇城タイロン皇城2ハノイgourmetの旅軍事歴史博物館軍事歴史博物館2フォン寺へフォン寺 川フォン寺 川2フォン寺 川から寺へフォン寺 寺から洞窟、登山へフォン寺 洞窟寺から戻るフォン寺 寺の一部ハノイ→関空
2019.03.05
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マンハッタンに行く元気はなかったが、2時間ぐらいはあるいて買い物に行った。帰国へ。カリブ海まだまだいくとこあるな。今回いったところ。5日早めて帰った。いないあいだに年末に捕鯨圧力団体脱退したのは知ってたけど、アメリカぬきで日本主導でTPP成立させたらしいね。近年久しぶりに見る日本の勝利だねえ。ヤッパ。プラットフォームを作ったところがつよい。本当はオランダ領アルバ行って、そのあとスリナム行ってから、パナマかトニダードトバゴ経由のHouston経由で帰るつもりだったのだが・・・。アルバアルバの通貨は、アルバ・フローリン(Aruban Florin、通貨コードAWG、「Afl」。アルバ・ギルダー(Aruban Guilder)で、補助単位としてセント(Cent)があります(100セント=Afl1)。為替レートは米ドルにペッグ、US$1=Afl 1.79。このため、アルバでは米ドルが普通に使用可。【為替レート】1フローリン ≒ 62.26円空港正面の駐車場を渡った幹線道路のバス停から Oranjestad へ、路線バス及びミニバスが出ています。Oranjestad までは US$2.5 で10分程度。タクシーだとUS$20ほどかかります。Oranjestad から西海岸のホテルエリアへも比較的頻繁にバスが出ています。アルバの西海岸のホテルエリアには、いかにもカリブ海といった美しい白砂のビーチが続いていて、ビーチライフを満喫できます。Oranjestad 自体は1時間もあれば見て回れるほどの小さな町。出典:総務省統計局刊行、総務省統計研修所編集「世界の統計2009」 出典:Map of the Caribbean by the CIA World Factbook 2011
2019.03.04
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まずは、数年ぶりぐらいに、吹田市営博物館に寄った。何故寄ったかって?まあ車だったし、超高級車乗っているのに、今年乗るのは、大きな声では言えないが3回目である。あら,月一回しかのってないじゃん。すすめすすめの、昔の学校の暮らしぶり展であった。肩車わらじ痛い昭和30年、くじらのたちたあげにこっぺぱんは20年後にも存在。脱脂粉乳は、中国でしかみたことない。吹田市長肝入りで2月26日にオープンした公園内にある店に行く。これが選挙公約?オープン3日目であるが、まあ、公園内にカフェ作ったら受けるだろうが、民間ではできないし、民間圧迫かなという感じである。といっても、金額的にはしれているのかな。まあ、夜間に明るくなって散歩やジョギングしている人には明るくなっていいのかもな。まあ、隣に相場の4分の1の値段の駐車場を公園内に作って民業こちらでも圧迫である。しかし、ちょと高い。まあ、家から遠いからもう、多分行くことはなさそうだが、まあ、たのしかった、一回なら。席数160席ぐらいあって、今日は待ち時間あったが、その後どうなるんだろうか。店に木が生えている。店員もオープンしたばかりなのに、慣れた人たちばかりで、笑顔であり、まあ、トートロジーだが慣れている。パスタはアマトリチャーナ。トマトとたまねぎとパンチェッタ、チーズを使用して作るパスタソース。なかなか食べないが、玉ねぎ王国淡路島で食って以来の模様。イタリア北部の農村の地名が由来のようだ。まあ、これが辛くなったのがアラビアータである。こちらは一般的ですなあ。やぱり、ぴりぴり感欲しいかなあ。窒素こーひー。ナイトロコーヒー、まあにほんごでは、ニトロkoffee。泡をクリーミーに楽しめっていうことであったが、飲んでも泡が減らないので、すげえと思ていたら、泡飲んでなかった。泡より先に液体(コーヒー本体)がくるんだ。2019年の大阪・兵庫・奈良自宅正月平成最後の正月自宅2自宅36月7月有馬温泉の定宿三田市、有馬不二梅田大丸さざえさん0梅田大丸さざえさん1梅田大丸さざえさん2梅田大丸さざえさん32度目のアサヒビール工場見学もうすぐ万博だよ全員集合もうすぐ万博だよ全員集合2万博だよ全員集合太陽の塔内側だよ全員集合1太陽の塔内側だよ全員集合2万博だよ全員集合2万博公園無料ディ大阪国立民俗博物館メキシコ大阪国立民俗博物館日本インドネシア大阪国立民俗博物館シタール万博公園日本庭園吹田市長肝煎カフェ吹田蛍見に行く吹田ダスキンミュージアム吹田ダスキンミュージアム2豊中キャンドルロード大阪市内の清水寺大阪南港めんたいパーク見学大阪南港ツーリズムエキスポジャパン1大阪南港ツーリズムエキスポジャパン2大阪gourmetの秋奈良新大宮金魚1奈良新大宮金魚2奈良鹿公園奈良 頭塔
2019.03.03
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家に帰ってから気が付いたが、石と賢治のミュージアムなのに、石と賢者のムージアムと勘違いしていた。ハリポタをもじったミュージアムと思っていたのだ。まあ、似ているから思い込んだら間違えるか。賢治はここで働いてたってことだわ。10年ぐらい前に、生家の花巻のムージアムにも行ったことがあるが、宮沢賢治のイメージは、生前無名、道程でなくなった、宗教のめり込み(国柱会、法華経)、というイメージだったが、農学校教員だけでなく、企業でも働いていたことを知った。農学校を百姓になるからと辞め、肥料相談や稲作指導をしていたが、倒れ、実家に戻ったあと、東北砕石工場に技師として乞われて雇わたのがこの工場というわけである。それで、倒れて書いたのが、雨にも負けずってやつよ。しかし、花巻から一関のこの田舎は遠いような気がするのだが、昭和6年ならなさら。雨にも負けず、木偶の坊と呼ばれても・・・むしろ、でくのぼうになりたいという強い意志。優秀なので愚直にもそうおもったのかもしれないし、木偶の坊の意味が違ったのかもしれない。俺のような真正木偶の坊は、自分が木偶の坊だと気が付いていないから、なりたい!って感覚もない。おまえもうなっているよ、周りから思われても、自分では世の中や自分やコミュニイや会社に有効な人物と思い込み、木偶の坊と無縁と思いながら、なんと木偶の坊は実在したのであった。少し、関心した。木偶のボーというのはタオであった。道であった。これが8,90年後のデクノボーである。デクノボーストリートである。うわあ、普通の道や。でも賢治にとっては駅から工場までの道はあこがれのデクノボーである。雨にも負けなかったんだというか、確かに軍事利用されそうな詩である。技師として工場勤務。トロッコロード。年表2019岩手岩手 花巻往復岩手 佐原硝子岩手 空飛ぶ団子、佐原硝子達岩窟毘沙門堂毛越寺 中尊寺金色堂中尊寺再訪デクノボーの道デクノボーの道2幽玄洞幽玄洞2花巻 温泉郷
2019.03.02
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スワヤンブナート1スワヤンブナート2スワヤンブナート3坊さんお経読んでいる。遠くは雪山。考えたら、昔,来て、まあ、どうせまたいつか来るからってやり過ごした感覚があるんだけど、なかなかそれが30年、そして、もう行くかなあ、と疑問、未だどの国もまた行けるからって思ってやり過ごしたんはいっぱいあるけど、考えたらそう時間も金も残されていない年齢になってきちゃったかもなあ。再訪は別にして、インドは全くまだまだ行ってないところだらけだ。でも、ネット社会の今、は、もう昔と違う。山沿いには家もへばりついいている。旗が靡く。ほのおてっぺん。中は写真写したらあかん。カトマンドゥの道路は首都としては、この10年間に訪れた60か国あたりで最低級にガタガタ及び水であふれて酷い状況だ。大昔に一回舗装して、その後まったくメンテナンスされてないね、そんなお金ないね、そんな感じである。道路事情にさすがに驚いた。これは酷いな。あれ、こんな渋滞している道路際にボダナート寺院があっただろうか。ウーン。やっぱ、スワヤンブナートもボダナートも昔のもっと怪しいらりった目じゃなくなっている、そんな感じがした。スワヤンブナートが最古であれば、ボダナートは最大だ。懐かしいか?いや、初めての感覚だ。2019年ネパールバンコクカトマンドゥ30年ぶりにネパールへモンキーテンプルモンキーテンプル2モンキーテンプル3モンキーテンプル4、ボダナートボダナートボダナートから戻るパテュシティナートに向かうパテュシティナートガートの火葬場パテュシティナートガートの火葬場2古都パタン古都パタン2古都パタン3インドラチョーク王宮王宮21987年ネパール訪問1987年チベットからネパール入国1989年ネパール訪問1989年ネパール訪問21987年2019年ネパール訪問王宮周辺王宮周辺の小さな神々王宮周辺の寺ネパールgourmetの旅ネパールから帰国
2019.03.01
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