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まだ終っていないけれど、この夏はハードサマーだった。右足が痺れたり、腰を捻挫したり、あげくの果てに痛風。数年前に済ませたはずの厄年が遅れてきたみたいな有様。不摂生と忙しさと御節介と怠慢、そして執着。44歳のいまが、連合艦隊で攻めて来た。そんな夏。今日、26日ぶりに芝の上に立った。クラブを握ったのも26日ぶり。腰が悲鳴を上げないか、それだけが心配だった。大きく、ゆっくりカラダを使って振った復帰第一打となるドライバーショットは220yd先のフェアウェイ真ん中に飛んで行ってくれた。自由に打っていいショットはそれほど影響はなかったが100yd以内、とくに30yd以内の感覚が消え去ろうとしていた。アプローチはことごとくオーバーし、3パットが4回。目のキツい高麗芝のグリーンだったとはいえ、繊細さが要求されるエリアでまったくデリカシーのないゴルフをしてしまった。パー5つ・ボギー6つ・ダボ7つ。49・44(36パット)。スコアは最近10ラウンドのアベレージだがこれは距離が短かったせい。とはいえ。ゴルフに帰って来れたことがヨロコビ。芝の上で暑い暑いと笑えることに感謝。このまま腰が異常なければ、晴れて9/14に突入だ。ご心配いただいた皆様、どうもありがとうございました。m(_ _)m
2006/08/30
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同窓会のときに出た話。あの曲なんだっけ?現役の頃、熱闘甲子園のエンディングで流れてたあの曲さ・・・甲子園といえば「栄冠は君に輝く」だけど私たちの世代でなじみ深かったのは高岡健二という俳優さんが歌ってた「君よ八月に熱くなれ」だ。正確にはその頃熱闘甲子園というタイトルではなく高校野球ハイライトという番組だった。作詞は阿久悠。まためぐり来る夏の日に心ふるわす人がいるあれが確かに青春と胸に瞼に刻みこむ時よ とまれよ ただ一度奇跡起した若者に雲が湧き立つ甲子園君よ 八月に熱くなれあの日と呼べる幾日を時の流れに刻めるか今がそうだと確かめる熱い想いを抱けるか風よ 歌えよ もう一度夢を信じた若者に砂が舞い立つ甲子園君よ 八月に熱くなれこのメロディ思い出すたびにキュンとなるよな、詩もよかったなぁと盛り上がったのでネット検索してみたら昨年、一昨年と夏川りみがリバイバルさせて歌ってたらしい。聴いてみたけど、申し訳ないけど、オリジナルのほうが響く。甲子園なんて夢のような場所で、自分たちが行くんだなんてリアリティをこれっぽっちも持っていなかったお気楽野球部の私たちだったが、そんな私たちですら、思いを重ねられるイメージがあるのだからこの歌に青春を重ねる人は、きっとたくさんいるんじゃないかなぁ。熱闘甲子園といえば個人的には「金網越しのブルースカイ」というエンディングが大好きだった。歌っていたのは大塚純子という人。後にGardensのボーカルをつとめた。名曲。追伸:足が痛いので医者に行ったら「痛風」と言われました(爆)
2006/08/25
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久しぶりに会わないかい?高校時代、そんなに仲良くもなかった友人から電話をもらったのは6月のことだった。田舎で同窓会をやるんだと。正直気乗りもしていなくて、都合がつくようだったらね、と中途半端な返事をしていた。8月のはじめに腰を痛めてゴルフの予定がなくなり、ぽかんとスケジュールが空いた偶然。姉が盆で帰省していて、そのまま居残っていた必然。そして幾分かの好奇心。そんなものがシンクロして、先週末、2年ぶりの故郷へ。27年、一度も会っていない人たちはまず名前が思い出せない。ごめんなさい、お名前は・・・ああああああああ!!そんな邂逅がおよそ40回。覚えてる? 覚えてるよ!当時、たまり場になっていたアパートに住んでいたKはすっかり面影が変わって土建屋のような仕事についているとか。「お前さ、夏の公式戦でサヨナラ負けしたあの日、 俺の家でずーっと泣いてたんだぜ」うそ! そんなの全然覚えてないぞ。そのとき一緒に泣いたらしいキャプテンは地方銀行の支店長になり、誰よりもスケベになっていた。景気がだめだとこぼすSは学校で誰もが憧れたFちゃんを嫁にしていた。まじめなAさんと結婚するといっていたTは人のいいオヤジになっていた。リッチー・ブラックモアさながらに背中でギターを弾いてラジオ番組のバンドコンテストで人気者になっていたKは市役所勤め。肩まで長かった髪は、すっかり短くなっていた。当時つきあっていたHちゃんは離婚し、再婚して、自営の雑貨屋さんをがんばっているらしい。いちばん気になっていたYは行方がわからないらしい。みんな歳をとっていた。けれど、5次会まで行ったらみんなあの頃に戻っていた。私だけがずいぶんと変わったんじゃないかな、と思っていたけれど私もあの頃のままだ。27年とか経っても、魔法のごと、昔のまんまですねぇ前置詞を「じぇんちし」としか発音しなかった英語のY先生にそういうと、ほんなこつなぁと、笑ってビールをついでくれた。先生、いま、ゴルフしようとですよほんなこつね、そやぁ、よか、よかこつ。と言ってまたビールをついでくれた。締めはラーメン。案内された店で男5人。たわいもない、意味もない、それでいてなんて気持ちいい話をしてるんだろう。また、会おうな。また帰ってこい。おう、東京にきたときは任せろよ。じゃあな、来年な。別れ際、ちょっと泣きそうになった。こいつら、こんなに優しかったっけ?それとも27年かけて、ちょっとずつ優しくなったのかなぁ。
2006/08/23
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NYから帰国して中1日。クライアントが主宰する、Hプロのレッスン&ディナーショーと親睦コンペに参加。一番乗りで、ドライバー教えて下さい、とお願いしたら、・スイングは悪くない・でも、もっと振ろうよ・右手ではなく、左手で振ろうよと教えられて、フィニッシュで左足に乗ることを意識してねと付け加えられた。最近、振りが小さくなって、コントロールが良くなったと思っていたがそれは大きな勘違いで、飛ばさないとゴルフはおもしろくないでしょう、とあたりまえのことを言われて、目うろこ。練習場で100球位打って、さっそくラウンドへ。可もなく不可もなく、ボギーペースだった6ホール目、ティーが高かったのか、ボールのしたをヘッドがくぐるようなテンプラ。左の斜面にあるボールを戻して、駆け降りてきた次のショットあたりからおかしくて、腰が痛くなってきた。違和感を抱きつつ、次のショート。再び、ティショットがへんな当たりで、ここで決定的な「痛み」に気付く。最後の2ホールはプロと一緒だったのでほんとならそこでリタイアすれば良かったのだけど無理してがんばって、ハーフを上がったら、もうとても我慢できる状況ではなかった。3時間かけて、電車でひとり東京に戻り大きな病院で診てもらったら骨には異常がないので、おそらく「腰の肉離れ」でしょう、とのこと。これ、ギックリ腰だよね? ドク。来週2回入っていたラウンドは早速キャンセル。立ったり、座ったりが、ものすごくツライ。それにつけてもいろいろある。それにつけても、大丈夫か、私のゴルファー生命!?
2006/08/05
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いい大人とは、決して、20時間近くひとつの下ネタを掘り、広げ、バカ笑いし続けたりしない。いい大人とは、決して、ゴルフカート嬢に向かってジャンプしながら手を振って、こっちこっちぃ、待ってたよぉ、と喜色満面の表情でビールを買うようなことはしない。いい大人とは、ジャックポットで稼いだ◎◎◎◎ドルを、翌日◎◎◎◎ドルにしてさらに鼻をふくらませ、しまいには◎◎◎◎ドルすって凹んだりしない。いい大人とは、長く粘っこいフェスキューに沈んだボールを6Iで力任せにひっぱたいてさらに状況を悪くし、4打かけて10ヤードしか前進しない、といったどツボにハマらない。そして、いい大人とは、航空券の出発時間と到着時間を読み違え、SOHOのおしゃれな店を片っ端からチェーック!!と意気揚々と買い物ツアーして、出発(と信じ込んでいた)時間の3時間前に到着し、ん? なぜカウンターに人がいない? まだ早かった?と思いつつ、フライトのスケジュールボードを見上げて、Flight Closed の文字を見つけ、瞬時に全身総毛だてて、航空会社の職員に泣きを入れて、なんとかしてもらったくせに、もっとなんとかしてくれといって、強引なネゴシエーションをしたりしない。私は、いい大人ではなかった。ラスベガス~ニューヨークの10日間で、それがよーーーーーーく、わかった。成人するまえから、冷静沈着、清廉潔白、一球入魂、真実一路は自分の代名詞だった。ちょっと違ってはいるけれど。そんな私が、はっきり言って完全否定されちまった。カード会社にようやく連絡して取ってもらったE.42stの空調の効かないホテルの一室で、ネットと電話を駆使して翌日の航空券を押さえる作業に2時間、その後、マイ・ハニーの優しい誘いを振り切り、ひとり、ラーメンをすすり、ドラッグストアでコーヒー牛乳と水を買い、ずっと部屋にこもって、ひたすら眠った。海外に出て、はじめてホームシックになった。そもそも、いい大人がホームシックになる訳はないので、やっぱり私は、いい大人ではない。あ、おまけがあった。傷心の私に塩を塗った白タクシーの運転手。「オオサカイッタネー」「ワタシ、ジュードーシテタネー」「ドゥーユーノウ、オオグイチャンピオン? ニホンジン、ヤツハニンゲンジャナイネェ」「イタリア、メッチャイイトコロデショー」とにこやかに車内で話してすっかり意気投合して、ああ、こういうときの人の優しさは沁みるなぁ、と思っていたら、JFKからマンハッタンのホテルまで、「エート、180ドルゴザイマスネー」とか平気で抜かしやがった。「馬鹿言ってんじゃねーぞ。そんなの一律45ドルに決まってんだろうが!」「ノーノーノー・・・ミテクダサイネ、コノ本ニハチャント計算ノシカタがカイテアッテネー・・・」と自分の正当性を主張し、ひいては自分のボスに電話して、なんかへんなこという客乗せちゃったよーとかイタリアなまりの英語で言ったって、そのくらい、聞こえてるんじゃヴォケっ!!とはいえ、あまりのガタイの大きさとアントニオ猪木の名前まで出してくる感性にちょっと笑ったりして、いいから、これ取っときなさいと、70ドル渡してしまったのだった。あとで凹み倍増・・・。いい大人じゃないさ。いったい、いい大人、私はなれるのだろうか、というより、なるつもりはあるのか。日本に帰る機内で、「ミッション・インポシブル3」を3回も真剣に見続けながら、いい大人について考えていた。何度考えても、自分にはマズい点が多すぎて、後先考えずに行動していたな、反省しなくちゃな。そして、成田に着いて謙虚に自省し、心を入れ替えて生きていこうと誓った。がしかし。舌の根も乾かぬうちに、機内でやたらと親切にしてくれた本上まなみ似クリソツのキャビンアテンダントと偶然到着ロビーで再会し、速攻で名刺を渡したりしていたので立ち直りだけは早いことを確認。でも、いい大人は、こういうものを旅の初日に買って大事に持って帰ったりする。全長45センチ。1986年のマジックツアーのステージ衣装に身を包んだフレディ様。ウィ・ウィル・ロック・ユーからラディオ・ガ・ガ、ウィー・アー・ザ・チャンピオンのメドレー曲も聞ける。約7000円。やめられまへんな。
2006/08/02
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