Duke三郎物語

Duke三郎物語

2026年03月22日
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2026年2月の19日に相模原協同病院に行って、その一週間前に実施した血液検査やMRI の結果を聞いて担当医師から「まだ最終診断ではないですが、奥さんの症状は膵臓がんの疑いがかなり高いです」「余命は残念ながら半年ぐらいだと思います」と聞きました。



胆管が詰まってますのでつまりを取り除く手術を24日にしますので入院してくださいとのことで27日に退院しました。

手術の結果が出たので3月5日に家族全員で病院に出かけました。



娘達が確りしていたので医者は私の方にはあまり目を向けず娘たちに手術の結果を説明していました。



「奥さんの手術をして腫れていた部分の組織を切り取って検査したのですが、どうも癌ではなかったようです。癌と似た症状が出る自己免疫性膵炎だったと思いますのでそちらの専門医を紹介します」とのことです。

1995年に提唱された比較的新しい病気でステロイドを使って治療するのだが全治はしなくても寛解出来ると聞いて、余命半年よりはずっと良い知らせでした。



2月19日から3月5日までの2週間は我が人生の中で最悪の日々でした。

余命半年と言われたけれど実際どのように体調が悪化していくのだろうか?

どれだけ苦しいのだろうか? 家内はそれに耐えられるのか?

後から後へと疑問がわいてくるのです。



その間彼女は突きつけられた言葉に私の眼にはそれほどショックを受けた風には見えず、淡々と日々を過ごしているように見えました。

人は誰でもいつかは死ぬのだから仕方ないわね、とやけくそなのか諦観なのか分からぬことも言っていました。



女の人は土壇場になると強いなあ、と思いましたが私は後から後へとわいてくる思いで冷静になれることはとても無理でした。



心理学的に言うと予期的悲嘆と言うらしいのですが、それに関する本を読んだり何しろあたふたと時を過ごしておりました。

かなり精神的に疲れていたのでしょうか、夜も色々考え悩みは尽きずに寝苦しかったのですが、気が付かないうちに寝つき熟睡してたようです。



娘たちも最初に家内から主治医の話を聞いたときは「えーマジ」などとかなりショックを受けていたようで2-3日は夜も寝られなかったと言ってましたが、その後は膵臓癌に関する本を入手したり色々と勉強していました。



3月5日の主治医との面接も彼女たちがメインとなって医師の話を聞いて理解に努めていました。

私はボーっとして医師の話も現実感がなく聞いていました。

でも癌ではなかったんだと理解はできましたが、その後、その病気の専門医と言う若い女子医者の治療の話は娘たちがちゃんと聞いているだろうと頭は回っていませんでした。

娘たちと言っても50歳ぐらいの成人でパースの大学を卒業したくらいですから社会人として俺よりは頭が良いのだろうと変に納得していました。



家内もそうですが女はいざっとなると強いなあと感心していました。



病院での話を終え皆そろって夕飯を食べに行ったときは、死刑判決を聞くと思っていた被告がもっと緩い刑を言い渡されたような安ど感でふわふわと雲の上を歩いている感じです。



余命半年を言われた時からはや1っか月が経ち3月26日には主治医と経過について話をする予定ですが、先日までの絶望の日々から天国の扉が開かれたようです。



まだこれからもびっくりするような事態は発生するかもしれませんが、とりあえず平常運転の日々が続くよう願っています。






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最終更新日  2026年03月22日 18時19分43秒
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