全4件 (4件中 1-4件目)
1
近々、新宿の某更生保護施設に見学と勉強に行きます。久しぶりに東京方面にいる友人と再会する予定です。 関東圏に住んでいない日本人はやはり、東京に行くというと、まんざらでもない、嬉しい気持ちになるのはわたしだけではないと思う。月曜日朝は、お茶の水のITCNの集会に参加しようと思う。
2011/06/16
コメント(0)
昨日は親しくさせていただいている僧侶のMさんと某市の人権擁護委員会会長さんと事務局長さんが所用で打ち合わせに来られました。今日は、東京から神父さんが、突然、人づてに来られ、ともに勉強をし合い、意見交換や、今、取り組んでいる活動についての話しあいをしました。人づてに人とつながって、そんな出会いを大切にすることで、自分の成長や人のためになる良い仕事を共に出来たり・・・そういった良い発展につながることもあると思います。 その神父さんは、2か所の刑務所と一つの少年院の教誨師もされている方でした。 いろんな職種、いろんなタイプの人と出会うことはとてもありがたいことだと思いました。
2011/06/10
コメント(0)
大阪の非行少年を持つ親の会の例会に参加してきました。セカンドチャンス!という少年院卒の自助団体の交流会にいつも参加してくださる方が、その親の会の中心メンバーのため、お礼も込めて参加してきました。 例会に参加し、発言もさせてもらって、ゆっくり交流をもたしていただいたのですが、皆さん、どうして子どもの問題を解決していっていいか悩んでおられます。 また、いつものことですが、そういう相談に来られる方は母親ばかり。 子供の問題は,母親だけの問題でなく夫婦の問題、家庭の問題でもある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・例会が終わったあと、あるお母さんと、少年院にいる子供の引受人にならない親についての話になった。そのお母さんは、なぜ、自分の子供の引受人にならないのか?自分の子供ではないのか?子供たちがかわいそうだとおっしゃられた。 そういう親のことを、愛情が薄いとか、親放棄だ。と人は考える。 しかし、実際のところ、その親自身が、自分の親に愛情を受けたり、大切にされた経験が薄かったりすることが少なくない。 父親が蒸発し、母親は男をつくってまともに育ててくれない。愛情がわからず育ち、自分も結婚するが、自分の子どもの愛し方がわからない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分が親から大切にされた記憶があまりない。だから、自分の子供にはタップリ愛情を注ぎたいという親もいれば、 自分が大切にされたとか、家庭とは温かいものだという原体験がないばかりに、子どもを愛するとは何かわからない親もいる。 親が悪いからこうなった。というが、その親のまた親も、愛情とかけ離れた環境で生きてきた人も少なくない。わたしの学んでいた学校に、愛想の悪い女性がいた。彼女がなぜ、愛想の悪い女性になったのか?彼女の過去を聞いて納得できた。父親が酒乱で、母に暴力が絶えなかった。だから、いつも、母親と一緒に父から行方をくらまし、転校を繰り返した。新しい転校先で慣れたころにまた、父親に見つかり、また、母と逃げることを余儀なくされた。小学校の間に何度も何度も引っ越しをしたそうだ。引っ越し先の新しい学校で、人と仲良くなっても、また、父親に見つかって、転校するはめになる。友達を作って仲良くなると、別れがさびしくなる。だから、人に笑顔をつくって、友達を作ることが出来なくなった。・・・友達をつくらないほうが、転校するとき、辛くならない。・・・幼い彼女の自分の心を守る唯一の方法だったそうだ。その小学時代の経験から彼女は、人に愛想をふりまけない女性になってしまった。彼女は伏し目がちに微笑みながらそんな過去を話してくれた。人の現在の状態は、過去に影響される。わたしたちは今、目に見える現象や状態だけで、その人を判断してしまうが、なぜ、この人は、こうあるのか?その背後にあるものに目を向けるときに、敵対が少しでも理解に変わるのではないかと思う。人間の世界に必要なのは、ゆるしあうこと。口でいうのは簡単だけど、実際は難しいと思う。今のわたしには許せないような人はいない。でも、もし、自分の家族に何かされたら、わたしはその人を許せるか自信はない。しかし、キリストが十字架にかかられたとき、キリストの手足に釘を打ち、顔面につばきをかけ、ののしった人たちのためにキリストが祈られた、あの祈りだけは忘れたくない。「父よ。(神よ)彼らを許してください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。(どれほど罪深いことをしているかわかっていないのです。)」許すことは簡単なことではない。でも、神戸刑務所の教誨師であり、元・テロリストのヒュー・ブラウン牧師はおっしゃっておられる。許すことは、感情ではなく、意志であると。 感情的に人を許すことは難しいが、人を許さないことは、自分自身をぼろぼろにするばかりか、幸せには決してなれない。だから、相手のためでなく、自分自身のためにも人を許さないといけない。 まして、天の前には、人に指を差すわたし自身も、罪あるものだから。さきほどのヒュー・ブラウン牧師は、テロリスト時代、ほかのテロ組織とトラブルになり、双子の弟さんとともに拉致され、廃工場で、拳銃で両膝を打ち抜かれる体験をされたという。 自分がされるのはまだいいが、自分の弟の膝も打ち抜かれ、恨み、憎しみで心がいっぱいになったそうだ。 そのあと、しばらくして、事件を犯し、アイルランドの刑務所に収監されたとき、たまたま、刑務所のテレビで流されていた「映画ベンハー」を観たことを通して、衝撃を受けてキリストを信じられた。それから、殺されることさえも覚悟して、テロ組織を脱退することを組織の上司に告げた。その時、不思議に殺されることはなかった。ヒューブラウン牧師は著書「なぜ、人を殺してはいけないのですか」(幻冬舎)の中で、人を憎むことは、自分を破壊するだけでない。だから、感情では許せない思いになるが、相手を許すと宣言し、考えないように努力するとおっしゃっておられた。憎しみからは憎しみしか生まれない。しかし、許しからは平和が生まれる。ヒューブラウン牧師の講話は、多くの受刑者に、大きな、なにかを投げかけているに違いない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・親の会に参加し、少年院に迎えに来ない親のことから、この話になったのだが、裁きあうのでなく、理解し合うことをわたしたちが目指していかなければならないと思う。
2011/06/07
コメント(2)
この間は、妻の末の妹が家に遊びに来ていて、2~3日一緒に過ごした。末の妹は、この夏、第一子を出産する予定だ。すっかり母親の顔になっており、 その表情から、充実した新婚ライフの様子がうかがえる。 また、わたしの兄も、この7月第一子を出産予定で、 またまた、妻のすぐ下の妹も秋に第3子を出産予定だ。 身内の中で、出産フィーバーが続いている。 命の誕生・・・とてもめでたい。 そういえば、妻のいとこも、二人、秋に結婚予定をしている。 めでたいことが続く時は続く。
2011/06/01
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1