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2571 何が不可能って?押出成形で作るべきだと思うが、今まで誰もやったことがないものを作ることです。図面だけがあって、どんな製品か出来上がったサンプルはない、誰も、作ったことがないからだ。図面には断面形状と原料が書かれているはずだ。その上に,後加工が必要なら、それも書いてあった。それも、含めて、出来るかどうか返事をしなければならない。というのが、一般的な、新製品の始まりです。そして、場合によっては、後出しで、後加工や何かとの合わせという話が出てくることがあります。寸法の変更は、原料の変更などという話も出てくることもある。できると返事をする前に、それらのこと、使う場所や取り付け方、合わせのことなどを聞く、場合によっては、こちらから、形状の変更や原料の変更を提案することもある。大変難しいことだと思う。とにかく、成型方法から考えなければならない、溶融金型の形状、冷却金型の形状も当然だが、見積もりを出すには、速度や収率も適当に決めなければならない。金型の価格は、どうか、一発でうまくいく確率は少ないが、修正や作り替えなどをどうするのか、試作原料費や装置の固定費はどうするのか、細かいことがあるが、結局は、それが、出来るのか、出来ると言ったら、絶対に作ってサンプルを提出しなければならないということだ。それが、一般的には、不可能と判断する人が多いから、なかなか、新製品、作ったことない製品を作ってみよう、出来るという人はいないのです。だから、不可能?そうではない。私は、出来ないと言いて断った仕事はない。予算的、装置的を作ったり買ったりしなければならない製品の場合、金型や装置の価格の話をし、話を持ってきた人が、それを投資することができない場合は、断ることになる。これは、仕方がない。押出成形に関して、私が不可能なことは、それでは、何でしょうか。一般の人に難しさを分かってもらうことです。これは、全く不可能です。一般の人というより、ほとんどすべての人に、分かってもらうことはできない。少しでも、分かってもらうことも不可能です。では、何が難しいって?その装置で、製品が順調にできていれば、難しさも何もあったものではない。無人で製品が流れ、カットしたり巻き取ったりしているだけです。見ていて、これほど、簡単な仕事はない。どこが、難しいの?誰だってできるよ、と、思うのは当然です。これを見て、なるほど難しそうだと思う方が変。それから、樹脂に事、装置のこと、金型のことなどなど話をしたところで、それらのことを全く知らない人に話したとこれで、まともに聞ける人は一人もいない。だから、話をしない。そして、現在インドネシアのプラスチック押出製品の塩ビ製品以外は、ほとんど、すべて、私が作り出したものです。私が作る前には、輸入していたり、インドネシアの客先が新たに設計して、頼んできたりしたものです。なぜ、全部、私かというと、私以外にできると言ってサンプルを作り上げた人がいないのです。私が指導して、作ったものを継続して、作っているだけで、新たに、自分たちで、作り上げることはできないのです。何故でしょうか、難しいからです。車のシートやヘッドレスト関係の製品は、いい例です。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage060.html19年前に、当時、カデラ(キジャンなどに使われた)と言っていた会社にインドネシアで初めて作って納め始めた。当時、硬質塩ビでの依頼だったが、PPで提案し、受け入れられた。PPでのプルファイル自体がインドネシアでは初物だった。今では、ローカル一社と日系二社が日系車メーカーの下請けのシート屋に納めていて、輸入はなくなっている。今の会社でも、インドネシアで初めての製品は3種類ある。その難しさを知っている人間は、この会社の中にはいない。だから、私が二月中旬に去れば、新しい仕事を引き受けることはできない。午前中は、何とか天気が持ったが、12時ころ、ザーっときた。ちょうどホールアウトをした時だった。まだ、日差しがあった時の水連。大粒の雨が落ちてきて、スタートができないカートが並んでいる、雨を避けて、スターターの建物に逃げ込んでいる人がいる。雨季の当たり前の風景です。知らない 難しい 不可能 Pihak kepolisian telah menangkap Jessica Kumala Wongso terkait kasus kematian Wayan Mirna Salihin pada Sabtu pagi, 30 Januari. ジェシカがミルナ殺しで逮捕されましたね。
2016.01.31
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2570 知識が少なくて、間違ったことを言う人を、何も知らない人は信じて、その人の言うとおりにする。結果は不十分だし、間違いが多い。それを指摘されても、信じている人の言うとおりにしているだけなので、間違いだと思わないし、十分だと思うから、何を言ってやっても意味がない。また、その人が、知らない人を指導する。当然、正しくないことを、教えるのだから、もう、その環境では、何もかも修復不可能になってしまう。行くところまで行かないとどうにもならない。そんな状態の会社は、そう遠くない間に消えてゆく。ある客先の会社の人が私に愚痴をこぼすというか、どこか、私を使ってくれそうな会社を紹介してほしという。私が見ると現場の工場長だけが、間違いなく、まともなことを言っているし、やっている。その部下の一人でした。しかし、他の部下がまともではないようにみえる。ここの従業員、知っているだけでも最近の4人、全員が、人事の担当者に3ジュタ払って入社していると、その人は言っていた。聞いてびっくり。職安から採用人数の最低三倍の人を呼んで、工場長が筆記テストや適性検査を課して、成績の結果で採用するようにと、当たり前のこと言ってあるのに、担当者が友人に紹介を頼んで、来た人に、3ジュタ要求し、払えば、入社OK。3ジュタは、友人と分け合ったに違いない。だから、工場長、使いようがない。不良を出したり、何かを壊したりで、納期が遅れれば、営業担当のダイレクターは、工場長の指導が悪いから、生産が遅れていると、その客先に言い訳をしているという。たまったもんじゃないですね。あるんですね、そんな会社。この会社、半年前くらいから、大勢に人が会社の前でたむろしているのをよく見かける。時々、警察が来ていたり、今日もパトカーが一台止められていた。塀の前では、何人かの社員だと思うが、ゴザを敷いて、座り込んでいた。バイクも何十台と外に駐車していた。大きな企業では終業時間の前に、迎えのバイクが大量に来ているときがある。しかし、この会社は、迎えにバイクとは思えない。ストライキでしょうか。それにしても、何で、もめているのでしょうか、ベースアップが不十分だというのでしょうか。今月支給分から、最低賃金があげられていなければなりません。しかし、一年以上、務めた人には、最低賃金にいくらかのプラスをするのが普通でしょうが、そのことで揉めているのかしれませんね。src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/5d86a930604530c2a0d0817239aa3f9674b4fe67.72.2.9.2.jpeg" alt="IMG_0417.JPG" border="0">この道、二車線道路が行き止まりになり、対向車線の二車線の一車線の双方向になる。ボトルネックの渋滞です。変 無知 でたらめ
2016.01.30
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2569 インドネシアの旅先として、検索が、私のウェブサイトに当たる確率が一番多いブリトゥンについて、ふたたび、紹介する。http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/39583578.html気持ちが洗われる。とでもいうのでしょうか。アートの島です。リラックスの島です。まず、前提は、天候に恵まれて入りことになるが、これは、どこへいっても同じこと、せっかく、スイスの山歩きをしても、雲の中だけを歩くのでは、箱根の山なのか、高尾山なのかわからない。ということで、ブリトゥンは、空と海と海岸の状態が最高なら、天国というか竜宮城というか、絵にもかけない美しさというか、息を飲む状態の連続だと思う。スイスは山だが、こちらは海。今は雨季、ブリトゥンを訪れる季節ではない。雨にたたられる確率は80%以上だと思う。それも、半端な雨ではない、強風が吹きはじめると、大雨が近い証拠、水の塊が落ちてくるときに起こす風だ。それをなんという風でしょうか、名前があると思うが、知らない。すべてが台無しになるし、場合によっては危険な状態にもなる。お勧めの時期は、4月から10月前、乾季ですね。1月2月は最悪だと思う。という私は、二月に行っている。天候には、恵まれなかったが、雨季の晴れ間は、乾季の晴れ間より空気が澄んでいるので、それだけが救いで、思いがけなく、素晴らしい景色と場合によっては、ラスカルプランギの島のように、大きな虹の橋が現れるかもしれない。http://otaenplaext.net/newpage49.htmlhttp://otaenplaext.net/newpage48.htmlジャカルタータンジュンパンダン往復、40万Rp(3600円くらい)から、100万Rpとバラツキがある。スリウイジャヤが一番安い、ライオンエアーは高いようだ。飛んでいる時間は30分ほどだ。最高高度まで上昇しないうちに下降を始める。機内のサービスは基本的にする時間がない。通勤の車の前、私の車を追い越して、前のトラックも追い越していった。インドネシアは女性のバイクの運転もかなり荒っぽいし、オジェックに乗っているスタイルもさまざまである。ブリトゥン 芸術 リラックス
2016.01.29
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2568 ジャバベカ1のある会社に呼ばれて行ってきた。その会社は、PPの厚板を作りたいという。まな板のようなものか、と、思い、行ってきた。勿論、私は、インドネシアから、間もなく出ることを最初に話し、それを前提に話を進めた。射出の会社なので、粉砕機などの押出ライン以外の設備はいらない。中国からの輸入ラインなら50mmで、押出機、引取機自動カッター付、300万円、現地でバキューム水槽と金型80万円くらい合計400万円以下、約500ジュタルピアで生産可能になる。インベスターに相談するとのこと。また、その会社、HDPEシートに、HDPE角棒を溶着していた。溶着強度が思うほど強くないので引っ張ると取れてしまうそうだ、何とかならないかということだったので、様子を見せてもらった。溶着棒は中国からの輸入品で、グロドックで買ってきたという。シートは客先からテスト用に支給されたものだという。どちらも、触ってみただけでも、硬度が高い、メルティングポイント、融点が高そうだ。それに、溶着速度が速すぎる。そこで、私からの提案、HDPEでも融点が低い、硬度が低いグレードで溶着棒を作ってやることにした。グロドックで買うよりはるかに安く提供できるし、溶着力も強いはずだ。そして、その棒を使ってテストをするときに、溶着速度を何通りかやってみて、強度の比較をしてみることを勧めた。25か26日に提供する。そこへ行く途中に会った馬車。1年ほど前から、ブリトゥン島のリサーチは、どんどん、増えているが、最近、タンジュンルスンtanjung lesungのリサーチが増えている。何故でしょうか。行ってもつまらないところなのに、コテージになっていて、一部屋というか、一軒を借りる価格が4ジュタ以上、平均、6ジュタくらいする。家族や友人大勢で一部屋を借りると言っても、せいぜい、大人なら4人くらいか。二人で泊まるなら、滅茶苦茶高い、そのうえ、アクセスも良くない、ジャワ島の西の端の海岸沿いに南へ行く、いくつかの、Anyer やCatita海岸リゾートがあるが、それらを通り過ぎて、道が細くなり、大丈夫かなと思う道に入る、分かれ道が出てきて、右がタンジュンルスン、左がジャワ島の南海岸に行く道、道は最悪、間違ってそっちへ行かない方がいい。そこから、目的地には、心配になるほど、舗装されていない細道(8年ほど前)、とにかく一本道なので、間違うことはないが、目的地に到着すると、いかにも高級リゾートというかエントランスになる。ちょっと金持ちが利用するのでしょう。バリの、どこか、海岸沿いのホテルに着いたよう。高い金額を払って、カートで、コテージに案内してもらう。ちょっと、高級感を味わう。食事をする場所はどこからでも二三分、前にプールがある。その向こうは海、その向こうはスマトラ島、その手前に、クラカタウが見える。そこだけは、景色がいい、しかし、海岸の砂浜はほとんどなく、小石がごろごろしているので、裸足では歩けない。海で泳ぐのも、下がごつごつしているし、岩に貝が張り付いて、歩くにも痛いし、足の裏を切りそう。散歩するにも場所は狭い、泳ぐのもプールだけ。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage035.htmlここから、ウジュンクロンに行くなら、一番近くて、貸しスピードボートで行くなら、往復5ジュタくらい、アナッククラカタウまででも5ジュタくらい。高い。それでも、それぞれ、一回ずつ行ったことがある。行ってみて、気が済んだというだけの処だった。それと、アクセスが問題、車を自分で運転してゆくなら問題ない、チレゴンでジャラントールから降り、西に向かい、製鉄所や石油コンギナートを過ぎると、海が見る、そこから、海を右に見ながらひたすら南下する。行き止まりが目的地だ。ジャカルタから、渋滞がなければ、3時間で着く。日帰りも可能だ。ただし、運転手使うなら、それもいいは、その分、支出が多い。バスはチャリタまでしか行っていないと思う。送迎バスはチレゴン辺りからあるかもしてないが、チェックが必要。溶着棒 西海岸 ジャワ島
2016.01.28
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2567 客先や仕入れ先に予定を知らせ始めた。2月中旬以降に、インドネシアから出ることははっきりしていて、リタイヤビザの私としては、個人的契約に基づいて、行動をするが、その契約の中に、インドネシアにいる期間を内示する必要があった。年間、行動計画といったものだ。必ずしもその通りということはないと思うが、一応の確認だ。この会社とは直接には無関係になるが、間接的に頼まれれば、アドバイスをするが、責任は全くないし、今の会社の陣容では、私にアドバイスは意味をなさないと思っている。だから、この会社にいても仕方がないから、出るのだから。で、3月から4月の初旬には日本にいて、4月の10日ごろから7月の10日ごろまでインドネシアにいる予定だ。花粉症の季節が終わって桜のころ日本で、日本の夏休みのころ日本にいることにした。新規の見積もり依頼が入ってきた。EVAのプロふぉファイルだ。足の長さが15mm、幅が8mmの馬蹄形、ガラスやプラスチックの板の縁を保護するためのものだ。日本では普通に作っていたものだ。ところが、こちらでは、今まで、全く、お目にかかっていなかったし、依頼もなかった。大体、押出用のEVAを手にいれるだけでも、難しくはないが面倒くさそう。量の問題もある。インドネシア人にとっては、全く、知識がない。雲をつかむような話だ。対応できる人など、いるわけがない。ということで、事情を話してお断りしたというより、若ダイレクターが、出来ないと断った。LEDチューブランプのPCの二色パイプ、15日ほど前に、見積もりの案を提出した。どうですか、このくらいの値段では?と、お伺いを立てる性質のもので、会社からの正式なものではなかった。そのあと、私が抜けることを決めたので、その客先にも、私がいなくなることを知らせ、この価格については、参考ということで、改めて若ダイレクターに依頼してほしいと伝えた。彼なりに計算して見積もりを出すでしょう、と、思うが、彼は、製品について全く知識がない、原料が何なのか、製造技術のギの字も知らない。さて、どうするのでしょうか。やはり、断るしか、ないと思う。だからと言って、私が手を出すわけにはいかない。私にしかできないことを、始めてしまうわけにいかない。新居からの様子、夕焼け。キャンセル 中止 断る錦織選手は、ジョコビッチ選手に負けたね、実力通りということでしょうね。ここまで、よくやったと思う。サッカーU23は、1対1だったが、勝ってよかったですね。
2016.01.27
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2566 朝のミーティング、私が参加しても意味がないので、遠慮していたが、最後ということにして、参加し、今後の予定を話した。2月23日にビザが切れるので、その前、2月15日ごろには、会社には来なくなる、その後、日本に帰る。いつ来るかは未定だが、出来るだけ早く、インドネシアに戻る。その予定は、帰国する前までには伝える。インドネシアに来て、リタイヤビザを取る。仕事をしてはいけないので、仕事はしないが、何かと相談には乗る。リタイヤビザの一年間は、コミサリスと日本に住む私と技術指導の契約をする。その条件は、ポケットマネーからの支援と航空運賃往復三回分とインドネシアにいる間の車を貸してもらう。滞在場所は、すでに、グラハタマンを借りてある。日本とインドネシアに約三か月交代で滞在する。エポの書類はすでに出したというが、確認する必要がある。会社を辞めた後のことは、若ダイレクターに一週間前に、契約書案を作るように頼んであって、やっと、先ほど夕方、案を送られてきたが、大間違い、会社と私の契約書として送って来た。私はリタイアをするということをわかっていない。会社を辞めるから、エポの手続きを頼んであって、その書類は出したと私に返事をしているのに、そして、リタイヤビザを取ると言っているのに、である。タマンセントサの家を完全に返還した。最終の電気代を払い、鍵と錠を返した。5年間ここに住んだ。デルタマスの住宅から、引っ越した理由は、マリアさんを田舎に返すためだった。結婚しているのに、夫を田舎に残したまま、私のところに来ていた、非常に助かったが、いつまでも、その状態にしておくことは、彼女の将来にとっていいことではないと思い。彼女を突き放すことにした。彼女を田舎に帰らせて、子つくりに励むように言い聞かせた。彼女がいない間に、私はデルタマスの家から出た。まだ、ナンブにいた時だったから、勤め先は、彼女は分かっていたが、行き先は知らせなかった。彼女がその二か月あたり後にデルタマスの家に戻った時に、私がいないことが分かった。すぐ電話がかかってきた。そして、田舎で夫と一緒に暮らしなさいと言った。デルタマスの住宅は、もともと、彼女の名義になっている。車は、会社からレンタカーを支給されていたので、私の車で荷物を田舎に持って行き、車は返す必要ないと言ってやった。1998年のキジャン、三代目のモデル、インドネシアでは初のオートマ車だった。レートの関係で、70万円くらいで手に入れた代物だ。要するに一軒家(200ジュタ)と車を渡して、田舎に返した。その二年後に2012年に長女を生み、今は二児の母だ。偶にSMSで現状が入ってくる。そんな、思い出があるタマンセントサでした。そして、多くの期間、彼女と住んだ、グラハタマンに戻った。ジャバベカ1からそこまで向かい道の途中、前にドライポートに向かうコンテナ車がある。返還 別れ 再会
2016.01.26
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2565 Pindahan引っ越した。古巣のグラハタマンGraha tamanにいる。会社の運転手と従業員3人。計4人で手伝ってくれた。軽トラック一台では無理で,2回、往復してもらった。8時から12時くらいで全ては終わった。その後、皆さんで昼食、近所のインドネシアセスとランで、イカン グラメなどの料理を振る舞った。皆さん、普段食べられない料理なので、写真を撮りまくっていた。私も、同じ、写真を撮った。何という名前の料理か分かりますか。魚の料理が主体ですね。グラメという淡水魚です。めちゃくりゃ汚い水の中で育ちます。バカール(焼き)とゴレン(唐揚げ)一皿ずつと、ソプ グラメ(スープ)2皿、それと、カンクン(野菜の一種空芯菜)、ウダン プダス(エビの辛煮)それに、ナシ(ごはん)ですね。5人で、ちょうどの量です。45万Rp(約4千円)、インドネシア人にとっては、ご馳走です。外は、大雨で、吹き込んできていた。ゴルフをやっている連中は、たたられているなと思う。グラハタマンは、塀に囲まれた長屋である。セキュリティーが常時いて、出入りをチェックしている。私がここに最初に入ったのは1997年の2月ごろだったと思う。インドネシアで仕事を始めた時には、クラウンコートに入ったが、雨季には、ジメジメした部屋で、チチャックが繁殖していたし、蚊の根性のあるやつは、5階の部屋まで上がってきた。そして、当時、新築だったグラハタマンに引っ越した。クラウンコートには半年しかいなかった。また、その時から、ドライバーを使わなくなった。ここに、入って、新築ということと、日本人の勧誘員の熱心な営業もあって、50人以上の日本人がここに住むようになり、日本食レストランンもできたし、カラオケまでできた。しかし、ちょっと、どこからも遠いことと、周りの雰囲気が、寂しかったからでしょうか、出る人の方が入る人より多くなり、また、いつの間にか入る人はいなくなり、2005年ころには、私一人になってしまった。そして、最終的に出たのは、パニック障害になって、ここから、あちこちの病院を歩き回った、すぐ前のルーサォット アニッサに行ったには、その1年前のちょうど、日韓ワールドカップが開催中のころだった。初めての症状だったが、そのころは、全く、病気とは思っていないで、単なる疲れだと思っていた。そして、とんでもないことになり、日本に逃げ帰った。そして、ここからも出た。ここの人、そのころのことを覚えていて、あの時は大変でしたね。今はどうなの?と言われた。今日、グラハタマンの住人になった。ルマーアバン駅の手前、500mである。引っ越し 古巣 アンダーテーブル
2016.01.25
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2564 多分、朝、暗いうちから雨が降っていたのでしょう。若干 明るくなっていた5;20頃、目が覚めた。かなり、きつい雨が降っていた。急いで支度をし、5;40過ぎには家から出た。雲の状態は全天、暗いグレー、止む様子はない、ジャバベカ方面も同じ空模様、雨は降り続いていた。ゴルフ場に6:10前には到着したが、一層、雨は、激しくなっていた。夜明け前から雨が降り続くのは、この雨季で初めての現象だった。一番スタートが30分以上、遅れたのでしょう。私たちのスタート予定時間6;50になっても、数グループ残っていて、40分以上、スタートが遅れた。雨は降り続いていたが、10時ころにはほとんど止み、薄い日差しも出てきた。下は、まだ、少しぬかるんでいるは、ほぼ、普通の状態になった。15時前にシンガラジャでの食事が終わったころ、また、雨が降り出した。雨季の状態はこんなものだ。インドネシアの雨季は2月の降雨量が一番多い。これから一か月間、洪水季節だ。ゴルフコンペの幹事が大変な時だ。特に午後からのコンペは、100%雨にたたられる。引っ越しの準備、何年ぶりの引っ越しか。タマンセントサに来たのは、いつだったか、忘れてしまった。6年ぐらい前だろうか、ここでの住み心地に問題はなかった。あったとすれば、蚊が多かったということか。準備は3時間もかからなかった。着るもの、食料品、雑貨、そんなものだけだ、電気器具は、コードを外して持ってゆくだけなので、準備も何もない。この家での最後の睡眠だ。蓮の花、濃いピンクは多い、この色のハスは非常に少ない、そして、この種類は、咲いたまま閉じない、ピンクの方は、明け方、開きはじめ昼前には完全に閉じてしまう。このコンドミニウム,異常に安いと思う。20年以上前からあるクラウンコート、今や1000US$(14ジュタ)では借りられないのにもかかわらず、6,8ジュタとは、信じられない。本当だろうか、多分、最初の1年だけだと思うし、この広告、すぐに、取り外されるのではないかと思う。洪水季節 格安 水連
2016.01.24
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2563 辞めることを通告して、承知してもらった。しかし、コミサリスとしては、私の手伝いが必要だから、出来るだけ、インドネシアにいてほしいという要望を受けて、日本とインドネシアを三か月おきに往復することを約束した。このことについて、個人的契約を交わすことにした。会社からは給料をもらわない。しかし、コミサリスから個人的に、航空運賃などを負担してもらう。今のダイレクターがいる限り、私が手伝うことは何もないので、本当は、私を引き留めておくことに意味がないと思うが。リタイヤビザを申請するために、EPO(今のビザを取り消す)をしなければならない。その申請を頼んだ。会社から必要書類をエージェントに出してもらわなければならない。リタイヤビザの申請に必要な書類を来週から、整え始める。ということで、2月23日前には、この会社とはお別れする。コミサリスに対して助言は、部外者として続けるが、ダイレクターに対しては、この会社から身を引いた方が、コミサリスや社員や客先のためになるし、自分のためにもなると、忠告を続ける。先ほど、興味深い話を私にした。一回目の注文書を見た時に、間違いだから、客先に知らせて、こちらから出してある見積もりに従って注文書を書き直してもらった方いいと、助言した。しかし、若ダイレクターから聞いたのは、間違って高く出された注文書を、間違いということを報告しないでそのままの値段で請求してしまえばよかったと言い。安い価格に変えさせたのは、私の責任だといい、コミサリスに報告したのです。儲けがほとんどない責任は、私にあるというのだ。その、損ではないが、儲けがほとんどない価格は、実は、首にした前ダイレクターが出したものだった。私はそれを知っていた。だから、この値段は安すぎるよと、客先には報告してあった。間違いの高い価格で請求しても、必ず、客先は気付くでしょう。気付けば、請求通りの金額は払わないでしょうし、信用も完全に失う、そういうことを、考えないのだから、開いた口が塞がらない。これで、自由になれる。一応、区切りの日になった。約一か月、仕事をしているふりをするだけだ。プラプラ ブックルジャ サジャジャラン カリマランの風景、庶民の生活がにじみ出ている。安堵 プラプラ 決定
2016.01.23
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2562 スマランからのコミサリスと会談をした。今の若きダイレクターの行状についてだ。彼に、会社のマネージングはできない。能力が低すぎるし、学ぼうとしない。評価は非常に良くないし、技術的なことも、苦手で、手を出そうとしない、無理やりやさせても、不器用で、ほかの新入社員より、程度が低い結果しか出せない。本当に気の毒に思うほどで、この仕事には、全く向いていない。入社前に適性テストをすれば、落第間違いなし、採用をしないでしょう。と、言った話をしたが、コミサリスにしてみると、以前のダイレクターが金銭的に問題だったので、身内を経理関係で残しおきたい、第三者では信用できないという。私の方は、仕事上、彼を信用しないし、手伝いも無駄なので、やはり、この会社とは距離を置くことにした。2月末で、リタイヤビザに切り替えることにした。こんな話をするために、私が呼び出された。今、売っているある製品の値段が安くて赤字だという、その値段は、私が、指示したものだという。なぜ、こんな値段を出したのかと、問い詰められた。寝耳に水の話、私は、この値段に関して、全く、関与していないし、見積もりにサインもしていない。びっくりだった。相談されたことはあり、OKか、変えた方がいいかを返事したことはあったが、これも含めて、見積もりを、私自身が勝手に出したことはない。しかし、若ダイレクターは、私が決めた値段だと言いはる。最初の注文書を私が見せられた時に、サイズが同じで、長さが倍以上違う製品が同じ値段になっているので、どちらが、正しくて、どちらは間違っているか知らないが、変だね、と、いった。その前に、この製品に関して、私が見た、短い方の見積もりは、後加工の値段が入っていないので安すぎて、赤字になるよ、と、言ってあった。その値段と、POの価格が違っていた。その二つを指摘した。そして、二つの注文書を持ってきて、安い方は私が値段を出した証拠だという。全然証拠になっていないし、高い方の値段は、やめさせた前ダイレクターが出したものだという。その証拠もない。そして、その製品の赤字の責任は私にある。だから、次の注文から、値段を上げるように交渉してという。そして、先方がのまなければ、この製品の製造を断れという。無知で、数字に疎い、また、注文書の矛盾を感じない、ダイレクターがコミサリスの前で、私に間違いだと指摘するのです。もう、あきれて、笑うしかない。よくよく、調べたら、高い方の見積もりは、若ダイレクターが出した。ほかの製品の値段を客先が間違えて注文書に書いたもので、前ダイレクターが出したものではなかった。自分が書いた値段を忘れていたのでした。安い方の値段は、前ダイレクターが出したもので、客先が最初の注文書が間違っていたことに気が付いて、価格を安い方に直して出してきたのでした。全く、私が関知しないことだと分かったのです。しかし、若ダイレクターは、黙るだけ、謝る言葉はなかったし、誤りを繰り返さないようにする対策についても、何もなかった。ほんの一例でした。ばかばかしくてやっていられない。だから、手伝いはやめると決めたのです。MM2100のドライビングレンジの付近とソトアヤム。JKT48の人気者、ハルカさん、インドネシア語、いつのまにかペラペラ、日本にJKTのメンバーと一緒に行ったときに、日本人に、日本語上手だね、と褒められたとか。ガッカリ 呆れる 笑う
2016.01.22
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2561 駐車料金、インドネシアの駐車場の全部が有料です。例外もあるが、本当にまれだし、無料なら、大きく強調して書いてある。すべてです。病院も役所も空港もルコも、です。スーパーやモールは当たり前です。コンビニも二三台しか前に止められないのに、変な男が、必要もないのに、出入りの手伝いをしたふりをして、チップを取る。私は、そういう人が前にいるコンビニには入らない。リッポチカランのジャラン シンガラジャでも、道路に侵入する車から、料金を取ろうと、だれが、画策したのでしょうか、チケットを渡すポスト?と出口の料金支払いポストを設置した。しかし、だれが、大反対したのでしょうか、結局、駐車料金を徴収するまで行かないうちに、両ポストはどこかへ行ってしまった。で、数年前までは1時間2000Rpだったが、現在は、ほとんど3000Rpになってしまっている。去年まで2000Rpだったが今年から3000Rpというところも多い。それにしても、高速道路料金といい、駐車料金と言い、まだまだ、安いですよね。こんなに安いなら、只にしたらいいと思うくらい安い。だから、高速鉄道は無駄だと思うのです。フローレス島の東端に近いエゴン山Egonの噴火が激しくなったようですね。マウメレMaumereという町の近くで、三色火山湖があるクリムトゥKelimutuという火山群を訪ねた時に、まず、このマウメレに到着した。今回、避難をさせられている火山は、マウメレから東20kmにある。日本から、ここを訪ねる人はほとんどいないでしょうから、気を付けるも何もないが、インドネシアは火山国です。日本と同じように、いつどこの山がアクティブになっても不思議ではありません。バリのキンタマニやアグンだって、心配性の人なら近づかないでしょう。バリ島の直ぐ近くの東ジャワのラウンRaungと同じ世界遺産内のスメルSemeruとブロモBromoこれらの火山もアクティブです。状況によっては、バリの空港やマランの空港、ブリタールの空港の閉鎖もあります。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage029.htmlhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0313.htmlフローレスには二回行っているが、一回目の記録です。二回目は、別のルートで、コモド島にも行った時でした。普段は、一日600~700平均でアクセスがある私のブログに、突然一日2000回以上のアクセスがある日がある。今月も1500回以上があったと思ったら、二日前には4000回のアクセスがあった。急に大勢の人が興味を持つような話題ではないので、どなたかが、過去に渡ってチェックしたのでしょう。それも、その人一人でチェックできるページ数ではないので、何人かのグループでチェックしていると思われる。何をチェックしているのでしょうか。アクセス数が増えるのはうれしいですが、突然、異常にアクセス数が増えるのも、ちょっと、気持ち悪いですね。昨年の末には、2月にビザが切れた後、もう一年、延長すると、コミサリスと話しあっていたが、今年、インドネシアに戻って、それが、難しくなった。この会社にいることの意味がないような気がしてきた。私がいることが無駄なような気がしてきた。明日、そのことで、コミサリスと会談をする。ジャカルタ中心道路、ジャラン ジェンデラル スディルマン(Jl Jenderal Soedirmanスディルマン将軍通り)から、ジャラン タムリン(Jl M.H.Thamrin)に進むと見えてきます。建物が何かわかりますよね。インフレ 値上げ まだ安い
2016.01.21
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2560 引っ越しについて、関係者と話した結果、24か25日にすることにした。移る場所の家賃は月3ジュタ(2万5千円くらい)一年間分、36ジュタを、引っ越したその日に払う。日本人が住む家としては、飛び離れて安いでしょ。どうですか、こんな家賃の家でも、快適に過ごせますよ。電気代は別払い、フォーチャーを買うのだそうだ。どこに売っているのか、まだ知らない。何とかなるでしょう。多分、退職しても、この家は借りておくことになるでしょう。いつインドネシアに来ても、泊まれるようにしておきたいからだ。ホテルをいちいち予約して、ホテル代を払うより、その方が、いい。私がいない間は、どなたかに、住んで、もらうか、住み込みのプンバントゥをお願いすることになる。36ジュタの準備を始めている。ATMで下せる金額は一日10ジュタに限られるので、ATMで下す場合は、四日かかる、銀行の窓口なら、一回で終わるが、一回の時間がどれほどかかるか、Klinik asal jepng tidak miliki ijin praktik,Seorang dokter asal jepang diamankan,これは、どこの診療所のことでしょうか。びっくりしました。インドネシアの制度を知らないので、どうなってしまうのでしょうか、なんとも言えません。10年ほど前、日本人の医者にも、何人かに、相談したことがありましたが、私の症状から、パニック障害と言った方は一人もいなかった。治った後、インドネシアにもどった。そして、一度、腰が痛くて、日本人医者に掛かった。その医者にも、パニック障害(当時はパニック障害とわかっていなかった)になったときに、相談したことがあったが、その時は、単なる三半規管の障害かもしれない、他の数値は全く正常ですと、言われていた。その医者に、当時のことを説明して、パニック障害だったのですよ、と話した。その医者、曰く、私に相談してくくれれば、よかったのに、私なら、すぐ、パニック障害とわかって、適切な薬を処方したのに、と、おっしゃった。それ以来、頭がふらふら、めまいがした時など、日本人医師のところや日系の病院に行くことはしなくなった。チバトゥからデルタマスに向かっている。前方の真っ暗な雲、間もなく、バタバタと大粒の雨が落ちてきた。秒読みと言えば、もう一つの秒読みが始まった。2月末が打ち上げの予定だ。家賃 引っ越し 医者
2016.01.20
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2559 三ラインを私一人でみた。若いころは、当たり前のように、やっていたし、土日の夜勤も当たり前のようにやっていて、月曜日には年休を取って休んだ。年休がなくなってしまってからは、代休を取った。暫くののち、会社側は、それを、問題視し、休日出勤の後の休みは、代休を優先するという、文章を労働協約の中に書かれてしまった。しかし、私が組合長になったとき、すぐに、その文章は、なくしてもらった。さすがに、休みなしで動き回った夜の16時間は、72歳の高齢者にとっては、厳しかった。体のあちこちが痛いし、足のあちこちがつる。昨日18:00から今朝08:00まで、14時間でした。ミーティングを終えて、会社から出たのが09:00、家に戻って、すぐに爆睡。目が覚めたのは、15;00でした。大雨の音で起こされたのでした。慌てて、昨日干したままの洗濯物を取り込んだ。20:00から05:00とよく眠り続けた。まだ、腰が痛い。客先の一人から、こんな道具ではうまくできるはずがない、もっと、いい道具はないの?と言われたことがある。その道具を使って、何人かは、私が満足する結果を出している道具です。その人は、そのことは知らないまま、自分でやってみて、うまくできなかったのでした。それでは、どんな道具なら、出来るのか、考えがあったら、教えてくださいと、お願いした。返事がない。別のお客さんが来て、その装置と結果を見て、よくできているね。自分もやってみようと、やってみて、やはり、うまくできた。そこへ、こんな道具はだめだ、といった、客先の人がやってきた。私に言ったようなことを、また、別の客先の人に話した。しかし、たちどころに否定された。その人の能力不足なのです。能力がないのです。ない人が、ある人に、ダメ出しをしていたのです。そして、その人は、出来る人から、使い方を教えてもらいながら、やってみたが、やはり、うまくいかないのです。こういう人のことを、適性がない人というのでしょうね。エンプラ押出成型をやるには、適性が必要です。向かない人を指導しても無駄なのです。そして、そういう人が、上司になったしまった場合は、部下は、どうすればいいのでしょうか。上司を説得して、やめてもらうか、他の場所に移動するしかないでしょう。6時から8時まで、チカランバラットゲートから、リッポチカラン方面への一方通行になる。私は、それの解除を待つ。多くの車が解除を待っている。ジャカルタのスマンギの立体交差点、ガトゥットゥスブロトの西向きからスディルマン北向きに降りようとしている。左二車線から降りることができるが、三車線から割り込んで左に入ると、ペナルティー、白バイが、その車に向かっている。報告 眺め 結論
2016.01.19
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2558 ゴルフは、朝、7;30から、昼食は遅く、14;00を過ぎていた。昨日の昼からのプレー費が間違っていた。ビジターは1.4ジュタ、ゲストは1.2ジュタでした。予想以上の上げ幅で、びっくりした次第。会員への食事代やドライビングレンジのボール代のフォーチャーが、無くなった。ホテル代二泊分のフォーチャーがあるとか、まだ、受け取っていない。受け取ったところで、どう使うのでしょうか。15;00頃、食事を終え、家に帰り、溜まっている洗濯をした。干して、一時間ほど、一眠り。16;30には家から出て、出勤。現在、ジャカルタタイム、20;00仕事をしながら、これを書いている。明日の朝、8:00まで、三ラインの生産を続けて、納期を間に合わせる。手前はナイロン11のチューブ、引取機は、見る人が見れば分かる、ハギノ機工製です。こうでもして、仕事の見本を見せないと、本当の仕事は、何かを分かってもらえないと思って、実行する。最も、こうしても、わからないでしょうが。このことに関して、コミサリスに報告をした。来週中にも会社に来て、打ち合わせをすることになった。また、今までのメールのやり取り、特に、昨年、10月から12月に掛けてを、通訳にインドネシア語と英語に翻訳を依頼した。そして、通訳から、ある方に、紹介してもらうことにした。その通訳は、いろいろな相談事も受けている人で、一応、私の行動を後押しして戴くことになった。2月末には、先方に、通達をする予定だ。今のままで、良いはずがない、このままでは、決して終わらせない。最近、下痢が止まらないという話をよく聞く、10日も二週間も、下痢気味で、インドネシアの医者の何人かにかかっても、処方された薬では治らないという。ある、日本食レストランで刺身を食べた人、一緒に食べた人は3人いて、2人が、下痢症状、一人はなんでもなかった。同じ医者に掛かっていた、その二人のうち、一人は10日ほど出直った、もう一人は、治らないので、日本に帰って、医者にかかった。腸内のウイルスが日本にはない種類だと言われ、今のところ、いろいろな薬を試しているところだという。とんでもない目にあっているよと、愚痴を言いながら、入院中だという。他の例もある。一人だけでなく、何人かが、別々の日本食レストランで、食事をした。だから、それぞれの条件は異なるが、症状はやはり、皆さん下痢だ。それぞれが、もう、あのレストランには、絶対行かないと言っている。面白いことに、かちあったレストランではなく、一人ひとり、別のレストランだ。刺身を食べて下痢というケースがやはり、多い。日本食レストラン、ソバ屋、うどん屋、カレー屋、あたかも、日本のどこかの町のように、あちこちに日本文字の看板が出ている。数が多ければ、それだけ、品質にばらつきもあるのでしょう、運が悪い人が食中りを食らうのでしょう、とばかり、言っていられない、日本人が増えれば増えるほど、確率は同じでも、そういう件数は、増えるのでしょうね。刺身を食べなければいいのだが、やはり、食べたいでしょうね。注意といっても、なかなか難しいですよね。ゴルフ場近くの田んぼの向こうにルコ(ruko,rumah toko,家、店)を立て始めたのが1年前、しかし、半年前から工事はストップ、こんなルコも多い。徹夜 バクテリア 下痢
2016.01.18
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2557 やはり、ゴルフは、汗をかきながら、やるのがいい。約一か月ぶりのインドネシアでのゴルフ、快適である。それと、同伴プレーヤーの世話をする必要がないのがいい。広々と解放された環境がいい。プレー費が上がっているのにはびっくりした。昨年末は、27、5万Rpだったが、29万Rpになっていた。いつも30万Rp出して、おつりを2、5万Rpもらい、ハーフ終了後、ミーアヤムをその25万Rpで食べることにしていた。今日は1万Rpを出されてびっくり、尋ねたら、そういうことだった。聞くところによると、すべてのプレー費が上がっていて、ビジターは1,9ジュタ以上、ゲストは、1,8ジュタだそうだし、11時からの午後組も90万Rpになった、いずれも20万Rp以上の値上げだ。強気でも、今日もフルブッキングだったようだ。聞くところによると、他のゴルフ場も、軒並み、プレー費が上がっている。昨年末に、一時ストップしていた、アパートやショッピングモールや総合施設の建設が再開されていて、ジャバベカでもチカランでも杭打ちの音が響いている。これは、チカランバラットゲートに向かって左側に建設中のショッピングモール、面積の広さや地下三階くらいまでありそうな深さから見て、かなり規模が大きいと思う。気になることは、車はどこから入って、どこから出てくるのだろうか、周辺には、高速道路へ入る一車線半くらいの道しかない、拡張はできない場所だ。一日何台くらいの車が来ることを予想しているのでしょか。チバトゥのゲートに隣接している広大な場所に、ホテル、アパートやデパートの総合施設を建設中だ。オレンジ カントゥリーと紹介されている。ジャバベカ工業団地の奥の方、ゴルフ場の方にも、絵を描いた塀が張り巡らされている場所が、何か所もあり、ゴルフ場のあちこちの方角から杭打ちの音が響いてくる。資材はあげるクレーンも周りに見える。こんなに作って、客が入るのだろうか。ルコの建設も盛んだ。空きが一杯あるのに、それに隣接して、建てられている。数年後、今、着工したばかりの施設が完成したころ、周辺の住宅はどうなっているでしょうか。インドネシアは、不動産バブルが始まったような気がする。日本人が利用するような、住宅やアパートの賃貸費用は月2000US$は、当たり前になっているようだ。それでも、入る。不動産 ゴルフ 高騰
2016.01.17
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2556 予定通り、PCを受け取りにジャカルタ往復をした。昨日の事件の場所のかなり手前なので、行きは心配していなかったし、順調だった。帰りは、一昨日と同じように、スマンギまで行ってUターン?しなければならないので、渋滞を心配した。しかし、心配など全く必要なかった。テロの次の日だから、ジャカルタの中心地へは、皆さん、近づかないようにしたのかもしれない。ところが、私は、逆で、これだけ、空いているなら、せっかく、スマンギまで来たのだから、サリナの前を通ってみようと思った。一昨日と同じ場所の写真、橋の下をくぐって、左に入って、チカランへ戻ったが、今日は、スディルマン通りを直進した。そして、モナスの直ぐ傍まで行ってUタ-ンをして、戻り、スターバックス、サリナの前を撮った。多くの車は、徐行して、現場を眺めながら、通り過ぎているので、写真を取りやすかった。見物人と報道人でごった返していたが、混乱の状態ではなかった。そこかしこに、自動小銃を下げている機動隊の姿があった。自爆現場のスターバックスの前とサリナデパートの前。ラップトップの修理は完ぺきに行われていた。データすべてが、そのまま残っていた。さすが、ヌサンタラ セコムの日本人の方。日本語入力もアウトルックも、完全に治っていた。ちょっと、難しかったが、何とか、日本人二人がかりでなおしたという。もう一台、予備で使っていたPCのアウトルックもアウトだったが、それは、今日その場で、設定をいじってもらって、直すことができた。私は、その設定の場所に気が付かなかった。とにかく、めでたし、なにか、つっかい棒が取れた感じ、久しぶりに快感だった。費用は、いらないという。個人同士、友人同士、お金は取れないという。と、予想していて、私は、日本からの土産でもってきていた、ふりかけや酒のつまみになるようなものを持っていった。そして、焼酎酒2Lパックも渡して、お礼とした。三日ほど、開くことができなかった、受信ボックスには、迷惑メールが30ほど入っていた。全く、暇な人間が多いこと。それはそれとして、とにかく、今までのアドレス kota02@y6.dion.ne.jpが生き返りました。早速、そのメールに、次のような文章が送られてきた。“昨日のサリナデパート近辺での爆弾銃撃事件に関しまして、本日ブカシ県警察署長より今後の対応についてブリーフィングがございました。本ミーティングには、ブカシ県知事事務所よりの代表、ブカシ管区国軍、MM2100、ジャバベカ工業団地、GIIC工業団地、EJIP工業団地及びブカシ県警のスタッフが出席しております。概要は以下の通りとなっております。1. 次に起こり得る爆弾事件を想定し警戒を続けなければならないが、今のところテロリストのターゲットは、米国、ヨーロッパなどからの外国人と欧米企業のブランドのある場所となっている。2. また、昨夜ジャカルタ警察が、デポックにおいてテロリストとおぼしきグループを摘発した。その一方で、爆弾事件後、愉快犯的にある場所に爆弾がある等の連絡を警察にしパニックを起こさそうとの試みも行われているが、警察は一件づつ全てチェックしている。3. 現在警察は国軍と連携し、次の爆弾事件への警戒態勢を取り、現在警戒レベルを最高のレベル1の状態にしている。4. 工業団地においても、巡回パトロールを強化し、特に工業団地内への人の出入に十分注意をすること。5. 入居企業においては、入居企業に出入りする人及び物についてコントロールを厳しくすること。6. もし何か不審なことが有る場合は、直接警察まで連絡すること。7. 警察はブカシ県地方政府と協力し、人が混雑し集まるような活動は控えるようにし、テロリストの標的にならないようにしていく。以上ですが、工業団地のセキュリティー体制は警察と協力し強化して参りますが、皆様におかれましても、上記の人と物の出入、また個人としては人が集まるような場所や、欧米ブランドのショップ等には近づかない等の注意をお願い致します。“だそうです。退院 全快 快感
2016.01.16
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2555 イスラムの国だから、いい加減も多いが、敬虔な信者もいる。ごく少数だが、ギラもいる。あれだけ、世界中でISが、滅茶苦茶をしているのだから、インドネシアでも、自爆テロぐらいあっても不思議ではないし、やっぱり来たかという感じだ。一般市民は、いい迷惑だ。サリナ デパートといえば、ジャカルタの南北幹線道路、タムリン道路にある、インドネシアで初めてできてデパートだと言われている。その近くで、自爆?テロ?があった。少なくとも9人死亡。ジャカルタタイム11;30頃でした。私が知ったのは、12時ころでした。現在、銃撃戦になっているという。日本大使館から向かい側、北方向、200m?くらいの場所。スディルマン通りのスマンギの写真の位置から、そのまま、北上1kmくらいの場所。今日出発の便に乗る人は、相当、空港まで行くのに苦労するとおみますし、到着した人もホテルなど、目的地に到着は大変だと思う。夕方6時過ぎには、ジャラン タムリンは、ノルマルに戻ったようです。結局、テロリスト5人、一般市民2人犠牲者でした。怪我人は、警察官5人、一般市民14人でした。客先リストを見せてほしいと頼んだのが、昨年の11月初めだった。その時は、あるでしょうから、すぐにと頼んだ。ありますという返事だった。それから、数回以上、まだか、まだかと催促をした。年が明けて、再赴任してからも、毎朝、催促した。今朝も催促した。すぐに出しなさいと。そして、昼過ぎにやっと出してきた。なんと、会社名の次に肝心な、売っている製品名が書かれていない。それと、担当者のHP番号もない。恐れ入りました。これが、客先リストだという。“製品名が無いよ”と、指摘したら、“太田さん、知っていると思った“という、言い訳でした。私の頭では、付いてゆけない世界でした。私が頼まれて、新しく製品化した製品と客先については、当然、名刺も交換しているので、知っているが、それ以外の、私が登場する必要がなかった製品については、客先も製品も担当者も知らない、それを、知りたいと思い、また、会社として当然、あるべきリストだと思っているので、有るか無いかを確認する意味でも、リストを頼んだのだったがこの始末、結局、今日、まだ、製品名が書かれているリストは、受け取っていない。いつ出てくるでしょうか、また、何度も、催促しなければならないのでしょうか。仕事を終えて、家でニュースを見ようと急いで帰ったのが18;00ころ、がっくり、停電でテレビどころではない。回復したのが20:00過ぎ、早速、ニュース番組を見た。ブレーキングニュースとしてやっていた。大統領やジャカルタ知事が現場付近を歩いている風景が写っていた。各空港やショッピングモールなど、警備が強化されている。各地で車のラディア(一斉取り締まり、チェック)が行なわれている。ジャカルタへいって、全快したラップトップを受け取ってきた。Kota02@y6.dion.ne.jp 今までのアドレスが使えるようになりました。 テロ サリナ 取締まり
2016.01.15
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2554 PCポリカーボネートではない、コンピューター、ラップトップが私の言うことを聞かなくなってしまった。日本にいた時に、日本語入力ができなくなってしまっていたが、このたびは、メールの受送信もできなくなってしまった。どうにも、ならなくなって、ジャカルタのセコム ヌサンタラに入院させた。メールアドレスkota02@y6~~での仕事ができなくなってしまったので、緊急避難先として、kota02y6@yahoo.co.jp、このメールアドレスをしばらくの間、使うことにした。平日のジャカルタへ行ったのは何年ぶりでしょうか。ジャカルタに日曜日に行ったのも、いつだったか、覚えていないくらい、ジャカルタにはいかない。空港への行き帰りに通過するだけだった。仕方がなく、急遽、出かけた。それほどの渋滞にはまらなくてよかった。この状況を説明できる日本人は、インドネシアの交通事情というか、運転手は、時に、とんでもない行動をすることをよく知っている方です。このロングボックスの大型トラックは、高速道路に入ろうとしてゲートに向かったが直前で、なぜか、入るのを止めて、Uターンをしようとしたのです。ところが、Uターンしきれず、ゲートへの入りも出も塞いでしまったのです。そして、どうもそのトラック、エンジンが止まってしまったらしい。私は、ジャカルタからもどって、出てきた時に遭遇した。前のバスが路肩から、ぎりぎり、通過している。そのあと、私は悠々と通過したが、私の後ろのコンテナトラックは、通れないに決まっている。両方の渋滞が解消するのは、そのトラックを何とかしなければならない、相当、時間は掛かると予想される。ムナラジャムソステックから出たところで、大雨になる、スマンギまで行き、戻りの方向に変える。ガトゥットゥスブロトのスマンギの陸橋を過ぎて左に入って、ぐるっと回って、スディルマンに降り、ここで、プラザスマンギが橋の向こうに見える。ガトゥットゥスブロトの下を通りまた左に入って、ぐるっと回って、ガトゥットゥスブロトの東向きに上がる。そして、帰路に就く。行きたくないが、直してもらったら、受け取りにまた、行かなければならない。世界遺産のブロモ(東ジャワ スラバヤの南)の噴火が激しくなっているようです。バリからオプションで出かけるツアーが頻繁にありますね。しかし、今は、プロボリンゴの展望台へは行けないどころか、風向きによっては、周辺のマランやパスルアン(日系企業がたくさん入っている工業団地がある)や泥海のシドアルジョ辺りにも近付けない状態だとか。https://www.youtube.com/watch?v=ceY167q36vw 臨時ニュースですね。ジャカルタ行きが今日でなくてよかった。ジャカルタ中に非常線が張られて、大渋滞になっていると思う。サリナ デパートといえば、ジャカルタの南北幹線道路、タムリン道路にある、インドネシアで初めてできてデパートだと言われている。その近くで、自爆?テロ?があった。少なくとも7人死亡。ジャカルタタイム11;30頃でした。私が知ったのは、12時ころでした。現在、銃撃戦になっているという。日本大使館から向かい側、北方向、200m?くらいの場所。スディルマン通りのスマンギの写真の位置から、そのまま、北上1kmくらいの場所。今日出発の便に乗る人は、相当、空港まで行くのに苦労するとおみますし、到着した人もホテルなど、目的地に到着は大変だと思う。 夕方6時過ぎには、ジャラン タムリンは、ノルマルに戻ったようです。結局、テロリスト5人、一般市民2人犠牲者でした。怪我人は、警察官5人、一般市民14人でした。 修理 依頼 入院
2016.01.14
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2553 いきなり、従業員から、若きダイレクターに、数々のコンプレーンがぶっつけられた。たまり、たまっていたものを吐き出したという雰囲気。昨日、“明日、従業員との全体ミーティングをしてほしい”という、要求があった。どうも、私が着任する時を待っていた様子だった。私自身も彼には、かなり、ストレスを増やされていた。普通なら、何度も、何度も、しつこく頼む(要求)ことはないが、彼には、しつこく、要求しないと動かない、それが、意識して、知らん顔をしているのか、忘れてしまっているのか、行動をおこすのが、もともと遅いのか、とにかく、仕事をしない。だから、私も不満が溜まっているのだし、従業員が頼むことも、しないので、不満が溜まるのは当然だと思う。案の定、今月からのサラリーが上がるかどうか。健康保険にいつ入るのか、従業員の不足はいつ解消されるのか。ユニフォームや安全靴は、オーバータイムの計算に使われる時間給の計算の方法は、ほとんどが、就業規則に関わること、創業時に準備しなければならないこと、してないのだから、突っつかれる。従業員は我慢していたのでしょう。いくら言っても、言い訳ばかり、今日も、言い訳に終始していた。いつまでやると、言われて初めて、言っていたが、私の予測では、当分、何もかもできないし、しないでしょう。PCパイプの見積もりを計算している。光拡散剤入り原料価格は7US$/Kgとする、高い。(白の部分の原料価格は3US$/Kgなので、本当は、5.7US$/kgくらいになる)ルピアにすれば、×13,800だから、1kgが100.000Rp近い。製品価格をそれの倍にするなら、一本100gなので、20.000Rpになる。約180円になる。金型製作費用は20ジュタ、16万円くらいで収まります。試作費用込みで30ジュタ(26万円くらい)の見積もり出す予定だ。高いでしょうか、安いでしょうか。日本で押出成形屋さんが売っている価格と比較して、どうでしょうか。カリマンタン上空を通過時の機外の様子。太陽の周りの輪は、インドネシアではよく見かける。早速、バイクの渦の中の運転、これでも、ちょっと少なくなった方。20日ほど日本にいて、バイクを見たのは10台程度、ほとんど、見かけなかった。静岡のバイクの販売店はどこにあるのでしょうか。知らない。本国ではほとんど売っていないバイクを他国で売りまくっているのですから不思議ですね。文句 当然 遅い
2016.01.13
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2552 早速、新規製品の打ち合わせに行ってきた。二色成型のPCパイプ、LEDチューブランプのPCカバーだが、三分の二が、いわゆる光拡散剤入りの乳白半透明のPC、三分の一は、白のPC、その白い部分にアルミハウジングが入る。PCのパイプにしても、アルミニウムが少ないから、このほうが安くできるとか、しかし、単なるプロファイルではないので、金型費は倍ほどしますよと、言っておいた。そういいながら、金型のデザインを考えていた。以前、ちらっと書いたが、PCパイプの二色成型は、やったことがない。しかし、私にとっては、難しいことではない、安全を見て、サンプル提出まで二か月掛かると、話したが、実際には一か月でできそうだ。長さは、定番の1145mmで、13日には見積もりを出すと約束した。早ければ、3月末には注文したいという。白の部分は、長期在庫になっている普通のPCを使うことができる。 この種の製品は台湾、日本、中国で普通に作られていて、今は、競合も激しくなり、それほど、おいしい仕事では無くなっているようですね。インドネシアでは、まだ、プロファイルも私以外できていません。今日の客先も、私から、高い値段が出たら、他社にも見積もり依頼をすると言っていたが、他社はありません。なぜ、確信が持て塚というと、LEDランプ用の押出原料を輸入しているのは私だけですから。どの商社に聞いても、他に葉ないという返事だ。 20日間の留守だったが、家に戻ると、緑の草が30cmほどに伸びている。また、裏の庭のマンガの木が見事に枯れ木になっていて、すべての葉っぱが落ちてしまい、見事の枝だけがさみしく残っている。その下は、緑の草が、やはり、伸び放題になっていた。通訳をしているイバンさんに、翻訳を頼んでみた。昨年の10月から12月までのメールで話したことをインドネシア語に直してもらい、今後の行動のスタートにするだめだ。カラワンまで行ったし、旅の疲れが残っていたのでしょう。夕方帰宅して、食事の準備や掃除などして、夕食を終えた20時ころ、座椅子で眠ってしまった。目が覚めたのが24時を回っていた。心地よかった。すぐにベッドに入って、また、眠ってしまった。訪問 PCカバー 雰囲気
2016.01.12
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2551インドネシアにいる。先ほど、21時過ぎにタマンセントサの自宅についた。熱い、30℃。今月末には、ここにいない予定だ。セキュリティーのしっかりした場所に引っ越す。6:45静岡発、こだまで品川まで、京急線で羽田交際戦ターミナル、8;15には到着、早すぎ。ガルーダの搭乗手続きは、9:15頃だったと思う。9;30には、イミグレ通過。11;10搭乗まで、時間つぶしのcuci mataチュチ マタとtidurチドゥールでした。成田に比べれば、余裕たっぷり。以前に比べれば、コンセントもHANEDA FREE WIFIも増えているので、便利さが増している。免税店の価格が高い。免税なのに、高い。それに、買いたいもので日本製がほとんどない、必ず、どこ製か見るが、やはり、チャイナが多い、ベトナム、台湾もインドネシアもある。匠の耳かきや爪入りと書いてあっても、日本製ではないものもある。もっとも、日本のあちこちの100円ショップでインドネシアへの土産物を物色しても、ほとんどは、外国製、受け取る人は、メイドインジャパンを大喜びする。それ以外だと、どこどこ製でねとがっかりしたように言われる。安い着物も中国製。Tシャツは全部外国製、土産物ならない。日本製と書かれている爪切りを一つ買った。ガルーダの羽田便は、日本へ来るときには、ほぼ真南から、来るが、帰りの便は、いつも、日本列島の南海岸沿いに西へ行き、紀伊半島を過ぎて南に方向を変える。だから、帰りの便は、取れれば、右の窓際にする。今日も、一番後ろ48Kにした。翼が最小限になるのと、トイレが近い。静岡の町の北側を通過する。富士山には、わざわざ、江の島あたりから、北西に行き、箱根のちょっと南、芦ノ湖が見えるが、ほとんど真下になる。そのまま、西に向かうと、富士の町から駿河湾の一番奥をとおる。富士川の扇状地が見える。私の生まれ故郷の上空を通過してくれる。今住んでいる場所は、左になってしまうので、見えない。18:00ジャカルタ着、18:45空港からタクシーで発、20:15にタマンセントサの家に着いた。渋滞は全くなし、出発も到着も日曜に限る。お決まりのタマン アングレックの電飾、ところで、荷物チェックも何事もなく通過、28kgと重い、面取りバリ取り器を四個と選定はさみ5丁(一応刃物)と酒2L×3と米麹1kg×4、危ないかなと思っていたが、チョークのチェックがなかった。そして、多分、ベルトに置く前のチェックを最近はしていないのではないかと思った。私が20分ほど、出てくるバゲジを見た限りでは、一つもチェックがなかった。だから、出るところでは、今までは、機内に預けた大きなバゲジのチェックはせず、手荷物だけをX線チェックしていたが、今回は、列の前に10人ほどいたが、全員、大きなバゲジも通させていた。私の番になって、重い大きなバゲジを乗せようとしたら、それは、通さなくていいと言われた。リックサックだけ通して、何事もなし、ところが、そのわきで、かなり多くの人の荷物が開けられていた。日本人も何人かいた。なぜ、私だけ、チェックしなくていいと言われたのか分からない。到着 順調 熱い
2016.01.11
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2550 日本最終日、インドネシアへ持ってゆく物の準備、買い物です。毎回、持ってゆくもの、黒はんぺんと納豆と生うどん。すべて、私にとっては安いものです。それと、冷蔵庫に保管するものです。黒はんぺんは、ご存じ、静岡でしか売られていないものです。どうしても、持ってゆかなければならない桃です。そして、10枚で80円以下と安い。納豆とうどんは、インドネシアで作られたもので1パック80円くらい、日本やコリアからの輸入なら120円以上、日本なら、3パック、65~80円で買える。それぞれ30パック買う。半分は、友人にあげてしまう。黒はんぺんは、特に好評だ。以前は、ジャカルタの日本食材スーパーに一か月に一回で日曜日に出かけて行ったこともあるが、ここ、数年はそれをしていない、リッポチカランにもあるが、一回、様子を見に行っただけだ。その他、大型のスーパーに、日本、コリアからの輸入食品コーナーがあり、様々な、食品が売られているが、目が飛び出るほど、高い。私は、絶対に買わない。しかし、よく売れているようだ。日本の倍以上していても、売れているようだ。家賃が月15万円以上の家に住むのが普通だから、食べ物も日本の倍以上しても、普通だと思っているのでしょうね。今日行ったスーパーで、何気なく、味噌を売っているコーナーを見ていたら、米麹を何種類か普通に売られているのを見た。平均100g150円位だった。特に糀屋に行かなくても簡単に買えるようになっていることが分かった。しかし、高い。糀屋で買ったほうが安いし、種類を選ぶ必要がない。なずれがない。 我が家の庭の早春、菜の花が咲きはじめ,金柑は鈴なり、その木の向こうに見える建物が隣にある老人養護施設、24室あるが、常に一杯だそうで、ウェーティングも多数だそうだ。隣でも、希望しても、すぐには入れない。 今回の日本は、約20日間だった。何かと、忙しかったが、すべてが、私が望んだことなので、充実した日々を送れたと思う。そして、インドネシアに滞在するだけなら、大いに望むところだが、今となっては、そう、望まないインドネシアでの仕事のために、戻らなければならないことになっている。そして、もう一つの目的があるが、これも、望むものではないが、実行しなければならない。前日 買い物 納豆
2016.01.10
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2549 いよいよ、秒読みになってきた。太田化工へ行って、また、インドネシアへいくよ、と、言ってきた。濁酒が余ってしまったので、置いてきた。評判が良い。 天気が良くて富士山もよく見えた。笠雲を二層に被っていた。静岡大橋からと駿河大橋?(一番河口に近い橋)からでした。日本平が右ですね。 日本に戻って、いろいろな人に会っているが、インドネシアと聞くと、新幹線の受注を中国に取れたね、と、いう。皆さん、国の失敗だと批判したいようだ。中国にやられた、という、感覚だ。わたしは、たちどころに、中国にとられて良かったと、言う。 その決定の時にも書いたが、まず、不思議に思うことは、ジャカルタから、スラバヤに至る高速鉄道を引くのになぜバンドゥンを通る必要があるのかということだ。ジャカルタからバンドゥンまで焼く140Km、そのうちの80kmは、山の中を通過する。バンドゥンは、確かに、アジアアフリカ会議などで有名な都市だが、なんといっても山の中の盆地、だから、その先、例えば、チレボンまで行って、やっと、ジャワ海岸沿いにでるなら、この間はやはり、100km近い距離、ほとんど山の中になる。今の高速道路を見れば、一目瞭然、難所続きで、高架橋とトンネルの連続になるはず。バンドゥンまで、たぶん、三年と言っているが、日本が言っていたように5年はかかるでしょう。チカンペック手前から山の中になるが、そこまでの、平たん地の土地価格、毎年30%以上値上がりしている。だから、地主は、現在の相場では絶対売らない。二倍でも、どうか、ということで、土地の買収に時間がかかるし、かかればかかるほど、買い取り価格も上がるでしょう。買収だけでも予算の倍以上になるでしょう。そして、着工も遅れるでしょう。 そして、五年以上後に、営業開始したとしても、大赤字が避けられないでしょう。チケット料金をいくらにするか知らないが、高速道路の交通料金がジャカルタからバンドゥンまで、500円くらい。高速鉄道の料金設定は、2000円くらいにするとして、東京、静岡間(ジャカルタ、バンドゥンと同じ)を使うでしょうか。車なら、自宅から、目的地まで行けるが、鉄道は、出発駅までと到着駅からの乗り物のことと、荷物のこと、時間のこと、余計な出費ことを考えれば、相当、無駄が多い。そして、駅をどこにするのでしょうか、ジャカルタのガンビール辺りから出発し、ブカシとカラワンのどこか、その次は、山の中になるから、バンドゥンまで駅を作る意味がない。乗客は伸びず、というより、開業時より,徐々に少なくなるでしょう。黒字にならないでしょう。台湾の赤字よりひどいことになるでしょう。 また、バンドゥンから先、スラバヤまで伸ばさなければ意味がないので、とりあえず、チレボンまでの延長は、不可欠だが、これが、また、バンドゥンまでより以上に難工事になるし、途中に、山以外何もない。昨年。やっと、全面開通した、高速道路。チカンペックからチレボンのちょっと向こうまで(中部ジャワに入ったところ)を。見れば、わかるが、ジャワ島の北側は平坦で、町らしい町はない。工事は簡単、橋を架けるだけ、その他の他は、極端なことを言えば、ただ、レールを置いてゆけばいい。買収金額も安いし、真っ直ぐな鉄路だから、対短距離を通すことができる。高速道路は真っ直ぐすぎて、居眠りやスピードの出し過ぎ、わき見運転の事故が、ジャカルタ、チカンペック間より、はるかに多い。このことを見れば、バンドゥンなどを経由しないほうがはるかに、案としては優れている。これが、わかっていて、意識的に、こういうことを提案しなかったとしたら、日本の作戦勝ちだと思う。インドネシア政府が赤字の補填をしないのだから、なお、無茶だ。いずれにしても、以上のことから、インドネシアの高速鉄道は、バンドゥン経由は失敗する。その先はできない。高速鉄道 赤字必至 作戦勝ち
2016.01.09
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2548 日本滞在最終ゴルフ、牧の原の相良ゴルフでした。南部化成のOB会、佐々木さんとも最終でした。今回5回、ご一緒でした。天気晴朗なれども波高し、ではなく、風強でした。寒い、使い捨てカイロを両脇に貼り付け手も、寒さはこたえる。それより、こたえるのは、やはり、同伴者のプレーの遅さ。そして、前の組のプレーの遅さ。動きが遅いうえに、クラブの準備の要領が悪い、カートの移動のタイミングと止める場所が上手くない。私は先に先に行って皆さんを待つ、日向があれば、日向で待つが、ない場所が多いので、これまた、寒くて、震えながら待つ。ところが、私たちの前のグループのプレー速度が、私たちより遅いので、その待ちも長い。同伴者は、前の組が遅い、と、言っている、プレーのリズムが壊されると言っているから、自分たちは遅くないと思っている。苦笑するしかない。残り二ホールで“ピッチングが見当たらない”と、言い出した人、そのまま、最後まで無しのままプレーした。終わって、クラブの数の確認の時に、確認する人に、そのことを話していた。“見つかると思いますよ、若い人でも、置き忘れる人は多いですから“と、あたかも、あなたの認知症が進んでいるわけではないですよ、と、いているように聞こえて、慰められているようで、面白かった。その人、途中で、パターがないと、騒いでいた。ほかの人が間違えて持って行ってしまったのではないかと、皆さんに確かめていた。すると、その人、パターをもっているので、”それじゃないの”と、私が言う。その人、“アルツハイマーが進行中だね””っと、つぶやき。眼鏡を頭に引っ掛けておいて、メガネを探す人と同じだね。東名高速の大井川を渡っていた時のサンライズ。ゴルフ場にはここを左折する。山の中なので、前が見えないコースが多い、途中に信号があって、青ランプの時に打てる。七草粥の日、娘の誕生日、孫の母親の誕生日。ゴルフの帰りに、モンブランを買った。私は、50年以上前から、家族で“何かの日“日には、モンブランを買って帰ることにしている。妻も娘も、栗が乗っかっているモンブランを好きになってしまっている。仕事から帰ってきた娘を着席させて、ハッピーバースデーの歌を歌い、モンブランに入刀、孫からのプレゼントと感謝の手紙を渡す、セレモニーの後、モンブランを平らげて終了。遅い 待ち モンブラン
2016.01.08
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2547 浦島太郎は、今回も、セルフのガソリンスタンドの勇気がなかった。丸子交番近くのセルフではないガソリンスタンドが、コンビニに変わってしまっていてショック、この辺りに、セルフではないガソリンスタンドが無くなってしまったようだ。グリンパに行くときには十分な量のガソリンがあった。しかし、静岡に戻る前に、明日のゴルフのために燃料を補給しておこうと思い、日本平サービスエリアに入った。サービスエリアなら、セルフではないと思うからだ。しかし、そこには、ガソリンスタンドがなかった。静岡インターで出て一般道に入ったが、左側にガソリンスタンドがない。結局、静岡大橋を渡って安倍川に西側に出たところにやっとあった、幸いにもセルフではなかった。112円でした。セルフとそうでない場所とあまり、価格は変わらないようだ。ETCも買ったことがないし、使ったこともない。どこで買うのか、手に入れるのか知らない、知りたいとも思っていない。だから、高速道路に入るときに一般の緑の看板のあるゲートに入る。ペロッとカードが出てくるのは、最近のインドネシアと同じ、問題は高速から出るとき、支払ゲートに人がいなくなってしまっている。何やら、言っているが全然、耳に入らない。まず、自動支払い機?に手が届く位置に止まることができてホッとする。カードを差し込む場所を探して、カードの方向を確かめて、カードを入れる、素直に入ってくれると、ほっとする。金額が表示される、そして、面倒だから、千円以上の時には五千円か一万円を入れる、お金が入ってゆくと、また、ほっとする。そして、ゲートが上がるとホッとする。おつりが出てきて、受け取ると、ホッとする。すべてが上手くゆき、後続の車をあまり待たせなかったことで、最後のほっと、になる。車線に前方の交差点でどっちに進むか矢印が書かれている。これは、法的にどう扱われるのか、知らない。インドネシアでは、ほとんど、意味がないので、気にしない。空いていれば、車線、矢印は無視して、車を詰める。日本では大変困る。直進したい、三車線の真ん中は直進に決まっているはずと思って、直進すると、右車線と真中が右折になっていて、左車線が直進と左折になっていてビックリ、仕方がないから右折する。また、その逆もある。二車線道路で、直進したいのに左車線が左折専用になってしまっているときも困る。矢印が左折になっていることに気が付き、右車線に入りたいが、既に、車が詰まっている、割り込みたいが、勇気がないし、交通違反になるかもしれないと思い、仕方がないから、左折してしまう。カーナビも使ったことがないし、買おうとも思わない、これがあれば便利かもしれないが、無駄な買い物になりそうで買わない。なしでも、迷いながら、探しながら、目的地へ行くほうが、私はいいと思う。これはなんという名前でしょうか、かわいい、しゃれたデザインのものがありますね。この先は、直進できないと思っていると、直進できる場合がある。交差点手前にもっと右に右折専用車線が現れて、この車線は直進に変わる。インドネシアでの運転のほうが、はるかに、気を使わない。周りのことを気にせず、自由に、運転ができる。運転 ETC 車線
2016.01.07
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2546今年、二回目のゴルフ、付き合いとはいえ、よくやると思う。私を当てにして誘ってくれる方の期待を裏切るわけにいかない。奥さんに先立たれて一年が過ぎようとしている。78歳、11歳年下の奥さんに先に行かれてしまって、老後の介護を当てにしていた、面倒を見てもらおうと当てにしていた人が突然、いなくなってしまい、老人の一人暮らし。親しくしていたゴルフ仲間も、体の具合が理由で、ゴルフが出来なくなってしまっている人がどんどん多くなっている。だから、私が戻れば、完全に期待される。もう一年、インドネシアにいなければならなくなったと話すと、かなり、がっかりした様子で、それまで、生きているように頑張るよという。三月末、桜の季節には、また、しばらく、日本にいるようにします、というと、手帳を取り出して、いつにしようかなと、予定表を眺めながら、何日かにマークをしていた。今日の夕飯は何を作ろうかな、と、そのあと、つぶやいた。インドネシアに戻れば、私も立派な高齢者の一人暮らし。慣れている私と、その方とは事情が違う。7日のまた、ご一緒する。富士山静岡空港の滑走路の下を横切っているトンネル。空港ができる前には、山を越えていた道をトンネルにした。だから、空港トンネルだ。着陸寸前の飛行機、便数が増えているのは明らか、ゴルフ場の真上ではないが、轟音とともに通りすぎる数が増えている。暖かい日が続いているらしい。富士山の雪が異常に少ない、昨日のグリンパもその途中にも雪の形跡すら無かった。朝方、池も凍っていなかった。家の庭に霜はまだ下りていない。ゴルフ場のグリーンも凍った気配がない。明らかに暖冬でしょうね。早咲きの桜も蕾どころか、すでに、咲き始めている。しかし、私にとっては、それでも寒い。それも、非常に寒い。20度という気温でも寒い。家族と感覚が合わない。着る服をどうしたらいいか迷う。もう数日の辛抱だから、風邪を引かないように、自分がいる部屋だけは、私が気にならない気温を保とうとしている。乾燥も厳しい、鼻が乾く、口の中も渇く、水分をたっぷりとり、足をはじめ、腕や背中にはメンタムなどを塗り、カサカサを予防し、赤い斑点は腫れができることを防いでいる。以前は、これに悩まされたが、予防方法を見つけてからはここ二年ほど、かゆい痒さから解放されている。寒さ 暖冬 一人暮らし
2016.01.06
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2545 約束どおりに富士の裾野のグリンパ(Grinpa)へ。9時15分出発、昔は日本ランドと言っていた場所で、近くの長泉町に住んでいた時には、頻繁に行っていた。孫とは昨年に続いて二回目になる。心配は路面の凍結だったが、暖冬で、全く、それは杞憂に終わった。ただし、裾野インターまで行ってしまったので、国道246から入る場所が分からなくなってしまって、30分ほどロスをした。到着は11時を過ぎてしまった。シニアー、子ども料金が同じ、入園と一日乗り物券(ワンデークーポン)が一人2450円×3、駐車料金が1000円。スケートが700円(ワンデークーポン所持者)×3まず、主目的のアイススケート。貸し靴、できたね、まだ。初めてのアイススケートは、高校の時、担任が、行ってみるかというので、担任と同級生数人と,駿河町?の映画館の地下のアイススケート場に行った。手すりに捕まったまま、ほとんど離れなかった記憶がある。インドネシアではタマン アングレックとメガモール プルウィット(今はない)に従業員を招待し、何度も行っている。学生時代には、早朝、武田神社のすぐ東隣の潅漑用水、“竜が池”で滑っていた。そして、今は孫と一緒。靴はホッケーを借りた。フィギアーでもいいが、ちょっと、エッジが立ちすぎていることと、前のギザギザは、つんのめりやすい。孫たちの写真を撮りながら、何とか、転ぶことなく、何周かした。まだまだ、いけるなと思う。本当はスキーに連れていってやりたいが、まだ、孫たちには早い、一緒に行けるときがくるといいが、私のほうが、どうなるか。アイススケートは二時間ほどで終わり、た~~くさんある他のアトラクション(遊具)に向かう。名前を知らない。迷路が立体を含めていくつもある。アウレチックスがある。ジェットコースターがある。とにかくぐるぐる回るやつがたくさんある。とにかく、すべてに、何回も挑戦する。付き合って疲れた。特に、立体迷路、階段を上り下り、同じ場所をぐるぐる、狭いところや障害物の通りぬけ、腰を曲げ、這いつくばり、頭や膝を打ちつけながら、彼女たちを追い掛ける。疲れ切った。薄暗くなって、そこを離れる。運転は私、彼女たちは、“お休み、おじいちゃん“と、言ったきり、18時過ぎに家に着くまで、良く、眠っていた。おばあちゃんに、”おじいちゃんはね、遅いんだから、いつも、私たち、待ってばかりだよ“と、報告している。いい気なものだ。遊園地 裾野 あったか
2016.01.05
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2544 島田コースでした。南部や富士山静岡空港の近く、南部に通勤していた時と同じルートで行ってみた。6時半過ぎで、道はガラガラ、40分くらいで着いてしまった。三日からゴルフという人は少ないのでしょう。ゴルフ場は閑散としていた、その上、曇天、寒風が吹きすさぶ。手がかじかむ。鼻水が止まらない。爆買いツアーの便が上空を通過する。ほかの人は、分厚いジャンパーを着ている。私は持っていない。だから、薄いセーターのみ。冬のゴルフのためにだけジャンパーを買う気にもなれない。あと、二回付き合う。ゴルフ場での食事、食べなければならないということはないが、ほかの皆さんが食べるので、食べるが、高いし、おいしいとは思わない。食事も休憩もいらないから、通しでやってしまいたいが、必ずと言っていいほど、ハーフに約一時間の休憩が入る。食事をしなさいということだ。ゴルフ場の利益の協力をしてほしいということだ。桜エビとそばのセットメニュー、まぐろの漬けどんと蟹スープのセット、やはり、おいしい。インドネシアの日本食レストランには絶対、望むべきもない。やはり、インドネシアでの値段が高い日本料理は、無駄な消費だと思う。私には、合わない。だからと言って、全く食べないというわけではないし、食べられないというものでもない。付き合いでは食べる。しかし、インドネシアの食べ物のほうが、それらしい味だし、無駄な出費が少ない。一人なら、こちらを選ぶし、作るにしても、食材の関係で、こちらになる。社会が本格的に動き出すのは、明日から仕事という会社が多いようですね。インドネシアでもほとんどの会社は仕事始めです。ENDOTAも明日からだ。多分、いきなり、忙しいでしょうが、どうなることでしょうか。新製品の打ち合わせもあるようだが、これは、本当はやめてほしいと思っている。どうせ、無駄になるから、私が戻ってから、あらためて打ち合わせをしなければならないと思っている。あと一週間は、私は何もできないし、考えもしない。寒さ 休憩 日本食
2016.01.04
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2543 浅間神社と富士川の寺からの富士山。眼下右に静高、左に静大跡地公園、その左向こうに富士山、右上に谷津山、その向こうに日本平、真ん中、奥は清水の町、清水港。そして、寺からは、眼下に富士川、右下に東海道旧国一の橋、右上に富士市の町その向こうは、愛鷹山、左には霊峰富士、ここからなら、稜線もすそのまで、見える。いずれも、私の故郷です。9時ごろ出発、まず、浅間神社へ、駐車場は満車、ざっと見て30台以上の待ち、時間の無駄ということで、静大の跡地の脇に路上駐車、ここには、たくさんの車が両側に駐車しているので、大丈夫らしい。ここから石鳥居まで400mくらい歩いた。孫たちは振袖を着て行ったが、着物姿の人には一人も会わなかった。百段を上って、途中の展望スペースまでゆく。中学から高校にかけての思い出の地である。ほとんど6年間、体力作りで、頻繁に百段に来ていた。毎回10往復はしていた。時には、賤機山(しずはたやま)にずっと登って行って、地獄谷といわれるところを、逆落とし、臨済寺から学校に帰ったものだった。昔は百段を上った広場にも露店が出ていて、ガマの油売りがいた。刀を持って、腕に傷をつけ、ガマの油を塗ると、たちどころに、傷が消えた。多くの人が、その怪しげな油を買っていた。その場所はたくさんの木が植えられ、広場ではなくなっている。 富春院というお寺が道沿いにある。中学一年の担任、鈴木宗元先生はここの住職だった。何度か遊びに行っていたが、奥さんが亡くなり、クラス代表として参列したことがあった。その時のお祈り?が、すごかった。坊さんが両側に10人ほど並び、色々な楽器を持って、チンジャンボンとやっていたのにはびっくりさせられた。静大跡を横断し、車に戻ったが、高校時代と大学の夏休みにはこの構内の静大卓球部の練習場に時々、お邪魔して他流試合をしていた。富士川町のお墓に行く、一年ぶりだ。私が、父親が亡くなった時、2000何年かに作った墓だ。今は両親が眠っている。父81歳、母96歳と刻んである。ここからは、富士山と愛鷹(あしたか)山、足元には富士川、ウサギは追わなかったが、小鮒は釣ったし、追い掛けた。私が生まれた土地だ。小学校の夏休みには、従兄弟の家に泊まり、セミやカブトムシを捕り、富士川で泳いだ。ミカンは手がまっ黄色になるほど、食べまくった。東京から来た従姉女学校生の正子さんの美しさにドキドキし、話ができなかった。少年時代の淡い思い出がある。富士川楽座東名のサービスエリアだが、一般道からも入ることができる。寺から一分もかからない、混雑ぶりはすごい、駐車スペースがなかなか見つからないほど、ここで、昼食、私は桜エビの唐揚げ付きのうどんを注文した。桜エビは由比と決まっていて、生シラスとともに、私が子供のころからのご馳走の一つだった。この地, あと何回、子供や孫や妻と一緒に、行くことでしょうか。そんな、思い入れが次第に大きくなってくる。駿河湾の大海原と右に伊豆半島、前方に用宗、焼津方面を見ながら、国一バイパスを通って、家に戻った。約5時間の初詣旅でした。 作った酒の絞り粕で、甘酒を作りちょっと飲んで酔っ払ってしまった。 懐かしい 桜エビ 故郷
2016.01.03
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2542 皆様 明けましておめでとうございます。暖かで、穏やかな新年を迎えております。10日のインドネシアに戻ります。今年もどうぞよろしくお願いいたします。と、インドネシアで親しくしていただいている方々にメールをした。毎年、恒例、朝はお雑煮、これが、相当シンプル、出汁スープの中に、大根の輪切りスライスを二三枚、お餅を焼いて一切れ、それにおかかを降り掛ける。それだけ、以前は、これに、ほうれん草の煮物が乗っかっていたが、今は、それもなし。昼食は、寿司折詰、毎年のこと、私が、参加人数分を買ってくる。今日は7人分、一万円弱、高っ!!しかし、仕方がない、私も食べたいし、皆さんにも食べさせたい。一年、一回のことである。孫などに渡すお年玉用の千円札の新しいものがなかったので、近くの銀行のATMへいってきた。ついでに給油、ガソリンレギュラー108円でした。セルフは、未だに入ったことがない、ここは、人がいる数少ないガソリンスタンドでした。確か、前回日本にいたときには150円以上したのに、それにしても、安くなったものですね。このガスリンスタンドもそうだが、元旦から営業をしている店が多くなったものだ。コンビニは当然ながら、デパート、ショッピングモールのほとんどや商店も福袋だの何だのと商売をしている。昔は、元旦は開いている店はなかった。そして、2日が初売りと決まっていた。今は、いつ休みなのでしょうか。それは、それだけ、元旦でも買い物に出掛ける人が多いということでしょう。福袋をそんなにほしいのでしょうか。初詣にショッピングモールに行くような人が多くなっているのでしょうか。私は、福袋を買ったことがない、買ってみたいとも思わない。なぜ、福袋に多くの人が興味があるか私には理解できない。パチンコ屋の駐車場も一杯でした。なんだか、寂しいような気がする。丸子(マリコ)の宿場町、旧東海道を通過したら、丁度、獅子舞に出会った。今時,まだ、あるんだ。“神経衰弱“といっても、トランプ、ムキにはなれないが、認知症のチェックをしている感じで参加していた。百人一首は、私が読み人、これは、未だに、多くの札を覚えているので、読むというより、声を出しているが、その札を探しながらだ。読み始めたとたんに、下の句は出てくる札が多い。まだまだ、忘れていないなと、これも認知症のチェックだ。私が一番はじめに覚えた札は、大江山、でした。まだ、踏みも見ず、ですね。掛詞というのも、ここから覚え始めた。幼いころを懐かしく思い出しながら。平和そのものを感じながら。福袋 神経衰弱 平和
2016.01.02
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2541 夕食に天ぷらそば、年越し蕎麦をみんな揃って食べた。また、私だけ、先ほど、インドネシアから持ってきたポッミーのラサアヤムを食べた。インドネシアに残っている日本人の多くは、最近急に増えてきたラーメン屋、うどん屋、日本食レストランで、麺類を食べたと思う。日本食材スーパーで買ってきて、自分で作った人もいるでしょう。もちろん、都市から離れた場所にいる人は、私のように、ポッミーやインドミーで年越し蕎麦としたと思う。静岡は今日も、小春日和の、穏やかない一日でした。昨日、残した障子張りを追わらせた。のりを使わないで、ダブルテープを使ってみた。それ用に狭い幅の両面テープが売られている。孫の上の子が、私の部屋のガラス窓をきれいに磨いてくれた。一層、部屋が明るくなり、暖かになった。今年,一年、思うようにいかなかった。ストレスがたまる一年だった。手伝いをする相手、会社のダイレクター、責任者の能力、知識、責任感の不足、アドバイスをする以前の問題で、勉強しなさい、覚えなさい、嘘をついてはいけません、そんなことが、アドバイスで、新しい仕事の技術的アドバイスをするところまでいかなかった。来年も、同じようなものでしょう。昨日も、客先から納期に関してクレームが入ってきていたようだ。まだ、10日以上あるが、インドネシアへ戻ったら、ただちに、このことを解決しなければならない。また、以前書いた。HIPEの角棒の納期に関しても、手を打たなければならない。その他にも、大ナタを振るわなければならないが、いちいち、説明をしても仕方がないから、どんどん、やってしまうしかない。そして、引っ越しが待っている。引っ越しすれば、その次は、昨年9月以降のメールのやり取りをインドネシア語と英語に翻訳し、私の仕事を手伝ってくれる人に渡し、動き出すようにする。その前提になる、今年最後のメールを今朝、送った。多分、返事は来ない。Windows10のインストールした。やはり、やるのではなかった。バージョンアップの意味が全くないばかりではなく、何が、どこに行ってしまったのかわからなくなってしまったし、何より、日本語入力ができなくなってしまった。オフィスの修正を試みたが駄目だった。今、このPCで日本が書かなくなっている。予備を持っているので、支障はないが、大問題だ。オフィス2007をアンインストールをして再インストールをしてみようかなと思うが、ちょっと、勇気がない、データが消えてしまうかもしれないという心配がある。タスクバーに日本語入力の表示がない。孫たちが12時まで起きていて、除夜の鐘を聞き、明けましておめでとう、と言って、二階の寝室に上がっていった。緑がほとんどの我が家の庭、金柑が目立つ、山茶花の垣根は花が咲き始めている。大晦日 予定 実行
2016.01.01
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