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クリントン元アメリカ大統領はアダルトチルドレンであると告白した。タレントの東ちづるさんもそうだという。ニクソン元アメリカ大統領は強迫神経症だという。アインシュタインやエジソンは発達障害で協調性がなく、恐ろしく自分勝手なアスペルガー症候群だという。日本では坂本竜馬や織田信長もそうだったのではないかといわれている。今から取り上げる夏目漱石は、かなり重症の精神疾患を抱えていた。3回危機に見舞われている。第一回は27歳ごろ。抑鬱気分、厭世的、神経過敏、癇癪、他人の行動に対する曲解、他人が自分に注目しているという感じ、自分を探っているスパイがいるという妄想的解釈などが襲った。第2回目は36歳ころ。ロンドン留学から帰国にかけてである。英国人が自分をバカにしている。つけ狙っているという被害妄想が中心症状で、下宿では、暗い部屋に閉じこもって泣いていたりした。第3回は「吾輩は猫である」が発表されて7年後ぐらいであった。漱石は生後間もなく里子に出されたり、父に過酷な扱いを受けていた。養父母の離婚、実母と13歳で死別するなど幼児期から不安定な状況にあった。猜疑心や警戒心などは、あまり幸福でなかった幼児体験からきているものと思われる。性格的には神経質性格特徴が当てはまり、とらわれやすい性格であった。つまり神経症を患っている我々と同じ性格特徴を有し、我々以上に過酷な境遇にもてあそばれたと推測される。現在、漱石が残したすぐれた文学作品には多くの人が注目するが、うつや神経症、統合失調症に注目する人はいない。しかし現実にはつらい厳しい人生であった。しかし創作意欲をずっと持ちえたというのが素晴らしい。多くの人は心や体の問題を抱えて、それでもなんとか日々生を紡いでいるのではなかろうか。それが普通の状態ではなかろうか。森田に「不安常住」という言葉があるが、不安を持ちながら、できる限り前進していく生活態度が大事なのではなかろうか。ここにあげた歴史に名を残した人でさえ、苦しみや葛藤を抱えていたのである。森田先生は境遇に柔順に、運命を切り開くという生き方を説かれました。私たちは神経症に陥り、つまずいたことを嘆くのではなく、むしろ自分を成長させるための課題を与えられたと受け取ることはできないでしょうか。つまずくことがなければ、森田に出会うこともなく、神経症を克服して、成長するチャンスはなかったわけです。克服すれば雨降って地固まるように、味わい深い人生を歩んでいくことができます。是非とも森田理論学習を継続していただきたいと思っております。森田理論の学習は大きな可能性を秘めていると思います。
2013.08.27
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人間は本来助けてあげたり、助けてもらったりしながら生活をしています。そういう関係が普通です。ところがお互いに「生の欲望」を持てないで、依存することが目的となってしまうと大きな問題が起きてきます。「生の欲望の発揮」の生活態度が出来上がっていないと、生きがいが持てず、暇を持て余し退屈やむなしさを感じるようになります。人間はその心の痛みをいやすために、何かで埋め合わせをしようとします。そのひとつとして「共依存」というのがあります。夫婦でいえば、酒のみで金遣いが荒く、身の回りのことが満足にできない夫は意気がりながらも、ほとんど妻に依存しています。一方妻も困った夫だと思いながらも、かいがいしく夫の世話をする事を、生きがいにしてしまっているのです。妻は献身的で、奉仕的な生き方をしているように見えますが、実は自分の「生の欲望の発揮」を放棄して、心の癒しを求めているのです。夫は妻に、妻は夫に互いに依存して生きているのです。「共依存」の片方がいなくなると途端に生きがいが失われます。次の相手を探すようになります。この場合また「共依存」の相手を探すようになります。それは「共依存」が唯一自分の生きがいに結びついているからです。彼らはパーティなどで離れたところにいても、そういう相手はすぐに見分けられる能力を身につけているのだそうです。「共依存」者は、斎藤学さんによると次のような特徴があります。私なりに意訳して紹介します。1、 相手が沈黙したり、不機嫌そうな表情を見せたりすると、自分が何か悪いことをしたのではないか、自分に何か欠陥があるのではないかと考える。2、 自分の感情に対してそれをやりくりしたり、逃げたりする。また表現することを抑制する。3、 相手に献身的に尽くしているのだから、その人は自分に感謝して、服従しなければならないと考える。世話をする相手が自分を無視して、自分以外のものに愛情を注ぐことは決して許さない。4、 自己否定が強く、他者にこびること以外に自己主張の方法をもたない。どうでしょうか。神経症で悩んでいる人と「共依存」の人は、思考パターン、行動パターンは驚くほどよく似ています。いつも相手の動向を監視して、がんじがらめに縛りつけています。その基本的な共通点は、どちらも自分の「生の欲望の発揮」というところから目をそむけているということです。森田理論では「生の欲望の発揮」は、土台部分です。理論学習の出発点です。古閑義之先生は次のように言われています。「生の欲望の提唱は、森田先生の晩年において強く主張された重要な事項で、この生の欲望の提唱こそ、森田の神経質解明の根本理論と主張してやまない」
2013.08.25
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ある専業主婦の人のお話です。二人の子どもが小学校に上がりやっとゆとりがでてきました。それまでは炊事、洗濯、掃除、子供の世話、夫の世話で忙しく毎日があっという間に過ぎていたそうです。子供が小学校に入ったら自分の好きなことをしようと思っていたというのです。ところが、自由な時間が増えたというのに、誰もいない家の中でなにをしていいのか分からない。焦燥感に襲われたというのです。テレビを見たり、新聞や雑誌を読んだりしても落ち着かない。友達に電話をしても仕事をもっていたり、子育て中でゆっくりと話せない。パートに出ることも考えましたが、自分のしたいような仕事はないというのです。この先こんな不安を抱えて歳を重ねていくことが、とても不安だというのです。金もある、時間もある、欲しいものはなんでも食べることができる、欲しいものはなんでももっている。でも何もすることがない。なにも面白いことがない。自分のやりたいことがない。自分はなにをしたいのか分からない。こんな日本人が増えています。森田でいう「生の欲望」の欠乏症なのである。欲望自体が湧いてこないのである。森田先生は欲望がない人は哀れであるといっています。欲望が持てない人はどうなるか。まず退屈を紛らすために補償行為に走る。アルコール、ギャンブル、セックス、ドラッグ、仕事、過食、ゲーム、テレビなどで心の憂さを晴らそうとする。次に意識が自分の身体や心、他人の視線に向いてくる。森田でいうように意識の内向化が起きてくるのである。神経症のもとになるものである。また集団から仲間はずれにされること、排除されることに敏感になる。精神的にきわめて危険な状態になる。だから生の欲望をもち、生の欲望の発揮に力を注ぐことは、活き活きと生きようとすればするほど極めて大切なものである。でも目標や夢は突然与えられるものでも、降って湧いてくるものではない。森田理論を思い出してほしい。何かを見つめていると、それなりの感じが起きてくる。感じに従って手を出していく。弾みがついてくる。さらに創意工夫をする。こうした生活の繰り返しの中で自分の欲望は高まっていくのである。人生の目標や夢はこうしたプロセスの先に見えてくるものである。そうしたものを持つ人であれば生きがいがなくて、なにも面白いことがない。毎日退屈で苦しいということはないと思う。
2013.08.23
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その他神谷美恵子さんと森田理論でよくいわれている共通点について紹介してみよう。欲望の制御ということについて。「欲望というものは満たせば満たすほどなれがきて、もっと大きな刺激が必要となるらしい。ひとたびエスカレートし始めた欲望はそれ自らの惰性で、少しでもけずられることに反発するだろう。生きていてももはや何の面白いこともなく、なんの驚くこともなく、なんのありがたみもなくなって、あるものはただ既得の特権を守るための努力のみ、となったとしたら、これは生きながらの地獄ということになるだろう。」森田では、物欲、権力欲、名誉欲などの欲望は果てしがなく、自分さえよければ、人はどうなってもよいという考えは、欲望と不安のバランスが崩れていると見ます。欲望は強いほどよいのですが、反対の制御機能が働いてバランスをとらないと必ず最後には破たんします。それは自然の摂理だからです。運命は受け入れるということについて。「人間は自分を超えるものに対しては常に畏れの心を持ち、謙虚であるべきだと思います。またあやまちやつまずきを重ねながら自己を常に反省し、貧しい心のままに、大いなる自然の力に身を委ねて歩んでいくべきものでしょう。」例えば病や老いや死など、あるいは仕事の問題、人間関係の問題など解決できない問題に常に直面している。人間にはどうすることもできない問題があるということを自覚することが大切です。不運が身の上に降りかかってきても、「悲運を嘆くのではなく、悲運は悲運として時間をかけて、また時間を信じて忍耐強く引き受けていくことだ。」森田ではどうにもならない不運な運命に嘆き悲しむのではなく、運命は切り開いていくものだと学習しました。森田理論そのものです。結婚について。「こころの旅」という著書の中で、「結婚には冒険がつきまとう」と書いている。配偶者選びは先の先まで見極めることはできない。「ときには高い崖から飛び降りるほどの勇気と決断がいることだろう。」「自分の人生経験や勉強によって培った直観力によって相手を見る」ことが大事。「占いだよりの品定め」という姿勢は如何なものかという。また「独身で通すか、結婚するか」「仕事をとるか、家庭をとるか」という二者択一の考え方はしていない。神谷さんの考えは、結婚を前向きに考えて、家族の世話や子育ても自分の仕事と同じように丁寧に取り組んでいったのです。精神科医としての仕事も、家庭の妻として、母としての役割も時間の許す限り、使命感に満ちて「生きがい」として取り組まれたのです。ものそのものになりきって生き抜かれたのです。結核やガンに侵されて65歳という若さで亡くなられましたが、精一杯生きられた人生に悔いはないという気持ちが伝わってきました。
2013.08.05
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神谷美恵子さんという精神科医がいた。この人は「こころの旅」、「生きがいについて」等の名著を残されている。一般的には瀬戸内海の小島、長島愛生園でハンセン氏病の患者と向き合われた事がよく知られている。この人の考え方は森田理論と合致することが多い。まず生きがいについて。「生きがいというものは、人間がいきいきと生きていくために、空気と同じようになくてはならないものである。」生きがいというのは生きがいを感じる心、つまり生きがい感である。生きている充実感を感じるような生き方が、生きがい感を持って生き生きと生きることになるのである。生きがいは幸福観とは違うという。おいしいものを食べて、快適な家に住み、欲しいものがそろっているというのは幸福だが、生きがいとは違う。刹那的な感覚的幸せムードとは違う。それを追い求める生活が自分の生きがいだとすると考え違いをしていることになる。女性の仕事である「お茶くみ」「コピーとり」にも生きがいがあるという。それは、森田でいう「なりきる」ということによって生まれてくる。お客さんに少しでもおいしいお茶を飲ませてあげたいという気持ちで工夫していけば、いろいろと気のつくことや改善することが浮かんでくる。そうすれば感じはどんどん高まり、自主的、積極的、奉仕的行動へと変わっていくことになる。そしてそれが生きがいに昇華していくのである。ハンセン氏病の人を見ていて気がついたことがある。比較的軽症の人が病気になったことを嘆き悲しみ、生きがいを喪失している。はたからみて病気の苦しい人ほど、趣味や勉強に没頭して「いきいき」と生活しているという事実だ。たとえば、重症で目も見えない患者さんが、必死で点字の詩を読み、あるいは詩を作り、その姿が実に生き生きとしている。ある重症の患者さんは、「ここでの生活・・・かえって生きる味に尊厳さがあり、人間の本質に近づき得る。将来・・・人を愛し、己が生命を大切に、ますますなりたい。これは人間の望みだ、目的だ、と思う」絶体絶命の立場に立った人はもう後がない。そうなった時に、初めて病気に対しての恨みが消えて、病気を受け入れることができるのであろうか。森田では「背水の陣」などともいう。絶体絶命の境地に追い込まれた時に初めて開き直ることができるのだろうか。病気を受け入れることができれば、次にありのままの自分を活かして精一杯のことをやってみようという、出発点に立つことができるのではなかろうか。ある人が素晴らしい生き方をしている。それは他の人にとっての「生きがい」になる。自分が「生きがい」を持つことによって、人に「生きがい」の芽を与えるのである。生きがいは求めて得られるものではない。「生きがい」というものは、身近な日常の務めを誠実に果たし、その生活をじっくり味わうことによって獲得することができるといわれています。
2013.08.04
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青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ逞しき意志,優れた創造力,炎ゆる情熱,怯懦を却ける勇猛心,安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ年を重ねるだけで人は老いない理想を失う時に初めて老いがくる歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ苦悶や狐疑や,不安,恐怖,失望,こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ,精気ある魂をも 芥に帰せしめてしまう年は70であろうと,16であろうと,その胸中に抱き得るものは何か日く,驚異への愛慕心,空にきらめく星晨,その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰,事に処する剛毅な挑戟,小児の如く求め止まぬ探求心,人生への歓喜と興味人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる大地より,神より,人より,美と喜悦,勇気と壮大,そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われないこれらの霊感が絶え,悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし,皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐みを乞う他はなくなる森田を学習し始めてこの詩が妙に気になり出した。森田の「生の欲望の発揮」を後押ししてくれているかのような詩である。以前は机の前に張っていた。ずいぶん励ましてもらいました。
2013.08.03
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共依存ということがよく言われる。夫婦の間でも親子の間にもある。たとえばギャンブルが好き、酒が好き、仕事場では対人的なトラブルをたびたび引き起こす夫。そのたびごとに妻に金銭的にも、介護の面でも、後始末の面でも面倒を見てもらう。妻の方はそんな夫から別れたらよさそうなのに、あの人は私がいないと生きていけない人だと、自分が夫の世話をすることを、自分の生きがいにしているのである。この場合、双方が互いに依存しあって生きているので共依存という。共生関係にある。共依存は双方にメリットがあるため居心地がよいのだろう。多少居心地が悪かったとしても、他の生き方はできない。お互いがお互いを必要としている。あるいはこの人には私しかいないのだからという腐れ縁でむつびついている。そうゆう人間関係は閉塞状態に陥ると思う。それぞれに自立性、自主性が芽生える余地がないように思う。森田で言うところの、生の欲望の発揮とは無縁の人である。寄生虫のように、寄生する相手がいないと生きていけない。たとえ夫婦であっても、自分の感じたことを大事にする、自分のやりたいことを優先する。そして助け合うべき時は、お互いに助け合う。お互いの生き方を尊重しあいながら、それぞれの生きたいように生きていく。それが基本だと思う。たとえば今日寿司を食べたいという気持ちを大事にする。人が焼き肉を食べたいといったから私もそうするではない。海に行って魚釣りをしたいという気持ちを大切にする。人がひなびた山間の温泉でゆっくりしたいというから、私もそれに同調するということではない。自分の意思を尊重する。共依存の人は、自分の好きなように自分で決めたら、といわれると、自分のことを責められているように感じるらしい。共依存は意識が相手に向いて自分の意思が封印されてしまうのである。
2013.08.02
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東京に岡野雅行さんという金型、プレス職人がいる。6名ぐらいの家族経営の町工場の代表社員である。社長といわないところが面白い。その岡野さんが、痛くない注射針をテルモの依頼で作り上げ、グッドデザイン大賞に輝いている。その人の考え方がユニークだ。岡野さんが手がける仕事は単価の安い仕事と技術的に誰も出来ないことだという。ふつうの町工場は誰もができて、単価がそこそこのものをみんなが競ってやるという。しかしそのやり方では3年たてば、競争原理が働き商品は単価が下がり、儲からないスパイラルに落ち込んでしまう。またそういう仕事は中国などの新興国にとって代わられるので意味がないという。岡野さんは逆にそういう新興国でさえも単価が安すぎて投げ出したものを、大量生産していく。だから競争相手はいない。逆に言うと競争相手がいないものしかしない。自分独自の道を絶えず探し求めている。大量生産するためには、機械で自動化していく必要がある。そういう金型からプレス機は自分の腕の見せ所であるという。一から作り上げる。ところが一旦作り上げても、3年から5年をめどにして、場合によってはすべてのプラントを売りにだしたり、外注に出す。変化を読みどんどん仕事内容を変えていくスタイルを貫く。一つのプラントを作り上げても、自己満足して、それに胡坐をかき固執することは、会社の存続の危機を招くという。森田を学習する人はここのところから学んでほしい。森田先生のいう諸行無常である。すべてのものは変化流動しているのであって、周囲の状況に合わせて絶えず自分を変化させないと自分の存在そのものが危うくなるということであった。感情をそのようにとらえて、絶えず変化流動させれば、神経症に陥ることはない。さて他方で開発困難だが、6割の成功の見込みがある開発の仕事は引き受けるという。そして完成したあかつきには、金型とプレス機、その後のメンテナンスまで含めてプラントとして販売するという。特に潤滑油はプレス機独自に配合しないとうまく機能しないという。これは企業秘密だという。相手は有名な大手企業ばかり。NASAからも依頼が舞い込んだこともあった。それでも他に作れるところがないので、売値は自分のいいなりであるという。1000万円のプラントでも1億ぐらいにはなるようだ。もっとも開発にある程度の期間がかかり、試行錯誤もあるので、その費用もたくさんかかっているのだろう。でも自分の提示した見積もりがそのまま通るので、大企業のダンピング要請に応じることは全くない。そんな仕事を年に2つから3つこなしている。私が参考になったのは、人と同じことはしない。人と違うことをする。自分の特徴を活かして独自の路線を追い求めていく姿勢である。人の顔色をうかがう必要はない。気楽である。人の顔色を気にしないのでストレスで胃潰瘍になることはない。今後多くの町工場が生き残っていく道はあるという。それには競争に巻き込まれてはダメだ。特に新興国と競争になっては負けてしまう。競争しなくても生き残れる道はある。そのためには自分の特徴を活かして、独自の道を開拓していくしかない。森田理論を学習している人は、この姿勢を岡野さんから学んでほしい。人と同じような生き方を真似しなくてもよいのだ。人に追随して、人と同じことをする事は楽ではあるが、自分の主体性、積極性、意欲が骨抜きにされて、悶々とした人生に甘んじなければならない。自分が主役として、自由にのびのびと生きてゆける道を目指したかったら、人の顔色をうかがうことはやめた方がよい。岡野さんを参考にして「生の欲望の発揮」の意味をみんなで議論していこうではありませんか。
2013.07.22
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タモリは2008年赤塚不二夫の葬儀の時に弔辞読みあげた。その中に「あなたはすべての出来事と存在を、あるがままに前向きに肯定し、肯定的に受け入れる人だった。」と言っていました。それを端的に表した言葉が「これでいいのだ」です。赤塚不二夫は新潟県の生まれ。小さい時から絵が得意で、中学を出ると映画の看板を書く仕事に就いた。その後漫画家として成功した。やりたい仕事を持っていた。酒が好きであった。自宅へ人を呼んでは夜遅くまで宴会を繰り返していた。そのため肝臓を壊して入退院を繰り返していた。また人を集めてはバカ騒ぎが好きであった。ギャグも好き。とにかく面白いことはなんでもやってみる。破天荒であったのです。女性も好き。自分を性の探究者だなどと言っている。赤塚さんは2度結婚している。一度目の奥さんには家や土地の財産をすべてわたして、娘の養育費も了承したという。その奥さんは再婚しても、赤塚家にやって来ては茶飲み話や相談ごとに付き合ってくれるという。人の悪口を言わない。これ以上のお人よしはないぐらいな人である。とにかく世話好きで困った人をみると放っておけない。家出人や浮浪者まで面倒をみている。また赤塚さんの自宅をホテルがわりに使用して、中にはジャージなども置いて自由に食ったり飲んだりしている人が何人もいる。タモリ、所ジョウジ、鳳啓介師匠、青島幸夫、由利徹、たこ八郎、稲川淳二などの知り合いがいる。金や物には全く執着しない。それらはみんなが楽しく使うためのものとして考えていたようだ。赤塚さんは、自分のやりたいことをやりたいように存分にやってきた人だ。そのために身体を壊し、人にだまされることもあったが、生の欲望の発揮から見ると、とてもうらやましい生活をした人だと思う。
2013.07.17
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孫正義さんがタイタニックのジョークの話をされています。タイタニックの悲劇は救命ボートの数が乗員乗客の半分しかなかった。子供や女性を先に乗せた後で、男たちは流氷の浮かぶ海に飛び込まなければならなかった。どういって説得したか。イギリス人には、あなたはジェントルマンですねといって説得した。アメリカ人にはあなたはヒーローだと言った。ドイツ人にはそういう決まりになっている。これがルールだといった。日本人にはどういって説得したと思いますか。大人の男性は皆さんそうされています。これは各国の人にどのように言って説得すれば行動を起こすかというたとえです。日本人への説得方法に興味があります。日本人は自分の意思を殺して、他人の顔色を見て自分の人生の重大な決断を下しているということです。生きるか死ぬかという問題でもその考え方がでてくるのです。それぐらい周囲の人に気を使って生きている。多くの人はみんなで決めたルールを守ろうとする。マンションには使用規則があり、犬や猫を飼ってはいけない、ピアノを大きな音を出して引いてはいけない。管理費は毎月滞りなく支払わなければならない。等の規則を決めると全員それに従います。自分勝手なことを平気でして、ルールを頻繁に破ると、管理組合の総会決議によりマンションを追いだされることにもなりかねない。日本人がそのようにすべての面で集団の意向に沿って逸脱しないように生きているので、治安は世界一安全に保たれていると言える。ただ森田理論を学習してみて分かったことは、それに偏っては生活が窮屈になり、人生の自由な活動が妨げられるということであった。生の欲望に沿って自分の言いたいこと、やりたいことを作り上げていくこと。これも大切なことだ。バランスをとることが大切なのだ。もともと放っておいても人の思惑は自然に気になるのだから、バランスをとるためには、大きく自分の感情を大事にする、自分の意思をしっかりと持つ、自分のやりたいことを優先する、という方面に力を集中させる必要がありそうだ。
2013.07.13
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今日から会社関係。趣味の会。集談会の飲み会3連チャンです。今日は一日目。今終わって帰ってきました。2500円飲み放題でした。料理もうまかったです。2500円はあまりに安すぎ。かえって気を使いました。私は以前飲み会は誰よりも生ビールを真っ先に飲み干しお代わりしていました。そして一番先に酩酊状態に陥り前後不覚に陥っていました。多分普段のストレスを発散しないではおられなかったのでしょう。今日はとりあえずビールのお代わりは全員が終わった後最後にしようと思っていました。最近はいつもそうです。その間枝豆やサラダなどを食べています。お代わりした後は少しは節制していますが、どちらかといえば自由にしています。今日もビール3杯。ワイン、カシスソーダ、カシスオレンジ、生酒などを飲みました。飲んだわりには、ほとんど酔っ払っていません。最初の一杯をどう飲むかこれが二日酔いになるか、適度に気分がよくなるかの境であるような気がします。終わった後ラーメンを食べたいという衝動にかられましたが止めました。胃や肝臓に負担をかけたくなかったのです。早く休ませてあげたいと思ったのです。こんな気になるのは森田を学習したからだとしみじみ思っています。明日は10時から15日老人ホームの慰問のリハーサル、夕方中華料理の宴会、14日は集談会出席、夕方懇親会出席、15日老人ホーム慰問でどじょうすくいの演技、チンドンミュージックの披露と続きます。その後勤務先に出向き仕事の段取りがあります。いつになく忙しい3連休になりそうです。みなさんはどんな予定で過ごされますか。少し聞いてみたいような気がしています。
2013.07.12
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東ちづるさんの「私はなぜカウンセリングを受けたのか」から「自由」について考えてみたいと思います。ちなみにこの本は、東さん母子が「かくあるべし」から抜け出し、自分の弱さを認めて生きるようになった過程が、カウンセリングの中で具体的に分かりやすく書いてあるまれにみる良書です。東さんは自由というのは、慣れていないととても不自由なものだといわれます。たとえば、学校に決められた制服があると私服通学に憧れる。しかし規則には従わないといけない。やむをえず制服という制限の中で、なんとか自分らしさを出そうともがく。ズボンを細くする。スカートの丈を短くする。ソックスをルーズにする、といった具合に工夫をこらすのだ。みんなと同化することは安心であるが、スパイス程度の違いはアピールしたい。しかし、ある日突然、制服が廃止になり私服が許されたとしたらどうなるか。もちろんうれしい、この日を待ち望んでいたのだから。しかし同時に別の悩みも出てくるのではないだろうか。時代の流行をどこまで取り入れるか。どれくらいお金をかけたらいいのか。自分の着たい服が果たして似あっているのか。自分ひとり浮いた格好をしていないか。自分のセンス、表現力が問われることになるのだ。そして、ふと思うようになるのではないか。「制服って楽だったなあ・・・」と。東さんは突然自由を与えられると右往左往してしまうというのです。私たちの森田理論で目指している生の欲望の発揮は、自由に考え、自由にのびのびと行動することです。ありのままの自分を素直に出していいということです。そのためには普段の生活の中で自分のやりたいことを探し続け、求めて続けてゆかなくてはならない。そうしないと、今までの癖でつい人の顔色を窺うように行動してしまうのです。つまり生の欲望の発揮は意識しないで自然にそうなるというものではなさそうです。絶えずそういう方向に向かっているという姿勢がないとものにはできないということです。心しておきましょう。
2013.07.05
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電車の中で子供が騒いでいるとよく母親が、「騒いではダメ、あのおじさんに怒られるわよ」と言って周りの人を利用して注意しています。小さいころから、周りの人に迷惑をかけないように教育されているのである。こうした癖は大人になっても続く。国際会議などでは外国人は自分の主張したいことは相手を制してまでも発言の機会を求めてくる。しかし日本人は、指名されるまで積極的に発言することはない。周りの様子をうかがい、空気を読んでいるのである。その場の雰囲気が分かって初めて話し出すというふうである。日本人はひかえめでよいという半面、いつも自分を抑え込んでいるように思う。中国との尖閣列島の衝突にしても受身一辺倒のような気がする。対応が後手後手に回っている。周りの人や世間のしきたり、ルール、思惑を考慮して自分の行動を決めているという面はトラブル回避に役立っていると思う。しかしそれも程度問題でいつも自分を抑えて行動するということになると、ストレスがたまってくる。本来の人間は、自分の意思を尊重して、言いたいことを素直に話し、やりたいことをなんでもやってみる。自分の意志をまず第一に押し出すというのが人間の生き方として基本となっている。そのうえで周囲や世間の動向を見て、自分の言動を調整していくというスタイルが理にかなっている。森田理論ではまず自分の感じを優先する。そして理知の力で調整するという。この順番を決して間違えてはいけない。間違えると思想の矛盾に陥る。その考え方からすれば、森田でいう「生の欲望」の発揮は何はさておき第一に優先されるべきものであります。まずは自分の人生で、自分が主役として躍り出ることができること。これを目指したい。そのあとで世間と自分の意思のバランスをとる。今は世間の思惑ばかり気にしているとすると、バランスをとるためには自分の言いたいこと、やりたいことを積極的に膨らませていくことだ。そんな生活態度でやっと少しバランスがとれてくると思う。だから我々は安心して生の欲望の発揮に邁進しようではありませんか。
2013.07.04
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親鸞聖人は、過酷な運命にもてあそばれながらも、境遇に柔順に生きた人だと思う。親鸞さんは後鳥羽上皇の念仏弾圧事件に巻き込まれて、1207年越後に流罪となりました。その時35歳。法然聖人やその門下とも別れ一人で信仰生活を歩まねばなりませんでした。しかし親鸞さんは、流罪にあって恨みつらみで世をはかなんでむなしく一生を終える人ではありませんでした。越後の人に自分の教えを機会を与えられたと考えられました。悩みやつらさはそのままに抱えて、自分の使命を全うされようとされたのです。この流罪をきっかけにして「非僧非俗」宣言をされたそうです。つまりもう僧侶でもない、俗でもない。中途半端な愚かな人であると位置づけられたのです。煩悩にまみれた愚者であると深く自覚されたそうです。そうした立場で布教されたのです。5年後親鸞聖人は赦免されます。しかし京都には戻りませんでした。京都に戻れば以前の安定した生活が待っていたことでしょう。しかしながらあえて関東を布教の地に選ばれたのです。これは越後での布教により、もっともっと自分の考えを広めてゆきたいという強い意欲が芽生えてきたのだと思います。苦しくても運命を切り開いてゆけば、次の新しい展開へとつながってゆくのです。そして関東で24輩といわれるすぐれた門弟たちを育てられました。森田先生も正岡子規、エジソン、野口英世、後藤新平等過酷な運命の中、「生の欲望」を発揮された先人たちの話をよくされていますが、親鸞聖人もまさにその一人だろうと思います。この人たちに共通していることは、普通の人はもう二度と日の目を見ることはないだろうという過酷な運命に翻弄されたにもかかわらず、そのことを糧にして運命を切り開いていかれたことです。
2013.07.02
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道後温泉に子規記念博物館があります。子規の足跡を訪ねることができます。子規は新聞「日本」で俳句や短歌の革新を訴えました。その内容は事実をよく観察して、その対象を写生するように写し取るというものでした。それは万葉集の考え方に近いものだったようです。森田の事実本位の考えに通じるところがあります。弟子が多く高浜虚子、伊藤左千夫、森鴎外など俳句、短歌のみならず、小説、書や絵画にも及びます。また夏目漱石とは松山で50日ほど一緒に住んでおり、多くの影響をお互いに与えたようです。森田理論との関連で書いてみます。子規は「メモ魔」であったそうです。こまかい日常茶飯事を丁寧にこなしてゆくためには、メモしてやるべきことを忘れないようにすることが大切ですが子規も同じ生活スタイルを持っていたのです。次に子規は大変好奇心が旺盛だったといえます。まず野球に興味を持ち「野球殿堂」入りされています。それから旅行好きで東北秋田まで旅行されています。松尾芭蕉のようだったようです。森田理論でも好奇心にそっていろいろと手を出すということはとても大切です。亡くなったのは東京の根岸だったそうです。根岸といえば「根岸病院」のあるところで森田先生のなじみの場所です。そこで正岡子規は、7年にわたる肺結核と脊椎カリエスによる仰臥に、耐え忍ぶことのやりくりや心構えを求めることをしなかった。病苦に泣くのみであった。極貧の中にあって看護人もなく、寝返りを打つには柱につないだ紐を引っ張ってこれをやるという仕儀であった。子規は痛みと喀血の耐えがたきことを、はからうことなくただ慟哭していた。痛みに常に襲われながらも俳句と随想の創作活動は続けていった。死の二日前まで書いていたのが「病床六尺」である。これこそが森田先生がよく言われる「日々是好日」ではなかろうか。享年35歳であった。作った俳句は約22000首。最後に子規の句を2首。松山や秋より高き天守閣柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
2013.06.25
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この日本人の特徴をよく理解してほしいのである。そうすると対人関係で苦しまないで生きてゆける道が開けてくる。森田理論を活用して生きていく道があるのである。森田理論で私が考えていることは、欧米のよいところと日本のよいところの両方を取り入れて、バランス感覚を意識することである。小泉首相のとき、竹中さんが全面的に市場原理、競争原理、自己責任を持ちだし、すべてを欧米流にしようとした。これではうまくいかないと思う。今までの歴史を無視するからである。日本人は他人の気持ちを思いやりながら生きていくという基本的な生き方が根強くある。まずはこれを基本としないといけない。優先すべきはこれである。でもそれにあまりにも偏ると、とても息苦しい。今対人関係で悩んでいる人はこれ一辺倒である。煙の充満した中で息をしているような状態になる。そこで、欧米に学び、自己を確立することを取り入れることだ。自分の意見が持てるようになること、自分のやりたいことを見つけていくことだ。そして自分の意思で行動していくこと。この欧米の自立を基本とした考え方を少しとり入れて、バランスをとるつもりで生活していると破綻することはないと思う。それはサーカスの綱渡りをみているとよく分かる。長い棒のようなものを左右に揺らしながらバランスをとって前進している。するとハラハラしながらなんとか渡りきってしまうのである。欧米の自分で自分の人生を切り開いていくという考えを、1割でも2割でも取り入れた人は強くなれる。決して対人関係を苦にして自殺するようなことはないと思う。人間関係の極意はここにあると思います。さらに森田理論学習で深めてゆきましょう。
2013.06.21
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世間がまず先にありきということになると、極めてきついルールに従うことを求められる。和を乱したり、反抗的態度をとったり、約束を破るものは最終的には排除される。排除されることは群れの外に出されるということであり、そこで待っているのは、死以外のものはない。つまり他の人の気持ちを思いやり、自分を抑えていかないと日本ではうまく生きてゆけなくなる。自分と世間との利害が衝突する時は、必ず世間のしきたりや決めごとに従わなくてはならない。これは自分を押し殺して生きていくことになり、葛藤を生み苦悩と結びつきやすい。よい面としては、相手の気持ちを思いやることで、犯罪が世界一少ないことにもつながっている。日本では世の中の流れが一定の方向に向かい出すと、この空気は誰も止めることはできない。台風の進路を変えることができないのと同じである。これは多くの人が世間を離れては生きていけないと思っているからである。日本人は世間から見放される、外されるということをいつも気にして恐れているのである。つまり、自分の気持ちを殺して世間に迎合するということに陥りやすい。
2013.06.21
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欧米の人間関係の特徴は何か。欧米という国は生まれ落ちると、自立して一人で自分の人生を切り開いていくことを求められる。それはちょうど親に産み落とされた動物が、その瞬間から自立して生きていくことを求められるようなものだ。すると敵は多い。卵から孵化した魚はほとんど他の魚の餌になる。自分以外の周りのものは、対立するものであって敵なのである。そういう過酷な運命にあるから、ハリケーンなどがあると必ず略奪が起きる。戦利品を取り上げたかのように、堂々と手をふって略奪ができるのである。欧米から見ると、東日本大震災で日本人のマナーの良さが大々的に外国のマスコミに紹介されていたが、日本人はバカか臆病ものぐらいにしか思っていないのです。その点日本は違う。言葉が適切でないかもしれないが、自分が所属する世間がある。その世間の中にいることで自分が生きていけるという関係である。世間から離れて自分ひとりだけでは生きていくことはできない。欧米と違い個人が先にくるのではなく、世間があっての個人なのである。これは米作りをみるとよく分かる。米作りには水が必要だ。水は基本的には村の総意によって管理されている。決して自分勝手なことは許されない。もしそんなことをすると村八分にされる。つまり生存する事が不可能なのだ。この日本人の世間に気を使いながら生活するという遺伝子は、骨の髄まで貫徹されているのである。
2013.06.21
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一方欧米などでは、世間に謝るなどといった対応は特に社会問題とはならない。むしろ間違った対応となる。1995年沖縄で米兵による「少女暴行事件」起きた。その時アメリカから母親がやってきて堂々とテレビに出て、「うちの子供は悪くない、日本の警察にはめられた」といった。証拠もあがっているのになぜ反論できる余地があるのか。もし日本人が同じことをすると、その親は袋叩きにあうだろう。アメリカの社会を知る必要がある。アメリカでは「わたしが悪かった。すまない。」ということは、どんなに自分が悪くても禁句とされている。交通事故発生時自分の非を棚にあげて、もっともらしく相手を攻撃してくる。また車の保険に入る時は、「事故を起こした時、自分の不利になることは絶対に話さない」という約束をして加入できるのである。非を認めて謝ってしまうと、責任をとらされるからである。つまり私が何をいいたいかというと、日本と欧米は他人や社会との関わり方が全く違うということである。この違いを森田理論に絡めてよく理解していくと、対人関係がスムーズに展開する可能性があるということである。
2013.06.21
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プロ野球の加藤良三コミッショナーが、統一球の変更を勝手にやったことに対して、「私は、これは不祥事だとは思っていない」といってバッシングを受けている。私はこれを見て、これはコミッショナーの引責問題になる可能性が高いと思う。というのは、この問題は欧米ならともかく、日本の社会には決して受け入れることのできない言動だからである。普通日本で不祥事があった場合、どんなに相手に非があることであっても、とりあえず、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんと謝るのである。日本の企業の危機管理としては常識である。まずは真摯に反省して、真剣に謝るという姿勢を見せるべきだったのである。自分が心底そのように思っていなくてもかまわない。世間の人から見て、反省して心から謝っているように見えるということが大切なのである。以前雪印の食中毒問題が発生したとき、確か社長がマスコミの取材に答えてこう言った。「私はこの問題に対して、毎日寝ずに対応しているんです。」この言葉で大ブーイングが起きた。食中毒になった人たちへの謝罪ではなく、自分の体のことを心配していたのである。それで多くの日本人の反感をかったのである。この場合もまず不祥事を起こしたことに対して、頭を下げて謝ることが大切だったのである。大企業の社長なのに、簡単な社会常識がなかったのである。あるいは自己主張が過ぎたのである。
2013.06.21
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