体重増加に伴い、去年まで着ていた服は着れなくなり、
ネットで数着購入しました。
この「ネットで」がかなりのポイントです。
なぜなら、店頭では試着してはけなかったり、
試着したはいいものの、小さくて想像と違ったりすると、
店員さんの声掛けにも対応しなくてはいけなくて
これが、かなり恥ずかしかったりするのです。
思わず、自分から「太ったので・・・」なんて
カミングアウトしてしまったりもして、
なんだか気まずくなります。
店員さんと話をしながら、
試着室で店員さんとお勧めの服を着たりしながら
購入することが楽しみでした。
でも、今は、まず、大きめな服を探すことから始まって
これは大丈夫かなと心配しながら、こっそり試着室に入り
やっぱりだめか~と、店員さんに「これはいい(いらない)です」
と一言いって立ち去ります。。。
頭の中で、イメージしている自分の姿と
試着した後の自分の姿があまりにも違いすぎて
買い物のたびに打ちのめされます。
そんなこんなで、今はノーリーズモールでネット注文しています。
店頭でのサイズ探しもしなくていいので、
精神的にも助かっています。
そして、何より、モデルさんの着た時の画像が試着の代わりになるので
ある程度、自分に置き換えて試着をイメージすることができます。
もちろん、そのイメージがいつもあうとは限りませんが
少なくとも、着れるものが到着するので、待つ楽しみがあります。
サイズもそろっていますしね。
今まで、そんなに服を買ってきませんでした。
でも、最近はデイケアに行ったり、陶芸に行ったりするので
同じ服はちょっと恥ずかしいと思って、購入し始めました。
やはり、太ったからといって、サイズが合わなくなった服を着ているのも
余計に惨めな気持ちになるので、
ここは心のためにも必要な投資かなと思ったりもしています。
しかし、なぜ、服を購入するだけのことなのに
ここまで考えてしまうのでしょうか。
独身時代は、週末に1回の買い物で上限2万までで、毎週末、服を買いに行っていました。
でも、結婚すると、お金が自由に使えなくなるので
毎回、何かしらの理由を考えて、
正当な買い物をしていると自分を納得させる作業が入るようになりました。
それも、主人が発するであろう言葉を頭に思い浮かべて
それに答えられる正当な理由であるかどうか。。。
主婦はしんどいです。遠距離で住んでいるにも関わらず
ちょくちょく帰省する主人に何を言われるだろうかと、内心びくびくしながら
主人の言葉にしばられた生活を送っているのです。
離れていても自由にはなれないんですよね。当たり前ですが。。。
でもそれはお互い様で、私も主人が自由にしてしまうと
いろんな面で不安にもなるし、文句も言うと思います。
だから、一応これでも自分を律するようには心がけています。
ただね。それって本当にそこまでしなくてはいけないのかっていう
さじ加減が難しくて、
自分の心の声を大切にするように変容していくことを目標として
今の生活を送っているので、目標と現実との折り合いの付け方が非常に難しいのです。
でも、今は主人のチェックの目から解放される時間があるだけ
心も休まるというものです。
チェックから解放されている間も、
結局、主人が言いそうなことを気にしながら生活してしまっているんですけどね。
今回、主人が長めの帰省をして気づいたことがあります。
それは、やはり主人のこだわりが強く、
そのこだわりに振り回されることへの苦痛を感じている
ということです。
こだわりはじめるといろいろ大変なので、私は無口になります。
そうすると、おそらくですが、主人は私が苦痛を感じていることに気づくことなく
私の意見も尊重しつつ、自分の意見についてきてくれているんだ。
と思っているのかもしれません。
一応、毎回私の意見を聞いてくれますが、
大抵、自分のペースとあわないと却下されるので
最初から私の要望はあまり言わないように、いつのまにかそんな会話が増えました。
もちろん、本当にしたいことや欲しいものがあるときは別です。
そのときは、主人を納得させるために一生懸命、説得材料を探して
あたかもプレゼンをするかのように話をします。
。。。でも、果たしてそこまでしなくちゃいけないのかな。
自分の心は、今そんな風に言葉をあふれさせてきています。
私は主人からプレゼンのようなことを一切されたことがありません。
常に、私が意見をだして、主人が却下するという構図が
いつの間にかできあがってしまっています。
これって夫婦間の会話としては、理不尽な気がします。
でもね。その構図を作ってしまったのは、私なんだとも思います。
だから、これからそれをどう打ち破っていくのかが
私の精神疾患寛解への道につながっていくんだと思います。
単純に考えれば、主人も意見を出し合っていければいいと思うのですが
私と対等に話すための意見を出すことは、主人が苦手なことだと思います。
だから、こんな理不尽な構図を作り上げてしまったんだと思います。
そこ、そもそも相手との合意がいるところ???
そこからなのかもしれません。
そこから考え始めて、相手の行動を予測したプレゼンをするのをやめて
私がどうしたいか、私だけの意見を言うことからはじめるのもありかもしれません。
相手にもっと考えてもらってもいいんだと思うのです。
精神科医の言葉を思い出しました。
「あなたが全部を理解する必要は全くないわけですよ。
周りにやらせればいいんです。わからなきゃ、調べさせればいいんです。
そんなことして疲れちゃうから、薬の飲み間違いをしちゃったんですよ。
そんな無駄なことはやめなさい。そんなこと無駄だと思いませんか。」
要するに、周りをもっと信頼して、自分の肩の荷を軽くしなさい
ということなんですよね。
そして、デイケアの料理プログラムでも
基本、バタバタしてくると自分でやろうとしてしまう。
あいてにまかせておけない。大事なところは私がやってしまう。
・・・だって、となりのチームのコンロでは
フライパンが熱くなりすぎて、煙がでているのに
だれもコンロの前にいないんですから、驚きです。
思わず、「フライパンから煙がでています!」って
私が自分のチームの二つと、
隣のチームの二つのフライパンの見張り番をしてしまいました。
おかげで、ものすごく疲れました。
当分、料理プログラムは行きたくないのですが、
そうすると、行ける日が少なくなるので、
今度はいかに手を抜けるか、周りの人にお願いするかを考えながら
料理プログラムに参加したいと思います。
・・・と話はそれてしまいましたが。
とにかく、人のことまで気を回すことで疲れるのだから
そんな無駄なことはやめなさいと、先生に言われている私。
自分では当たり前すぎて、気づいていないので、
何事もひとつずつ、自分の気持ちを確かめながら発信して対応していきたい。
そんな風に年の瀬に思う私でした。