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↓一日一回ポチリと応援よろしくお願いします。↓にほんブログ村久々のヨルダン情報です‼本日はヨルダンのカラック城のパノラマが楽しめるカラックにあるカフェ&レストランをご紹介します。まだ新しいカフェで、けっこう穴場なんです。カラック城については、古いブログ記事ですが触れたことがあります(https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200905270000/)。カラック市は海抜950メートルの場所にあり、ここに建てられたのがカラック城。12世紀の十字軍のお城です。カラックの歴史は古く、聖書に出てくるモアブ人の首都だったといわれています。さらにカラックといえばヨルダンの伝統料理マンサフに使われる「ジャミード」でも有名。ジャミードとはカチコチに乾燥させて固まらせた山羊のミルクのことです。ヨルダンが誇るマンサフというお料理についてはこちらの記事でどうぞ→https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201006090000さて、現在のカラック城はお城の敷地に人々の居住地も混在していて、ちょっとごちゃごちゃしています。こうした昔のお城って形がきれいなんですけど、カラック城は近くで見てもその良さはあまり分かりません。そんなカラック城を一望できるとっておきのカフェ&レストランがあります。「Al Karak Panorama」というカフェで、カラック城のパノラマが眼前に広がります。この風景を見ながらティータイムというのはかなり贅沢な体験。ここでヨルダン名物のマンサフを食べるのも良しです。ただしメニューはその日によって異なる可能性が…。団体のツアー客の場合は食事の予約ができますが、個人旅行の方の場合は予約は難しいかもしれません。その日のメニューに何があるか現地で確かめていただくことになるかと思います…。でも紅茶やコーヒーの休憩のために立ち寄られるだけでも一見の価値があるかと思います。一応地図を貼り付けておきます。 専用車をご利用のお客様でここへのお立ち寄りを希望される場合は、お知らせくださいね。さてこの春はヨルダン・イスラエル旅行にいらっしゃるお客様も増えています。私が住んでいた時よりずっと進歩を遂げて住みやすくなっているヨルダン。観光もしやすくなっています。中東初心者の方でもヨルダンは旅行していただきやすいですよ。まだヨルダンに来たことがないという方は、ぜひ一度いらしてくださいね~。コロナ後は中東へお越しくださいね。 一日一回応援よろしく~↓ 下の「ブログ村」のURLをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。にほんブログ村↓華奢に見せる‼人気のトップス↓ヨルダン・イラン・トルコ・エジプト・イスラエルツアーなど、中近東のツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.comお気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Levant」(旧名 Picturesque Jordan) は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありませんし、レストランが所有するツアー関係のサイトも当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201908240000/ 資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201910120000/ヨルダンでは現在活動している日本語ガイドは2-3名となっております。それ以外で「日本語ガイド」と名乗っているヨルダン人男性がおりますが、違法操業者となります。さらに詳しくお知りになりたい方はお問い合わせくださいませ。中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/
2023.03.02
応援のポチリをお願いいたします。にほんブログ村 Newsweek の World Voice セクションに寄稿 (https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/kimura/2021/11/post-10.php) させていただいたのですが、ペトラ遺跡に歴史的な変化が訪れました❕ 馬と馬車に代わって導入されたのが電動式のゴルフカート。この変化、大大大大歓迎です。人によっては「馬車のほうが雰囲気が出て良かった」という意見もあるようですが、雰囲気とか、んなもんはどうでもええわい!ペトラ遺跡での動物の扱われ方には私も長年疑問を持ってきました。遺跡内での動物の扱われ方については、ヨルダン政府に何度も要望があったようですが、なかなか改善しませんでした。↑シークの中を走り抜ける馬車。重たい人間を乗せて 1 日に何度も何度も、多いときは数十回 (?) も行き来させられる馬の身になってみると…超過酷です。しかも、十分な食料や水は与えられていませんでした。また馬が走り抜けるシーク内には馬糞があちこちに落とされます。この馬糞掃除、誇り高いヨルダン人がするわけがありません。エジプト人の出稼ぎ労働者が馬糞掃除に雇われていました。ですから、この電動式のゴルフカートの導入は画期的なものといえます。ゴルフカートのお値段ですが、以下のようになります。5人が乗った場合の料金片道だけ.......................15JD往復............................ 25JDちなみにこの乗車料金にプラスしてチップ代 (往復) として5JD が必要だということです。予めチップ代も決められているという…。チップとは言えないチップです。この 5JD というのが乗客一人当たりの料金なのか、それとも 1 台当たりの料金なのか現時点ではまだ確かめられていません。この電気自動車は5人がそろった時点で出発します。もし貸し切りで乗りたい場合は、1 台分として往復で125JD となるようです。利用できる範囲はビジターセンターからエルハズネまで。↑ここまでです。ここから先は電動式のゴルフカートは使えません。ですから遺跡の中では、引き続き動物が使われることになります。いずれは遺跡内から乗り物のための動物全てが排除されることが目標とされています。でもペトラ遺跡の性質上、これが実現するにはまだまだ時間がかかりそうです。いずれにしても、泡を吹いて走らされる馬を見なくてもよいのは本当に嬉しいことです。動物愛護というう考え方はアラブ世界にはまだまだ存在しない概念ですが、時代の流れに伴ってアラブ流のメンタリティも変わらざるを得ません。この「現代化」の流れ、大歓迎であります♡~*~*~*~*~~*~*~*~*~**~*~*~*日本未上陸の高品質のアレッポ石鹸を現地から直送していますご関心のある方はお問い合わせくださいね。~*~*~*~*~~*~*~*~*~**~*~*~*コロナ後は中東へお越しくださいね。 一日一回応援よろしく~↓ 下の「ブログ村」のURLをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。にほんブログ↓死海水と死海のバスソルト↓ヨルダン・イラン・トルコ・エジプト・イスラエルツアーなど、中近東のツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.comお気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Levant」(旧名 Picturesque Jordan) は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありませんし、レストランが所有するツアー関係のサイトも当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201908240000/ 資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201910120000/ヨルダンでは現在活動している日本語ガイドは2-3名となっております。それ以外で「日本語ガイド」と名乗っているヨルダン人男性がおりますが、違法操業者となります。さらに詳しくお知りになりたい方はお問い合わせくださいませ。中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000
2021.11.20
今回の9月のアテンドでは久しぶりにペトラ入りしました。ヨルダンに住んでいるときは、もう数えきれないくらいペトラには出入りしていました。「死ぬまでに絶対行きたい絶景」と呼ばれるペトラ遺跡。でも私は飽きるくらい出入りしていたので、もうペトラには行かんでもいいな…と拒否反応が出るくらい。ヨルダン在住歴が長い方なら、私のようにツアーの仕事を例えしておられなくてもそんな気持ちになるかもしれませんね。ゲストが来るとペトラには絶対お連れすることになりますし…。そんなわけで今回も、あやーーーペトラかぁ、というのが正直な気持ち。でも数年ぶりに入るペトラは思った以上に新鮮で、やっぱり格好いい遺跡!そしてどこを見ても岩なのに、なぜが写真を撮ってしまう。写真を後から見るとどれもこれも同じように見えるのがペトラ遺跡。やはり実際にこの広大でスケールの大きい遺跡を目で見る以上に勝るものはありません。どどーーーんとそびえ立つシークの中を歩きます。↓ペトラ遺跡はお墓の集合体。下の遺跡は、「王家の墓」と呼ばれている岩に掘りぬかれたお墓群です。右から「壺の墓」「シルクの墓」「コリント式の墓」「宮殿の墓」と名付けられています。時間と体力のある方は、それぞれのお墓まで登って見られるのも良いですが、ペトラ観光が1日だけという方は寄り道をせずに頂上のエドディルまで行かれる方が良いかもしれません。ペトラ観光2日目など、すでに王道を制覇された方は、こうした脇道のお墓群を探索されるのも良いかも、ですね。ペトラ遺跡は広大。歩き方は人それぞれです。皆さま思い思いの歩き方で是非この世界遺産を堪能していただければと思います。ヨルダンに関心のある方もそうでない方も一日一回応援よろしく! です↓ 下の「ブログ村」のURLをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。←携帯から押してくださる方にほんブログ村←パソコンから押してくださる方にほんブログ村ヨルダン・エジプト・イスラエルツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.htmlお気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan-月の砂漠ツアー」や「月の砂漠ツアー」という名前で開設されている Facebook 等のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/ ヨルダンでは現在活動している日本語ガイドは2名となっております。それ以外で「日本語ガイド」と名乗っているヨルダン人は違法操業者となります。中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/
2017.10.09
引き続き初冬のような寒さのイスタンブールです…(涙)。しかも昨日はシトシトとこれでもかというほど雨が降り続きました。カラッと晴れていたヨルダンとイスラエルのお天気が懐かしい~。とはいえ、ヨルダンも9月後半は朝晩が肌寒くなっていました。友達曰く、今年のヨルダンの夏はこれまでになく強烈に暑かったけど、暑さが長続きせずあっという間に秋の様相になっているのだそう。夏が猛烈に暑かった年は冬が強烈に寒くなるそうで、今年の冬はかなり寒くなるんじゃないか…と話していました。さてはてどうなることやら。そんな秋模様のヨルダン。私がペトラにお客様と行ったときは、日中の日差しはきついものの風がふわっと吹き抜ける気持ちの良い秋晴れで、夜も適度にひんやりして本当に気持ちよかったです。さて私は、ペトラでは遺跡近くのホテルに泊まらず、あえてワディムーサ中心部のホテルに宿泊。ワディムーサ村の中心部は遺跡からは徒歩15分から20分の距離。帰りは登りになりますので、徒歩だと20-25分みておいた方が良いかもしれません。ペトラ観光は非常に疲れますので、できれば遺跡の近くに泊まりたいという方も多いと思います。ペトラ・バイ・ナイトを見る場合は特に夜遅くなりますので、遺跡近くのホテルのほうが何かと都合が良い。これは確かです。でもワディムーサ村でも頑張っているホテルたちがあります。専用車がある場合は、足の確保ができていますから、ワディムーサ村の中心部にお泊りになっても良いかも。ホテルによっては遺跡への足を提供しているところもあります。ワディムーサ村の夜景は素朴ですが、けっこうきれい↓。これは遺跡付近のホテルからは見ることができない風景です。夜のお散歩がてら、撮りました。↓こちらは私の泊まったホテルではありませんが、ワディムーサ村にある2星ホテル Petra Gate Hotel から見たワディムーサ村の夜景。Petra Gate Hotel は2星ですから、ホテルの快適さという点では物足りませんが、予算の限られたお客様にはお勧めのホテル。オーナーのナーセル氏はとても良い人で、日本人大歓迎です。バックパッカーに今でも根強く支持されているこのホテル…大不況にもめげず、屋上のレストランを改装したりして頑張っていました。このナーセル氏と私とは7年来のお付き合いで、ペトラが全盛期の時からイスラム国の台頭で不況に陥った数年前まで、私がペトラ入りする度に出会ってきました。今回3年ぶりくらいに出会いましたが、不況の中頑張っていましたよ。上の写真は改装した屋上のレストランで撮ったもの。ゲストはここでゆったりとくつろぐことができます。もしご予算の限られた方で、ペトラのリーズナブルなホテルをお探しの方はぜひこのホテルにお泊りくださいね。ナーセル氏は遺跡への送迎も喜んでサービスしてくれます。さて、ペトラ・バイ・ナイトにも参加してきました。これは…質が多少向上しておりました。以前にペトラ・バイ・ナイトを見たときは、見るのは1回でいいな…というのが正直な感想。見ないよりは見た方がいいかもしれないけど、でも絶対に見たほうが良いとも言えない…なんとも微妙な出し物だったのです。エルハズネがキャンドルの明かりでぼんやり照らされているだけで、特に大したことはない。でも今回行ってみると、遺跡が七色にライトアップされるようになっていて、それなりに素敵でした。これだと、まぁ…お客様にもお勧めできるかな。私の写真の腕はそれほど良くありませんが…、お客様はペトラ・バイ・ナイトがとても良かった、とおっしゃっていました。確かにお昼間見るエルハズネと全く印象が違いますから、昼間の顔と夜の顔の両方を見ていただくと興味深いかもしれませんね。そんなわけで、世界一高い観光地と名高いペトラではありますが、やはり素敵な観光地であることは確か‼ ところがなんと現在は、世界遺産のリストから削除されるかもしれないという危機にも瀕しているそうな…。これは遺跡内で使われているセメントのためだそうです。石だたみの部分をセメントで固めて歩きやすくしているのですが、人工的な手を加えすぎると世界遺産とはみなされなくなるようで、今後どうなるか…。この情報が正しいかどうか分かりませんが、ガイドさんがおっしゃっていたので本当のことだと思います。イスラム国の影響をもろに受けて不況にあえぐヨルダンですが、観光客の方が戻ってきていることが救い。皆様もぜひこの世界遺産に足をお運びくださいね。私もヨルダンを引き続き応援していきます。ヨルダンに関心のある方もそうでない方も一日一回応援よろしく! です↓ 下の「ブログ村」のURLをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。←携帯から押してくださる方にほんブログ村←パソコンから押してくださる方にほんブログ村ヨルダン・エジプト・イスラエルツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.htmlお気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan-月の砂漠ツアー」や「月の砂漠ツアー」という名前で開設されている Facebook 等のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/ ヨルダンでは現在活動している日本語ガイドは2名となっております。それ以外で「日本語ガイド」と名乗っているヨルダン人は違法操業者となります。中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:https://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/
2017.10.03
少し前ですが、ベルリンのペルガモン博物館に行ってきました。ベルリンには博物館がたくさんあって、博物館めぐりだけでもかなり時間がかかりそう…。私は一番関心のあるペルガモン博物館に絞って見学してきました。このペルガモン博物館には貴重な発掘物の数々が収められていますが、とりわけ私の関心を引いたのは、ヨルダンのムシャッタ城のファサード(いわゆる外壁にあたる)部分。こんなところでヨルダンとドイツが結びついているなんて…なんだかびっくり。さてこのムシャッタ城は、ヨルダンのアンマン空港からほど近い場所にある砂漠のお城です。ヨルダンに残っているのは焼きレンガでできた廃墟のみ。これだけ見てもなんのこっちゃ、という感じで、このお城を観光地に含めるツーリストはそうそういません。現在は修復作業が進められているようで、廃墟とはいえ、全体像がある程度分かるようには修復されるのかもしれません。 ところが、このムシャッタ城のハイライトともいえる優美なファサード(外壁)部分がほぼ完ぺきな姿でベルリンの博物館にドデン! と飾られているのです。まずはその美しさをご覧ください。 どうでしょう…? 繊細で優美なこの彫刻!!! 圧巻です。思わず見惚れてしまう…。このお城はウマイヤ朝のカリフ(支配者)であったワリード2世の時代に建設が始められたようです。でも写真をよく見ていただくと…彫刻が施されていない部分があります。そうなんです、このお城が完成することはありませんでした。あまりに凝りすぎたので、資金面での工面が難しくなってそのまま捨てられたのか…理由は分かっていないようですが、いずれにしてもウマイヤド朝が滅亡した時点で未完成だったようです。そのまま捨て去られていたのですが、オスマントルコが現在のヨルダンを含む一帯を支配していた時(20世紀初頭)に、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世のもとに贈られました。そうした経緯で、このムシャッタ城のハイライトは現在ではベルリンのペルガモン博物館に保存されています。この皇帝ウィルヘルム2世というのは、考古学に造詣が深い人だったのか、とりあえずどうしてもこのムシャッタ城のファサードが欲しいとオスマントルコ側に依頼したようで、ムシャッタ城を形成していた石が分解されて膨大な数の箱に入れられて汽車 (だったか船だったか) でドイツまで運ばれたそうな…。ドイツに届いてからの組み立て(?)作業も大変だったと思われます。でも素晴らしい彫刻ですね。多分これがヨルダンに残っていれば、ムシャッタ城は砂漠のお城(ハラナ城、アムラ城、アズラック城など)の中でも一番美しいお城だったはずです。私としては、博物館の中よりもヨルダンのあの砂漠の中にこの優美な外壁がぽつんと立つほうがしっくりきますね(笑)。ドイツからヨルダンに戻されることはないでしょうから、残念! でもここドイツで、ヨルダンからやってきたこの優美な彫刻を見ることができることになんだか深い感慨を覚えてしまったのでした。皆様もベルリンに来られることがあれば、ぜひこのペルガモン博物館に足を運んでみてくださいね。ムシャッタ城以外にも興味深い展示がたくさんありました。またこのブログでもご紹介したいと思います。一日一回応援よろしく! です。博物館巡りに関心のある方もそうでない方もポチッ、してくだされば嬉しいです~↓ 下の「ブログ村」のアイコンをポチッとクリックしていただけたら、皆さまの応援がランクが反映される仕組みになっています。ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan-月の砂漠ツアー」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/
2016.10.10
旅行会社から本日連絡が来まして、ムジブ保護区のシャレーの改修工事が始まるので 2015年9月まではシャレーでの宿泊ができないということ。あちゃちゃ…これからハイシーズンを迎えるヨルダンなのに、なんでまた今頃から改修工事なのぉぉ~と思わずため息が出ました。ムジブ? シャレー? それは何?? と思われた方のために…以前の私のブログで、ヨルダンが誇る (?) この保護区をご紹介させていただいております。ぜひご覧くださいませ。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201210260000/http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201210260001/下の写真は、ムジブのビーチとシャレーの写真。ここからの死海が一番美しい! と断言できるこのビーチですが、ここのシャレーの改修工事が始まるそうです。でも、ヨルダン王立自然保護協会によると、シークトレイルは普通にできるとのこと。このシークトレイルについては、私のブログで徹底解説? をしております。詳しくは、http://picturesque-jordan.com/Recommended_Sites_Japanese.html もご参照くださいませ。で、わたし的には、ハイシーズン中にわざわざ改修工事をするなんて! なんで保護区が閉鎖されている冬の間に工事をせんかったんか?? とちょっとプンときましたが、あ、そうか、と思いつきました。通常、冬の間は保護区が閉鎖されるのでシークトレイルができません。ただしシークトレイルができない冬の期間中も、シャレーだけは開いていて泊まることができます。冬の期間にシャレーの工事を始めてしまったら、シークトレイルはできない、シャレーには泊まれない…というダブルパンチとなり、お客様がムジブという場所そのものに来れなくなってしまいます。これではイカン!! というわけで、シャレーの改修工事はあえて冬の期間中を避けて春の時期に回したのかもしれません。そう考えると賢い~。でも残念です。私のお客様にはムジブのシャレーでのご宿泊をお勧めすることも多いですし、ぜひムジブのシャレーに泊まりたい! とリクエストされる方もおられます。2015年9月まで改修工事となると、シャレーに今年お泊まりいただくのはなかなか難しそうですね。いやいや、とーーっても残念です。ところでこのシークトレイルですが、保護区がオープンする4月1日以降からトレイルも可能になります。この保護区は10月末から3月末までは、必ずクローズとなります。ですから、シークトレイルもその期間はしていただくことができません。また、その年の雨量によっては、4月1日になってもオープンしないこともあります。これは、冬の雪や雨でシーク (岩壁) 内の水かさがかなり増し、流れもかなり速くなるので、身に危険が及ぶことになるためです。年末年始にヨルダン旅行をされたとある方のブログで、ヨルダン人ガイドから「冬の期間でも日によっては保護区が開いていて、シークトレイルができることがある」などと説明を受けたためにすごく楽しみにしていた。でも実際に行ってみると閉まっていて(当たり前!!)、がっかりした…というようなことが書かれていました。いやぁ、ちゃんとした旅行会社なら、こんなテキトーな情報を伝えているガイドなんか速攻クビですね。保護区が冬の期間中に閉まることは、ヨルダン王立自然保護協会のホームページにもシッカリ記載されていますし、旅行関係者の間では常識の事実です。改訂版の「地球の歩き方」にもきっちり記載されています。こうした不正確な情報に踊らされないためにも、ご旅行前に正確な情報をぜひ入手していただければと思います。さて、4月以降のヨルダン旅行をお考えの方がおられましたら、是非是非ムジブ保護区でのこのシークトレイル、プランに含めてくださいね。↓応援のポチッ、一日1回お願いします。↓ 皆さまの応援がランクに反映される仕組みになっています。 ヨルダンツアーのことなら何でも:http://picturesque-jordan.com/お気を付けください!!:当方のブログ「月の砂漠―ヨルダンから」および当方のホームページ「Picturesque Jordan」は、東京池袋にあるヨルダン料理・アラビア料理のレストランとは何の関係もありません。類似のキャッチフレーズを使用している某旅行会社のサイトや「Picturesque-Jordan」という名前で2013年に開設されている Facebook のページ (いずれも同一人物による) のことが報告されていますが、当方とは全く関係がありません。混同されないようにご注意ください。当方では、他のサイトの運営者と話し合ってオリジナルのキャッチフレーズや文面やツアーの内容を共有することは一切ございません。当方のホームページまた本ブログ「月の砂漠―ヨルダンから」からの違法転載・不正転載を目にされた方はお知らせくださいませ。資格のない自称「ガイド」にご注意くださいませ!!:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201412230000/中東旅行のヒント! 現地旅行会社の選び方:http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/201502220000/2220000/
2015.03.02
さて、ピクニック日和のこの日、私たちは朝7時にベイルートのとある場所に集合し、9台ほど連なりながらシューフ保護区へ。到着したのは9時頃だったでしょうか。保護区の中に入ってすでに3時間ほど歩き続けています。ひぃひぃ、ふぅふぅ。 頂上に近いところでヘルモン山が遠くに見えます。ズームアップすべきだった!! 右の写真では分かりにくいのですが、 一番奥に見えるのがヘルモン山。頂上には少し雪が残っています。ヘルモン山は標高が高く、年中雪をいただいていたそうです。雪を頂いたその峰は白髪の老人の頭に似ているので、アラビア語ではこの山が「ジャバル・シェイヴ」(″長老の山″みたいな意味。最後の「ヴ」はアラビア語独特の発音で喉から出す音です) と呼ばれています。温暖化の影響で現在では夏に雪がすべて解けてしまい、もはや「ジャバル・シェイヴ」ではなくなってしまったということです。このヘルモン山についても、もちろん聖書で何回も触れられています。かつては年中雪をいただいていたヘルモン山、その地に多量の露を生じさせ、降雨量のほとんどない厳しい気候の時でも草木を保護していたようです。またヘルモン山の解けた雪は,ヨルダン川のおもな水源となります。恵みの山だったんですね~。やっと頂上に着きました!! 頂上から見渡す風景。 頂上でみんなとパチリ。う~ん。右側の人たちが全然写っていません()。スンマセン!汗をたっぷりかいているはずですが、乾燥しているのであっという間に乾いてしまいます。 何だかまだ歩くらしい…。疲れましたよぉ。ランチはまだですかぁ? あとちょっと、あとちょっと、となだめすかされ、またまた歩き続けます。そしてやっとランチタイムがやってきました。レバノン杉の木陰で、杉の香りに包まれながらのランチです。皆様にもこのマイナス・イオンを少しでも味わっていただきたく…写真を大きめにアップさせていただきました。さわやかな杉の感じが伝わるでしょうか…? こちらは、イスラエル―レバノン間の戦争が起きた2006年くらいでしょうか、イスラエルの砲撃によって倒されてしまった杉です。倒れてもなお力強く生き続けています。 ランチの後は山を再び越えながら、車の場所まで移動します。かなり疲れていますが、美しい野草や木々からのマイナス・イオンに助けられて、テクテク テクテクと歩き続けます。こちらはシューフ保護区の中では一番古いレバノン杉。やはり背が高いですね~。このシューフ保護区にあるのは、杉だけではありません。オークやアカシアの木々もあります。昔はうっそうとした美しい森林で、多くの野生生物の住みかでもあったようです。現在ではすっかり姿を変えてしまったレバノン。美しさの象徴だったレバノンがかつての姿に戻るのはいつの日か…。そんなわけで、くたくたになりましたが、自然を満喫した一日でした! レバノンに来られることがあれば、是非レバノン杉も皆さまご鑑賞くださいませネ。 ヨルダン散歩のことなら:http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.07.13
先日、レバノン杉の保護区に出かけてまいりました。写真が多いので、2回に分けてレポートいたします。レバノンといえばレバノン杉! …というのは知る人ぞ知るレバノンの基本情報。実はレバノンの国旗にもレバノン杉が描かれています。レバノンについては、旧約聖書の中でも何度となく出てきます。聖書の中ではレバノンは美しさ、肥沃さと結び付けられ、レバノン杉は威風堂々とした雄大さの象徴となっています。が、残念なことに現在のレバノンにはこうしたかつての姿をしのばせるものはほとんど残っていません…。レバノン人は現在でも自分たちの国を誇りますが、それでも彼ら自身が「レバノンは本当に変わってしまった、とても汚くなってしまった」と嘆くほどです。かつてはレバノンの山々を覆っていたレバノン杉も、ほとんど残っていません。レバノン国内には杉の保護区に指定された場所が幾つかあり、レバノン杉保存のために細々とした努力が続けられています。さて今回行ってきたのは「Shouf (シューフ)」と呼ばれるエリア。ユネスコの生物圏保存地域にも指定されている場所です。ここはレバノンにある保護区で一番大きいものです。保護区にある4つのエントランスのうち、今回は「Barouk(バルーク)」と呼ばれる地区から保護区に入りました。 この Shouf Cedar Reserve (シューフ・レバノン杉保護区) の特徴は、植林作業が懸命に続けられていること。ほとんどの杉が若くて、まだまだ小さい。それから保護区の面積がかなり広いです。これと対照的に、北部にある有名なブシャーレ保護区には1200本ほどしか杉が残っておらず、あっけなく観光が終わってしまいます。ほとんどの方はブシャーレ保護区にしか行かれないと思いますが、トレッキングなどを楽しんでいただくにはシューフ保護区がお勧め。この日の天気はからっとしていてとても気持ちが良い。保護区には、色とりどりの野草がたくさん自生しています。野草の上品な匂いに囲まれながら、私たちは4時間ほどひたすら歩き続けます。ひたすら続く小道。今回は総勢50名ほどで出かけましたので、ガイドをつけました。とはいえ 3,4時間も歩き続けるわけですから、初めは団子のようにくっついて歩いていた私たち、やがて何個かの小さなグループに分かれ、早い組と遅い組に。私は道中に食べすぎたせいで胃がおかしくなり、最終のグループにくっついてチンタラちんたら歩きます。空気は乾燥していますが、太陽がギラギラと照りつけ、お昼に近づくにつれて影がなくなります。野草を摘みながら、のらりくらりと歩いたおかげで、海に行ったと同じくらいに肌が焼けてしまいました(現在、皮がぽろぽろと剥がれております)。さらに野草は摘んではいけないことが後から発覚!! なんてったって保護区ですからね とはいえ、摘んでしまったものは仕方ありません。ガイドさんも笑顔で「まぁいっか~」という感じ。このように適当なのは、やはりアラブ。事前の注意もありませんでしたしね(笑) さてそんなレバノン杉保護区ピクニック。シューフ保護区についてさらに知りたい方は、次のURLからどうぞ。http://www.shoufcedar.org/scr.asp 次回に後半編をレポートいたしま~す。 夏はヨルダン散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2011.07.13
死海周辺にはソドムとゴモラという都市があったと考えられています。ソドムとゴモラとは聖書の創世記18章に出てくる都市の名前。聖書の記述は知らないけど、名前は聞いたことがあると思われる方も多いかもしれません。これらの都市の遺跡は、現在では死海の湖底に沈んでいると考えられています。ソドムとゴモラの話をかいつまんでいたしますと・・・これらの都市はそれはそれは遠い昔、アブラハムが生きていた時代に存在していた都市です。アブラハムの時代、ソドムとゴモラがあったといわれている死海の付近は今よりもはるかに多くの部分が肥沃だったようです。土地は素晴らしく潤っていたのですが、そこに住む人々は極めて不道徳なことで知られていました。そこで神はこれらの都市を滅ぼすことにされます。ソドムには、義人ロトが住んでいました。イスラム教では、このロトは預言者の一人と呼ばれています。ロトには妻と2人の娘がいたのですが、神はこの4人を悪い人々と一緒に滅ぼすことを望まれませんでした。そこで、天使が遣わされます。もうすぐこの都市は滅ぼされること、救われたいなら急いでこの都市から出る必要があること、逃げるときには決して後ろを振り向いてはいけないこと、などが指示されます。 ← 塩の柱の反対側 天使に従って、ロトとその家族はソドムを出ます。その後、ソドムとゴモラは硫黄と火によって滅ぼされました。ところがロトの妻は,自分が後に残してきた物を惜しんだのか、天使からの警告を無視して後ろを振り返ったのです。その結果、彼女は塩の柱となりました。そのロトの妻の塩の柱が現在でも残っている?? と言われています。それが写真の柱。死海沿いの道を車で走られる方は、この柱を見ることができます。もちろん、本当にロトの妻の柱かどうかは不明。イスラエル側にも「ロトの妻の柱」があるようで、これらの真正性は証明されておりません。ま、よくある話・・・。それでも、死海の南東部付近(死海のヨルダン側)がソドムとゴモラの存在した地域であることは証明されています。死海に来られる観光客の方は、ぜひロトの妻の柱がある場所で、写真をパチリと撮ってみてくださいね。この柱の向かい側から見る死海もとても美しいです。 新春の中東散歩。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.12.08
中東といえば聖書の地。古(いにしえ)の過去からイエス・キリストに至るまでの数千年、聖書に登場する様々な人物が行き廻り、数々のドラマを繰り広げました。ヨルダンも聖書にたびたび登場します。とはいえ、聖書時代にヨルダンという国はありませんでした。ヨルダンには聖書にちなんだ場所が数多く残されています。 そんな名所の一つが、今日ご紹介するムカーウィル。バプテストのヨハネがヘロデによって打ち首にされた場所と言われています。とはいえ、実は本当の現場だったかどうかは不明。ヨハネの打ち首現場といわれる場所は別にもう一つあり、そちらの説のほうが有力といわれています。そんな訳でかどうか知りませんが、このムカーウィルは訪れる観光客の少ないひっそりとした観光地となっています。 小高い山の頂上にある遺跡ヨハネの打ち首ってなんじゃらほい? と思われる方も多いことでしょう。少し簡単にご説明しますと・・・バプテストのヨハネはヨルダン川で人々にバプテスマを施していたことから、この名前で知られています。イエスの親族であったといわれています。ヨハネはヘロデ王によって投獄されていたのですが、ヘロデ王のいわゆる内縁の妻ヘロデアはかねてからヨハネを憎んでいまして、殺したいと思っていたのです。そんなとき、格好のチャンスが訪れました。ヘロデアの連れ子サロメがヘロデ王の宴会の席で踊りを見せてヘロデ王を大変喜ばせたのです。ヘロデ王はみんなの前でサロメに「何でも欲しいものを与えよう」と誓いました。サロメが求めたものは・・・「バプテストのヨハネの首を大皿に載せて,ここでわたしにお与えください」(マタイ14:8)。これはもちろん母親ヘロデアの指示によるもの。ヘロデは深く憂えたのですが、自分の大言を取り消すことはできず、体裁を取り繕うためにヨハネの打ち首を命じます。ヨハネの首は大皿に乗せて運びこまれ、サロメに、そしてヘロデアのもとに運ばれました。さてこのムカーウィル、小高い丘の頂上にあります(紫の矢印の部分が遺跡)。ビジターセンターから延々と歩いて登っていかねばなりません。かなりの距離と運動量。車はビジターセンターまでしか入れませんので、あとは徒歩で。 左上の写真は振り返ってビジターセンターを撮ったもの。黄色の矢印がビジターセンターの場所です。かなり歩いたことがお分かりになるかと思います。でも頂上の遺跡から見渡す景色は最高です。遺跡には何の説明もなく、幾つかの円柱が残っているだけ。健脚の方にはお勧めの観光地です。 新春の中東情緒をお楽しみください。http://picturesque-jordan.com/
2010.12.07
12月になりました。今年もあと少しで終わり・・・。本当に時の経つのって早いですね。ブログの更新を怠っているにも関わらず、たくさんの方が毎日ブログを訪問してくださっているようで、ありがとうございます。クリスマスから年末年始にかけての中東ご旅行に向けて、このブログを読んでくださっている方も多いことと思います。今日は死海博物館のご紹介。ヨルダンには幾つかの博物館がありますが、どの博物館も名ばかりで・・・ほとんど整備されておらず、全くもって充実していないのが現状。そんな中で一番新しい博物館がこの「死海博物館」。この博物館は「Dead Sea パノラマ・コンプレックス」という最近建てられた建物の中に入っています。このDead Sea パノラマ・コンプレックスは、ヨルダンのRSCN (王立自然保護協会) が管理・管轄する建物。死海のリゾートホテルエリアからは15KMほど離れた場所にあり、死海を眼下に望む岸壁に建てられています。 お車がないとアクセスは非常に難しいのですが・・・。死海エリアにご宿泊の方は、ぜひ足を延ばしてみてくださいね。この博物館、まだまだ内容は充実していないとはいえ、RSCN もかなり力を入れている様子。死海の成り立ち、死海付近の環境、地理的特徴などなど・・・死海に関する情報なら何でも(???)手に入ります。死海が年々小さくなっているのは皆様、ご存知でしたか? 死海の水面は毎年30センチずつ下がっているのです。このままでは近い将来死海がなくなってしまうといわれています。現在、アカバ港が面する紅海から死海まで水を引くプロジェクトが進行中。死海保存に向けての試みです。 パノラマ・コンプレックスから眼下に見下ろす死海はまさに絶景。周りのゴツゴツした白い岩肌と青い死海のコントラストが得も言われぬ美しさを作り出します。眼下には死海、眼前には死海の向こう側、パレスチナが広がります。さて、このコンプレックスには死海博物館のほかに、会議室やレストランも入っています。レストランはハママトマインにある Evason Main ホテルが所有するもの。死海を眼下に見下ろしながらいただくお食事は、格別です。営業時間はお昼の12時から夜の9時。私が訪れたのは猛暑のまっ最中でしたから、照りつける日差しが最高潮に達するお昼の12時にお食事は到底できない状況。もちろんお客さんも誰もいませんでした・・・。この日はうだるような日差しでした。夏にはちょっとお勧めできませんね。まだまだ知られていないこのパノラマ・コンプレックス。死海に来られた方は、この絶景だけでも見る価値ありかもしれませんよ。お時間の余裕のある方は、ぜひどうぞ!! 年末年始は中東で。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.12.05
ヨルダンでモザイクの街として知られるのはマダバ。アンマンから30キロ離れたところにあります。かつてはクリスチャンだけの町でしたが、現在ではムスリムとクリスチャンの割合は半分ずつになっています。このモザイクの街マダバは、ここ数年、ヨルダンの観光地には欠かせないスポットとなってきました。どの旅程表にも必ずと言っていいほど含められています。そんなマダバの栄光の陰に隠れてひっそりとたたずむのが、ウンム・アル・ラサース。マダバから30キロの位置にあります。モザイクの規模と美しさからいえば、断然マダバをしのぎます!! このウンム・アル・ラサース、実は2004年にユネスコの世界遺産に指定されてもいるのです。 ビジターセンターまだまだ知名度が低いこの観光地。訪れる人は本当にわずか。ビジターセンターはひっそりと静まり返っています。私たちが訪れた時に観光客は一人もおらず、したがって受付にも人はおらず、しばらくうろうろした揚句に「暇で暇でしゃ~ない」というようなやる気のない兄ちゃん(ツアリスト・ポリス)を見つけ出しました。遺跡への入り口はどこ…? と聞くと顎でしゃくってあっちだといいます。ゲートをくぐると、広~い遺跡が広がります。遺跡というか…瓦礫(がれき)跡といったところか。ウンム・アル・ラサースの入場料は無料。ぺトラで50JDも取ってるわりに、同じ世界遺産のこの観光地は無料なんですよ。それにしてもだだっぴろい遺跡です。 ここウンム・アル・ラサースの発掘はほとんどなされていません。遺跡内に説明やサインなどもほとんど無く(まぁ説明しようがないのだと思いますが)、瓦礫の上をさまよい歩くしかありません。 遠くに白い屋根が見えます。下の写真にあるように、モザイクが保存されている建物です。 中に入ると、あっと息を呑みます。まさに圧巻のモザイク。かなりの規模で床一面に散りばめられています。この保存の良さと規模はマダバにあるどのモザイクもしのぎます。建物の中にはブリッジが設置されており、床一面のモザイクを上から見下ろすことができるようになっています。モザイクがあまりにも大規模なので、まさにブリッジを歩きながらモザイクの中を泳いでいる気分。う~~ん、素晴らしい!! の一言です。 ウンム・アル・ラサースの遺跡で分かっていることは、ローマ時代にローマ軍の駐屯地であったこと、その後ビザンチン時代からウマイヤド朝に至るまでの時代に重要な都市として栄えたことだけです。モザイクの数々はその後、いわゆる偶像破壊期にたくさん破壊されることとなりました。まだまだ整備が進んでいないウンム・アル・ラサースですが、ヨルダン政府のことですから、ここもぺトラに劣らない観光地に仕上げようと虎視眈々と狙っているはず(笑)!! いずれ入場料はぺトラに次いで高額になるやもしれません。ウンム・アル・ラサースを訪れるのは今が旬かもしれませんよ!中東散歩で中東情緒。http://picturesque-jordan.com/
2010.11.20
ヨルダンにも温泉が!! 知る人ぞ知る、ハママト・マインと呼ばれるこの温泉はヘロデ大王が治療のために利用したと言われています。このハママト・マインの近くには「ムカーウィル」と呼ばれる聖書にちなんだ観光地もあり、へロデ大王によってバプテストのヨハネの首が切られた場所として有名です。ムカーウィルについては、またアップしたいと思います。さて、このハママト・マイン、残念ながら観光地としての光彩はすっかり消え失せてしまった感があります。 「おススメの観光スポット」のカテゴリに入れていますが、正直に言いますとお勧めできるようなものではありません。かつて轟々と岩肌を流れ落ちた温泉水はほとんど枯れ、管理されない水は深緑に濁って、泥がうっすらと堆積しています。ハママト・マインの駐車場の左右には、女性専用の温泉と家族用の温泉がそれぞれ両側に位置しています。矢印に従って女性専用の方へ。扉を開けると、中には誰もいません。ちょろちょろとした滝が一つ…。「え??」という感じ。 温泉といっても、プールのような感じです。しかもプール内にためられた水は管理されておらず、床には泥がうっすら、ニュルニュル。どう考えてもこの中につかる気にはなれません。仕方がないので、靴だけ脱いで足を入れてみることに。 確かにとっても熱いです。でも…「これだけ?」と興ざめ。私たちが足をつけていると、アラブの親子連れが入ってきました。お互いに顔を見合わせて、「これだけ?」??? 入場料が 10JD とバカ高いのですが、このためだけにこんな高い入場料を払ったのでしょうか。あり得ないですよね、と見ず知らずの相手にお互いぶつぶつ不平を言います。 家族用の温泉なら多少は期待できるかも、と今度は家族用の温泉に移動します。 轟々と岩肌を伝って流れる温泉の滝?! 右の写真を見ていただくとそのような見えるかもしれませんが、そんなことはありません。近寄って写真を撮りましたが、実際の大きさは本当に小さいもの。水が枯れてしまっているのです。こちらの家族用の温泉も水につかるも何も、滝に打たれることすらできない。せいぜい熱いお湯に足をつける程度です。 こちらの写真は女性専用の温泉にあるトイレトシャワー。比較的きれいに管理されています。 ハママト・マイン、ここ最近特に水が枯れているらしく、もはや観光地とは言えません。というか、入場料 10JD も取るか?? と私たちは憤慨。ここはヨルダン政府が管轄している観光地ではなく、特定の企業が管轄しているプライベートな観光地なのだそう。でも、どう見てもお勧めできるような場所ではありません。こんなんだったら、冷水ですが、ムジブ保護区で轟々と流れる滝に打たれる方が絶対にヨイです!! ヨルダンに来てハママト・マインを観光したいと思っておられる皆さま、個人的にはどう見てもお勧めできませんが、まぁ一度は体験していただく価値ありかも・・・・(いや、どこをどう見てもそうは思えませんが、ここは心を鬼にしてヨルダンの宣伝に一役買うべきか? 難しいところです)。ハママト・マインに関するお問い合わせを頂くことが時々ありますので、これを持って回答とさせていただきます。 年末年始は中東散歩、中東散策。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.10.05
ムジブ保護区についてブログにアップしてから、ムジブへに関するお問い合わせやトレイルへの参加希望者がぐっと増えました。宣伝に一役買っているんですから、ヨルダン政府からご褒美貰わなきゃ(笑)。今日は、ムジブ保護区でのリバーウォーキングを実際に体験されたお客さまからのお便りをご紹介いたします。 ********************************ムジブでのガイドの件ですが、前日に手配の電話をしていただき、ありがとうございました。残念ながら、行ってみたら年配の責任者の方に「ガイドは付けられない」と言われてしまい、結局二人で挑戦してきました。女2人での挑戦はかなりハードでした。正直、一番最後の滝は2人では越えられなかったと思います。偶然通りかかった男性が助けてくださったのでどうにかたどり着くことができましたが、もし、そのグループにあの場所で会っていなかったら・・・リタイアしていたかも・・・景観は、木村さんが「ムジブに先に行っていたら、ぺトラの感動は半減かも」とおっしゃっていたのがよく分かるほどの美しさでした。本当に、ガイドなしでも勇気を出して行ってよかったと思います。木村さんが、ご自身のブログで紹介してくださったおかげです。最後の最後に、行き先に加えていただいて、本当によかったと思っています。(ガイドの件、実は、最後の滝のところで助けてくださった男性がムジブのスタッフさんでした。トレッキングを終えてビジターセンターに戻った時に発覚しました。おそらく、私たちのために待っていたガイドさんが、私たちよりも先に到着した他の女性2人のグループのガイドとして出発してしまっていたというのが実情のようです。ま、海外ではよくある話。仕方ないですね。) *******************************このお客様は、ガイドなしの Siq Trail (シークトレイル) に挑戦されましたが、ガイドをつけるように何度もムジブ保護区にこちらから連絡して、前日に OK をもらっていました。それでもやはり…ガイドなしでのトレイルとなってしまったようです。さすがヨルダン。いや、ヨルダンに限らず、中東ではよくある話。約束は「インシアッラー」(神のご意志なら)で済ます。約束を守れなかったときは? 「神の意志」ではなかったのですから、良心の呵責を感じることはありません。何はともあれ、トレイルの終着まで行きつかれたとのこと、本当に良かったです!! こんな風にムジブ保護区のトレイルにご参加いただいたお客様からの評判は上々です。ムジブ保護区、皆さまも是非足を延ばしてみてくださいね。 中東散歩、中東気分。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx
2010.08.13
2泊3日の小旅行から無事に (?) 帰って来ました。「?」が付くのは、実は旅行の初日にヨルダンで初の交通事故に遭ったからです。とはいえ双方に怪我は全くなく、車だけがベコンとへこみました。相手の車はもうちょっと重症で、ドカンとへこんでいましたが。この事故が起きたそもそもの原因は、相手が携帯電話をしながらトロトロと横から出てきた上に、道の中央付近で止まっていたからです。そういうわけで、私たちのペナルティは取られませんでした。いやいや、携帯電話の取り締まりをしてほしいものです。さて、そんなこんなで予想外に出遅れた今回の旅。急きょ予定を変更することになりました。ペトラへ下る途中で立ち寄ったのはカラック城。ここは12世紀の十字軍の城として知られています。 かなりの高台にあります。 城から見下ろす風景カラック城は、オーランド・ブルーム主演の映画「キングダムオブヘブン」の撮影でも有名です。数多くのシーンがカラック城やその周辺を舞台にしているということです(撮影では実際の城は使用されていないそうです)。 ↑ お城には弓を射るための場所がたくさんあります ↑お城の中。どこからともなく現れたベドウィンが案内してくれました。聖書に造詣が深い方は、カラック城の観光をまた別の観点から楽しまれることでしょう。というのも、実はカラックは「キル・ハセレト」という名で聖書に出てくるからです。キル・ハセレトは、モアブ人の重要な都市であったと考えられています。聖書の列王第二3章の記述には、イスラエル,ユダ,エドムの連合軍がキル・ハレセトを攻撃した時のことが記されています。事前に列王記第二3章の記述を読んでおかれると、興味深いと思いますヨ。このカラック城、中世と現代が混在した不思議な街です。観光に来られる際は、ちょっと立ち寄ってみてくださいね。ヨルダンツアーのことなら:http://picturesque-jordan.com/ にほんブログ村←応援して下さる方はクリックしてくださいね。
2009.05.27
ヨルダンに恋をした場所を2年ぶりに訪ねてきました。これはアンマン市内の観光地に必ずといっていいほど含まれる城砦跡です。前にもご紹介しましたが(http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200810130004/)、ここは高台になっており、アンマン市全体を見渡すことができます。またヘラクレス神殿跡や教会跡などローマ時代の数々の遺跡が残っています。観光客の入場料は2JD。バスやタクシーなどで観光に訪れる人が多いですが、私は家から歩いていきました。 ヘラクレス神殿跡 教会跡です。城砦跡は2年前より少し発掘作業が進み、きれいに整備されていたような気がしますが、丘の上から見渡すアンマン市は2年前と変わっていません。右も左も知らなかった2年前と比べて、今ではどこに何があるか大体の方向が分かるようになっているのが個人的な進歩。2年前にタイムスリップして懐かしさを感じるとともに、月日の経つ早さを改めてかみしめました。観光では、この城砦跡にほんのちょっぴり立ち寄る程度の方が多いと思うのですが、私はこの場所で何時間も過ごすのが好き。何があるってわけでもないのですが、アンマン市全体をボケっと見渡しながら、風に吹かれていたい場所です。太陽からの光がかなりきついのが多少つらいのですが。次回はお弁当を持ってこようかなぁ~。生活の忙しさに追われて走りまわっていますが、たまにはこの場所でゆ~っくり自分と対峙するのも必要かなぁと思います。観光で来られる皆さまも時間が許すなら、この城砦跡でちょっとゆっくり風に吹かれてみてくださいね。 ヨルダン旅行なら http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx まで。
2009.05.16
夏が近づいて、にわかにパーティの招待が増えてきました。今日は Faheis というところに住む友達からお昼のお食事会に誘われて出かけてきました。Faheis (ファヒス) はアンマンから北西に約20キロ離れた場所にあるクリスチャンの町。アンマンからはバスが出ていて、30分くらい揺られると着きます。ここは緑が多く、アンマンとは別世界。眼前には緩やかな丘と緑が広がり、まさに"雄大"という描写がぴったりの場所。友達はアンマンでピザ屋さんを営んでいます。長年イタリアに住んでいたこの友達、ピザもイタリア仕込みで、毎日たくさんのお客さんが食べに来ます。美味しいと評判。それもそのはず、このお店で使われている野菜はほとんど自家製。Faheis で育てています。それから、この友達は5,6頭の牛を所有していまして、ミルクも朝晩搾ります。搾りたての牛乳を熱湯消毒したものを時々分けてくれますが、とても美味しいです。牛たちは毛並みもよく、世話がとても行き届いています。この友達の家には住み込みのエジプト人やらフィリピン人やらがいて、彼らが家事全般、家畜の世話などを受け持っています。 今日はこの Faheis の雄大な自然のなかで、昼食会。タブレから始まり、マンサフ、そしてスイーツ、締めくくりはカフエアラビーヤ。たくさんの人が集まりました。友達には合計4人の子供がいますが、こんな自然の中でのびのび育つなんて理想的ですよね。アンマンではあり得ない生活です。 お食事会の様子。本当にたくさんいただきました! そうそう、忘れてはならないのがポーク。この Faheis を走り回っていた野生のブタが仕留められ、ポークのローズマリー焼(?)として振舞われました。いやいや、久しぶりのポークです。美味しかった! でも野生って・・・・豚インフルエンザは大丈夫かしら?この Faheis は、外国人にはあまり知られておらず、観光地としては有名ではありません。ヨルダン人が休日に家族でピクニックに訪れるような場所です。でも私としては、ここもおススメの観光スポットです。アンマンからちょっと足を延ばせば、こんな素敵な自然が楽しめます。自然愛好家には外せないスポットですよね。もし機会があれば、皆さまもぜひどうぞ!
2009.05.02
ダウンタウンに程近い Jabal Amman という地区の一画は、とてもお洒落な場所です。Jabal Amman といっても広いのですが、このお洒落な一画は、第一サークルから程近い“レインボー通り”と呼ばれる道に沿ったところ。アンマン市の中でもとりわけ初期に発展した場所で、家々は古いのですが、その古さがアンマンの良き時代を偲(しの)ばせます。外国人にも人気の場所です。レインボー通りは、石畳の道路にきれいに舗装されています。さて、ここに「ジョルダン・リバー」と呼ばれるお土産物屋さんがあります。ここは地球の歩き方にも載せられています。書かれている通り、値段はかなり高めですが、品質は保証済み。 お店の外観も素敵です。 上の写真のように、モザイク画や刺繍による伝統工芸品などが売られています。あとは、せっけんやロウソクなども。値段が張るので、買うのはちょっと…と思ってしまうかもしれませんが、見ているだけでも楽しいです。店員さんもやる気がなく(? 笑)、付いて回られることがないので、気楽にブラブラ店内を回ることができます。 緑が多く、ほっとする空間。このレインボー通りには、他にも伝統工芸を扱ったお土産物屋さんが幾つか並んでいます。アンマン市を一望できる場所にお洒落なカフェもあり、観光客にとっては足を休めるいい空間となっています。観光で来られる方々は、アンマン市をゆっくり歩く時間がないかもしれませんが、もしお時間があればぜひこの地区へも足を延ばしてみてくださいね。
2009.04.29
死海にはけっこう頻繁に足を運びます。アンマンからそれほど遠くなく、比較的気軽に行ける観光スポットです。アンマンから約50キロの位置にあり、1時間弱で着きます。私はいつもレンタカーや友達の車で移動するのですが、アンマン⇔死海のバスもあるらしく、今度は試しにバスを利用してみようかなぁと思っています。下の写真は冬の死海です。 初めて死海を訪れたのが冬でした。死海の水ってマロマロしているんだなぁ、というのが最初の感想。本当に死海の水は、トロリとまろやかなんです。お勧めはビーチではなく(もちろん泳ぐためにはビーチに行く必要がありますが)、まだ整備されていない自然の海岸線。車を死海に沿って走らせ、5スターホテルたちを横目にしばらく進むと、整備されていない海岸線が見えてきます。車を路駐して、徒歩で下りていけそうな場所を探します。石がごろごろ転がっている急な坂道ですが、そろそろと下りていきます。滑るし、ちょっと怖いのですが、ゆっくりゆっくり急斜面を下りると、沿岸まで到達できます。塩の結晶がゴロゴロと横たわっています。水は透明感があり、水面下の塩の白さが何とも幻想的な雰囲気を醸し出します。 ↑ 12月の死海 ↑ 6月の死海いつ行っても死海は素敵です。でもこの死海、年々小さくなっているのだそうです。そのスピードは実に、毎年30センチずつ水位が下がるという驚異的なもの。科学者たちによると、このままいけば2050年までには死海が干上がってしまうと予想されているそうです。死海沿岸には高級ホテルがいくつかあり、いま建設中のもあります。そろそろオープンするころでしょうか。でもこうしたホテルたちも死海がなくなった時には一体どうなってしまうんでしょう。美しい死海、いつまでも残ってほしいものです。
2009.02.15
ペラと聞いて「?」と思われる方もおられることでしょう。主要な観光地ではないかもしれませんが、聖書に通じている方にとって一度は訪れてみたい場所かもしれません。西暦70年にローマ軍がエルサレムを取り囲み、破壊しました。ユダヤ人は最後まで抵抗しましたが、ついに都市は陥落し、死者は相当数に上ったといわれています。実はこのエルサレムの滅びはイエスによって予告されていました。ペラは、一部のクリスチャンたちがイエスの指示に従って逃れてきた場所として有名です。 ペラはまた、考古学者にとっても魅力的な土地です。発掘作業がすべて終われば、ジェラシュより規模が大きいのではないかといわれるほど、たくさんの遺跡が眠っているそうです。またこの地は、アレキサンダー大王の生誕地としても知られています。歴史に興味のある方にとっては、押さえておきたい重要なスポットかもしれませんね。
2009.01.15
ペトラの岩石はミネラルをたっぷり含んでいてマーブル状なので、よく「薔薇色の都市」と表現されます。そびえ立つローズ色の岩石に囲まれていると、とても不思議な気分になります。 日没が近づくにつれ色がさらに美しくなります。ペトラほど夕焼け・日没の似合う都市はないように思います。そろそろペトラにもう一度行きたくなりました。不思議な魅力に満ちた古代都市です。 アラブ人から見るとヨルダンはあまり魅力的な国ではないようです。ヨルダンにあるものといったら石だけ、伝統的な食べ物はマンサフだけ。何とも退屈だ、というわけです。でも私は、このゴツゴツした飾らないところがヨルダンの魅力だと思っています。さて、みなさまはどうお感じになりますか? ペトラに関するその他の情報については、以前のブログをご覧くださいね。http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200809290005/http://plaza.rakuten.co.jp/fmtours/diary/200811090002/
2009.01.14
アンマンから約 30 キロほどのところにマダバという街があります。小さな田舎町ですが、モザイク画でとても有名です。正ジョージ教会には、6 世紀に作られたモザイク地図が現存しています。この地図は 200 万個もの色付きの石を使用して作られたということで、当時のパレスチナ全域の様子を知ることができます。現在残っているこの地図は、もともとの大きさの4分の1ほどだということです。 モザイクには、花、鳥、動物、または神話の一場面、農作業などの日常生活が描かれています。マダバでは、モザイクの作り方の見学をすることができます。マダバのモザイクは、すべて天然の石を使って作られます。小さくカットした石を埋め込んでいく、とても精密な作業です。出来上がったモザイクはとっても素敵。 この壷、可愛いですよね。 思わず欲しくなりました。 博物館もあるようです。ヨルダン観光局の情報によると、「マダバの博物館は必見です。 素晴らしいモザイク画だけでなく、ヨルダン古来の刺繍が施された民族衣装、宝飾品、陶器が展示されています」とのこと。時間のある方はぜひのぞいてみてくださいね。
2009.01.06
サルトの街は、ヨルダンの北西、アンマン市から車で約30分の距離にあります。かつてはヨルダンの首都だったのですが、今ではあまり目立たない街です。この街は、オスマン時代(19世紀末~20世紀初め)に栄えました。その時代に建設された、黄色の砂岩でできた建物が見所です。 黄色の建物が特徴です。サルトに関しては、以下のサイトで詳しく説明されています。のぞいてみてくださいね。http://jp.visitjordan.com/Default.aspx?tabid=182私は行くことができませんでしたが、サルトには工芸学校があり、陶器、織物、シルクスクリーン印刷、染色などの伝統的な技術を見ることができるということです。今度はこうしたものを見に行ってみたいな~。ここの子供たちは、本当にひとなつっこい。街をぶらりと歩いていると、どんどん どんどん集まってきました。自分の家においでよ、と私たちを引っ張ります。本当に可愛い子達でした。
2008.12.18
ペトラで有名なのは、映画にも出てきた「エル・ハズネ」。そこから「エド・ディル」と呼ばれる修道院まで足を延ばされる方は多いと思います。その先に"sacrificial view"と呼ばれる場所があります。かなりの高台なので、眼下にはごつごつしたむき出しの岩山、そして遠くまで見渡すことができます。「エド・ディル」まで足を延ばしたものの、その先への道しるべがないし、人影もないため引き返した、と言われる方がおられるので、せっかく登ってきたのに残念!と思ってしまいます。「エド・ディル」を右手にしながら、もう少し進んでみてください。人影がなくても大丈夫。少し歩くと、“sacrificial view”という矢印が見えるはずです。あとは矢印に従って歩くだけ。10分ほど歩くと着きます。ちょこちょこ人が登ってくるので、まったく一人になってしまうことはありません。ベドウィンの兄ちゃん達もお店を出しています(あ、これが危険なのでした。言い寄られても相手にしないでくださいね)。 夕日が落ちていくのが見えます。私はペトラに着たら、必ずここへやって来ます。かなり登りますが、とっても気持ち良いのです。ただし夕方にここまで登ってこられた方は、暗くならないうちに下ってくださいね。もと来た道を引き返し、階段をずっと下って、遺跡の入り口までたどりつくのにもかなりの時間がかかります。ペトラ遺跡も、来年また訪ねてみたい場所です。
2008.11.09
週末の昨日は、友達と死海に遊びに行ってきました。アンマンは、明け方から雷と雨…。泳げんるんかなぁと多少不安でしたが、死海とアンマンは天気も気温も異なるし、いずれにしても午後からは天気が回復するだろうという予測のもと、張り切って出かけました。思っていた以上に死海エリアは暑く、半袖で問題はありません。死海の水も生ぬるく、10月半ばですがまだまだ泳げます。昨日は、直射日光が降り注ぐようなカンカン照りではなかったので、肌が焦げることもなく(6月に行ったときは、文字通り焦げました!)楽しめました。泥パックをペタペタ塗りたくっていると、それを見ていたムスリム女性たちが近づいてきました。私たちの横で、服の足をまくりあげて泥パックに挑戦し始めました。女性同士では、肌を見せるのは問題ないようです。彼女たちは服のまま死海につかっていましたが、浮くのは難しいようで、浅瀬に座りっきりでした・・・。上の写真では、かぶり物をしているのはお母さんで、黒いズボンを履いているのは娘さんです。ピンクの女性は親族か何か。娘さんはまだ十代でしょうか。本当は泳ぎたいだろうなぁ・・・。10月の死海体験、満喫してアンマンに帰りました。
2008.10.26
体を完全に覆ったイスラムの女性たちは、死海ではどうするのでしょうか。男性は半パンツ、子供はすっぽんぽんになっても、やはり女性たちは服を脱ぎません。砂浜に立っているだけか、幾人かは服のまま水の中に入っていきます。でも浮かぼうとはしません・・・服をまくりあげることもなく、ただ膝辺りまで水に入るだけです。イスラムの女性たちは写真を取られることを嫌うといわれているので、私もちょっと遠慮しながらカメラをパチッ。ちょっとうまく撮れませんでした。 でも何となく彼女たちの”死海体験”が伝わるでしょうか。
2008.10.07
死海といえば、海面に浮かびながら雑誌や新聞を読む例のポーズが有名です。実際に死海に入ってみると・・・本当に浮かびます! 浮かぶので泳げません。でも例のお決まりのポーズを取ろうとすると、くるんくるんと体が勝手に回ってうつぶせポーズになってしまいます。”雑誌読みポーズ”は、意識的に体のバランスを取らないと、案外難しい・・・。私だけ?死海の水は、まろまろしていてまろやかです。傷にはしみますが、肌に塩がしみこむ感じがなんだか気持ちがいいです。水が目に入るとスーパー痛い! です。とにかく開けていられず、急いでシャワー場所まで行き、洗い流さなければなりません。 でも浅瀬には石(塩の固まり?)がゴロゴロしていて、足の裏が痛くて走れません。死海に入られるときには、目に十分ご注意くださいませ。
2008.10.07
ジェラシュも、ヨルダンで有名な観光スポットのひとつです。古代ローマ都市が完全に近い形で残っています。アンマンから北へ約50キロの場所に位置しています。とても広い遺跡です。 コリント式円柱 この円柱、首をぐ~んと後ろにそらして見上げなければならないほど高いのですが(15メートルとか・・・)、実はかすかにゆらゆら揺れているんです。「円柱の基部に指を入れてみろ」といわれるので、「指が抜けなくなる! つぶれちゃう!」と抵抗したのですが、とにもかくにも「入れてみろ」ということで、いやいや(こわごわ?)指示に従いました。すると、円柱がゆら~りゆら~り揺れているのが指先にかかる圧力で分かります。度重なる地震にも耐え抜いた、耐震構造となっているのです。古代の人に知恵には本当に驚かされます。 円形競技場のひとつ 面白いのは、円形競技場。舞台の真ん中の指定されたスポットに立つと、それほど大きな声を出さなくても、はるか上方の席まで声がはっきりと聞こえますし、自分の声が反響してとても美しく聞こえる仕組みになっているのです。これまた先人の知恵には脱帽させられます。ジェラシュには英語ガイドしかいないのですが、回られるときにはできたらガイド付きをお勧めします。
2008.10.07
ヨルダンにはいわゆる「聖地」がたくさんあります。そのひとつが「Baptismal Site」。イエスがバプテスマを受けたといわれるヨルダン川のとある場所です。現在では茶色くにごっていますが、イエスの時代にはきっと水が澄んでいてきれいだったのでしょうね。さて、このバプテスマ サイトですが、イスラエルサイドにもあるそうな・・・。つまりイエスが一体どこでバプテスマを受けられたか、正確な場所は分かっていないということですね(当たり前か)。ヨルダン川をはさんだ向かいはイスラエル。このバプテスマ サイトは軍事国境線となっているので、個人で来ることはできません。エントランスで入場券を買うと、バスに乗せられて、あらかじめ決められたコースへ連れて行ってもらいます。 川を挟んだすぐ向かいは、もうイスラエルです。
2008.10.05
ヨルダンといえば、世界遺産ペトラ。映画「インディージョーンズ-最後の聖戦」が撮影された場所としても有名です。私はこれまでに、個人旅行と お客様のツアーのアテンドとしてペトラを何度か訪れる機会がありました。行く度に、自然の作り上げた要塞の美しさと それを活用した古代の人々の知恵に圧倒されます。 ↑ あまりにも有名すぎるアングルですが、ここに来たら撮らずにはいられないショットのひとつです。観光地として定着した今では、観光業はベドウィンたちの生計の主な手段ともなっています。が、その厚かましさに辟易することもしばしば・・・。かなり高い値段をふっかけてきます。乗馬やらくだ乗りを体験されるときも、バーゲンすることを忘れないでくださいね。それからペトラでの買い物はお控えくださいませ・・・。同じものが他の場所では、かなり安く買えたりします。ただし、バーゲンする場合は別です。よいお買い物を^^ ! ↑ らくだ乗りは楽しいですよ! 一度はご体験くださいね。
2008.09.29
ネボ山は、死を直前にした預言者モーセが「約束の地」を望んだ場所として有名な場所です。モーセの目には「乳と蜜の流れる地」がどのように映ったことでしょう。とはいえ、乾燥したこのヨルダンで「約束の地」をクリアに見ることができるのは極めてまれです。雨が降った後の早朝などに、はっきりと見渡せるときがたまにあるそうですが・・・。でもきっとモーセの目には、はっきりと「約束の地」が見えたことでしょうね。
2008.09.27
ヨルダン観光に外せないのが死海です。 これまで訪れたシーズンで、海が一番きれいだと感じたのは6月。サファイアのように美しい海でした。死海周辺は、急速に開発が進んでいます。観光客用に整備され、高級ホテルが立ち並ぶスポットがあります。大抵の観光客はそこで過ごしますが、在住者としては あえてそこを外します。死海に沿って走り、まだ整備されていない場所で車をストップします。岩がごろごろ転がる”道なき道”をそろりそろりと死海まで降りていきます。死海へ到達すると、真っ白な塩の結晶たちと真っ青な海のコントラストに息を呑みます。 辺り一面に広がる塩の白さがまぶしくて、目を開けていられないほどです。一瞬、ゲレンデにいるような感覚です。私たちはその後、アンマンビーチへ。アンマンビーチは公共のビーチですが、きれいに整備されています。このビーチについては、また次回お伝えしたいと思います。
2008.09.25
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