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いつもバトンが来る度に回していたマッチ兄。律儀に必ず受け取ってくれていたので、今回は私がマッチ兄から受けることにしました。ちなみに・・・マッチ兄は私の高校時代の部活の先輩と付き合っていたことがあります。人の繋がりって不思議ですね。ではいきます!Q1.17歳のとき、何してた? 17歳というと高校2年生の年ですね。うーん、たしか小・中学時代の同級生で違う高校に通っていた当時の親友と近所に住むアメリカ人宣教師たちと遊んでいました。宣教師のStanに恋していました。近所のスーパー下にある大判焼きやラーメン、アメリカン・ドックを売るファースト・フードの店でアルバイトしていた。父が酔った時に、高校留学に行きたいと申し出たけど、父は覚えていなくてケンカになり、その後8ヶ月くらい口をきかなかった。会話は母を通訳にして成立。ニキビで赤い顔して、むっつりそうな隣の駅の男子校生を見ていて、気持ち悪くて男子高校生が大嫌いだった。人生で唯一、オトコ嫌いの時代。(笑)皇子先輩(→アダモちゃん→マッチ兄)の17歳を読んでて思い出したけど、高校2年の夏に親に内緒で最初のピアスをする。私は普通の真面目な高校生でした。セーラー服、着たかったな(笑)Q2.17歳のとき、何を考えていた? アメリカ、アメリカ、アメリカ、、、恋、Stan、アメフト、アメリカ、プロム、アメリカ、アメリカ、、、セックスって???Q3.17歳に戻れるとしたら? あの頃の17歳ならいいけど、今の時代の17歳は絶対に嫌ですね。ついていけそうにないから。あの頃の17歳に戻るとしたら、ボーイフレンドが欲しかったなぁ。Q4.17歳に戻っていただく5人。『あの日にかえりたい』 方!是非、バトンを持って行って下さい。【おまけ追記】画質は悪いですが、高校時代唯一の思い出、甲子園にチアガールとして行った時の写真。16歳だったけど・・・(笑)
Mar 31, 2006
ゴルフ仲間の女10人で集まった昨晩、ちょっと飲みすぎて一日中、二日酔いと戦いながらだらだらと過ごしてしまったけれど、夕方はゴルフ繋がりの若者たちに混ざって撮影会に出かけてきた。 人の縁とは本当に不思議。私が通うサロンで働く日本人の男の子もゴルフをするというので、昨年同好会で知り合った男の子とゴルフに行った時たまたま一人空きがあったので誘った。二人が近所ということもあり、それ以来暇さえあればゴルフ談義しながら飲んだり、ビデオを見たりという仲になったという。美容師とウェブデザイナー。職種は違うけれど、同世代でゴルフ好きというのが共通点。そして後から知ったのだけれど、ウェブデザイナーの住むアパートの大家さんはなんと彼と同じサロンで働くオバサンだったのだ!本当に驚いてしまった。 そして今回、美容師のTさんがウェブサイトを立ち上げることになり、ウェブデザイナーのK君がプロデューサーとなってコーディネイトし、彼のルームメイトで同じ大学出身のフォトグラファーのCちゃんが2人のモデルを撮ることになった。それに加わったのが同じく近所に住み、K君のCちゃんと同じ大学を卒業したプログラマーのTKくん。仲良しグループのそれぞれの得意分野を生かして、仲間のサクセスのために動いたプロジェクトだった。私は是非遊びに来て、とお声をかけてもらったので顔を出した。 モデルはお店のお客さんでもある若いアメリカ人女性二人。メークをして、ヘアを整え、写真撮影ということで2人ともとても楽しそうだった。2人が用意している間、撮影のセットアップが始まった。撮影はサロンで行われた為、限られたスペースだったけれど、スクリーンを張り、ライトを置き、何度もテストを繰り返して準備していた。普段はK君に怒られることの多いCちゃんだけれども、今日の主導権を握り、プロだな、と思わせる手際の良さに私は感心しながら見ていた。 最初の女の子の撮影に入った。アクトレスということもあって、カメラを向けると途端に表情が変わった。自分で自分が綺麗と知っているから自信に満ちていた。最初にどんなイメージを作りたいかというのを彼女に指示していたので、それに従ってちょっと目で物語るような、誘うような表情でカメラに向かっていた。でも何かが物足りないような気がした。K君とTKくんにこう言った。「私がオーディションに使う写真を撮ってもらった時、フォトグラファーが何度も何度も『オー、イェーイ、ベイビー』って盛り上げてくれたのよ。こっちの女の子って『可愛い』じゃなくて『セクシー』っていうのが褒め言葉だから、次の子にはちゃんと語りかけてあげた方がいいかもね。」若くて綺麗な金髪の女性を前に、ただでさえヨダレが出そうになりながら、私的感情を抑えているだろう若者に『セクシー』と言わせるのはちょっと酷だったかもしれない。でも彼らも2人目のモデルの撮影に入った時、言葉をかけてあげていた。その言葉に反応するかのように、モデルの表情も代わって行くのを見るのは楽しかった。撮影が終わった後にはモデルと一緒に来ていたモデルの友達に挟まれての写真を撮り、金髪の美女の間で男の子たちの顔は緩みっぱなしだった。 Tさんの友達で今メークを勉強しているSさんの撮影も間に入り、アーティスティックな感性に感嘆しながら私も楽しい時間を過ごした。昨晩の女性だけの集いとは異なる若者エネルギーを私もたっぷり受けた。彼らを見ていると、なんとなく懐かしくもあった。 みんな、ニューヨークで頑張っている。それぞれの夢に向かって・・・
Mar 25, 2006
3月24日は父の命日。 あっという間に7年という月日が過ぎてしまった。年を重ねる毎に父の気持ちがわかるような気がするのは、私も大人になったからからなのか。サラリーマンという立場において、上司や会社のオジサンたちを見ながら父の姿を無意識に追っているのかもしれない。もちろん、父はエリートなんかじゃなくて、普通の人だったけれど。 不思議なことに、7年経った今も父に関する発見がある。例えば今日。パスポート更新のために取り寄せた戸籍謄本が母から届いた。父と母と私の名前があるけれど、亡くなったことで父は除籍されている。でもそこに私の祖父にあたる父の父親の名前を見つけた。父がまだ高校生の頃に亡くなり、私は会ったこともない祖父。私は名前すら知らなかった。私にはその祖父の血が4分の1流れているのに。祖父の名前を見つめながら、なぜかこの未知の祖父がもっと自分自身を知るための鍵を握っているような気がしてならないのだ。そして母に書類が届いたことを告げるために電話した。自然と会話は私の日本一時帰国の話になった。2週間という短い時間に、家族、親戚や友達に会うほかに、伊勢神宮、天河神社、広島へ旅行したいと思っている。旅行はいつも一緒にしているので、母も一緒にお伊勢参りに行きたいか尋ねてみた。「ママも伊勢に一緒に行く?」「行けるなら、行ってみたいわ。昔、修学旅行で行ったきりだもの。それにね、パパが死ぬ2年位前に、パパひとりで伊勢に旅行に行ったことあるのよ。覚えてる?」「え?そうなの?そんなの覚えてるわけないじゃん。一緒に生活していたわけじゃないし、電話かかってきたって、『元気か?そうか、おーい、ママ』ぐらいしか話してくれなかったんだもの。」「そういうことしたことない人だったでしょう?だからね、今年はパパが死んで丁度7年になるし、ゆーみんが行くなら、行ってみたいなと思っているわ。」「わかった。計画立てようね。ところでねぇ・・・」早く話題を変えたかった。母には悟られたくなかったけれど、私は声がつまりそうだった。父の生前、父も母も決して仲の良い夫婦とは言えなかった。けれど、父が亡くなってからの母には驚かされる。傲慢で時に乱暴になる父に対して全く愛情を失い、ただ我慢して一緒にいたのだとばかり思っていた。けれども母の取る行動は、あたかも母がまだ父に尽くしているようなことばかりなのだ。父が一人で出かけたという伊勢に私と一緒に行きたいなんて。私にとっても、ただこの数年行きたいと思っていた伊勢神宮に父が行ったのなら、父への思いも一緒に参拝することになるだろう。私も母もそれぞれの思いを持って訪れることになる。それをきっと父はあっちの世界から見ているかもしれない。 父が好きだった宴会、そして宴会での盛り上げ役。自分が父に似ていると知ったのが、お葬式の後、父の同級生と話している時だった。この時初めて、「ああ、私はパパの血が流れているんだわ」と諦めた。そしてアメリカ時間の24日、私は女友達10人ほどで飲み会に出かける。 父の大好きだった焼酎を飲もう。
Mar 23, 2006
ニューヨークに来る前と来た頃、ジャズにはまっていた時期がある。日本人イコール、ジャズという方程式が巷ではすでに確立していた時代、私はまだジャズを知らなかった。ジャズは年配の人の音楽、自分はヒットチャートに載る音楽が好きと自負していた。今から考えるとその若い考え方に恥ずかしい思いで一杯だが、当時はそれが私の主張だった。そんな私の同僚がアルト・サックスを吹いていた。彼女は幼少の頃からピアノを習い、留学先でアルト・サックスをやっていたのだった。そして彼女の当時ボーイフレンドだった現在のご主人はミュージシャンでベースを弾いていた。もちろん、いくつかの楽器をこなす人だった。その二人が大のジャズ好きだった。テクノというより当時MTVのメインだったマドンナ、ボン・ジョビなどを聞いていた私に彼女が一枚のCDを貸してくれた。それがパット・マシーニーだった。ジャズというよりフュージョン。言葉の無い音楽に戸惑いながらもCDを聞いた。そしてその音楽に引き込まれた。それから彼女に数枚のCDを借りた。コンサートにも行った。そしてその頃から、もっとジャズを聴いてみたいと思うようになった。そして次に彼女が貸してくれたCDがスタン・ゲッツのアルバムだった。それから図書館に行ってはCDを借り、テープにダビングして車の中で聴いていた。ジャズを聴きながら、郊外の丘を見ながら走っていた。 その数年後、ニューヨークに引っ越して来た前後はウェスト・ビレッジにあるジャズ・バーに通っていた。お酒も出ないそのバーは、有名なブルーノートやビレッジ・バンガードと違い無名に近いミュージシャンたちが演奏していたのだと記憶にある。だけど、そこで聴いた演奏は熱かった。お客の頭数数えてその日の売り上げを見ているところと違って、ミュージシャンたちの心意気が違ったのだ。そのパッションを私も感じることができた。ある時は、隣に座って話しかけてきた黒人のお兄さんが、あるセッションからピアノを弾き始めてそのダイナミックさに驚いた事もあった。そんなことを先日ハーレムにジャズを聴きに行った時思い出した。友達がハーレムで歌う友達がいるから、一緒に行こうと誘ってくれた。久々にあの暗い中の生演奏を聴きたいと思っていた時だった。とても興味をそそられたのは、ハーレムのジャズ・バーに行くことは私にとって初体験だったことだ。そしては今、今やハーレムで歌う日本人ジャズ・シンガーと言えばその名を知らない人はいないという霧生ナブ子さんが歌うという。とっても楽しみだった。 1942年から続く老舗のショーマンズは長細いバーカウンターが入り口からステージまで続く細長のスペースの中にある。125丁目で地下鉄を降り立った時からハーレムという空気が漂ってきた。寒い外から一歩足を踏み入れたその場所は別世界だった。薄暗い中にステージが赤色のライトで照らされ、そして観客は黒人と日本人、そして4人組の白人の若者達。黒人達はローカル、日本人はナブ子さんを観に来たのだとすぐにわかった。一晩に3セッションある、最初のセッションの終わり近くに私達は着いた。バースツールに座りウォッカ・トニックを頼んだ。このジャズの雰囲気はシャレたカクテルやワインは似合いそうになかった。ウォッカやジン、ウィスキー、バーボン、そんなお酒がそこに合う気がした。バーに音譜のように並べられた酒のボトルに目をやった。「俺達はみんな知っているぜ」そんな声が聞こえてくるようだった。半世紀も前のではないかと思われる古い白黒の写真が飾られていた。きっとそこから有名になっていたミュージシャン達なのだろう。その写真に収められた笑顔は屈託がなく、どこまでも明るい。そして私が目をやった先の入り口近くのカウンター奥に、黒人独特のお洒落スーツに身を包んだ老年に差し掛かっているだろうと思われる人が座っていた。音楽に合わせてバーカウンターを指で弾いていた。そうかと思えばクラブのマネージャーの中年女性と談話していたり。けれど何か持っている凄い人というオーラを感じ、私は惹きつけられた。彼が何者であるのか知りたくてウズウズした。 友達は写真家でもある。仕事ではなかったけれど、彼女は霧生ナブ子さんを始め、有名なトランペッターのジェームズ・ゾラーが共演とあって忙しく写真を撮っていた。その彼女に、「ねぇ、あのオジサンなんか凄い人みたいだし、写真撮って貰えないかしら?」私はそうお願いしてみた。ちょうど最初のセッションが終わりナブ子さんはステージから降りてきた。挨拶を済ませてしばらくすると、友達が私を呼んだ。あの何者かわからないおじさんはそこ、ショーマンズの常連オルガンプレーヤーなのだと教えてくれた。そして彼がステージ近くに歩いて来たとき、一緒に写真を撮って貰った。次のセッションが始まる時、そのオジサンがステージに上がり飛び入り演奏するのだと知った。気分屋で飛び入りすることは殆どないのに、その夜はとっても機嫌が良いのだとも聞いた。そして演奏が始まった。ダンディーな帽子をかぶり、カッコよくバーカウンターに座っていたオジサンはもうそこにはいなかった。神懸かったと言っても過言ではない程、オルガンはそれまでとは全く違う音を奏で始めた。音符が空気の中で自由に飛びまわっていた。それはスキップしているようでもあるし、ジャンプしているようでもあった。とにかくそのオジサンは最高に輝いていた。King of Harlem Soul (ハーレム魂のキング)と呼ばれているのだと後で知った。 私は今まで天才と思ったピアニストが一人いる。彼女もハーレム在住している年配のミュージシャンで盲目。作曲も手がけ、最近では日本にツアーにも行っている。その彼女のプレーを始めて見た時、天才とはこういう人のことを言うんだと初めて感じた。その彼女を思い出させるような演奏を終えたオジサンに彼女を知っているか尋ねてみた。やはり知り合いだった。ステージはまたナブ子さんのライブに戻った。彼女は小柄ながらにハスキーな声でとても素敵だった。トランペットのジェームズ・ゾラーは彼女の旦那さんであり、デューク・エリントン・オーケストラ出身でマドンナのビデオに出演したことのある売れっ子トランペッターなのだと友達が教えてくれた。トランペットを難しい数式を解くような表情で演奏する。そして彼のオーラも一際目だっていた。トランペットの先にいろいろな道具を使用して音を変えたり、とても楽しませてもらった。 久しぶりのジャズに酔いしれ、輝く人たちに出会い、夜も更けているというのに私は上機嫌だった。そしてナブ子さんと私は数年前、私がスタンド・アップ・コメディをやっていた時、同じショウケースに出演していたことがわかり、彼女は私のことを覚えていてくれた。これもご縁だったのだなぁとつくづく思う。 帰宅に向かうタクシーの中で私はいつまでもジャズに、その晩に酔いしれていた。
Mar 16, 2006
3月15日。私の人生の第二の誕生日。出発点。 十数年前の今日、日本での教育を終えた。卒業式だった。担任だった英語科の教授は卒業式を英語でCommecementと言い、その意味は始まりだと最後の日まで教えてくれた。卒業キャップは深くかぶるもの。得た知識をひけらかすものではない、と髪型が可愛く見えるようにかぶっていたクラス全員に被り直させた。校内チャペルで行われた卒業式の後に仲の良いグループで記念写真を撮った。その写真一枚だけ持って、ちょうど半年後に私は渡米した。 入学式の時から「私は卒業したら留学するの」と言っていた私。短大2年間は日本で過ごした最高の充実した時間だったと言っても過言ではない。常に何かを求めて活動し、そして思春期の恋心をいつも持っていた。そういうところは今でもあまり変りはないかもしれない。松任谷由実が『卒業写真』で【あなたは、わたしの青春そのもの】と歌うけれど、その時代こそがまさに私の青春だった。だから毎年、3月15日をまるで誕生日のような心地で迎える。今日もそんな気分でいる。 あれから月日は流れ、あと数年すると人生の半分をアメリカで過ごす事になるのに、私の原点はあの日にあるような気がする。英語科なのに、英語ではなくもっと自分の国のことを知らなければダメだと日本に目を向けさせてくれた担任だった教授。留学一年目に励ましの手紙を頂き、帰国時には訪ねて行ったけれど、その後すぐにガンで亡くなったと知らされた時は本当にショックだった。まだバリバリの現役、若かった。「ガンバレ!」と叱られるように励ましてくれた教授の声は今でも私の中で響いている。 未来に希望を持ってワクワクしていたあの頃。 今、その未来に私がいる。
Mar 15, 2006

今日のお気に入りの一枚"LIFE TAKES INSPIRATION" ビルの壁一面に書かれた広告
Mar 11, 2006
最近残業が続いて心身共に疲れていたけれど、やっと今週からは普通の生活に戻った。と同時に落ち込んでいた私の気分も晴れてきた。原因は仕事や会社にあったわけじゃないけれど、心も体も疲れていると、どうしても否定的に考えがちになる。でもきっとこれは私だけじゃないはず。体が悲鳴をあげて「休んで欲しい」と叫ぶ時、私達は病気になる。内なる声を聞かないで無理すると、結局返ってくるところは自分。それから人生における脱皮前にも病気になったりする。高熱で汗をかいたりしながら、体の中の溜まっていた不必要になったモノを出す手段が病気なのかもしれない。 それにしても、気持ちが凹んで毎日を生きるのっていうのは辛い。笑顔を作ってみても、心から笑っていなかったり、繕った自分が嫌に思って心の葛藤があったり。そして誰にも打明けられない悩みをどんどん抱えていくと、自棄になって爆発しそうになる。そういうことをきっと誰もが一度は経験したことがあるんじゃないかな。 昨晩、親友が心の中で葛藤していたものを私に打明けてくれた。彼女の話に耳を傾けていると、どれだけ彼女が傷ついて悲しんでもがいているかが私にも伝わって来た。私にも似たような経験があるから、彼女の心の内は本当によくわかった。でもまだ彼女には伝えていない事だった。だから、彼女の一通りの話を聞いた後に「実は・・」って私の秘密の話を彼女にすると、みるみる涙を浮かべてハグしてくれた。自分の立場を一瞬にして忘れて、私を気遣ってくれる彼女の優しさ、そして愛情とも言える友情。思わず私まで涙して、夜道を無言のまま二人でぎゅーっとハグしたままだった。「シュリンク(精神科医)に行ってカウンセリング受けなくっちゃ」と言う彼女に、「私なら時間チャージのないタダよ。いつでも相談に乗るし、話を聞くね。」と言うと、「どうやってゆーみん無しで生きていけるかしら・・」と最高の誉め言葉を言ってくれた。私も彼女無しの生活は・・まだ考えた事がない。とっても頑張り屋さんの彼女。だけど頑張り屋さんは必要以上に肩に重荷を乗せてしまう。そして自分を責めてしまいがち。だから別れる前にこう言った。「今、一番しなくちゃいけない大切なことはね、自分を許してあげることよ。」するとまた瞬く間に目に涙をいっぱいに貯めて、その涙をポロポロ溢しながら顔をくしゃくしゃにしていた。 人生いろいろ。山あり谷あり。楽しい事も辛い事もいっぱい。だから人生は楽しい。楽しい時はどんな人も周りにいるけれど、本当に辛い時、その胸のうちを打ちけられる友達、親、先輩、後輩、ボーイフレンド・ガールフレンド、夫、妻・・がいるのなら、それだけで幸せ。そしてその人たちがいるから、どん底に落ちてもまた這い上がってくる勇気が沸いていくんだよね。まずは気持ちを切り替えて、前向いて歩き続ける事が大事なんだよね。そう、自分に言い聞かせている。
Mar 10, 2006
夢。子供の頃はバレリーナになりたかった。同級生の友達はスチュワーデスとか警察官と言っていた。大人になるうちに、夢はひとつだけじゃなくて、小さな夢もデッカイ夢も持つようになった。こうして今アメリカに住んでいるのも夢が現実となって形に表れた証。出版社で働きたかったことも、傘下だったけれどもディズニーで働くことも出来た。実は願っていることが叶っている。そして今日、もうひとつの夢が叶った。ヤンキースのシーズン・チケットホルダーになること!!ゲーム数の一番少ない8試合、それも一番安い$80ドルのチケット。座席はスタジアムの高い、高い、一番上に近い席だけど、試合は良く見える1塁側。ボストン戦もマリナーズ戦もちゃんと入っている。嬉しくて、嬉しくて、思わず叫びたいくらい!イエーーーーイ!!あとは・・・今年、ヤンキースがワールドシリーズで優勝すること!それが私だけじゃなくてファン、チームの夢。Boys、お願いだから皆の夢叶えてね!でも本当に嬉しい~!!
Mar 8, 2006
久しぶりのバトンです。最近、お友達になった Hikari in Whiteさんから回ってきたバトンです。【Q1.自分を色に例えると?】トルコ石色のブルー 私がステージに立つ時着る服はこの色 振袖もこの色だったな~ 【Q2.自分を動物に例えると?】カメレオン 【Q3. 自分を好きなキャラクターに例えると?】ピカチュウ そういえば、もう無くなっちゃったけど、ロックフェラーセンターのところにあったポケモンストアがオープンした時、着ぐるみの仕事しました~ 【Q4. 自分を食べ物に例えると?】山椒 【Q5.自分を歴史上の名の知られた人物に例えると?】占いによると、絶世の美女といわれた、平安時代前期の女流詩人 【小野小町】 皆の愛を受けて生きるマスコット ■男性に「守ってあげたい」と思わせてしまう女性です。あどけなくておっとり、ちょっと意味深なつぶらな瞳がナイスです。その頼りなさと愛くるしさが、男の父性本能をくすぐります。小野小町は、恋の悩みと美貌の衰えを嘆く歌を数多く詠みました。その和歌は王朝女流文学の出発点となりました。あなたは相手を傷つけるのが恐くて、本当のことが言えません。正直な気持ちをうまく伝えられないのが悩みです。 (おいおい、恋の悩みと美貌の衰えを嘆くのかい?はぁ・・ 笑) ■頭脳・知識 かなりひとりよがりのところがある。好きな人ができたら頭の中は彼のことでいっぱい。気がついたら半ストーカーってことも。独占欲が強いが、ホントは自分が独占されたいほう。 (はい、全くその通り。当たってます 笑) ■センス さみしがり屋で甘えん坊。言葉使いもしぐさも子どもっぽいけど、それがウリだから大切にしている。心はいつも自分をかまってくれる誰かを求めている。 (そう、かまってくれる人募集中!) ■感情 喜怒哀楽はわりとストレート。彼の愛情を確かめたい衝動が抑えられず、電話で「好き?」と何度も聞くし、相手にも強制する。およそガマンとは無縁なところで生きているが、下心はない。 (下心あるにきまってます!三十路過ぎた女ですから 笑) ■外見・言葉 健康や食べ物には自分なりのこだわりがある。食品は添加物の表示を細かくチェックし、少々お高くても迷わず無農薬野菜を選ぶ自然派志向。健康と美容が心の安定材料になっている。 (う~ん、言葉の説明が無いじゃん・・・) ■行動 彼の行動が気になって四六時中、携帯に電話する。出ないと「浮気かも」と勘繰ってしまう。純粋で素直なので、人の意見に左右されがちだが、自分一人で決めるより安心。買い物はいつも友達と一緒。 (浮気かも?と勘繰る傾向はあるなぁ。でも買い物嫌い 笑) 【Q6.自分を神仏(天使)に例えると?】普通の子供の姿した天使【Q7.自分を芸能人に例えると?】ベット・ミドラー。でもシャーリー・マクレーンのようになりたい!!【Q8.自分を花に例えると?】ひまわり。最近はデイジーもいいかなと。【Q9.自分を日用品に例えると?】家電品 - 一家に一台あるといいよ(爆)【Q10.自分を世界の民族に例えると?】ネイティブアメリカン ナバホ・Zuni族 【Q11. 次に回す5人を色に例えると?】受けてくれる方、どうぞ持って行って下さい!結構難しかった~(笑)
Mar 7, 2006

数年前、一緒にオリジナルのお芝居を作って上演しようと一緒にやっていた友達の一人が来月結婚する。3年前に仲間の一人がカリフォルニアに引っ越したことで中断してしまったけれど、その当時私たちが作ろうとしていたお芝居のテーマは恋愛、それも白人、黒人、アジア人の三人が自分の人種じゃない人を選んで恋愛をしている自分たちの経験を劇化しようというものだった。 ブレーンストーミングの時に何故違う人種のオトコを探しているのか、付き合うのか、そんな事を話し合いながら劇中の主人公たちの性格分析や心理学を討論しあっていた。彼女は白人だけれど、当時はアジア系アメリカ人と付き合っていた。女優だけでなく、ダンサーでもある彼女は振り付けや演出までもやってしまう才能のある人。一人芝居を全部一人の手で上演していた経歴もある人だ。だけど、恋愛に関してはさっぱり上手く行っていなかった。彼女だけじゃなく、私やもう一人の仲間も同じだった。 その彼女が一昨年前にネット出会い系サイトに登録して、約40人とコーヒーデートをしたという。彼女は私に今やデートのバイブルとも呼ばれるようになった『The Rules』を読めとしきりに勧めていた。木曜日にデートしたら土曜日に誘われてもOKしない、とか、デートしたあと3日は連絡を取るな、とか、デートに誘われても即席返事をするな、とかそんなことが書いてあるらしい。恋愛ゲームの好きでない私は未だに読んでいないし読む気もしない。けれどもこのルール通りに行動すると、オトコが追っかけて来るのだという。そしてデート絶頂の中、彼女が出会ったのが婚約者なのだという。知り合ってまだ11ヶ月。5ヵ月後には既に婚約していた。 彼女は言っていた。40人とデートしていくうちに自分の中で相手に求めるものが変わったのだ。それを認識したとき、それを持ち合わせた彼に出会った、と。久しぶりに会う彼女は、初めてと言っていいぐらい幸せのエネルギーに満ち溢れていた。そんな彼女をルームメイトが企画して独身最後を祝うバチェラレット・パーティーに連れ出した。 バチャラー・パーティはオトコ同士が集まって、ストリップクラブに行ったり、バーを飲み歩いたり、あるいはスポーツ観戦に行ったりゴルフしたりするのだけれども、オンナ版もオトコのストリップを見に行くというのが定着している。そして花嫁になる女の子は花嫁のベールを一晩中かぶって騒ぎ、独身生活に別れを告げる。彼女のベールには味付きコンドーム数個と小さいぺ○スのフラッシュ(電池でピカピカ光る)が数個ついていた。ルームメイトの考案らしい。彼女には行く場所を告げずにクラブに連れて行った。 地下の暗い中に赤系ランプが数個灯り、そこには既にラウンジ一杯に女の子たちが陣取って座っていた。数人が私の友達と同じように花嫁のベールを付けていた。中には赤いピカピカライトが付いたティアラをかぶっていた子もいる。ショーの始まる前にドリンクを聞きに来たウェイターも体にぴっちりしたタンクトップでオーダーを取っていた。その異様な雰囲気に私はちょっと引き気味だった。 大学時代や就職したての頃は興味本位で何度か足を運んだことのあるオトコのストリップ。誰かの誕生日に家に来てもらったこともある。だけど、それは随分前の話。その昔、チップ・アンド・デールというとこが一世風靡してカレンダーなどの商品も売れたクラブがあった。そこで踊っていたことがあるという人と付き合ったことがあるので、オトコストリップをする内部事情などを少し教えて貰ったのだけれども、彼らはその肉体とは裏腹に結構隠れゲイも多いらしい。それにこの年になって、キャーキャー言うほどのモノでは無くなっていた。だけど、周りの20代前半の女の子たちは奇声をあげていた。 ショウが始まり、ステージもなく狭いスペースに4-5人のストリッパーたちが躍り出て、音楽に合わせながらその肉体を露にしていった。きっとジムで何時間もワークアウトして、プロテインシェイク飲んだりしているんだろうな、なんてことが私の頭の中を過ぎった。自分でもなんてバカなこと考えていると思わず苦笑い。そのうち、パーティー主役の女の子たちが呼ばれ、ファニーマニー(Funny Money)と呼ばれるお金をジーパンや、洋服に挟み込み座らされた。そこへストリッパーがやってきて、一人ひとりとまるでエッチするかのような動作でそのお金を虫捕り、さらにイヤラしいパフォーマンスへと展開していった。 私の友達は元ダンサーでもあり、また3ヶ月ほど自分もストリッパーだったことがあるので、その辺りの対応は素人とは全く違った。3人座らされた真ん中にいたのだけれども、両隣の若い2人と比べてストリッパーまで煽ってしまうようなパフォーマンスに展開していった。それを見た観客の女の子たちは最大の奇声をあげ続けていた。見ている私は一緒のグループの女の子と大声で笑っていた。 そんなことが続いたのだけれども、このクラブでは踊りらしい踊りをあまり見せなかった。ダンサーというよりも、エッチな動きを披露したり、女の子を連れ出して、やってる風なものばかりだった。元ロシア領だった国出身のグループの女の子は、そのイヤラシい踊りだけに飽きていたようで、早く帰りたいとしきりに呟いていた。踊りと踊りの間はストリッパーたちが観客の間を歩き回り、そこでもまた同じことが展開されていた。私もうんざりしていたのだけれども、ある黒人のドレッドヘアーを腰まで伸ばしたストリッパーが来た時、友達と踊り始めた。彼女はそれに乗って体を動かし楽しんでいたのだけれども、そのうち彼女が彼にその長い髪を使った振り付けを指導し始めていた。 【ストリップクラブに来て、お客がストリッパーに踊りのアドバイスをする。】 もう可笑しくて仕方がなかった。友達は、 「どんなショウを見ても、どうしても演出家として見ちゃうのよ。」 と笑っていたけれど、 「ここのショウは踊りを全然見せないよね。あなたが振り付けしてあげれば?」 なんてジョークも言っていたほど。 ハダカのオトコはもう御免、となってクラブを出たけれど、彼女はバチャラレット・パーティーを楽しんだようだった。それよりも、本当に今幸せで幸せでたまらないというオーラでキラキラしていた。私も数年前のことを思い出しながら、祝福の言葉を何度も伝えて彼女たちと別れた。タクシーでアパートの前に降り立ち道を隔てたところにあるブライダルショップに目をやった。ショウウィンドーが新しいデコレーションに変わっていた。 私も早く、純白のドレス着たいな・・・ ふと立ち止まり、ぼんやりしているところを冷たい夜気の風が通り抜けた。我に返り、急いで我が家のアパートに駆け込んだ。次はわたし、と思いながら。
Mar 3, 2006
2月28日の新月に併せて、かねてから「やる!」と言っていたネットのデートサービスに登録した。 私がお兄ちゃんと慕う男性がいるのだけれど、彼は2年前に登録し、そこで出会った女性と交際が続いている。年齢も年齢なので、最初っから「結婚」ということはお互いに意識はしていたらしい。けれど、慎重派の彼はようやく独身貴族にさよならする覚悟が出来たようで、まだ婚約はしていなけれど、一緒に家を探し始めたという。この2年間、私にも登録するよう会う度に口すっぱく言われていた。けれど彼より若い私は、 「まだまだ大丈夫。きっとロマンチックな出会いがあるから。」そう笑って答え続けていた。自称ロマンチックの私は心のどこかで映画のような劇的な出会いを期待していたのかもしれない。それは映画に出てくる場所に毎日身を置いているからかもしれない。なのに私の生活は、会社とジムと家の往復だけの引篭もりがちになって行っていた。だから出会いらしい出会いは無かった。いや、出会っていてもピピっと来る人との出会いが無かった。年を取ると子供の頃のような感動や刺激が少なくなると最近テレビで見たけれど、私の生活は正にそうだったのかもしれない。 今年こそ!という意気込みがあり、遂に登録に至った。そしてその日を新月の日にしようと決めた。願い事がある時には、新月にお願いすると月が満ちていくと同時にそのお願いが叶うという。それに便乗しようと思ったのだ。 登録したサイトは入会がちょっと高めだけれども、性格判断・分析から本当に合った人を探し出せるというのを謳い文句に有名になったところ。それだけに真剣に相手探しをしている人がいるのではないかというのと、他のサイトと比べても、《オレ、カッコよくて、体もフィット。色目使いが好きで、ホットなオンナが好き・・》みたいなプロフィールの人もいない。さすが、アメリカ人。自分の宣伝はとっても上手い。だけど実際に会ってみると「えっ?」と思う事も多い。でもそのぐらいの心意気ぐらいないと恋愛ゲットバトルはサバイブ出来ないのかもしれない。 さて、登録には小一時間掛かって自分のこと、相手に求めることなどの質問項目に答えていく。ブログで○○バトンなるものが流行って私も幾つか受けたけれど、なんとなく似ているような気がした。全ての質問に正直に答えた後、私に合う人がいるか割り出された。自分の住む場所からどの範囲までだったら良いか、人種、宗教、年齢などを指定して割り出された結果・・・ゼロ。【あなたに合う人はまだいません。でも毎日何千という人が登録します。あなたにピッタリの人が現れたら、こちらからメールでお知らせします。】との表示が出た時には発狂しそうになった。別に望みが高いわけでもない、と私は思っている。だから住む範囲と年齢制限の設定を変えてみた。すると5-6人のマッチする人が現れた。ニューヨーク近郊に住む人が多かった。かと言ってすぐ会う訳ではない。その先、同じ様に設定された質問事項に答え、こちらからも質問をしたり、実際にコミュニケーションをとるまでに幾重もの篩いにかけるのだ。その間に自分と合わないと思うと、その相手を切っていく手続きを取る。写真の無かった私は、それだで切られてしまったケースも既にあった。一日、二日と経っていくと、マッチする人が少しずつ増えて行った。だけど、それはサイトが勝手に選びだした人たち。また違う人には「デートするのをやめてる」という理由で断られもした。へ?出会い系サイトに登録して、デートの相手を探しているんじゃないの?なのにデートを辞めてる?けしからん!!と怒ったところでそれは縁が無かったということ。そんなことを考えていてふと思い浮かんだのが日本のお見合いのこと。制度としては、いいモノなんじゃないかと改めて思った。残念ながら、アメリカに住んでいると言う事もあって両親にお見合い経験してみたいと言った時に怒られた。私としては、テレビで見るように、いつもはお転婆な私でも振袖でも着て・・なんて体験してみたかった。だけど、結婚するつもりも無く、ましてや日本に住む気の無い私がお見合いするなんて相手に失礼だといつも他の人のお世話をしていた母に叱られてしまった。今もちょっぴり残念と思っている。 ところでこの登録は、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年と選ぶ事が出来る。私は6ヶ月を選んだ。それで出会いがなければ、もう天に任すしかないと思うから。けれど、値段は決して安いわけではなく、最近よく来るヤンキースシーズンチケット販売のメールを見ると、その登録料だといい席のチケットが買えることが判明。出会いとヤンキース観戦を天秤にかけてしまった。これで出会いが無いと、きっと悔しい思いをするだろう。悔しいのは出会いでは無くて、ヤンキースの試合に。親友からは、ヤンキースファンじゃなきゃダメとかゴルファーじゃなきゃダメって絶対書いちゃダメよ、と念を押されている。いろんな条件のある人がいると思うけど、やっぱりこの二つは私にとっては重要ポイント、二人の接点になるんじゃないかと思うのだけれど。この先、6ヶ月。どうなるか、楽しみ!
Mar 2, 2006
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