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なかなかすごい映画でした。結局男なんて女を欲望の対象としか思ってないのよねえっと、まあ、そういう感想で終わらせてもいいっちゃいいんだけどね。 男性の欲望を満たすための玩具としての空気人形。その人形がある日、心を持ってしまう。主である男のいない間に人形は外に飛び出し、いろんなことを経験し見聞きし、ひととかかわりっていく。はじめは女もできないしょうがない男だから、人形を相手に暮らしている寂しい男なんだと思っていた。けれど、話を見ていくうちにどうやら結婚して子供もいながら、妻や子供や家族と関わることの煩わしさがいやでわかれてしまって、そして、ひとりで暮らしいているらしい。心も意志もなく、自分の好き勝手にできる人形のほうがいいらしい。そして、主人公(人形だけどね)が知りあう優しい男性順一もまた、人形の体の中を自分の息で満たそうとする。それは、彼女自身は望まないことかもしれないのに。優しそうな彼もまた、やっぱり彼女を支配しようとする。人は人を支配するのが好きなのか。自分のいいなりになる相手が欲しいだけなのだろうか。男が女を支配する。そのまた逆に夫を支配する妻もまたいるものだし、女の集団というものは、ボスとそれに素直に従う手下のような女性たちによって出来上がっているものだし。そんな集団はボスに逆らった途端に弾かれる。素直に従っている間はとっても楽なんだろうけれどね。人形が心を持ったことにきづいたとたんに男はあたらしい心をもたない人形をまた、買ってきてしまう。「そんなのはいやなんだ。わずらわしいんだよ。」自分の意のままになる相手がほしいだけ。そんな彼もまた、職場では人に支配され、言うがままに動くしかない。他人の意志のままに生きていればそれはとても楽なことだけれど、でも、人間は心と意志をもっているものだし。心を持った主人公の人形は、男のもとを出ていくしかなくなる。順一のもとにやってきたけれど、順一もまた、彼女を支配しようとする。彼に支配されるのと同じように、彼女もまた、彼を支配しようとしたとき、順一もまた人形になってしまうとも言える。順一も自分と同じ空気人形だと、誤解した彼女は、順一の体を傷つけて、空気を抜いて、彼が彼女にしたように、彼の中にも自分の息を入れようとする。でも、順一は人間だから、さされて血を流し、死んでしまう。人を支配することなんて、所詮できない。そして、他人に支配されることをきらい、自分の心と意志とを持ったとき、人は、(人形もね)孤独と向きあわなければならなくなる。「つらいことだけじゃなくて、いいことも、ありましたか。綺麗なものを見ることはできましたか。」彼女を作った人形師が聞く。「ええ、すこしだけ。」孤独の寂しさも、辛さも、それでもなお、生きていくことも。支配されることも、支配する事もなく、心をもって生きていることの中で、美しくて、素敵なものに出会えたのならば、それはそれで、人形にとっても、人にとっても、いきたかいも、生まれたかいも、あったかもしれない。人形役のペ・ドゥナさんの演技がなんとも、絶妙で、人形からだんだん心と意志をもった存在へと変わっていくその変化をとてもこまやかにかわいらしく、演じてくれていて、彼女の演技あってこその映画だなあと、思いました。かわいかったです。そして、こんなにかわいいのに、こんな壮絶な役どころを無理なく演じていて、感服しちゃいました。・空気人形@ぴあ映画生活
2010年05月27日
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大賞をとるほどの作品が、なぜ日本公開されなかったのだろう。そして、上映館もとても限られていて、観客もすこぶるすくなかった。戦地での爆弾処理班の活動と主人公の心の変遷を追いかけていく、ハードで、地味で、でも嘘くさい派手さのない映画は、それなりに面白かったと、思う。戦場で、生き残るのと、普通の日常の社会の中で生き抜いていくのと、いったい、どっちが大変なんだろうかと、ふと、考えてしまった。普通であれば、戦場の方が過酷であろうと、誰もが思う。実際私も、戦場なんて、行きたくないし。でも、けれど、実際のところ、平和であるはずの普通の社会の中であっても、生き延びて、生き続けていかなければならないのは、それはそれで、それなりに、結構過酷でしんどいことだ。と、思う。実際そのハードさに、自殺する人々も何人もいるじゃないか。ラスト近くになって、主人公は、爆弾処理班として、イラクの地での過酷な任務を終えたあと、平和な本国に戻ってくる。休日のスーパーでの買い物。何気ない平和でのどかな日常。けれど、その巨大スーパーの中で、フロアの端から端まで並ぶ、シリアルを見たとき、主人公はどれを選んでいいのか戸惑う。物の溢れる巨大スーパーの中で、欲しいものも見つけられない。大きなカートのなかには、一つか二つしか入っていない。すべてが平和で自分の意志で選びとって生きていける、いや、生きていかなければならない、平和な生活は、あるいは、戦場以上に過酷なんだろうか。戦地にいれば、すべての食料も、住まいも、衣服も、仕事も、すべて、軍から与えられる。そこに、選択肢も、迷いも、戸惑いも、ない。ただ、死への不安だけがあるだけ。任務を終えて、本国に戻った主人公は、ラスト、結局また、戦地にと戻ってしまう。常に死と隣り合わせで、生き残ることに必死のハズの戦場が、主人公にとっては、平和な本国よりずっと、生きていくのが楽なところだったのだろうか。平和で豊かな今の現代社会。それでいながら、その選択肢の多さと、本当はとても、過酷で、仕事につけなければ、いつ路頭に迷い、住まいも金も食べ物もなくなって、生き続けることができなくなってしまうかもしれない過酷さは、普段はなかなか見えなくて、気づかないけれど、とてもとても、きつくて、 きびしいところだったりする。タイトルのハートロッカーは、ココロが壊れた人ってことらしい。せっかく平和な本国にもどってきたのに、戦場のスリリングさが忘れられなくて、結局また、戦地に戻ってしまう人たちがいるらしい。平和な社会に暮らす私たちからみれば、スリリングで人殺しの当たり前な戦場の方がいいなんて、壊れてると、思うけれど。では、彼らの心の中には、何があるんだろう。ちょっと前に話題になった映画「父親たちの星条旗」でも、メインキャラクター3人のうちのひとりは、本国での暮らしの辛さにもう一度戦地もどってしまった。そんな部分があった。かれは、戦地の快楽をもとめたのではなく、苦境の中で仲間同士助け合っていく温かさの方が、平和でありながら、他人を見下し厳しくせめぎあっていきていかなければならない、本国の暮らしよりずっとずっと生きやすかったのだろう。戦地から本国に戻って、また、戦地にと戻ってしまう兵士たちの、心のなかには、何があるんだろう。彼らの心を破壊したのは、戦場の快楽なのか、それとも、平和でありながら実はとても過酷な人々のどよめく本国の普通の暮らしの中なのだろうか。。
2010年05月14日
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