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「スクラップ・ティーチャー」日本テレビ 土曜21時~エンターティメントと教育批判を混ぜ込んだ学園モノドラマは昔からあります。熱血教師やダメ教師にその時代を象徴するような生徒像をキャスティングし、その時代のトピックを盛り込んでいくというのが一般的な手法でしょうか。少しずつ特徴を加え、変化を持たせながら、新しい学園ドラマが繰り返し登場するわけです。この番組の特徴のひとつは「教師再生」のようです。たいていの場合、学園ドラマには教師に対する批判的要素が盛り込まれています。「あるあるタイプ」の教師を誇張することによって、視聴者の共感が得られるのでしょう。現場にいるものとしては、よく観察しているなあと感心する描写もあれば、そんなのそんなにいねーよと、突っ込みたくなる設定もあります。自分自身にも当てはまっている場合もあり、反省させられることもあります。八嶋氏演じる学年主任の「現実主義」的言動に自分がかぶっている部分を感じることもあり、ああ、自分もまずいなあと思う場面もありました。ある種の教師を擁護しているような表現もあり、ああ、TVも少しは変わってきている、分かってきていると感じる場面も多いです。どんな出来の学園ドラマであっても、学ぶものはあります。教師として。それにしても、どうなのかなと、思ってしまいます。一般市民として。番組名からして、「スクラップ・ティーチャー」と言われてしまうほど、 教師は「屑」なのでしょうか。私は自分を屑のような糟のような人間だと思っていますし、実際、「屑」教師もいるんだろうし、「屑」学校もあるかもしれません。それにしても、「屑」ですか。大企業、一大マスメディアである日本テレビがゴールデンで教師を「屑」呼ばわりするという社会に未来はあるのでしょうか?ドラマの筋や会話の流れの中で、「屑」という言葉が出てきているわけではありません。教師再生と銘打ったうえで、番組名に「屑」を掲げているのです。上から目線のジャニタレに「屑」を再生してもらわなくてはならないのでしょうか。ジャニタレは「ボートで寝込んで海に流された教師の位置を正確に推測し助けることができる」ほど万能です。次々にカッコよく「屑」教師を再生・矯正していってくれます。こんな生徒・教師・学校の姿を見ていれば、子供たちには「無責任な批判力」と「万能感」が身につくことでしょう。番組の中の学校は落書き、ごみ、はがれかけた掲示物と、普通であれば学校崩壊の状態であるのに、先生の話をしんとして聞くことができます。ありえないドラマとしてのご都合主義の描写。そして、子供に見せたくない描写。 只今第3回が終わったところです。3回とも、中学生が拳で殴られるシーンがありました。2回目には、教師がボコボコ、拳で殴られるだけではなく、腹部に膝蹴りを食らいます。私の先輩は拳で殴られ、網膜はく離、視力を失いました。私の友人は膝蹴りで頭蓋骨陥没、生死をさまよい手術を受けました。こんなシーンをあちこちで放映すれば、あちこちでそれを見て育つ子供には「人を損なうことがどれくらい簡単にできてしまうのか」が、分からなくなってしまいます。私たちの感覚は麻痺状態になってしまっているように思えます。最近立て続けにあったの自動車による人身事故もそれを物語っているのでは?簡単に人を「屑」呼ばわりする。これでいいのか、日本テレビ。
Oct 26, 2008
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私たち大人が子育て、教育をしていくにあたって、陥りやすいのが、「なんとなく、これでいいのかなと思ってしまう」というパターンです。よく考えた末の結論としてやっているのではなく、「ぼんやりとした、根拠のない確信」に流されてしまった教育です。私が教室で、家庭でやっていることも実にそういうことが多いと思います。まあ、「確信に満ちた教育」も怖いですけど・・・これについては書き始めると長いので、いつかまた詳しく書いていきたいと思っています。さて、今回は、「なんとなく見てしまう、見せてしまうテレビ」についてです。私は本当はものすごくテレビ好きです。小さい頃はテレビを見たくて学校から走って帰っていたほどです。3時くらいから始まる「細腕繁盛記」に間に合うように必死でした(笑)。大きくなってからは自制するようにはしているものの、時々昔の癖が出て、すぐにテレビをつけてしまう状態になってしまうこともあります。テレビ制作側は、ボーっとして過ごすのに適した番組作り、そしてそれを長々・繰り返し見てしまう番組作りに極めて多くの力を注いでいるのだと思います。人をテレビの前に少しでも長い時間惹きつけるように(=視聴率が稼げるように)番組は作られているのです。そうすると、番組制作上のモラルもなくなってきます。今まで書いてきたようなTV局の暴走は必然的に起こってきます。そのモラルのなくなったテレビを、「なんとなく」「知らず知らずのうちに」私たちは見続けさせられています。モラルのない会社の汚染米を知らず知らずのうちに食べされられていたのとよく似た仕組みです。売れればいいのです。まあ、面白いから。まあ、そこそこ生活や勉強の役に立つから。まあ、テレビを見ていたら人との話題に乗れるから。(見ないと話題に乗れないから)まあ、テレビを見ていたら子供は黙っているから。→その間に大人の時間を作ることができるから。その程度の理由でなんとなく見ている番組がほとんどで、本当に見るべき番組、見なければならない番組がそれほどあるとは思えません。クラスの子供たちに聞くと、一日中テレビがついている家庭が1割程度、1日3時間以上見ているとか言う子供が2割程度(本当かな?調子に乗って手を挙げているのかな?ちょっと考えられないほど多いです)います。私は保護者懇談会でこのように言っています。「機械(テレビやゲーム)に子育てをさせていては、人間の心は育ちません。ボーっとしていたほうがまだましです。子供は暇でもいいのです。その暇のうち、15分を親が何か一緒にしてあげれば十分です。おしゃべりだけでもいいのです・・・」
Oct 11, 2008
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