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僕は夜とか深夜人のいない時間帯に歩くのが好きで、それでカラダの会話しているという感じなんですが最近、地球の中心(地芯)をカラダと一緒に別々の存在として意識してやるといい感じだなぁと思ってて、それだけではダラケタ感じになるので頭の位置というか(天芯)も重要何だけどなんかこう、とっかかりはそれでいいんだけど、なんかもっとそれではもっと奥にはいけない感じがしていてカラダが自分と全く別の存在なら、カラダを意識して動かすのじゃなく、同調してみようと思って、全く別人として扱い、心臓の鼓動、血管の拡張感に同調する感じにしたんですよね自分の意識が届かなくて完全にカラダの部分ってそこだけだと思ったんで(風呂上りとか判りやすいと思うんですけど)そのうち、こう、自分の奥の方にあった柔らかな部分が顕在化してきて、なんかちょっと心が現れたような気がして、優しい気持ちになってちょっと感動してたんですねこれが自分だというような感じで凄く感傷的な気分でこの弱い部分をさらけ出したかったんだな、別に誰かじゃなくてまず自分自身に気づいてほしかったんだな、というより、自分で気づければそれでいいというか、誰かに表現しわかってもらう必要の無い「聖域」という感じでカラダ的にいえば、常に変化流動している生命活動を意識にあげることができた感じかななんかそこの部分は常に外圧をいうか、「外の環境」に抑えられてて、僕らが「外」の都合でいつもカラダを操作していて、ないがしろにされていた部分だと思うんんですよそれは部位でいえば体幹部の生命活動を司っている毛細血管みたいなそんなあいまいな部分でしか今は表現できないんですけど、腕を動かすときに腕そのものを動かす人が普通の人で、体幹部から動かすのが身体意識の高い人、それよりもっと奥の生命活動を司る部分それは自分の意識が届かない世界、「カラダが勝手に」の世界ちょっとこれが僕の今の限界みたいなので言いたいことを簡単に言うとカラダの奥に眠っているのは柔らかくて、弱いから外の環境によって、すぐに変化する優しい部分それを社会活動と直結させるのが僕ら意識側の役目なんじゃないかと思いました。
2007年02月19日
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まあこの話で僕が伝えたいことは、みんな違った世界で生きているということで、それは何というか概念的にそうだということではなくて、全くもって物理的(?)にというかとにかく徹頭徹尾そうだということでその「脳と心の洗い方」という本に「仮想化現実」という言葉が出てきまして、「冬ソナロケツアー」というのがあったじゃないですか、ドラマに夢中になった中高年のお嬢方がこぞって行っていたとされるツアー。きっと何にも知らない人からすると何も面白くないと思うんですよ、チラッと見たけど何にも無いところじゃなですか、多分それでもそこに行けばそのお嬢様方の脳内はヨン様が優しく微笑んでいる世界にいけるわけだすよ、つまりその物理的現実自体にもう物理以上の脳で意味づけされているから、そういう幸福感を味わえるわけですよこれは捨てられない彼との思い出の品とか、あの娘の縦笛とか、ブルセラで売っている女子高生のパンティー(笑)との対象が「今そこにある世界」に変わっただけということででその本に紹介されているのは、極端な言い方をすれば「今自分の五感で感じていること全て」をそういうもの幸福感を感じることで意味づけしようということで僕は今までこういう感じの本を読んでも、それは自分で自分を騙しているだけだと毛嫌いしていたんですけどこの本を読んで思ったのが社会や、世の中に洗脳された、脳で生きるか、自分の脳を自分で洗脳してしまうかの違いだけとも考えられるなぁと今書いていて思ってしまったんですけど(笑)今までの僕だったら本質を生きるという方向に悟りを開くみたいな方向に行くと思うんですよでも倉本さんに、(倉本さんが悟りの境地に立ったことがあるかどうか分からないですが(笑))悟りの境地に立って「石や木のように生きてもしょうがない」「山の奥で仙人達人になってどうするの」みたいな感じの言葉をDscで言われたんですが(しばらくhotmail開かないでおいたらメールデータ全部削除されてました)でここでまた「フィシャーキング」の話に戻りますその自分の世界にどっぷりつかった精神異常者のそうなってしまった原因というのが奥さんと二人でレストランで食事をして、幸福な時間を過ごしていたら突然男に銃で撃たれて奥さんが死んでしまったそのときのトラウマで結果的にそうなっていくんですけど犯人がそういう行動を引き起こした原因というのはラジオのDJの責任の無い適当な言葉でその時のDJというのがその事件が原因で強迫観念に侵されて心がすさんでいた主人公なんですよでまあ主人公(名前はジャック)がその精神異常者(名前はバリー)に罪滅ぼしのために色々と恋愛の世話を焼いていて、でまあココからが重要なんですけど、その恋が実った途端ジャックも人が違ったように変わるんですよ、病状も改善し、怠惰な生活をやめまたDJに復帰すると言い復帰する。まあここから一波乱、というかそのバリーの恋が実った途端一波乱起きているんですけどでまあココで言いたいのはジャックはバリーの人生が幸せの色で色づき始めた途端、自分の後ろめたさ、罪の意識と決着がつき自分自身が好転していったということでこれはジャック自身が納得したからに他ならないと思うんですよ。言ってなかったけどその事件では7人死亡しているんですよね、このことから単純に考えるとジャックの罪が許されたかというと許されてないわけで、その7人にも遺族はいるわけですからけどジャクの魂はバリーの恋を実らせたことで納得した実はこの後ジャクが取り戻した全てを捨てて、また納得を必要とする場面がまた訪れるわけですがでここで「自分自身の納得」というPQと繋がるわけですでね、そういう「自分の納得を一つ一つ重ねていくことがPQ人生なんだろうな」と僕は今納得をいうことの重要性を改めて納得したわけです。(笑)努力というのも納得の形の一つだと思うんですよね、ただそこには自分自身が思っている世間的見解というのが入っていて、PQノートにもあった「これだけやったからこのくらいだろう」というのを世間的見解を基準にした自分的見解で納得しているんじゃないかと思います。脱洗脳する段階で物理世界のみの観点に立ち悟っていることは重要であり、洗脳が解けたら世界を自分色に染め自分だけの納得を重ねていく
2007年02月13日
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あっ、そうそうあれです、あれ!苫米地秀人(とまべちひでと)さん、ややこしい名前ですね。こんな本を出している方の本の「脳と心の洗い方」という本を読んで、昨日「心の操作術」という本も手に入れたんですが、何というかPQにもリンクしているような気がしてですね、どこがどうと説明するのはややこしいんですが、本自体が何か読みづらくて、解釈の仕方が僕の納得行く形でなかなか落ちてこないんですがこの方は脳機能学者始め全日本気功会理事までざっと十数個の肩書きを持っている何やら凄そうな感じが全面に押し出ている人で「オウム信者の脱洗脳」で一時期マスコミにも名前が上がった人物らしいんですがまあ本の大まかな説明をすると「僕達は、まあ社会に洗脳されていて、そこを脱洗脳して、そして自分のイメージ通り自己改革できる」という自己啓発本なんですが最近、こういう深層心理の本にまた興味が出てきまして、色々読み漁っているんですがまあ、そんなことはどうでもいいんですが僕が興味が沸いたのは、その方法とかそんなことよりも、脳のシステムというか映画マトリックスの世界の原理が実際起こっている、まあそうなんかなぁと思っていたことが脳科学というメインストリートでメジャーなところからそうだと言われたのでちょっとショックというかPQが世の中のメインストリートに乗った時の一般人の反応を体験できたのかなぁと思ったんですけど要するに世界は自分の解釈しだいでそういう風に実感できるということで、それを臨場感を持って脳の記憶と機能とイメージを持って創作(妄想)すれば実際にそれが起こったことと変わらないという事が、脳科学という確かなところ(?)からはっきり言われて興味が沸いたということでで、昨日「フッシャーキング」という映画をみたんですよ、最初は何の映画かよくわからなくてただタイトルに魅かれたのと、おっロビンウィリィアム出てんじゃんみたいなノリだったんですけど、最初はなんかつまんなそうだなぁと思ってて完全暇つぶしだったんですけど・・・あっちなみにちゃんと脳科学の話と繋がってますよ、大丈夫ですよ(笑)えっと、そうまあ出てんの全員常識はずれなんですよ世の中的には、強迫観念に侵された主人公とレンタルベデオ屋を経営している”すすけた”感じの女主人、汚くいうと「アバズレ女」のカップルが、本当の精神異常者、とよく社会生活できてるなぁという感じの女性、この二人の前では、そのカップルきちんとしている常識人みたいな感じになって、ああ集団の中の役割分担ってこういう感じのことかなぁともおもったんですけどえ~話したいことはそんなことではなくて、その映画の中に精神異常のホームレスが出てきてですね、妖精の声が聞こえるだの、自分は聖杯を敵から取ることを神から任されているとか自分の妄想の世界を現実に持って来ている人がいるわけですけどでもまあカレの脳内で起こっていることは、その脳科学の見地から言えば現実に起こっていることとまあ変わらないわけですよね。幻覚とか幻聴とか言うけどかかっている本人の世界では全然幻じゃないわけですよつまり僕が感じている現実が誰がどう言ったって僕の現実なんです、本物の現実なんですでここで脳科学の本に移るんですが、その本で言われていることは、悟りの境地を立っている人以外みんな自分の現実の中で生きている、そしてその現実は社会から、親からそう思わされた現実である、ということだと思うんですよじゃあ常識人とされている人はどうなんだというと社会システムの必要性としてみんなが同じ現実に社会から洗脳されているということだと思うんですよ。だから同じ現実を共有できるそれ故にそれだけが現実と思い込んでいるもちろん全てがそうだとは言えないと思いますが、基本的には同じ設計図で作られた生体なんで、確かにある誰が現実でも変わらない「本質」というのがあると思います。はい、自分でも書いていてこんなに怪しくなってきてビックリしています(笑)(続く)
2007年02月13日
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お久しぶりです長いこと離れていたんですけど再開します、離れていた間身内の死などもありまして、今はまた無職状態で時間も余っているし書き込みを再開します。なんか書くネタがあったはずなんだけど、何だったか喪失してしまったんで最近僕の大腰筋がちぎれるほど笑って、地獄の苦しみを数分間味わったネタを紹介しますムーディ勝山さんです!どうぞこちらへ僕、これ好きです(笑)
2007年02月13日
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