しあわせのかたち

しあわせのかたち

2006/02/03
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ここ2~3日、いくつか日記らしきものを書いてはいるのだけれども、いずれもアップには至っていない。いずれもたいしたもんではないのだが、やっぱ公開するには一応構成とか考えなきゃ……と、余計なことを考えているせいだ。

 いやそれは決して「読んでくれる方に失礼のないように」とかいうことではなくて、単に「読んだ人にほんの少しでも賢く思われたい」だとか「面白い人だと思われたい」という、当方のスケベ心が大半なのではあるわけなのだけどもね。

     ※

 なんかいま、改めて↑のように書いてみたら、急にいろんなことがバカバカしくなってきた。人間っつーのはいろんな行動のなかに、この「スケベ心」っちゅーのが割り込んでくるもんですな。はあ。

     ※

 閑話休題。

『ダ・ヴィンチ・レガシー』 (ルイス・パーデュー著/集英社文庫)という本をご存じだろうか。大ヒット作となった『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著/角川書店)の二番煎じを狙ったセコい翻訳文庫本で、昨年2月に出版。それでも一連のダ・ヴィンチブームにあやかって、四版を重ねて4万5000部のスマッシュヒットになっている。

(なお余談ではあるが、著者のルイス・パーデューは「『ダ・ヴィンチ・コード』は自分の著作からの盗用である」として約168億円の請求と出版差し止めを要求する訴訟を起こし、一審で敗訴しているらしい。ソースは ここ 。原著は『ダ・ヴィンチ・コード』よりも『ダ・ヴィンチ・レガシー』のほうが先に出版されたようだ。ややこしいねえ)


 比較的新しい本にも関わらず、上記リンクの版元直系書籍販売サイトでは「在庫なし」と表記されている(Amazonでもユーズドのみ)。昨年5月に版元(集英社)が手持ち在庫8000部の断裁と回収を決定したからだ。

 なぜか。
 差別表現があると指摘され、全芝浦屠場労組と交渉を開始したためである。

 問題となった表現は、殺人シーンの比喩として「まるで屠殺小屋だ」と書かれている部分。
 翻訳前の原文は「It was a slaughter house」。直訳だ。「そこは(まるで)屠殺小屋だった」としか訳しようがない。

 集英社と全芝浦屠場労組との話し合いは紛糾、難航を極め、和解にいたったのは昨年12月。2回の確認会、10回ほどの交渉を経て、集英社が社内全部署を対象とした研修会、説明会を実施することを約束することで、決着したという。
 それを受けてか、『ダ・ヴィンチ・レガシー』は2月6日に重版されるようだ。
 当該カ所がどのような表現に変わっているのか、私は注目している。

       ※

 比較的制約が少なく、書きたいことが自由に書けるネット界ですら、ほとんど表に出てこないテーマがある。上記のような、差別表現にたいする被差別側からの指摘、糾弾だ。

 小林よしのりが95年に『ゴーマニズム宣言差別論スペシャル』を発表して以来、明らかに世間一般の差別表現、もしくは被差別者そのものに対するスタンスに変化が見られた。このマンガは、一部では「解同(部落解放同盟)べったり」という批判もあるようだが、しかし、メディア界(特に出版界)において、差別表現に関するあるひとつの潮流を作り出したのだ、ということは記憶されねばならない。



 むろん私個人は、差別表現については広範な議論がなされるべきだと思っているし、現在の風潮を大いに歓迎している。従来語られる機会の少なかった(一般の人が目にする機会の少なかった)食肉加工業や皮革加工業の実情、あるいはもっとストレートに被差別部落に関する書籍が、中堅クラスの書店にさえ堂々と平積みされる昨今の時流を見て、嬉しく思っている。

 差別表現を含む差別に関する論考は、各所でどんどん行なわれるべきだ。
 なぜなら現代差別に付いてまつわる多くの「悲劇」は、ほとんどのケースで差別側の無知・無理解に拠るものなのだから。(むろん、被差別側の無知・無理解によるケースだってあるだろう→「こんなことでここまで差別されるなんて思ってもみなかった」等)

      ※

 では差別表現が比較的広範に議論されるようになってきた現代において、なお「ネット界ですらほとんど表に出てこない、差別表現にたいする被差別側からの糾弾」とは何か。


 もしくはその差別糾弾が妥当であるかどうか、微妙なケースである。

 冒頭に紹介した『ダ・ヴィンチ・レガシー』を巡る問題などは、まさにこのケースであろう。4万5000部も刷った本(なお重版が決定)について、7カ月におよぶ大手版元と屠場労組との交渉があり、そういう事実がありながら、この問題がネット場ですら取り上げられる気配はまったくない(Yahoo!、Google、インフォシークを使ってかなり頑張って探したが、当該図書の差別表現についての論考を見つけることができなかった。もし「あるぞ」という方はご一報を)。



 例えばある差別表現についての糾弾が、明らかに過剰であったり執拗であったりする場合、つまり差別糾弾側が世間一般常識に照らしてどうも過失があったとされる場合、この情報化社会ではすぐに話題にのぼる。2ちゃんねらーやブロガーを含む多くのネットユーザーは、そうした話題が大好きだからだ。

 メディア側もそこは承知しており、「これは世論の支持が得られそうだ」と思った場合は、だいたい(直接表現を避けたりリークしたりと)姑息な手段を使って視聴者や読者を煽ったりする。
 そうすることによって、結果的にその「ある差別表現と、その糾弾」は多くの人の話題に登り、議論されることになる。

『ちびくろ・さんぼ』復刊問題や手塚治虫の一部作品についての「注」、筒井康隆の断筆宣言にまつわる「言葉狩り」問題などは、その表現の差別性が多くの人に広く語られることによってはじめて、結果的に差別側にも被差別者側にも、もちろんそれらの作品を愛する多くの読者にも、大きな収穫をもたらしたと言っていいだろう。


 けれど。
 重ねていうが、「ある差別表現」について、
(1)差別指摘・糾弾が妥当なものである、とされるケース
(2)差別指摘・糾弾がグレーゾーンであるケース
 上記について、特に差別糾弾側と被糾弾側との和解が成立したケースについては、ほとんど一般に広まる機会は失われてしまう。

         ※

 こういう現状は、もちろん私は問題があると考えている。
 何度も書いて恐縮だが、差別表現についての論考は、多くの人が広くなされることによってこそ意味があるからだ。

 現状ではただただ、「差別だ」と指摘を受けた側のメディアが、その差別表現について語られる機会の可否を握っている状況であり、それこそ「いまある差別を不当に隠すこと」にほかならない。

『ダ・ヴィンチ・レガシー』の一件ならば、集英社はこの事実を広く公表し、一般からの意見を聞くべきだった。「その表現は不当な差別だ」とする全芝浦屠場労組も、可能なかぎり「我々はこの表現を不当な差別だと指摘し、その正否について広く問いたい」と声高に公表してほしい。

 可能性はまだ残されている。2月6日に重版となり再発売となる、『ダ・ヴィンチ・レガシー』の第五版である。この係争の事実は(注なりなんなりで)そこに記載されるのか。それともしら~っと当該部分を削除あるいは改変してお終いか。
 私は注目している。

         ※

 なお、この『ダ・ヴィンチ・レガシー』における「まるで屠殺小屋だ」という表現についてだが、私は「控えられるべき不当な差別表現であり、糾弾されてしかるべきものだ」と考えている。

 私はずいぶん前に屠殺場を見学する機会に恵まれたが、そこでは衛生管理と整理整頓が行き届いた現場にて、畏敬に値する手技を発揮する加工者が黙々と作業に従事していた。当該「殺人シーン」が描写するような場所では決してなかったのである。

 その記憶と「殺人シーン」とを比べると大きな乖離があり、当該表現は比喩として激しく不適当であるとともに、食肉加工業者にたいして誤解と不当な差別を招くだろう、という確信が私にはある。それが「糾弾されてしかるべき表現」とする根拠である。
(ただ私は、著者であるルイス・パーデューが表現した米国の「Slaughter house」の実情は知らないわけだが)

 もちろんこれは非常にナイーブな問題であって、「では比喩として適当な場合はどうするのか」(例えば「衛生管理と整理整頓が行き届いた現場にて、畏敬に値する手技を発揮しつつ殺人を犯すシーンの描写」だったらどうか)とか、あるいはそもそも「slaughter」という単語に「食肉解体処理」という意味と、「残酷な殺人、虐殺、大量虐殺」という意味が同居している、という、文化としての言語問題などが存在している。

 だから私は、「この本のこの表現では、不適当だ」とは判断するが、それが画一的に計れるものではないと思っている。そういったことは重々承知したうえでこれを書いている、ということはご理解いただきたい。


 じゃあ出版社側(本件では集英社)はこうした場合、どうすればよかったというのか。
 翻訳時に「注」をつければよかったのである。自分たちはこれこれこうした判断に拠ってこの表現を使ったのだ、と、初版時から書いて示すべきだったのだ。それが「著者の比喩は適当であると思う」でも、あるいは「これは不当な差別を助長する不適当な表現であるが、そのまま出さないと著者も翻訳者もうるさいので出した」でも構わない。
 そうしたある種の信念を示すべきなのである。この信念や覚悟の不在が(あるいはその覚悟や信念の「表記・表明の不在」が)、おそらく今回、屠場労組の怒りをいっそうかき立てたことは容易に想像できる。


 むろんそのうえでなお、屠場労組からは指摘や糾弾を受けたかもしれない。
 それが面倒でやっかいなことだということはわかる。
 けれども文化とは、そもそもそういう「面倒」なものなのであり、大手メディアは「自分たちは文化を守る」と常々、ヌケヌケと言っているではないか。
 都合の悪いとこばっかり、しらばっくれるなよ。

(なお、上記の部分は2月6日以降の第五版にてしかるべき注記があるか、あるいは以降に集英社より本件に関して一定以上の広報・告知があった場合には、お詫びして訂正する用意がある)

 私の探しものは、まだ見つかっていない。


 最後にひとつ。
 記事文中に書いたように、差別における悲劇の多くは無知・無理解、加えて不勉強に拠っている。私自身、自分の(差別および差別表現についての)無知・無理解・不勉強は重々承知しているつもりだ。だから、というわけではないが、本件に関する私の無知・無理解・不勉強に拠る間違い、勘違いなどを発見した方は、お手数ではあるがどうか当コメント欄に書き込んでほしい。





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Last updated  2006/02/03 11:13:08 AM


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