全17件 (17件中 1-17件目)
1
そもそもPTA行事の強みであり、また、弱点であるのは、「我が子のため」のはずです。保護者の興味・関心が土台になっているのではないのです。本来、保護者の希望にのっとって企画し、人を集めているのではなく、参加しないと、我が子が不利益を被る怖れがあるからです。何も、それを良しと言っているのではありませんが、現実のメカニズムは、そうでしょう。ですから、不審者騒ぎの集会とか、受験説明会とかは、参加率が抜群です。だったら、それを積極的に、前向きなエネルギーに変えられないでしょうか?親が来れば、子どもが元気になれるように。そう考えれば、やはり、親子一緒の行事ということになります。親子料理教室などが人気なのは、こういうところにあるのでしょう。親子ともに、お互いに褒め合うことができます。褒めるということに、焦点を当てれば、持久走大会や、水泳記録会なども、ほめるチャンスです。子どもの生き生きした姿を、あらためて観察し、そこから、子育ての新たなヒントを得ることは、下手な教育講演会以上の働きがあります。だったら、逆に、子どもにとっても、親の生き生きする姿を見て、学習意欲を掻き立てることも可能じゃないでしょうか?親子行事には、そういう相互作用があると思うのです。ここで、手前味噌になってしまいますが、親子科学実験教室の意味が浮き彫りになると思うのです。 続く。
2014.10.31
コメント(0)
私も以前、PTA役員をしていました。そこで頭を痛めるのが、保護者向けの行事です。すぐに、頭に浮かぶのは、「教育講演会」です。これは、教育委員会や公民館に相談すれば、講師はすぐに紹介していただけます。しかも、お安く。ボランティアに近い形で。でも、これの最大の問題は、「人が集まらない!!」ということです。あまりにも、人数が少ないと講師に申し訳ないということで「動員」指令が発せられます。役員は当然、さらに電話掛けが命じられます。「何組は、何名達成しました!」ということになります。これで、気まずい思いをするのも、アホらしいものです。内容も、子育て系の講演会ですと、いいことを話される人が多くホロっとくる感動もするのですが、家に帰ってみると、「そうは言っても、実際は難しい!!」「ああ、何て私はダメなの?」と落ち込むことも多いものです。中には、講演の中で、「あなたは、親として失格です。」とグイグイと指摘されるものまで。厳しい言葉を前向きに捉える人ばかりだといいのですが、逆ギレして受け取る人も当然います。講演の中身まで、手をつっこんで要望することもしづらく、ハラハラ・ドキドキです。じゃ、カルチャースクールっぽい、文化講習会はどうでしょう?6年生の卒業式で胸に飾ってやるコサージュ作りなんて、実用も兼ねていいと思います。が、これも、参加者が限られます。結局、これも「好みの問題」なのです。好きなテーマなら、補助金も出るので、「ラッキー」ですが、関心が無いテーマなら、「わざわざ仕事を休んでまで??」と思うのが当然です。そして、なぜか、グループの一員でなければ参加しづらいという心理が働くようです。ママ友から、電話がかかってきて、はじめて腰をあげる、というような。平均で、参加者は、講演会よりもさらに少なくなります。じゃ、スポーツは?親同士、または、親子で汗を流すのは、とっても気持ちが良いものです。親睦効果もバッチリです。しかし、これの弱点は、外の場合、天候に左右されるということ。それと、一番の問題は、安全です。つまり怪我です。(特に親の!)一応、保険をかけるにしても、肉離れでも起こしたら、もう台無しです。この不安は、どんなに準備運動をさせても、ぬぐい去ることはできません。それに、そもそも、みんなスポーツ好きというものでもありません。これも、イヤイヤながらの義理での参加ということになります。また、このスポーツ大会、体一つあれば、と思いがちですが、なかなかどうして、準備がたいへんです。役員は、朝早くから会場整備と、道具作りに追われます。結果的に、経費もそれなりにかかってしまいます。じゃあ、他にどんなイベント案があるでしょう?マンネリを打破して、参加者が多くて、みんなに満足いただけるものって、他にどんなものがあるでしょう?
2014.10.30
コメント(0)
これから、ある学校にPTA行事の打ち合わせに行くのですが、役員さんは、ご苦労様です。ホント、日中は日中で、お仕事があるでしょうし、夜は夜で、やることが溜まっているでしょう。学校に何度も足を運ぶことは、それだけでアタマが下がります。でも、プラスのこともあるもので、その最大のものは、学校に行き慣れるということでしょう。職員室の扉を開けることに慣れること。これが、その後の学校生活を続ける上で、大きな安心感の土台になります。ところで、PTA行事ですが、役員さんが、一番プレッシャーに感じられているのが、開会と閉会のあいさつだとお見受けいたしております。まあ、マイクを握ったら、時計の観念がぶっとぶような「私」のような話し好きな人間は、放っておくとしまして、普通の方は、始まる前から、カンペを何度も練習され、たいへんです。学校では、「ごあいさつ」が重視されます。PTA主催イベントですから、主催者による最初の「ごあいさつ」は必要です。そのために「ごあいさつ」担当になった役員さんは、いろいろいろいろ考えて原稿を準備して、暗記して、リハして…といろいろ準備が必要!と思ってしまうものだけど、正直いって、どんなセレモニーやイベントでも「祝辞」も「ごあいさつ」もきちんと聞いて覚えている人なんて、ほとんどいません!おまけに、長けりゃ長いだけ「話が長い!」「話がくどい!」とうるさがられるだけ。気楽に乗りきっていきましょう~(*^^)vかえって、短いほうが、好印象が残るものです。ですから、一定の「型」だけ踏まえればいいのです。以下を入れればOKです。逆にこれ以上入れるとクドくなります。1.参加・出席・協力していただいたことに対する感謝の意参加者すべてに対して、参加していただいたことに対しての感謝と今回のイベント開催に協力をしていただいた関係各位への感謝は必ず述べます。できれば、一番最初にその日の天候を入れること。•雨の日であれば→「お足もとの悪い中」•暑い日であれば→「お暑い中」•何もなければ→「お忙しい中」あたりが無難!2.今回の企画の趣旨説明今回のイベントは誰がどういう趣旨で企画をしたのか、例えば「保護者同士の親睦を深めるため」だとか、「「親子のふれあいを目的にする」などの企画趣旨を簡単に説明します。私の実験で言えば、「学ぶ楽しさを親子のふれあいを通して再発見する」なんかがいいでしょう。ホントは「例年やっているから」「仕方なく」ですが。3.締め簡単にいえば「こうなってほしいです」ということで締めます。例えば、「お楽しみください」、「ご協力ください」などです。あと、学校関係者や来賓などを迎えるような、オフィシャルな行事の場合は少し堅苦しい目の言葉づかいで。語尾を「ございます」「申し上げます」などにするだけで、なんとなくオフィシャルな雰囲気になるものです。以上の3点だけ入れれば、短ければ短いほどいいのですから、できるだけ、前を見て、原稿を見ないで、明るく、パッパッと言っちゃった方が拍手喝采だと思います。健闘を祈ります。
2014.10.29
コメント(0)
何といっても、関心をもたせることです。これで失敗すると、たいへんなハンデです。関心がないと、本当に「見えない」からです。次に、「仮説」です。仮説とは基準です。分類基準です。関心をもって見えたものを、さらに進んで何らかの基準をもって見るとよりはっきりと見えるのです。鑑定の達人は、数分で本物と偽物を見分けています。見るポイントの仮説をもっているからです。最初は、この仮説の立て方を、アドバイスしてやらなければ自力では不可能です。そのうちに、正しい仮説を自分で立てられるようになることが最終目標であり、「伝授した」ということです。
2014.10.28
コメント(0)
先月開催いたしました、名取市の小学校のPTA役員さんからお礼状をいただきました。津波の被害を受けて改修中の学校です。固有名詞をはずしてご紹介いたします。前略 2時間という短いお時間の中で、数え切れないほどのドキドキワクワク、そして新しい発見やお教えを賜り、三学年の生徒、先生方、保護者一同、心から感謝申しあげます。相澤先生の世界に引き込まれ、目をキラキラ輝かせて笑顔いっぱいで実験に参加していた子供たちの姿が、今でも目に焼きついております。我が子はいただいた紙コップで毎日光を除いては「わぁー!!」と歓喜の声をあげ、「楽しかったな、また着てくれるかな」と大切に紙コップを机に飾っております。私自身、去年の今頃、学年部長に決まってからは、三年生の学年行事をなんとか成功させなければという思いで、一年間不安でいっぱいでした。しかし今は、偶然、インターネットで拝見した相澤先生との出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。友人であるお母様からは「下の子の時も、ぜひ寅さんに来てほしい!」というお声も沢山いただきました。またお会いできる機会があることを私も、心より願っております。後略ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、ご縁に感謝です。
2014.10.27
コメント(0)
もし、教科書が、「これを覚えろ!!」という押し付けでなく主人公が事件に巻き込まれ、謎に挑戦する、冒険小説風にできていたら、あなたは勉強をしますか?勉強という言葉も使わないでしょう。「読みたい」か、「読みたくない」かのどちらでしょう。だいたい、今まで「読みたい」という教科書に出会いましたか?推理小説さえ、時間を忘れて読むんですから、もし、それで、謎が解けるだけでなく自分の知らなかった新しい世界が開けるとしたら…こういう教科書を与えませんか?科学者の歴史や、数学者の歴史をひもとけば、そして、その当時の人々の立場に立てば、結構簡単にできます。また、わたしの実験教室は、それを立体的にしたものです。そして、「成果」をおみやげにもって帰れます。現在、新しい物語、「水電池のナゾ」を準備しています。この実験物語の最後には、水を数滴入れるだけで、いつでもどこでも使える懐中電灯がしかも、半永久的に保存できる、災害備蓄用の懐中電灯が費用はたったワンコイン500円でできてしまいます。小学1年生でもひとりで組み立てられます。来年度は、これをメインにオススメするつもりです。乞うご期待。
2014.10.26
コメント(0)
中学までは、そこそこ数学が得意だったのに、なぜ、高校では行き詰まってしまうのか?中学までは、意味が本当には、わかっていなくても計算はできるし、そもそも常識の範囲の内容です。ところが、高校になると、普通では考えないような世界に引きずり込まれます。角度がグルグル回ってみたり、指数も、コロッコロッと自然数だと思っていたのが、いつの間にか、マイナスの指数が現れふうん、そういうものか、と無理やり納得していると分数の指数の登場で、体がついていけなくなり、さらには、無理数の指数まで来ると、もうダメ。極めつけは、複素数。虚数って、いったい何なのか?無理やり作った、大人の都合ではないのか?ただの辻褄合わせではないのか?そんなのについていく必要はあるんだろうか?こう考えるのも当然です。もし、高校数学への適切なガイドが無ければ、道に迷ってしまうのも、当然です。だって、普通じゃないんですから。普通じゃない世界に生徒諸君を引きずりこもうとしているのですから。そして、数学の教科書は、この別世界への橋渡しを親切にしているとは、お世辞にも言えません。暗に、「気づけよな」と言っているだけです。だから行き詰まるのです。本当の良いガイドは、数学の歴史です。どうして、こういう数学ができてきたのか?その経緯です。中学の理科で、3年生は、今、運動や力学の初歩を学んでいます。「何でこんなことを、仕事と言うんだ。」と憤慨していた子がいました。当然です。ただただ、一生懸命覚えようとする子より、どうして、こんなアホらしいことを真面目に覚えさせるんじゃ!!と怒る子の方が、健全です。教科書は、間違ったことは書いていませんが、大事なことが抜けているのです。なぜ、この理論が生まれたのか?どういう意味が、その当時あったのか?ということです。そもそも、理科や数学の理論を、将来の日常生活でやたら使うわけがありません。それなのに、なぜ、私たちは学ぶのでしょう。それは、問題突破の仕方を、歴史から学ぶためです。先人の突破の姿勢は、私たちの大切なガイドなのです。
2014.10.25
コメント(0)
先日、実験教室をしていたら、「あ、それ、前やったことがある。わかってるよ。」と声をあげる子がいました。先に結論を言われると、落ちを先に言われた落語と同じでガクガクなんですが、これは、よくあることで、珍しいことではありません。でも、ある意味これは、素晴らしいことだと思いませんか?何年も前のことを、一瞬で思い出すんですよ。勉強しても、すぐ忘れてしまうのが、親や教師の悩みです。宿題を出したり、反復練習をさせたり、ありとあらゆる手段を用いて、記憶させようと涙ぐましい努力をします。その努力を尻目に、実験教室は、子供たちに、「これ、試験に出るよ。」とも言わないし、「はい、これ繰り返して。」とも言わないのに、いや、「覚えておこう!」とさえ、言わないのに。一瞬で、生涯忘れえぬ記憶になります。ここに、学習の原点が隠されていると思いませんか?実験教室は、子どもたちのためのものではありますが、実は、教育に関わる大人にこそ、インパクトのあるものだと言えるでしょう。ぜひ、子どもたちの目の輝きを、そしてその思考回路の違いを体験してみてください。
2014.10.24
コメント(0)
子どもにとって、学習は、義務ではなく本能です。アメとムチも必要ありません。でも、それは、大人が望むような学習とはちょっと違って自分のコントロール能力を高めようとする本能です。まずは、運動神経系のコントロール能力です。が、同時にそれは、知性や感情や意識のコントロール能力に繋がります。このコントロール力を高めたいという欲求は、無意識の世界から突き動かしています。だから、それに訴えかけるような指導をすると有効なんじゃないでしょうか?数学なんかも、意識・視点のコントロール能力だと思います。
2014.10.21
コメント(0)
全く、コピペですが、とても考えさせられます。あなたは、どんな感想を持ちますか?私には、こんなアホな手紙がなくなるように幻想から抜け出す教育が必要だと、強く思わされました。慈悲あまねく慈愛深きアッラーの名のもとにアドナン・ラシードからマララ・ユスフザイへ導きに従う全ての者に平和をマララ・ユスフザイ様この手紙は個人的に書くものであって、パキスタンのタリバーン運動(Tehreek e Taliban Pakistan)や他の聖戦戦士のグループの意見ではないことを先に述べておく。私はあなたのことを、バンヌの刑務所の中で、ウルドゥー語のBBCから知った。その時に私はあなたが関わっている反タリバーン運動を辞めるよう忠告するために手紙を書こうと思った。しかし私には住所が分からなくて、どうやってあなたにアプローチしようかと悩んでいたのだ。私はあなたと同じユスフザイ氏族に属し、心から親しみを感じている。あのとき刑務所で脱獄が起こっていて私は隠れていなければならなかった。あなたが襲撃されたと聞いて私はとてもショックを受けたし、このようなことは起こって欲しくなかった。前もって忠告しておくべきだったと思う。襲撃がイスラムの法に則っているかどうか、またあなたが殺されるべきかは私には判断しかねるので全てアッラーに任せよう。ここで私は、先に書いたようにあなたに忠告しておきたい。前もってそうしておくべきだったが、これから同じ事は起こって欲しくはないのだ。まず最初に、タリバーンがあなたを狙ったのはあなたが学校へ行くからでも、教育を愛しているからでもないことを覚えておいてほしい。そしてタリバーンとムジャーヒディーン(ジハードの為の民兵組織)は男女や子供に関わらず教育に反対してはいないことも忘れないでくれ。タリバーンは、あなたが意図的に彼らを攻撃する文章を書き、彼らが作ろうとしているイスラームに基づく支配を中傷するキャンペーンをしているのだと確信している。昨日のスピーチであなたはペンは剣よりも尊いと言った。だから彼らはあなたの剣(力)を理由に撃ったのだ。学校や本が理由ではなく。タリバーンの支配の前も後も、何千もの女の子が学校や大学に通っている。ではなぜあなただけが狙われたか説明できるか?次に、タリバーンはなぜ学校を爆撃しているのだろう?カイパール・パフトゥンハー州(KPK)や連邦直轄部族地域(FATA)のタリバーンだけでなく、パキスタン軍や辺境警察も関与しているのだ。彼らの目的は同じで、学校が敵のの隠れ家かつ輸送キャンプであるからだ。(基礎知識だがタリバーンとパキスタン軍は敵対関係)2004年、私は特殊部隊にいて、スフィ・ムハンマドが企てた最初の革命がなぜ失敗したのかを調査していた。その時に辺境警察が学校に駐留し、そこを隠れ家や輸送キャンプとして利用していることを知ったのだ。これは誰の責任なのだろう?FATAのいくつかの学校が兵舎として使われているのは、やろうと思えば君でも見つけられる。学校のような尊い場所でもそこが死を招く場所だと分かったら、消さなければならない。これがタリバーンのポリシーなのだ。軍事目的に使われていない学校を爆破することはタリバーンの仕事ではない。どこかの州政府の職務を全うしない役人が資金目的にやっているのだろう。さて本題の教育に移ろう。あなたが教育を声高に叫んでいるのは素晴らしいことだ。あなたや国連はそのために撃たれたと言っているが、本当の問題はあなたのやっているプロパガンダなのだ。あなたは周囲の要請によって舌を使い訴えている。ペンが剣よりも強いというなら言葉は剣よりも鋭く、剣の負傷者は歓迎されることはあっても言葉の負傷者は決して迎えない。(ここのところhailの意味がよく分からず。hailは神の歓迎ということ?)戦争では言葉はいかなる兵器よりも破壊的だと知っておかなければならない。インド亜大陸は、イギリスの侵略以前は教育水準も高く、殆ど全ての人が読み書きができたのだ。地元の人間はイギリスの入植者にアラビア語、ヒンディー語、ウルドゥー語、ペルシャ語などを教えていた。ほぼ全てのモスクは学校としても機能していて、ムスリムの皇帝は教育に多大な予算を使っていた。当時は農耕やシルクやジュートの生産に優れていて、服飾から造船までできた。貧困や犯罪、宗教間や文明間の衝突もなかった。教育のシステムが高貴な思想とカリキュラムに基づいていたからだ。T.B.マコーリー(イギリスの歴史家・政治家)が1835年にイギリス議会に書いた書簡の抜粋を紹介しよう。かれはどのような教育がイスラムの教育システムに変わって取り入れられるべきか書いている。「我々はまず、我々と何百万もの被統治者を結ぶ階級を作らなければならない。インド人の血と肌を持ちながら、イギリスの趣向や思考、道徳と知識を持った階級を。」あなたが命がけで守ろうとしている教育システムというのがこれなのだ。国際機関があなたと共に、アジアの血を身体には流しながら頭だけイギリス人、アフリカの肌だが考えだけイギリス人、イギリス人じゃないのに道徳だけイギリス人、そういった人々を次から次へ生み出そうとしている。これがオバマを、大量殺戮を、あなたの理想を生んだ教育だというのでしょう?なぜ彼らは全ての人間をイギリス人にしようとするのだ?それはイギリス人が誠実な支持者であり、ユダヤの奴隷だからだ。あなたはインドにイギリス式教育を作ったと言われるサイド・アフメド・カーンがフリーメイソンだということを知っているだろうか。あなたは教師とペンと本さえあれば世界を変えられると言った。私もそれには同意する。しかしどのような教師、どのようなペン、どのような本なのだ? 預言者ムハンマドによって私は教師として世に送られ、教科書にコーランが送られた。崇高で敬虔な教師の預言的なカリキュラムが世界を変えられるのであって、悪魔的なものや不信心者のカリキュラムではないのだ。あなたは、ジャーナリストが「なぜタリバーンはこの教育を恐れるのですか」と生徒に訊かれ、「本に何が書いてあるかを知らないからだ」と答えた例を挙げた。あなたと全世界に対して、なぜ彼らがアッラーの本を恐れるのかと言えばそれが何かを彼らは知らないからだ、と言っておく。タリバーンはアッラーの本に書いてあることを求め、国連は人間が作った本に書いてあることを求める。我々はコーランによって全世界の人々をその創造主と結びつけ、国連は僅かな悪の創造主のために全世界を奴隷にする。あなたは不公平な国際機関のステージで正義と平等を求めた。あそこはたった5つの不正な国が拒否権を持ち、残りの国々は非力なのだ。周りの国がどんなにイスラエルに反対しようとも、1つの拒否権で正義の喉元を脅かすのだ。あなたが世界に向けて語りかけている場所、そこは新世界秩序を目指すものだ。しかし旧世界秩序のなにが間違っているというのだ?彼らはグローバルな教育、グローバルな経済、グローバルな軍隊、グローバルな貿易、グローバルな政府、そしてついにはグローバルな宗教まで作り上げようとしている。私が知りたいのはそこに預言的な導きの入り込む余地はあるのかということだ。国連が非人道的や残虐だと言ったイスラームの戒律、イスラームの法の入り込む場所があるのだろうか?あなたはポリオの予防接種のチームへの攻撃のことを言った。それならアメリカのキッシンジャー国務長官が1973年に第三世界の人口を80%まで減らすと言ったことをどう説明するのだ?なぜ断種や優生学的なプログラムが国際機関の主導で進められたというのだ?100万人を超えるムスリムがウズベキスタンで本人の同意なく避妊されたのだ?バートランド・ラッセルは科学の社会に対する影響についてこう言った。「幼い時期から食事、注射、禁止命令を組み合わせ、政府にとって望ましい思考や性格を作り出す。権力を真剣に批判することは心理的に不可能になるだろう。」これが我々がポリオの予防接種プログラムというのに反対する理由なのだ。あなたはマララデーが自分の日ではなく、権利の為に声をあげる全ての人々の日だと言った。しかしレイチェル・コリーにそのような日が割り当てられていないのは、(彼女が止めようとしてひき殺された)ブルドーザーがイスラエルのものだったからなのか?アーフィア・シディクの日がないのはアメリカ人が彼女を買ったからなのか?フェザンとファヒームの日がないのは彼らを殺したのがレイモンド・アレン・デイヴィス(CIAのエージェント)だからか?16人の罪なきアフガン女性と子供が死んだのにそんな日がないのは、撃ったのがタリバーンではなくアメリカ兵のロバートベラスだからなのか?正直に答えて欲しい。もしアメリカの無人機が君を撃ったとしたら、世界はあなたの医学的容態に関心を持っただろうか?あなたは「国の娘」と言われただろうか?メディアは大騒ぎしただろうか?カヤニ将軍が君の元を訪れ、メディアもそれを報道するなんてことがあっただろうか?国連に呼ばれることがあっただろうか?マララの日があっただろうか?300人以上の罪のない女や子供が無人機によって殺されているが、誰も気にはしない。攻撃するのが高度な教育を受け、非暴力的で平和的なアメリカ人だからだ。予言者ムハンマドがあなたに与えた慈悲が、同様ににパキスタン軍がFATAとバルチタンでムスリムの血を流すのを辞めるように与えられるように与えられることを願っている。予言者イエスがあなたに与えた慈悲が同様にアメリカ合衆国やNATOが罪のないムスリムの血を流させないようにすることを。仏陀の教えに従う者がビルマとスリランカのムスリムの血を流させないように。ガンジーの教えに従う者がカシミールでの虐殺をやめるように。バチャ・カーン(パキスタンの核兵器技術者)に従う者が、ANP(アワーミー国民党)が五年の政権で非暴力を貫いた様に、特殊部隊が一度も銃を放たなかったように、バチャ・カーンの貫いた非暴力の哲学が、戦闘機と戦車とガンシップの助けの元に達成できるように。最後にあなたに、郷里に戻ってイスラムと地元の文化を学び、近くの女性メドルサ(神学校)に入り、コーランを学び、イスラムと同胞の苦しみのためにペンを持ち、少数のエリートが新世界秩序の名の下に世界中を奴隷化しようとしていくことを糾弾してほしい。世界の創造者アッラーを讃えて。
2014.10.20
コメント(0)
学問の楽しみは、今まで見えなかったものが、見える感動を味わうことです。そして、この経験をたくさん積むと、きっとこれからも、同じ感動的な体験が待っていると確信をもてるようになります。それが、未知のものへの研究・探求の原動力になります。いわば、信仰です。実際、この宇宙には、理解のレベルが何層にも積み重なっています。掘れば掘るほど、新たな疑問や課題が出てきます。そして、その先にもきっと感動が待っています。この世界観をもてるかどうか。これが、その人間の人生が深みのあるものになるかどうかの分かれ道です。表面的な理解だけで、わかったような気持ちでいる人間ほど薄っぺらい人生はありません。また、他人に害を及ぼす人間になってしまいます。イデオロギーに囚われた人間が典型です。彼らは、もっと深く見れば、世界がまた全然変わってみえる経験を積んでいません。イデオロギーは、何も「~~主義」だけではありません。教科書を読んで、「もうわかった」と思い込むのも、立派なイデオロギーです。自分の頭で考えていないからです。思想というのは、一つのドグマを何度も反復することではありません。わからない水平線に向かって、船を漕ぎ出すことです。動的なエネルギーです。まずは、子どもたちに、思いもよらない世界が見える体験をいっぱい積ませましょう。
2014.10.19
コメント(0)
うぬぼれでなく、日本の民度が高いのは、世界でも有名で、日本の本当の強みも、この抜群の民度によっているのは、納得できる人が多いと思います。じゃあ、その民度の高さ、倫理観の高さは、どこから来るのでしょう。識字率などの教育が支えているのは、間違いありませんが、日本に詳しいベルギー人が、面白いことを言っていました。日本文化は、身内受けを狙った、凝り性文化なんだそうです。外国に負けまいとしているのではなく、世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、今ここにいる、同じ価値観を共有する仲間たちから喝采を浴びたいと考えるんだそうです。その結果、同じものを志す者同士の「これ、すごいだろう、面白いだろう!」合戦が始まり、そこで生み出されるものが、自然と研ぎ澄まされていく。でも、その競争は敵対的なものではなく、お互いを尊敬し合いながら、静かに深く進行していく。そして、ある日、それを目撃した外国人から、それがものすごいものであることを、知らされる。ほとんどの日本人は、その日が来るまで自分たちが作り上げたものが、すごいものとは知らない。もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、この精神が衰えない限り、これからも日本は、誰に頼まれることもなく知らないうちに世界にインパクトを与え続けていくだろう、と、こんなことを言っています。いやあ、目からウロコです。これって、学問の本来の発展の姿そのものです。「面白いものを見つけたら」それを親しい人に話さずにはいられない。これが学問の原動力です。根源です。だったら、なぜ、日本でこんな芸能合戦みたいなものが、生まれやすいのでしょうか?それは、ご近所が身内だからです。地域社会が家族だからです。価値観を共有する仲間だと、信頼できるからです。ということは、これまで日本の弱点と言われた神よりも人を見る姿勢が、欠点だと言えないことに気づきます。今から、40年前には、日本は、身内の顔色だけを見ているからダメなんだ、と言われたものです。一神教文化、(絶対者)を気にする文化を作らなくてはモラトリアムから抜け出せないんだ、大人になれないんだ、と「菊と刀」を読まされたものです。日本は、「恥の文化」であり、「罪の文化」の欧米から遅れていると。否定的な意味で。しかし、これは、肯定的な意味でも読み取れることに気づきます。そもそも、一神教的な文化というのは、デッドロックに乗り上げています。汎神論的、プリミティブな思想こそが、世界を救うと睨んでいる人も多いでしょう。たしかに、日本の「人を見る文化」は、欠点をかかえています。しかし、それを乗り越えるのもまた、「これ、すごいだろう」という意識を一段掘り下げて、共通の社会の価値観が見落としていた、盲点を見つけ出す競争にまで発展させていくことです。私の科学実験教室も、「これ、すごいだろう」の集合体です。そして、これを体験した人が、家庭に帰って、さらに「これ、すごいだろう」を発展させていけるように、配慮していきたいと誓った次第です。
2014.10.18
コメント(0)
勉強は、何より「関心」です。関心がなければ、頭に入らないし、何より「見える」ことができません。頭の中で、存在できないのです。じゃ、その関心はどうやって?それが「問題提起」です。気になる問題点(テーマ)を見せることです。そして、着眼点を教えることです。体の調子が悪いとき、「体温に注目してみよう」「体重に注目しよう」というのと同じです。虫の図鑑を見せても、ただ漫然と見ては、チラチラするだけです。「足の数で分けてみよう」というと、そこから気付かなかった仲間を発見します。この着眼点のヒントを与えることこそ、教師の仕事です。ここに命をかけるべきです。
2014.10.17
コメント(0)
物事は、大原則を常に意識していることが大切です。ニュートリノの発見も、暗黒物質の仮説も、本来、いろんな解釈ができる現象なのに、どうして、そういう結論が出たのかというと、科学の基本原則を大切にしたからです。学習の基本原則とは何でしょう?私は、人間の認識の原則だと思います。私たちは、自分で必要だと決めたもの(潜在意識でにしろ)だけを選んで見ています。だから、本当に必要なものを見逃しています。何がわかっていないかを知らないからです。この原則から、様々なセオリーが生まれてきます。
2014.10.16
コメント(0)
数学にしろ、化学にしろ、私は教科書にたいへん不満です。本当に大切なところが、とても不親切なのです。文字式が出てきたとき、最初はこれを Xはリンゴ、Yはミカンとか教えておいて、いつのまにやら、「実数全体」とか、ズラっとした顔で言っています。それならそれで、「文字aは、数直線上を、無限のかなたから、無限のかなたまで、無理数も含めて、すうっと動くんですよ。」と教えて欲しかった。これはとても重要な概念で、これが理解できないばかりに「場合分け」ができないし、「解なし」や「すべての実数」が出てくる意味もつかめない。動く文字式という世界は、本当に新しい世界を見せてくれる数学のメインイベントなのです。ところが、それに関することは、問題とその回答を通じて、察せよ!と言っているに過ぎません。しかも、小さな声で。いかにも、「わかるやつだけ、わかればいい。」と言っているようなもんです。関数の拡張問題にしてもそうです。三角比が、どうして、ああいうグラフの世界に拡張されなければならないのか?指数がどうして、マイナスや分数になって、これまたグラフに乗らなければいけないのか?ここにも、世界の飛躍があります。そして、その世界観の飛躍にこそ、数学の刺激があるのに、そこは、やはりわかるやつだけ、わかればいい。です。また、化学の教科書でも、ドルトンの倍数比例の法則の当時における意味の大きさ、これは、ドラマ何個分もあるのに、人間の意識に与えた影響を書いている教科書を見たことがありません。これこそ、学校の先生や、塾講師に求められている資質なのかもしれませんが、これは、「逃げ」です。いや、きっと、教科書を執筆している先生は、その感激を体験していないんだ。わからないんだ。自分が感動したことは、きっと伝えたくなる。あえて、隠しておくなんてありえない。受験勉強の弊害の連鎖がここから見えてくる。
2014.10.14
コメント(0)
私は、よく分光シートを渡して、これで光源を見る実験を指導します。プリズム効果で、世界が虹色で彩られる姿を見れます。ところが、これは特殊な姿ではなく、本来ある「現実」なのです。私たちは、普段、自分がどれだけ自分の知覚を制限しているのか、全然わかっていません。もし、自分がどれほど世界の美しさに気がついていないかがわかったら、百の説教よりも大きな効果を上げると思います。私たちには、何も見えていないのです。ものすごく乏しい知識をもとに、誰かが、「世界はこういうものだ」と決めたことを、そして、それに他の人も同意したために、いつの間にか「常識」になり、それが、「現実」になります。私たちが「常識」だと思っている多くのことは、物事の本当の姿から、かけ離れている可能性がとても高い。いや、絶対そうだと言っていい。私たちは、常に、新しいレンズを通して世界を眺める努力をするべきだと思う。それが、「真面目な」生き方だと、私には思われます。
2014.10.13
コメント(0)
実験で、錯覚の体験を必ず組み込むようにしています。それは、錯覚は、特殊な状態ではなく、日常のすべてだとも言えるくらいだからです。このことから、なぜ、学校で勉強をしなければならないか、も説明しています。よく、学校は机上の空論で、実社会で体験を積むほうが大切だ、という意見を言われます。しかし、真摯に現実に向き合えば、物事は深く認識できるのでしょうか?「現実」とは、人間にとって、どこまでも錯覚なのです。「ふつうの」努力では、見出すことのできない世界が、この宇宙には、無限にあり、そこに長い時間をかけて、切り込んできたのが学問です。人間の通常の五感を超えたものを見るためには、学問という窓口を通らなければ。そこで、腕を磨いて、さらに自分の新しい世界を切り開いてください。
2014.10.12
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1

![]()
![]()