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ある教育心理学の学者が、幼稚園に通園している子どものお母さんを対象に、ある実験をしたことがあります。 お母さんが自分の子どもはこれができると思えば○、 まだできないと思えば×をつけるというものです。 一方、子どもに対しては、一人ひとりの子どもについてその項目が実際にできるかどうかを調べたのです。 その結果はどうだったと思いますか? 親バカはどのくらいだったと思いますか? お母さんたちの結果は、二つに分かれていました。一つは、自分の子どもの能力を正しく評価しているお母さんです。 もう一つは、お母さんが子どもの能力を過大に評価している場合です。 その反対の、自分の子どもの能力を過小に評価したお母さんは、ほとんどいませんでした。かなりのお母さんが、子どもの能力を実際以上に過大評価していたのです。ところが、問題は、これからです!二つのグループの子どもの能力を比較してみたのです。すると、子どもの能力を正しく評価したお母さんのグループの子どもの方が、過大に評価したお母さんのグループの子に比べて、高い能力をもっていたのです。どうしてでしょう?子どもを正しく評価できるということは、それだけ、密接に接してあげているから、という見方もできますね。でも、べったりついて、教育ママをしていても、子どもの能力を超えて、押しつけ的な環境を与えていると、子どもの能力は低下してしまうと考えられます。逆から言えば、子どもの能力を正しく評価できるお母さんは、毎日の生活の中で、子どもの能力に見合った環境を、知らず知らずのうちにつくっていた、ということなのです。能力に合った教育的環境とは、進歩のない、刺激のない環境という意味ではありません。 その子にとって、手を出したくなる、適度な難しさ、複雑さの環境という意味です。 そして、好奇心開発の秘密も、実は、そこにあるように思います。 その子の脳の世界のフィルターにひっかかるものでなければ、意欲も好奇心も湧きません。 しかし、簡単過ぎてもダメです。 ほとんど理解できるんだけど、ちょっと違う。ん?という感じ。アレ?っという感覚です。 こういうのがあると、思わず手をだしたり、調べてみたくなるんですね。 親バカは、子どもを信じるという意味で、とっても大事な、ある意味、子どもの魂の最後のよりどころとして大切なものであると思います。 しかし、毎日の教育環境をつくる上では、逆効果を生むことが多いようです。最も効果的な英才教育は、難しい問題を与えるのではなく、子どもの実力に見合った、ちょっと難しい問題を与え続けられるかにかかっているようです。それを判断するのは、親でも難しいものです。では、何で判断するのか?それは、子どもの行動です。子どもが好んで手をだすもの、喜んで取り組むもの。それを、先入観や思いこみのフィルター無しで、受け入れるのです。子どもをありのままに受け入れるんですね。そこから、スタートです。あくまで、モーターは子ども自身です。お母さんがモーターになってはいけません。お母さんは、良き、環境を作ってやるだけです。子どもが自主的に手をだすものこそが、最適水準なのです。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.30
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「科学には好奇心が必要です。」 「好奇心がなければ天才に慣れない。 そして、好奇心が天才を作るのです」 チャールズ・H・タウンズ博士 (電波から光をつくり、レーザーを発見してノーベル賞受賞)今日のメルマガ(1/30幸せ~)にも書きましたが、偉業を成した、科学者の少年時代を探ることは、教育の在り方に、とっても参考になると思うのです。何より、私は、はてなランドから、科学者を輩出したい、という野望をもっています。タウンズ博士ほど、周囲に反対されながら、自分の信じる道をつき進み、成果を出した研究者は、そういないでしょう。 レーザーのもととなる理論開発の研究チームも、一度解散させられ、理論ができても、実験成功まで、周囲の先輩学者に、否定され続けました。学部長から、予算の打ち切りも宣告され、尊敬するノーベル物理学賞受賞の大物博士からも、否定されます。それでも、前に進ませたのは、お父さんが、常々「自分にとって、何が正しいのかをよく考えなさい。 他の人たちが自分と違った事をしていても 構わないんだよ。 人と違う事をしていても、 自分の考えが正しいと思ったら、 むしろその事に、誇りをもちなさい。」 「大事なことは、 自信と少しの勇気なんだよ」という言葉をかけていたことでした。博士のお父さんは、弁護士でしたが、野外に出ることが好きで、物事を観察したり、考えたりする事が大好きでした。週末になると、子どもたちをよく、野山に連れ出していました。そして、お父さんは、いろんな事を教えてくれたのです。もちろん、お父さんが大好きでした。タウンズ博士の好奇心を物語るエピソードとしては、独身時代、ひとつのアパートに3ヶ月も住むと、好奇心のおもむくまま、新しい場所に引っ越して歩いていたこともあげられます。ノーベル賞受賞した後も、博士は、少年時代と同じように好奇心をもって、次の分野に挑戦します。「私は新しい領土を見つけるのが好きな探検家のようなものです。」「しかし、その領土に人が住み始めて、人口が増えると また新しい土地を求めて移っていくんです。」「レーザーの分野には、まだ未開拓の分野がたくさんありますが今や大勢の学者たちがやっているので、彼らに任せましょう。」「私は人々が軽視していると思われる事や私がやらなければ誰もやらない事を選びたいと思います。」私たちの身の回りにも、タウンズ博士のような、星の下に生まれた子どももいるはずです。彼らをその天分通りに、意欲に満ちた、研究者に育てることが日本の学校にできるでしょうか?日本の親にできるでしょうか?メルマガでも言いましたが、これから、寅さんは、子どもの好奇心開発という本来のテーマにググっと舵を切っていこうと思います。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.29
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当市の行政主導ではじまった、子育て支援ネットワークが最初の予想を超えて、一人立ちしようとしています。子育て情報誌を中心とした、NPOが生まれようとしています。しかも、その理念がどんどん進化していき、どの組織にも入っていない、孤独なお母さんをターゲットにしてフリーペーパーをより多く発行していこうというミッション(使命)をもつに至りました。とても忙しい中、今の編集メンバーは、本当に頼もしい方々ばかりです。誰一人として弱音を吐く方がいらっしゃいません。私は、面白いな~と思うのですが、今、企画編集部になっているお母さん方は、仕事的には大変なのに、とっても活き活きしているのです。お母さん方自身も、思ってらっしゃるようですが、変な話「子育てを良くするには」と話し合っている間、お母さん方は個々の子育てからは「解放」されているのです。家庭の中で同じことをやれば「放棄」になります。でも、この時間て実はすごく大切なんですよね。って、話しています。視点の転換こそが、必要なんだなあ、って思わされます。たとえば、今まで「私も一人になりたいのよ~!どっかいってくれ~」と心の中で叫んでいた我が子がいざ幼稚園に入ったりして、一時でも離れる時があると、とてもいとおしい存在だった、と再認識させられます。だから、これからの活動でも、母親の都合の良い(自分を責めない)形で、子育てを「解放」してあげる。つまり、その人にできる仕事を、家庭に影響の出ない形で与えてあげる。というのも、ある意味「子育て支援」なのかもしれません。学校へのボランティアも、同様な視点の転換のチャンスなのでしょう。今日も、お家の方々のボランティアで、1年生は、昔あそびで楽しみました。もっともっと、積極的な活動を導き出したいものです。そんな感慨をもった一日でした。やっと、パソコンに迎えたぞ、明日は、バリバリ書きます。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.28
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『笑いが病いを癒す』と信じ、独自のユーモアでたくさんの患者の心と体を癒し続ける実在の精神科医ハンター・アダムスをご存じですか? 彼の若き葛藤時代の映画を再び見る機会がありました。この作品は主人公ハンター・アダムス、通称パッチ(精神病院時代、患者仲間の紙コップの穴をシールで継ぎあて修理”パッチ”したことからこのあだながついた)の生き方を通し、人と人が心を通わせることの素晴らしさと偉大さを描いています。ロビン・ウィリアムスは、強く自由な心を持ち、人を引き付ける天賦の才能をもった医大生パッチを熱演しています。パッチと患者たちは、互いのユーモアと笑顔によって心を通わせ、互いに癒されていきます。患者の希望を叶えるためなら、彼はヌードルがぎっしりつまったプールも用意するし、医療器具を使い道化師にだってなる。そして、患者の死でさえ、強く優しく見守ることができるのです。最初はパッチの優秀さや自由な心を妬んでいたクラスメートとも医療現場の事務的で人間味のないシステムに慣れきってしまい改革を嫌う学部長でさえ、パッチとのふれあいを通じ、心が暖まっていくのです。しかし、人と人が触れあうということは、良くも悪くも必ず相手に影響を及ぼします。パッチの行動は、確かに苦しんでいる患者たちをはじめ周囲の人間に夢と希望を与えますが、必ずしもよい結果ばかりを生んでいるわけではないのです。その辛さを経験し悩み苦しみ、乗り越え、成長しいくパッチの姿に、共感を覚えました。 物事の本質は、問題ばかりを見つめていると、答えが見つからないこともあるのです。医者が人間(患者)でなく、病気にばかり目を向けると死を遅らせることばかりに注力してしまい、本当に大事なこと、つまり質の高い『生』を与えることを忘れてしまうのです。学校も子育ても同じですね。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.27
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担任の先生が替わった、例の1年生のクラスで、先生が泣く事件が、また起きました。と言っても、生徒が先生を騒いで困らせたわけではありません。生徒の一人が、休み時間に、校庭のコンクリートにアタマをぶつけて、病院に連れていかれたのです。後頭部をしたたか、ぶってしまい、意識はあるのですが、実際どのくらいのダメージだったのか、よくわかりません。寅さんも、現場にいなかったし、そのドタバタが聞こえないところにいたので、生徒の様子もわかりませんでした。担任の先生方が、いろんな手配をしている間、寅さんは、また、例によって、実験クイズで、教室に残された生徒の、時間をつぶしてあげていました。(今日は、何をやったかは、後でお知らせします)しかし、その途中で、一旦クラスに戻ってきた先生の姿、その落ち込みようと、涙は、数ヶ月前の前担任の先生をありありと思い浮かばせるものでした。寅さんの心をス~っと青いものが通りすぎていきました。病院へ送りだし、戻ってきた先生の姿。まだ、検査の結果はわかりません。給食の時間、やはり、前担任と同様、一つも箸をつけません。私は、さらに、冷たいものが心を通過し、大食いの寅さんも、よく味わえないで食べています。一人の生徒が、みんなを笑わせようと、ギャグを連発しています。そんな時、保健室の先生が、検査の結果、すべて大丈夫だったことを伝えに来ました。廊下に飛び出す先生。保健室の先生と抱き合う先生。先生はようやく、自分の皿に食事を盛りました。さらに、おかわりを薦めに、バケツをもって、まだ、食べられそうな子の皿に、おかずを盛ってまわっています。私にも、ドサっと二人前、盛っていかれました。その時の先生の目にあった涙を、私は決して忘れないでしょう。自分の責任になるから、心配なのだ、という見方もあるでしょう。また、学校の管理責任を追及する見方もあるでしょう。いずれも、正しいと思います。しかし、それらを踏まえても、なお、私は、先生に手を合わせずにはいられませんでした。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.26
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私が文章を書くのが好きになったのは、小学1年生のとき、自由帳に、詩を書いたのです。内容は、何と、花とお話しする、女の子みたいなものでした。人に見せるようなつもりのものでは、ありませんでした。そのノートが、何の拍子か、10才年上の叔母に見つかってしまったのです。子ども心に、とっても恥ずかしく、隠そうとしたら、叔母(オバと言うのは、実際失礼ですね。バリバリの女子高生でしたから)が真顔で、「とっても、すばらしい!」「感動したわよ!」「~ちゃんは、書く才能があるわよ!」って、ほめちぎってくれたのです。これが幼い心に、ストンと入っちゃったんですね。書くことが、全然苦にならなくなりました。それが、さらに、高学年のとき、作文指導に定評のある先生とめぐりあい、バリバリ書くこととなります。そして、その叔母が演劇部員だったのですが、その大好きな叔母に連れられて、演劇部の部室に通うようになって、あの独特な世界にあこがれをもってしまったのです。もし、あの、ヘンテコな詩を、バカにされていたら、ずいぶんと、寅さんの人生も変わっており、今、このように、ベラベラ書いていることもなかったと思います。最近、感動した本をご紹介。元小学校の校長先生が、朝礼で語りかけた内容の本です。「続・おはようございます」~朝礼訓話 第2巻 校長10年の語りかけ(佐久書房)私は40年間、教育にかかわってきましたが、その長い経験で得ましたことは、「ほめること」「叱ること」「教えること」の3つをうまくかみ合わせた教育が、健やかな人間を育成することができるということです。「かわいくば、3つ叱って5つほめ、7つ教えて、よき人とせよ」という教訓からいくつかの事例をあげて、話を進めたいと思います。「ほめる」ということについて、依然読んだ本で、大変感動した話があります。それは、24歳になる、ある死刑囚の話です。暗い独房の中で、短い一生をしみじみ考えながら、たった1回だけ学校の先生にほめられたことを思い出したのです。それは、中学校の時、図工の先生から「おまえの絵は下手だか、構図はクラスで一番立派だ」とほめられたことでした。そこで、彼はその先生に、自分の犯した過ちや、短い人生の中で、たった1回だけ先生からほめられたことの喜びを、手紙にしたためました。その後、先生から返事が来ましたが、その先生の奥さんは、短歌の造詣が深い方で、死刑囚の心を少しでもいやしてあげようとの配慮があったのでしょう、文面の最後に、先生の奥さんの詠んだ歌が三首添えてありました。手紙を読んだ死刑囚は、すっかり感動し、それからせっせと和歌作りに励むようになり、33歳で処刑されるまで、実に多くの歌を詠んだのです。そして、処刑される前に、「永らくお世話になりました。私が24歳の、ある寒い夜、ひもじさに耐えかねて、農家に押し入り、2千円を奪いました。しかし、その農家の人に見つかってしまったので、殺してしまいました。しかし、そんな暗い人生の中で、たった1回だけ、先生がほめてくださいました。私を認めてくださいました。そのことがきっかけで、今、真人間になることおができました。どうか、つまらない、どんなくせの悪い、どんな貧乏な子どもでもほめてやってください。」という内容の遺書を残しました。彼の辞世の句は「ほめられし 一つのことのうれしかり 命いとしむ 夜の思いに」低能児といわれた彼が、学校の先生にほめられたことの感銘が、いかに深かったかが思い知らされます。この死刑囚はご存知の方もおられるでしょう。島秋人さんです。故山本五十六元帥のことばで、私の座右の銘としている教訓を紹介します。「やってみせ 言って聞かせて やらせてみ ほめてやらねば 人は動かじ」メモです。★これからの教育の方向性に関する提言(日本経団連) 日本経済団体連合会は1月18日、これからの教育の方向性に関する提言を行った。提言では、教育力低下について危機感を示し、今後の方向性として、教育機関間の競争促進 、受け手のニーズに対応した教育予算、国際化時代にふさわしい教育内容のあり方、組織的な学校運営の確立など示している。参照:これからの教育の方向性に関する提言【日本経団連】http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/003/index.htmlたかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.25
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別のテーマで書き出していたのですが、紙面変更!ある方に、緊急に送ったメールを転載します。ある中学校で、教師の不祥事が発覚して、それについての、学校説明会が行われるということです。その教師の態度は、2年前から、異常だったのに、管理職が注意をするどころか、助長していた節もあります。ある保護者が、この際、学校(特に校長)を追求するにはどうしたら良いか、というご相談を下さったものですから、それに、緊急にお応えしました。私は、事情をしっかりつかんでいるわけでもないので、全面的に正解ではないと思いますが、考えの整理に使っていただけたら幸いです。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: ところで、ヒドイ話ですね。根本的にヒドイですね。私は、この場合、本気でケンカしないことをお薦めします。お子さん本人が被害を受けたわけでもなく、校長が、本当にそう言ったのか、証拠があるわけでもないからです。ほとんどの場合、先生の不手際を指摘し、怒りにまかせて責任追及しても子どものためにはなりません。先生の態度は硬化して、ご心配の通りに、お子さんを見る目もおかしくなり、人の意見を聞く耳もなくなってしまいます。心もアタマも固まってしまうのです。どちらにしても、良い結果は出ません。いろんな問題を校長が協力して解決してくれないときは、教育委員会の助力を仰ぐしかありません。教育委員会の敷居はそんなに高いところではありません。手順に沿って、要望書や申立書などを出しておけば、その問題に対する担当者が決まって、いつでも相談に行けます。むしろ、どうしようもない校長を相手にしているより、結果はすぐに出ます。担任や校長を怒らすと直接子どもに仕返しされる心配がありますが、教育委員会は直接子どもに手出しできない分、モノが言いやすいと考えて、気楽に訪問しましょう。教育委員会の指導課の人たちは、現場の先生を経験していますので、あなたの言葉を学校の先生に分かる言葉に翻訳して校長先生たちにあたってくれます。先生に対してどう言えば分からないときなども、うまい言い方を教えてくれます。校長とケンカになれば、取りなしてもくれます。ただ、その場合でも原則として、担任→校長→教育委員会という順番は守らなければ 話を聞いてもらえません。上にお願いするときは、どうしても感情的になって担任や校長をこき下ろしがちです。しかし、「辞めさせろ」「責任をとれ」「指導しろ」などとは言わないことです。それらは、事実が明らかになれば、教育委員会がせざるをえなくなります。あなたが矢面に立つと、かえって物事はすすまなくなります。その上で、1.校長先生や担任と、あなたのやりとりを、忠実に再現した会話内容を、 マメにその都度、メモし、FAXや届け出文書で報告する。2.学校にも、届け出文書を、出し、頻繁に会う3.学校に出したものと同じものを教育委員会にも添付し、学校と交渉した内容を 報告、FAXする。これらをマメにこなす覚悟が必要です。そこで、明日の作戦ですが、こういう保護者会は、全くの不毛です。絶対に収穫はありません。保証します。せいぜい、どんな言い訳を学校がするのか、聞いて、メモをとっておきましょう。そして、どうしても腹に据えかねるときはユーモアの振りかけを、いっぱいかけて、事実確認だけをしましょう。相手が笑いながら、ポロっと、口をすべらせたらこっちのもんです。すべて、その後で、事実をまとめて、届け出文書で質問してから始まります。くれぐれも、明日は、突出しないようにすることをお薦めします。ではでは。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: ご相談いただいたこと、うれしかったです。皆様、ぜひ、お気軽に、グチをこぼしに来てください。ただ、昨日の日記でも書きましたように、私の考えも、一つの参考でしかありません。ご自分が主人公ですよ。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.24
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最近イイことが続いています。年賀状1等にはじまり、新聞に、クラブの活動が、でかでか載るは、メルマガが、すばらしく伸びているは、これも、すばらしいメルマガの先輩の方々のご支援のおかげですし、この場でも、リンクしてくださる方、お知り合いになれた、ステキな方々がいっぱい。私は、小さいときから、おいしいごちそうを前にすると、胸がいっぱいになって、食べられなくなるクセがあります。ちょっと、その症状が出てきたのです。このプチ幸せを、放したくない。皆さんに嫌われたくない、ってね。特に、ほめられると自意識過剰になるんですね。自然体が一番、ほめられても、けなされても、自分は自分なんです。つくづく、自分で自分を縛っていることを思い知りますね。 で、ハタと考えてみれば、今日発行した「学校~」メルマガでも言いましたが、世の常識に囚われて、自分の幸せを縛っているお母さんってっとっても多いんですね。その先入観のトップが、「母親は、子ども好きでなくてはいけない」だと思います。早速、今朝のメルマガの感想をもらいましたので、ご紹介したいと思います。あとで、メルマガでも、気合いを入れてご紹介するつもりですが、私の、心と教育の師匠である、篠秀夫さんです。相澤様 「ですから、私にはとても衝撃でした。 しかし、もっと衝撃的だったのは、 「私もそうです。」という 周りのお母さん方からの、 慰めの中から出てきた言葉の数々でした。」メルマガより実際、そういうお母さんがいっぱいいます。子どもを愛せないと言って、自分を責めるのです。そんな時は、愛するというのは自分の意志でどうこうなるものではありません。自分の意志でどうにもならないものに対しては責任がありません。「ミカンが嫌い」というのとあまり変わりません。子どもが好きになれなくても「悪いお母さん」ではないのです。子どもが嫌いでも構わないのです。でも、お母さんの意志で出来ることはやってあげてください。それは子どもを産んだ、お母さんの義務です。それは、なるべく子どもの側にいてあげる。子どもの話を聞いてあげる。一緒に遊ぶ時間を作る。最初から、子どもを思い通りにしようとするのではなく、まず、子どもがやりたいことをよく観察してから、お母さんの想いを伝える。(押しつけない)(お母さん達の話を聞いていると、思い通りにならない子を好きになれないことが多いように感じます。)そうすることで、子どもを愛するいいお母さんにはなれなくても、子どもと仲の良いいい友達にはなれるはずです。成長したら、きっとお母さんを支えてくれる大切な友人になってくれると思います。それで充分です。それだけで子どもはちゃんと育ちます。もしかしたら、“おまけ”で、そのような日常の中で子どもへの愛が目覚めるかも知れません。そんなことを、お母さん達に言っています。アドレスが変わりました。ご注意下さい。以下の通りです。------------------------------------URL: http://www.geocities.jp/nenemu2001/ikuji/ikuji.htm 「しょうなん 育自の会」URL: http://www.geocities.jp/nenemu2001/ 「生命を考える」 茅ヶ崎「賢治の楽校」/「ポランの広場」/アートスペース「ネネムの森」篠 秀夫 kodomotachihe@yahoo.co.jpありがとうございます。みなさん、一度、ホームページをご覧ください。目からウロコってもんじゃありません。目から角膜が落ちます。私たちの犯しやすい、大きな過ちは、自分の考えを、いわゆる専門家と言われる人や世の風潮というものに、簡単に明け渡してしまうことです。学校の先生から、教育評論家、マスコミ、…たしかに、専門家の話には、耳を傾けておいた方がいいこともあります。しかし、最後の決断だけは、自分のためにとっておくべきです。幸せや喜びは、私たち自身の内面からあふれ出てくるものであって、他人からもたらされるものではないからです。簡単に主人の座を、専門家に明け渡すのは、「恐怖心」からでしょう。これを聞かなければ、大きな過ちを犯すにちがいないと不安になるんですね。私の幸せのボスは、私だ!ということをみんなで確認したいな、と思います。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.23
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週末は、寅さんは忙しいのです。って、何を言い訳してるんじゃ。これから、メルマガの編集後記を張り付けて、お茶を濁そうと、フテー考えをしてることをごまかそうとしているのです。またまた、ステキなコメントをいっぱいもらって、感謝の言葉も、すぐ出てきません。では、貼らせていただきます。本日の河北新報、と言っても、宮城県人しか知らないか。 「白河以北、一山百文」とバカにされた東北を、自ら発憤材料にしようと 命名された新聞です。 その東北交流ページのトップに、 寅さんの「ウィークエンドはてなクラブ」がでかでか載ってしまったゾよ。 寅さんが、プラネタリウムの暗闇の中で、 子どもたちの前で、実験している姿(もう、どっちが子どもかわからん姿) も、写真で公開されています。 おかげで、お祝いの電話で、なかなかメルマガを発行できず、もう、こんな時間。 それにしても、ありがたい。 お正月から、お年玉ハガキに続き、こんなにツイていていいのだろうか。 実は、28日にも、今度は、子育て情報誌の取材が入るのです。 え~、私のサインは、今のうちに、ゲットしておいた方がお得ですよ。 てなわけありません。 ほんとに、多くの方々のおかげなのです。 おかげと言うより、犠牲の上に成り立っているとも言えます。 私だけが、目立つことに、申し訳なさでいっぱいです。 これまで、お礼を欠いてきてしまった方々、ご迷惑かけっぱなしの方々、 ここで、あらためて御礼と、「そのうち、必ずご恩返しをしますからね。」 と、申し述べさせていただきます。 また、このメルマガを紹介くださった方々、 楽天日記において、友達の輪を作ってくださってる方々。 あなたのおかげで、寅さんは、今日もイタズラができるのです。 足を向けて寝ていませんよ。尻を向けていますが。 たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.22
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むかし、むかし、あるところに、幸せを探し求めて、世間をうろつき歩くおせっかいな、フーテンがいました。ひと呼んで、フーテンのブタさんと言いました。あるとき、白髪の老人で、いかにも仙人という人に会いました。「どこへ行くんじゃ?」「幸せをもとめて、あてもなく旅を続けています。」「ホッホッホッホ (水戸黄門笑い) 探すという方法で、幸せを求めたやつは、だれもおらんよ キミは、青い鳥を読んだことは、ないのかね?」「でも、せめて、わる~い悪代官をやっつけさせてください。 そうでないと、民は幸せになれません。 助さん、格さんを貸してください。」「倒すのはいいが、誰かを倒して幸せになったやつも、おらん」「せめて、たいへんな目にあっている人たちに、 緊急支援の援助隊を派遣してあげないと」「援助はいいが、それに頼ってしまって、 そのまんまの自分が信頼できなくさせてしまうなら、 とんでもない、罪悪であ~る 支援されるのが、惨めな感覚を引き起こすこともあ~る」「じゃ、何もしないんですか?!!」「幸せのために、さがしまわったり、あれがあれば、こう変わってくれれば、とあくせくすることは、すべてあっち向いてホイ、じゃ。」「じゃ、ただ寝てる?」「生きることを楽しむことじゃ。歩き回ることを楽しむことじゃ。いろんなものをゲットすることを、楽しむことじゃ。支援されることを楽しむことじゃ。幸せは、歩くことそのものにあ~るのであ~る。」「今、この時点で、幸せになるということですね」「そうじゃ、今、幸せでない者が、何かをしたって、未来永劫、幸せにはなれないのじゃ」「そうか、いやなお代官とのお付き合いを、楽しめばいいのですね」「そうじゃ、ご政道を変えること、そのものを楽しんでやればいいのじゃ」とすると、と、フーテンのブタさんは、考えました。この世は、すべて遊びじゃないか??遊ぶことが、人生じゃない、ブタ生を、真剣に生きることじゃないか?とすると、イタズラ感覚で物事を考えればいいんじゃないか!!そうなんだ、うん、今日も、学校にイタズラに行こう。と学校に行く、フーテンのブタさんでした。パチパチパチ。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.21
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今日は、日記が書けませんでした。なぜだか、よくわかりません。昨日の日記に対する、自分自身の違和感がどこかにあるからかもしれません。Akikoさんは、本当に鋭い。私自身が気づかない、私の真意を感じておられます。Akikoさん、そして冬遍路さんのコメントは、私自身の内部へと、深く引っ張っていってくます。皆さんには、面白くも何ともない部屋です。この日記は、やっぱり私の個人の日記だから、グチャグチャのスープでいいのかな?昨日の肝っ玉戦争、あれは確かに一面の真実です。 しかし、本当は、私は、進んで負けることに魅力を感じます。野口体操で、信じるということは、「負けて、参って、任せて、待つ、」と確か言ってました。力みが一切消えたとき、最も強くなるのです。幸せになるのです。宮沢賢治じゃないけれど、でくの棒に、なりたい。もう、実際、なってるか。じゃ、これでいいじゃないか。イイ先生、ばんざい。でも、ヒドイ先生も善いじゃないか!?正直者バンザイでも、ウソつきも善いじゃないか!?勇気ある人バンザイでも、小心者も善いじゃないか!?デキル人間すご~い。でも、ダメ人間もいいじゃないか!?これらは、きっと、絶対にきっと、大したことじゃないんだって、ささやく声が聞こえるんだな。本当に大切なのは、人を幸福にするのは、別の次元なんだって。ごめん、メルマガでは、人間になって、シャキンとします。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.20
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AkikoさんのHPに刺激されて、今日は書いてしまいます。子どもが学校の人質になっているという感覚、これが、多くのお母さんの、活き活きとした、学校生活を阻んでいます。何とか、「人質解放」をさせなければ。この人質感は、本来、最も学校とコミュニケーションを図り、支援をいっぱいもらわなければいけない家庭に生まれます。この感覚は、やっぱり弱い立場から、直そうとしても難しいものです。学校と先生側が、そんな感覚を抱かせないように、配慮を徹底すべきでしょう。具体的には、もっともっと、学校が弱い立場、というか、柔らかい立場になることです。しかし、弱い立場の者が、泣き寝入りするのは、現代ではぜ~んぜん、はやりません!もし、やられたら、きちんと、やり返しましょう。それが、礼儀というものです。先生の目の前で、真っ赤になって、怒るのも必要です。校長室で、泣き崩れることも、まったくOKです。ハハは役者になりましょう。抗議文、意見書、申入書など、バンバン出しましょう。地域社会を味方につけましょう。いろんな人々に、「相談」しましょう。そして、そのコメントをしっかり記録しておくのです。あ、そうそう、学校で言われた、ヒドイ言葉の数々、できるだけ、一言もらさず、記録しておきましょう。もちろん、動作もですよ。それらをもっていれば、学校は、もう、こっちの思うツボです。手のひらの上で、踊らすことができます。これらは、不幸な場合ですが、世の中は、やはり非武装中立は、ありえないのではないでしょうか?いざとなったら、ミサイルを撃ち込める、肝っ玉だけは、もっていてそれで、はじめて、平和外交ができるのです。その肝っ玉の中には、学校を捨てることも、選択肢に入ります。学校との戦い、とまで行かなくても、納得いかないことをかかえていることは、多いと思います。そんな時は、どんどん「質問」しましょう。先生は、理解が悪い生徒は、好きではありません。同様に、理解の悪い保護者も嫌われます。しかし、質問して嫌われるくらい、怖くも何ともありません。な~んにも、問題ありません。今以上、悪くなりっこありません。納得するまで、聞いて聞いて聞きまくりましょう。先生のイヤな顔など、子どものゴネる顔と同じです。子どもは何をしでかすか、わかりませんから、かえって安心です。泣き寝入りよりは、数倍、数十倍、ステキな結果が待っています。でもね、世の中すべてですが、上手な戦い方と、ヘタな戦い方があるのです。戦うからには、きれいに勝ちましょう。勝利のイメージをしっかり持ちましょう。その姿には、学校がひれ伏してはいないはずです。ですから、この戦いの後の、平和な世界をしっかり見据えた手は打っておかなければなりませんよ。戦いは、本当に「悪い」ものではありません。その後には、保護者も先生も学校も、必ず成長しています。一回りも二周りも大きくなっています。泣き虫新人の先生も、泣く子も黙るベテラン教師に変身します。ですから、主張することは、絶対「良い」ことなんです。今でも、「お上」感覚をひきずった学校関係者もいます。教師・学校がすべての親・家族に対して、リーダーシップをとろうとする意識が、まだ残っているところがあります。もう、これは、したくてもできない状況です。学校の権威は、もう既に、ボロボロなのです。そのところを、まず確認しておく必要があります。その上で、家族や地域の役割が強調されてきています。しかし、現代の家族は、地域や家族が、従来の枠組みからすっかり解体してしまって、ひとり一人、一家庭一家庭が、孤立し、競争してしまっています。これらを解決するのは、お上が決めた路線に従って、「奉仕活動」をさせることではないことは、明白です。これからの、本当の課題は、「家庭」です。家庭が、孤独のタコ壺に入ってしまっているのか、それとも、「外に開かれた」家庭なのか、ということです。家庭が、分断された社会だからこそ、社会とのつながりが、生命線なのです。どんなライフスタイルを家庭がとろうと自由です。しかし、最低限、社会に「開かれて」いなければいけない。さらには、他の家族との「対立意識」「競争意識」に立った価値観か、それとも、他家族との、「共働」「共創」をモットーとした生き方か、が最も大きいポイントでしょう。その意味で、学校の地域への支援は、最低限、心を社会へ開くお手伝いはすべきでしょう。そのためにも、学校から、まず、社会にすっかりオープンになっている必要があります。オープンになるということは、学校が門戸を開放するという生やさしいもので、あってはなりません。学校を保護者も運営するようになって、はじめてオープンと言うのだと、寅さんは、信じています。先生を保護者が指導するのが、当然だと思いませんか?たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.19
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インターネットは、いろんな人との出会いがあるので、こんなすばらしい、遊び道具はないですね。なんか、お見合い広場みたいなタイトルになってしまいました!もちろん、何十年後には、「何てチャチなおもちゃで、遊んでいたんだろう」って、バカにするんだろうけど。バカにするって言えば、寅さんが学生のころハマッタ、テレビゲームの元祖、「インエベーダーゲーム」と「ギャラリオン」、あれが、100円ショップで売ってるんですね。塾の子がもってきちゃって、うちでできないから、はてなランドでさせてくれ、っていうんです。(なんと言うこと!!)寅さんは、1も2もなく、賛同いたしました。で、やってみると、昔の自分のバカな姿がよみがえってきて、じ~んときます。それより、今やっても、おもしろい。生徒も、昔のゲームも面白いね、って言ってました。ゲームの本質をついたものは、複雑な仕組みや、高度な画像なんて、なんのその、人間の興味にドバ~ンと来るんでしょうね。って、ムダ話をしてるヒマはないのです。時間です。いろいろ考えたのですが、おとといの日記は生かします。なぜかは、説明、時間がないのではぶきます。この日記は、メルマガと違って、寅さんの赤裸々な、ブザマで波瀾万丈の姿を、そのまま、ドキュメンタリー・タッチで描きたい…じゃなくて、毎日の出来事を追っていきたいと思います。そして、まとまった考えをメルマガにまとめるゾ。よし!すっきりした。で、今日まず、皆様にぜひ、ご紹介したい方がいます。と言っても、昨夜、はじめて訪問した日記なんですが、AkikOさんの日記です。;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・ 本質でないことをそぎ落とす、すばらしさ .*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽*)/:・;^・;・ これを学ばせてもらっています。私が日常感じている、学校への疑問と対処法も、ズバリ核心をとらえておられます。ここまで、すっきりされるのに、Akikoさんも、いろいろ、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしたことと思います。本当に、子どもたちは、砥石ですね。すっごい天使ですね。この楽天日記を通じて知り合った、たくさんの素晴らしい方々、その中でも、ぜひ、多くの方に読んでもらいたい、ってHPがいくつかあります。お陰様で、私のメルマガが、ちょっとした数字になってきましたので、そこでも、紹介させていただきたいと思います。掲載する前には、お願いに上がりますので、ご安心を。それにしても、人間の幸せって、何かを付け足していくことの中にあるんじゃなくて、余計なものをそぎ落としていくことにあるんでしょうね。昨日の学校での寅さんは、ある1年生の先生からのピンチヒッターの要望で、体重計を使った実験で時間をつぶしてあげました。本当は、寅さんは、教員ではないので、授業はできないのです。内緒ですよ。保健室から体重計を借りてきて、おりこうさんに立って計ったときと、片足立ちのときと、しゃがんで<うんちすわり>ふんばった時とでは、一番おもくなるのは、ど~れか?というクイズです。はたまた、どれも同じか?予想をとったら、見事均等に分かれました。で、話し合いの末、大きく、同じと、うんちすわりに別れました。答えは、もちろん、同じですが、たったこれだけで、20分十分に楽しめます。さらに、食べ物を食べた分、体重は増えるのか、っていう実験を後半しました。500gの水を飲んだら、寅さんの体重83kgは、83.5kgにぴったりなるでしょうか?はたまた、、ちょっとだけしか増えないでしょうか?いや、全然増えないでしょうか?予想は、ちょっとだけ増えるが一番多く、次が全然増えない、そのまま増えると予想したのは、3人だけ。その中に、「問題をもった子」もいて、とっても良い意見を言ってました。本質をついていました。寅さんは、ビーカーの水をグビグビのんで、体重計にのっかったんです。本当は、この次に、おしっこをしたら、体重は減るか、という実験をしたかったのですが、もう給食の時間になってしまいました。こんなことをしている寅さんです。今日の「幸せ~」のメルマガもお楽しみに。夕方発行です。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.18
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いやあ、きのうは、言いたいことが先にあって、はやまってしまいました。冬遍路さんから、個人の日記なんだから、あやまる必要はない、とおっしゃっていただきましたが、やっぱり、私の思い入れとしても、読んでもらえる日記にしたいと思っています。同じ内容も、書き方で、ずいぶんとちがいますし。そこで、昨日の日記を書き直します。コメント下さった方、ありがとう。冬遍路さんも、ありがとう。で、そっちに精力を使いますので、??今日の日記は、今日のメルマガをそのまま載せたいと思います。冬遍路さんもおっしゃって下さって、はっとしたんですが、メールでの感想は、私しか見られないし、公表するにも、いちいち確認しなければいけません。そういう意味で、ときどき、メルマガそのものをまな板にのせて鯉になったつもりで、どうにでも、料理していただくのもとってもありがたい話だと、気づきました。字数の関係で、途中カットしてあります。;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・ 2005/1/17 第5号 一枚の紙の無限のパワー 子どもの学校を365倍楽しもう =本日のメニュー= 1.ある新米ママの手紙が 2.敵の関係から、戦友の関係へ 3.読者の皆様から感想をいただきました ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ ある新米ママの手紙が ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 寅さんは 宮城県古川市に住んでいます。 ササキニシキとヒトメボレを開発した、お米のふるさとです。 (余計な注意ですが、上のタイトル、「シンマイ」ママです。 「シンコメ」とは読みません。 全く余計な話だ!) (飛騨の古川町ではありません。) 楽天イーグルスの仙台から、新幹線で14分です。 その古川市で、今、すばらしいことが起きようとしています。 ちょっと、学校とは関係ないのですが、 市民が自主的に子育て情報誌を発行しようとしているのです。 「なあんだ、そんなのうちの町にもあるよ」、とおっしゃるでしょう。 でも、古川のは、ひと味、違うのです。ふっふっふっふ。 何が違うかって? それは、 1.お役所の指導によってではなくて、 2.市内に20もある、新米ママのサークルが広く手をつないで、 3.自分たちのお金で、 4.育児で一番たいへんな時期の、自分たちの労力で 組織を作ろうとしていることです。 この人たちが苦労して作っても、すぐ「卒業」してしまって 本当の果実は食べられないかもしれないのに、 後に続く人たちを信じて、しっかりしたものを作ろうとしているのです。 自主独立でありながら、これほど、多くの団体が手をつなぎ、 しかも、子育て支援センターや、健康推進課、子ども家庭課とも うまくやっているのは、珍しいのではないか、と まあ、自慢したいわけです。 オッホッホ。 しかし、これも、決め手となったのは、たった一通の手紙なのです。 以前から、この構想はあったのですが、実現は疑われていました。 それを打ち破って、現実の形にしたのが ある新米ママからの、一通の丁寧なお手紙なのです。 寅さんの楽天日記 「あるお母さんからの手紙」↓ http://plaza.rakuten.co.jp/hatenaclub/diary/200411210000/ ここから、すべて具体的にアクションが起きたのです。 なぜ、この手紙には、そんなパワーがあったのでしょうか? それは、 1.自分の率直な悩み・苦しみがストレートに書いてあること。 2.これが、自分だけの問題ではなくて、多くの人に共通する問題で あること。 3.誰をも非難していないこと。 4.実現できれば、すばらしいことが起きること。 5.自分の力の限界と不安を、正直に出しながらも、 ギリギリまで協力は惜しまないこと。 以上がそろっていたのです。 これが、奇跡が奇跡を生み、孤独と不安に悩む、 お母さんの支えになろうとしているのです。 そして、この奇跡に手紙は、学校現場でも、十分に通用するものなのです。 ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 敵の関係から、戦友の関係へ ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校への応用を、お話しする前に、 もう一つ、ビジネスの中での、魔法の手紙の書き方をお話しましょう。 寅さんは、以前、お酒の問屋を経営していました。 メルマガ「幸せ~」でちょっと書いた、アレです。 問屋というのは、メーカーから安く買い、 小売店に高く売りつければ、儲かります。 ですから、メーカーとも、小売店とも、立場上「敵」であるわけです。 でも、これでは、立場がどんどん弱くなってきた問屋は、 連戦連敗で、ボコボコにされてしまいます。 このピンチを救うのが、一枚の紙、「企画書」なのです。 一つは、対メーカーに、 「一緒にあなたの商品の市場開拓をしましょう。」ともちかけるのです。 こういう作戦でいけば、この古川地区でシェアをこれくらい取れますよ。 私どもは、これこれこういう努力をします。 が、ここは、どうしても力不足です。 貴社のお力を、ここと、ここに投入し、予算をこのくらいつけてもらえば、 きっとうまくいきます! 課長さん、あなたの実績も、うなぎ登りで、めでたしめでたしですよ。 とささやくのです。 メーカーの販売促進部は、商品自体の値引きには、頑として応じなくても、 宣伝費としては、湯水のようにもっているんですね。 そこを狙うんです。 次に、小売店にも、心をこめた、悪魔の手紙、いや、天使の手紙を書きます。 あなたのお店が繁盛するように、お客さんへの宣伝をしませんか? わたしどもは、こういうPRをしてあげられます。 うちといっしょに、地域一番店を目指しましょう!って。 これで、メーカー・問屋・小売店がタッグを組んで、消費者という「敵?」へ アタックするチームができるのです。 そして、企画者としての問屋は、うまく数字をごまかして、 メーカーからは、がっぽり、販促費をもらい、 小売り店には、恩着せがましくドンドン売り込むのです。 もちろん、その商品の実績も上がり、消費者もサービスを受けるのです。 最近はやりの言葉では、WIN-WINの関係とか言いますね。 どちらも勝利者という意味です。 こんなに難しく考える必要もありません。 日常的には、メーカーに、これだけ、宣伝で使ったから、 これだけ、サンプルを送ってくれ!と頼むのです。 これも、ペーパーが必要です。 紙に書いて、もっともらしく、ドンとハンコを押します。 全部、認められなくてもいいんです。 どうせ、ウソがほとんどなんですから。 サンプルは、売って金に変身します。 これをやらなくては、生きていけないんです。 営業部長の仕事は、ですから、作文の仕事です。 どこで、どんな苦労をして、こう売った。 支援をしてくれ。 ここで、今一歩だ、資金協力を。 その独創性と、マメさが、問われます。 全くイマジネーションの世界です。 国語の作文の力が、こういうところで生かされるんですね。 てか! ヒドイ! て思うでしょう。 でもね、メーカーも半分はわかっているんですよ。 その上で金を出しているんです。 というのも、それがないと、問屋は生きていけないとわかってるから。 それに、ウソでもラブレターをいっぱい書いてもらうのは、 少なくとも、関心をもってもらっている証拠なんですね。 「おたくのために、こう頑張っている」という文章をもらうのは、 たとえウソでも、うれしいものなのです。 な~んにも、書かなければ、それまでです。 雀の涙の、値引きでお終いなのです。 そのトビラをいくら叩いても、ムダというものです。 メーカーは、ヒドイ。 問屋はなんて悲しい立場なの?って 泣いているしかないのです。 ところが、 テレビCMや、スポーツ協賛金など、アホみたいにある予算の分を ちょっとだけ、こっちで、かじらせてもらうだけで、 ウッハ、ウハです。 しかも、メーカーにも喜ばれ、小売店にも喜ばれ、消費者にも。 こんな楽しくて、おいしいことが、あるんだろうかってもんです。 ここまで、読んで、ピ~ンときた方は、スゴイ。 戦略家になれます。 ピ~ンとこなくたって、大丈夫ですよ。 ほとんどの人は、そうなのです。 寅さんが、手取り足取り、メーカー、でない、学校から 予算を、じゃない、スペシャル・サービスを獲得する 文章の書き方を指導いたします。 って、ここで、今、朝の6時半です。 本当は、書き方のサワリに入りたかったのですが、 前置きばかり長くて、すみません。 ……… ちょっと悩んだ末 … 今日は、このままお届けしちゃいます。 :*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: = 編集後記 = な~んと、日頃の行いがいいものですから、 えっへっへ。信じないだろうなあ。 年賀状1等が当たっちまったぜい!! 息子が騒いでいるので、もっとマトモなウソをつきな! って言っていたら、マジでした。 100万枚に2枚だそうですよ!! これで、今年の運を使い果たしたのか、 ハタマタ、これからの、めくるめくファンタジーへのトビラなのか。 妹からの年賀状でした。 当然、おやじおふくろの、国内旅行に変身です。 神様、ありがとう。田舎の地方紙に出るかも。 みなさんにも、福をお裾分けしますよ! そうれ! と、ここまでです。ぜひ、ぜひ、ご感想をお願いします。明日は、「幸せ~」の方を載せたいと思います。たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.17
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【悪い人?良い人? だれが、どうして言えるんだ】実は、年賀状の1等が当たってしまいました。冗談だと思うでしょう?私も息子が騒いでいるのを、からかいだと思っていました。100万枚に2枚ですよ。ま~さか。それが。妹からの年賀状でした。地元紙に出るかもしれません。ところで、この幸運は、私の行いのせいでしょうか?何かの波動や、気のパワー? 実は……ここから、喜び踊りの場面から、何の脈絡もなく、くら~い場面に移ります。私の心の整理のための書き物です。お化け屋敷が嫌いな方は、さようなら~することをお薦めします。エッ読むんですか?私は、最近、憤りをもっているのです。 災害や事故に遭うと、日頃の行いが悪いからだ、という人が決まっています。良い行いをすれば、良い報いを受け、悪い行いをすれば、悪い報いを受ける。だから、逆も真なりで、災害が起きるたびに、身内に不幸が続くたびに、何か、良くないことがあるのだろう、と思われる。昔は、神様が怒っているのだから、神様をなだめるために、犠牲をささげたり、様々な儀式が行われました。21世紀の現代、犠牲を捧げる人は、少なくなったかと思いきや、逆に、心の持ち方や、隠れたやましいことがあるのではないか、という目で見られる。いわゆる、成功哲学が、神にとって代わって、金銭的に成功していないものは、神の祝福から見放された者。呪われるべきことを、してしまっている者、と見られているように思います。たしかに、経済的な失敗には、それなりの理由があるでしょう。「原因と結果の法則」はあるのでしょう。しかし、です。どう考えても、その人のせいではない事故もいっぱいあるのではないでしょうか。津波でさらわれた子どもたちは、何をしたというのですか?あの子たちが、助かった子どもたちより、特別悪かったというですか?失業してしまったお父さんは、本当に社会の落伍者なのでしょうか?大企業のトップで、人を人と思わずに、アゴで使っている役員より、どこが悪いというのでしょう。マーフィーの法則では、潜在意識が悪いと言います。では、お金持ちのお父さんは、よほど、潜在意識が良かったのでしょう。エっ、潜在意識は倫理的なことには、反応しない?ただ、金が欲しい!と思って、イメージしたほうが勝ち?そういう人が、祝福される?今、恐ろしい、成功宗教が蔓延しているのではないでしょうか。そして、現代の魔女狩りが進行しています。十分な稼ぎの無いお父さんは、呪われるべきだという。これが、学校教育や、子どもの教育に影響を与えていないはずがありません。今、先生が、確固とした価値観を教えられない状況の中で、唯一の価値観は、金銭と快楽になっているのではないでしょうか。私は、旧約聖書のヨブ記を思い起こしてしまいます。ヨブは善良な人間でした。神は彼について言われました。「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない…」そんなヨブに何が起こったでしょう。彼はもっていたものすべてを失いました。家畜・農作物…ある日、家の屋根が落ちて、子どもが全員死にます。もし、このようなことが、あなたに、またはあなたの身内に起きたとしたら、あなたは、その人に何と言うでしょうか?それは、神を裏切ったから?それは、陰で悪い事をしているから?善良のふりをして、偽善者だった?それとも、イメージ力が足りなかったから?ヨブの反応はどうだったでしょう。彼は、神の前で地にひれ伏し、悲しんで上着を裂き、言いました。「私は裸で母の胎から出てきた。また裸で私はかしこに帰ろう。」主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」こんな言葉を言えるでしょうか。すばらしいんじゃないでしょうか?普通なら、エライ!っていうことでお涙ちょうだいでめでたし、めでたし、となるところです。ところが、今度は、ヨブ自身が、全身腫物で苦しめられるのです。見るに耐え難いほど、惨めなひどい姿となるのです。何と言うことでしょう。彼の妻でさえ、神を呪って死んだ方がましだ、と言います。彼をそれまで尊敬していた人たちも、もうみんな、彼をあざけって、顔をそむけます。三人の親友が来て、この苦しみは彼の罪によって、引き起こされているのだから、悔い改めろ!と迫ります。こんなことって、あるのでしょうか?聖書はあると言ってます。実際、どうしようもない性犯罪者に狙われた1年生の女の子神戸で死んでいった人々よっぱらい運転の車にひかれた子ども不治の病に冒された赤ん坊、障害をもつ子の親は、常に誤解と白眼視に悩みます。何が悪かったと言うんだ!私は、まだ、前の会社のことを引きづっています。何が悪かったというんだ!たしかに、不十分なところはあった。しかし、あの今も、のうのうとしているあの経営者より、出来が悪かったとは、到底思えない。うちの社員が、一致団結しなかったわけでもない。得意先サービスが悪かったわけでもない。こんなことを言うと、そんな自己弁護ばかりしているから、ダメなんだ、と言われます。一度、破綻した会社は、ボロクソです。人間のクズのように扱われます。しかし、それに安易に同意していいものでしょうか?はい、私が悪うございましたって、言っちゃっていいものでしょうか?ヨブは、この不幸をもたらしたのは神ご自身であると信じて疑いませんでした。この不幸をもたらしたのは、彼の罪のせいではないと確信していました。彼の知性は神の目的と方法について、神に問い質します。「神様、どうして貧しい人々がいるのですか?どうして罪なき者の苦しむのをお許しになるのですか?どうして悪い人間が幸せに暮らしているのですか?どうして私のお願いに耳を傾けて下さらないのですか?神様、苦しみが終わり、みもとに休むことができるように、どうして私を死なせてくださらないのですか?」それに対する神様の応えです。直接の応えにはなってません。が、父が子に対して言う厳しい叱責の言葉でした。「私が地の基を据えたとき、あなたはどこにいたか。分かるなら言いなさい。……あなたは命じて朝をよび起こし、暁を東の空に上らせたことがあるか。…光の分岐点へ行く道を知っているか。…あなたは数々の星を引き留めることができるか。…直感や本能を与えたのは誰か。…わしが高く空を飛び、高い崖に上に巣を作るのは、あなたが命じたからか。…あなたはなおも、全能者と論じたいのか。それともゆだねたいと思うのか。神を批判する者よ、これらに答弁できるか」「…だから、だれがいったい、わたしの前にたつことができよう。誰が私にささげたのか、私が報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、私のものだ」ヨブは答えました。「あなたにはすべてができること、あなたはどんな計画でも成し遂げられることを、私が知りました。…まことに私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知り得ない不思議を。…私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」ヨブの苦難の理由を全く誤解していた三人の友人にも、主は厳しく叱ります。そして、「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増やされた」のです。ヨブが自分を不当に責めていた人々を祝福した時、神はヨブを祝福されたのです。そして、天地宇宙の働きについて、その善悪を、二度と問題にすることはすまいと誓ったのです。私たちの人生に、これからどのようなことが起ころうとも、それに目をふさぐのでもなく、誤解から心を引き裂く人々を呪うのでもなく、できれば「喜んで」「遊んで」生きていきたいものです。精一杯。今日は、私の「爆発」の日記でした。すみません。今晩「学校~」のメルマガで、届出書のことを書きます。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.16
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「学校の先生に好きになってもらうには、 どうしたらいいと思いますか?」と、1年生にたずねることがあります。「おりこうさんにする。」「ろうかを走らない。」「おしゃべりをしない」「授業中、トイレに行かない。」「イタズラをしない。」「ケンカをしない。」中には、「相澤先生をいじめない!」な~んていうのも。高学年にたずねても、「勉強をがんばる」とか、「係りの仕事をしっかりする」なんてのが、いっぱいいっぱい、限りなく出てくることと思います。このことをどう思いますか?先生に好きになってもらうには、しなければならないことは、な~んにも無いはずです。先生は、あれも、これも、たとえできなくたって、君たちを無条件で好きなんだよ~ってこと、伝えきれていないんですね。あえて、条件を言うなら、「先生を信頼して、先生を好きになること」です。どんなにアタマが良くて、行儀も良い子でも、先生を本当の意味で信頼していないで、よそよそしい子がいます。そういう子は、たとえ、先生が愛情をもって接しても、それをストレートに受け取れず、自分で壁を作ってしまいますから、「先生から好かれている!」という喜びと安心感に欠けた毎日です。しかも、もし、成績が良いことが、好かれる条件だと思って成長してきけば、将来、何かのきっかけで、成績がダウンしたとき、自分は、誰からも相手にされない、存在価値の無い人間だと自分を肯定することができなくなります。これは、対先生にとどまりません。多くの人々が、社会の中で、人の好意を得ようともがいています。「あれをしなくちゃいけない。」「こういうことができるようにならなくちゃ。」もちろん、就職したりするには、資格が必要なときもあります。しかし、人の好意を得るために、欠かせないのは、資格ではなく、「相手を先に信頼して、相手を好きになってしまうこと」この肝心なことを忘れてしまっていることが、本当に多いと思います。子どもたちにとって、先生は、将来出ていく、「社会」の象徴的な存在です。先生への接し方、姿勢が、社会へ巣立つモデルになるのです。子どもの将来のためにも、できるだけ「生きやすい」「楽しく」生きるスタイルを身につけさせてやりたいものです。 以上、昨日の日記で言い足りなかったことでした。昨日、宮城県の最大の地方紙の「河北新報」の記者がはてなクラブの取材に来られました。いっぱい話したので、疲れてしまい寝てしまい、本日の実験準備ができていません。これから、この場を借りて、実験メニューづくりをしたいと思います。興味のある方は、続けてお読みください。と、思っていたら、メルマガの感想メールが続々届いているのに気づく!!!何せ、寅さんは、他紙のメルマガ購読中毒で、購読は300紙を下らないのです。うっかり大事なメールが埋もれてしまうことがります。とにかく、感激!中には、中国からのものもありました!せっせ、とお返事書き。さらに、超人気メルマガ、「親力で~」に紹介されていることを発見(お願いしていましたのですが)これまた、涙がチョチョ切れるくらいにうれしいです。ありがとうございました。ということで、これから、実験準備開始!お品書きを書くヒマがあるかな~?まず、静電気の実験導入は、アタマにかぶりものをさせて、アタマのヒラヒラを静電気で上げるッと。材料は、発泡スチロールの踏み台とエンビパイプとティッシュ。上がったら、今度は、放電。放電は、蛍光灯でピカっとなってもらいましょう。よし、準備よし。次、各自の実験。ひとりひとりに、竹串とそれを立てる発泡スチロールのカケラを渡す。次にアルミホイルを切って折りたたんで、竹串にヤジロウベイのようにかける。これで静電気のパワーを計る回転式検電機ができるっと。問題1.次のものをティッシュペーパーでこすって、回転式検電機に近づけたら、針は引き寄せられるでしょうか?1.プラスティックの物差しや下敷き2.ストロー3.ろうそく4.ガラスの試験管5.琥珀問題2.次のものは同様にどうか?1.チョーク2.風船3.塩ビパイプ4.鉄パイプ5.アルミパイプよし、準備よし。問題3の1.紙袋に入っているストローを紙袋に入れたまま、 中でこすり合わせます。そして、紙袋に入ったままのストローを検電器に近づけたら、針は動くか?ア.引き寄せられるイ.動かないウ.反発して逃げていく問題3の2 さっきの紙袋の紙の方だけを近づけたらどうなるか?問題3の3 もう一度、ストローだけを取り出して取り出してもう一度問題4 ストローを竹串に真ん中ころを刺して、動きやすくしたものを アルミホイルの代わりにします。 そのストローもティッシュでこすっておくと、 別のストローを近づけたとき、どう動くでしょうか?問題5. 電気的には中立の金属のヘラを糸で吊して動きやすくして、 プラス電気(試験管)を近づけたら、どうなるか・問題6. 今度はマイナス電気を近づけたら(塩ビ管)?問題7. 竹のものさしをつり下げます。 それに、プラス電気とマイナス電気をそれぞれ近づけると?問題8.次に、ニンジン・ナガネギ・キウリをぶら下げて ストローで動かせるか実験問題9. コップに水をすりきりいっぱい入れて、それに 静電気を近づけたら?<次に電流と磁石です>1800年にボルタが電池を発明すると、たくさんの科学者がこの電池を使って、いろいろな実験をはじめましたが、その中に、エルステッドというデンマークの科学者がいました。彼はこう考えました。「磁石には、N極とS極がある。電気にも、プラス極とマイナス極がある。そして、電気も磁石もひっぱりあったり、しりぞけあったりする。それに、カミナリは電気のしわざだが、かみなりが落ちると、磁石の針がくるったり、十字架やナイフなど鉄でできているものが磁石になったりすることがある。どうも、電気と磁石とは深いつながりがありそうだ。」「もしかすると、電池を使って、磁石の針を動かしたり、鉄を磁石にすることができるかもしれないぞ」同じような考えの学者は何人もいました。そして、電池と磁石をいろいろ並べたり、針金に電気を流したり、止めたりしてみました。しかし、電池の近くにおいた磁石の針が動いたり、鉄が磁石になったりすることはありませんでした。みんなの予想はあたらなかったのです。しかし、エルステッドは、あきらめられませんでした。5年たっても、10年たっても。そして、1820年になっていました。コペンハーゲン大学の教授だったエルステッド先生は、ある春のこと、最上級生相手に、難しい最近の研究の話しができるのをラッキーと思って、「今日は、電流と磁石のことについて、講義と実験をやります。」机に上には、大きな電池と針金や磁石の針「……以上のようなわけで、針金に電流を流して磁石の針のそばにおいても、何か変化がおこっても良さそうですね。もっとも、このことはまだ、だれも確かめたことがないので、本当かどうか分かりません。 しかし、私はきっとそういうことがあると思うのです。……。」問題1 磁石の針に平行に、電流を流したら、磁石は引っ張られるか?問題2. とにかく、どうにかして、磁石の針を動かすことができるか?問題3.被覆線とはだか線では?問題4.磁石の真上に、針の方向に電流を通したら?問題5.電池の向きを変えたら?問題6.磁石の下に通したら?問題7.同様に電池の向きを変える?エルステッド先生は、困ってしまいました。先生の予想したようには、磁石が全然動いてくれないのです。動くこともあるし、動かないこともあります。先生は、電流が方位針を動かすとしたら、電流が磁石のN極かS極を引っ張るだろう、と思っていたにちがいありません。「この実験は何かのまちがいかもしれない」「きょうの実験はこれでおわりにします。どうもよくわからないところがあります。またいつかくわしく実験してみることにします。」と言って、逃げるように教室から出ていってしまいました。さあ、あなたはこの謎を解けますか?<電子レンジと電磁波 つづき>アルミホイルで包む金ザルでつつむ※※※※※※いやー、実験教室終わりました。参加人数は少なかったですが、1年生の子も食いついてくれたと思います。それから、学校の先生の理科部会の会長さんが、見に来られたのには、びっくり。また、河北新報の沼田さんが取材していかれました。いろいろありがとうございます。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.15
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【出来が悪いから学校へ行く】 世の中の大きな思い違いに、 「アタマが良くないと、または、行儀が良くないと学校へ行く資格がない」 というものがあります。 少なくとも義務教育では、どんな子も「社会が」教育する義務を負うのですが、 (よく、子どもが義務を負うと間違って思っている人がいますが) 親子が立派にならないと、学校に行ったりできないし、 先生に指導してもらえない、と思いこんでいる人がいます。 入試が迫っている折、ますます多くの人が、 「自分が立派だ」という対価を払って、はじめて 教育を受けることができるという常識に囚われています。 ま、当然といえば当然ですね。 でも、本当にそうでしょうか? 先生たちは、アタマの良い子だけを、可愛がると思いますか? 学校は、アタマの良い子だけを優遇すると思いますか? 私立の中には、はっきりとそういう方針のところがあることは確かです。 しかし、そういう学校でも、少なくとも先生ひとり一人を見れば、 目をかけてくれる子の条件は、アタマの良さではないことに 気づくはずです。 ご自分のお子さんのことを考えても、出来の悪い子ほど可愛いものです。 逆に、アタマが良くて、行儀が良くても、かわい気の無い子っているものです。 それより、先生の意識に上らない子も多いのです。 ここに大きなズレがあります。 学校生活に限らない、人生での姿勢における誤解があります。 ぜひ、弱いことこそチャンスだ、ということを このメルマガを通じて、気づいて欲しいと思っています。 ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ プレゼントを受け取る人、受け取らない人 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「先生は、どの子にも、とっておきのプレゼントをあげたいと願っています。」 と言われて、あなたは信じられますか? え~、できるだけ、出し惜しみしてるんじゃないの? できれば、何にもしたくないと思ってるんじゃないの? 楽ばかりしようと思って……。 ハイ。カ~ン。 それだけで、あなたは、プレゼントをもらう資格が無いことがはっきりしました。 この社会で、こちら側がまず、相手を信じて働きかけないで どうして、相手から、勝手にプレゼントが来るでしょうか。 郵便でさえ、郵便受けが必要なのです。 郵便受けが無くても、玄関のトビラが開いていれば、手紙を入れることが できるのですが、トビラを開けてくれなければ、どうしようもありません。 確かに、ヒドイ先生もいます。 しかし、圧倒的に多くの先生は、「イイ人」だと私が断言します。 それに、表面的には、ダメでも、その奥には、信じられるものがあるはずですし、 本当に本当にダメ人間でも、そのバックの学校や教育委員会があります。 保護者の方が、かたくなに、先生の特別な援助を受けることに 手を出さないことを見ると、まるで、 赤ん坊が、「お母さん、私はまだ、何もできないので、お母さんのミルクを いただく資格はありません。もうちょっと自分で何でもできるようになったら あらためてお願いいたします。」 と言っているように思えるのです。 先生になりたいと思う人は、自分の指導で、子どもが成長変化することに 無上の喜びを感じる人たちなのです。 最初から、できあがった子どもを指導できるでしょうか? 子どもたちは、粘土です。 これからいろんな作品になっていくのです。 粘土は、作り手から言えば、まだ何の形にもなっていない方がいいですよね。 それなのに、最初から、作品として先生の前に出される粘土があります。 これでは、先生が手を出しようがありません。 保護者への指導もそうです。 良い親でないと、先生と話しができない、と思ってませんか? ダメ親父・おっちょこちょい母ちゃんでいいのです。 要は、子どもと同じで、親も先生のプレゼントを受け取る準備があるかどうか ということなのです。 要は、先生を信じられるかどうか、なのです。 これまで、学校とのやりとりで心に傷を負った人がいっぱいいます。 しかし、それを癒すのも、たった一人の先生であることが多いのです。 もし、傷つけられたら、大いに泣き叫びましょう。 泣きつきましょう。 それも難しい? その仕方も、寅さんがご指導いたしましょう。 先生はサンタクロースであると信じて、 「靴下」をいっぱい先生の前に差し出す人が、 いっぱいの思いもよらぬほどのプレゼントをもらえるのです。 先生という職業は、プレゼントをいっぱい配るのが仕事なのです。 ノルマでもあるのです。 先生に仕事をさせてあげましょう。 「助けてください」「教えてください」と叫びましょう。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.14
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【心を隠してガンバル先生】ある先生の実のお父さんが、亡くなったことが、職員室の黒板に書かれてありました。前から、お悪いのは、聞いていました。エっ、そう言えば、前の日、給食を食べないで、早退されたよなあ、って思い返しました。何か、表情が硬いなあ、って思ってました。でも、早退する直前まで、普段通り、キチっと授業をされ得意のピアノも弾いておられました。すばらしい自己統制だと思います。でも、って思っちゃうのです。クラスの子どもたちが、気持ちを共有しないでいいんだろうか?って。私は先生に、苦しいことを話して欲しいと思います。子どもは、無意識の世界も含めて、とっても敏感です。異常は必ず察知されます。だったら、言っちゃいましょうよ。それに、どうせ後始末?をする補助員の私にも一言あってもいいんじゃないかっても、思っちゃうのです。水くさいなあって。先生は、ギリギリまで自分でかかえて、急にドタって来る場合が多いようです。これは、先生のせいだけでなく、周りのバックアップ体制の不備によるものでもあります。まだまだ、先生たちが、安心して弱音を吐ける環境が整っていないのでしょう。学校内部での弱音と、保護者などへの弱音も壁がありすぎます。保護者に対して、弱音が言える状態が理想ではないでしょうか?お互い信頼感が、まだまだなんだなあ、って思ってしまいます。それにしても、人の死と、それを取り巻く人々の思いを共有するのも、立派な教育ではないんだろうか。それより何より、先生の気持ちを一緒になって、喜んだり、悲しんだりすることが、子どもたちにとっても、実は「うれしいこと」だと思うのです。「親業」でも言いますよね。親の気持ちの押しつけはいけないけれど、親の気持ちを伝えることは、大切だ、と。それに、微妙な気持ちのヒダを感じ合わないクラスは、何か悲しいです。ごめんなさい。お悲しみのところ、追い打ちするような話で。当の先生は、いろいろ考えるどころではなかったのでしょう。でも、こういう緊急の時こそ、心のタイプが現れるとも思えるのです。生徒たちのこれから生きていくモデルとしても、先生が強気・強くだけで生きていくと、弱音を吐けない子どもを作ってしまいます。自分に正直になっていいんだよ、というメッセージをご自身の生き方から、発信して欲しいと思います。これは、もしかすると、将来、生徒の命を救うことになるかもしれないんですから。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. ガンバル組織の冷たさ *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. マジメな組織は、とっても冷たい時があります。先生や校長先生が、すごく固い人の場合、頑張れば頑張るほど、学校は、人を寄せ付けないオーラを出します。チャランポランな親は、敷居が高くなります。この極めつけが、宗教組織でしょう。こちらは、学校合格どころか、天国への切符がかかっているのです。ある人びとにとっては、入試の何百倍も何千倍も重要なことになります。イスラム原理主義を見ればわかるように、マジメになればなるほど、愛から遠ざかる結果をもたらします。 寅さんは、実は、クリスチャンなんです。エー、信じられない?洗礼を受けているのです。しかし、めちゃくちゃ不真面目な、いい加減をモットーとする神様も口あんぐりの、「神の子」です。さらに、長い間、教会に行っていません。教会の日曜学校で、先生が問題児の子どもを叱っているのを見て、急に不満が爆発して、教会に質問状を出して、行くのをやめました。そうしたら、何の反応も無いのです。悪魔にでも、つかまったのだと思ったのでしょうか?それとも、そっとしておいてやるのが、思いやりだと思ったのでしょうか?これまで、親友だと思っていた友人も、ダンマリなのです。街で会うと、にこやかにあいさつをします。しかし、しかし、です。俺がいなくたって、痛くも痒くもないのか~って思うのです。痛いなら、痛いって言ってくれ、憎いなら憎いって。この教会は、無気力な死んだような教会ではありません。活発すぎる教会です。がんばっている教会です。でも、そのガンバリが、皮肉なことに神様の大きな大きな愛を見失わせる結果になっています。愛は、強いところには、育たない性質があるのではないでしょうか。弱くなることは、恵みですねえ。それにしても、必要とされないこと。さらには、出したメッセージを受けとめてくれないこと。反応が無いこと。これらくらい、人の心を傷つけるものはありません。マジメな学校や先生ほど、そんな危険性があります。悪気は無いし、真剣にしているのですが…人のメッセージを受け取るには、柔らかくないと、そのまま受け取れないのです。どうか、先生、柔らかくなってくださいね。お母さんも柔らかくなってくださいね。もっと、弱くなってください。泣き虫になってください。助けて!と叫んでください。それは、周囲への大きなプレゼントでもあるのですから。(お正月、教会のある方から、長い手紙が届きました。うれしかったです。まだ、返事を出していませんが。)*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 届出書を書きましょう。 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. ようやく、本日の主題にはいります。(ひえーなんと。反省。 )連絡帳の大切さと、書き方の「基本の基本」は先日しましたね。ほとんどは、それで済みますが、ここぞっていう時には、連絡帳で済まさずに、届出書を出すのがいいと思います。たとえば、病気やケガなどで欠席をする場合。たとえば、外出や早退、遅刻をする場合。とりあえず電話をするとしても、届出書も出しておきましょう。学校は、前もっての計画に従って動いています。先生にも、先が読めることが、とっても重要なのです。それに、授業や体験にみんなから遅れてしまうんですから、わが子のために、なにがしらのフォローをしてもらわなくてはなりません。先生に手間をかけさせるのです。また、子どもから言えば、手間をかけてもらわなければ困るのです。子ども自身が苦労するのです。それ相応の配慮をお願いする文書を出して、当然だと思いませんか?これも使いようで、先生や学校との距離を縮める、有効な手段にもなります。今日はちょっと長くなりすぎましたので、次回、必ず具体的な書き方のポイントに入りたいと思います。ありがとうございました。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.13
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【とっとちゃんの校長先生】「窓際のとっとちゃん」をお読みになったことがありますか?黒柳徹子さんの小さいときの自伝です。手におえない子どもだった、黒柳さんを取り巻く、大人たちの、主に学校を中心とした話です。私が、今の仕事に入ったのには、いろいろなターニング・ポイントがあります。しかし、決定的なものは、この本の中にある、校長先生との出会いの部分でした。 これが、私の過去の記憶とあいまって、「子どもたちの話を聞いてやりたい」、ということが、信念となったのです。本の一節、書き写します。P28~※※※※校長先生が、トットちゃんの前に椅子をひっぱって来て、とても近い位置に、むかい合わせに腰をかけると、こういった。「さあ、なんでも、先生に話してごらん、話したいこと、全部」「話たいこと?!」(なにか聞かれて、お返事するのかな?)と思っていたトットちゃんは、「なんでも話していい」と聞いて、ものすごくうれしくなって、すぐ話し始めた。順序も、話し方も、少しグチャグチャだったけど、一生懸命に話した。 いま乗って来た電車が早かったこと。 駅の改札口のおじさんに、お願いしたけど、………中略… こういったことを、次から次と、トットちゃんは話した。先生は、笑ったり、うなずいたり、 「それから?」とかいったりしてくださったから、うれしくて、トットちゃんは、いつまでも話した。 …中略… それを言ってしまったら、どう考えてもみても、本当に、話は、もう無くなった。…中略…そう思ったとき、先生が立ちあがった。そして、トットちゃんの頭に、大きくて暖かい手を置くと、「じゃ、これで、君は、この学校の生徒だよ」そういった。…そのとき、トットちゃんは、なんだか、生まれて始めて、本当に好きな人に逢ったような気がした。だって、生まれてから今日まで、こんなに長い時間、自分の話を聞いてくれた人は、いなかったんだもの。そして、その長い時間のあいだ、一度だって、あくびをしたり、退屈そうにしないで、トットちゃんが話してるのと同じように、身を乗り出して、一生懸命、聞いてくれたんだもの。…つづいていくのですが、紙面の関係でやめます。※※※本って、写すと長いですね。結局、校長先生は、たっぷり4時間も1年生になったばかりの子の話を聞いてくれたのです。トットちゃんが、(この人となら、ずーっと一緒にいてもいい)と思ったのも当然です。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 寅さんの恩師 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 寅さんも、同様の、何度思い出しても、涙の出る体験があります。と言っても、私の場合、すっかりイイ大人になってからですが。前の家業が行き詰まりだしている頃、私は、取引先の大手メーカーの研修会に、ワラをもつかむ思いで参加しました。50人くらいの参加者でした。メーカーの特約店支援事業とは言え、我が家にとっては、大金の費用で、1年間コースでした。講師の先生は、大企業のトップをコンサルタントするので有名な先生で、まともな講師料は、数千万はくだらない方です。1年の研修が終わったあと、習った手法で、経営分析をしてみました。そうしましたら、どっから切っても、当社の未来は無いとしか読めなかったのです。私は、思い切って、先生に手紙を書きました。そうしましたら、突然、電話が来たのです。「相澤君、すぐに上京しなさい。」と。私は、先生の意図がつかめず、もしアドバイスをしてやろう、て言われても、給料支払いさえ、ギリギリのところでしたから、余分な資金があるはずがありません。あの研修が最後のカケみたいなものでしたから。小さいながらも、従業員20人の生活と、5代続いた看板の運命を託していたのです。30代の若造の肩にかかっていたのです。私は、恐る恐る事務所を訪ねました。それから、始まる、信じられない出来事を、つゆとも予想せずに。事務所に着くと、あいさつそこそこに、お昼を食べに出かけました。ごちそうされましたが、何を食べて何を話したのか、覚えていません。舞い上がっていました。帰ってから、私がまとめた経営分析表を中心に、私が話を始めました。先生は、ときどき質問をされながら、ず~っと聞いています。気がついたら、夕方です。夕食を食べに行こうということで、また、外に出かけました。アシスタントの方と一緒に、先生の懇意のフランス・レストランにタクシーで向かいました。事務所に帰ってから、延々とまた、話を聞いてくださいました。気づいたら、最終の新幹線も終わってしまっています。泊まっていきなさい、ということで、事務所に簡易ベッドを作ってもらって、私が事務所の番をして泊まることに。翌朝、アシスタントの方が、朝食を作ってくださり、先生と一緒にいただきます。そして、また、話を聞いてくださったのです。そして、お昼になり、夜になりました。今度ばかりは、いくら何でも、おいとまさせていただきました。また、おいで、と言われて、思い切って、コンサルタント料のことを相談しました。先生は、「百万・二百万で私を使おうと思うの?」「出世払いで、ガバっともらうから大丈夫だよ。」とのこと。私は、帰りの新幹線の中で、涙が止まりませんでした。人目をはばからず、泣いていました。いろいろアドバイスもいただきました。実際、その後、とっても有効な戦略として、それからの数年間、最後の花を咲かすことができました。しかし、それより何より、私の話を、トットちゃんどころか、二日間に渡って、超多忙な先生が、聞いてくれたことです。この世にこんなことがあろうとは、思いもよりませんでした。小さい会社の経営者は、孤独なものです。社員とは、同士のようでも、最後は、立場が違いますし、取引先もお互い出し抜こうと、足の引っ張り合いばかりしています。コンサルタントと言っても、商売人より、タチの悪い人が多いと警戒をしていました。ところが、先生は、私を完全に信用して、事務所に一人、泊まらせてくれたのです。帰ってから、私は変わりました。女房にも、変わったと言われ、社員からも言われました。先生のためにも、成果を出したい。その一点です。先生は、私の会社にも足を運ばれ、社員教育から、得意先支援まで、全くの無料でしてくださいました。また、先生独自で、特約店の支援にも乗りだし、私たちに全国ネットワークを作るアドバイスを下さいました。さらには、顧問となっている大メーカーに対して、特約店政策について、厳しい注文を出し、結局、意見が合わずに、身を引かれてしまったのです。 (それからの、そのメーカーの凋落は目を覆うばかりですが。);・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 話を聞く魔法 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 話を真剣に、無条件で聞いてあげること。 これに勝る、愛情表現を私は知りません。たとえ、高価なダイアをもらおうと、たとえ、身を犠牲にしてくれようと、私のことを真剣に理解しようとしてくれる人がいること。これより、すばらしい喜びがあるでしょうか。たった一人でいいのです。そんな経験をすると、人間は変わります。先生に、「このご恩をどうお返ししたらいいのでしょう?」とお聞きしたら、「私に返すのではなく、困っている人を助けることで返しなさい。助けるということは、条件をつけてはダメです。無条件で、徹底的に助けるのです。」という言葉をいただきました。その後、結局、会社が売却され、アタマの中が青空になったとき何が自分にできるのだろうか、と思いめぐらしました。そのとき、「トットちゃんの校長先生」にぶつかったのです。これだ、と思いました。何の資格もないけれど、子どもたちの話を聞くことはできる。一晩でも、二晩でも、聞いてやる決意がある。それで十分ではないか、と。偶然、その後、一手段として始めた科学実験教室がヒットして、今に至ってますが、その土台は、一人ひとりの話を聞いてやりたい、ということです。それと、先生からたたき込まれた、弱者が、強者と対等に交渉していくワザは、保護者や市民が、行政や学校と戦っていくときの、参考になると気づいたのです。てなわけで、なぜか、身の上話になってしまいましたが、(もっともっと面白い?体験をしてきました)話を聞く魔法を、ぜひ、有効に使ってください。何も、長時間でなくてもいいんです。無条件に聞いてやれれば、いいんですよ。言葉にならないメッセージにも、気をつけて聞いてください。そのためにトレーニング・ゲームをメルマガ「幸せ~」でご紹介してきたいと思っています。私の身の上話をお聞きくださり、ありがとうございました。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.12
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親と先生の間にはいって、右往左往している寅さんだから見えることがあります。 【先生は、なさけない?】うちの子の先生は、よくやっていると思いますか?ふがいないな~、って思いますか? 「教える」ということ、これって、カンタンなことだと思います?難しいことだと思います? どの質問も、基準がないから、答えられませんが、学校現場の現実を少しでも知ることは、判断材料が豊富になり、物事を判断するのに、役立つことです。 たしかに「教える」というのは、ある意味、カンタンです。大学生のアルバイトでもできることに違いありません。何のトレーニングも受けていない人、たとえば、この寅さんのような、フーテンでさえも、塾の講師や、家庭教師ができてしまうのです。「先生」「先生」って言われちゃうんですね。(ちなみに私は、先生になりたくて、やっているのはありません。子どもたちの隣りにいる「人間」です。)しかし、「教え上手」かどうか、と見ると話は全然ちがってきます。知識の量は、ばく大なのに、教え方が、全然なっていない大学教授は、い~っぱいいます。さらに、教え方の研究をしてきた人でさえ、教える対象の生徒が変わると、陸に上がった魚かタコのように全く空回りという状態にしばしばなります。教えることは、相手の状態によって、すっかり変化しないとできないのです。6年生の指導が上手な先生が、1年生を指導できるか、と言えば全く未知数です。それに、クラスには、30~40の違った受け入れ状態の子どもがいます。それぞれの子の理解しやすいパターンというのも、ずいぶん違うのです。昨日の「幸せ上手~」のメルマガに書いたとおりです。それぞれに、ピタっとくる、いろんなタイプの授業方法をバランスよく提供しなければいけません。また、学校の空気、風土も影響します。Aの学校で活躍した先生が、Bの学校で活躍できるという保証もありません。さらに、現在、学校の先生は、必要以上の仕事を抱え込んでいます。本来、家庭でなされるべき、基本的生活習慣が大きく欠けているために、それが、授業の障害となっているもんですから、生活習慣の指導が、先生たちの仕事の大きな部分を占めてしまっています。また、新聞やニュースでもわかる通り、校外で起きた事件も、まず、家庭より先に、学校に連絡や問い合わせが来ます。地域社会での環境にも、責任を負わなければいけないのです。受験のテクニックだけを限られた時間と限られた動機の生徒だけに教えれば良い塾や予備校とは、先生の置かれた状況が全然違います。(けれども、すばらしい先生が塾にいることも真実です。)そんな中で、私が見聞きし、接してきた学校の先生たちは、圧倒的に、毎日、たいへんな努力をしています。私は、問題教師を見つけだす努力以上に、日常の教師の仕事のたいへんさを理解することが現実の成果を上げるためには、とっても役に立つと思うのです。しかし、外部から、冷静に見ると、教え方がヘタだったり、生徒の心をひきつけていなかったり、で、ふがいない先生だなあ、って思ってしまうのも正直なところです。良い先生は、良い授業をする、ということから見ると、ダメ先生とレッテル貼られるのも、仕方がありません。親にとって、授業参観のときの印象が、大きく作用してしまいますね。しかし、それは、その先生の一部でしかないのです。肯定するわけではありませんが、たとえ、効果的な授業ができていなくても、その他のことで、子どもたちが、大きなことを学んでいるすばらしい先生もいっぱいいるのです。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 親もなさけない? *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 一方、親の方はどうでしょうか?多くのお父さん・お母さんは、生活のため、また、教育費をつくるために、この厳しい社会環境のなかで、懸命に職を得て、がんばっています。命がけでがんばっているのです。しかし、学校側から見れば、「ふがいない親」の、オン・パレードです。「あの親は、過保護だ」「しつけに無関心だ」「親の生活習慣がなっていない」「子どもにまともな食事をつくっていない」などなど。「あの親に育てられているんだから、子どもがああなるのも仕方がない。学校の責任とは言えない。」と、いつでも、言いたくなるのです。親は、本当に「なさけない」のでしょうか。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 欠点だらけに、楽しさが *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 親も、先生も、欠点だらけなんですね。 でも、がんばっている。何て、いとおしい存在だと思いませんか? ここで、寅さんの寅さんのゆえん、山田洋次監督の映画「フーテンの寅さん」のテーマが流れ出すのです。 あの映画は、みんな、欠点をかかえていながら、一生懸命に生きている人々の、おかしさを笑ってしまう映画です。 でも、世のお笑いと違うのは、あの笑いは、他人をバカにして笑うのではないということです。 あ、自分もああいうことがあるなあ、自分もなんて、バカなんだろうなあ、みんな、バカだよなあ、でも、みんな、いとおしいよなあ、抱きしめたいよなあ、という笑いです。 人を笑うんじゃなくて、自分を笑うんです。お互いに自分を笑うんです。すると、ふっと、心が通じ合うのがわかります。 これが、本当のコミュニケーションです。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 完璧を目指す落とし穴 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 欠点の無い、完璧を目指すべきです。これに、反対するつもりはありません。しかし、現実にできる人が、ごくごく限られている以上、なさけない人間同士が、どうやったら、うまくできるかを考えた方が、実り多いと思いませんか?それに、完璧を目指しますと、完璧でない、他人を批判してしまいます。裁きの目になってしまいます。そこからは、本当のコミュニケーションが生まれないのです。欠点をもった人同士が、笑いながら支え合うところにこそ、楽しさと豊かさ、そして、何より愛の実が生まれるのです。ですから、学校とのつきあいで(学校に限りませんが)最も大切なことは、立派な親になることよりもコミュニケーション技術なのです。もちろん、技術には、精神・心も入ります。今日も発行する「学校を楽しもう」のメルマガには、その具体的な技術をテンコ盛りしていくつもりです。な~んてPRしちゃいました。ここでも書きますから、安心してください。でも、メルマガも読んでね。よろしくお願いします 。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.11
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子どもを、無条件で愛すのるのは当然です。このためにこそ、私たちは生きているようなものです。しかし、本当に、本当にすべての子を愛しているでしょうか?寅さんは、子ども好きでは、誰にも負けないつもりでした。ところが、どうしても愛せないというか、憎らしくなってしまう子に出会ってしまったのです。私の自信はグラグラと揺すぶられました。自分は、金儲けの道具として子どもを扱っているのか!?自閉タイプの子は、人との交流が苦手ですから、「そういうもんだ」、と思えば、たいへんはたいへんですが、「納得できます。」しかし、ものわかりが、とても良いのに、大人の気落ちをズタズタにする子がいるのです。気持ちの交流があるだけに、逆に打撃が強いのかもしれません。説明になってませんが、私には、今は、このタイプの子が二人います。意識としては、こうしなければ、と思うのですが、カラダが逃げ出してしまうのです。できれば会わないようにしようと。何ということでしょう。子どものために、子どもの笑顔のために、と言いながら、卑怯じゃないか。裏切りじゃないか。私の愛情は、これほど薄いものだったんだ。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. この子こそ教師であり、宝です。 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 私の転機は、その子のお母さん方とお会いしてからです。お母さんにも、いろいろなタイプがいらっしゃいます。でも、お母さんもが、一度はグチャグチャになり、鬼になり、そして、投げ出してしまいたくなり、を繰り返していたのです。お母さんが、病んでしまった人もいます。中には、そこからはい上がり、強くなった方も。そういうお母さんからは、寅さんは、いつも逆に元気をわけてもらいにいきます。とにかく、学び直さなくちゃ、と思いました。私の思いもよらない世界が広がっているみたいだと。いろんな勉強会に出席したり、子育て支援センターと連携したり、学校長にも、相談に行きました。ある教頭先生には、私自身のカウンセリングまでしてもらいました。すべて、今の私は、あの子らがいなければ、始まらなかったことです。自分には、包容力がある、愛情たっぷりだ、という自信をこっぱみじんにされなければ、動かないことでした。子育ては、アタマで、するもんではありません。スポーツであり、技術であり、格闘技でもあります。理屈にこだわると、とても苦しいものになります。自分の感情にウソをついていると、何が本当なのかが、すっかりわからなくなります。とにかく、白紙になって、その子を観察することからです。それにしても、大人の側に、大人を支える人の輪がなければとても立っていられないものだと思います。あの子たちは、親にいったん自信を失わさせ、小さな常識から、もっと広くて自由な世界に向かわせてくれるために神様が送ってくれたスペシャル・プレゼントなのでしょうか。孤独な親御さんの、お苦しみは想像にあまりあります。親自身が支えてもらいたいのに、特別、手の掛かる子どもを授かった場合、子どもを愛しきれない親を誰が非難できるでしょう。子どもを愛せない、ということで、さらに自分を責めて、傷つけてしまいます。子どもの虐待は、誰にでも起こり得ると思います。絶対にあってはならないことですが、私たちの心の中を、正直に見れば、その芽は誰にもあるのじゃないでしょうか。この認識から、すべては、始めなければいけないんじゃないでしょうか?*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 学校の先生も、同様です。 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. そう言えば、学校の先生も人間なんだって知ってます?何を寝ぼけたことを?でも、「先生だから」「先生なのに」という言葉には、ときどき、先生も人間であるということを忘れさせる響きがあります。 どんなに使命感のある先生でも、好きになれない子がいることを認めてあげられますか? それを良しとしろ、と言っているのではありません。 お互い弱い人間同士であることを、前提にしなければ、前に一歩も進まないことが、いっぱいあるからです。「先生のくせに」「母親のくせに」「父親のくせに」そりゃ、理想を追うのは、大切です。しかし、現実を受け入れる方が、もっともっと大切で、緊急の問題なのです。建前で、ウソにウソをついた話し合いで、実り多い果実を期待できるものでしょうか。まず、どちらかが、武装解除、ヨロイを脱がなければなりません。お互い、武器を捨て、「参りました」と手をつくのです。そこから、新しい学校が生まれます。その意味で、子どもは、新しい光の世界へ招待してくれる天使なのだと思います。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.10
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失敗や間違いをほめましょう、と先に書きましたね。 それと同じことですが、100点をその点数でほめてるのは、とても危険なことじゃないか、と今日、訴えたいわけです。 100点がエライと、ほめているとどうなるでしょう。「自分なりの努力で、60点とったことは、評価しませんよ、」というメッセージを子どもに伝えていることなのです。また、オリジナルな考えで、不正解になったのも認めませんよ、と。 親は、子どもにどんな成長をしてもらいたいのでしょう。間違いのない人生?苦労の無い人生?困難にぶつからない人生?挫折の無い人生?そんな人生ってあると、本当に思いますか?たとえ、ストレートで東大に入っても、官僚になってから、挫折を味わうかもしれません。また、人生でぶつかる課題は、学校の教科書で習うことなんて、ほとんど無いようなもので、自分で試行錯誤で切り開いていくしかないことばかりです。自分のアタマで、あーだ、こーだ、していくことを評価しないでどうして、子どもの幸せを考えた指導だと言えるでしょうか?何を評価するかで、子どもの未来は大きく変わります。私は、結果よりも、結果に至るプロセスをこそ、評価すべきだと声を張り上げます。 私の実験教室が面白いのも、ただマジックを見せるからではないのです。 みんなで、間違った予想を立て合うからなのです。いかに間違ったか、を認め合う空気が、人を何倍にも育てます。私は教科書にも、たいへん文句があります。正しい「結果」しか書いてないのです。そこに至るまでの、失敗の数々、ドラマが消えています。どんな小さな科学法則や、数学の法則、社会の原則にも、NHKのプロジェクトX以上のドラマが隠れているのです。それらは、間違いの歴史なのです。教科書や授業は、先人の追体験の場でなければいけません。一緒に失敗や間違いを犯してみるのです。それでこそ、本当に、その先にすすめるのです。さらには、これが最も重要だと思うのですが、これから、人生で、ぶつかるであろう、未知の困難の数々を乗り越えるパワーが湧いてくるのです。パワーは、乗り越えられるという、見通しがなければ出てきません。その見通しを、先人の失敗とその克服から学ぶのです。その意味から、科学教育は、科学の歴史を学ばせることが大切だということになります。 話がそれましてが、ぜひ、テストの点数よりも、それに至ったプロセスをよくみてやってください。それは、子どもをとても勇気づけると思います。ボクという人間を、お母さんは、点数で見るんじゃなくて、もっと深いところで認めてくれていると安心するのです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 自分で物事を考えさせる ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 何をやるにしても、いつも親の顔色ばかり気にしている子ども。そういう子が多いです。昔より、「良い子」は圧倒的に多いと思います。「良い子」が多すぎるから、最近の学校の問題、学級崩壊などが逆に出てきているのではないか、とさえ思えます。この問題は、別に書くとしまして、小さいときから、「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」と親から言われ続けたために、自分で決定することができなくなってしまっています。自分で決められなくて、グズグズしていると、そこで、さらに、親が「こうしなさい!」と決めちゃうんですから。これじゃ、いつまでたっても、自己決定能力はつくはずがありませんよね。 何かに、子どもが迷ったとき、こんな方法がある、あんな方法がある、と情報を整理し、提供をしてあげるまでにしておけばいいのです。 「こうしなさい」は、子どもの力をスポイルしてしまいます。あくまで、子どもに判断させるのです。それで、失敗すれば、子どもは「自分が決めたんだから」と、納得して、次への判断へのステップにするのです。ところが、大人に決めてもらって、うまくいかないと、「親が悪い」「先生が悪い」という思いしか浮かびません。さらに、もっと深刻なのが、実は実は、逆に、うまくいったときです。親の指示に従ってうまくいったらいいじゃないか、って思うでしょう?ところが、これには毒が含まれているのです。猛毒です。「物事は、親の言われる通りにしているえばいいんだ」と思いこませてしまうのです。これの裏のメッセージは、「ボクには、物事を決める力は無いんだ」「ボクは、無力だ」というものです。これは、自分で自分を殺してしまうことです。精神的な自殺をさせていることだと思います。普段は、気がつかないのですが、思春期などになって、本当の自分が、耐えきれなくなると突然、問題が爆発すると言われていますね。ところで、考えてみると「学校」は、この意味で、子どもを殺す施設です。何と過激なことを!もちろん、一面的ですが、一面の真理ではあると思います。「先生に言うとおりにしなさい。」「言うとおりにしていれば、間違いがないんですよ。」「自分で判断してはいけません。」というメッセージを常に出しています。いくら、言葉で、「問題を自分で考えなさい」と言われたって、先生の期待している答えは、あれしかないんだ、とわかればあえて違う意見を言える子どもは、どれくらいいるでしょうか?「健全な」子どもほど、学校に反発するのは、当然です。それは健康な証拠です。「私は殺されたくない」と言っているのです。今の学校システムが悪いのなら、子ども本来のパワーを生かせる学校を作らないのは、大人の怠慢どころか恐ろしい罪だと思います。私は、補助員として、はみ出した子どもを「指導」しながら、「殺人」の罪におびえています。現在、学校では、悪意がなくても、子どもの生命力を殺してしまう部分があります。せめて、親だけは、子どもを守ってやりましょう。理解者でいてあげましょう。間違っても、学校と一緒になって、子どもをジワジワ、殺す続けるような取り返しのつかないことだけはやめましょう。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: 昨日、出初め式のあと、アルコールがはいっちゃって、メルマガの原稿など、整理ができませんでした。今日は、映画会。そのあと、プラネタリウムで実験教室の打ち合わせ。そのあと、メルマガ発行だ。よっしゃ。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします 皆様の助け合い運動をお願いします。プチっと一発。
2005.01.09
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私は、努力するのは、エラくないと思います。辛いことをガマンする意味で使われるとき、そう思います。 こう言うと、「ガマンを覚えさせるのは大切だ」、といわれます。ガマンは大切です。が、ガマンにも二つあります。自分を生かす楽しいガマンと、自分を傷つけるツラいガマンです。 精神論で教育は、しばしば語られますね。「学校の先生は、もっと情熱をもって、教育するべし!」と。 文部科学省も、PTAのエライ人も、先生がたるんでいるから、問題が起きるんだ、と。 本当でしょうか? ひねくれものの寅さんは、この精神論こそ、学校をおかしくし、子どもたちを苦しめる犯人だと思っています。先生への、間違った「努力のすすめ」が、子どもたちを虐待し、さらには、先生を傷つけています。 きのうの日記で、「好奇心」と「学び続けること」を書いたので、もしかすると、もっと、気合いを入れろ!というメッセージって誤解された方もいるかもしれません。 逆なのです!「力を入れましょう、」ではないのです。「力を抜きましょう」って言いたかったのです。 好奇心をもって、学ぶということは、(昨日の引用) 『ハタから見ると、難しいことをしているようだけれど、本人は、全然苦しくも何ともないこと。』です。 もし、あなたが「努力しているな~、」「私ってエライ」って思ったら、もう、その時点で、アウト!ですよ。 むずかしいようで、カンタンです。「好奇心がいきいき」とは、「遊び」そのものなんです。中には、「遊び」をマジメにして、苦しんでいるトンチンカンな人もいるでしょうが…。 たとえ苦しいことがあっても、とても、「苦労している、」な~んて、おこがましくて言えないというより、そんな単語を忘れてしまいます。 そういう状態に学校がなって欲しい!なるべきだ!なれる!と思うのです。寅さんは、大まじめに、日本の学校のマチガイのそもそもの始まりがここにあると思うのです。 学校で、好奇心が養われていないということは、とってもとっても深刻なことです。 「ゆとりだ!」「学力だ!」とさわいでいますが、どっちも、あっち向いてホイです。 子どもの目を輝かす授業を開発することです。 目がキラキラしているとき、頭脳は全開状態なのです。エンジン快調です。 ところが、授業中のあのドンヨリした目は、なんでしょう?あれは、ただ、わからない、とか、やる気がない、という問題ではありません。 子どもの健康な精神を、腐らせる恐るべき虐待です。耐えることを学ぶため?ガマンすることを学ぶため?もし、そんな言葉で、今の学習を認めているのなら、それは、学問をとても侮辱しています。いや、人生そのものを、汚しています。先生には、もっと人生に、まっすぐに取り組んで欲しい。青空、ブルースカイへの道先案内人であってほしいです。子どもたちが、あこがれる大人が、身近にゴロゴロしていたら教育問題なんて、とってもカンタンなはずです。大人の心に、好奇心への、雲ひとつない空を作ってほしいものです。 精神の問題は、何かを付け加えるのではなく、ゴミみたいな人生観を捨てることが、解決するのです。 そうして、はじめて、、技術の問題にチャレンジできます。みんなで技術開発に熱中しましょう。教え込むための技術ではなく、ワクワク・ドキドキをひきだす技術を。目を輝かせる技術を。人間解放の技術を。遊び心でね。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 先生は、どんどんSOSを出して! ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ マジメな先生のお顔は、いつ見ても、かたいです。学校は、気を使えば使うほど、ストレス製造工場になってしまいます。「この先生は、ストレスいっぱいだな~」「無理をしてるんだろうな~」っていう先生がウヨウヨいます。 私たちの心は、無理が重なると、必ず何らかのSOSを発信するそうです。 臨床心理学の先生が言っておられました。 自分でも、それと気づかないうちに「何とか助けてほしい~」ってメッセージを出しているのです。 私には、学校でその声が、ビンビン聞こえます。ノーノー。私、霊能力は無いですよ。私がお気楽な立場だからでしょう。見えちゃうのです。 ところが、歯を食いしばって頑張っている人。弱音をはいてはいけない、と思っている人。負けてなるものか、と思っている人。「教育はこうあらねばならない!」って思っている人。「先生は、こうあらねばならない!」って思っている人。 こういうマジメな人は、自分の心の状態について、とっても「鈍感」になってるんですね。 自分の苦しみに気づかないだけなら、まだ良いのですが、もっと重大な問題は、他人の痛みにも、鈍感になってしまうことです。 そうでしょう。自分のさえ、わからないんですから、他人の微妙な心のヒダに、反応できません。そして、大切な子どもの心にも……。 この日記のテーマから、はずれますが、学校の先生、マジメにならないでください。うまいこと言えませんが、肩の力をすっかり抜いて、ボヨンボヨンになったときそういう時こそ、インパクトのあるパンチが出せるのだと、そう、ボクシングを大学で習ったときも、教えられました。 私は、学校で、人気があると思っていますが、生徒にサンドバッグにされることを、モットーとしています。物理的にも、叩かれますが、それだとタダ痛いので、生徒が発信した、メッセージに、確実にダメージを受けましたよ~、というメッセージを返してやります。たとえば、生徒が手で、ピストルを撃つマネをします。「ドキューン」と。そうすると、わたしは、確実に死ぬのです。あのジーパン刑事のように。ピストルじゃなくても、子どもが、「メっ」てにらんできたら、ハートがグサッとなったジェスチャーを返します。生徒は、自分の発信するものが、ちゃんと受けとめられると精神的にとっても安定します。これって、うるさい子をこっちのペースに引き込むコツです。おっと、もっと書きたいのですが、今日は、消防の出初め式。なんと、寅さんは、老骨にムチ打って?昨年から消防団なんですね。でも、何も、ハシゴの上で、「ハイ!」はしません。この町内会でも、団員は、70以上のじいちゃんと若手??が私を含め2人だけ。これで、どうしろと言うのだ!宮沢賢治じゃないけれど、ただオロオロするばかりかも。で、とりあえず、行ってきます。オーさむ。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: で、帰ってきました。昨年も、日記に書きましたが、どうしても、寅さんは、消防団の軍隊式は、ついていけません。地域を守りたいと思いますが、もっと良い方法がい~っぱいあるのに、あの、十年一日の「伝統的な」スタイルは、なんなんだ!!あれは、指示がないと、な~んにもできないロボット人間を高いお金で作っているんですよ。現代の災害では、現場で、一人ひとりが自主的にどう判断してピンチを切り抜けていくかが、問われているのです。判断力の訓練をしないで、何の役にたつのでしょう。日本の教育のエッセンスを詰め込むとこういうものができる、という見本ですね。あれで、本当に大切な人々を守ろうというのでしょうか?神戸でも、新潟でも、ボランティア・NPOが活躍してますが、お役人は、役に立たないとつくづく思います。市民の皆さん、たいへんですよ!市民は、市民の力で守らなければ、誰も助けに来てくれませんよ。子どもたちも、市民の力で育てましょう。子どもたちが、学校行政のおかげでおかしくなっても、誰も助けてくれません。学校も市民の力で、自前の学校を作りましょう。話がそれました。明日の日記で、軌道修正をはかります。わぁ━━━ヽ(○゚ー゚ヽ(○゚ー゚○)ノ゚ー゚○)ノ━━━ぃ♪かめおかゆみこさんのメルマガで紹介してもらっちゃいました。ありがとうございます。ビシバシご指導お願いします。ぜひ、実験材料に私を使ってください。子育て・教育メルマガの先輩の皆様、ご指導をお願いいたします。ご意見お待ちしています。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします 皆様の助け合い運動をお願いします。プチっと一発。
2005.01.08
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好奇心って何でしょう?あなたは、「好奇心」を持ってます? どうしてもアタマからはなれないこと。思っただけで、動いてしまうパワー。 ハタから見ると、難しいことをしているようだけれど、本人は、全然苦しくも何ともないこと。 あるときは、命さえ引き替えにしてしまいます。 好奇心こそ、この世の魔法の一つでしょう。 世の先生やお母さんは、子どもが勉強に好奇心をもってくれれば、と願っていますが、これが、なかなか、どうして。すんなり、入ってくれません。ところが、強力な好奇心ウィルスをもっている人が、一人いれば、どんな子でも、感染してしまうのです。 ただ、そのウィルスは、今、その時に活き活きと生きていなければ、感染しない性質をもっています。過去の栄光も、資格も、膨大な知識さえも、力は無いのです。そんな好奇心の不思議トビラをちょっと開けてみましょう。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 「はてな」科学実験教室での子どもたちの目の輝き ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ エヘン。自慢をさせてください。 私は年に10回は、学校に出張して科学教室を開きます。 (もっとできますよ。呼んでください!) 終わってから、子どもたちから感想文をもらうのですが、これが、すごいんです。 担任の先生自身が驚いているんですから。 ある学校の4年生が書いた感想文です。「長いので(2ページ目から) …先生は本当におもしろいから弟子にしてください、弟子にできないのならば、また学校にきてください。それでもできなかったら○○公民館にきてください。それでもできなかったら、はてなランドへ行く地図を学校にわたしてください。」こんな感想文をもらったら、あなたどうします?私は、その感想文をもって、すぐにその学校の隣りの公民館に走りましたね。そうして、これこれこういうわけで、実験をしたがっているから、こちらを貸してくれ、って。手弁当でもやろうと思うのですが、たいてい、公民館主催にしてくれます。こうして続いている実験教室が数カ所あります。あの文章を書いた子のところでは、ある時は、全校生徒の半数以上が休日に来てくれました。もう、公民館の館内に入りきれないんです。 無感動だと言われている現代の子。本当に感性が鈍っているのでしょうか? 彼らの心にハマッタときの感想文には特徴があります。 まず、文章が長いのです。 普通、子どもは作文が嫌いですよね。できるだけ短くすまそうと、するものです。 ところが、ほとんど100%の子が用紙を目一杯使っているどころか、はみ出しているのです。 それに、字が踊っています。色がついています。イラストやハートがついています。実験の絵が描いてあります。星が飛んでいます。 内容も、単純な「おもしろかった」は少なく、実験であきらかになったことが次から次ぎへと、たんたんと書かれています。 そして、自分で、実験の解説をしちゃっているのです。まるで、自分が企画したように。 自分たちでも、自主的に、あとで実験をする子もいます。その報告ものっています。 これからのやってみたい実験のこと。 また来て欲しいことと、つながっています。さっきのように、弟子にしてくれ、という子も必ずいます。 ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ なぜ、これほど夢中にさせることができるのでしょう。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ フーテンの科学寅さんは、天才なのでしょうか? ウーン。やっぱり。いや、いや、ただの変わり者のおっさんです。 子どもをひきつける魔力をもっているのでしょうか? 子どもたちにバカにされる魔力はもっていそうです。 実は、私は理系ではありません。 バリバリの文系です。子どもたちに、おもしろい世界を紹介したいと思って懸命に調べているうちに、私自身が、すっかり科学とその授業方法にはまってしまったのです。 そんな~。 シロウトが、なぜ、こうまでできるのでしょう?そのヒントは、こういうところにあるのかもしれません。 昨日も、ある子ども会の役員さん方が、春休みの歓送迎会の打ち合わせに、「はてなランド」に来てくださいました。 当日する実験のメニューのおもしろさを話していると、 ちょうど廊下を通った、私の母が、「何て大きな声を出すの!」「そんなに大きな声を出さなく立たって、聞こえるじゃない」と私に思わず注意したのです。 自分では、大声を出そうなどとは、全然思っていなかったのに、自然に張り上げていたのですね。 これは、私自身が、打合会のときでさえ、めちゃくちゃにワクワクしているからなんでしょうね。「こんなに面白いことが、この世にあるんだ~!」って、心の中で、絶叫しているのです。 これは、私が生半可に、科学かぶれの「学者」ではないからです。専門家なら当たり前と思うことに、私は感動してしまいます。 また、私は基本的なことも、わからないですから、生徒と同じレベルで、一生懸命、勉強しています。 現在進行形で、冷や汗かきながら、学んでは、トライし、そして、失敗しては、学んでいるのです。 たとえノーベル賞をとった博士でも、その権威と知識だけでは、1年生から6年生まで、ほとんどの子に熱中させるなんて、まず、不可能でしょう。 「私が」めちゃくちゃ感動して、今も、そう、今も、夢中で勉強しているからなのです。 ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 得意な科目で、感動を与えられないのは、なぜ? ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ところが、反対のことも起こります。 私の本当の専門は、社会科系統です。特に経済です。それでアルバイトで、ときどき、知り合いの塾を応援するのですが、自信をもって臨む社会の授業が、さっぱり盛り上がらないのです。 肌で感じます。子どもは、中学生でも、実に正直です。 顔にもはっきり出ます。「あ~、ダメだ。」 この時の時間の長いこと。 科学実験での子どもたちの反応を知っているもんですから、このギャップは、私には耐えられないものです。 これは、一体どうしたことでしょう。 それは、過去にいくら勉強をして、知識が蓄えてあっても、今の今、好奇心をもって、学び続けているかどうかが、子どもたちに、完全に見破られているのです。 それに、もともと得意な科目では、それが苦手な子どもの皮膚感覚と共感できません。どこが、その子のネックとなっているのか、わからないのです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 勉強の苦手な子は、私の教師 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「絵のかけない子は、私の教師」という本があります。 絵の授業の第一人者の、松本キミ子先生の授業記録です。 先生の「キミ子方式」を使うと、ほぼ100%の子が、熱中して、レベルの何段階も違う絵を描いちゃいます。 先生は、養護学級の子と普通学級の子の合同も、モットーとして、相乗効果をあげています。 この授業は、画期的で、常識を破った指導原則を使っています。 でも、その原則が生まれたのは、どんな子でも、かならず絵が楽しく描けるはずだ、という信念からです。その信念から、できない子のつまづくパターンを丁寧に分析して、それを克服する形で、集め直したのが、キミコ方式です。 そして、その前提には、先生ご自身が、絵を描く楽しさ、感動を体の奥底から、オーラとして出しているからなのです。 どんな子でも、どの教科でも、夢中になることができると私も確信しています。 そのためには、まず、大人が、現在進行形で好奇心の固まりとなって学問をし続けていること。 その次に、苦手な子を徹底的に、どこがネックになっているか、心を白紙にして観察しつづけること、です。 子どもの表情から、目を離さないことです。 そして、子どもが悪いんじゃなくて、問題の提示のし方が悪いと徹底して思うことです。 これが、フーテンの科学寅さんの基本中の基本です。(あ、ニックネームに「科学」を入れました)また、また、長くなっちゃいました。 好奇心は、「気合いだ!」では引き出せません。頑張らないのに出てくる、ワクワク好奇心。 生きのいい好奇心が、絶対に必要です。それがあっての、指導技術でしょうね。ご意見お待ちしています。 メルマガ紹介ページ何と寅さんがメルマガをはじめるって??その1.「子どもの学校を365倍楽しもう」その2.「幸せ上手は子育て上手」な~んだ、日記そのままじゃないか!「いや、違う。違いがわかる人には分かる。」(by寅さん)よろしかったら、応援をお願いします。
2005.01.07
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同級生について文句を、子どもが家で言うことがあります。悪口を言われたことに始まり、たたかれた。モノをとられた。などなど。子どもはとても悩んでいるようです。どうすればいいでしょう。 お母さん・お父さんは、「こんなひどいことが、学校で行われていいのか!」とショックを受けるでしょう。 また、それに追い打ちをかけるように、この事実を担任の先生が、まったく知らないことに驚くわけです。 実際、そういうことは、ほとんど先生のいないところで起こります。補助員である寅さんは、だからこそ、休み時間こそ、本番だと思って一緒に遊んでいますが、それでも、とてもとても目が届きません。 そのままにしていると、次のようなことになります。親は、担任の先生がその問題を放っているという不満を、子どもを送り迎えしたりする、親たちが集まる駐車場などで親同士で口にするのです。 すると、同じような体験をした親が心配や悩み事をうち明けだします。それは、何も悪いことではありません。実際、多くの問題が、その井戸端会議ならぬ、駐車場会議でお互い、アドバイスを受けたり、勇気をもらったりしています。 しかし、しばしば、不満が不満をよびます。大きな不信感になってしまうことがあります。 そういう問題があったら、すぐに先生に知らせるのが、最も良い方法です。連絡し、話し合うことこそ、親や先生など、子どもを取り巻く、大人の仕事だと心得るべきです。 では、その基本となる、連絡帳の書き方のポイントをまとめます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 新聞記事と同じです。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 簡単ないじめくらいなら、連絡帳で解決できます。ウジウジしないで、その日のうちに書きましょう。 ポイントは、先生は忙しくて、ダラダラとした文はゆっくり読めないし、言いたいことを間違って受け取ることがしばしば発生することです。もし、そんなことになったら、かえって、ヒドイことになります。 むかし、作文の時間に、5W1Hが必要だと習いましたね。「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「なぜ」「どのように」です。新聞記事と似たようなものだと思えばいいでしょう。ただ、そこは、先生向け・および学校向けです。ちょっと、別の注意点もあります。 それは、先生の気持ちへの配慮が必要だということと、もう一つ、いざとなったら、これが、公文書として証拠資料ともなるということです。<先生の名前を先に書きましょう。>「~先生へ」です。担任の先生へ言っていることは、わかりきっているのですが、礼儀でもあり、また、重要なことをこれから、言いますよ!という宣言です。さらに、不幸にも裁判にでもなった場合、誰に報告したかの証拠になります。<日付を書きましょう。>これも上記と同じ意味で、それ以上に大切です。忘れずに、先に書きましょう。大事な報告のときは、「何年」も書きましょう。<最初にねぎらい、感謝の言葉を> 最初は、決まり文句としてでも、感謝の言葉をいれるべきです。一行でいいですよ。<新聞の見出しのような一言から> すぐに、本題をズバリ書きます。まず、一言で。タイトルに当たるものを。悪口を言われたなら「悪口で悩んでいるようです。」などと書きます。モノをとられたなら、「モノがなくなって困っています。」などと。新聞の見出しに当たります。奇抜なキャッチコピーは要りませんが、先生の目をくぎ付けにしてやりましょう。少し、大きめに太く書いてもいいです。<具体的な経過を書きます> この時点で、感情を入れるとかえってダメです。新聞記者のように、事実を時間を追って、具体的に書きます。探偵や捜査員の捜査資料のようなものです。<いきなり、容疑者を犯人にしない> どんなに特定の子がやったことが、はっきりしている場合でも親が、断定してはいけません。それは、あなたをかえって不利にします。状況証拠だけをそろえて、判断は先生にお任せするのです。その方が、先生へのインパクトがあります。<文句・不平はくどくど書かない> 不満を書いてもいいのですが、絶対にクドクドならないように。かえって逆効果です。 一言で表現しましょう。何か、具体的事実で表現したいものです。<子どものためを強調> 親の怒りのためではなく、子どもが悲しまないように、を前面に。<学校が嫌う言葉は使わない> 「いじめ」などタブーとされる言葉は、避けましょう。それらは、最悪の戦争になってから使いましょう。<抗議文にはしないで、指導のお願い文に><お願いを繰り返す。><最後は、保護者のフルネームを>意外に、ご自分の名前を書かない人が多いですが、大切なときは、必ず書きましょう。両親の名前を連署すれば、バッチリです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 教えていただく形にするとスムーズに∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の先生は、「教え魔」だという性質を利用しましょう。何事も、「教えていただきたい」という形にすると喜んで「教えて」くれます。 このような形で、書けば、先生は猛然と動いてくれます。そして、お母さんが期待していた以上の、迫力ある事件解決の報告を聞くことになるでしょう。 もちろん、事件が解決したら、感謝のメッセージを忘れずにね。 あと、秘訣は、どんなに興奮するような事件でも、書く前に、ニッコリとしてみましょう。冷静に良い文が思い浮かびます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ わが子の問題のときは別です。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ほとんどの問題は、連絡帳で解決できます。ただ、わが子に問題がある時は、別の作戦が必要です。次回は、その対策を考えてみたいと思います。 ご意見・アドバイスお待ちしています。ありがとうございます。よろしかったら、応援をお願いします。
2005.01.06
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間違うことは、とっても良いことです。 間違うのは、ひとの教えに頼らないで、自分のアタマで考えているからです。子どもが、いつも間違わなくなったら、心配しましょう。自分で考えるアタマのスイッチが切れて、大人の言うことをただ、聞いていればいいとある意味、アタマを怠けさせる習慣がついたのかもしれません。 自分で考えたら、間違うのが当たり前です。よく、「考えないから間違うんだよ」と叱りますが、あれは違います。考えるから、間違うのです。 物事を見る場合、考えれば考えるほど、いろんな見方ができるのが当たり前なのです。科学の歴史を見れば、間違いや失敗ばかりの道路を歩いてきたことがわかります。 彼らは、当時の最高の頭脳をもった人たちです。科学は試行錯誤するのが、科学であって、正しい答えを覚えるところではありません。いっぱい考えるクセを学ぶことなのです。 しかし、子どもたちは、考える努力をする前に、答えを先に覚えてしまいます。ですから、私は、実は大切なことなんだけど意外に教科書や参考書にのっていなくて、たいてい間違うだろうと思う問題を選びます。 たとえば、あなたも挑戦してみてください。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 手回し発電器での実験の場合∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 手で回して電気を起こす、簡単な機械があります。それで子どもたちは、豆電球を点けることができます。 今、電球が明るくついているとして、その電球の球を、ソケットから抜いたら、言い換えると、電気の流れる道が、切れてしまったら発電器を回している手応えは、今より重くなるでしょうか?それとも軽くなるでしょうか? みんなで予想をして、その考えを話し合います。 ある子どもは、電気を水の流れと同じように考えると途中で流れなくなるんだから、電気が動かなくなって、「重たくなる」と言います。 また、ある子どもは、回路が切れた状態で、電気を起こすと火事になったり、爆発したりするんじゃないか、と心配します。 でも、ある子は、電気は、何も仕事をしないんだから、お休みと言って、軽くなるんじゃないの、と言います。 これは、たいてい、意見が半分に分かれます。中学生でもそうです。で、話合いの中で、なるほどな~、もっともだよな、という意見を聞くと、予想を変える子がでます。 いわゆる説得力のある子がいるんですね。私も思わず、そうかもしれない、と思ってしまうほどです。 でも、答えは、実験してみれば、冷たく一つです。この場合の答えは、「軽くなる」でした。 「え~?」「やったー!」両方の歓声があがります。間違った方は、もちろん悔しがりはしますが、「へえ~、そうなんだ!」という感激の気持ちの方が大きくなります。 実は、話し合えば、話し合うほど、それぞれの論理に磨きがかかるんです。で、子どもたちは、そのすばらしい「理論」を展開した子を尊敬の気持ちで見ることはあっても、見下したり、バカにしたりする気にはならないものです。 こういうことの繰り返しによって、考え方のポイント、予想の立て方に慣れていくのです。 これを参考書で、最初から、答えを覚えてしまうのとは、子どもたちへの意味合いは、全然、月とスッポン違います。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 失敗をおそれる子どもたち∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ でも、子どもたちは、間違うことをおそれます。いっぱい手を挙げる子も、挙げない子も、みんな間違うのを恥だと思っています。 もちろん、先生の中には、「間違ってもいいんだよ」と発言を促そうとされる方もいます。でも、そう言われても、雰囲気というか、空気が許さないのです。 テストで丸をもらうことが、「良いこと」だとすっかり信じ切ってしまってるんですね。そして、正しいことを言ったり、行動をしたりしないと「良くないこと」「自分を認めてもらえないこと」と思ってしまってるんです。多くの子が。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ まじめな不登校の子の特徴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 不登校の子と何人か、おつきあいをさせてもらってきました。私の体験からだけでも、その子たちの特徴は、ハッキリしてました。 「はてなランド」にレギュラーで来ているADHDの子や、イタズラッ子とは、全く対照的な、マジメで正義感の強い子です。ものごとを「~すべきだ」「~してはいけない」という枠組みで強くとらえていました。 ですから、普通に言って、「とっても良い子」なのです。お父さん・お母さんの教育の成果ですねえ、と拍手してやりたい子どもたちです。 しかし、そこに落とし穴があったのですね。本当に、自分で考えて、自分で失敗を繰り返して身につけた「良い考え」ではなかったのです。知らず知らずに、親からしみ込まされた、ロボット頭脳になっていたのです。 彼らが、本当に、自分のアタマを取り戻すまでに、とても長い時間と苦しみを通らなければなりません。 やはり、子どもは、いっぱいイタズラをして、いっぱい失敗をしていっぱい間違って、転び方を学んでいくのが、健康ですね。柔道だって、受け身から覚えなければいけないんですから。 この文をこの夏に、自分で命を絶ってしまったN君への、追悼として捧げます。 不登校の子のお父さん・お母さん方は、全く立派な、尊敬申し上げる方々ばかりです。 そこに、この世の矛盾と不思議さを思わずにはいられません。明日こそ、学校の連絡帳の書き方に入りたいと思います。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.05
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学校には、もともと敷居はありません。安全上の敷居はありますが、不審者でない限り、正当な理由のある人を制限する理由はありません。礼儀が必要なだけです。(ま、職員会議とか、研究会は別ですが)相当な緊急事態でも、出入り自由なのです。敷居を作っているのは、保護者のひとりひとりの心と先生ひとりひとりの心です。 だったら、簡単です。心の敷居を無くせば良いのです! と、言っても、それが難しいから苦労してるんですよね。 で、そこで登場、寅さん流「お気楽」コミュニケーション術です。なんか、かめおかゆみこ教に入信しているみたいですが。(ご紹介しますね。私の演劇教育の師匠です。)かめわざ快心塾へジャンプしなやかにタフに生きるかめおかさんの原稿です。彼女から、共感性を高めるゲームの世界を案内してもらいました。そのうちに、じっくり紹介します。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 同じところを探そう∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「間違い探し」というゲームがありますね。人間は、違いを見つけるのは得意です。 これは、もともと生物として生きていく上で、食べ物を発見したり、ものをよけたり、敵を見つけたりするのに、ものを比べて判断するようにできているからです。 生きていくために、私たちの脳は、比較してものを見るクセがあるようです。その延長で、自分以外の誰かと、自分をすぐ比べてしまうんです。 よ~く考えてください。同じ人間同士、ひとりひとり確かに違いますが、同じところの方が多いのではありませんか?ほとんど同じだからこそ、ちょっとした違いが目立つんです。 サルと人間の遺伝子の違いでさえ、驚くなかれ、98%が適合してるんだって。あなたは、限りなくサルとご親戚なのです。 それに比べれば、私たちは人間どころか、同じ日本人です。考え方の違いはあっても、それは氷山の一角で、ちょっと底を掘れば出てくるモノは、ほとんど同じです。 まして、先生とお母さん・お父さんなんて、見分けがつきません。だいたい、先生自身も、保護者でもあるのですから。 人は、自分と同じところを発見すると、心を開きます。一緒に笑い、一緒に泣いただけで、もう他人ではありません。芝居の効果は、そこにもあるんですね。同じ劇場にいる人が、みんな同じ家族になってしまうんです。 ビジネスでも、一緒に食事をすることは、成功の鉄則です。同じものを食べて、「これって、おいしいねえ」って、同じ感覚を味わうだけで、心が通じるんですね。 私は、科学教室でも、意識的に食べ物をからませます。そうすると、仲間の連帯感と満足感が格段に違うのです。 給食を生徒と一緒に食べる効果は、計りしれません。また、PTAとの懇親会に参加されない先生!あなたは、貴重なチャンスを逃しているのです。飲み食いは、仕事でないという考えの方は、甘いと思います。私は、明らかに、重要な仕事だと思います。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 波長を合わすということ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ラジオやテレビは、電波の波長が合わなければ映りません。私たちの心も、いろんな波長を出しています。そして、波長が合う部分があればあるほど、一体感が強まります。 しかし、アタマで考える部分は波長は合わせにくいです。まだ、人間の考える頭脳は、できそこないだからでしょう。ですから「教育方針」では、波長が合わないことが多いです。 しかし!人間としての原始的な部分では、波長を合わせるのは、簡単です。 ですから、最初は、共感するところに目を向けて、先生と波長が合うことを確認するのです。これでもか、これでもか、と。それが信頼感を作ることであり、その上に乗っかって、はじめて、難しい問題、すなわち違いの部分の話し合いが可能になるのです。 最初から違いで攻めるなんて、愚の骨頂です。その問題の解決だけに止まりません。先生と共感する部分を多くすると、そこでようやくその先生の能力や、学校の可能性が見えてくるのです。尊敬する気持ちも出てくるのです。 そして、そこから、先生の能力を最大限に引き出す魔法、すなわち、先生を最高の家庭教師にしてしまうことが可能になります。 では、具体的どうすれば良いのでしょう。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ まめな、あいづちコメントを∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 人と話をするとき、相手に相づちを打ってもらうと、話しやすいですよね。うれしくなりますよね。私は講演のときでも、(まれに頼まれます)、相づちを打ってくれるお母さんに焦点を合わせます。そうするとリズムに乗れるんです。 この楽天日記など、ブログをやっている人も、コメントをもらうと「元気ハツラツ」になりますよね。その感覚です。 以前にも書きましたが、大きな盲点があります。連絡帳はあるのに、先生は意外に、コメントをもらいません。 保護者からの、一方的な「事務連絡」や「要望」はあります。しかし、先生の授業や宿題、指導のあれこれ、への反応がないのです。 よく、奥様の美しさは、ダンナのほめ言葉が創る、って言うでしょう。良い授業、良い宿題、良い先生は、保護者のコメントが創るのです。これは、同じ人間ですから、当たり前だと思いませんか?できるだけ、ほめてやりましょう。子どもと同じで、良いところに注目して、そこが伸びるように水をかけ、光をあててやるのです。 私も塾や出張授業で感じるんですが、一人の感想文で、どれだけ救われて、やる気が出てくることか。 先生は、保護者が作るというのは、半分は真実ですよ。 何も、難しいコメントをする必要はありません。一言でいいのです。どうせ、じっくり読む時間が無いのですから。それより、回数です。どんな小さなアクションにも、必ずコメントが返ってきたら…。さらにそれが、何人もの保護者からだったら…。 先生は、いつも、保護者に見守られていると感じないでしょうか?そして、いつも保護者のことがアタマに浮かび、手を抜くなんて、とんでもないこと。できなくなります。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校がマスコミにでたときは、最大のチャンス∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 最近は、地域との連携が深くなり、マスコミに学校が登場することも多くなってきているでしょう。 もし、ちっちゃな記事でも出たら、チャンスです。コメントを学校に出してあげましょう。これまた、意外や意外、学校が表彰されても、反応ゼロなんです。 私はアホとちゃうか、って思っちゃいます。連絡帳でもいいんですが、FAXで職員室に堂々と送ってやりましょう。 「記事を読んで、どんなにうれしかったか。テレビを見て、誇らしく思ったか。いつもご苦労様でした。」それだけでいいのです。もう、翌日から、あなたは、職員室の来賓として接待されます。何より、校長先生・教頭先生が喜びます。これまた、お二人は、保護者との直接の接触がないのですから、本当は寂しいのです。 FAXひとつで、校長室のトビラをガラっと開けちゃえるのです。 いったん、心のトビラが開けば、お互い、難しい話も冷静にできます。学校に入れば、必ず問題にぶつかります。そのとき、これらのちょっとした投資が、何倍・何十倍となって返ってくるのです。 また、また、長くなってしまいました。冬休み中に、書けるところまで書きたいとあせってるのかな?ありがとうございました。 ナナナナ、なんと、さらに上がって…。どう感謝してよいやら。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.04
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私たちの心は、人のことを都合よく解釈します。自分のことも都合よく解釈します。 お月様の模様は、ただのデコボコなのですが、あれをウサギが餅つきをしていると言われれば、もう、それしか見えなくなります。 しかし、世界ではいろんな見方があるのです。たとえば、モンゴルではイヌ。インドネシアでは編物をしている女性。そして、カナダでは、なんとカエルです。 信じられます?一度、レッテルを貼ってしまうと、私たちの脳は、怠慢なことに、それだけしか映し出さなくなるんですね。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 「学校のせいだ。」は「悪霊のせいだ。」と同じ。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 仕事がうまくいかない。彼女にふられる。事故に遭う。このようなことが続くと、人は何かの原因にしてしまいます。 もし、そんなとき、もっともらしい人から、「あなたには、悪霊がついている。お祓いをしなさい。」と言われて否定できます?もちろん、心霊現象をバカにするつもりはありませんよ。 でも、それで自分への反省をしなくなるんですね。「悪霊のせい」などと、何かのせいにすると、人はミョーに安心してしまいます。これは、完全な脳のなまけグセなのです。 本当は、失敗を生んだ自分の行いを、ひとつひとつ反省すれば、すべて明日へのステップとなるはずなのに。そのチャンスをつぶしているのです。 世の中の不満をすべてユダヤ人のせいにしたナチスと同じなのです。 学校で子どもがケンカをした。仲間はずれになる。ケガをする。勉強がすすまない。 これらが続くと、お母さんは、何かのせいにしたくなります。ここで、誰かのお母さんから、「あの先生おかしいわね」とかウワサを聞きますと、もう、ピピっときちゃうんですね。 「担任のせいだ」から、すぐ「学校のせいだ」に発展します。 もし、冷静にすぐ学校に出向き、実際に教室で息子の行動を見させてもらえば、きっと発見があるはずです。家の中の子どもの行動と、集団での行動は違います。 そこで気づくのは、たとえばその子のガマンの無さであったり、正義感の強さだったり、特定の子の陰でのからかいだったりします。もしかすると、忘れ物が原因になってたりします。その場合の対策は、早く寝させることだったりして。 「学校のせい」と一言で片づけるのは、それらの改善のチャンスをすべて、捨ててしまうことなのです。誰かのせいにしてしまうのは、脳みその昼寝です。 全く同様に、学校の先生にとっても、子どもが思うとおりの行動をとってくれないときは、よく、母親のせいにしてしまいます。「あのお母さんが、問題よねえ。」 お互い、これじゃあね、学校が面白くなくなりますね。脳みそは、安定したがるクセがあるのです。それで、ちゃんと見ていないのに、ちゃんと見ていると思いこみます。これが、悩みやトラブルをつくるんですね。 だから、意識して考え方のチェックをしましょう。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ ひとつの出来事に、ふたつの意味を見つけましょう。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「すなお」な子どもには「積極性がない」という問題が隠れています。「積極性がある」子どもを「我を張って困る」と嘆くお母さんがいます。 テストで0点をとっても、ほめることができます。「隠さずによく見せてくれたね。あなたには勇気があるよ。」 こうしてほめられると、子どもは親に隠し事ができなくなります。親にとっては、成績が悪いより、隠し事をされる方がはるかに心配なはずです。 0点のテストのおかげで、隠し事をする芽を摘んでしまうというすばらしいチャンスをお母さんはゲットしたのです。 逆に成績が上がっても、子どもが努力をしないで怠けていたのなら、叱る必要があります。 子どもが、学校で問題を起こしたら、学校と親しくなるチャンスです。こういうこともないと、ゆっくり先生と話せないでしょう。うまくいけば、教頭先生、校長先生に相談にのっていただけます。 職員室は、怒られるところ、とレッテルを貼ってませんか?職員室こそ、お宝のありかですよ。校長先生を味方にしてしまえば、百人力です。 すべての出来事には、二つの意味が隠れています。もし、一つしか読みとれなかったなら、もう一つの意味が見つかるまで、考え抜きましょう。 お宝はここから見つかるのです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校の「教育目標」に、だまされない。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の案内パンフレット、学校要覧、学校通信には、いつもすばらしいことが書いてあります。 学校が出すものは、いつも学校の良いところをクローズアップし、弱点や問題は、ほとんど、書いてません。ですから、親としては、書かれていない空白のところを想像して読まなくてはいけません。 学校の良い点をしっかりアタマに入れておくことは、大切です。あとで、いろんな場面での道具になります。第一、それらの話題で、先生を「よいしょ」できるでしょう? しかし、学校を真剣に見極めるときには、「すなお」ではいけません。それが、お子さんの一生に関わるのですから、大切です。 たとえば、「教育目標」ですが、たいてい誰も否定できない立派なこと「体をきたえる、考える、思いやる うそをつかない 自然を愛する」などなどが並んでいます。 これらは、教育の基本ですから、これらを打ち出しておけば誰も文句は言わないだろうという安易さが読みとれます。 しかも、これらは、教育の目的や「願い」であって、だから、具体的にどうするのか?いつまでにどんな成果を上げようとしているのか?が全然わかりません。 ですから、これらの美辞麗句は「教育目標」ではありません。だったら、本当の教育目標はどこに書いてあるのでしょうか? それをはっきりと聞かなくてはなりません。目標設定の5原則は1.明確か?2.測れるか?3.実現可能か?4.結果志向か?5.スケジュールを立てているか?です。とくに、校長先生の任期は、たいてい2年、長くて3年です。それ以内に達成できないのは、責任のがれというものです。 空々しい美しい言葉は、親をバカにしているだけでなく、当の先生たちの首を絞めています。実態とかけはなれたことを言われて、しかも、どうアクションすればいいのかが無いのですから。 でも、本当の行動計画を立てている学校は、少ないです。もし、立てていれば、いっぱいほめてやりましょう。それだけで、もう一般的水準よりは良い学校だと思います。 何事も、二つの面から見ましょう。 いよいよ明日の日記から、寅さん日記の中心テーマ先生とのおつきあい術に入りたいと思います。今日も、長い文章読んでくださり、ありがとうございました。 おかげさまで、な、なんとベスト10に入ってしまいました。ありがとうございます。みなさまのお力で生きております。よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.03
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子どもたちから、年賀状をいっぱいいただきました。お母さんからのご挨拶もいただきました。「律儀な」フーテンの寅さんは、なんと新年になってから、年賀状の筆をもつのです。ごめんなさい。遅くなります。ヒドイ先生だ!! ところで、保護者の方からの年賀状は、たいてい「いつも娘がお世話になって…」「息子は~で、~なときは、~なことをしてしまい…」と、当たり前ですが、子どものことばかり書いてあります。 私は、先生とのすれ違いの原因の大きなところは、お母さんご自身の、PR不足にあるのではないかと思います。(先生の責任は、ここでは言わないことにしましょう。) なぜでしょうか?これは、先生と保護者の間で、そのすれ違いを見続けてきたフーテンの寅さんだから、声を大にして叫びたいことです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵先生に、わかってもらいたいのは、子どもだけじゃありません。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 先生に対し、不満や怒りをもってらっしゃる保護者は多いです。いろんな文句をお聞きします。しかし、それらには共通して、隠れた無言の抗議が潜んでいると、私は見ているのですが、いかがでしょう?「先生は、私の願いに耳を傾けてくれない」「先生は、私をわかろうとしてくれていない」「先生は私の味方になってくれない」これは、子どもの願いではありませんよ。保護者であるあなたの隠れた願い、欲求だと思うのです。もちろん、同じ保護者である私の欲求でもあります。 つまり、お母さん、お父さんの心情に寄り添って欲しいのです。保護者という名前で呼ばれると、みんな同じになってしまいます。 しかし、社会では、それぞれ、すばらしい立場の方々です。そして、ひとり一人が抱えている人生が違います。悩み、苦しみ、もがいて、それでも、がんばって子育てをしているそんな苦労や、努力を理解して欲しいと思うのは、当然です。 人間としての保護者理解なくしては、家庭教育指導がうまくいくはすがありません。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 先生は、保護者の味方ではありません∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ところが、先生という立場は、保護者に心情的に寄り添うことを難しくしています。 どうしてでしょう? それは、先生は、普段、子どもといっぱい接しているからです。そのため、子どもの味方には簡単になります。(当然です!!)(でも、味方にならない先生も) ところが、それが、保護者と距離を置く原因になるのです。え?っと思うでしょう。 先生のはしくれである私にとってもあてはまるのです。先生になってみないとわからない感覚かもしれません。 例のX君の場合でも、私は彼の味方になりました。味方なればなるほど、お母さんを非難しました。 でも、お母さんには、お母さんの抱えている事情があり、彼女自身の育ってきた過去の問題がありました。それを考慮しないで、非難を続けたら、もう、とんでもないことになっていました。 「保護者」ではなく、「人間」としての理解がないまま、子どもに及ぼす影響のみを注目しますと、保護者の真の姿を見失わせます。 先生にとって、ほとんどの親は、改善すべき、問題をかかえた「担当者」としか、映らないのです。「お母さんがもう少し、努力してくれればいいのに」 問題を指摘しないまでも、「アドバイス」をしたくなります。お母さんの事情や、心情に寄り添う前に、言っちゃうんです。「アドバイス」を。ですから、当然、そんな「アドバイス」通りに保護者は動きません。「アドバイスしたのに、保護者は動かなかった」「何という保護者だ!」 となって、泥沼に入っていくのです。 そもそも、先生は教えるのが職業です。ですから、いわば、「教え魔」なのです。保護者にも教えたくなります。一種の職業病です。(私もそうですね。現にこうして)反対に、保護者から教えてもらおうという意識は薄くなります。 もちろん、先生の中にも、すばらしい「できた」方もいます。カウンセリング・マインドをもって保護者にも当たってくれます。 しかし、まだまだ、先生の意識の中には、「私の仕事は、生徒まで」と保護者を包み込むことは仕事として捉えられていません。 実際、もし本当にそうするためには、学校全体のバックアップ体制も必要でしょう。 とにかく、先生への淡い期待は、持たない方がいいと思います。だったら、どうするか?!!∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 結局、自分でPRをするしかないのです。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 結局、お母さんご自身が、自分でPRをするしかないのです。そして、一個の人間として、意識してもらい、子どもと同様に、お母さんの味方になってもらうのです。 PRと言うと、日本では、でしゃばりに見られますが、これは、結局、「子どものため」なのです。決して利己的なことではありません。 先生と保護者がうまくつきあえないと、一番被害を受けるのは子どもたちなのですから。 引っ込み思案なお母さんも、愛する子どものために、ここは一発役者になりましょう。 そして、先生も本当は、それで助かるのです。本心では、お母さんとの人間対人間のおつきあいを望んでいるのです。 実際は、全然難しいことはありません。ほんのちょっとした技術の積み重ねです。少なくとも、この日記を読み、ブログを書いている方は100%できます。 これから、少しずつですが、寅さん流、PR術を伝授しますからぜひ、だまされて試してみてください。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校の先生、保護者を尊敬してますか?∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の先生が読んでいらっしゃいましたら、ぜひ考えていただきたいことがあります。 上記の裏返しです。保護者を一個の人間として、深く理解するように努めてください。子どもにどう影響を与えているかという役割論、いわゆる「担当者」として見るのではなくて、まず、その人そのものを理解するようにしてください。 「教える」んじゃなく、いっぱい「教えてもらう」のです。先生は、教えてもらうのがヘタな人が多いです。子どもからも教えてもらっていますか? そのためには、言葉の言い回しより、大事なことがあります。「あの先生には、なぜか教えたくなるんだよね」という雰囲気をもたなくてはいけません。 まず、先生が偉大な「空っぽ」になるのです。子どもたちに好かれている先生なら、できるはずです。 耳を傾けていれば、必ず、わき上がる感情があります。それは保護者を尊敬する気持ちです。たとえ、教育上、問題だらけの親でも必ず、先生の及びもよらない、「すごさ」が隠れています。 逆から言えば、保護者を尊敬できていない時は、まだ、その保護者を理解していないのです。 保護者を「尊敬」して、はじめて、共通の目標が生まれます。敵対関係が、同盟軍に変わるのです。厳しい言葉ですが、これが、社会常識なんですよ。 それでこそ、先生の幅がどんどん広がって地域の人々から、尊敬され親しまれる「先生」になるのです。 お客を尊敬できないサービス業は、失敗するのです。 既に十分ご存じのこと、差し出がましいこと、すみません。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.02
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あけましておめでとうございます。みなさまのおかげで、ここまで、日記を続けることができました。お互いにさらに、刺激しあって、ステキな一年にいたしましょう。 デザインをお正月バージョンにしたのですが、本当に、まぶしいですね。三ケ日だけ、これで行きたいと思います。 今日は、お正月ですから、めでたく、めでたくいきたいです。 X君のおはなしも、ちょっとお休み。結論から言いますと、いろんなことが彼の上にありましたが彼は今、当「はてなランド」の塾頭です。 昨年ここがテレビ取材を受けたときも、中心となって、出演してもらいました。いや、出演どころか、陰のディレクター役でした。彼のアイデアが危機を救いました。スタッフの方々も、その才能に驚いています。 しかし、相変わらず、字を書くのは苦手です。(私の責任でもありますね)学校での問題は、減っていると思います。どうでしょうか、先生? ともかく、彼のおかげで、私は広い世界へ踏み出せました。本当に神様からのプレゼントです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ なんでも勉強になっちゃう!∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 勉強とは、机に向かってするだけのことではありません。「お正月は、勉強しなくたっていいんだ!」子どもたちは安心でしょう。 ところが、賢いお母さんは、このお正月をお宝に変えます。テレビゲームをするときも、真剣に作戦を考えさせます。ゲーム攻略本を読ませます。 国語の本を読んでいれば勉強で、攻略本の難しい文章を読むのはどうでもいいこと、って思っていませんか? あれを読みこなすのは、なかなかの読解力が必要です。教科書を読むより、すごい勉強をしているのです。 将棋は、理詰めのゲームです。日本将棋連盟では、子ども将棋会に参加している子の成績が予想もしなかったほど、上がったと驚いたと言います。「はてなランド」に来ている5年の子も、将棋のおもしろさにハマッてから、成績がグングン伸びました。引っ込み思案が、逆に積極的になり、さらに、不思議なことに体力までついてきました。 囲碁は、算数の成績を上げる最高のおもちゃです。碁は、パターン認識の訓練です。幼児からさせると効果が高いと言われています。 直感力と言えば、トランプの神経衰弱は子どもの動物的能力や記憶力をとても刺激します。 何も使わない、しりとり遊びだって、タイムトライアルの要素を加えただけで、超強力なアタマの回転トレーニングになります。 遊びだけではありません。買い物に行かせて釣り銭を数える。親戚のところに行って、行儀作法を教える。 こう考えると、子どもにとって、寝ているとき以外はみ~んな勉強の機会なんですね。それを、どう後ろから、バックアップしてやるか、なんです。 ところが、せっかくのチャンスをつぶしてばかりのお母さんがいます。あれをしちゃダメ、これをしちゃダメ。やりたくもないのに、「これで遊びなさい」 毎日のこれらの積み重ねが、子どもの頭脳の差となります。何事も、子どもの意欲を生かして、強めるようにしてみましょう。そのためには、まず、お母さんの心の中にある「勉強」と「遊び」の壁を壊してしまうことが先決ですね。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 笑いのある家庭に落ちこぼれ無し∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ お正月番組のコントで笑い転げるのも、実は大切なんですよ。学校で友達が見ていて、話題にしていることに、ひとりだけ「参加」できないと、仲間はずれの芽になるからです。 仲間はずれや、イジメは、もちろん悪いことですが、その芽は少ない方が良いに越したことはありませんね。 ところで「お笑い」と言うと、低く見られますが、あれは、なかなか高度な頭脳戦です。特に、人を笑わせるためには、頭脳のフル回転が必要です。人を脅したり、叱ったりするより、よっぽど高度です。 ですから、家族でお母さんを笑わせたり、お父さんをからかったり、横からお姉さんが口だしたり、そんな笑いが絶えない家庭は、必ずアタマの良い子が育ちます。 笑いは、緊張をほぐし、創造力を高めます。 な~んて、もっともらしい理屈を言ってないで、人生、楽しみましょう!お正月に勉強のお話なんて、ヤボというものですね。一年に一度のお正月なんですから。楽しいお正月を! よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.01
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