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酒井法子が血祭りに合っている。
彼女を擁護するつもりは毛頭ないし、法を犯したのだから当然の報い。
一般人と違い、タレントは大きな影響力を持っているので、草なぎ剛と同様にあらゆるところからバッシングにあうのも仕方のないことだ。
ファンは意外といい加減なもので、個人の偶像をそのまま自分の心に仕舞い込む傾向にあるので、ショッキングな出来事が発覚すると勝手に失望する。
この地球上に、覚せい剤を使ったことがある人或いは現在も使っている人が一体どれほどあるだろうか。
おそらく想像を大きく超えた数になるだろう。
表面化しているものは氷山の一角に過ぎず、もしかすると隣人も経験済みかも知れない。
基本的にわたしは覚せい剤も煙草も同類だと思っているので、覚せい剤だけを特別視していない。
わたしが初めて覚せい剤に出会ったのは小学4年の時だった。
父の思い出がまたも蘇えってしまうのであるが、これもまた父に関するエピソードの一つ。
ある日、父の友人が二人やって来て近くにいたわたしに父が声を掛けた。
「とし坊、小遣いやるから遊びに行って来い」
50円玉を渡されて、思わぬプレゼントに驚いた。
父から小遣いなど貰ったことがないし、50円は当時「いこい」が買える金額。
子どもにとっては大金であり、一週間分の小遣いに相当した。
お正月のお年玉でない限り、貰えぬ金。
わたしは子ども時代から感の鋭いところがあったので、これには裏があると瞬時に分かった。
友人の手の中で鈍く光っている注射針、そして包み紙。
昭和30年代には覚せい剤を「ヒロポン」と呼び、別名(白い粉)で通用した。
わたしは自分が何か悪いことでもしたかのような錯覚を覚えつつ、その場から逃げるように立ち去った。
2回目は20歳を迎えたばかりの冬。
後輩の荻○が見知らぬ友人を二人連れてわたしのアパートにやって来た。
一人は自分と同じ歳くらいの女性。
「かんべさん、悪いんだけど部屋を半日貸して欲しい」
相変わらず感が鋭いので何のために利用するのか判断出来た。
頼まれると断れないのは父親譲りだったから、部屋をそのカップルに明け渡し、後輩と共に時間を潰した。
そして3回目は35歳の時。
仕事の帰りが遅くなり、西葛西から中葛西にある自宅までの道のりの途中、40代と思われる男性からいきなり声をかけられた。
「兄さん、いいものあるんだけどどう?」
どんなに人の良いわたしも流石に断った。
覚せい剤が病気治療のために使われている事は表に出ない。
それを利用する人間の使い方次第で、違法なものが影に隠れて命を救うこともあることを知って欲しい。
千代子だよ、おっ母さん。 2013.11.13
アンパンマンからの伝言。 2013.10.19 コメント(1)