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先日の日記に書いたように、先週末、京都で開かれたあるワークショップに参加してきました。実は、何をやるワークショップなのか、ということを言葉で説明しようとすると、けっこう難しくて、参加前にそれを聞かれた家族や友人からは??というような顔をされてしまったりしました(笑)。あえて一言で言うと、「自分らしく、幸せな人生を生きるために必要なことを学ぶ」というのが、このワークショップの目的でした。学んだことはたくさんあって、ここには書ききれませんが、私が特に「はあ、そうなのか~」と納得してしまったのは、普段、何気なく言ったりしたりしていることが、いかに、自分の「本当の」気持ちや意図とは違うことに動かされているか、ということでした。時には、自分が傷つかないように守るために、昔経験したことがもとになって自動的にある反応が出てきたり、相手が言うことや、することとのバランスをとるために、ゲームのように反応していたりするのです。自分の人生でやっていきたいことははっきりしていて、それに向かって進んでいる、と思っていた私。でも、毎日の暮らしの中で自分が発する言葉や、やっていることがそれに向かっているか、といえば、実はまったくそうではなかったことに気がついて、眼からウロコが落ちるような気持ちでした。ワークショップでは、そういうことにエネルギーを使うのを止めると、代わりに、本当に意図していることに向けてエネルギーを使えるようになる、ということを伝えてくれました。そして、「朝ごはんを食べる」みたいな小さなことにも、全部意図があることも。それ以来、実際、自分が何かをしようとか、何かを言おうとかした時、ちょっと立ち止まって、「ん?私は何のためにこれをしようとしているのかな?」って考えてみると、実は人の機嫌を取るためだったとか、いろいろなことが見えてきて、びっくりしたりします。こうやって少しずつ、自分の言動を見ていくクセをつけていけば、やがて、心の中に持っている本当の意図に沿ったことをしたり、言ったりしていけるようになって、人生でやりたいことにも近づいていけるはず。そんな風に思えて、ワクワクしてきます。もうひとつ、感動したのは、ワークショップの中で、「自分の人生の意図」をつきつめていった時、私も含めて、参加した殆どの人たちが同じような意図を持っていたことです。愛にあふれていて、みんながハッピーで、和のある世界。人間って、つきつめていけば、みんなそういう世界を求めているのかもしれない。それがとっても嬉しくて、表面でイヤな態度を取るような人たちを見ても、自分がそうしてしまう時も、今までとはちょっぴり違った受け止めかたができるような気がしています。大切なことを学ぶ機会を下さったマスター、ちいちゃん、そしてワークショップをともに受けた皆さん、本当にありがとうございました!!
2006.08.31
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皆さん、こんにちは。私たち夫婦が住んでいるアフリカの国は、いろいろな言葉を話すいろいろな民族が住んでいるので、植民地だった時代の言葉、フランス語が共通語のようにして使われています。住み始めたからにはマスターしようと、私も勉強を始めたのですが、実はいろんな理由をつけて、ちょっと怠けていたのでした。が、それではいかん!と一念発起して、日本に滞在している間、ラジオやテレビのフランス語講座を聞くようにしています。昨日、見たテレビの講座で、パリで行われているちょっと面白い企画が紹介されていました。毎週、特定の日に、参加したい人たちがパリの街をローラースケートで走り回るというものです。もともと、友達同士で始まったというこの企画、面白がって参加する人たちがどんどん増えて、発起人たちは、もっときちんとした組織を作らざるを得ない状況になっていったそうです。その発起人の方がおっしゃっていたのは、次のようなことでした。「パリにはいろいろな国からの人が住んでいるので、誰でも自由に参加できる、このローラースケート大会(?)では、あらゆる国の人たちが一緒に街を走り回ることになります。それが、とてもいい雰囲気を作り出すのです。スポーツという健全な形でエネルギーを発散しながら、みんなが自然に何かを分かち合えるのは、とても大切なこと。それに参加した若者たちは、何か違う形で世界を見るようになるに違いありません。」こんなにカンタンで楽しい形で自然に「和」を育んでいけるなんて!と、びっくりするような、感動するような気持ちでした。それを聞いて、勤めていたNGOの同僚だったイギリス人の方がおっしゃっていたことを思い出しました。彼はそのNGOに長年勤めていて、アフリカやアジアの色々な国に暮らしたことがあって、行く先々で、子どもたちをインターナショナルスクールに通わせていたそうです。そして、印象深く、また悲しくもあったのが、小さいうちは色々な国の子どもたちがごく自然に仲良くなって交わるのに、ある年齢になると、国や肌の色で差別を始めることだったそうです。その影には、大人たちの影響があることは、言うまでもありません。本来、スッと自然に仲良くなれるやわらかい心を持った子どもたち。彼らが、そのまま「和」を育んでいけるような小さな仕組みを、私たち大人がつくることができたら、未来は少しずつ変わっていくのかもしれないな。そのためにできる、小さな一歩を考えてみたいな。そんなことを考えさせられました。
2006.08.29
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皆さん、こんにちは。ちょっとご無沙汰してしまいました。週末に、あるワークショップに参加するために京都に行っていたのです。とってもステキなワークショップだったので、今度、改めてそのお話もしたいと思います。夫は、短い東京滞在の後、帰国しました。とはいうものの、実は、私たちが住んでいる国で政情が不安定になっていたので、彼は日本からヨーロッパまで飛んで、様子を見ながら帰国を見合わせていました。一応、ふつうの状態に戻ったそうなので、今日、帰ることにしたそうです。私も、念のため、少し帰国を延ばすことにしています。夫の事務所のアシスタント兼ドライバーは、26歳くらいの若い男性。同じ年くらいの奥さんがいて、5月に1歳になったばかりの赤ちゃんがいます。その彼が先日くれたメールには、「ここ数日、家から出られないでいる。みんな、心配で怖いんだよ。」なんて書いてありました。この国では、私たち夫婦はしょせん外国人。いざとなれば、ほかに行くところがあります。でも、この国に生まれ育って、ほかに行くところのない人たちは、いったいどんな気持ちなんだろう……。国の中の勢力争いやら、周りの国の複雑な利害関係やら、いろんなことが絡んで内戦が起こって、それがやっと終わって大統領選挙までこぎつけたと思ったら、その候補者どうしがまた争いを始める。そんなことを、ふつうのお母さんたちや子供たちは、どんなふうに感じて見ているんだろう……。なんて考えてしまいます。自分の国に安心して帰れて、家族がみんなふつうに暮らしている。そのことを大切にして、みんなで過ごせる時間をいつくしんでいこう。一年に一度か二度、家族と会えるときは、大事に思っていることをちゃんと伝えよう。夫と一緒に過ごせる時間を楽しもう。今、つくづくそう感じています。
2006.08.29
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みなさん、こんにちは。前回の日記に書いたように、夫が来日していて、毎日そのアテンド(?)で少々忙しい毎日です。が、ちょっぴり時間ができたので、彼が来てからのことを少し書いてみようと思います。時差のある遠い国からはるばる飛んできてくれた夫は、やはり少し疲れているようで、のんびりペースで東京見物していました。明治神宮に行ったり、はとバスツアーで東京タワー、皇居、浅草などを観てまわったり、美術館に行ったり、電気製品の買い物をしたり。夜は、家族や友人たちと会っています。電車の中や街で見かける日本人についての彼のコメントは:「みんな、肌と髪はとってもきれいだけど、歯並びが汚い!」(たしかに、歯の矯正って、日本ではみながやることじゃないし、美人の大事な条件!っていうわけでもないですよね。)「高齢化社会っていう割に、お年寄りを見かけない」(若者が集まる地域を中心に出かけていたせいもありますが......)「みんな、とても丁寧で、いつもお辞儀をしている」(彼も、モノを買ったりする時、半ば面白がって店員さんにお辞儀をするようになってきました....)中でも印象的だったのは、浅草に行った時のこと。浅草観音寺を見て、その後、仲見世通りをぶらぶら歩いていたら、ちょっと横道に入ったところに、お地蔵さんたちがまつられている小さなスペースがありました。静かで、とても落ち着けて、優しい顔のお地蔵さんたちがふっと心を和ませてくれる感じ。そこで、彼が言いました。「さっき見たあのお寺は人が沢山いて、すっかり観光地って感じだったけど、ここのほうがスピリチュアルでいい雰囲気だね」そして、街のそこかしこに小さな神社やらほこらやらが残っているのを目にして、日本人の暮らしの中にはスピリチュアルなものがまだまだ残っているんじゃないの?と感じたそうです。忙しい東京での暮らしでは、必ずしもみながスピリチュアルなものを大切に暮らしている、とは言えないかもしれません。でも、何かで行きづまった時に、ふらりと近くの神社やお宮に足を向けてみる。お盆やお彼岸には家族でお墓参りをする。新年には初詣に行く。そんな何気ない行動の中で、私たちなりの形で、「大いなるもの」や自然を敬い、それに身をゆだねる気持ちがつちかわれ、育まれているのかもしれない。そして、せっかくなら、ちょっぴり意識して、スピリチュアルな時間を日々の暮らしに取り入れていきたいな、なんて思いました。
2006.08.23
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皆さん、こんにちは。今日の私は、ウキウキモードです。今日、夫が日本に到着するからです。実は、一緒に日本に滞在するのは初めてです。明日から数日間、短い間ではありますが、二人で私の家族や友だちに会ったり、東京見物したりすることになっています。前に、何気ない会話の中で、世界のいろいろな国に住んだり旅したりしてきた夫に、「どこの国の人たちが好き?」というような質問をしたことがあります。その時の彼の答えは、なんと、「日本人かな」。私に対する配慮なのかな、とも思いましたが(笑)、どうもそれだけじゃなさそうでした。なんでも、彼がアメリカの大学院の通信教育のコースを取っていた時のクラスメートの日本人と妙にウマが合ったり、二人で一緒に旅行した時に現地に住んでいる私の友達と会った時、とても居心地がいいと感じたりしたそうです。一方、私も、彼の国の人たちにとても良い印象を持っています。ずっと前のこと、勤めていたNGOで、ある大きなプロジェクトに加わることになった時、そのプロジェクトをとりまとめる立場だった人が、彼と同じ国籍でした。プロジェクト立ち上げの会議の時、初めての経験にちょっぴり不安だった私に、その人は、超のつく多忙な立場でありながら、「困ったことがあったら、いつでもメールをくれれば、助けになることはするから」と言ってくれ、実際、その通りにしてくれました。その後、出会った同じ国籍の同僚たちや上司も、あったかくて気さくで、何かと親身に力になってくれたり、こちらがびっくりするくらい開けっぴろげに心を開いてくれたりする人が多かったのです。日本では必ずしもいい印象がある国ではないけれど、そこに住む普通の人たちはこんなにステキな人たちなんだなあ、と思ったものです。だから、そういう国に生まれた夫が「日本人が好き」と言ってくれたのは、私にとってとても嬉しいことでした。今回の滞在で、彼がもっと日本人や日本を好きになってくれるといいな、なんて思いながら、彼がどんな感想を持つか、今から楽しみにしています。*このブログは、一週間ほどお休みさせていただきます。その後、また夫の日本滞在の話などを書かせていただきますね!
2006.08.19
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皆さん、こんにちは。昨日は、私が長年勤めたNGOの元同僚たちと食事して、とても楽しい時間を過ごしました。外国で暮らし始めて以来、日本に帰る時はいつも、友人たちと久しぶりに会う時間を作るようにしています。昔、同級生として中学や高校での学校生活をともにした友だち。一緒に仕事をし、苦楽をともにして助け合った、元同僚たち。趣味やセミナーなどを通して知り合った友だち。家族や友だちを通して新しく知り合った友だち。これまでの人生のいろいろなステージで出会ってきた友人たちは、その時、私のそばにいてくれただけではなくて、ちょっとした情報を持ってきてくれたり、何かヒントになるようなことを言ってくれたり、誰かと知り合う機会をくれたり、といった形で、私の人生が新しい方向へ展開していくためのきっかけをつくってもくれました。今、彼らと短い期間にまとめて会っているせいでしょうか、何だか、自分が今まで生きてきた軌跡をふり返っているような気になります。そして、いろんな「縁」がからみ合って今いるところまで導かれてきたことを思うと、とても不思議な気がするのです。それぞれの人生を生きていくうちに、進む方向や、考え方や、興味の対象が違ってきて、自然と疎遠になっていく友だちもいます。一方で、「縁」が長く続いて、互いに当時とは違うところにいても、何か通じあうものがある友達もいます。みんな、それぞれの人生を一生懸命に生きてるんだなあ、としみじみ感じて、触発されたり、考えさせられたり、何かに気づくきっかけをもらったりします。そんなステキな友人たちと、彼らを連れてきてくれた「縁」と、こうしてみんなと再会できていることをとてもありがたく思います。そして、忙しい生活の中で、ついつい、いろんな「縁」を素通りさせたり、ないがしろにしたりしてしまうことなく、大事にしていきたいな、なんて思うのです。
2006.08.17
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今日は終戦記念日ですね。戦争といえば、イスラエルとレバノンの間の戦争は一応停戦となりましたが、ここのところ、世界中のいろいろなところで争いが激しくなっているようで、ニュースを聞くたびに胸が痛みます。 私は戦争や外交といったことについてはまったくのシロウトですが、私なりの考えでは、戦争も結局、人と人との争いと同じようなパターンで起こるものなのではないか、と思います。 「自分が正しい」「相手が絶対にまちがっている」と思いこんで譲らない気持ち。面子やプライドを重んじるあまり、譲ったり謝ったりできない気持ち。自分が今まで形づくってきた世界を崩される恐れ。そして、もちろん自分の利益に執着する気持ち。そんなものがあいまって、ちょっとしたことが大きな火種になってしまったり、互いにはり合って後に引けなくなってしまったりするのではないでしょうか。 最近、ずっと昔に買ったデール・カーネギー著の「人を動かす」という本を実家の本棚に見つけて、久しぶりに手に取ってみました。改めて読んでみると、とても含蓄が深く、シンプルでありながら普遍的な教えだと感じました。中でも印象に残ったのが、「人間は理屈よりも感情の動物で、誰でも自分が正しいと信じている」というものです。なんと、アル・カポネをはじめとする名だたる「悪党」たちも、自分たちがまちがったことをしたとはまったく思っておらず、罰を受けるのは不当なことだと感じていたそうです。 そうだとしたら、ちょっとした意見の食い違いや争いが起こった時、ふつうの人たちならなおさら、同じように感じることでしょう。私たちの多くはなぜか、自分は悪くなかったと証明することに力を注ぐ傾向があるようです。(私もよくやります......)でも、それが当たり前になってどんどんエスカレートしていくと、いつしかとり返しのつかない戦争のような事態を招いてしまうこともあるのでしょう。そして、もしかしたら、少しだけ発想や対応のしかたを変えれば、そんなことにならなくても、問題や争いは解決するのかもしれません。複雑で、特別なルールにのっとって動いているように見える政治の世界でも、シンプルな本質に立ち戻ってみれば、また違うものが見えてくるような気がしているのは、私だけでしょうか。 政治に深く関わることなく毎日を過ごしている私たちも、「始めの一歩」として、普段の暮らしの中で、真に相手の立場に立って考え、「盗人にも三分の理を認める」ようにしてみたら......。それを見て育つ子どもたちは、ひょっとしたら、私たちとは違う「常識」を持って、違う政治の世界を作るようになるかもしれない......。終戦記念日の今日、そんなことを夢見ていました。
2006.08.15
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皆さん、こんにちは。今日は、私にとってとっても大切なもののひとつ、音楽についてちょっと書いてみようと思います。昨日の日記にも書いたように、私の母は大のクラシック音楽・オペラ好きで、その影響を受けて私も自然とそれらに興味を持つようになりました。物心ついた頃から、母が聴いているレコード(当時はLP盤でした……)や、ぽろぽろと奏でるピアノなどを耳にしていましたし、たまに、おしゃれしてイソイソと音楽会やオペラに出かけていく母の姿を見て、きっとすごくステキなものなんだろうなあ、と憧れていました。そんな私がピアノを習うようになったのは、半ば当然の成りゆき。一度習い始めると、レコードでよく聴いている大好きな曲を自分の手で奏でることの愉しさにハマっていきました。「この曲が弾けるようになるためなら!」と思えば、退屈な練習曲をがんばってマスターする気にもなるのでした。こうして、クラシック音楽大好きで育った私ですが、数年前から中南米やアフリカに住み始めると、現地の音楽のおもしろさにも魅せられるようになりました。しっとりと心に響く、切なくてロマンティックなラテン系のバラード。様々な地方に固有の音楽を取り入れながら現代風にアレンジした、個性的な歌。アフリカ音楽の独特の軽快なリズム感や、大地の鼓動が響いてくるような、野性味あふれる太鼓の音。音楽の素晴らしいところは、言葉を介さなくとも、国境をこえて世界中の人に通じることだと思います。以前、ある指揮者の方がインタビューに答えて、「音楽の世界では、どこの国の人であるかは関係なく、才能や、どれだけ互いに触発し合えるものがあるかをベースに仕事するのが常識になっています」とおっしゃっていました。まだまだ出身や国籍が大きな意味を持つ世の中で、それを軽々と超えていい音楽を作っていくという世界を、ステキだなあと思ったものです。音楽には、人の心の美しい部分を引き出す力があるように感じます。繊細だったり、とても優しかったり、はじけるように明るくてエネルギッシュだったり。今でも、心を静かにしたい時やちょっとインスピレーションが欲しい時、私はピアノに向かいます。そして、理屈ぬきにいい気持ちになっていくのを感じながら、私もいつか、言葉が通じないほかの国の人たちと、音楽を通して心を通わせることができるかもしれない、なんて夢をふくらませるのです。
2006.08.14
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皆さん、こんにちは。はじめまして。このブログでは、主に私が海外での生活や仕事を通じて感じたことや考えたことを色々な形でお伝えしていきたいな、と思っています。ただ、今は日本に一時帰国中ということもあるので、しばらくは、私の人となりを少し知っていただくことも兼ねて、自由にいろんなことを書いてみたいと思います。今日は、私のハンドルネームのPAMINAについて、少しお話ししてみますね。パミーナというのは、モーツァルトが作曲した「魔笛」というオペラに登場する王女の名前です。私がこのオペラを初めて観たのは、たしか11歳くらいの頃でした。音楽やオペラが大好きな母が、この作品を映画にしたものを上映しているのを見つけて、連れて行ってくれたのです。話自体は、一見、たわいのないおとぎ話ですが、愛、勇気、人を赦す優しさ、また人の持つ弱さなどを温かく、ユーモラスに描いたもので、その話が美しい音楽に乗せられて語られる世界に、私は子ども心にもすっかり魅せられてしまったのでした。後々、モーツァルトについての本を読むようになって、彼がフリーメーソンという秘密結社のメンバーだったこと、「魔笛」のオペラにはその思想がいたるところに散りばめられていることなどを知りました。(秘密結社と言うと何だかいかにもうさんくさいですが、当時のフリーメーソンは愛、叡智、和など提唱していて、高名な芸術家や学者や貴族も名を連ねる団体だったそうです。)おいおい、このブログでもシェアさせていただきますが、これらの思想は、私が自分の人生の中で求めていきたいな、と思っていることと、とても似ているのです。そして、「魔笛」のオペラを私が大好きな理由のひとつは、そういう深い思想がベースになっていながら、それが誰にでも分かるようなシンプルで美しい形で描かれていることです。その世界にちょっとでもあやかりたいな。そんな気持ちで、「パミーナ」というハンドルネームを選んでみました。これからもよろしくお願いしますね。
2006.08.13
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