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国旗反対、国歌反対。まぁ叫ぶのも自由、主張するのも自由。でも公職についてるものが職務を放棄してやるな。どうしても嫌ならやめろ。それができないなら黙って国旗を掲揚し国歌を歌え。腹の中で何を考えるのも自由だが、職務の責任を放り出すな。「私の主義に反します」でやるべきことやらんでいいなら、自衛隊なんかいろいろ言うぞ。「XXXX市は自衛隊反対が多いから災害派遣したくありません。」「XXXX県は知事が反対派だから防衛線を隣の県に張りましょう」「XX市は知事がイラクで苦労してる自衛官に励ましもかけないから雪祭りの協力は削減で」<あ、これはやったかw
Mar 31, 2005
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自らの意見をブログに書くだけ書き込んで、反論に対して無視を決め込む人がいる。どのような意見であれそれを発表することは自由であるが、当然その意見に対する反論を享受する覚悟が必要だ。反論を見てさらに反論するもよし、反論に納得して一部を修正するもよし。それができないのならば思想を語る資格はない。 とか当たり障りのない一般常識を語っても、わからない人にはわからない。 今回は少し過激にやって見ましょう。 とある主義の方々のブログは往々にして、不特定多数の市民の方々に一方的にメッセージを発します。自分よりその分野の知識がある人(あるいはありそうな人)からの質問・反論は完全に無視をするか、削除を行うことでネット上に残しません。反論は自らの意見を宣伝するための邪魔にしかならないからです。「宣伝はただ大衆に対してのみ!まさに決定的な意義を持つ問題は次のようにある。宣伝とは誰に向けるべきか?教養あるインテリゲンツァか、もしくは教養の低い大衆か?宣伝は永久に大衆に向けるべきである!」 とある主義の方々のブログでは、ひたすらに同じ内容を手を変え品を変え繰り返します。忘れて欲しくないから繰り返すと言わんばかりに、ほぼ同じ内容のことを書き連ねます。「大衆の受容能力はごくごく限定されたものしかなく、理解力は小さく忘却力は大きい。」 自由、平等、平和という言葉を含めた文章を連呼します。それをイメージ化しやすいスローガンを好みます。このスローガンの中にはその行為自体の根拠や理論的裏づけを含みません。難しくなって目的をぼかし、その彼らの理念の崇高さを思い浮かべられなくなるからです。「この事実から全ての重要な宣伝は、重点を極力制限し、そしてそれをスローガンとして利用し、その言葉によって目的としたものを最後の一人にまで思い浮かべることができるように重点的に行うことである。」 とにかくこれらを補強する事実だけを繰り返して書き込み、対立するようなニュースや事実・法的根拠は語りません。また複数の視点からの思考や、複数のソースからの情報も入れません。「あれもこれも入れようとすればとたんに効果はなくなる。なぜなら、大衆は提供した素材を消化することも、記憶しておくこともできないからである。」 対象とする市民は職業で区分しません。あくまでサイレントマジョリティーまで含んだ国民の大多数を対象にします。国民の大多数に対して、彼らの考える崇高な理念・思想を説こうとします。「第一のグループ(自分で考えることのない人々)は、桁外れの最大グループである。かれらは大衆によって成立しており、したがって国民のなかで最も単純な存在である。彼らを職業などで示すことはできない。ただ一般的な知的程度で示せるのみである。自分で考えるだけの素質もなければ教育もない人々は、みなこのグループに入る。」 とにかく自分に反対する意見を削除する傾向があります。自分の意見しか残す気がないかのように。反論を消すことによって自分の意見だけをブログ上に残して、ネットサーフィンで訪れた人に文字データとして提供します。「そして彼らは半ば無能から、半ば無知から、白地に黒く印刷して提供されたものをすべて信じるのだ」 カッコ内はある有名な本からの引用です。自称市民のための運動を行う人の行為に似通っているというような気はしないでしょうか?彼らの手法はカッコ内の文章と同じ手法ではないですか?さてカッコ内の部分を引用した「有名な本」のタイトル何でしょう・・・(答えはコメント欄に入れておきます)
Mar 30, 2005
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どうも最近怒ってばかりな気がする。いや怒りというより呆れというべきか。あまり怒ってばかりいると、本ブログのタイトルを「君よ憤怒の川を渡れ」あたりに変えねばならない気もするが、それも何か大人げない気がしてなかなか乗り気にならない。思い起こせばブログを始めてから色々なところをまわるようになったのも、この怒り・呆れの多発に影響しているのだろう。(わずか一ヶ月足らずなのだが) もちろん巡回するブログの中には「うお」とうなり声をあげるような鋭い切り口のところもあれば、「うげ」とうめき声を上げるしかない箸にも棒にもかからないところもある。ネットが玉石混淆と言われることを実感できる瞬間だ。もちろん中には読むだけで笑えるブログもある(笑いの質はブログの内容によるのだが)。 今回は表題の内容について、私個人の見解を語る。個人の見解なので今回はソースや根拠などはあまり示されない。(必要に応じてあとから示すかもしれない)法学的知識を持つ方からは穴だらけな見解かも知れないが、その場合はぜひその穴をご教示願いたいと切に思う。私はそこそこ(無駄に)年齢を重ねてはいるが、知的好奇心はまだまだ衰えていないつもりなのだ。 さて今回なぜこんな内容で書く気になったかというと、卒業式シーズンで起こった幾つかの事件と、とあるブログにアップされた日記が原因である。そのブログのコメント欄で反論をしようとも思ったが全体にあまりに稚拙な内容が多く、反論がコメント欄で書ききれないことが容易に予想できたのであえてここに書き記し、TBを打ってみることにした次第である。 前置きはここまでにして本題に入ろう。 一つ覚えのようで恐縮だが、ここで憲法をひもといてみる。日本国憲法の第三章「国民の権利及び義務」の中に自由、権利、義務に関する事項が述べられているのは周知の事実である。この中の自由についてだけ見ても、具体的にどのような自由があるかということは学校教育の中で教育しているものの、その自由の大前提は教育対象とされていないのかあるいは意図的にこれを無視しているのか、あまり見ることがない。今回はまずはその条文を引用してみる。憲法第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。 この前提条件の下に、学校教育などでも取り上げられる第十九条~二十三条に規定されるそれぞれの自由、第二十四条以降で規定される権利・義務等が存在する。第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。第23条 学問の自由は、これを保障する。 とここまで書いて気づいたが、某新聞や特定の主義の方々が使う「内心の自由」とやらが無い。「内心の自由」などというものは全く法的に保証されていない造語なのである。しかも「内心の」と謳っていながらこれを行動に移している時点でそもそも「内心」ではなかろう。これが法的な用語であるかのごとく権利を主張するのは詐欺なのではないか。 ちょっと話がそれたが、ここで重要なのは「法は自由と権利が何なのかを規定しこれを保障するが、それを濫用してはならない」と明言していることだ。そしてこの文脈からすれば「濫用」とは「自由と権利を公共の福祉に利用しないこと」と読みとれる。個人の利益、主義主張のために自由と権利を用いることはそれが公共の福祉に合致しない限り濫用、すなわち違憲ということになるのである。 ここで公務員について考えてみる。公務員は国民に対して公共の福祉という各種のサービス(奉仕)を提供することを目的としている。これは国家公務員、地方公務員に係わらず共通の目的である(ただし対象とする公共の福祉の種類・規模は細部の職種によって異なる)。これに対して異論のある人はまずいないだろう。(ここで「国民に対して」という言葉に異論がある人もいるだろう。しかし憲法において全ての権利・自由が適用されると明記されるのは「日本の国民」に対してのみである。在留外国人等についてはこれらが準用されるものではあるが、憲法の基本はあくまで日本国民にあることからあえてこの表記を使用した) 国家公務員法という法律がある。この中に明確に公務員としての義務を謳う項目がある。これもまた引用してみよう。(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)第98条 職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。 2 職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。 3 職員で同盟罷業その他前項の規定に違反する行為をした者は、その行為の開始とともに、国に対し、法令に基いて保有する任命又は雇用上の権利をもつて、対抗することができない。この下の文は某ブログからの引用であるが>公務員は民主主義を尊重するべきですから、自ら率先して個人の自由と責任を全うするべきです。 そのような行為は国公務員法第九十八条違反であり、企画しただけで2項、3項により「クビ」になる違法行為である。また「そそのかし」も公務員がこれを行えば同様の違法行為であるが、我々にとっても該当ブログの管理者にとっても幸運なことに、どうやら管理人氏は公務員ではないようである。さらに付け加えれば国家公務員法の以下の規定にも明確に違反する行為である。(職務に専念する義務)第101条 職員は、法律又は命令の定める場合を除いては、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、政府がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。(以下兼業規定と災害時の兼務の免責に関する事項なので略) さて公務員は当然責任を全うする義務があるのは、疑いようのない事実である。ここで先ほど私が引用した憲法第十二条を再び読んでいただきたい。公務員の本旨、本業たる業務をおろそかにして自らの思想・主義を全う(主張)する事が、第十二条に示す「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」に合致するとでもお思いだろうか? 公務員は政府又は地方の行政機関(以下、政府等)の職員であり、そのサービス対象は当然国民となるのは明らかである。これは政府等どのように変わろうとも変化はしない。自らの主義主張と対立するようになったといって業務をサボタージュし、国民へのサービスを停止することは原則として許されないのである(最後の手段として抗議として辞職するという手段が残っている)。 少しわかりにくいかもしれないので、次にこれを一般社会に当てはめて考えてみよう。公務員という存在は国家等と個人の間での雇用契約により成り立っていることは疑うべくもない。すなわち近似的に会社と会社員の関係と同様と言える。被雇用者は通常は雇用契約に伴う条件を納得の上で就職し、業務を行い給与を得る。すなわち公務員が政治活動や思想的主張を勤務時間内に行うことは法令に反する(公務員には前述の「職務に専念する義務」があるからだ)。 不満があるのならば雇用契約を解消する(退職)か、雇用契約に伴う条件(つまりは法)を改正すべく動くのが本筋であり、自らの主義主張のために現行の雇用条件を無視した行動をとることは違法行為であり恥ずべき行為である。もちろん法改正のための政治運動に本来業務を行う時間を当てることが出来ないのは言うまでもない。(有給休暇等は除く) さて、ここまでで私の言いたいことがわかっていただけただろうか。自らの政治思想を児童学生に教育する教員は、勤務時間における政治的活動を行っている。(自らの思想を教育している)日の丸掲揚・君が代斉唱を拒否し業務(例えば卒業式)をサボタージュする教員は職務に専念していない(第九十八条違反)だけでなく、国旗・国歌法にも違反する。このような違法行為を、自らの思想信条の自由と言い張ろうとしても、憲法第十二条によってその見解は排除される。 該当ブログの日記についてはすでに多数の非難を浴びているが、これは「政治的意見を述べる際は感情に縛られず法と論理を見極めること」がどれほど重要かを示す好例だろう。「あなたの自由の主張は、自由の濫用ではないですか?」 某ブログ主にこの言葉を贈って、本稿の最後とする。
Mar 29, 2005
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有事法制について自ら学ぶついでといっては何だが、少しこれに関する論議を行うのに必要と思われる基礎知識を述べてみたいと思う。有事法制は「有事」という言葉が一人歩きしていて、とかく反対の意見を誘発しやすいものなのだが、その誤解を解くための基礎知識をここで列挙できれば読んでくれた人は有事法制の知識の一端を、書いた私も基礎知識の復習を出来るというまさに一挙両得、一石二鳥なブログになるだろう。またここで間違いの指摘でももらえれば私は職場で恥をかかずにすむので、なんと一石三鳥の価値があるわけだ。 ということで、有事法制に関する基礎的な話を書き連ねてみたい。○一口で有事法制というがどのような法律があるのか? まず平成15年の第156回国会で成立した三法がある。・武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(通称「武力攻撃事態等対処法」) 大きく総則、対処手続、対処に関する法制の整備、その他の緊急事態のための措置からなり、後述する第159回国会で成立する法律等の大枠を示したもの。・安全保障会議設置法の一部を改正する法律 安全保障会議への諮問事項に対処基本方針を追加、安全保障会議の議員の選定(変更)、安全保障会議を専門的に補佐する組織の設置・自衛隊法及び防衛庁職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律 防衛出動時の物資収容規定の整備、防衛出動前の防御施設構築の措置に係わる規定の新設、防衛出動時の自衛隊の緊急通行に係わる規定の新設、取扱物資の保管命令に従わなかった者などに対する罰則、防衛出動時における関係法律の特例に関する整備、防衛出動手当の支給 次に平成16年の第159回国会で成立した七法がある。15年に成立した三法の細部を定めた法である。・武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律・武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律・武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律・武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律・武力攻撃事態における捕虜等の取り扱いに関する法律・国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律・自衛隊法の一部を改正する法律 更にこれらに付随して、以下の3条約締結が承認された。・日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定(日米物品役務相互提供協定、いわゆるACSA)を改正する協定・1949年8月12日のジュネーブ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(議定書1)(ジュネーブ諸条約第1追加議定書)・1949年8月12日のジュネーブ諸条約の非国際的な武力紛争の犠牲者に関する追加議定書(議定書2)(ジュネーブ条約第2追加議定書) 以上に述べた各法律を一括して「有事法制」と称しているのである。○これらの有事法制はどれくらいの賛成で可決されたのか? 可決されたことは大体の人が知っているのだが、国会でどれくらいの賛成で可決されたのだろうか? 実は意外に多数の議員の賛成によって可決されている。これは16年度の七法のデータだが、自公の両政党だけでなく民主党まで(修正の上で)賛成に回り、衆議院で約90%(起立方式のため正確な票数は不明)、参議院で約84%(賛成163、反対31)の賛成多数で可決されている。○有事法制で自衛隊は他国に対して先制攻撃が出来るようになるのか? ならない。法制名を見てわかるとおり、まず「武力攻撃事態」という言葉がついている法律が多い。武力攻撃事態の定義は以下のとおりである。・我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態 この語義の定義から、自衛隊が武力攻撃事態に対する行動を行うには、まず敵対側からの攻撃又は武力攻撃が発生するという切迫した状況が必須である。「切迫した状況」に関してはややグレーゾーンな部分があるが、基本的にはこちらから攻撃を行う、あるいは攻撃を準備するということを許可するような法律群ではない。○有事法制は自衛隊の権限を大幅に拡大し、軍拡に向かうものではないのか? これについては各法令を一度見ていただきたい。どの条文を見ても、今までの自衛隊法等で曖昧にされてきた自衛隊の行動範囲・権限を明確に規定し、むしろ自衛隊が防衛戦争時に法令の曖昧な部分を利用できないように規定している部分が大部分である。 また物資の収容、公共施設、あるいは個人の不動産などの自衛隊利用時の補償などについても明確にされている。○国民の自由や主権が侵害されるものではないか? これについてはまず第1に戦争状態で個人の完全な自由を保障せよ、というのは不可能であることを理解していただきたい。日本国民の自由・主権が保証される状態というのは、日本という国がその平和な状態を保っていることが前提条件である。戦争状態はその保証を行う国家がそもそも危機なのだからして通常の状況ではない。平時と同じ自由が完全に保証されることは常識的に考えてもないだろう。 例えば敵の上陸地域と予想される地域、すなわち戦闘地域になる可能性の高い地域では、事前の避難が必要だしその地域の住民は様々な制約を受けるだろう。だがそれは戦争終了時の自由を守るためであり、不自由といえども従ってもらわざるを得ない。 また物資の収容や土地の使用なども、国・国民という大きな視点からそれらの自衛隊の使用が必須であると判断されれば実行される。あなたが家を失いたくないと自由を主張することで、日本が侵略され結果としてより多くの国民が不自由を被るのは本末転倒である。この被る可能性のある損害についての補償は上記有事法制の中に明確に記されている。(もちろん従わなかったときの罰則も規定されている)○法律名はわかったが量はどのくらいある? 平成16年に成立した七法律三条約で約600条以上になる。これらの全てを引用してアップ・説明することは個人の力では無理なので、もし質問等があれば個別にお答えしたい。 有事法制が防衛庁で研究され始めたのは1977年である。様々な紆余曲折の末に昨年6月にこれらの法は成立した。非武装中立などの夢物語を唱え続けた社会党の呪縛は、実に27年間もの長い間日本の国防を危機に陥れていたわけである。いや、国民のためと言いつつ有事の際の国民の保護を明確に定めさせなかったという意味では、国民全てを危機に曝していたと言っても過言ではない。今この時代にこの法が出来上がったことの意味をよく考えて、その内容を吟味して意見を述べてもらえれば、有事法制はその中に内包する不備な点や不十分な点を改善し、より一層国民の安全そして国防を完全なものに近づける一助になる。ぜひ一部なりとも目を通していただきたい。☆この法制について教えて、こういった事項はどう扱われる? のような質問も可能な限り答えます。ただし当方、法律が専門でないのと本来業務の関係から対応が遅くなったり忘れられたりする可能性もあります。その点はご容赦を。
Mar 28, 2005
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様々なことでネット内のそこかしこで不平不満を述べている人がいる。万人が納得しうる行動などという物があり得ない以上、人数の多少に関係なく誰かに不平不満があることは当然である。 そして不平不満があるということは、少なくとも述べる人の頭の中にはより良い方策があるはずだ、いや無ければならない。「何となく気にいらない」「あいつの言うことは全否定」というのは単なる感情の発露で、そもそも論として評価すべきレベルにはない。 幸いなことに幾つかの良質なサイトでは、様々な事象に対する改善すべき点などを論理的に述べて、賛成・反対の双方が意見を交換し活発に議論している。 これら幾つかの、議論・討論・対話を手段として新たな認識を得ようという良質なサイトの管理人は、その思想の左右にかかわらず自らの見解の論拠として情報のソースを開示し、反対意見を持つ者もそのソースを等しく検証することが出来るように心がけている。(あるいは反対意見に応じてソースを提示する場合もあるだろう)またこういったサイトで建設的に反対意見を述べる者は、同じようにその論拠となるソースを提示する。この提示された双方のソースに対する疑問点や不明点、あるいはソース自体の信憑性について、相互に問いただし確認し、新たな証拠の提示や新たな疑問点の問い合わせを行うことにより、当初意見を述べた発言者、反対意見を述べた発言者、そしてこの論議を見ていた第三者に至るまで、等しく知識・情報を拡大させていく。これが理想的なネット上(ネット上だけに限らないが)の議論・対話である。 多くの人が「ソースを示してほしい」と言うのはこの意見交換による情報の拡大を求めてのことである(と私は考えている)。たとえ自分が感情として納得できない不愉快な意見でも、それが多数の人間に支持されかつ欠点より利点が相対的に多いとなればこれを認めない者は自己中心主義の愚か者だ。そういった公正中立な視点を得ようとするためのソース開示要求・質問なのである。 このような姿を相互に有することが本筋で言えば議論を行う者のあるべき姿なのだが、そのあるべき姿を具現化しているサイトは残念なことに極めて少ない。 むしろ幾つものサイトでただ管理者が感情的に不平不満を垂れ流し、自らの見解としてその改善すべき点をほとんど(あるいは全く)述べないばかりか、その政策を立案した政府や個人をただ悪し様に罵り「馬鹿の言うことは全て否定する」かのような論(論というのも汚らわしいものだ)を開陳し、あまつさえ自己に同調しない意見は「荒らし」と断定することでその発言を封印するばかりか、管理者の意見の元となるあらゆるソースの開示依頼を否定している。果たしてこういう姿勢は信頼に足るものだろうか? このようなサイトでは一般にいう建設的な意見交換を出来る可能性はほぼないと言っていいだろう。しかしこういったサイトでも回答のある見込みがほぼ無いにもかかわらず、延々と質問を続ける人がいる。彼らが(私もその末端に連なるかもしれない)徒労とも言える発言を続ける理由はただ一つ、それはそのサイトが他者の質問に答えることが出来ない、答える能力のない管理者による「暴論の垂れ流しサイト」であることを間接的に証明し、その暴論の矛盾点を質問を無視される行為自体によって第三者に明らかにし、暴論を一般論にすり替えさせないようにすることが目標だからである。もちろん建設的な意見交換、対話、議論が始まることを心の底では期待しているのも事実なのだが。
Mar 28, 2005
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朝日新聞が社説で「おもしろい」ことを書いているようで、そこかしこで話題になってますね。「友情」ってのは双方が自然に作り上げるもので、島を奪ったり、謝罪を要求したり、賠償を要求したりする相手との間にはぐくむことができるものなのか、そういう視点で考えたほうがいいのでは、そう感じます。 韓国のヒートアップの仕方を見て、「友情」という双方が相手を思いやり、仲間として尊重しあう関係が築けると考える人が増えるとは思いません。相手を友として思うための決定的な条件、信頼関係を今の韓国相手にどうやって築き上げればいいのか・・・朝日新聞はそれに対する回答を示したいのでしょうが、友情とは対等なものであるという根本の条件が欠けているとしか読めない。 根本の条件、それに対する理解が間違っているからこそあそこまで的外れなことがいえるのでしょう。自称日本を代表する大新聞ですが、まずは日本語の辞書を買うことからはじめたほうがよさそうです。
Mar 27, 2005
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たまには身近なネタを短めに(韻踏んでますか?) 外国人の地方参政権に「法の下の平等」を論拠にして語っている賛成派の人がいるけど、そもそも外国人ってのは、まぁ日本にいるうちは日本の各種法に従うとはいえ本来自分の国籍のある国の法に従ってるんではないのだろうか? 特例で永住権があっても、それは永住する権利であって日本の政治にかかわる権利とは別のものではないのかなとか考えるわけだが、なにぶんその手の法律には詳しくないし、その辺を質問攻めにするのもアレかなーとネット内を探しているのだがなかなかわかりやすいいいサイトがありません。誰か教えてください。追伸:ググっては見ましたが、なんかわかりにくいんですよ・・・
Mar 27, 2005
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実はネットゲームの老舗、EverQuestをずーっとやってるわけだけど昨日は激闘と苦労の末に大物装備2個Get!Epic1.5のほうは手伝ってくれたみんな、ありがとぉ~Robe2枚出してくれたふんどしオヤジもThanks!いや、こういうのは遊びと言われればそれまでだけど、うれしいことは間違いないですwいや、年甲斐もないってツッコミは無しで orz
Mar 27, 2005
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私の毎日回るブログにWinStrategy氏のブログがある。氏のブログは時事ネタが豊富で機を逸しない洒脱な記事が面白いので、なかなか読み応えがあるのだが、今回もすばらしいネタを仕込んでいる。(対象とする日記)http://plaza.rakuten.co.jp/civ3wants/diary/200503250000/#comment 典型的な「方々」の発言のピックアップである。虚言妄言の複合装甲でおそらく開発中の電磁砲でも貫通できないのでは、と思わせるすばらしいシロモノの集大成だ。この中で特に私が泡を吹いたのはある大学生の発言である。おそらく近いうちに大学を卒業し、就職して今後数十年は日本を背負って立つべき若者の認識が、まるで小学生の放課後反省会レベルなのである。 あまりに凄いので、その凄い部分を分析してみることにする。>私は有事法案に反対です。という当たり障りのない言葉から始まるわけだが、このあとが凄い。>制定を進めようとしている国会議員たちの主張は、アメリカとのよりよい国交をた持つための口実のように聞こえます。 有事法は長らく国防にとって懸案事項だった。自衛隊法のあちこちにある「細部は法令等によって定める。」と書かれた条文の、その細部の話だからだ。まだ左翼、社会党が一大勢力だった時代に、いらぬ摩擦を避けるために後伸ばしにされてきたものなのである。有事法制が整っていない場合、いかなることになるか。ここで栗栖弘臣・元統幕議長の有名な発言を引用する。「法制に不備があるため、奇襲事態等に際して自衛隊の現地指揮官は止むに止まれず超法規的行動をとることになる。そのときは日本国民も、超法規的行動を許す気分になるものと期待している」(この発言は大きな問題となり栗栖弘臣統幕議長(当時)は解任される)当時のマスコミはこれを「自衛隊、暴走」とか「旧大日本帝国の軍部主導復活か」などと叩きまくった。だが法(国)が細部を定めないにもかかわらず、自衛隊は国防を遂行するために必要な防衛行動を取らなければならない、このジレンマの中で、早く有事法制を作って欲しい、それがないと任務遂行に支障が出る、国民にこう理解して欲しいという発言だったのではないか?もし有事法制がこのときに存在していれば、栗栖氏はこのようなことを言う必要はないからである。 また有事法制と呼ばれる一連の法律をよく読んでみれば、これは自衛隊が無制限かつ自由に国民の権利を侵害しないように枷をはめ、また政府、地方自治体、自衛隊が有事の際にいかにして国民を保護すべきかを定めるとともに、国を守るために国民が協力すべき範囲を示したものだとわかるはずだ。米国追従などと妄想を膨らませる暇があったら、まずは有事法制を読むことが必要だ。よく知らずにイメージだけで批判するとこのような頓珍漢な意見を述べてしまい、私ごときのブログで事細かに分析される羽目になる。>戦争を放棄し、平和を願う国を誰が攻撃するのでしょう? よくある九条絶対主義者の妄言である。質問形式を取っているが、当然真意は「戦争を放棄し、平和を願う国は誰も攻撃しない」と言いたいのだろう。誰も攻撃しない、そう言い切る根拠は何か。根拠が示されることはない。せいぜい「九条はすばらしい理念だから」とか言われる。九条がすばらしい理念であることを認めるにはやぶさかではない。だが、なぜよその国が日本の憲法・理念に従う必要がある?憲法は所詮国内法であり、当然他国には他国の憲法があるのにだ。日本国憲法はいつから地球連邦法になったのだ?なぜ「攻撃しない」とよその国の誰かの考えを断言できるのだ?>仮に攻撃したとしても国際社会が許しません。確かに許さないだろう。クウェートに対するイラクの侵攻も許されなかった。だが、クウェートからイラクが放り出されるまで何日かかったか知っているのか?その間に暴虐な侵略者がどのような略奪と暴行を行ったか、ぜひ調べてみるといいだろう。それに黙って耐えるというのなら、耐えてみるといいだろう。私はそのような命がけの我慢大会に付き合う必要を認めないが。>今、ここで日本が下手に軍事強化につながる有事法案を作れば、それこそ参戦宣言をするようなものです。繰り返して言うが、有事法案をまず読んで理解してから反対せよ。有事法案は日本が攻撃を受けた際の「政府、地方自治体、自衛隊の各種行動(防衛準備や国民保護)、国民のそれに対する協力すべき義務の範囲」を記したもので、防衛力(軍事力)強化に関する法律ではまったくない。そもそも防衛力、防衛費については「いくら使え」「これくらいの兵力をもて」などと法律で決まっているものは一つもない。すべて政策として数年単位で見直され整備されているものだ。有事法案=軍事力強化などという図式はどこから沸いてきたのか、それを教えて欲しいくらいである。>「北風と太陽の話」でもわかるように、自分他の国を守るのは、平和憲法を守ることだとおもいます。憲法・法を守るために国があるのではない。国民を守り国を守るために憲法や法がある。憲法を守るために殉じるなどというのは本末転倒の妄言に過ぎない。まず日本という国があってこその憲法である。>私たち国民は政治家の言葉に耳を澄まし、危険を伴うような法律の制定は慎重にしなければならないと思います。 確かにそれは重要だ。民意・国益に背くような政党に投票するような間違いを起こさないためにも政治家の言葉に耳を澄ますべきだ。法律の制定は国民が直接行えるものではないのだから、間接的にそれを行うために選挙権を使いなさい。選挙を伴わずに政府を転覆しようなどと言う考えは間違っても持たないように。 この投書をした大学生はおそらく生真面目な性格なのだろうが、惜しむらくはイメージに振り回されて物事の本質を見る力を失っているように思える。 人間は生きている間、常に何かを学ぶ存在である。批判も良い、反論も良い、何かに反対するのも良いだろう。だがそれについて何も知らずに、学ばずに、語っても誰にも相手にされない。その顕著な例がここにある。私もこのようなことにならないように、毎日何か一つでも学んで生きたいものである。
Mar 25, 2005
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虚言妄言数あれどこれほどの妄言はあるまいと思えるのが「自衛隊が武器を国民に向ける」である。自称平和愛好の方々は異様に自衛隊の武器を恐れている。「自衛隊が市民に武器を向けたらどうするんですか」とありもしない仮定、いやある特定の条件下でしか成り立たない仮定を組み立てて非難する。本稿では「自衛隊が「国民」に武器を向ける可能性はあるか」、併せて「自衛隊がクーデターを起こす可能性はあるか」の2点について述べてみたいと思う。 まず前提として自衛隊は誰の指揮下にあるのかということだ。自衛隊の最高指揮官は誰か、答えは明確に記されている。自衛隊の最高指揮官は「内閣総理大臣」である。日本においてはシビリアンコントロールは絶対であり(時としてシビリアンコントロールが拡大解釈・誤解されるくらいに)極めて厳格に適用されている。その「内閣総理大臣」は誰が選ぶのか。国会において議員の投票で選ばれる。そしてその議員は誰が選ぶのか。答えは誰でも知っているとおり選挙で国民が選ぶのである。すなわち自衛隊は、国民が選挙で選んだ議員の中から更に選出された総理大臣により指揮される。 自衛隊は自民党の手先、といった批判もあるようだが大きな誤解である。たまたま歴史的に、総理大臣が自民党から多く選ばれているだけで、自衛隊は自民党に従っているわけではない。ここまで踏まえて、まず自衛隊がクーデターを起こす可能性があるかを検証しよう。1 自衛隊クーデターを起こす可能性 一般に軍組織がクーデターを起こす条件の第一は、政府が軍を否定したときである。軍組織に対して、軍自体の否定・解体・大幅な権限の縮小などを標榜する政府が出来上がったとき、あらゆる組織が有する組織の自己保存本能からクーデターを起こす可能性がある。 第二の条件は権力志向の軍トップがその座に着いたときだろう。その軍トップがより大きな権力を指向して私兵的に軍組織を使用した場合にもクーデターは起こりうる。 では、自衛隊のそのようなことは起こりうるだろうか? 第一条件については、日本の近年の歴史を思い起こしてみればそのようなことを実行する可能性が極めて低いことに気づく。 近代の日本の政治・政党の主張において明確に自衛隊を否定していた唯一の政党があった。既に消滅し残骸だけが残るその政党名は「社会党」である(共産党は自衛隊を解体し軍を作るべきという見解だった)。そしてその社会党が政権をとっていた時代、果たして自衛隊はクーデターを起こそうとしていたか? 答えは歴史が明言している。自衛隊は社会党政権時代にクーデターを起こさなかった。自衛隊は不用、殺人集団と声高に主張していた社会党であっても、それが民主主義に基づく選挙で選ばれた政府であるならば、自衛隊は黙々とその命令に従うことを証明したわけである。 この時代、自衛隊にとってはまさしく冬の時代だった。特に阪神淡路大震災、危機管理意識自体がまだ乏しい時代背景、自衛隊否定論は強く、政府は政権経験のない社会党という悪条件が重なり、災害派遣の命令は遅れに遅れた。当時の兵庫県知事は自衛隊否定論者だったため、災害派遣の要請を最後まで躊躇したこともそれに拍車をかけた。(災害派遣には、命令によるものと要請によるものの二種類がある。)その遅れによる被害の拡大について、当時の政府・地方自治体は責任の所在の明言を避けた(ちなみに近隣の自衛隊部隊は駐屯地・基地内において資材や食料を集積し、隊員に呼集をかけて人員を揃え、命令さえあればすぐに全力を投入できる体制をとって準備していたことはよく知られている)。そして当時のマスコミはこぞって自衛隊の対応の遅さを非難した。 否定的な政府、マスコミの非難、理解がまだ不足な国民。自衛隊はこの冬の時代にもクーデターなど考えもしなかったのである。そして今後これ以上条件の悪い時代はこないだろう。なぜなら自衛隊の活動の実態が国民に広く理解されるとともに、一部を除きマスコミは公正な報道を始めた。そしてなにより自衛隊不要論を唱えていた肝心の社会党が、その浮世離れした各種主張と政権能力のなさから国民の支持を失い、分裂・崩壊してしまったからである。 自衛隊は厳しい時代にもクーデターなど考えず、ただひたすらに耐え、課せられた任務の達成だけに邁進し、自らが忠誠を誓う相手が「国民(選挙により選ばれた民主的政府)」にあることを証明した。自衛隊にとってのどのような政治的悪条件が発生しても、自衛隊がクーデターを起こすことはないのである。 第2条件についてはもっと厳しい関門がある。軍高官によるクーデターなどは、国民が国家に「強さ」を求め、これに呼応し上手く利用出来るだけの地位の軍人が決起することが成功の要因である。 自衛隊において将官への昇任(一般に旅団以上を率いる)には国会の承認が必要とされ、将官よりも下の1佐(軍隊における大佐)の場合は指揮できる部隊の規模は最大でも2000人を超えることはない。(ちなみに2000人以上の1佐が指揮する部隊は戦闘部隊ではなく兵站部隊である)仮にも一国を転覆させようという軍事行動である。これに必要な戦力を考え、またクーデターに加わらなかった自衛隊部隊が反撃する可能性、米国による介入の可能性、国民の支持を得られない可能性、そして自衛官に限らない日本全体の民度の高さを考慮して、さらに将官昇任への国会の関与という条件を加えるとありえないことだろう。2 自衛隊が国民に武器を向ける可能性 まず自衛隊の行動として大きなものは防衛出動、国民保護派遣、治安出動、自衛隊の施設等の警護出動、海上における警備行動、災害派遣、地震防災派遣、原子力災害派遣、領空侵犯に対する措置などがある。(このほかにも各行動の準備や防御施設構築などがあるが割愛する)これらのうち、実際に武器を携行して行動する可能性があるのは、防衛出動、国民保護派遣、治安出動、自衛隊の施設等の警護出動、海上における警備行動、領空侵犯に対する措置の6コである。このうち国民保護派遣については、明示的に守る対象を国民と規定しているので除外する。次に海上における警備行動、領空侵犯に対する措置は、その行動の前提条件に「領空又は領海侵犯」があり、通常は外国の勢力の行動としてとらえられ、かつ国民のいそうにもない空中や海上で行われるので本稿では除外する。残った3つ、防衛出動、治安出動、自衛隊の施設等の警護出動が、自衛隊否定派の恐れる国民に武器を向ける可能性のある行動と解釈していいだろう。これらを個別に判定してみよう。○防衛出動 そもそも防衛出動は、我が国に侵攻した(侵攻しようとする)他国軍隊に対して発動されるものであるから、これによって国民が自衛隊から武器を向けられて被害を被る可能性はない。ただし侵攻する外国軍隊に呼応した「戦闘行動をとるような」国民は別である。○治安出動 間接侵略その他の緊急事態により国内の治安が乱れ、警察等によるこの維持が困難又は不可能と判断された場合は命令又は地方自治体の要請により自衛隊が出動する。この際の武器使用の対象は当然国内において治安を乱している者であり、その者は国内法もしくは民主政府の指示に従っていないことが容易に想像できる。この場合、警察で対応できないという前提条件により自衛隊が出動していることから、自衛隊に求められるのは警察以上の武器による鎮圧であろう。よってこの場合「非合法な」行動をとる国民に武器が向けられる可能性は存在する。○自衛隊の施設等の警護出動 これについてはまず条文を引用する。(自衛隊法第八十一条の二) 内閣総理大臣は、本邦内にある次に掲げる施設又は施設及び区域において、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合には、当該施設又は施設及び区域の警護のため部隊等の出動を命ずることが出来る。一 自衛隊の施設二 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第二条第一項の施設及び区域(同協定第二十五条の合同委員会において自衛隊の部隊等が警護を行うこととされたものに限る)(以下略) 長い引用だったが、この条項の要約は「国が定める要警護区域に対し、政治上その他の主義主張に基づき、脅迫、テロ殺人、あるいは施設等の破壊行為の行われる危険がある場合は、この施設等の警護のために出動を命ぜることができる。」ということである。出動した場合は当然武器が使用されることが予想できる。ただしその武器は示された区域等に対する「違法な行動」に応じて使用されるものであり、これらの行動を起こす国民にしか影響を及ぼさない。 以上、自衛隊が国民に武器を向ける可能性のある3つの可能性を検討した。この3つの自衛隊の行動で、国民が武器を向けられる条件とは上記に書いた内容を要約すれば以下のとおりである。a 侵略国軍に呼応して非合法な軍事行動を起こした場合(防衛出動時)b 非合法活動、武装蜂起(革命)などで、警察が対応できないような装備・規模で行動を起こした場合(治安出動時)c 自衛隊及び安保関連の施設・区域に対し、非合法な手段でテロ行為・破壊活動等を行おうとした場合(警護出動時)いずれも、日本国内の各種法規、選挙によって一般の国民の信任を得た政府、国際条約等に反する行動などを、警察の治安維持の範囲を超えたレベルで実行した場合に自衛隊が武器を行使しうることは明白である。「自衛隊に武器を向けられる危険」を声高に主張する人たちは、自衛隊に武器を向けられるだけの行為をしようというのだろうか。それは警察で対応できない危険な行為であり、そのような行為が日本国内の各種法規に確実に抵触することは自覚しているのか。 自衛隊がクーデターを起こす可能性が極めて低いことは、本稿において歴史と現在の国内情勢から推察して述べたとおりである。 自衛隊が国内法を遵守し、選挙で選ばれた政府を武力で覆そうとする行動を取らず、テロや破壊活動を「行わない」国民に武器を向けることがないことも、同様に述べた。 自衛隊が武器を向ける対象の国民は、法を守らず、武器を行使し、テロを行い、選挙で選ばれた政府を覆そうとする者だけだ。法を守り、武器を使わず、テロを行わない国民の皆さんはぜひ安心して欲しい。 そして最後に一言。自衛隊の武器を恐れる皆さん、あなた方はまだそれを恐れていますか?あなた方が恐れる理由は・・・国民の敵になることを考えているからですか?ならば恐れ続けなさい。そして行動に移すことを思いとどまってください。私達はそのような人たちにさえも武器を向けることを好みませんが、躊躇はしません。ぜひ恐れ続けてください、それが日本の平和のためになるのなら、私達は恐怖の対象になりましょう。
Mar 24, 2005
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ネットの中では平和についての論争が多い。様々な意見の人が数多くの意見を戦わせている。ネットの外ではなかなかに見られない光景で、その回数、情報量の多さ、論点の種類の豊富さはインターネットの底力を見せつける。これらの論戦でほとんどの人が「平和は必要」と考えているのに、実際には多くの場では意見のすれ違いが続いている。この様子を見て、また話をしてみた実感として私なりの意見を述べよう。今回は過激な意見が含まれている。お気を悪くする方もいるかもしれないことを先に謝罪しておく。 なぜ平和についての論がすれ違うのか? 戦争のない平和な状態が戦争状態より好ましいという点では、ほとんどの人の意見が一致しているにもかかわらず、なぜ熾烈な論戦が繰り返されるのだろう。論戦の主な対立点は、軍隊の存在の可否・運用方法であったり、政府の外交姿勢(方針)にあったりする。そして互いの主張についてそれぞれに証拠を出して論じ、相手の論点の曖昧な点について質問する。その曖昧な点に対してそれぞれが自らの根拠の証拠を元に論を述べ、そのキャッチボールの過程でお互いの認識を深め新たな知識を得て、何らかの解決策や新たな認識を見いだすことが、議論において最も重要なファクターであることは言うまでもないことである。 だが論は平行線をたどりすれ違う。 私が見る限り、議論が平行線をたどるその根本には「平和」という言葉をどう理解しているかがある。そして大別して(おおざっぱではあるが)こういうことが言えるように見える。 現実の世界の様相を見て論じる人にとっては「平和」は状態である。そこには現状はベストではないがベターな平和の状態であるという認識がある。 理想の世界の様相を思い論じる人にとっては「平和」は理念である。そこには現状は理想の平和ではないゆえに悪い状態だという認識がある。(本来の意味とは異なるかもしれないが、本稿では前者をリアリスト、後者を理想主義者と呼ぶことにするのでご了承願いたい。) 同じ「平和」という言葉を使っていても常に議論がすれ違うのはそのせいなのではなかろうか。 リアリストは現状がベストではないものの一応は「平和」であるという認識の下に、この「平和」という状態を構成する要素は何かを様々な資料などから判断し、その功罪を加味した上でその状態を維持・向上させるために必要な方策を考える。ゆっくりとでもたとえ一歩が半歩でも進むべく、妥協を、折衷案を模索する。 理想主義者は現状が悪い状態であり理念・理想としての「平和」とは遠いという認識の下に、現状を構成する要素、すなわち悪い状態の構成要素すべてを否定して、自らの理想の平和に必要な新たなものを考察する。理想を目指し、旧来の思考法も捨て、過激なものは「革命」すら視野に入れる。 一見してどちらの主張にもそれなりの理があるかに見える。 しかし良く考えてみよう。 前者のリアリストの考える平和とは状態であり、周囲の状況に新しい事実が発見されれば、その状態が作り出された過程も新しい条件を加えて考慮する必要が生じ、当然その結果として平和状態を維持向上させるための条件が複雑化し、を考えるにも実行するにも時間がかかる。協調と交渉は時間がかかる。 後者の理想主義者の考える平和とは理念であり、それは周囲の状況がいかに変化しようと不変である。リアリストの平和と異なり現状に対する条件をいくら追加しても目指す平和の形は変わらないため、単に切り捨てるものが増えるだけで考える手間も実行の時間も最小限で済む。革命は成功すれば短時間で済む。 あら、一見理想主義者の平和がすばらしいものに見えてきた。時間もかからず単純明快、子供にも理解できそうだ。私も軍隊に反対し、軍事国家米国に異を唱えて、右傾化する日本に警鐘を打ち鳴らし、理想社会を築くべくブログでも書こうか。この理想を目指すため革命を起こそうか。 などとは私は絶対思わない。 リアリストの考える平和な状態とは、複数の思惑を持つ複数の集団の様々な利害得失に基づき構築された状態である。 理想主義者の唱える平和の理念とは、その理念を共通して持つ者達の思考の中にのみ存在する思想である。 リアリストの目指す平和状態には、様々な主義主張の人間集団を内包することができる。 理想主義者の目指す平和理念には、その平和以外を理念とする人間集団は存在できない。 リアリストが向上させる平和は、基本的に現状の改善で、今ある社会への影響は「段階的に発生」し大きな影響が一度に出る可能性は少ない。 理想主義者の目的とする平和は、基本的に現状の否定で、今ある社会への影響は「間違っているので作り変える」ことから始まり巨大な影響がある。 リアリストの平和は、万が一不測の事態で失敗しても、一歩退いて元の世界を土台に再び進みだすことができる。 理想主義者の平和は、万が一不測の事態で失敗したならば、一歩退こうにも元の世界が存在していない。 理想主義者の平和は「多様な思想」を内包しえない。 理想主義者の平和は「今の社会」を破壊する。 理想主義者の平和は「All or Nothing」でやり直しがきかない。 理想主義者の諸氏は、現実には多種多様な思想があることを考えているか?思想・信条の自由とどう折り合うのだ?あなた達の平和理念は、他の平和理念と折り合うのか? 理想主義者の諸氏は、その理念を実行に移す方法と、その過程で起きる影響を考えているか?方針、具体的方法、予算の裏づけ、国際社会への影響を最小限にする方法は?今の生活レベル、経済レベル、治安の良さは低下しないのか? 理想主義者の諸氏は、失敗したときのことは考えているか? 私はオールオアナッシングな「博打うちの平和」なぞ認めない。現実を見据えて、たとえ10年100年かかろうとより良い平和状態に進むことを目指す。市民革命?やってみるがいい、日本は民主的な選挙で法的に選ばれた政府以外は認めない。そのような時こそあなた達が悪し様に罵り続けてきた自衛隊が、民主政府を倒そうとする敵に対して何ができるかを知るだろう。
Mar 23, 2005
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面白そうなのでやってみました。http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft1.html判定結果は下記の通りです。保守・リベラル度 0.63 (経済的な)右・左度 -1.33 あなたの分類は保守左派です。保守は伝統や公共の福祉を重視し、リベラルは個人の自由を重視する価値観です。右派は小さな政府、左派は大きな政府を志向する価値観です。いわゆる右翼は保守に、左翼はリベラルに対応しますので、ご注意ください。もっと右かと自分で思っていたのだがなぁ・・・意外な結果でした。
Mar 22, 2005
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国家は軍事力のみによって守られるのかと問えば、多くの人が「否」と答えるだろう。それは正しい。 では他の何によって守られているのかと問われたとき、なんと答えるだろうか。以下に私の意見を述べる。 国家、国土、国民を守るものは、外交を行う政府であり、治安を守る警察や消防であり、強力な経済力であり、それを維持する国民自身であり、加えて言うなら軍事的抑止力たる我々自衛隊である。 平時における抑止力は、この5つがすべて揃って初めて効果を発揮する。 上記の中で最も物理的な力を持つ「軍隊」の抑止力を過大に評価する人がいる一方、他の力を過大評価して「軍隊不要論」を説く人もいる。 抑止力とは、相手から見てその国と戦争になった場合、戦勝によって直接得られる利益及び戦後の国際関係での損得を合わせて考え、さらに戦争の過程で支払わねばならない物理的・人的コストを比較し、トータルで見合わないと判断される状態を持っていることである。 それゆえに外交努力による良好な国際関係の構築や維持は抑止力であり、優れた警察・消防による治安の維持は抑止力であり(戦争によってそれが失われたならばと考えればいい)、世界に広がった強力な経済力は抑止力となりうる。(母国が滅んでもその経済力が維持されるということはない)もちろん、実際に戦争となったときに侵略国の目的すなわち侵略を物理的に妨害し、彼らの目的達成に巨大なコストを要求する、あるいは失敗に導く防衛力も開戦を思いとどまらせる有力な抑止力である。 抑止力=殺傷力などと短絡的に理解する人がいるが、そもそもその時点で大きな間違いでありそれは軍事第一主義復活への危険な萌芽である。 実際、自衛隊の殺傷力は中国軍・ロシア軍などと比較しても数を見ればわかるとおり劣っている。彼らが狂気に取り付かれ、日本人皆殺しを目標として戦争を起こした場合、対抗しきれるかどうかははなはだ不安である。(しかし現代の世界情勢はそのような狂人国家を作り出すほどには原始的ではない。)ただしこれは極端な例で、彼らが日本を侵略して利益を得ることが難しい(あるいは不可能な)くらいには十分な戦力は保有しているのも事実である。 必要な規模の防衛力という概念が有効になるのは上記の理由からである。(ただし原始的で狂人に支配されていると思しき国家が、極めて近距離に存在しており、大きな不安要素となっているのは最近の報道をみればご理解いただいているだろう) 国の防衛について「抑止力」という面でご理解いただけただろうか?抑止力は軍事力のみで成り立ってはいない。これが理解できず軍事のみが抑止力だと思うなら、日本は軍事国家へと変貌してしまうのだ。
Mar 22, 2005
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8 全体像の分析と特異なデータ 本項は上記にまとめたデータを元にした私個人の分析・見解である。 まず純然たる独立紛争が意外に少ないのは、データの対象の時代が、第2次世界大戦後の植民地主義が衰退し弱体化した旧宗主国が独立運動を武力制圧しなかった(できなかった)時代だったため、ということが推察できる。 内戦・反乱の偏りについては、大戦後に独立した国家の多いアジア、中東・アフリカ諸国がその大半を占める事実が、産声を上げて間もない若い国家が国内を安定させるのには時間がかかる、ということをあらわすものであると考える。翻って欧州地域の内戦・反乱のほとんどが旧ソ連関係の国で起こっていることは、共産主義の強権で弾圧はされていても、人々の心には自由、自主自律を希求する気持ちが途絶えなかったことの現われではなかろうか、と希望的に推測する。(独立紛争と内乱・反乱は厳密に区分するのが難しい戦争である。今回は便宜的に分けては見たものの、どうにもしっくり来ない部分があるためこの分析の項では一括してくくってみた。どちらがよりわかりやすいだろうか?) さて特筆すべき第一の項目は「国境・領土紛争」である。総数は27件、このうちアジアに関わるものが15件、これに関わる国家名を列挙するとその恐るべき実態が見えてくる。○紛争当事国となった回数中国×6インド×5パキスタン、ベトナム×3インドネシア、マレーシア、イギリス×2韓国、北朝鮮、台湾、ポルトガル、オランダ、フィリピン、ソ連、南ベトナム×1 このうち、インドとパキスタンについては1~3次の印パ紛争をそれぞれ別個としてカウントしているため数値が増大している。これについて同じ地域を対象とし一時的な停戦をはさんで継続した紛争を1回とする条件を加えると数値が以下のように変わる。○紛争当事国となった回数(改訂版)アジアにおける領土紛争の総数は13に変更(世界全体では25に変更)中国×6インド、ベトナム×3インドネシア、マレーシア、イギリス×2パキスタン、韓国、北朝鮮、台湾、ポルトガル、オランダ、フィリピン、ソ連、南ベトナム×1 最初のカウントでは数が多かったインド・パキスタンが、この方法ではまったく目立たなくなった。そして突出して多い国が一つ残っただけである。突出して多い中国は実に6回、金門・馬祖砲撃(vs台湾、1954-78)、中印国境紛争(vsインド、1959-62)、中ソ国境紛争(vsソ連、1969)、西沙群島紛争(vsベトナム、1974)、中越紛争(vsベトナム、1979)、南沙群島紛争(vsベトナム、1988)と四つの国相手に領土紛争を行っている。全世界で大戦後に27(または25)件しかない領土紛争のうち6回、すなわち20%超である。いかに領土欲に固執した異常な国かがよくわかるだろう。さらに言えば中国のアジア地域におけるほかの種類の戦争(援助・介入含む)を考慮すると、国共内戦(1945-49)、朝鮮戦争(1950-53)、チベット反乱(1959)の3つが加わり、全世界97件の紛争の実に10%に1国で関わっていることがわかる。(ただし現段階では中国はアジア圏以外での直接的な軍事力の行使は行っていない。また紛争ではないが天安門事件、チベットでの民族浄化、古くは文化大革命なども軍事力の行使という観点では考慮すべき要素であろう。) 注目すべき第2の項目は「その他の紛争」で、特筆すべき国家は米国である。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン軍事作戦、イラク軍事作戦、ベルリン封鎖、キューバ危機に関係し、13件中の6件である。このほかの紛争では朝鮮戦争、レバノン出兵、ドミニカ内乱、グレナダ派兵にも関わっている。しかし、米国単体で紛争を起こした例は実はキューバ危機のみである。 ほかの紛争は紛争当事国の要請、国連決議、多国籍間の合意などに基づき実施されており、建前上は米国一国で紛争を行っていない。 また地域的にも、自ら「世界の警察」と名乗るだけあって、距離等に関わりなく全世界で満遍なく軍事行動を起こしているのも注目すべき点である。(なお、旧ソ連については、現在では当時の指導体制とまったく異なるために考慮していない。もしカウントした場合を考までに述べると、ロシアを含めて7件である。意外に少ないと思われるかもしれないが、旧ソ連邦崩壊後の各共和国で起こった内戦はこれには含まれていないからである。) 21世紀現在、世界の軍事パワーは米国、EU、中国を軸としている。これにやや落ちる形でロシアが続いている。このうちEUは国家の連合体であるため除くとして、単独の国家として巨大な軍事力を保有しているのは米中となる。(EUを除く理由は、結成以来各種軍事行動に関してはEU内の意見調整がつかず、統一見解・行動を行えないでいるからである。元がECという経済共同体だからであろうか?) 2大軍事パワーのうち、最近「独自路線」を強調してはいるものの、キューバ危機を除き一貫して自陣側との合意に基づく複数国での軍事行動を基調とした米国と、建国以来常に単独国家で戦争を行いその3分の2が領土紛争だった中国、どちらが国家として他国との協調を重視しているかは、この歴史上の事実からも容易に推察できるのである。9 米国だけが叩かれる原因分析 前項までで私は、米国と中国は回数なら同じレベルで戦争に関わってきたことを示した。(もちろんその質は大きく違う。米国は曲がりなりにも国連決議や多国間協議をベースに武力行使を決定したことが多いのに比べ(キューバ危機を除く)中国は領土紛争を主体としてすべての紛争を単独で行っている。) にもかかわらず、ネット上で人権を謳う多くの人たちは米国の戦争のみを否定し、諸悪の根源であるかのように罵り中国の戦争行為に関しては沈黙するのである。 なぜか? 米国と中国のその最大の差異が報道の自由にあるからである。SARS発生時の報道、チベットでの民族浄化、沿岸部と内陸部の経済格差、天安門事件、日本からのODA。中国は報道(情報)を内外で制限することでこれらを巧妙に他国から隠蔽してきた。(日本国内ではこれに加えて、中国御用マスコミによる偏向報道の影響もあるだろう)しかし米国は、従軍記者の同行、他国報道機関への情報開示、自国内の各種報道機関への原則とした情報統制の禁止など、さまざまな情報を開示することを基本とし遵守してきた。 中国で「華氏941」のような映画を作ることができるだろうか? 中国でクリントン事件のような国家最高指導者のスキャンダルの報道が許されるだろうか? 中国で戦争を行うとき他国の報道機関はこれを取材できるだろうか? すべての答えは「否」である。 米国はたとえ自国に不利な報道でもこれを報道するが、中国ではこれはない。 米国はあらゆるWebに原則としてアクセス可能だが、中国ではそうではない。 米国は軍隊の不祥事が内部告発され世界に報道され処罰されるが、中国はこっそりとする。 米国の失敗は、敵対する国家はおろか同盟国いや米国自身からすらも明らかにされる。 中国の失敗は、情報の操作で他国の目には触れない。 米国は自らの掲げる報道の自由がある故に、失敗を見咎められ叩かれ続ける。 中国は自らの情報を隠し続ける体制が故に、何をやっているかわからずわからないから叩かれない。 長いので一言で表すとこうなる。「米国は自らを公表しすぎるが故に、易々と得られる情報しか見たがらない者に叩かれる。」10 結言 そして今、中国では「反国家分裂法」が施行されようとしている。中国の国内法が、他のあらゆる国家の法を凌駕すると言うきわめて危険な法律である。彼らは他国への侵略行為を正当化する言い訳を作り出してしまった。ところが不思議なことに、平和と人権について語ることを好み、従来は親中国のスタンスを取ってきたようなブログでこれについて意見を述べているところは極めて少ない。彼らは明確に目に見える情報だけに惑わされ、歴史的事実を見逃し、その真意を類推できないでいるのではないのか? いかなる個人・国家でもこのネットの時代にすべての情報を完全に隠しうることは困難だ。ましてや戦争や国家の意図などという巨大なものは、どう隠そうとしてもどこからか漏れ出してくるものである。 我々はネットに氾濫する大量の情報に自由に触れうるが故に、かすかな情報を見逃してしまいかねない。特に書籍・論文として一定の権威を持つ人物が書いたことをただ鵜呑みにして、これを念仏のように繰り返し、自らの知性を活用することを放棄している人にこういった例が多々見受けられる。 人間は知性を持っている。可能な限りの情報を集め、理論的に分析し、客観的に判断し、それを織り込んだ自らの意見を論理的に構成するだけの能力を持っているはずだ。 情報と情報のつながり、歴史と現在のつながりを見逃すことなく、論理的に冷静に「今」を考えることこそが必要かつ重要なのだということを忘れることなく、ネットの情報を活用しなければならない。☆付記 この稿を書き上げてる最中に、福岡方面で震度6弱の大きな地震が発生した。テレビ等で見る限り広範囲で相当な損害が出ているようである。被災された方々には心からお見舞い申し上げる。 我々自衛隊の第4師団等も、県からの要請を受け災害派遣を行っている。 被災地の方々は安心してほしい。国も国民も、もちろん我々自衛隊も被災者の方々を見捨てるようなことは絶対にない。 この場を借りて僭越ながら、被災者の方々が災害のショック・被害・悲しみから一日でも早く立ち直ることができるように、自衛隊はその実力を発揮してご助力させていただくことを宣言したい。
Mar 21, 2005
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ネット内を見ていると、軍事(自衛隊含む)について多くの人が意見を交わしている。意見の内容は個人の考えであるから、それに賛意を示すあるいは反論するは別として、基本的知識に欠ける人が結構な数で見受けられるのは残念である。政治(特に国際政治)や軍事の面での知識が不足、あるいは欠けている人は、おおむね知識豊富な人から論理的な欠陥や疑問点をぶつけられることが多いのだが、当然知識がない(自分ではあると勘違いしている場合も多い)のでまともに回答できない状態になり、そのうち逆切れして議論の体をなさなくなってしまう。 本稿では、せめてまともな議論ができる程度の基礎知識を持ってもらうために、特にネット上で多く見られる知識の欠如・勘違いについて、根拠となる文書を示しながら、あわせて私の意見を述べていきたいと思う。また、もし私の記述内に間違っているものがあれば、遠慮なくというよりもぜひコメントで指摘をしていただきたくお願いする。(過ちを正すに遅きは無し、ご教示いただいた方には深甚なる感謝の意をもって、自らの過ちを正させていただく。願わくば根拠となる文書のアドレス等を添えてご指摘いただければ幸いである。) 相変わらず長い前置きで恐縮だが、こればかりは性分なのでご勘弁願いたい。 今回は「米国だけが戦争愛好国家として叩かれるのはなぜか」である。ネット内ではイラク戦争などから米国叩きをする言論が蔓延している。なるほど、アブグレイブの事件などを考えれば米国が叩かれる理由はわかる。あれは確実にジュネーブ条約違反だし、戦争法規的に見て、同じ軍人(自衛官だが)からも到底許される行為ではない。(ただし派遣された米軍人全てがあのような非道な行為をしているかのような意見を述べることは明らかに間違っている。彼らの大半は自らの職務に誇りと自信を持った人物である。もしそうでないなら、あのような事件は闇から闇に葬られ、永久に日の目を見ることはなかっただろう。)だが、ここで私が疑問に思ったのは米国叩きを行う人のかなりの数が親中国の意見を述べているということである。今回はこの件についての勘違い、誤りを論述していく。 本稿における主要な参考資料は「平成16年版日本の防衛」、いわゆる防衛白書である。本資料は分量莫大かつかなり見にくいため、私のほうで勝手ながら本稿にかかわる部分を要約した。なおWeb上に公開されている資料のアドレスはhttp://www.jda.go.jp/j/library/wp/2004/w2004_00.html(防衛白書の資料編のアドレス)である。疑問等をもたれた方、確認をしたい方はこちらで正規の文書を参照していただきたい。また書籍として税込み1200円で販売されており、書店で購入または図書館などで閲覧することができるはずである。なお資料の関係上、参考にしたデータは第2次世界大戦後の紛争(1945以降)に限定されていることをご了承願いたい。 では本論に入る。1 戦争・紛争の種別と定義及び要因 本項の内容は「防衛白書」によるものではない。「防衛白書」のデータ・記述に基づき、私個人の見解で体系的に分類・記述したものである。至らぬ点や間違いがあった場合、それは「防衛白書」に起因するものではなく私個人の責によるものである。 まず、紛争を大きく以下の分類に分ける。(1)独立紛争(戦争) 植民地を持っていた旧宗主国からの植民地住民主体の独立紛争であり、主として旧宗主国軍と現地の勢力の争いである。状況によって周囲からの軍事援助等が存在する。 主な要因は、民族自決主義の活性化、旧宗主国支配からの独立意識の高揚であり、その遠因として不当な差別・搾取・貧富の格差の存在などがあげられる。(なお旧東側の諸国などの分離・独立に関わるものについては本稿では内戦・反乱に分類した。)(2)内戦・反乱 主に国内の支配権を巡る主義主張の異なる勢力の争いであり、稀に他国の軍事勢力の援軍・介入を含む。また連邦制をとる複数の国家群からの国家の独立などもこの項に含めた。発生の要因は主として国内の政治的対立、民族対立、宗教上の対立などがある。(3)国境・領土紛争 2国または複数国間における一地方の帰属または海洋上の国境線等をを巡る争いであり、国境線・領土に関する当事国同士の主張の違いを平和裏に解決できなかった(あるいはする気がない)場合に発生する戦争である。(4)その他 上記3種では分類できない、またはしにくい紛争。冷戦時の自由主義vs共産主義対立の代理紛争などを含む。例えば、米国によるドミノ理論対抗策としてのベトナム戦争介入、国連軍や多国籍軍による戦闘・戦争などがある。(以下は防衛白書にあるデータの要約である)2 アジア地域における紛争 総数28で内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×2 インドネシア紛争、インドシナ紛争(2)内戦・反乱×10 国共内戦、マラヤの反乱(英国vs共産ゲリラ)、マラヤの反乱(マラヤ連邦vs共産ゲリラ)、ラオス内戦、チベット反乱、カンボジア内戦、ティモール内戦、タジク紛争、カンボジア武力衝突、ジャム・カシミール地方における戦闘(3)国境・領土を巡る紛争×15 第1次印パ紛争、朝鮮戦争、金門・馬祖砲撃、中印国境紛争、ゴア紛争、西イリアン紛争、マレーシア紛争(英国・マレーシアvsフィリピン)、マレーシア紛争(英国・マレーシアvsインドネシア)、第2次印パ紛争、中ソ国境紛争、第3次印パ紛争、西沙群島紛争、ベトナム・カンボジア紛争、中越紛争、南沙群島紛争(4)その他×1 ベトナム戦争3 中東・北アフリカ地域における紛争 総数24でその内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×1 アルジェリア戦争(2)内戦・反乱×10 キプロス紛争(英国政府vsキプロス戦士全国組織)、レバノン出兵(レバノン政府・米国vsレバノン反乱派)、イエメン内戦(イエメン政府・エジプトvsイエメン王党派)、キプロス内戦、西サハラ紛争(モロッコ・モーリタニア政府vsポリサリオ解放戦線)、アフガニスタン紛争(アフガニスタン政府・ソ連vs反政府・反ソ勢力)、レバノン内戦(キリスト教右派(イスラエル及びイラクが支援)vsイスラム教左派・アラブ平和維持軍)、スーダン内戦、アフガニスタン内戦(政府vs反政府勢力、1996.9以降はタリバンvs反タリバン勢力)、イエメン内戦(大統領派vs副大統領派)(3)国境・領土を巡る紛争×8 第1次中東戦争、第2次中東戦争、クウェート出兵(クウェート・英国vsイラク)、アルジェリア・モロッコ国境紛争、第3次中東戦争、第4次中東戦争、南北イエメン紛争、イラン・イラク戦争(4)その他×5 キプロス紛争(キプロスvsトルコ)、レバノン侵攻(イスラエルvsPLO・シリア)、湾岸戦争、アフガニスタン軍事作戦、イラク軍事作戦 4 中部・南部アフリカ地域における紛争 総数21でその内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×1 ナミビア独立紛争(2)内戦・反乱×17 コンゴ動乱(政府vs分離派・ベルギー)、エチオピア内戦、南ローデシア紛争、ナイジェリア内戦、アンゴラ内戦(MPLAvsFNLA・UNITA)、モザンビーク内戦、ソマリア内戦、リベリア内戦、ルワンダ内戦、ザイール内戦、シエラレオネ紛争(軍事革命評議会vs西アフリカ諸国経済共同体平和維持軍)、コンゴ共和国内戦(政府軍vs前大統領派(アンゴラが支援))、ギニア・ビサオ内戦、コンゴ民主共和国内戦(政府(アンゴラ等が支援)vs反政府勢力(ルワンダ等が支援))、シエラレオネ内戦(西アフリカ諸国経済共同体平和維持軍vs革命統一路線)、アンゴラ内戦(UNITAvs政府軍)、コートジボワール内戦(3)国境・領土を巡る紛争×3 チャド・リビア紛争、エチオピア・ソマリア紛争、エチオピア・エリトリア紛争(4)その他×05 欧州地域における紛争 総数13でその内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×0(2)内戦・反乱×10 ギリシャ内戦(政府vsギリシャ人民解放軍)、ハンガリー動乱、ナゴルノ・カラバフ紛争(アゼルバイジャンvsアルメニア武装勢力)、ルーマニア政変、アブハジア紛争(アブハジア、スロベニア内戦、クロアチア内戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦、チェチェン紛争、コソボ紛争(3)国境・領土を巡る紛争×0(4)その他×3 ベルリン封鎖、チェコ事件、北アイルランド紛争6 米州(南北アメリカ大陸及びその周辺)地域における紛争 総数11でその内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×0(2)内戦・反乱×6 グアテマラの反革命、キューバ革命、ベネズエラの反乱活動、ドミニカ共和国内乱、ニカラグア内戦、エルサルバドル内戦(3)国境・領土を巡る紛争×1 フォークランド紛争(4)その他×4 キューバ侵攻(キューバ政府vsキューバ亡命者)、キューバ危機(米国vsソ連・キューバ)、グレナダ派兵、パナマ派兵7 総括 全世界で総計97の紛争が第2次世界大戦後に起こっており、その内訳は以下のとおりである。(1)独立紛争×4(2)内戦・反乱×53(3)国境・領土を巡る紛争×27(4)その他×13(文字数制限のため続く)
Mar 20, 2005
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ネット上で声高に「自衛隊は人殺し」と叫ぶ人は、被災地に立っても 「人殺しの自衛隊は災害派遣をするな」 と言えるのか? 瓦礫の下で血を流し、息も絶え絶えに助けを求める人に 「人殺しの自衛隊に助けてもらうのはダメ」 「他が来るまで待ってください」 と言えるのか? 飲む水にも不自由し 怪我診てくれるお医者様には長蛇の列、それを見ても 「人殺しの自衛隊の薬や水はもらわないでください」 と言えるのか? 自らが瓦礫の下で助けを求めているとき、そこに来た自衛隊に 「あなたたちは人殺しだから、私を助けないでください」 と言えるのか? 綺麗ごとを叫んでも人の命は救えない 泥にまみれて、血と汗を流し、自らの限界を超えて力を発揮する その覚悟を持つ者だけが命を救う もうひとつ問う たとえ自らが埋もれたときに救いを断ることができたとしても 他人にそれを強いるほど、あなたたちは偉いのか? だがしかし 差し伸べる手を幾度拒まれ続けようとも 我々は手を差し伸べ続ける 誰かがそれを求める限り われらの任務である限り われらに誇りがある限り
Mar 19, 2005
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逆に韓国は自らが行った警備兵の駐屯により、国際司法の場に出ることが出来なくなっているのである。彼らにも「万が一」という危機感があるのか、それとも「司法の場では勝てない」と考えているかは定かではないが、国際司法裁判所に出て負けた場合のリスクは日本の比ではないほど大きい。 日本はこれに負けた場合でも、先に述べたようなメリットがあるのに比べ、韓国が負けた場合に得ることができるものは「侵略国」という国際社会で最大級の汚名だけである。しかも先に兵力を駐屯させ、平和的解決をしようとした相手国(日本)の交渉に一切応じなかったというおまけ付きである。彼らが司法の場に出てこれなくなったのも無理はない。 このような条件から、韓国が国際司法の場での判断を拒否することは当然の帰結なのである。では、このまま竹島は韓国が実効支配する土地となって、すべてが手詰まりになってしまうのだろうか?ここで最初に述べた国際連合憲章に立ち返ってみるとその糸口が見えてくる。国際連合憲章第六章「紛争の平和的解決」第三十三条第2項2 安全保障理事会は、必要と認めるときは、当事者に対して、その紛争を前記の手段によつて解決するように要請する。 現在は日本と韓国の二国間でのみこの問題について争われているが、安全保障理事会が必要と認めて本件に介入した場合、韓国は今のような態度をとり続けることが出来るだろうか?おそらく無理だろうと私は考える。無理だろうとは思うが、韓国が国内の国民世論を優先させ、頑なな態度をとり続け平和的解決に向けた交渉を行わない方針を堅持した場合は、次に述べる条項が生きてくる。第三十四条 安全保障理事会は、いかなる紛争についても、国際的摩擦に導き又は紛争を発生させる虞のあるいかなる事態についても、その紛争又は事態の継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞があるかどうかを決定するために調査することができる。第三十五条1 国際連合加盟国は、いかなる紛争についても、第三十四条に掲げる性質のいかなる事態についても、安全保障理事会又は総会の注意を促すことができる。2 国際連合加盟国でない国は、自国が当事者であるいかなる紛争についても、この憲章に定める平和的解決の義務をこの紛争についてあらかじめ受諾すれば、安全保障理事会又は総会の注意を促すことができる。3 本条に基いて注意を促された事項に関する総会の手続は、第十一条及び第十二条の規定に従うものとする。第三十六条1 安全保障理事会は、第三十三条に掲げる性質の紛争又は同様の性質の事態のいかなる段階においても、適当な調整の手続又は方法を勧告することができる。2 安全保障理事会は、当事者が既に採用した紛争解決の手続を考慮に入れなければならない。3 本条に基いて勧告をするに当つては、安全保障理事会は、法律的紛争が国際司法裁判所規程の規定に従い当事者によつて原則として同裁判所に付託されなければならないことも考慮に入れなければならない。第三十七条1 第三十三条に掲げる性質の紛争の当事者は、同条に示す手段によつてこの紛争を解決することができなかつたときは、 これを安全保障理事会に付託しなければならない。2 安全保障理事会は、紛争の継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞が実際にあると認めるときは、第三十六条に基く行動をとるか、適当と認める解決条件を勧告するかのいずれかを決定しなければならない。第三十八条 第三十三条から第三十七条までの規定にかかわらず、安全保障理事会は、いかなる紛争についても、すべての紛争当事者が要請すれば、その平和的解決のためにこの当事者に対して勧告をすることができる。第七章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動第三十九条 安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第四十一条及び第四十二条に従つていかなる措置をとるかを決定する。第四十条 事態の悪化を防ぐため、第三十九条の規定により勧告をし、又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権又は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当事者がこの暫定措置に従わなかつたときは、そのことに妥当な考慮を払わなければならない。第四十一条 安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。第四十二条 安全保障理事会は、第四十一条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。 大変長い引用になったが、要約すれば以下のとおりになる。1 安全保障理事会は当事者双方の合意が無くとも、韓国の行為が侵略に該当するかを調査できる(第三十四条)2 この結果侵略行為であると判断された場合、安全保障理事会は平和的解決を行うように勧告する。3 これにも従わなかった場合は、安全保障理事会は暫定措置を要請できる。4 それでも勧告に従わない場合は、四十一条に書かれている措置を国連加盟国に要請できる。5 まだ従わない場合は国連軍が編成される。6 それでも・・・ 韓国が何を恐れているか読み取っていただけたであろうか。そして近年日本が国連においてどのような動きを見せているか、そしてどのような結果になろうとしているか、そこまで合わせて考えたときに韓国は「追い詰められている」と判断できるのである。 17日の声明は、日本が常任理事国入りして竹島問題について国連の裁定を仰ぐ前に、なんとしてでも日本側に譲歩させようとする苦し紛れのパフォーマンスに過ぎないと私は考える。そういった視点で彼らの行動を見てみれば、なんとなく微笑ましいものを感じないだろうか?感じないな。<ヒトリツッコミ
Mar 18, 2005
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竹島(韓国名:独島、以後竹島に表記を統一)に関する領土問題が最近世間を騒がしている。私個人としては竹島は竹島で日本固有の領土であると信じているが、当然逆の見解を持つ人もいる。 そういった中で17日韓国が発表した声明がネット内をまさに嵐のように飛び交っている。その声明に対してさまざまな意見を持つ人がいるだろうし、私もいろいろと考えさせられた。そこでこの場を使って考えた末の結果の私の意見を少し述べてみようと思う。結論から言えば私の意見はこうである。「韓国は追い詰められている。二進も三進もいかない状況にある。」はぁ?と思う方も多いだろう。そこで私がこの考えにいたった理由を、少し長くなるが順を追って述べてみたいと思う。2国間の問題において互いの国内法を持ち出すことは無意味である。そこでこの問題へのアプローチとして、現在唯一の多国間の問題調整機関、国際連合の憲章やそれに付随する国連決議等から追ってみよう。なお、本文中の国連関連の憲章・決議については、内外出版「緊急事態関係法令集」付録CD-ROMから引用させていただいた。まず国際連合憲章第六章「紛争の平和的解決」第三十三条第1項によると、いかなる紛争でもその継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない。(第2項以降後述)とある。竹島事案の場合の当事者とは言うまでもなく、日本と韓国である。 日本も韓国も竹島に関しては、お互いに自らの側の主張に根拠があると考えており、その主張は平行線をたどっている。私は日本人として日本の主張を支持するが、当然韓国人は韓国の主張を支持するだろうから、これはある意味当然である。こういった譲ること、妥協することができない平行線をたどる主張に関し、国連は上記の条項により平和的・理性的解決をするように勧めている。 両国は韓国の竹島領有宣言(昭和27年)以来、この問題に関し様々な行動を行ってきたが、その内容には大きな差がある。日本は問題の一定の解決を見るまではと、竹島に関しては極力直接には手を触れない状態を維持していた。しかし韓国は竹島の「実効支配を行う」と守備隊を竹島に駐屯させた(昭和29年7月)。これは日本側の「極力刺激をしないで平和的解決を模索する」方針を逆手に取った形である。こういった状況を受け日本は交渉による解決は困難であると判断し、国際司法裁判所での司法的決着をつけるべく韓国に申し入れている(昭和29年9月)。もし韓国が、自らの主張が正しく誰が見ても正当・妥当であると考えているのなら、これは千載一遇のチャンスであったはずだ。韓国の立場からすれば、過去の歴史を顧みず自国の領土を不法に領有せんとたくらむ日帝の子孫の生き残りの野望を、国際司法の場で公明正大に叩きのめし、完膚無きまでにその意図をくじき、正しい韓国を国際社会に宣伝する最高の機会だからである。しかも相手側から「裁判で」と言われているわけで、まさに渡りに船だったはずだ。 だが韓国は「我が国の主張が正しいから司法での決着にはおよばない」とこれを拒否し続けている。この状況を簡単にたとえ話にしてみよう。ある国に仲の悪い二つの隣り合わせの村があった。村と村の中間にある豊かな山がどちらのものであるかでいつももめていた。A村は「歴史的に見て我が村のものだが、話し合いで解決しよう」と言い、B村は「どう考えてもうちの村の山なので、樵小屋を造って好きに使う」と小屋を建て屈強な樵を住まわせた。らちがあかないと考えたA村は「国王にどちらが正しいか裁いてもらおう」とB村に呼びかけたが、B村は「うちが正しいんだから必要ない」と取り合わない・・・さてあなたはA村とB村のどちらの方が正しい主張をしていると考えるだろうか? ここで私がどういう意図でこの文章を書いているか、あるいはこれを読んでくれている方がどう思うか、それは実際のところ竹島問題の解決には全く寄与しないものである。竹島問題が起こって以来、日韓は相互の立場を尊重し(韓国が尊重しているとは思えない節もあるが)、平和的解決を目指して対話の努力をしてきたが、ついに解決には至らなかった。日本が取りうる選択肢はその段階で3つあり、一つは武力に訴えて解決、一つは仕方ないと諦める、そして最後の一つは国際司法に委ねるだった。そして日本は第3の選択肢を選んだわけである。日本は国家としての理性から第1の選択肢を除外し、国家としての義務から第2の選択肢も除外した。その結果として日本は、平和を希求する国家として当然の結論にたどり着いたのである。 これは素晴らしいことだと私は考える。なぜか?これ以降少し引用が多くなるが、これを解説してみることにする。 日本が韓国と同じように「竹島は自国の領土である」と日本の主張にのみ基づいて行動した場合どういう選択肢があるだろうか。ここで、国連決議3314(XXIX)「侵略の定義に関する決議」(採択 1974年12月14日(国連第29回総会)を見てみよう。(以下、国連決議)第一条 侵略とは、一国による他国の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であつて、この定義に定められたものをいう。 (注) この定義において「国家」という語は、 (a) 承認の問題又は国家が国際連合加盟国であるか否かとは関係なく用いられ、かつ、 (b) 適当である場合には、「国家群」という概念を含む。第二条 国家による憲章違反の武力の先制的行使は、侵略行為のいちおうの証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当化されないとの結論を下すことができる。第三条 次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無にかかわりなく、第二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。 (a) 一国の軍隊による他国の領土に対する侵入若しくは攻撃、一時的なものであつてもかかる侵入若しくは攻撃の結果として生じた軍事占領、又は武力の行使による他国の領土の全部若しくは一部の併合 (b) 一国の軍隊による他国の領土に対する砲爆撃、又は一国による他国の領土に対する武器の使用 (c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖 (d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に対する攻撃 (e) 受入国との合意に基づきその国の領土内に駐留する軍隊の合意に定められた条件に反する使用、又は合意終了後の右領土内における当該軍隊の駐留の継続 (f) 他国の使用に供した国家の領土を、右他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する当該国家の行為 (g) 上記の諸行為に相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装部隊、集団、不正規兵又は傭兵の国家による派遣、若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与(第四条以下は略) 第一条及び第二条(a)の項目を素直に読み解けば、竹島が日本の主張どおり日本の領土であった場合、韓国の行っている警備兵の駐屯は明白な侵略行為となる。これは自衛隊による防衛出動の必要用件を満たし、防衛戦争を行うための国際的に誰からも批判されない理由となるのである。 ところが逆に日本が先に竹島に自衛隊を駐留させていたと仮定した場合、国際司法裁判所が韓国の主張が正しいと万が一判断した場合に日本は侵略国と規定されてしまうことになる。これは平和を是とする日本にとって計り知れないイメージダウンになることは明白だ。よって日本はわずかな危険を回避するために、竹島には自衛隊の駐留を行わなかった。これにより万が一国際司法裁判所で負けた場合でも、日本は領土紛争の危機を国際司法の場で平和的に解決した理性ある国家としての地位を得ることが出来る。(これには国際司法裁判所での判断を、日本側から要請することが必須なのはおわかりだろう)この判断はリスクマネージメントとしては極めて正しいと私は考える。(当時の日本がそこまで深く考えていたかどうかはわからない。願わくば深謀遠慮の賜物であって、成り行き任せの運任せの結果ではなかったと信じたいところではある。)
Mar 18, 2005
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○「自衛隊を災害派遣せずNGOや新組織の災害派遣隊で対応すべし」 これについては、「もし出来るのなら理想かもしれないが、現実には実行が極めて困難、いやほとんど不可能な上に危険である」と言わざるを得ない。以下、理由を述べる。 なぜ自衛隊が災害派遣に用いられるのか? まず第一に「予算」の問題である。予算は有限である。新組織にまわす予算がないなら自衛隊を削って災害派遣隊に、という意見もあるようだが本末転倒であると言わざるを得ない。 自衛隊の本来の任務は「国防」であり、その規模・装備・訓練はこれを主体に決定されており、民生協力や災害派遣は副次的な任務として、前述の本来の任務に必要な規模から一時的に捻出している。自衛隊の規模は「独立国として必要最小限の基盤的な防衛力を保有する」といういわゆる「基盤的防衛力構想」から成り立っている。 よって自衛隊を削減してその分を「災害派遣隊」にすると、非災害時における防衛に対する必要最小限を割り込んでしまうのでこれを減らすことは不可能なのである。 こうなると別立てで予算を取って「災害派遣隊」を設立することが必要になるが、現在の日本の財政状況ではこれが極めて難しいのは、自衛隊の中の人間よりも外にいる人たちの方が実感しているのではないだろうか。 次に体制、能力そして規模の問題である。 まず体制の問題であるが、災害はいつ発生するかわからず、これに即応するには常時待機する体制が必要とされるのは、昨年発生したいくつもの災害からも明らかである。対応が遅れれば被害は飛躍的に拡大する。 すなわち「災害派遣隊」が編成され常時待機となった場合でも、不測の災害以外には何も使えないことを表している。 第二に能力の問題である。災害派遣とひとくくりに表しているが、近年の大きな災害派遣だけでも見てみるとこれが単純なものでないことがわかる。大きな所では雲仙普賢岳噴火、地下鉄サリン事件、兵庫県南部地震、東海村臨界事故、昨年では京都鳥インフルエンザ、幾つもの台風災害、中越地震、スマトラ震災など。また細かいところでは日常的に行われる離島での救急患者の輸送、消火支援、豪雪災害支援などなど。まさにあらゆる災害に対応している。派遣名だけを見れば、対応できると思う人もいるかもしれないが、特に自然災害は単純なものではない。台風が来れば風で停電し、雨が降れば地盤がゆるみ地滑りが起き道路は寸断され、いわゆるライフラインは途切れ、漏れたガスが爆発したり、詰まった下水道が衛生状態を悪化させたりする可能性もあるし、他にも予想できない2次・3次災害が発生する可能性があるのはおわかりなことだと思う。実際、雲仙普賢岳噴火では、自衛隊の一部の部隊が火砕流に巻き込まれかかり間一髪で脱出する状況も発生している。これら全ての状況に対応する能力を持つ組織を一朝一夕で立ち上げることが出来るのだろうか?準備しているこの今現在でも災害は起こる可能性があるのだ。 そして規模の問題である。災害時は当然平常の状態ではない。ライフラインの寸断はもちろん、道路の状況によっては物資の輸送も滞る。救助に使う器材が壊れても、持ち込んだら修理してくれる自動車工場などが稼動している可能性は低い。水も出ないことが考えられるが、給水車も悪路を移動してくれば故障する可能性がある。地域警察・消防なども被災地域に存在する以上、停電や道路の寸断、ライフラインの障害の影響は免れない。そもそも彼らの保有する各種車両や装備の大部分は、インフラが破壊された場所での使用は想定していないのである。 このような状況で被災者に対して食料や応急的な生活環境を、可能な限り大規模かつ公平に提供するための災害支援に必要とされる人員の規模はどれくらいになるのだろうか?上で述べた以外にも、被災者の捜索・救助、給水施設の運営、食料の炊き出し、救急医療、被災地以外との連絡の確保、2次災害防止のための偵察、行政との連携なども平行的に進める必要がある重要な仕事である。しかもこれを継続するためには、救助する側はインフラを当てに出来ないばかりか、自体の交代要員などの予備が必要である。誰かが風邪で寝込んだり怪我をしたせいで給水できない、捜索できないというのは論外だからである。普段は整った社会資本に任せきりになっている部分を、全て災害派遣隊やNGOで行わなければならないのである。当然被災者の支援を疎かにすることが出来ないのは自明の理だ。 これらを解決するには、極めて大きな規模の組織が必要となることがおわかりいただけただろうか。 自衛隊は現状これらに対してベターな対応が出来る組織である。予算は防衛費として元から計上されており、体制は国防自体が常時待機なので変化はない。自前で応急の浄水施設から土木機械、ヘリコプタ、医療能力まで保持しており、特別な体制を取らなくても自然に活動できる。もともとが「有事」という緊急事態を想定しているから、インフラが破壊されていても活動能力は低下しない。物理的な規模も、自衛隊の元々の任務が局地的災害対処ではなく、国家防衛戦争対応のためなので災害救助に必要な規模と比べれば十分大きく予備もある。自前で悪路を踏破できる各種輸送力を持ち、ヘリコプタなどで道路が完全に崩壊していても活動が可能だ。海空の自衛隊も加えれば更にその能力は向上する。そしてこれらの被災者支援をバックアップする装備・人員のための各種整備・補給の能力まで保有、そのキャパシティーは必要とあれば警察・消防までサポートできるほど十分な余力がある。 使えるものは効率的に使う、当たり前のことである。早く動くことができ、多くの状況に対応可能で、人数も多く、様々なことが出来る。しかも自前で食事・燃料・水まで用意でき、多くの場合自分たちの食べる分など後回しにしてその能力を被災者のために使用する。おまけに追加の予算は基本的にかからない。これだけ便利な自衛隊を使うことになぜ反対するのだろうか。自衛隊は違法だから、彼らは軍隊だから、という妄言は現実の前に吹き飛ぶ。なぜならば被災地の住民に当座必要なものは、一刻も早い救助・支援であり、議論を尽くして「支援する側が」納得して出てくることではない。彼らはまさにその瞬間に生死の境にいて、助けを求めているのである。また場当たり的に支援を行った場合、下の「脱線」で書いたような一部マスコミの危険地域への取材のような結果になりかねない。自らの身を様々な危険から守る術を持たないNGOなどが支援を行った場合、結果として危険を招くおそれがある。イラク支援などで有名NGO等が撤退しているのは、そういった危険を冒してイラクで支援をするよりも、より自分たちの支援が安全かつ有効に機能できる場所へ全力を傾注するという意味、すなわち全世界的視点のNGO活動から見れば極めて妥当な判断である。(脱線:真実を伝える、と勢い込んで被災地に行ったマスコミがもっとも批判されるのは何だとお思いだろうか?彼らの一部には、被災者でもないのに被災者のための炊き出しを頬張り、数少ない在庫を被災者のためにと値上げもせずに売り出すコンビニに我が物顔で乗り込み大量の買い占めをする者がいた。 あげく危険なので立ち入り禁止地区に指定された場所へ取材と称して乗り込み動きがとれなくなり、被災者の捜索や輸送に忙しい自衛隊のヘリコプタに救助を要請するような事態まで起こしている。 中越地震での男の子の救出作業の際、かすかな音を頼りに救助作業を行うハイパーレスキュー隊の上空を、轟音とともにマスコミのヘリコプタが無神経な飛行をしていたのは記憶にあるだろうか。 彼らは報道の自由を盾にして被災者の生命に危害を加える場合があるのだ。それは極めてごく一部の不心得者の行いではあるが、被災地においてこのような噂は急速に広がる。それに加えて肉親友人を亡くした被災者への無神経なインタビューと来れば・・・理由は自ずから知れるだろう)○「自衛隊は殺人集団だ」 私も小学生の頃こういわれたことがある。今思えば日教組系の教師だったのだろうが、差別はいけない、平等が大事と言った口で「おまえは人殺しの子供だ」などと罵られた。(私は父親も自衛官である)子供ながらにあまりの無体ぶりに「どんな証拠があるんですか」と反論しては見たものの「自衛隊は人殺しの訓練をしている、だから自衛官は殺人者でその子供は人殺しの子供だ」と今にして思えば目をつり上げて口から泡をとばしてキンキン声で怒鳴られると、小学生ではいかんともしがたいものがあった。 さて上記の暴論に関しては既にネット上で同じような反論が無数にされているが、あえて繰り返させてもらえば、目的と手段の混同というものがその第一の原因となっている。 さらに言うならば、 ・自衛隊は組織として殺人を行ったことはない。(歴史上の事実) ・自衛隊は訓練で殺人の訓練はしていない。(目的と手段の混同)ということである。自衛隊の目的、存在理由は「我が国の平和と独立を守り国の安全を保つ」である。一般的に国という場合には、よく反対反対と叫ぶ人たちが言うような「国家体制」「政治家」「思想」などではなく「国民と国民の居住する国土」を指すものである。つまり国民の生命、財産を守ることが主要な目的なのだ。戦後60年、日本は戦火に見舞われずその時を刻んできた。すなわち組織的な戦闘を戦後は経験していない。自衛隊は戦後生まれの組織なので当然戦闘は未経験で、戦闘していない以上人を殺してはいない。やってもいない殺人の犯罪者扱いというのは侮辱ではなかろうか?しかもこの後述べるが、戦争における敵軍に対する行為は殺人行為ではなく戦闘行為である。そもそも殺人という概念ではない。 殺人集団云々にいたっては大間違いである。我々が行うのは戦闘(戦争)であり、そのための訓練である。せんとう 【戦闘】 (名)スルたたかうこと。特に、兵器を用いて敵と戦いを交えること。「繰り返し―する」戦闘は手段であり、目的は国防である。目的を達成するために途中経過があるわけで、その途中経過(戦闘)で敵味方を問わず戦死者が出ることは十分予測できる。ここで私は戦死者といった。せんし 【戦死】 (名)スル兵士が戦闘によって死ぬこと。うちじに。「南方で―する」「―者」 つまり戦死者と殺人の犠牲者(被害者)はまったく異なる。まして自衛隊が戦闘をするのは日本防衛のためであり、防衛戦争である以上は相手から仕掛けられたはずで、当然相手の軍も武器を装備している。武器を持って攻撃してくる相手を倒すのは正当防衛である。正当防衛と殺人は刑法上まったく異なっているのはお分かりだろう。よって自衛隊が戦闘で相手を殺すのは殺人ではない。(実際はこのような論法でなくとも殺人ではないのだが)やってもいない行為をやったかのように叫んで非難するのを一般には「誹謗中傷行為」というのではなかろうか?反対意見を述べる人たちは少なくともこれらの法律的事項を学んだ上で、意見を発していただきたいものである。我々はどこでもない、法治国家日本の住人なのだから。 以上、ネット上で数多く見る行為について少し述べてみた。まだまだ反論すべき事項は多いが、すでに長文になってしまったので他の例については後日稿を改めて述べたいと思う。
Mar 16, 2005
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ときおりネットをなにげにぶらついていると奇妙なサイトに出会う。具体的にはどのようなものかというと、かつて社会党が主張していたような「自衛隊とは別に災害派遣隊を創設せよ」といったような主張である。未だにこのような主張をする人がいるのかと驚く反面、多くの人が様々な論拠を示してその人を諭そうとしているのを見て少し安心もする。 同じように多い勘違いは「自衛隊は人殺しの集団、暴力組織」というものである。 これに至っては呆れを通り越して怒りすら覚える。目的と手段(それも手段におけるごく一部)を取り違えた上で、さしたる論拠もなく感情的に罵るわけである。 こういった人に限って、自衛隊についての知識は乏しい。学校の偏った教育や、漫画・小説などのデフォルメされた軍人像を自衛隊に投影しているだけである。これについても多くの人が様々な論拠を示して対話を試みているが、なにぶん思いこみで話す人が相手では理が通じることは少ない。 もちろん自衛隊に対する賛否に係わらず勘違いや記憶違いをしている人はいるのだが、どちらかというと賛成派の方が理にかなった疑問の呈し方と知識に対する客観的な見方を持っているように思える。 かくいう私もその職場に身を置きながら、未だに日々学ぶことの多き身であるから、偉そうなことを言うのも心苦しいのだが、ほんの少しでも自衛隊に対する理解を深めてもらい、その上で賛否の議論をしてもらいたいと思い、ここにすこし書き込むことにする。 もちろん自衛隊の中の人間の言うことなので、一部我田引水になるような面はあるかもしれない。またこちらがわかっているのでつい省略してしまい、ここを読んでくれている人には疑問に思える点などもあるだろう。その点はコメントなりを活用していただき書き込んでいただければ、可能な限りお答えしたいと思う。ただし職務上の守秘義務から一部回答できないこともあることをあらかじめお断りしておく。○「自衛隊は違憲である」 よく見る意見であるが「違憲という意見もある」という段階にすぎず、現段階では「違憲」という政府の見解は取られていない。憲法自体が英語を日本語訳したため、やや曖昧な表現が多いのは事実であるが、曖昧であるが故におこる勘違いといえる。これに関係して憲法9条違反であるという意見もよくあるが憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。この中にある「国権の発動たる戦争」は、最初にある主語の「日本国民は」から考えると、普通は「日本自らの意志による国権の発動たる戦争」と解釈すべきであり、同様に「武力による威嚇又は武力の行使」も「日本が自らの国としての意志で行う武力による威嚇又は武力の行使」と解釈すべきである。なぜならば、相手国の戦争の意志の発動を日本の国内法で規制することは不可能だからである。よって相手から攻められた場合の防衛行為として反応する戦争は条文からも否定されていないことになる。こう読めば2項にある「前項の目的を達するため(中略)認めない」は、自衛のための戦力を持つことを妨げないと解釈できるわけである。すなわち自衛を目的とした「自衛隊の存在」は違憲とはなり得ない。(脱線:憲法解釈は「政府の都合で変えられる」とよく否定的に言われるている行為ではあるが、そういう否定的な意見を持つ人に限って、都合よく解釈を変更出来ない明確な憲法への改正を拒む。非常に不思議な行為である。)(続く)
Mar 16, 2005
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悲運の兵器シリーズ(1)イタリア戦線でのRSI軍(サロ共和国軍)対戦車自走砲(らしい)自走可能、操縦性良好、小型軽量かつ武装の補給・交換が容易。また不必要な警戒心を抱かせない外見(脚注1)もすばらしい。車体本体の損傷も、軽微なものなら数日で自己修復できる。重度の損害の場合、他の用途(脚注2)に転用。広く普及していれば21世紀のRMAを先取りしたものとなったであろうまさに悲運の名機である。http://www.lucavalente.it/modules/Prodotti/uploads/7_img_pdf3史上最精鋭の特殊部隊とは?諸説入り乱れるところであるが、この写真の部隊こそ最精鋭であると断言する。http://pureweb.jp/%7Esugiud/archives/001373.html
Mar 6, 2005
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葬儀にはインフルエンザのため参加できない・・・最悪のタイミングで引き込んでしまったものだ。家にただ座っているとかえって気が滅入るので、ネットを散策してわずかなりとも気晴らしをする。
Mar 6, 2005
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叔父が死んだ。数年前から調子が悪かったとはいえ、危篤の知らせからわずか数時間でこの世を去った。苦しまなかったと思う、思いたい。父方の兄弟は5人、その叔父は4男で彼までは台湾で子供時代を過ごしていたという。叔父は台湾が好きだった。「人情味のあるいいところだ」ことあるごとに言っていた。「海も山も川も森も美しいよ」目を細めながら懐かしんでいた。「もう一度行ってみたい」私が子供の頃からそう言い続けていた。その叔父がもう十年ほども昔だがやっと台湾を訪ねることになった。「山も海岸線も変わらない」機上から眺めてそう言っていたという。叔父が台湾を訪ねると聞いたとき、私は正直こう思った。「思い出は思い出のままのほうが綺麗なのではないか」「戦争のことでいろいろ言われて思い出が壊されてしまうんじゃないだろうか」打ちひしがれて帰ってくることになったら・・・と密かに心配した。一週間ほどの滞在で叔父は帰国した。私は恐る恐る尋ねた。「どうだった?」その中には嫌な思いをしなかったか、という私の危惧が混ざっており、叔父はその匂いを敏感に感じ取ったようだった。そして叔父は答えた。「昔のままのいい所だった。海も山も川も森も・・・街はだいぶ都会になっていたけどね。」それは私が聞きたかった答えではなかった。私の思考を読んだかのように叔父はこう続けた。「人情も変わってなかったよ。」そういった叔父の微笑みは、美しい思い出がそのまま残っていたことを明らかに示していた。叔父は子供時代に住んでいた街をたずねて行ったらしい。もう五十年も昔のこと、当然町並みも道も変わってしまっていたが、たまたま道で出会った通りがかりの人にこう尋ねたそうである。「五十年前のこれこれこういうところはどこら辺になるんでしょう?」まだ四十歳そこそこのその道を聞かれた人はこう答えてくれた。「私はわからないですが、祖母に聞いてあげますよ」通訳の人のその答えを聞いて、叔父は頭を下げて礼を言おうとした。その叔父を見て彼はにこやかに微笑みながらこう言ったという。「昔お住まいだったのですか、懐かしいでしょう。子供の頃住んでいたなら故郷も同じですしね、久々の帰郷なんですね。」その親切な人の家に案内してもらい、お祖母さんから大体の場所を教えてもらった後、お礼を言いながら日本土産の菓子を渡そうとした叔父にお祖母さんは言ったそうだ。「まぁ、日本のお菓子。子供の頃は・・・・」少し片言ながら日本語で思い出を話し始めたお祖母さんと叔父は一時間近くも話し込んだという。「お引き止めてしまいましたね」お祖母さんはそういうとここまで案内してくれたお孫さん(親切な人)に「ご案内してあげなさい、道など変わってしまってるから迷ったら大変」すでに助けていただいてるし、これ以上手間と面倒を掛けるわけには、と固辞しようとする叔父に、「故郷を訪ねてきた方を粗末になど出来ませんよ」とそのお祖母さんは優しく微笑んだという。ならせめてガイド料を、と食い下がる叔父に「いえいえ、古いお友達が久しぶりに帰ってきた時にお金を取るようなものはこの辺りにはいませんよ、ご遠慮なさらずに」叔父はその言葉にここは本当に第二の故郷なんだと思わず涙を流したという。「人情はぜんぜん変わっていなかった・・・」遠くを見るように語る叔父の目にうっすらと涙が浮いていたのは今でも記憶に残っている。叔父は死ぬ前の数時間、きっと美しい台湾の思い出の中にいたのだろう。その思い出が子供の頃の台湾だったのか、現代の台湾だったのかは誰にもわからないが、たとえどちらの思い出であっても叔父は安らかに、眠るように逝くことが出来たはずだ。私はこの話を叔父から聞いて以来、台湾に特別な感情を持っている。そこはかつて間違いなく日本人を受け入れ、そして今でも温かく迎えてくれる土地、そしてそういった心豊かな人たちの住む土地なのだと。叔父の好きだった台湾が平和のうちにあらんことを、かつてそこに住んだすべての人たちとともに祈る。叔父の魂が永遠に美しい思い出の中で眠れるように、日本がそう在れるように私はこれからも微力を尽くしながら生きていくことを、いまここに誓う。さようなら叔父さん。
Mar 4, 2005
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