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三森真人さんのブログ を読んで、私の中にあったあるものがはじけるような感じがした。 二十歳くらいの頃から成功本や精神世界の本を読みだした。実際は起業もしなかったし、何にもしなかったんだけど(笑) その頃から、「成功したい」や「成長したい」と強く思う様にになっていった。日常の出来事や、人間関係の難しさなど悩むことがあっても、ここを乗り越えたら成長できるとか考えていた。 数年前まで、何故かやたらと焦り、成長ばかり気にしていた時期もあった。成長したら達観できる。そして、悩むこともない・・・と思っていたけど、いつまでたってもそこ(達観)にたどり着かない。 ただ、最近、あれほどまでに成長とか、成功とか思っていたのに、体が付いていかない?というか、そのことを考えるとドーンと体が重くなるのを感じていた。成功本とか、そうゆう類の物にまったく興味が無くなってしまった。なんて表現したらいいかわからないけど、私は「自由」になりたがっていることが分かってきた。勿論、精神的な自由のことね。 そんな時、三森真人さんのブログ を読んでハッとした。自分の中の、言葉に出来ないモヤモヤがパーッと消えた。 自我の願望を実現しようとすることと、自分の"魂の願い"に正直に生きることは全く次元が違うと書かれている。 私は世間にでて、有名になるとか、稼ぐとか人に好かれてチヤホヤされるとかではなく、魂の願いのままに生きることを望んでいたことに気が付いたのです。 このことは既に体が知っていたようでした。 今日は誕生日でした。この日を目前に、素敵なことに気が付けました。
2012.03.31
数年前、ある書店内にある絵画を見ていた。その中でひときわ輝いていた絵があった。外国人女性画家の絵画だ。 パステル調で、幻想的。綺麗な色遣いで何とも言えないキラキラ感があり惹かれた。私好みだった。 すると、店員さんがすっと来て、 「この画家の絵はこちらにもあるんですよ」 と案内してくれた。見ると、確かに同じような絵のタッチ。描いている動物も同じ感じ。 でも・・・やっぱり初めに見た絵の方が好き。 そう店員さんに伝えると、 「そうですよね。この絵はこの画家が初めぐらいに描いた絵で、後に紹介した絵は、もう商業画家になって、売れることを目的とした絵なんです。」 と教えてくれた。パッと見は解らないが、オーラというのかな。画家自身が楽しんで描いた絵か、売れることを想定して描いた絵かで伝わるものが全然違う。 その外国人の女性画家が、自分の中から湧き出るものを夢中で描いている姿と、売れることを目的とし、自分の心の中を見ないで暗い表情で描いているような情景が、頭に浮かんで仕方が無かった。 創造性が感じられる絵と、感じられない絵。 〇〇しなければならない・・・というのは、人の創造性を埋もれさせてしまうのかな。「自分を世間に合わす」というのに違和感を持ち続けた私。それをしたことがあるからこそ、その苦しさが分かるし、世間にどんなに求められても、自分の本来の姿ややりたいことを押し込めても、その場や周りの関係者には良いのかもしれない。長いスパンで見ると、自分の中で失っていくものが沢山あると思う。世間ではなく、自分の感覚で進んでいくことは、未だ見ぬ自分の新しい可能性をどんどん生み出すことと思うなぁ。 これはそれぞれ自分にしかわからないことだと思うけどね。外側ばかり見ていたら自分の感覚には気づきにくいね。自分はこれが嫌だけど、でも・・・自分の好きにやったら周りが黙っていないし・・・と。頭と心が葛藤する状態。 だったら、自分の願いを通すには、どうしたらいいのかって考えたらいいね。自分だけが我慢をするなんてしなくてもいい。そんなことをしたら、我慢を強いている周りが「こうゆうもの」として捉えるだけだもん。争わなくてもいい。自分はこうしたいけど、どうかなって。それでも、「こうしろ!」って来るなら、自分が嫌なら、離れた方が自分の心と体の安定になるよね。 自分がどう見られているかとか、どうやったら世間受けするかとか考えるけど、自分の体の感覚とか、好きか嫌いかとか、どんな感情が出るのかをきちんと見つめていたら、本当はどうしたいのかが見える。余計なブレーキに気が付けば、進みやすくなる。 私の経験上、自分の本心からしたいように生きたら、その時点で幸せだと思う。 きっかけのタイミングは、天使にお願いしておけば、面白いように事が運ぶ。ホントだよ。
2012.03.19
最近ふと考える。 子どもの頃、母親がいなくて、ぬくもりが欲しくて、抱きしめてほしくても 叶わなかった。 悲しくて、切なくて、自信が持てなくて、怖くて、言い出せない自分を ぎゅっと守ってほしかったのに、大人たちは自分勝手で、自分とわが子を守ることに必死で 私の事を逆に攻撃してきて、辛くて毎晩泣いていた。 気持ちを聞いてほしくて、共感してほしくて、分かってほしくて 心の中であがくけど、叶わなかったあの時。 大人になって、結婚して、子供を産んで母になり、今。 あの頃私が切望していたものを、与えている。 母のぬくもり、気持ちの共感、何があっても守る力。 大人同士でも、子供同士でも、人間には巧妙さを持っている。 狡く立ち回り、何もしていない純粋な子に、非難の目が行くようなやり方を するのを見ることがある。 多くの経験の中、ちょっとしたことでも見逃さない力が付いた。 一人ボロボロの、誰にも守ってもらえない、きちんと気持ちを伝えることのできない あの時の私が切望していたぬくもりと力で、わが子を守り わが子が前向きに、伸び伸びと自分らしく、純粋さを失わないように成長する様を 誇らしく思う。 引っ越しの後片付けを手伝いに父の所に行き、帰り際、 車に乗り込み、ふと横を見ると、父がマンションのベランダで ニコニコして手を振っていた。 この時、これが父の私への愛の形なのかなと思った。 私が求めていた親の愛とは、守ってもらうことだった。 それが無いと、親から愛を受けているという感覚がなかった。 結局は思った以上のものはなかった。 本当に手がかからなかった私。 それでも、こうして「ありがとう」という微笑みで、 マンションのベランダから手を振ってくれる父が、 娘を見る愛情いっぱいの眼差しだった。 望むような形をもらえなかったけれど、 これが父の愛の形なんだなと、 ことばにはならない感覚を感じ、 未だ形を求めていた自分を再確認したと同時に、 もういいかなと手放す自分がいて 肩の力が抜けた。
2012.03.17
今日はひとりでラーメン屋さんに行きました。ホントは夫と行きたかったけど、忙しくて。美味しかったミニ炙りチャーシュー丼もセットで。 月曜から昨日まで風邪でダウン。あえて風邪薬も飲まず、栄養も取らないで過ごしました。いつもなら風邪のひき初めに対処するけど、今回の風邪で、体中に溜まった毒素を出せるんじゃないかって根拠なく感じたので・・・。 熱は37度くらいで、鼻水と鼻づまり、咳と喉の痛み。軽いかなと思っていたけど、思ったよりきつかった。眠っても夢見は悪いし(笑) 後から、野口整体の「風邪の効用」を思い出し、読むとその通りで、「風邪をひくことで、体の毒素をだし、病気を治す」とあった。本によると、栄養も取らないほうがいいとのこと。それでも昨日の夜、急に「肉」が食べたくなる。私にしては珍しい。魚ではない。肉!なのだ。急遽スーパーへ行き、ジンギスカン1キロ購入して、食べたら めっちゃうまーい 本当においしかった!体が求めているからこんなにおいしいのね! それで、今日の昼も・・・ガッツリ系が食べたくて、ミニラーメン&ミニ炙りチャーシュー丼セットを食べたのだ。 体調はすっかり元通り。 一人ラーメンでも、幸せ感じまくる(笑) いつもより体軽いかも!?いや、ホント。体が求めるものを食するのって、すごく幸せ。
2012.03.16
久しぶりに風邪ひいちゃった。 でもでも、そんなに嫌じゃない。 だって、風邪は本来体の中に溜まった毒素を排出してくれるんだって。 大病の前には風邪はひかないらしい。 だからこそ、風邪ひいてよかった(笑) 野口整体の「風邪の効用」って、なかなか面白い。風邪ひいて高熱(39度以上)を出すことで、がん細胞もやっつけるんだって。 鼻水ずるずる~(笑)すごい鼻声だけど、野菜ジュース飲みすぎて黄色くなった肌が(柑皮症)これをきっかけに元に戻れば・・・って期待している。
2012.03.12
腹を決める 腹を割る 腹をくくる などと聞くが、最近あることで丹田に意識を置くことがとても重要だということに気が付いた。 今の自分と、昔の自分。どこがどう違うんだろうと考えていた。 今の自分は昔の自分に比べて、相当強くなったと思う。 経験も積んだ分、自信もついて、声の発しかたも違うし、 人に説明するときや、何かを聞くとき、何か問題が発生したときの対処の仕方も 昔なら考えられない今の私がいる。 この違いは何だろうと考えた。 確かに経験からくる自信もある。 そのほかには??? 体の感覚・・・当時の殆どにおいて自信がなく、オドオドしていたころの自分と、 何があってもどんと来いという今の自分と、どこが違うのか。 体の感覚を感じてみた。 両方の感覚を思い出し感じてみると、 臍の下あたりに力が入っているのと、抜けているのがわかった。 丹田と言われるところだ。 子どものころから周囲に否定され続け、何をやっても駄目出しされた頃の体の感覚は、 胸辺りを中心として声をだしていた。エネルギーが胸のあたりにある状態。 考え方にも、自分自身にも「芯」が無い状態。 ある時から、周囲の私を否定する声に疑いを抱き、自分の感覚を信じてみようと思いだし、 自分を信じることを実践し、それが当たった時に小さな自信が生まれ、 次からはその小さな自信をもとに行動した。 その状態の時からは、いつの間にか下腹(丹田)に力が入っていた。 この頃からは人からの嫌がらせが無くなったり、嫌がらせしていた人物が 私に対してあまりものを言えなくなってきていた。 その事もさらに自分を信じるという自信につながってきたのだ。 ここで言う自信とは、根拠のないものでもいいと思う。 世間が認めるものじゃなくてもいいということだ。 面白いもので、人は普段、この丹田に力を入れたり、抜いたりしている。 どんな時かというと、 身近なところで言えば、ある女の子が学校では自分の発言を自由にできない。 何か言っても攻撃されるとする。 しかし、身内や、姉妹などには頭に来た時などはハッキリ言える。 誰にでも緊張する相手と、逆に話しやすい(言いやすい)人がいる。 緊張する相手に何かを訴えるとき、声はふらつき、胸のあたりからエネルギーが出ている状態。 しかし、これが弟や妹など、目下の人だと強く言える。 この時の丹田の状態を見ると、丹田のあたり(下腹のあたり)に力が入っている。 この状態の時に言い返されても、「なにっ!!」と言い返すことができる。 私が一人研究した結果、「よしっ!」と丹田に力が入った状態の時はONとして、 自分自身に芯が入った状態になる。 そうなると、オーラが変わる。雰囲気が変わる。 こうなると、人から攻撃を受けづらいようだ。 私の場合、自信のないころは丹田がふにゃふにゃだった。 何か言えば攻撃やバカにされることもあった。 ずっと思っていたことは、なぜ、攻撃される人と、されない人がいるのかという疑問。 でも、この観点から考えると、丹田に力が入っているか、否かの違いに分けられる。 以前、あるお医者さんの手記を読んだ。 小学校で苛められて、こんなレベルの学校にいるからいじめがあるんだ! レベルの高い中学に行けばいじめはないはず!と思い猛勉強して灘中に入学。 しかし、灘中にはもっともっと頭のいい人たちがいっぱいいる。 勉強する気がどんどん無くなり、成績も落ちていく。 すると、その灘中でもいじめグループがおり、壮絶ないじめを受けた。 ある時、東大に入って医者になりたい!と思い、その時から猛勉強を始めた。 不思議なことに、その時からいじめはパッタリなくなった。 というものだった。 私は、いじめられる前といじめがなくなるこの違いに注目した。 なぜ???自信???? きっと、東大に入って医者になるという大きな目標は、 その人のスイッチをONにしたのだと思う。 すなわち、下腹に力が入った状態だと思う。 この状態は、その人の雰囲気を芯のある雰囲気に変える。 それでいじめられることが無くなったのだろうと思う。 下腹に力を込めることをしてみてほしい。 すると、自分自身に芯が入ったような感覚になる。 「負けない!」と思いながら下腹に力を入れると、自分が強くなったように 雰囲気が変わるのが分かる。 娘に実験してもらった。 学校で、いたずらという小さな嫌がらせを受けることがあり、 「やめてよぅ」と言っても、相手は強気になってガンガン睨んでくることがあった。 ためしに下腹に力を入れると、自信のような力が出て、 自分が強くなったという。 そうなると、嫌がらせをしてくる子は、急におべっかを使いだしたという。 他の子の前でもやってみたら、いつもなら攻撃してくる人も、一切攻撃してこなかったという。 下腹に力を入れている時は、自分自身がものすごくしっかりして、自信がみなぎるのだ。 そして、その経験がまた自信になる。 思い出してみてほしい。 大事な話し合いや、大事なとき、自信を持って何かに挑まないといけないときは 無意識に下腹に力が入っている。 そして、そのようなときは攻撃されることは少ない。 たとえ攻撃されても、バンと跳ね返すほどの力が出る。 どの人も、皆無意識に使っている力。 攻撃される人と、されづらい人。何が違うのか?考え方?といつも頭をひねっていたが 今の所この下腹説(笑)が有力だと思う。 しかし、この下腹の力。これも使いようで、私はある時から自分に自信が付いたのは良いが、 「攻撃されないように、舐められないように」と考えて、使わなくていいときに 無意識に出していた(笑) 初対面の人に会うときとかね(笑) だからある時期から怖がられたんだ~!って今になっておかしく、反省(笑) これも使いようなのね~
2012.03.09
わぁ!びっくり。 今日でこのブログを開設して、1999日だって! もう6年も経つんだなぁ~ 初めてよかった(*^_^*) これからも宜しくお願いします。 明日で2000日目になります♪
2012.03.08
女性は特に、身近な人(同性)と自分を比べて幸不幸を決める傾向があるという話を聞いた。 身近な人と自分を比較して、自分が劣ったら「不幸」、自分の方が恵まれていたら「幸せ」と感じるという。 この話は、今話題の女性お笑いコンビのことをテレビで流れていたときに、コメンテーターが心理学を用いてコメントしたものだった。 なるほど!と思った。コンビの片方が結婚し出産。誰が見ても幸せそう。もう片方が失恋。それがきっかけで占い師の元へ行き、付け込まれてマインドコントロールされて・・・。身近な人が幸せだと、必然的に自分が不幸という構図が出来上がるなんて・・・。 この話はホント一瞬さらりと言っただけだったけど、これまでの自分の友人関係が、親しくなって暫くしたら相手が嫌味や酷いことを言うようになる理由が分かった気がした。嫉妬だったのね…。 私は自分で言うけど前向き。どんなに状況がひどくても、ここをどのようにしたら切り抜けられるかということをいつも考えている。自分の生活のここが不幸だという認識があった時点で、すぐに対策して動く。それに関する本を読んで調べたり、ネットで調べたりととにかく動く。しあわせそうな人を見ると、観察させてもらい、「いいな~私もああなりたいな~」と思ったら、即行動。夫婦仲が良く、幸せいっぱいの人を、自分に重ねた。現在の自分とどこが違うのかを認識し、調べ、どうしたらあんな風になるのかをとことん実践。 思ったことは、全て叶えて来ました。夫婦仲は、増々よくなっています。10年前には考えられなかった、「語り合い」を今沢山している。 私、親しかった人には一緒に幸せになってほしくて、ノウハウを語ったなぁ。 でもね、そう簡単には聞いてくれないんだ。まるで、被害者意識にどっぷりと浸っていたいの??と思うほど。まあ、確かに、現状を変えるというのは大変かもしれない。でも、私は現状を変えるために、相手の心理というものも勉強した。旦那さんが冷たければ、その原因があるかもしれないし、もしくは、こちらから先にニコニコしたり、甘えたり、立てる必要性も痛感。男の人も大変なんだなーって、相手の立場になって笑顔で出迎えたりすることも大事なんだよね。 ま、これは本当に改善したいと思った人しか聞き入れないのかな。 自慢するつもりではなく、楽しいことがあったら、「楽しかったんだよ~」ってよく言ってた。嬉しいことがあったら、「嬉しかったの」って言った。相手の嬉しい話も聞くのも好きだった。幸せだねーって言い合うのっていいなと思ったんだけどね。 冒頭の「身近な人と比較して自分の幸不幸を決める」というのを聞いて驚くのと同時に、仲の良かった人が嫌味や傷つくことを言ったり、またある人は、知らないところでうわさを流していたりしていたということの理由が分かった。 ホント、私ずれていたね(笑)一緒に幸せになりたかったんだけどね。私たち、しあわせだねーって言い合いたかったのにな。その為ならいくらでも力を貸そうと思っていたんだよね。 それなのに、突然の嫌味や噂の流布。すごく傷ついたんだ。訳が分からなくて、人に相談したら、「悪口言ってたよ」って告げ口された事もあったなぁ。 ひょんなことから、テレビで一瞬、たったの一言がこれまでの理由を教えてくれた。私はこれらの人の心を、結果逆なでしたのかもしれない。でも、私はそんなつもりなかったし、今となっては「合わなかった」と思うんだ。 こんな感じの自分を責めるつもりもないし、友人を選ぶ指針もハッキリと分かった。今、知ることだったんだね^^
2012.03.06
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