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今日開いたページに書いてあった言葉。すごいなぁ。その通りかも。 「親愛なる友よ、私の声が聞こえますか? 与えたいという意欲が全ての恩恵の扉を開きます。なぜならそれは愛の選択だから。あなたが人生で得ていないと思っていることは何ですか?実はそれは周りから与えてもらうのではなく、あなたが与えるものだったのです。あなたが100%与えて生きた時、ずっと求めていたものが心から受け取れるようになるでしょう。 私はいつもあなたと共にあります。」 私が子供の頃から渇望していたもの。 共感、愛情、保護、ハグ、安心感、おしゃれ、美味しいものを食べる・・・・・etc これって、子供の頃ほとんど両親から与えられることが無かった。 でも、今、与えているなぁ。改めて考えると、なんか不思議。だって、私にはモデルになる人物がいなかったから。 ただ、自分が子供の頃こうしてほしかったという気持ちから、子供の心に共感できる。そこからの行動をしているだけ。
2012.10.26
今日は病院に行ってきた。数年前、診断された結果にとてもショックを受けて、その後、何年も病院に行けなかった。怖くて、怖くて・・・。病院の先生に、また来るように言われていたのに、4年くらい行かなかった。 ず~っと怖かった。もしかして、ガンになっていたらどうしよう。もっと酷いことになっていたらどうしよう…って思うと、病院に行けなかった。 手術とかしなくても、自然治癒しないかなとレイキとかしてみた。良くなったとかは検査していなかったからわからなかった。 あれから4年たって、今日近くの病院に行った。高鳴る鼓動。悪くなっていたらどうしよう・・・震える思いだった。 結果は、4年前に診断されていた場所の筋腫が無くなっていた。4年前、かなり大きいと言われていたけど、無くなっていた。その代り、違う場所に出来ていた。でも、そんなに大きくないサイズ。 ついでにがん検診もやった。CMとか見るたびに、もしガンだったら・・・って恐怖だった。 今日はきちんと向き合うぞ!と勇気を出して行った。ちゃんと検診も受けたし、あ~、一安心。 昨日は夫とかなり激しい口げんかをした。落ち込んでいたけど、どうゆうわけか病院に行ってちゃんと検査しようという気持ちになれた。でも、この件がきっかけで仲直りできた。改めて、家族のありがたみとか、これまでの夫の優しさとかが病院の待合室で浮かんできた。 家に帰ってきて、夕飯作って、夫がいつもよりも早く帰ってきて、美味しいねって言いながらみんなでご飯食べて。 自分のわがままな部分も、これまで納得いかなかった部分も、口げんかで昇華できた感じ。 なんか、幸せだなぁ・・・って、当たり前だったことに、すごく幸せを感じた。
2012.10.22
自分で自分を守るっていうのかな。 自分に対する批判の嵐の中、小さくなって、批判や避難に素直に応じ、自分の欠点を自ら探すようにして、自分の中から湧き出るものでさえ否定するように小さく包まって震えているとき、自分に自信を持たなくちゃ・・・!持たなくちゃ・・・・、ってよく思ったものだ。 そんな時は自然に本を探していた。ひたすら本を読んでいた気がする。子供が小さく、まだ本当に手がかかる中、子供を寝かしつけながら、家事の合間、色んな合間を見て、本を読んだ。読み漁った。 なぜ、本を読んでいたのか。それは、本の中に、自分と同じ考えがあるのではないかと無意識に思い、捜していたのだ。 でも、自分と同じ考えの本にはそうそう巡り会わない。だから、出かけたらいつも書店によった。新聞の本の新刊の紹介を読み漁った。 喜びを感じるときは、自分の考えと同じことが載っていたとき。その時は、自分が肯定されたかのように嬉しかった! 今思えば、どんな状況の私でも、無意識に自分と同意見を探していたという事は、はじめから自分の意見や考えがあったという事だったんだよね。当時はそう認識していなかったけど。 時が経ち、自分を少しずつ信じだして、立ち上がった。批判否定に対して、自分の意見を相手に伝えることができるようになったとき、相手の態度が変わる、もしくは、人によっては私の元からいなくなった。 ケチョンケチョンに言われて、傷ついて、あざ笑うように否定され、ボロボロになって、それから本を読み漁り、傷が回復すると同時に、自信をつけると、自分を守ることができるようになった。 まるでお試しのように、その頃に娘が学校で嫌がらせを受け、学校や、向こうの親と話すきっかけがあった。その時に、娘の立場に立って、向こうの言い訳に屈することなく話せた。 それらの事がもっと自信につながった。やはり、自分を守れるようにならなければ、変わらないと思う。 世間の風は容赦ない。しかし、その体験も、私を大きくする貴重な体験だったなぁと思うんだ。
2012.10.21
最近になって、テレビで自分そっくりな人を見た。どうしてもしたいと思ってした親切が、私と同じように、心ない人に酷く思われたり、利用されたり、言いくるめられて、自分が悪いと思う様になっていたり。 でも、でも、非常識って言われるのかもしれないけどぉぉ、こうしたいのよぉぉぉ!っていう思いまで一緒。 そして、心ない人に悪く言われて。 そんな自分をいつも責めてきた。 でも改めて、まるで自分と同じような人を見て、ほら、やっぱり、私は悪くないんだよ、と思った。親切心でやったことを悪く取られていたという事もわかったし、その言葉を真に受けて、自分を責めてきたことも改めて分かった。 そして先日。ある式典が終わり、講演会を聞いた。本当は聞かずに帰ろうかと思ったけど、「この人の講演会すごくおもしろいらしいよ」と初対面の人に言われ、講演を聞くことにした。 すごかった!ずっと私が思っていたことを話していた。 「はじめから諦めて生まれてきた子供など一人もいない、皆、諦めさせられたんだ。そして、諦めた人は、希望を持つ人の足を引っ張ったり、諦めさせるように仕向けたりする。そうしていじめは始まっていく・・・」とも。 そのほかにも沢山沢山の素敵な言葉があった。個性って大事なんだな。夢をもっている自分っていいな。好きを仕事にするのって素晴らしいなって、色んな物が広がった。 自分そっくりな人や、自分がずっと感じて思ってきたことを講演会で聞いて、なんだか、見えない存在や、いろんな存在から 「そのままでオッケーなんだよ!正しいんだよ!」 って言われた様だった。 私にとっては奇跡みたいなことだったよ。 これからも個性をどんどん出して、独自性を出していくよ♪私にしかできないこと。どんどん見つけていきたい。
2012.10.19
最近涼しく、いや、寒くなってきましたぁ。 今週の天気予報には、雪のマークもちらほら見え始めました。 日曜日に家族で紅葉を見に行こう!という事で、高速を使って層雲峡に行ってきました。 いつもなら、この時期、紅葉真っ盛り!のはずなのですが、今年は10月に入っても20度台の気温続き、暖かかったせいもあって紅葉が例年よりも遅いのです。 北海道の中でも層雲峡が真っ先に紅葉が始まるけど、まだ始まったばかり・・・という感じでした。 でも寒かったぁ!層雲峡の気温11度。 写真は層雲峡の「流星の滝」です。たしかに、ここから見たら、「流星」だね☆ そのすぐ隣には、「銀河の滝」があり、「銀河の滝」の看板の下のほうには、川が流れています。 川のすぐそばに行き、銀河の滝を眺めようとみると、写真下の中央の、倒木のあたりに真っ先に気をとられた!! ここ、見ているだけですごく気持ちが良い!!!何かが見えるわけではないけど、何かがいる!!妖精?精霊?なになに???~って感じ! なんていうか、下腹部、チャクラで言えば、第一と第二チャクラのあたりがめっちゃ気持ちが良くて、もちろんそれ以外も気持ちが良い!胸のあたりもめっちゃ気持ちよくって、最高! 倒木のあたりは苔生していて、何とも言えない幻想的な雰囲気。 夫のカメラでズームしたけど、だめだ!写真ではこの感覚が伝わらない!近くに行かないとだめかも。でも、流れの強い川もあるし、なんというか、これ以上近づいてはならないような感じも受ける。 他の人は全く気が付いていない様子。それで、子供たちに聞いてみた。 やっぱり子供たちも私と同じ感想だった♪息子に聞いてみた。「何か見えるって訳ではないけど、すごいオーラを感じる!」だって私もワクワクするような、とっても素敵なものを感じた! 私これまでいろんなパワースポットと呼ばれる場所に行ったけどね、ここは凄いわ。しかも、調べてもここの凄さは何処にも載っていないの。 きっと私に合っている場所なのかもしれない。目には見えないんだけどね、感覚的に、その倒木のあたりに暮らしている妖精さん?が、私に手を振ってくれたような、「よく来たね!」って言ってくれているような、懐かしい感覚。 コロポックルかなぁ。とても古くからいるような感じを受けたよ~。テンションが上がりました~♪
2012.10.17
昨日クローゼットの整理をしていると走り書きがたくさん書いてある紙が出てきた。 まだ子供が小さかった頃、私が家の事やいろんなことでたくさん悩んでいたころにある人と電話をしていて、その時にメモったものだ。まだ私が30歳くらいだったな。 その中に、 「依存と導きは違う」 とあった。 懐かしいな。その人からよく聞いた言葉だったけど、当時は意味をちゃんと分かっていなかったな。 今になって見て、ようやくこの意味が解る。 そして、 「トラウマを癒しながら進まないと進めない」 「100%自分をわかってくれる人はいない。自分の出したものに責任をとる」 「人に左右されるな。自分の感じたとおりやってゆけ」 「内容に囚われるな。大きな目で見ること」 「濃すぎる情を薄めていく → 切り離すと不調和。愛は暖かさ」 「関わりを持つことは、意外な展開が起きて学ぶ」 などなど。 やはり、一番目についたのは「依存と導きは違う」だ。あれから10年経って、今必要な言葉だったんだね。すごく実感できる。依存と導きは似て非なるものだ。 そして、「濃すぎる情を薄めていく→切り離すと不調和」確かに・・・。切り離すと不調和が生じるかも・・・ね。でもでも、そうするしかなかったんだもん!って思いながら読んでいた。 息子の部屋のクローゼットには、家族のものとか沢山入れていた。これまで何も言わなかった息子が、いきなり「クローゼット使いたいから、何とかしてほしい」って言うから、昨日の夕方から片付けだし、10年前のメモ紙が出てきたのでした。 当時電話で話した女性は、知人の紹介で出会った人。日常で起こる出来事を、いろんな角度や観点で観て、そこから学びとれることを解読する人だった。この人にいつも解決の糸口を求めるように電話していたのだ。 当時、夫や姑などの人間関係が本当に大変で、それに、息子の最重症アトピーで、親子で寝不足とアレルギーのための食事制限で親子でフラフラだったんだよね。 姑の意地悪が尋常じゃなくて、頭おかしくなりそうだったし、(昭和のドラマ以上)引っ越してきたばかりで、友人もいなくて、子供を預かってくれる人もいなくて、夫は毎晩仕事や飲み会で深夜帰宅だし、家事育児には全く取り合ってくれないし、3歳と0歳の子供抱えて、ホント、フラフラだった。 夫の心ない言葉や暴力、経済制裁、そこに姑からの奈落に突き落とすような言葉の電話や(ほぼ毎日)、まさに私をいじめて楽しんでいる姑のあの目、何も見ない、聞こうともしない、何もなかったことにしようとする舅。 これは一体何のためにあるのか!この学びは何!?必死で考えたよ。 でもね、どんなに考えても、辛すぎる仕打ちは収まらなくて、結果的には姑にこれまでされたことをぶちまけた。頭で考えるんじゃなくて、行動に起こしたの。 姑はあんなに善人ぶっていた人だったのに、いざ私が言うと、笑ってバカにした。「あははは。わたしがぁ!?」って。目の奥は「ヤバイ」って顔して。だから、「私はもうここには来ません。」って宣言したの。夫や舅の前でね。 夫は面白いことに、この日から徐々に変わった。姑の後ろ盾がないので、私の言う事をちゃんと聞くしかなかった夫。こうされたら嫌。こう言われて傷ついた。こうゆうことはしないでほしい。ちゃんと伝え、二度と!!暴力は振るわないと固く約束させた。 私は子供の頃から親に暴力を受けてきた。特に中学生になってから、父親と二人で住むようになって、目にあざを作って学校に行くこともあった。父の怒号や暴力の原因は、片づけていないという程度の些細なこと。私の片付けの不出来を理由にした暴力。ストレス解消なのは子供心に分かるものだ。 私にはきっと、 <気に入らないことがあったら殴っても良いですよ、私が悪いので仕方ないですから> という目に見えない張り紙を掲げていたのだ。 夫に父と同じように暴力を受けて、青く腫れあがった目で恥ずかしさで人目を避けた時、初めて怒りが湧いてきた。 「なんで私がこんな目に!?もう、二度と!金輪際私に暴力をふるう奴は許さない!指一本でも暴力をふるった時点で別れる!!」 泣きながら夫に叫んだ。 そして、目に見えない張り紙を破り捨てるように、暴力は二度とさせないと自分にも誓った。 あの日以来、二度と暴力は振るわれることはない。むしろもっともーっと大切にされるようになった。自分を大切にすると、人からも大切にされる。自分をないがしろにすると、人からもないがしろにされる。そんなことを実体験で学んだ。 当時、神も仏もあるものか!という心境になった。自分の中にあるがんじがらめの常識や、こうしちゃいけない、あれをしちゃいけないというものをぶち破った。 今、心底満足とまではいかないけど、自分の中の張り紙を見つけては、破っている。わがままとか、自己中って言葉があるけど、本当に自分のしたいように、自分に無理を強いていかなければ、道はどんどん開けると思っている。 我慢が事を悪くした。常識に縛られることで、身動きが取れず、周りが変わってくれることを願った。 念じることも大事だけど、行動が大切だった。今になって思うのは、幸せになるために、自分を偽ってはいけない。 自分をいじめるような変な人間からは、自分から遠ざかったことが、結果として幸せになった。 神も仏もあるものか!と思って、思うとおりに生きて、自分を大切にして、結果として今、これを学んだんだなって思う。孫悟空のように、お釈迦様の手の中だった。 そして、誰かに依存して助けてもらおうなんていうのは、まずうまくいかないと思う。自分から行動を起こさないとね。自分の感じたとおりに。自分を偽ったらいけない。 背中を押してもらおうなんて、甘いよ。そんなことしていたら、何十年たっても、ずっと同じ場所にいることになる。淀んでもっと重くなる。 「依存と導きは違う」 本当にそうだと思う。依存するのか、導きを得て自分で進もうとするのか。似て非なるものだ。
2012.10.12
印象的な夢を見た。 私は娘と韓国の伝統を学ぶ教室みたいなところにいる。そこでは、二つの教室に別れており、それぞれ違う内容。 授業が終わり、もう一つの教室に行くと、厳しい授業風景。私はそれを見て、「ここは恨(ハン)だね」と言っている。 そして、「私は今まで辛(シン)だったんだ!」と気づく。 少しすると、先生らしき女性が来て私に、「あなたは今日から喜(キ)です!」と言われる。 場面が変わり、私は人から殻をむいた銀杏をもらい、二つ食べた。 と、ここまでが夢。またまた起きる直前に見た夢。この夢、妙に理解できる。 「私はこれまで辛(シン)だった!」・・・というのは、これまでの人生のこと。まぁ、辛い人生だったという事。 そして、先生らしき人が来て、「あなたは今日から喜(キ)です!」と言われたのは、今後の人生は喜(キ)ということ。喜びの多い人生ということ。 そして、場面変わって銀杏の殻を割って食べるのは、調べると、 ・エネルギーが高まる、・健康運が上昇 とのこと。 実は体に関しては何年も気になっていたんだけど、以前赤い龍の夢を見て以来、過去の嫌がらせされたこととか、気持ち的にしがみついていたことが、スッと手放せた。もう過去の事はいいかなって、自然に思えるようになった。 その後も夢のお告げと同時にいろんな気持ちの変化がやってきて、ずっとこれを待っていたのよっていう感じで、自分自身がどんどん軽くなった。体や気持ちが軽く解放されたという事は、必然的に体にも結び付く。恐らく、銀杏を食べた、それも二つも、というのはこのことに繋がるのだと思う。 昨日は学校が休みだった子供たちと、北海道神宮に行った。参拝すると、白龍のBさんが声だけの登場。確か、これからは楽しんで頑張れ・・・みたいな内容。あんまり覚えていないケド。 そして、神様の前で、 「今後は、自分から溢れた分の光?愛?を人に与えるというか、振りまきます。でも、自分のエネルギーを無理してまで人に与えるという事は、やめます。」 と宣言してきた。 皆自己責任で生きているわけだし、自分を輝かせて生きたいね
2012.10.09
ちょっと独り言。人にあった瞬間、その人から一瞬にして感じることができるもの、なんていうか、人によって、自分の体が反応する。胃のあたりがウッと苦しくなるとか、胸のあたりがウッと苦しくなるとか。全く苦しいとかないけど、押し付けがましいようなものを感じたり。それはほんの一瞬感じるもの。大体において、その人に対する体の反応は変わらない。実は、これこそがその人の波動だった。どんなに取り繕っても、誤魔化せないもの。この感覚を翻訳するように感じてみると、ある人は自分がどう見られるのかとかが極端に怖くて、見たくなくて、押し付けてくるエネルギーだったり(ちょっと分かりづらいかな?)ある人はいつも批判的だったり、チェックするような、悪いところを探すエネルギーだったりする。ずっとこれは、私自身が勝手に反応しているものだと思っていた。でも、一人ひとり反応が異なっていることを発見。改めて見ると、心が軽い人って少ないのね。あ、自分のことはわからない(笑)娘の友達のインディゴブルーのオーラの子は、めっちゃ軽くて素敵なエネルギー。一緒にいるだけで心が軽くなる。いつも目を合わせてくれたり、ニコッと微笑んでくれたり、自分からこちらによって来てくれる。芯のある、透き通る波動。思えば私のこの反応は子供の頃からあったよ。全部自分が勝手に思っているから起こる反応かと思っていた。でも違うんだなー。これがわかると、人の言葉に惑わされることが殆ど無くなるかも。
2012.10.07
午前中。大体の朝の仕事が終わり、座ってウトウト・・・としていた。 夢なのか、ん・・・多分・・・夢? すっごくリアルなんだけど、自分のひたいくらいの高さにキラキラ光る綺麗な銀色のパイプがあって、その先端からプシュー!!!って空気?ガス?が出た。 慌ててパイプの先端を触ったら、その空気が額にブワッって掛かった。 額に空気が当たる感覚でビックリして目が覚めた。 すごくリアルだったよ。今でもあの感覚、残っている。 なんだったんだろう・・・?????
2012.10.03
今日、私の中の何かが吹っ切れた。 たまにしか電話しない位の人なんだけど、 電話がかかってきた。 いろいろ話すうちに(ちょっと真剣な話)、 <あれ!?私かなり恥ずかしいかも~> という感じになった。 <どうしよう、なんて話したらいいんだろう!> となった時、 <カッコつけなくてもいいや!> と言う気持ちになった。 <そのままの自分を出そう!> そう決めたら、どんどん言葉が出てくる。 自分らしい、裏表のない言葉が。 話しながら内心、私って自分をオープンに話したら、 こんなに楽しげなんだぁ!って思った。 同時に、今まで如何に人に対して構えていたかが解った。 上から話すっていうか、心に壁を作っていたんだなぁ。 そんなことが実感出来た。初めての心境。 自分が恥ずかしいからって、何をどう取り繕っても仕方がない状態だった。 むしろ悪あがきにしかならない。 そんな状況の中、開き直ったんだよね。 私こんなに人に構えずに話したことあったっけ???っていうくらい オープンな自分。 何のかっこも付けていない、 構えていない、 素の自分。 初めての経験。 あ、これでいいんだ。これが私なんだ...。 はじめて感じた「私」。 これまで何人かに 「いつもなんか構えているよね」 みたいなことを言われたことあるけど、 このことだったのかな。 自分の自然体っていうのがずっと解らなかった。 今日、それがつかめた気がした。 一見大変な出来事でも、ちゃんとこうしてご褒美っていうか、 意味があるんだなぁと、見えない存在に感謝の気持ちが自然に湧いてきた。 そう思え、電話が終わった数時間後から妙に体が軽くなり、 自分の何かを見つけた気がした。 これからはこれで行こう!と思った。 自分のスタイルっていうのかな。 なにか大きなものが、ちょっとしたハプニングのお蔭で解ったのでした。 (もしかすると先日見た夢の、赤い龍が私の背中でスパークするっていうのは、 このことだったのかもしれない。)
2012.10.01
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