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昨日、年間委託されている「日野川河川パトロール」を実施して今日は午前中かかってそのレポートを仕上げて当局に報告しておきました午後からはJA組合員宅に文書配布でした、この大晦日になって・・・と苦情をいわれたが昨日になってJAが我が家にドッと持ち込むんだから仕方がなかったどこの宅でもお正月準備に忙しかった、すす払い、水拭き、門松飾り、庭掃除、「そこに置いといてください!」なんていう声も・・・・午後からみぞれ交じりの雪となった。山地では降雪となって「車は冬タイヤを装着せよ・・・」とさかんにラジオが注意を呼びかけているここ2,3年元旦は穏かな天候で初日も拝まれたがどうもこの度は無理のようであり3日までとなっている恒例の民族の大移動も天候悪化でスムースに行われていないらしい帰省を急ぐ人々の無事無事を願うばかりであるみなさん、どうぞ良いお正月をお迎え下さいませ来年も「DAy By Day」よろしくお願いいたします
2008/12/31
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29日餅はつくな 当地の昔からの習慣である。縁起が悪いとのことで毎年28、30日に正月餅をつくことにしている恒例の年中行事で早朝から娘夫婦が手伝いに来てくれて大助かりで餅つき作業は全員で手際よく行い6升の餅つきを終えた午後からは1.2kgの手打ちソバ打ちである早めに正月気分になったようであり、賑やかな年の瀬行事であった昭和時代まで我が家では餅つきは杵餅をついた作業場は当然屋外となる。臨時の焚場を設け赤々とを炊き臼にはしめ縄を巻いて約1斗の餅を突き上げた父はどういう訳かこういった力仕事は私に任せ(高校生頃から)自分はこね手の方に廻って「ああだ、こうだ」と指図ばかりしたことを思い出す。やっと餅がなくなると今度は「旧正月」でまた餅つきであったし、3月の節句にも餅つきで祝った。親戚、近所の祝い事はたいてい「餅と酒」でセットのお祝いであった。近年はこの風習も簡素化され稲作はもち米を栽培しなくなった。コンバイン(大型稲刈機)の導入では細かい部分まで掃除が不可能なのだ。少しでもうるち米が混入していたら良いお餅がつき上がらないし、見た目が悪くてお祝品にはならないので餅米は購入することにしている家庭もザラである。ソバ打ちの間は私は神棚のしめ縄飾りに専念することが出来て大いに能率が上がりました。この白い短冊(中折)のようなもの(ヘイと言うそうです)がなかなか思い出せなく汗だくであったしめ縄飾りはまだ明日も続きます。
2008/12/28
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終日寒くて小雨模様の肌寒い一日であった先日のPC大掃除でWIN98デスクトップを作業室に持ち込んだBLOGを書きました・・・・時々98、SXを同じソフトで比較する事もあるので表示部は共通として98、SXの切換器を作ってみました回路はいたって簡単です、8つの信号線を切り替えてやればいいことが解かりました残念ながら手動で一気に8つの信号線を切換する事は無理であるので継電器を使用することとしたいつの頃かオークションで購入しておいた継電器ジャンク品が役に立つこととなった収容ケースは100キンです一昔はアルミシャシーケースを加工して取り付けたがこの方が絶縁性もいいし作業も断然やり易いし、失敗したらまた購入すればいいから楽しいことだ。ハンダ付けを主とする小さな手作業なので手は振るえてなかなか思うようにはなりませんでした(笑)黒い物体はDC12V直流電源で電気工作実験用として常用しているものでこれから制御電源を取り入れることとしました継電器(2個)が組み込まれていることがお解りかと思います、これが完成品です98、SXの青いジャック(入力)2つがそれぞれ98、SXのDisplay端子に接続します上面の白いジャック(出力)をDisplay(表示部)に接続します、この操作スイッチは右側に写っています。これを必要に応じて操作することとなります<回路写真>注意する事はなんのこともありません、誤配線をしないことだけですこの切換器は普段は作業台の中段にでも突っ込んでおきます。電気回路は何でもそうなんですがヒューズは絶対必要です、回路保護と火災予防のためですそれでも材料購入、回路組み立てとで2日はかかりましたその昔、これに類した切換器を使用した事がありましたがとっくの昔に廃品として処分したのを思い出して悔しく思っています。実験の結果、TEST良好でした正月準備をしなければならないのに現役に返った気分であった外は終日小雨模様でどうにもこうにもならない一日であった。
2008/12/23
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いつのまにか師走も10日ほどとなってしまいました。今年もドイツの級友からX-MASカードが届きました。さて、二日間続いた師走のシニアネットは「年賀状の裏面」の作成でみなさん没頭中だった年賀状ソフトは数あるけれども「筆王」でお勉強をしています他の賀状ソフトに比し容量も多いし内容が豊富ですね。豊富が故に厄介な事もありますね。こちらもタップリと勉強をさせていただきました長年続けると上達の早い人そうでない人が出来るのはどんな分野でも同じですねですから、午前中は自習、午後は同じテーマで計画をたてていますしたがって、午前中のほうが短時間でも熱が入りますね、質問する方も学習してきての勉強ですから当方もタジタジです悪戦苦闘、なんとか裏面のデザインが出来上がって後は印刷するだけとなったようですわたしのPCは本日大掃除しました恥ずかしながらデスクトップWIN98、XP アマチュア無線移動運用のノートのWIN98se、2000,そしていま使用しているWINxp で家庭内LAN構成を組んでデータをLAN-DISKに入れて各PCからデータを共用するようにしていますがイマイチ軌道に乗っていないようですWin98は使用しないのにまだ所有しています。メモリ、HD増設と表示部の液晶更改等けっこう投資したしたので捨てがたいですね。無料のセキュリティイを入れて使用しています。久し振りに大掃除して部屋がきれいになりました。たくさんの「ワタボコ」だらけでよくまあこんなところでPCをしていたなあと思いますね。今日の成果はPC大掃除大作戦でした(笑)
2008/12/18
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河川愛護モニターになって半年が過ぎました。半年になったので「打ち合わせ会」が催されました事務所は河川の下流の堤防の上に建てられており、暖かいとはいえ川風が吹き上げてさすがに師走の風は寒かった(といっても屋外で打合せをしたわけではありません)河川管理事務所から5人の担当とモニター4人との懇談でした複数のモニターでご一緒の河川PTなら相談しながら楽しく巡回出来るのだがなにせ一人でやってきたのでモニタの皆さんは横の連絡網がなく暗中模索で皆さんどんなレポートを毎月提出されておられるのやら興味がありましたモニター側からの質問が多数出されました、レポート内容そのものよりも1・ **で工事中であるが何の工事ですか?2・ **の水門はどのような役目をしているのですか?3・ 日野川の源流は何処からですか?4・ 1,2級河川の管轄、維持管理はどこが行うのか?といった意見が多く、勉強会的な要素が多かったようです当局として我々に望むことは「人と河川のかかわりについてレポートを期待しています」ということだったどういうことかと問えば「巡回PT区域でどんな人が何処で何をされていたのか」ということらしい突っ込んでお話を聞けばもっと、もっと川とのかかわりを持って川を利用して欲しいということらしい河川とは飲料水、工業用水の水源となるのは勿論、大雨での水害防止、水田用水の安定確保、ダムの効用等 多面的な重要が役割を持っているのだが、それだけでは勿体無い、もっと人と川との付き合いを持って欲しいということであった。その目的で河川敷のスポーツ広場等の建設なんかはその例であろうか昭和30年以前は台風襲来で必ずといっていいほど堤防決壊で苦い経験を持つ我が国は国家の総力を挙げて治山治水事業に取り組んだ、河川改修、堤防改修、ダムの建設等がこれに充る河川の川幅が拡幅されて洪水、堤防決壊が激減したのは歓迎すべきことだけど河川敷で植物、雑草、雑木が生茂りジャングル化しているのは問題であるという事も提言しておいたこれにはどうも上流のダムの堰止めで洪水調整がなされているがゆえにこのようになってしまったかと思えば、この日野川の場合は全流水の1/10の貯水量しかないのだそうだ。だから一概にダムのせいでもなさそうであるかといって年間降水量はここ数十年変化がないらしいなかなか不明なことも多く川が蘇っても生物が棲めない環境であるということも知った次第であった。※ 日野川河川事務所HP
2008/12/11
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3,4日とJA企画「高知城と龍馬をめぐる」バスツアーに出かけてきました山陰と高知は高速が開通していますので日帰り可能地域です行きは宇高連絡線航路のフェリーで四国に渡りました。船旅は楽しかったですね桂浜、高知城は過去数度行っていますが「龍馬記念館」は初めてでした龍馬のたくさんの資料に触れてみましたがなにせツアーですのじっくり読むことが出来なかったのは残念でした彼はなかなかの文筆家でもあって盛んに手紙を書いていますね寺田屋事件後負傷した竜馬はお良と一緒に霧島温泉へ湯治に行き楽しい期間を過した数日が画入りで入念に書かれてありました大政奉還が行われ、彼は伏見の近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されるのです今井信郎説が有力説ですがそうともいえません、当時の世は混沌としていましたから「薩長軍事同盟」を仲介せしめ・・・幕府政権返上、天皇中心の大名会議が権力を持つ統一国家思想(船中八策)をねり山内容堂を説き手品(としか言いようのない)「大政奉還」を成功させましたそれだけ味方も敵も多かったと思います。また彼は新政府の要人になどなる気はサラサラ無かったそうですね「世界の海援隊でもするさ!」この一言でも彼の偉大さを感じます司馬遼太郎氏は「天は彼を必要としたとき現世に行かせ維新回天の偉業が達せられた時再び天に戻した」との寸評が記されてており感動しました当時小説「龍馬が行く」を読んだ者として感慨が深いものがあります。その夜は楽しい「よさこい踊りを」楽しみ、翌日は潮江天満宮、高知城、五台山竹林寺見学し二日とも汗ばむ天候で遠山燃える如く四国の紅葉は今盛りでした2010年の大河ドラマは再度(昭和42年以来と思いますが・・)主役で登場する「龍馬伝」と決定したそうですが司馬さんの「竜馬が行く」から外れない竜馬にしてもらいたいと願っていますほとんど龍馬の話になってしまったですね、堪忍です
2008/12/05
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