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先日の撮影会での最後の撮影地「美保神社」に参拝してきました。私ども地元の者は単に美保関を「関」と呼んでこれで十分通用します。いちど島根県の地図を見てください。島根半島が東西に延び左端が日御碕、右端が美保関となっています。この島根半島の北側の日本海側の随所に天然の漁港が点在してそれをとり巻くように集落が在ります。さてこの美保関は他の漁港と異なる事はこの漁港が南面に直面しているということです。冬場は北西の季節風が吹き荒波の日本海では中世、近世まで何日も「風待ち」することがありました。この意味で美保関は絶好の停泊港でした。元弘の役で敗れて捕らわれの身となった「後醍醐天皇」もここ美保関「仏谷寺」で10日も風待ちをして流布地:隠岐島へと向われました。たくさんの北前船が停泊し粋なアンさん、商人、船頭、女郎衆が集ってそれはそれは賑やかな界隈であったに違いありません美保関といえば五本松・・・それほど親しまれている”関の五本松" 1本切りゃあ4本、あとは切られぬ夫婦松昔は船頭の目印となった5本松もあの伊勢湾台風(S33年)でなぎ倒され2代目が育ったと思いきや松食いムシ、平成の台風19号(リンゴ台風)で全滅し今は3代目が育っています。<青石畳通り>美保関港から参拝するための参道奉納、献上に大八車を使用したためぬかる道では難渋するので青石で敷き詰めました、降雨では鮮やかな緑色に変ります。鬼ごっこやら子供たちが目の前を脱兎の如く走り去りました<美保神社> 西の出雲大社が縁結びの神とするならこの神社は大漁祈願えびす様の総本社です境水道大橋が完成し20数年経ちました。お陰さまで境港から関までは10分です、R431の寄り道に是非ともお立ち寄り下さい。これで3日にわたった撮影会レポートを終わります。ご覧戴きましてありがとうございました美保関御案内 http://www.yonago-kids.com/playA-2b-mihinoseki1.htm
2008/01/29
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昨日の続きですここは美保関灯台、逆巻く日本海は春の海の如く静かであって隠岐島さえ薄っすらと見えた。さて、話は80年ほど前の昭和初期にさかのぼる。第一次世界大戦(1914~1918)後各国の戦費は莫大なものとなり世界は軍縮の方向に向いていった。米国の提唱で行われたワシントン海軍軍縮会議(1921~1922)の結果、日本海軍は保有主力艦艇の総排水量を制限された。それに対抗して、連合艦隊は「訓練に制限無し」の掛け声の下、将兵に連日激しい訓練を強いていた。このような背景のもと昭和2年(1927年)8月24日 60数隻の日本海軍連合艦隊が美保関湾に集結し折からの台風接近のもと実戦さながらの徹夜の夜襲訓練が行われたのである。この訓練中に美保関灯台の北東32kmにて軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の2つの別個の衝突事件が発生したのである。蕨(わらび)は大破炎上沈没、葦は船体後部大破し合計119数名の荒鷲が犠牲となった海軍史上未曾有の大惨事が発生したのである。「海の八甲田」と称されるこの事件は極秘とされ、全容が明らかになったのは50年後、「蕨」の艦長の子息、五十嵐 遭氏が克明に調査して明らかになったのである。119名の御霊は駆逐艦「葦」(わらび)と共にいまも海底130mの日本海(美保湾)に眠っている。※この事件は昨年 BSS-TVにて特集番組で放映されました。「そんな事があったのか!」といった程度で殆ど忘れていたのですが先日、美保関灯台を見学した際に立派な記念碑が建っていて碑文を読むうちに胸が篤くなり放映、資料を参考にして書いてみました。 美保関遭難事件碑 http://ebisutaikan.hp.infoseek.co.jp/kanatae2.html 詳細時系列 http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/mi/mihogase.html
2008/01/27
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カメラクラブで「寒牡丹撮影会」を昨年から予定していたのだが生憎の暖冬で撮影チャンスに恵まれない?注釈:雪国では雪害防除のためコモ巻きをする対策が行われる。そのコモ巻きの上に薄っすらと新雪が降った姿に風情がある。これを「撮影チャンス」といっています。元旦から花は咲いていてもう満開は過ぎつつあるので降雪を待ちきれないとの会長の招集で急遽本日撮影会とあいなった。途中、「中海水鳥公園」によって白鳥、鴨等カメラで追うも寒さ、曇天のせいか動きも、飛びもしない・・・この場で2時間粘ってジッと超望遠を据えて狙っているアンちゃんに敬服いよいよ本番お目当ての寒牡丹の里「大根島」へと急行ここ大根島は牡丹、朝鮮人参で有名である。200万年前鳥取県大山の噴火活動で海底隆起で出来たこの島は周囲18km、黒ボク(甲子園球場の内野グランドのあの色)で成り立っている。山もない全土が全て畑として利用出来るうえ、太陽温度の保温力が抜群のため寒い山陰とはいえ植物栽培が盛んに行われている所以と理解している。Y植物園に入園し庭園散策し随所で寒牡丹を撮影した。屋外の寒牡丹は前述のとおり全てにコモ巻きがしてあって愛くるしい姿であった。前面は鑑賞のため開放してありそこから鑑賞、シャッターを押すこととなるやはり花盛りは過ぎたようで何かと弱々しげに見えた。また屋外寒牡丹とは別に空調設備、日光照射時間等ハイテク技術を駆使した特別室が在って春用の牡丹が満開でそれはそれは見事な逸品揃いであった。しかし植物本来の営みをコントロールする人間の恐ろしさも感じたりした。撮影後は恵比寿さんで有名な「美保関神社」を参拝し、美保関灯台から日本海をみる奇岩に砕ける荒波を見る時、昭和2年この北東32km沖で日本海軍の夜間訓練で「大事件」が起きた。当時「某海難事件」として報道されなかったという。この続きは明日にて。大根島HP: http://www.daikonshima.or.jp/
2008/01/26
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昨日は日本海上にあった低気圧が異状に発達し東北地方で異状発達し各地に大雪と、大風が吹き荒れた一日であり各地に被害が出た模様である。明治から本年までわが集落に続いていた「愛宕講」なるものが解散となった。愛宕山は兵庫、京都の県境に所在し頂上には火の神様「愛宕神社」が在る。天正10年(1582年)5月、明智光秀が丹波制圧のため急遽本能寺の信長を急襲したのはこの神社のとめ札が吉と出たためであるといわれる。「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は今日でも殆んどと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、飲食店の厨房や会社の茶室などにも貼られていることが多いという。明治初期、わが集落(30戸)で火災が発生して瞬く間に3,4戸が焼け火の勢いは衰える事がなかった。途端に燃え盛る棟の屋根に現れた勇猛果敢なる御婦人が身の振り構わず赤い腰巻きをパラリと脱ぐや竹竿に結び付けて立上がる火炎に向けて数回大きく振りながら「こっち来い、こっち来い」と火炎を誘導した。すると不思議や不思議、風向が急変して・・・・・・我が集落は火災から免れたという伝承がある。その尊厳あらたかな「赤い腰巻き」は愛宕神社から授かったものだった。以来、火の神様として1月24日この日を記念して「愛宕講」なるものを催してきた。御馳走を戴きながら世間話をしつつその中からくじ引きで4名を選出し愛宕神社に詣でて「愛宕大権現」のお札を受けに参拝し各戸に「火の用心」のお札を配って今日に至っているが、少子高齢化で愛宕さんに詣でる者もいなくなった。クジが当れば是が非でも詣でなければならずそれがイヤだから一人、二人と脱退し今では1/3となって、詣でるのが負担ならお札は郵送してもらおうということとなったがそれもだんだんと盛り上がりが少なくなった。明治のいつごろか始まったのかも誰も知らなくなってしまってこの伝統ある行事も今日で解散となった。またしても、伝統行事の火が一つ消えてしまった最後は若かりし頃の本山詣の思い出を語りながらお別れした。願わくば誓って「火事は出さない」火の用心を心がけようという意識あわせをした次第である。<余話として>尚、愛宕講初期は錦の御旗なる「紅の腰巻き」はご神体としてお祭りしたそうだが、終に見ないでしまった。古老も同様であるという。なにせ130年もの歴史である。是非ともお目にかかっておきたかった。愛宕講は解散しても我が集落の守り神として後世に伝承したかった。 残念至極である
2008/01/24
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昨日は午前中は赤十字奉仕団の「新春レクレーション」午後は「自治会役員選出総会」であった。平野部は終日冷たい雨が・・・・降っていて自治会総会後はゆっくりと懇談できた近くの大山スキー場は年末、元旦の雪も解けてゲレンデのナイター設備も稼動しないで淋しかったが週末頃から降り出した雪も70cmの積雪とかでホッとしたであろう。関係者にとっては「天からお札が降ってきた」感じであったかもしれない。これでしばらくは大丈夫であろうが日中気温が上がるため予断は許せぬらしい。しかし少子時代、遊びの多様化、地球温暖化とともに近年はスキー場離れがあるという「猫も杓子もスキー」時代は去ったようだ。自治会の中の小学校教師に聞いたみたが生徒を「スキー教室」に連れて行くのだが足腰が昔に比して弱くなっているという、先日も帰る頃になって骨折をした子供がいて教えるのにヒヤヒヤものだという。これだけ満ち足りた食事をしているけれど急激な運動には反って体重がジャマをしているのではないか、たぶんいまの子供は現在の平均寿命をキープ出来ないであろうと言うそんな話まで出てきた。
2008/01/21
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いつものことだが正月を過ぎれば各種団体の総会、説明会、新年会、室内レクレーションがやたらと多くなる。午前中はOB会の機関紙配付(9戸)、どっさりと文書、周知事項、宣伝文書が入っているひとまとめにしてポストにネジ込んでも一向構わないのだがそれでも一緒に釜の飯を食った仲間ばかりだ「新年の挨拶をして世間話をするのも役目である」冬半ばであるので皆さん在宅であって元気な姿を見るのはうれしい。「原稿の順番が我が班に廻ってきたので何か書いてください」というのが本音なのだが・・・・・(笑)午後はJA主催の地区懇談会であった。「昨年のJA支部の経営状況」を聞いてもちっとも解らないし、質問がないのは仕方の無い事かもしれない。それよりも、昨年の米作の作柄指数が全国平均は100に近いのに我が山陰は92とすこぶる悪い。台風、病害虫の被害もなかったのに何故だろうということになった。夏の夜間温度が25度異常になると(熱帯夜)乳白米が出来て屑米になってしまうのだそうだこれもまた温暖化のせいかもしれないが大切な成熟期をこの真夏日に合わせないよう田植期を調整すればよかろうとか・・・種々意見も出たがはたしてどうか?工業機械なら電気、油等を供給しておいてヒューズがとんだり、異常高温になったら緊急停止するようなシステムだから至って簡単である。なにせ農業は自然相手なのであるから解決策は難しい。工業とは所詮、同じレベルでは論じられないのだ。そこに難しさがある明日は、日赤アマチュア無線クラブの新春ミーティング、午後からは地区の総会とあって予定が目白押しである。 この時期はいつもこうである。
2008/01/19
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払暁の一瞬だったに違いない。道路は曲がり壊れ、住宅は倒壊、人々は家屋の下敷きとなり随所で火災発生し夜になっても燃え続ける神戸市、市内の殆どが停電する中で炎だけが光を放っている火災の規模があまりにも大きく断水であったうえに、道路がビルなどの落下物で寸断されたため、消火活動が大幅に遅れてしまった。6000人以上の犠牲者、神戸市内では7000棟以上の家屋が灰燼に帰した。あれから13年早いものだ。昔、鴨長明は方丈記の中で地震(元暦地震・・・1185年7月9日)の恐ろしさをこう書いた山はくづれて、河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水涌き出でて、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立処をまどわす。(略)地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。家の内にをれば、たちまちひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲も乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震(ない)なりけりとこそ覚え侍りしか。最後に長明は人間の忘却を嘆きこう戒めた。かくおびただしく振る事は、しばしにて止みにしかども、そのなごり、しばし絶えず。世の常、驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし・・・・十日、二十日すぎにしかば、やうやう間遠になりて・・・おおかた三月ばかりや侍りけん。人みなあじきなき事を述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。太平洋、フィッリッピン海、北アメリカプレートは確実に動いていてプレートが沈むところは地震の多発地帯である。巨大地震に備えあの恐ろしい日を語り継いで万全の体制が必要である。
2008/01/17
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新年になって初めての「男の料理教室」前回12月は欠席したので久し振りであった。メニューは1.赤ナマコの酢の物 2.あんこう鍋 の2品である赤ナマコは正月が済めば半値くらいになるらしいのでこれを選定されるとはさすが先生である甘酢は一度煮たててから冷ましたものを使用する。こうすることによって酢が抜け難くなるのだという。2.のあんこう鍋はたくさんの具材を入れた人参、白ネギ、白滝(糸コンニャク)、焼き豆腐、さやエンドウ、生椎茸、筍、三つ葉であった。「あんこう鍋の作り方を検索するとたくさんの方法があってこれがベストというわけにはいかない、何故って「みんな試食していないからだ」・・・・納得・・・・普段の試食はここ調理室でそそくさにやってしまうのであるが、新年だから「ゆっくり話そう」ということになり いったんは調理室で煮立てて和室でカセットコンロに切り替えて楽しくお正月を祝いながら「これが雪でも降っていたら最高だがなあ・・」と云いながら楽しい試食会となったあんこう鍋をほぼ平らげて残りものにご飯を入れて「おじや」も大変に美味しかった帰宅しても何も予定が無い連中だから溜まり溜まった世間話をしてポカポカの身体で帰宅した。※正月2,3日にかけて1羽の丹頂鶴がわが地区に飛来し田圃で遊んでいたという、その写真を見せてもらって「正月早々縁起のいいものを見せてもらったと誰もが言う」次回は「かき三昧の料理」を予定している。 デジカメを忘れてしまって・・・・
2008/01/16
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2年振りにドイツから帰省したF君夫妻を囲んで昨夜は有志12人ほどで歓迎会を行った9日に成田に到着して以来、東京、大阪とだんだん西に下がってあちこちの友人と逢って郷里にやっと着いたらしい。マルクの話、ドイツの侵した2次大戦の償いの話、消費税が一律でなく贅沢品が高く、食品が低い、家族の話 等聞いたけれど一日経つと半分は忘れてしまったそして今日は15日、高校時代の友人の定例会だ。都会に出ている同級生は「**会」なるものを結成して盛んに交流会を行っているという。それなら故郷のお膝もとの方でも(大体がそうなんだが)遅まきながら定例会をして昼食でもしながら世間話をしようということで昨年春から発足している。昨夜は昨夜、今日は今日ということでF夫妻とは再会となったが本日が出席者が多かった。限られた時間であったが記念写真をとってお別れをした。近日中にドイツに帰るのだという。またF君とは異なるがS君は長男の立場から過疎の実家に、半分は故郷、半分は千葉にというこれも大変な生活を余儀なくされている。かれも近日中にマイカーで1000kmの距離を走って上京するというリタイアーしても誰も家庭のことが気になることは同じ事だ。正月も去ってだんだん普段の生活に戻りつつある事を実感した。アマチュア無線の交信のみが今年初めて交信があると新年の挨拶をする。アマチュア無線界は1月中は「新年おめでとう」なのだなにせ全国のハムの方とは空の上では度々出会うチャンスはないのだから。
2008/01/15
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とんど行事は1/15と昔から決まっていたが昭和30年代の「新生活運動」にあわせて1/7と決定して昭和50年代まで通してきた。ところが7日は必ず日曜日でないために年によっては淋しい行事ともなっていた。伝統は後世に伝えたい、学童にも参加してもらいたいとの理由で再度「5日が過ぎた最初の日曜日」に改正し現在に至っている。ところが何処も同じで「少子高齢化」となった現在、30戸の集落で小学生が3人中学生4人ではどうしようもない。各家庭からしめ縄、お飾り等持ち寄って朝8時に世話人さんが火を入れて皆で暖をとりながら30分ばかりで解散となりまったく味気ない行事となったかって昭和の30年代までは前日の午後から地区総出でとんどの準備、数十本の竹を東京タワーの如く立てその中間どころを東西南北の方向に4本の縄で支線(縄)とした。その夜11時以降、全家庭の家族が三々五々、そして牛馬も連れてとんどの周囲を一周して家内安全を祈願したものであった。ある年のことであった。払暁3時ごろであろうか、非常召集の太鼓が連打され何事かと跳び起きて集合すれば「とんど神」が何者かによって倒されているではないか暗闇で見る倒されたとんどさんの姿は悲しくも痛ましくもあった「誰がいったいこのような事を?」男衆は夜明けまで修復作業にかかりやっと元の姿に立て直すことが出来た。当日、とんどさん行事も終えて小学校に行ってみると、なんということであろうか・・・同級生のT,S君が校長室の前で直立不動のまま泣きべそをかいているのではないか聞くところによるとガキ大将に連れられて彼方此方の「とんどさん倒し」をやったのだという。きっとつらい命令を聞かざる得なかったのであろうか?「親と先生にアゴが外れるほど殴られた」と後年、この話が出るたびにT君は誇らしげに語る昔、むかしの「とんど行事の思い出」は尽きない
2008/01/14
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昨日の展示会の余韻が冷めないので縁起物を抽出して御披露します(略 説明)<御馴染み掛け軸><ふくろう>福を招く<昇り龍><恵比寿、大黒様>今年も健康な一年が過ごせますように・・(祈)
2008/01/11
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JA主催の「新春美術家具工芸品即売展示会」が島根県横田町で毎年この季節開催される。隆盛時この中国山地の町は美術家具製造販売の町として栄えた時代もあったが次第にさびれていったようで今では簡単なものしか修理、製造していないらしい。ここにも過疎の悩みがあるらしい。**工芸社の展示即売会に地区の人々も加わり大型バスで約45kmの横田町まででかけた開催期間は4・5日と限定らしいがJAが期日地区指定をしているので本日になった。バス、会場はまだ新年の気分が抜け切れない明るい雰囲気であった3枚の写真をつけたのでとくとご覧下さい。値段は見る物すべてが一桁○が違うのである。もうほぼ無くなったと業者はいうが屋久島杉の銘木の彫り物、テーブル、衝立、箪笥等 喉から手が出る逸品ばかりでため息が出る。<屋久杉茶箪笥>たくさん写真をとりパソコンに取り込んでアルバム作成して手中に収めた錯覚に陥っている。<純金茶釜 3,200万円>一生のうち一回はこれでお茶を飲んでみたいものだ。正月早々、目の保養が出来て満足、お互いが手に持っているのは会場で売っていた¥3,000の「新春福袋」なのでおかしくもあった。財布の紐は固いらしい。帰りは近くの温泉で温まって散会した。
2008/01/10
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この季節になるとドイツに在住する高校の友人から血縁者が集合、子供夫婦、孫合計9人写った写真を毎年送ってくる。これがX-MASカードというものらしい。「Mery Xmass 2007 新年おめでとう」と書いてあるので「盆と正月をまとめて祝う」のかと思ったらそうでもないらしい吾家がメリーXmasといってもケーキを食うだけで(これも昭和30年以降に定着したのかな?)あるが、といっても彼らが何かの新たかな祭礼行事をするのかは不明だ。早い人で11月半ばより趣向をこらして友人、恋人に渡すこのX-Massカードを作成して12月25日までに届けるのだそうだ。今年はカードの作成が遅れたのは1人だけ揃わないまま写真撮影が行われ後日欠席者が自分の写真を使って合成写真を作ったと説明があった。 これが大きな行事だらしい。そうすれば日本人はお正月行事というのがあっておせち料理、御餅等で祝い、初詣、年賀状等忙しいことだらけだ。(年賀状という習慣はないらしい)日本古来の風習も大したものだとおもった。新年おめでとうと印刷されているのは日本人向けのカードかもしれない。風習の違いにせよ数年間同じメンバーで集合写真を送ってくれるのは全員の成長がみられて面白い。(友人夫妻は老けていくけど・・・)実はこの友人夫妻は高校の同級生であるしたがって3人の子供はれっきとした日本人だ。友人夫妻の子供はドイツ人と一緒になり孫がなんともいえぬ可愛らしいF夫妻も定年退後、しばらくドイツで暮らしているがやがては日本に帰省したいらしい。歳を重ねれば望郷の念しきりなのであろう。
2008/01/08
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昨日に続きの炬燵ばなしです。昨日の干支の話のついでに書いてしまおうと思ったけど、お目出度くないので日を改めました。「カラスが黒いのはなんででしょう?」釈迦の臨終にまに逢わなかったカラスに憤怒した天帝(天の神様)はくちばし、眼、身体、足の先の爪までの全身を真っ黒に塗りつぶしてしまった。水鏡を見ながら変わり果てたわが身をカラスは嘆きカーカーと泣き続けてた。これに懲りたカラスは人の臨終の際には集団でどこともなく現れてカーカーと鳴くのだそうだ・・・・と人の嫌がる心理を巧妙につかんだ悪い昔話ですカラスの集団・・・誰でもイヤですね。今でも古老は気持ち悪がって気にするのだということです。人里に棲息し雑食だからゴミあさり、畑荒らしなんかして嫌われ者になっていますね。この話はインタネットでも載っていませんでした。「ふくろうとカラス」で載っていたユーモラスな話では塗装屋のフクロウは化粧好きのカラスが「あれがいい、この色は悪い、あの色で最初から」とすき放題な注文をつけるので怒ったフクロウは黒のペンキを投げつけたので真っ黒となってしまった。それ以来カラスとフクロウは仲が悪く、以来はカラスを嫌って夜しか出てこないんだ。という物語が単純で子供にも笑って話せますね。どうも前段の話はねえ・・・歓迎されません。誰が言い出したのでしょうかねえ 今日は応援ボチッがもらえないかもね!
2008/01/07
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有名な話なので御承知の方もあると存じます。お正月らしい干支(ネヅミ、ネコ)の話です。十二支の中にもっとも身近な猫が入っていない理由について面白い説話がある。天帝が動物を召集し期日を定めて到着順に十二支を与えるという布告を発した。猫はその布告が発せられた時は生憎と眠っていたので知らなかった。眼を覚ました猫は日頃仲良しのネヅミに布告内容を聞くとネヅミは間違えて期日の翌日を猫に教えてしまったのである。いよいよ当日、動物たちはねぐらを出て天帝の館にわれ先へと急ぎネヅミ、牛、虎、・・・・・猪の順に到着して十二支が与えられた。それとは知らない猫は翌朝天帝の前に出たが、勝負は昨日既に終了した事を知らされた・・・・ネヅミにだまされたことを知った猫は、以来ネヅミを恨んで捕まえるようになったまた、仏典によると、釈迦の臨終のとき、動物たちが心配して見舞いに集ったが燕は化粧をしていたために遅れて間に合わなかったので干支に入れてもらえなかったという ※覆水盆にかえらず、時間厳守ということでしょうかね<参考>NHK市民大学 時と暦の科学 1989年版(法制大学教授 永田久氏)より引用しました。
2008/01/06
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あっという間に3ヶ日も終わった。年末の降雪はすぐ解けると思ったらさすがに冬の季節、は少しずつ高度を上げても温度は下がって寒さが一段と加わりなかな解けない。そのせいもあった町に出るのもおっくうである。炬燵を囲んでの観るぐらいしかない。3度の食事がすすまない思い切って近くのマーケットまで出かけた。午後3時ごろ店内はガラ空であった近くを走る国道もさほどの交通量はない。まだ田舎の住民は活動に至っていないことを知った。当地では4日は「坊主の正月」ということで仕事初めにはならない。5日が「お陽待ち」と称して神事があってこれから今年の事始めとなる。それまではじっと我慢の冬眠期間なのだ。
2008/01/03
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<これは台紙です、後2年で干支の達成です>日本アマチュア無線連盟主催「 QSO Party」の日だ。20局以上のアマチュア無線愛好者と無線交信を行って「新年の挨拶」を交わします。相手のコールサイン、交信日時、受信感度を本部に報告すると干支のシールが送ってくる。それを12年間継続すれば「干支の達成」で記念の盾がもらえるというもので、競争、コンクールといった優劣要素はまったくないがそれでも自分の足跡を残す貴重なイベントだ。1年でも怠ったらそれまでの実績がパーとなるので、「これだけは参加しなくてはならない」という人が結構多いのもこの企画の面白さかもしれない。降雪の一日で外出の計画は無いのでハウスに入って薪ストーブを炊きながら全国のハム仲間と交信した。普段なら簡単に聴き取れるのに参加局が多く交信内容は雑音、混信となって難渋するがそれでも新年だけは電波を出そうという怠け者(失礼)も多くそれがかえって面白い。昭和の御世には「king of Hoby」とまで言われたアマチュア無線も現在では大多数が「携帯電話」に取って代られて寂しい思いだがそれでも中年、シニアには根強い人気があるのは心強いブログには大勢のヤングで賑やかなのだがもっと若い層も参加して欲しいものであると思いつつ10年が経ってしまった。このイベントは今朝9時~明日21時まで延々続きますが自分の自由時間を使用します
2008/01/02
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明けましておめでとうございます。久し振りにの正月を迎えて気分が引き締まります。拙宅の前の道路が氏神さんに繋がっている関係上長靴で雪を踏みしめながら参拝される音が軽やかに聞こえてくるのはなんとも爽やかである。ハウスの周辺で数人の方と出合って新年の御挨拶。「あたって帰りませんか」と誘って暫く談笑、撒ストーブは赤々と燃えている。 昨夜のウナ電メールの勧誘が効いたのか午後やっと娘夫婦がやってきた。炬燵を囲んで正月料理を賑やかに時を過ごし、腹ごなしで校区の2社の初詣でに出かけたが、小雪の参拝客はだれもいなかった。地元の氏神さんはこの程度なものだ。整然として掃き清めた神社拝殿で今年一年の家族の健康を祈った。
2008/01/01
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