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八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」をこの旅行の最後に訪れた。
徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置。
縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を
建て修行をした。弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの
胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。
等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされたと。
正式名は医王山 遍照光院 大窪寺(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)
巨大な仁王門。高さ13.5mで、四国八十八ヶ所でもとくに大きな部類に入る、荘厳な門。
2体の金剛力士を安置する楼門、左右に置かれ門の向かって右を密迹(みっしゃく)金剛、
左を那羅延(ならえん)金剛と呼ぶと。
那羅延(ならえん)金剛 阿形像。
密迹(みっしゃく)金剛 吽形像。
境内側の仁王門の両側には巨大な草鞋が。
大窪寺 境内配置図。
手水舎。
小高い場所には鐘楼が。
弘法大師像。
大師堂。
大師が奉納した錫杖は、唐の恵果阿闍梨から授かったものといわれると。
心経塔。
本堂。
本堂に掲げられた扁額。瑠璃光殿と書かれていた。
本堂のすぐ前に。『あなうれし ゆくもかえるもとどまるも われは大師と二人づれなり』
と刻まれた石碑が。「同行二人」の喜びの思いを詠った句であろう。
その横の不動明王。仁王様に負けず劣らず怖い顔。
納経所入り口には比較的新しい水掛地蔵が。
四国八十八箇所 88番札所結願所の大窪寺の御朱印を頂きましたが、
まだ私にとっては9番目の寺。
宝杖堂(ほうじょうどう)と原爆の火(手前)。
宝杖堂には、結願した遍路の金剛杖が奉納されていた。
原爆の火は被爆直後の広島から採集した火を持ち帰り、絶やすことなく灯し続けていると。
風雪に耐えて歴史を感じる石像群。
石像の下には何か、納めてあるのでしょうか?
本堂の後ろには多宝塔そして横には阿弥陀堂。
四国八十八番札所大窪寺の本堂の北に位置する“女体山”標高774m。
名前に似合わず、険しそうな山そして岩肌。
ょ
山門の両側にも巨大な草鞋が。
結願寺なので草鞋を納めている方も多いとのこと。
山門(二天門)を振り返る。
山門(二天門)から入り口方面。
遍路さんの手にする鈴の音と、大窪寺の鐘の音が、環境省選定の
残したい日本の音風景100選に。
こちらが参拝の正式な参道。「八十八番結願所」と書かれた石碑が。
四国霊場88番札所大窪寺の門前で巡拝用品やおみやげ販売をしている店・野田屋。
寺の門前で、くず湯や甘納豆お接待をしている地元では話題の店とのことであるが
この日は閉店の準備の真っ最中で残念ながら・・・・。
そして徳島空港に向かう。レンタカーを返却し空港へ。
今回に旅行の走行距離は四国一周1214km。
空港の入り口では、阿波踊りの銅像が7体ほどで再び出迎えてくれた。
今にも動き出しそうなくらいリアリティのある銅像。この銅像と同じポーズをして
写真を撮る人の姿も。私たちはじっと堪えて・・・・。
絵画も。
20:10発のANA便で帰路へ。
そして羽田空港からは待っていてくれた旅友の愛車で自宅に送って頂いたのであった。
今回の四国旅行で日本百名城スタンプラリーを完遂。
帰宅して翌日に日本城郭協会にスタンプ帳を送付すると、数日で返却される。
スタンプ帳には『祝登城完了! 登録第793番目』と押印された登録証明が
送られてきた。
そしてこの旅行で四国88箇所霊場遍路の旅もスタートさせたのであった。
今回の旅行で9霊場を訪ね御朱印を頂いたのであった。
さて次回の四国88箇所霊場遍路の旅は何時になるのであろうか?
-------------完 四国一周、日本百名城&四国88箇所霊場遍路の旅------------
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