JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.05.27
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鉱山観光の後は道の駅で待っていてくれた旅友Sさんと合流し、マイントピア別子・
東平(とうなる)ゾーンへ車で向かう。
右手に旧端出場水力発電所が。写真の明治45年に完成した「旧水力発電所跡」。
愛媛を代表する西洋建築物で、紅葉の時期は赤と黄色のもみじとのコントラストが美しい
撮影スポットになると。
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狭い坂道を上って行く。
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大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が
建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていたと
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マイントピア熱し東平案内図。
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​​駐車場は広い。2,3百台は可能か。
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マイントピア別子東平(とうなる)ゾーンは、市内の中心部から車で約45分、標高約750mの
山中の「東平」と呼ばれる地域にある。
東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた所で、地中深くから
掘り出された銅の鉱石を坑内電車で東平まで運搬し、そこで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、
索道を利用して、現在のマイントピア別子(端出場ゾーン)のある端出場へと輸送していた
中継所となっていたところ。
最盛期には、社員・家族を含めて約5,000人が周辺の社宅で共同生活する鉱山町でもあり、
病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設も整備され、
一時期の別子銅山の中心地として賑わっていた。
当時の施設の多くは取り壊され、植林によって自然に還っていますが、貯鉱庫、索道基地、

中でも重厚な花崗岩造りの索道基地跡の石積みは、東平の産業遺産観光の目玉となっている。 
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駐車場から見下ろした索道停車道跡。
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遠く瀬戸内の海も見えた。


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索道停車道跡まで下りた家族もお父さんのカメラに向かって。
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住友別子鉱山上部鉄道は標高800メートル以上の地点を、急峻な断崖の等高線に

確保されていた。伊予鉄道に続く愛媛県で2番目の鉄道として下部鉄道と共に1893年
(明治26年)に開業した。別子銅山で採掘された鉱石は、角石原駅で積み込まれ、
途中交換駅の一本松駅を経由し、石ケ山丈駅で降ろされ、索道で下部鉄道の端出場駅に
輸送された後、港へ運搬されていた。採掘技術の進歩により坑道から直接鉱石を下部鉄道に
運搬できるようになると役目を終え、1911年(明治44年)10月7日廃止された。
住友別子鉱山鉄道(すみともべっしこうざんてつどう)は、愛媛県新居浜市において
鉱石輸送や旅客輸送を行っていた住友金属鉱山運営の鉱山鉄道の通称である。
1973年(昭和48年)の別子銅山閉山を見届けた後、1977年(昭和52年)1月31日限りで
下部鉄道も廃止されたと。
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東洋のマチュピチュと称されるこの山中の秘境の遺構群も、端出場と同じく今は子供や
お年寄りでも安心して見れるようにきっちり整備されて公園のようで、資料館もある。
​​インクラインは傾斜面や勾配を意味する言葉。現在220段の階段として整備されたこの場所には、
当時、端出場から索道を通じて運搬された物資を索道基地で受け、さらに高地にある電車ホームへ
運ぶための施設(ケーブルカーのようなもの)が整備されていた。
斜長95m、仰角21度で、動力は電気巻上げ。複線の斜路は連動していて、片方が上がれば
片方が下がる仕組みになっており、生活用品などが引き上げられ、坑木などが
引き下ろされていたと。
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住友別子鉱山上部鉄道は標高800メートル以上の地点を、急峻な断崖の等高線に
ほぼ沿う形で敷設されていたのだが、そのルートは今や確認出来ない。
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貯鋼庫、索道基地跡 案内板。
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東平資料館の建物の左手奥に残っている鉱山鉄道のトンネル。
マンプは坑道のことを「間符(マブ)」と呼ばれていたところからきている。
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現在は、当時の鉱山関連機械器具類が展示されており、人々の運送を担った「かご電車」が。
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索道に吊られていた「索道バケット」の実物も。
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索道停車道跡を横から見る。
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マイントピア別子東平(とうなる)ゾーンの見学を終え新居浜駅前のホテルに向かって
山道を下る。


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国領川に架かる新田橋を渡り市内へ。
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そしてこの夜は、会社の大先輩で新居浜にお住まいのTさんと懐かしの宴を旅友と3人で。

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.02 17:57:23
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