JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…

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2019.03.17
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カテゴリ: 海外旅行
リベイラ市場での昼食の後は、世界遺産へのオプショナルツアーの
「シントラ王宮(Palácio Nacional de Sintra)観光とシントラの街散策」に参加した。
バスにて24 デ・ジューリョ通りをシントラに向かって進む。
前方に4月25日橋が見えて来た。



テージョ川の上部は鉄骨製のトラス構造であったが、陸上部はコンクリート製。
長さは2,277 mで、この部分は上段がコンクリート製の6車線の道路、
下段が鉄骨製の複線の鉄道となっていた。
鉄道部は当初建設した時から構想はあったが、経費削減のため実行されず、
最終的に完成したのは1999年。

IC(インテル・シダーデス)が通過しているのだと。



再びテージョ川上部の鉄骨製の4月25日橋を。



更に進むとセウタ通りそして上部は高速IP7。



前方に再びアグアス・リブレス水道橋( Aqueduto das Águas Livres)が。
世界で最も高い石造りのアーチで18世紀建造。



潜った水道橋を振り返る。地下にもぐっているところも含めると全長18km。
ブラジルのゴールドラッシュによる巨万の富をバックに18世紀に20年かけて造られたもの。
高さ65mはフランス南部に在るポン・デュ・ガールの48mをしのぐ。
現在は上水道としては使われていないが、歴史的建造物として保存され、
上は遊歩道になっているとのこと。



エイショ・ノルテ=スル道路・IP7をシントラに向かう。







シントラ王宮(Palácio Nacional de Sintra)が車窓から。
白い酒徳利の如きものが屋根から2本。



ポルトガル国旗がはためく。



シントラ王宮の手前でバスを降りる。
円錐形の高い塔は煙突で、この独特の形状は王宮のシンボルにもなっている。

ポルトガルが共和制になってからは国の文化財になっているのだと。



シンチラ王宮に向かって坂道を登る。



シントラ王宮前の「レプブリカ広場(Praça da República)」。
王宮は外見だけを見ると「王宮」というイメージからはかけ離れた質素な感じがしたが、
内部の部屋の装飾は煌びやかではないのですが豪華で素晴らしく、さすが海洋王国
ポルトガルだと感じ、中に入る価値は十分あったのであった。



見上げると山の上には「ムーアの城跡 (Castelo dos Mouros) 」が見えた。



王宮正面の階段途中に在った噴水。



そして王宮の入り口から広場を振り返る。



再び王宮入口から「ムーアの城跡 (Castelo dos Mouros) 」を見上げる。



シントラ王宮内配置図
1千坪もの敷地に立っている建物の部屋数は130以上もあるとのこと。
今回のツアーではその中の主要ないくつかだけを見て回ることになった。


         【http://livedoor.blogimg.jp/g2009h/imgs/4/2/42507816.jpg】より

そして王宮内部に入り螺旋階段を上がってすぐの、玄関のような広間は「射手の間」。
重厚でやや地味な雰囲気。



マヌエル様式の広間を入口から。

■マヌエル王の間   <br /><br />イタリアのムラーノ製の豪華なシャンデリア☆<br /><br />ため息が出るほど素晴らしい内装です!!!<br />

次に案内されたのが「白鳥の間」。
天井とシャンデリア。



天井には、生涯伴侶を変えず夫婦円満の象徴とされる27羽の白鳥が。
どれもポーズが違っているのだと。
そしてどの白鳥も首に王冠を飾っているところが王宮らしい。
宮廷舞踏会場として用いられた大広間であったと。
これは1662年、27才でイギリスのチャールズ2世に嫁いだ娘のカタリーナのために
その幸せを願って描かせたもの。
白鳥の数は、嫁ぐ日の娘の年齢だったとのことだが、女性は10代で結婚するのが普通だった
当時にあって、生涯伴侶を変えない白鳥に、父親として託するものがあったのであろうか?



「白鳥の間」は「客間」であると。
ジョアン1世であろう。



ジョアン1世妃 フィリパ・デ・ランカストレであろう。
イングランドの王子、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントとその最初の妃ブランシュの娘。



白鳥の間の壁の装飾。
1584年8月には、天正遣欧少年使節がこの部屋で、当時ポルトガルを統治していた
アルベルト・アウストリア枢機卿に謁見しているのだと。



細かなタイル装飾も。



中国からの贈り物であると。
お料理盛り付け用の食器であろうか。
豚、牛、ワニをモチーフにした器。

こちら中国からの贈り物。<br />お料理盛り付け用の食器です。<br />豚さんの器には豚さんが、牛さんの器には牛さんが、ワニさんの器にはワニさんが!?

王宮中庭(聴衆の中庭)。



この後近づいて。
イスラム建築の復古がされたムデハラ様式と呼ばれるもの。

「シントラ 王宮中庭」の画像検索結果

中庭から台所の煙突が見えた。



次いで、カササギ(鵲)の間(Sala das Pegas)へ。
天井に描かれているのは136羽の鵲。口には「POR BEM」と書かれた布を咥えているのだと。
これは、侍女にキスをしているところを王妃に見つかったジョアン1世が、
「POR BEM」=「善意でキスしたのだ」と言い訳したことに由来していると。
王妃は何も言わなかったが、噂は女官たちの間に瞬く間に広がったと。
王は、「おしゃべり」の象徴であるカササギを侍女の数である136羽描かせたのだと。



カササギ(お喋りの意)のモチーフと「POR BEM」(善意の接吻を意味する言い訳の言葉)の文
字が書かれた布を咥えているカササギが天井一面を覆っていた。
その足には王妃の出身であるランカスター家の紋章バラの花を掴ませたと。
ジョアン1世はなかなかしゃれの分かる、ただ戦いに強いだけの王ではなかったようだ。



カササギの間の壁の装飾。
夏の離宮のはずであるが、大理石造りの立派な暖炉も。



見事なアズレージョ。

そしてこのお部屋のアズレージョ。<br />なんか日本だとタイルっていうとお風呂場に貼るもんみたいな感じですが、ポルトガルではしっかりお部屋の装飾の一部になってます。

寝台が置いてある部屋は「ドン・セバスティアンの部屋」。
在位1557~1578年のポルトガル王で、生涯独身で後継者を作らずに戦死したため、
ポルトガルの王位継承を混乱させてしまった人。
しかし国王が自ら戦場へ行って戦死するというのも、トップに立つ人間としてはどうかと。
とは言うものの、現役時代は『現場主義』と言う言葉が好きであったが・・・。

「ドン・セバスティアンの部屋」の画像検索結果

正面から。
ベッドの長さが短いのは、急に備えて体を起こしていたのだとか、食べすぎて胃がもたれて
横になれなかったのだとか、諸説有るのだと。



絨毯の上には机とその脇に椅子が。



世界で初めて作られたという、天球儀は黄金色に。



見事な椅子。
ややピンボケですが、あくまでも個人的な「備忘録」ですので、ご容赦を。



壁にかけられた絵画。



葡萄の葉のモチーフのアズレージョが貼られていた。

「ドン・セバスティアンの部屋」の画像検索結果

近づいて。



ドン・セバスティアンの肖像画。
この王は王位を継ぐ者がいない時に王様が没した18日後に生まれたため「待望王」と
呼ばれたと。ですが、残念ながら24歳で未婚のままモロッコで戦死してしまった。
もともと彼の母親はスペインの出身だったため王がなくなった後ポルトガルは
スペインの支配下に置かれてしまったと。



「カエサル(シーザー)の間」
壁全面に架かっているのはタペストリーなのであろうか?
魚の置物がなんとなく東洋風。

「ドン・セバスティアンの部屋」の画像検索結果

ズームで。
ジュリオ・セザル(ユリウス・カエサル)が織り込まれているのであろう。



王冠の間(Salad da Coroa)入口、しかし進入禁止。



ルネッサンスの噴水のある「ダイアナの中庭」横の階段を上る。



階段の壁にもぶどうの葉のアズレージョが。



そして「ガレー船の間」
まさしく船底の如き天井。



壁から天井には大航海時代を思い出させる様々な姿の帆船が。

IMG_8716
ズームで。

「ガレー船の間」の画像検索結果

次の「紋章の間」へ行く途中の「神父の部屋」に、ポルトガルの家具が置かれてた。
17世紀のスペインのものと推定される飾り戸棚だと。
西洋のものと東洋のものが同じ空間に置かれているのは、
貿易が盛んだったポルトガルならではか。



正面から。
これぞ、宝飾で飾られた装飾。



エンリケ航海王子の人形であろうか?
ワインの樽に乗っているのであろうか?樽 にも魚?の脚が付いていた?



様々な宗教画が。



宗教画。



誰の肖像画であろうか?



これも誰の肖像画であろうか?



回廊の壁際にはたくさんの陶器の手描きの絵皿がケースに入れて陳列されていた。





                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:48:27
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