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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
伝馬通りの横田町西の大きな交差点を通過し、進むと右手にあったのが
『東海道府中宿』の道標。
「府中宿
府中宿 は江戸から約 44
里(約 176
km)、品川宿から 19
番目の宿場です。東見付は横田町、
西見付は川越町にあり、天保 14
年( 1843
年)には、本陣 2
軒、脇本陣が 2
軒、旅籠は 43
軒、
家数は 3673
軒、人口は 1
万 4071
人の東海道 最大規模の宿場 でした。
伝馬町には馬の手配や荷物の受け継ぎなど宿場の重要な業務を行う問屋場、大名や公家など
身分の高い人が泊まる本陣・脇本陣、東海道には 3
か所しか設置されていなかった
公用荷物の運賃を定める貫目改所などがあり、大変な賑わいでした。
また、参勤交代の大名たちは、家康公の祖母の菩提寺である華陽院のお参りしました。
家康公の墓所がある東照宮に向かう久能街道は、駿府の町に物資を運ぶ重要な道でした。」
当時の地図をズームアップ。
『府中宿 現在地図』
『府中宿 東見附~上伝馬町・本陣』
『府中宿 上伝馬町・本陣~梅屋町』
『府中宿 梅屋町~安倍川』
『久能山 東照宮道』碑。
『府中宿(伝馬町)界隈』
「伝馬町界隈の歴史的な場所として徳川家康公の外祖母が眠る華陽院や、朝鮮通信使の
休憩場所となった宝泰寺や法伝寺、新光明寺などの寺院や、怪力鬼彦の伝説が
伝えられている珠賀美神社があります。
また、古くから久能や高松など駿河湾沿岸の集落との交易の道であって、江戸時代
徳川家康公が亡くなり久能山に葬られてからは、参勤交代で往き来する西国の大名が
必ず東照宮参詣の為に通った「久能街道」が華陽院門前近くの東海道から始まっています。」
『上伝馬本陣 脇本陣跡』
『東海道府中宿』
「府中宿」は安倍川に近い新通り川越町から人宿町・七間町・呉服町・江川町そして伝馬町を
通って横田町に至る東海道を軸にした駿府の城下町全体を指していました。
府中宿は東海道の中でも最大級の宿場の一つでした。その府中宿の宿場の役割を
担っていたのが、「伝馬町」で宿場の公の施設である荷物貫目改め所や問屋会所をはじめ、
上と下の伝馬町にそれぞれ本陣と脇本陣、それに四十三軒の旅籠が建ち並び、賑わいを
見せていました。
徳川幕府による参勤交代の制度が確立されるに伴い、勅使や大名達の宿泊場として各宿場に
「本陣」「脇本陣」が設けられました。
府中宿には、上伝馬町と下伝馬町に本陣と脇本陣がそれぞれ一軒ずつ設けられていました。
下伝馬町の本陣は、下本陣と呼ばれた小倉家、脇本陣は平尾家でした。」
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