中庭の真ん中にあったのが、小さな『古い教会・聖母被昇天教会 Biserica Adormirea Maicii Domnului』。 手前の塔は見張り塔の機能も持つ鐘楼塔。この塔は、1788年の戦争で修道院が破壊され、 オーストリア人、そしてトルコ人によって焼かれたのだと。
入口のポーチには極彩色のフレスコ画が。
ズームで。
真上の神様からスタートして、教会の入り口に向かって最後の審判の物語が 描かれているようであった。
門の上の石版の書き込みは?
『聖母被昇天教会 THE DORMITION OF THE HOLY VIRGIN MARY』案内板。 ミハイル・カンタクジーノ(Mihail Cantacuzino)によって1690-1695年に建てられた。 最初の修道院長はジェローム。 フレスコ画は、当時の最も重要な画家、PârvuMutuによって作成された。 1788年、オーストリア人とトルコ人の戦いの間に、教会はひどく損傷し、鐘楼は破壊され 絵は多くの部分がで損傷したと。