JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.02.22
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

赤堀『八阪神社』に到着。



『一の鳥居』。



「八阪神社


八俣大蛇(あらゆる災厄)を退治し地上に幸いをもたらした神とされ農神疫神として、
信仰されている。勧請年代は不詳であるが、もと牛頭天王八王子社と称し
赤堀城の鎮守神として祀られていた。
戦国時代、織田信長の北伊勢侵攻の際、赤堀城は落城するが、赤堀一族の忠保は助命され
牛頭天王社の神官となり、以後社家として続いている。明治二年(一八六九)八阪神社と改称。
当社は、明和七年(一七七〇)より豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の中重鳥居を拝領し、
以来神宮式年遷宮ごとに中重鳥居の下附を受け、現在の鳥居は平成二十七年に建立したものである。
昭和二十年(一九四五)六月の大空襲により社殿は全焼したが、昭和三十年伊勢神宮別宮の
瀧原宮長由介神社の本殿の下附を受け現社殿を再建し、今日に至っている。」



境内の左側にあったのが『三徳稲荷社』
右手には『神崇百度石』と刻まれた石碑が。
拝殿と入り口にある百度石の間を行き来して祈願する「お百度参り」。



朱の鳥居には『三徳稲荷社』と書かれた扁額が。



そして『八阪神社』の『拝殿』が。



そして『八阪神社』を後にし、旧東海道に向かって戻ると再び『四日市あすなろう鉄道内部線』
そして3輌編成の電車が。



踏切を渡ると右手に『四日市赤堀郵便局』が。



東海道に繋がる路地の角まで進む。



『東海道』道標が。



そして旧東海道を進むと、前方が急な坂になっておりその先に川の橋が。



典型的な『天井川』に似て。
『​ 天井川 ​』👈リンク とは、川底がまわりの地面よりも高くなってしまった川のことである。
上流から流されてくる土砂の川底への堆積と、堤防の上積みが繰り返されることによって生まれる。
ひどい場合は、川底が地上数メートルの位置になることもあり、川の下にトンネルを掘って
道路が通されている光景も一部では見られる。



『鹿化川(かばけがわ)』に」架かる『鹿化橋』。



脇の歩道橋を渡る。



再び『東海道』道標。



『鹿化川(かばけがわ)』。



民家のシャッターには折り紙の鶴と紙風船が描かれていた。



鹿化橋を渡ると日永に入る。
右手に『大宮神明社』が。



「大宮神明社
当社は永宮さんとも呼ばれ、主祭神として天照大御神を祀る。 昔は現在の南高校のある
岡山の麓まで海があって、その海辺に舟付明神があった。
垂仁天皇の時代に倭姫命が天照大御神を伊勢の地にお遷しする際にこのお社に一時お留まりに
なったという伝えもある。 その舟付明神が四百年ほど前に炎上し、当時出来つつあった道路
(東海道)に遷ってきたのがこのお社である。 例祭は十月の体育の日である。
この日には獅子舞があり、現在では八幡獅子が家々を回って獅子を舞わしている。
本殿の右横には大己貴命、少彦名命を祀る摂社二柱大神社(センキさんとも言う)があり、
病気を直す神様として有名である。 六月三十日には那護志大祓があり、一般には「輪くぐり」と
いって茅の輪をくぐると夏負けしないという言い伝えがあり、 近在近郷から老若男女が
大勢参拝し、夜店がぎっしり並んで大変な賑わいで、有名な祭りとなっている。」



一の鳥居の扁額には『大宮神明社』と。



石鳥居のある参道を進む。



『手水舎』。



「御由緒
当神社は岡山(現県立南高校)に鎌倉時代より奉斎たれていたが、永禄五年この地に遷る。
祭神は伊勢の神宮とご同神を祀る。
摂社二柱大神(大己貴命、少彦名命)は古来諸国より病気平癒祈願のため参詣される一名永宮神社
と云う。例祭日   十月十日
摂社例祭日 十一月二十日 那護志大祓 六月三十日」



『拝殿』。



『拝殿』に掛かる『大宮神明社』の『扁額』。



『拝殿内部』。



『二柱大神社拝殿』。



『無病息災 二柱大神 童の守り神 稚児の宮』。



『社務所』。



『皇大神宮遥拝所』石碑。



『靖国社』



『天神社』。



『稲荷社』



『山之神社』。



床屋さんの前にあった『広重 東海道五拾三次 四日市』と
『行けるはず まだ渡れるは もう危険』と書かれた張り紙が。



旧東海道を先に進む。



右手に連子格子の旧家が建っており、この向かいにも壁が総板張りの旧家があった。



旧家の先の信号交差点を過ぎると、右手に『東海道道標』と『大聖院』案内板が。



『水沢道標(すいざわどうひょう)』案内板と『日永郷土史地図』。



大聖院へ入るこの筋の右角に小さな道標が建っていた。
今から約200年ほど前に大坂の古銭収集家の河村羽積という人が、東海道から水沢道が
分かれる角に立てたのがこの道標であると。



「水沢道標
大正12年(1923)の水害まではこの横の道が水沢方面に通じる道路であった。
このため、今から約200年ほど前に大坂の古銭収集家の河村羽積という人が東海道から
水沢道が分かれる角に立てたのがこの道標である。
水沢の楓谷は紅葉の名所であり、昔は菰野藩主の土方公が必ずこの紅葉を愛でられたと言う。
この碑の表面には 「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」  
裏面には 「猿丸大夫名歌古跡すい澤へ是ヨリ三里」 と彫られている。
猿丸大夫の名歌とは 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」 と詠まれた
ものである。」



表面には『水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み』と。



裏面には『猿丸大夫名歌古跡すい澤へ是ヨリ三里』と。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 19:39:54
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