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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『西照寺』の南西山側に『松尾神社』と天台宗の『美松山 南照寺』が隣接していた。
『松尾神社鳥居』。
石燈籠が並ぶ参道を進む。
この参道の桜は開花をはじめていた。
参道を進むと左手前方に案内板が見えた。
「南照寺・松尾神社
桓武天皇延暦24年(805)宗祖伝教大師美松山麓に草堂を建立、これが南照寺の開基である。
のち文徳天皇の仁寿3年(853)領主藤原頼平、山城の国より松尾明神を同所に勧請し、
南照寺はその神宮寺となった。
至徳年間(1384-87)火災により焼失、至徳3年(1386)現在地に再建、現在地は
元岡之山城跡である。
天然記念物の 「うつくし松」 は当明神のご神木として地域住民は信仰し山林を守っている。
本尊薬師如来は秘仏で33年目に開扉、内陣には本尊を中心に十二神将、不動明王、神変大菩薩、
十一面観世音菩薩等を祀り、他に本坊お内仏に阿弥陀如来を祀り、滅罪の道場を設けている。」
『地蔵尊』。
参道階段の先には近江湖南二十七名刹霊場第12番の標札が掛かる『山門』が。
そしてその手前には『手水舎』が。
正面に『芭蕉句碑』。
『西行の 庵もあらん 花の庭』。
「松尾芭蕉 句碑
西行の 庵もあらん 花の庭 はせを
元禄6年(1693)芭蕉51歳の句
屋敷の庭には大きな桜があり、その見事さは吉野の山を想い出させる。
西行もこんなところに居を構えていたであろうと想像し、招かれた人の庭をほめた句」
『南照寺 本堂』。
別の場所から『南照寺 本堂』を見る。
『平松城阯の研究』。
「平松城は松山の北東麓にあったとされる丘城。
『嶋記録』によると田那部(田辺)式部丞の居城とされるが、詳しくは不明。
田那部式部丞は今井氏の被官で、長沢城を本拠とした人物。
平松地区の南照寺および松尾神社の背後の山中が城域と考えられる。
松尾神社の周囲には土塁と思われる土盛りが確認できるが、城郭遺構であるかは定かでない。」
とネットから。
『松尾神社』の拝殿に向かう。
『松尾神社 拝殿』。
拝殿に掛かる『松尾宮』の扁額。
『松尾神社 神門(中門)』とその奥に『本殿』。
「松尾神社略記
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