JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.06.02
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

JR東海道本線の上を越えると、徐々に坂道になって行った。
そして右手にあったのが『水上山 妙光寺』があった。



神社の参道には京阪電鉄京津線(けいしんせん)が横断していた。




京阪電鉄京津線の電車が眼前ですれちがった。



『山門』とその手前左に安政4年(1857)の『妙見大菩薩碑』。



『妙光寺 本堂』。
妙光寺は、天正元年(1573)反織田方であった武将長谷川久兵衛が難を逃れて仏門に入り、
現在地に一宇を建立、本光院日性を開山に迎える。
開山100年記念に毘沙門天を勧請(堂は昭和35年建立)、年代不詳であるが
旧東浦妙見堂の妙見大菩薩を奉安する。
本堂は安政初年の再建。



本堂に掛かる『妙光寺』の扁額。



『鐘楼』は昭和48年の建立。



『妙見宮』。
本尊は妙見大菩薩、脇に七面天女、三十番神などを祀る。



『妙見宮』右隣の『毘沙門堂』。



『妙見宮』左隣の『三社大明神』。



『三社大明神』。



『境内』



『寺務所』の玄関であろうか。



そして県道558号線に架かる東海道線跨線橋を渡る。
JR東海道線に架かる『蝉丸跨線橋』を右側に見る。
このレンガ積みは京津線とJRが交差してる「蝉丸跨線橋」&「上関寺隧道」。
何故か名前が2つ。京阪が「蝉丸跨線橋」、JRが「上関寺隧道」と言うらしい。
そしてその下の右手に「新逢坂山トンネル」東口(右)とそのすぐ横にある赤レンガの
「上関寺トンネル」(左)。
現東海道本線は複々線になっており、右側のコンクリートトンネル・新逢坂山トンネルにも
線路が2本通っていた。



赤レンガの『上関寺トンネル』 大津側坑口。
大正10年にトンネルを経由する大津~京都間の新ルートが完成し、勾配緩和、曲線改良により、
輸送力と速度の向上に貢献したのだと。
上を通っているのは京津線で下を通る東海道本線に対して京津線は斜めに敷設されたので坑口が
ずれているのであった。



更に坂を上って行く。



右手にあったのが『関蝉丸神社』案内板。
「関蝉丸神社
琵琶の名手蝉丸をまつる神社は、東海道沿いに三社があり、当神社は下社にあたる。
平家物語、謡曲「岬丸」などにも、その名が見え古くから歌舞音曲の神として知られる。
また.境内には紀貫之の歌で有名な「関の清水」や「小町塚」、重要文化財の
『石灯籠』がある。」



『蝉丸宮常夜燈』が前方に。



『音曲蓺道祖神』碑。



『関蝉丸神社』社標。



京阪電鉄踏切際に建つ『鳥居』。



正面に『拝殿』。



『関清水神社』。
関の清水は既に枯れているのだと。



『貴船神社』。



『貴船神社』社標。



『神門』。



謡曲『蝉丸』と『関蝉丸神杜』
「幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を帝は侍臣に頼み僧形にして逢坂山にお捨てになった。
此の世で前世の罪業の償いをすることが未来への助けになると諦めた宮も孤独の身の上を琵琶で
慰めていた。
一方、延喜帝第三皇女逆髪(さかがみ)の宮も前世の業因強く遠くの果てまで歩き回る狂人と
なって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に惹かれて偶然にも弟の宮蝉丸と再会し、
二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れていくという
今昔物語を出典とした名曲が謡曲「蝉丸」である。
蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かではないが、冷泉天皇の頃、日本国中の音曲諸芸能の神と
勅し、当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。」



『関蝉丸神社 本殿』。
関蝉丸神社は、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、盲目だった蝉丸が開眼する逸話に
ちなみ、眼病に霊験あらたかで、髢(かもじ)の祖神ともいわれている。
蝉丸は醍醐天皇の第四皇子、あるいは宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色などとも伝えられている。
境内には、時雨燈籠ほか数基の歌碑・句碑があった。



本殿手前の絵画。



清龍(HIDEKI)作の龍神様。



琵琶湖の絵画。



「近江伝景図
滋賀には、琵琶湖、比叡山比良山をはじめ自然が豊富で、歴史街道や文化の豊かな
土地があります。
今回、古来から伝承されてきた滋賀の自然や文化を形にしたいと思い琵琶湖の景色と
中世以降多くの絵師に描かれてきた「近江八景」と滋賀の民謡にまつわる情景などを
描きました。
又、近江の自然や人々の豊かな暮らしが永遠に続くようにと願いをこめて絵の中に
金箔の雲海をあしらっています。」



歴史を感じさせる石灯籠。



『時雨燈籠』と。



「石灯籠(時雨燈籠)
「時雨燈籠」 の名称で知られる六角形の石燈籠です。六角形の基礎には単弁の蓮華座を彫り、
その上に建つ竿の中ほどに蓮華と珠紋帯をつくり、六角形の中台には花入単弁の蓮華が
彫られています。六角形の火袋は簡素なもので、火口を一か所と小さな丸窓を設け、壁面も
上部にだけ連子を彫っています。六角形の笠も薄く、蕨手はよく古式をとどめています。
最上部の宝珠と請花は後補。
いずれにしても作成年代を示す銘文はないが、様式上、鎌倉時代の特色を持った良い石燈籠で、
貴重なものとして昭和37年6月に国の重要文化財に指定されました。」



「石灯籠(時雨燈籠)」横の祠。



『句碑』
「逢坂の 流れは清し 初桜」



『紀貫之歌碑』
「逢坂の 関の清水に 影みえて 今やひくら 望月の駒」。



『蝉丸歌碑』
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関」



境内の桜も満開であった。



更に旧東海道を上って行く。



『逢坂』交差点の左奥にあった祠をズームで。



京阪電鉄京津線の踏切を渡る。



中央の山に向かって更なる登坂となる。



京阪電鉄京津線の踏切を渡ると右手に浄土真宗本願寺派の『逢坂山 安養寺があり
その入口に『逢坂(おうさか)』碑があった。



『逢坂(おうさか)』碑。



「「日本書紀」 によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと
出会ったことに由来すると伝えられています。
この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、
関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。」




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.06.02 20:57:38 コメント(2) | コメントを書く


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