JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.21
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カテゴリ: 国内旅行
そして「函館山山頂駐車場」に到着し散策開始。時間は7:52。
駐車場には早朝から多くの車両が駐車していた。函館山ロープウェイは定期整備点検のため、
2020年10月19日から12日間の運休となっており、この日は10月21日であり、この
定期整備点検工事の為の工事車両なのであった。
まずは山頂の石畳の展望台から箱館の町並みを見る。



「函館山の自然
函館山は、火山活動や地殻変動により出現し、海流による漂砂で亀田半島とつながった
陸繋島です。三方が海に囲まれ、標高約334m、周囲約9mとなっており、
別名「臥牛山」とも呼ばれています。

わたって一般市民の入山が禁止されていたことなど、植物の生育にとっては恵まれた
自然環境にあったことから、約600種の植物が生育し、その約70%が本州北部地域と
同種のものといわれています。
さらに、四季を通じて野鳥が生息し、また、津軽海峡を南下・北上する渡り鳥の休息地として
重要な役割を果たしており約150種が観察される野鳥の宝庫として、鳥獣保護区特別保護地区に
指定されています。」



「函館要塞について
函館要塞は明治35年(1902年)の日清戦争終結後に、日露戦争を想定し、津軽海峡の
防衛強化を目的に明治31年(1898年)から、約4年間を費やして函館山に大小4か所に
砲台が建設されました。
他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞は商業港である函館港を

日露戦争開戦後、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に損害を与えましたが、射程外であった
ため要塞からは一発の砲撃もされませんでした。しかし、要塞の存在により函館港は
攻撃されることはありませんでした。
その後、大砲は撤去されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃から
函館と青森の両港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するため、津軽要塞として

被害を受けました。
函館要塞建設直後の明治32年(1899年)に要塞地帯法が制定され、昭和21年(1946年)に
開放されるまでの約47年間、函館山への一般市民の立ち入りは禁止されていました。」



「渡島半島」地図。


「函館山
函館山は、幾たびもの火山活動により海中に隆起した孤島であったが、約3000年位前に、
海水により港側と外海側から次第に砂が堆積されて砂州(さす)ができ、函館山は渡島
(おしま)半島と陸つづきになった。函館の中心街はこの砂州の上にある。
函館山の地質は、約2500万年前に噴出した安山岩で、五稜郭や弁天台場などの工事に
この山の石を用いた。
函館山の最高峰は、ここ御殿山(ごてんやま)で標高334mあり、このほか、薬師山
(やくしやま)、観音山(かんのんやま)、千畳敷(せんじょうじき)、鞍掛山(くらかけやま)
などがあるが、この山の形が牛の臥している姿に似ているので、別名臥牛山(がぎゅうさん)
とも呼ばれている。
山頂からは、扇状にひろがる市街地、遠く駒ケ岳、汐首岬も望まれ、晴れた日は、本州の
下北半島も見られるが、特に市街地の夜景は世界一といわれる美しさである。
函館山の右手、西端には、異郷の地で永遠に眠る外国人の墓、外国人墓地があり、
左手、東端には薄幸の詩人石川啄木とその一族が眠る立待岬があるほか、山麓には数多くの名所、
旧跡が散在している。
展望台壁面には、寛政12年(1800年)5月28日、伊能忠敬(いのうただたか)が北海道最初に
測量したことを記念したレリーフがあり、また、前方の広場には、ブラキストンラインで有名な
ブラキストンの記念碑もあるなど、学術的にも貴重な山である。」



「はこだて観光案内」



「津軽要塞と函館山の植物
●津軽要塞跡
 明治30 ( 1897 )年、函館山で要塞工事が始まり、32年11月函館要塞として完成したが
 昭和2(1927)年4月に津軽要塞と改称された。敷地は保安林も含め御殿山、薬師山、千畳敷、
 谷地頭付近の約16万坪が陸軍省の所管となり、昭和21(1946)年5月の開放までは、一般市民の
 立入りはもちろん、写生、撮影ならびに測量などが一切禁止された。
 現在も函館山の各所に地下壕跡などが残されている。
●函館山の植物
 函館山は、その山容が標高わずか334m 、周囲約9 kmの小さい山でありながら、地形が
 複雑多岐であり、植物の生育環境が多様であることから、植物種は極めて多く、北方系と
 南方系が混生しており、その数は600種余りと言われ、まさに自然が造りあげた植物園である。
 自然林もさることながら、箱館奉行や開拓使によって植林されたスギやマツの群生が見られる。
 また、道路沿いや裸地に目立つセイヨウタンポポなどは,明治初期に移入されたものであるが、
 このような帰化植物は30数種類あると言われている。これらの豊富な植物は、要塞が築かれて
 から50年近くも入山禁止となったために自然が守られ、保護された結果であろう。
 ここはまた鳥類の楽園としても知られている。津軽海峡が動物分布上の境界線をなすことを
 発見した、英国人プラキストンは、函館山の鳥類を調べてこの境界線(ブラキストンライン)を
 発表した。現在、留鳥と渡り鳥を合わせて約150種が見られる。」



「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン 掲載箱館スポット」
☆☆☆になっている「函館山からの眺望」。



海上棧橋をズームアップ、後方には北海道新幹線の高架。
太平洋セメント㈱上磯工場から2kmにわたって延びる海上棧橋。太平洋セメントは我が国で
100年を越える歴史を持つコンクリート工場。上磯工場で生産されたセメントは、函館湾に
延びる約2キロのこの海上桟橋のベルトコンベアによって大型船に運ばれ、国内出荷はもと
より海外輸出も行っているとのこと。
明治時代に稼働を始めたという上磯工場で海上桟橋が完成したのは1970年。その後1987年
に延伸し、今の2kmという長さになったと。



「日時計」。
太陽光によって出来た影を利用し時刻を読む装置・日時計が設置されていた。
先端の地球儀に陽が当たっている国が現時点で正午を意味するため、子供連れには
人気のオブジェ。



日時計の計測を横にある時差表で修正すれば、誤差はごくわずかという性能の良さ。
晴れた日に試すことが出来る先人の知恵。



別の角度から。



函館山山頂にあった「三角点」。
三角点とは、三角測量を行う時に地表に埋定された基準点のことを三角点と言う。
函館山の三角点は三等三角点であるとのこと。
6月3日は「測量の日」。1949年6月3日、「測量法」が公布されたことにちなんで、
建設省(現在の国土交通省)、国土地理院等が1989年に制定したと。



「伊能忠敬・北海道最初の測量地碑
五月二十八日 新暦七月十九日
土用 朝五つ迄曇る 夫より晴天江戸出立後の上天気なり 併し山々白雲おほし 
箱館山に登て所々の方位を測 夜も晴測量……
寛政十二年 一八〇〇年
伊能忠敬測量日誌より
昭和三十二年四月 函館市」。
日本地図を作った伊能忠敬は、寛政12年(1800年)に箱館(現在の函館)を出発点として
東海岸から根室まで蝦夷地の実測を開始。その起点が函館山だったことを記念し、
函館山山頂展望台の側壁に肖像ブロンズを嵌め込んだ碑を設置しているのだ。



「函館山のモニュメント」越しに眺める海。
そして遠くにこの朝に周遊した「北海道駒ヶ岳」の勇姿。



展望台は人の姿は他になく、これぞ「2人占め」の函館山展望台。



早朝のこの日は、函館山からも亀田半島や恵山方面、そして津軽海峡を挟んで本州の
下北・津軽半島を彼方に望めたのであった。



函館山からの豊川ふ頭エリアの風景。
教会や領事館跡など、異国情緒漂う元町・ベイエリアを従えた函館港。
豊川ふ頭には昭和63年(1988年)に廃止された「青函連絡船記念館摩周丸」を保存・公開しているのも見られたのであった。



「スイングパノラマ」モードで。
左に「北海道駒ヶ岳」、右手に「亀田半島」が先端まで。



これが函館山から見たズームでの「青函連絡船記念館摩周丸」。



「函館どつく㈱ 函館造船所」。



「津軽海峡フェリー」が定期修繕で停泊中であった。



「コスモ石油㈱ 函館物流基地」のタンク群とその先に「北海道駒ヶ岳」。



「山頂駅(函館山ロープウェイ)」前の支柱。



1段下の展望台にも人の姿はなかった。



「五稜郭タワーをズームで」。



鏡のように静かな函館湾。



遠く静かな海の先に函館空港、亀田半島も鮮明に見えたのであった。



函館山から見る「函館ハリストス正教会」、「カトリック元町教会」、「函館聖ヨハネ教会」。




「函館ハリストス正教会」、「カトリック元町教会」をズームして。



再び「函館どつく㈱ 函館造船所」。
東北以北で最大の造船メーカーであり、函館と室蘭に造船所がある。
函館では幕末の開港から函館港を中心に発展を遂げ、造船は北洋漁業とともに函館の経済を
支えてきた。



「湯川町」方面を見る。



その先に「函館空港」。



「函館山ロープウェイ山麓駅」。



「函館駅」周辺を見る。



「金森赤レンガ倉庫群」。



この写真のカメラ設定はどうなっていたのであろうか?
まるで上空からの写真の如くに。



津軽海峡を航行する「津軽海峡フェリー」を。



松前半島の「大千軒岳」を見る。



松前半島の「渡島廃棄物処理広域連合・クリーンおしま」と「道南いさりび鉄道」の
高架橋をズームで。



まだまだ「2人占め」。



「松前半島」を見る。



北斗市昭和1丁目にある「太平洋セメント㈱上磯工場」方面を見る。
全長6.2kmの巨大コンベアーの姿もはっきりと見えた。



「北海道駒ヶ岳」方面を見る。
右手に「函館山のモニュメント」。



「ブラキストンの碑」。



「トーマス・ライト・ブラキストンについて ( Thomas Wright Blakiston ) 
ブラキストンは、1832年イギリス生まれ、文久3 (1863) 年に日本での事業をおこすために
来函 ( らいかん ) し、事業を継続しながら鳥類を捕獲・研究、気象観測も行いました。
明治12 (1879) 年には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場
( 現在の市立函館博物館 ) に寄贈しています。
この標本は、現在北海道大学植物園・博物館に所蔵されています。
明治16 (1883) 年、本州と北海道の動物の著しい違いがあることを、アジア協会報に発表して
注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。」



「NHK&HBC テレビ送信所」。



函館山山頂の絶景を思う存分「2人占め」し堪能した後は駐車場に戻ったのであった。


                              ・・・もどる・・・

                  ・・・つづく・・・







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Last updated  2021.01.15 12:23:00
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